蝶結び   作:春川レイ

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沈丁花

 

 

後藤の尾行に関して、カナエからしのぶへ何やら説教があったらしい。その日の夕食の席で、しのぶが怒りに満ちた鋭い視線を向けてきたが、結火は知らないふりをした。

「結火さん」

名前を呼ばれて振り向く。カナエが楽しそうに立っていた。

「なんでしょうか」

「はい、あーん」

そう言われて反射的に口を開ける。そこにカナエが何かを突っ込んできた。

「……?」

驚いて口を閉じる。直後に甘い味が口いっぱいに広がった。

「美味しいでしょう?さっき飴を売っていてね、結火さんが気に入ると思って買っちゃった」

「……」

それは必要のない買い物なのでは?と返そうと思ったが、口をつぐんだ。しばらく口の中で甘さを楽しむ。そして、

「美味しいです。ありがとうございます」

と言って、結火は小さく微笑んだ。カナエも笑い返す。

その光景を、アオイが遠くから見ていた。

 

 

 

 

 

「結火様、最近よく笑うようになりましたね」

昼食の準備をしている時、アオイから声をかけられた。思わず肩を揺らして、そちらへ顔を向ける。

「――私が、ですか?」

「えっと、カナエ様の前ではよく笑ってるなー、と思って……」

「……」

表情を変えずに少しだけ顔を伏せた。すぐに冷静な声で言葉を返す。

「……申し訳ありません。気が緩んでいました」

結火の言葉に、アオイが慌てたように手を振った。

「えっ、いやいや、なんで謝るんですか?いい事だと思いますよ!凄く雰囲気が柔らかくなったって、皆も言ってましたし!」

「……」

アオイの声を聞きながら、結火は複雑な心境で野菜を切る。

「――柔らかく、なりましたか」

「えーと、はい。ここに来たばかりの頃は、いつも難しい顔をしていて、正直少し近寄りがたかったですけど、……今はとても話しやすい、です」

アオイの言葉に、野菜を切る手を止める。少し考えたあと、結火はポツリと呟いた。

「――あの方の、影響なのでしょうね」

「はい?」

アオイがキョトンとする。

結火はその様子に構わず、再び手を動かしながら、アオイへと言葉を続けた。

「何でもありません。ところで、神崎さん、胡蝶様には許可をいただきましたが、私は午後から少し用事があって、外出します。申し訳ありませんが、仕事を手伝うことができません」

「あ、はい。えーと、どこに行くんですか?」

アオイの問いかけに、結火は切り終わった野菜を鍋に入れながら答えた。

「自宅の方へ……」

この自宅というのは、実家ではなく、結火が蝶屋敷に来る前に住んでいた家だ。

「しばらく帰っていないので、掃除と空気の入れ換えを……」

結火の言葉にアオイは軽く頷いた。

「分かりました。でも、あまり遅くならないようにしてくださいね。どうやら、夕方から雨が降るらしいですよ」

結火は無言で頷いた。

 

 

 

 

 

「あ、結火様ー!」

昼食が終わり、家を出ようとしたその時、きよ、すみ、なほが声をかけてきた。結火は足を止めて、そちらへと顔を向ける。

「お出かけですか?」

そう尋ねられて、結火は頷きながら口を開いた。

「はい。少し外出してきます。もしよければ、何か買ってきましょうか?」

結火の言葉に、三人娘は揃って首を横に振った。

「大丈夫です。それより、隊士の方からお土産にお饅頭を頂いたんです!」

「あんこがたっぷりで美味しいお饅頭だそうですよ!」

「夕食後に、皆で食べましょう!早く帰ってきてくださいね!」

三人娘が口々にそう言って、結火は頷いた。

「……分かりました。なるべく、早く戻ります」

そして、軽く頭を下げて門戸から出る。

「行って参ります」

三人娘が大きく手を振りながら、見送ってくれた。

「行ってらっしゃーい!」

少しだけ手を振り返し、足を踏み出した。ゆっくりと進みながら、物思いに耽る。

いつの間にか、蝶屋敷での日常が結火にとって、当たり前の事となった。昔のように闇の中で戦う日々とは全く違う。穏やかで落ち着いた生活を送っている。そんな日常で、少しずつ自分も変化してきている。

昔の自分は、もっと冷たくて、厳しくて、攻撃的で、感情表現が苦手な女だった。そして、何よりも、人と関わるのが苦手で、孤独な人間だった。

そんな自分が、いつの間にかいろんな人と関わり、繋がり、感情を少しずつ表に出せるようになってきた。毎日を心穏やかに過ごす中で、アオイに指摘されたように、笑うことも増えてきた。きっと、結火がこんなにも変化したのは、カナエの影響だ。

「……」

カナエの笑顔が脳裏に浮かぶ。カナエがそばにいてくれたから、自分はここまで大きく変化することが出来た。昔の結火なら、きっとこんな変化を受け入れるのは、拒否していただろう。

だけど、今の自分は――

「……あ、」

ハッと気がつくと、いつの間にか自宅に到着していた。慌てて鍵を開けて、中に入る。

想像していた通り、久しぶりに帰ってきた元の家は、空気が淀んでおり、埃があちこちに溜まっていた。顔をしかめながら、まずは部屋中の窓を開けて、空気を入れ換える。そして、掃除用具を手に、大掃除を開始した。

元々小さい家だし、私物は少ない。それでも今までほとんど帰らずに放置していたため、汚れはかなり溜まっている。数時間かけて掃除を行った。

てきぱきと身体を動かし、夕方になる前には、なんとか掃除を終えることが出来た。綺麗になった部屋を見回し、ホッと息をつく。

その時、扉を叩く音が聞こえた。

「――はい」

結火が首をかしげながら扉を開くと、そこには、

「胡蝶様……」

カナエが穏やかに笑いながら立っていた。その手には傘を持っている。

「雨が降りそうだったから、迎えに来たの。掃除、終わったかしら?」

その言葉に、結火は頷きながら答えた。

「――はい、なんとか……」

「ごめんなさいね、お手伝いできなくて」

「いえ、胡蝶様には、仕事があるので。それに、一人で十分です」

結火が淡々と答えると、カナエは少しだけ首をかしげ、口を開いた。

「もしよければ、少しだけお邪魔してもいい?」

結火は少し迷ったが、結局カナエを招き入れた。

「――どうぞ。でも、何も、ない家ですよ」

カナエが嬉しそうに家に足を踏み入れた。

「ここにずっと住んでいたの?」

「はい。柱を辞めてから、ですが。お館様がこの家を準備してくださって……」

「そう……」

カナエはゆっくりと部屋を見回し、笑った。

「結火さんのおうち、初めて入ったけど……、なんだかあなたらしいおうちね」

「なんですか、それ……」

「スッキリしていて、住みやすそうというか……、落ち着いた感じ」

クスクスと笑うカナエを見返し、少し考えてから、結火は口を開いた。

「――実は、この家を、処分することを、考えています」

「え?処分?」

「はい……正式に、手放しそうかと」

元々は逃げ道として残しておいた家だ。でも、今は必要性を感じなかった。

カナエが不思議そうな声を出した。

「どうして?あなたの家なんでしょう?」

「……あまり、ここに来ることもありませんし、ずっと放置するのは家にとってもよくないかと……」

結火は一瞬言葉を止めると、カナエから目をそらし、言葉を続けた。

「――私の家は、もう、蝶屋敷、ですから」

カナエが息を呑んだのが分かった。一瞬の後、結火の手をカナエが優しく包み込むように握る。結火が顔を上げると、カナエは慈愛に満ちあふれた表情をしていた。

「ふふふっ、私、今ね、すごくキュンとしちゃった」

「――恋柱様みたいな言い方ですね」

「嬉しかったの。とても、とーっても。きっと、あなたの想像以上に」

カナエがゆっくりと結火の身体を抱き締めてきた。そして、コツンと自分の額を結火の額に当て、クスクスと笑う。結火も抵抗することなく、それを受け入れた。

二人で寄り添いながら、部屋の壁に身体を預けるように座る。結火はカナエの肩に頭を乗せるようにもたれかかった。手を絡めながら、結火は目を閉じる。しばらく沈黙していたが、やがてカナエがゆっくりと口を開いた。

「でもね、結火さん。私は嬉しいけれど、……無理して処分することはない、と思う」

「はい?」

目を開いて、カナエの方へ視線を向けた。

「うまく言えないけれど……自分が住む場所とは別に、落ち着ける場所を持つ、というのは悪い事ではないわ。一人で過ごしたり、心と身体を休める場所として、残しておく、という方法もあるんじゃない?」

「……」

「もう少し、考えてみたらどうかしら?ね?」

カナエはそう言って、結火の手を軽く撫でてから、ゆっくりと立ち上がった。

「そろそろ、戻りましょうか。暗くなっちゃうわ」

「……はい」

結火もカナエを見つめながら立ち上がる。二人揃って玄関から外へと出た。

「あら?雨、降ってないわね……」

カナエの言葉に、空へと視線を向ける。確かに天気は崩れていなかった。まだ雲は多いが、雨は降っていない。

「よかった。さっきまで、今にも雨が降りそうな天気だったけど、大丈夫みたいね」

カナエがホッとしたように笑う。結火も頷いて、足を踏み出した。

自然に、お互いに手を伸ばして、絡めるように繋ぐ。

雨が降らなくて、よかったな、と思った。雨が降ったりしたら、きっとこうやって手を繋ぐ事はできなかっただろう。

そんな事を思ってしまった自分に驚く。そして、顔が熱くなるのを感じた。

「結火さん、どうしたの?なんだか顔が赤いけど……」

カナエの言葉に、何でもありません、と答えようとしたが、口をつぐむ。そして、カナエに赤い顔を向けて、口を開いた。

「――私、蝶屋敷での生活が、とても好きです」

「え?どうしたの?急に……」

カナエが驚いたように言葉を返してくる。結火は、できるだけ冷静に言葉を重ねた。

「……わ、私、蝶屋敷に住むまでは、無理矢理、生きていました。痛くても、苦しくても、きっとまだ戦えるんだって、自分で自分に言い聞かせて……い、生きる目的を失くして、それでも命が続く限り生きていかなくてはならないから、――自分を奮い立たせて、鼓舞して……強引に自分を、生かせて、いたんです」

顔を伏せて、歩きながら、少しずつ自分の胸中を吐露する。カナエは何も言わずに結火の言葉を聞いてくれた。

「でも、最近はとても……生きやすい。い、居場所があるから。蝶屋敷があるから、です。帰る場所があるということが、こんなにも安心する、なんて知らなかった……幸せ、なんです」

 

 

 

「あなたがそばにいてくれるから、とても幸せなんだ」

 

 

 

カナエの顔を見ることはできなかったが、驚いたように身体を揺らしたのが分かった。そっと、顔を上げて、カナエに視線を向ける。カナエの顔も紅潮していた。

今なら言える。

結火は、一瞬息を止めて、再び口を開いた。

「わ、私は――」

声が震えた。情けない、と思いながらも言葉を続ける。

「あなたが――」

言葉を続けようとした、その時だった。

「カァー!」

鴉の鳴き声が耳に入り、驚いて空へと顔を向ける。そこには、

「――芯」

鎹鴉の芯がいた。嬉しそうに鳴きながら、クルクルと飛び回っている。

カナエが少しガッカリしたような顔をする。そして、結火と同じように鴉へと視線を向けて、口を開いた。

「あら?あの鴉さん、何かを持っているみたいね」

カナエの言った通り、芯は脚に何かを持っているようだった。フワリと軽やかに結火の肩に降りてくる。その脚には、手紙とそれから、

「――あ」

「まあ」

花を持っていた。名前は分からないが、淡い紅色の美しい花だ。

「これ、は」

「あ、これ、沈丁花、かしら?」

カナエが花の名前を教えてくれる。その声を聞きながら、芯の脚についていた手紙を開いた。

 

 

 

『お花をありがとう。

 君に出会えたこと、友人になれたこと、心から感謝 する。

 君の歩む未来が、光輝くものでありますように。

 

 

 

 追伸

 花言葉は“不滅”』

 

 

 

 

差出人の名前はないが、すぐに分かった。これは、耀哉からの手紙と贈り物だ。

「……ああ」

結火の口から、小さな声が漏れた。手紙と沈丁花をそっと抱き締める。

「結火さん?」

カナエが不思議そうな声を出した。

結火は目を閉じて、ゆっくりと微笑む。

 

 

ああ、そうだ。そうだった。

私の心の炎は、何度も消えそうになったけれど

まだまだ燃えている。

それは、不滅だ。

私の想いは、不滅なんだ。

どんなに弱くても、苦しくても、前を向いて、私は私の責務を全うする。

愛する弟のように。

そして、耀哉様のように。

誰かの幸せを守るために、戦いたいんだ。

諦めずに、最後まで、自分にできる精一杯のことを、成し遂げたい。

この思いは、永久であり、不滅なんだ。

それは、鬼にだって奪えない。

そのために、できることは、きっと――

 

 

 

結火の瞳からゆっくりと涙が流れた。

「ゆ、結火さん、どうしたの?」

カナエが戸惑ったようにオロオロしている。結火は瞳を開いて、涙を流しながら、芯に向かって口を開いた。

「ありがとう、芯。心から感謝する」

芯はまた嬉しそうに、カァー!と鳴いて、飛び去った。結火はその姿を見送り、再びカナエの方へ顔を向けた。

「胡蝶様、帰りましょう」

「え、えっと、でも――」

「きっと、皆さんが待っています。帰りましょう」

もう一度そう言って、戸惑うカナエの手を引っ張る。カナエは慌てたような様子でついてくる。

結火の瞳はまだ潤んでいる。しかし、何かを決心したような、強い意志が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の早朝、結火は薬の調合室へ向かった。

ゆっくりと扉を、コンコンと叩く。

「はい?」

しのぶの声が聞こえて、扉を開いた。

「失礼します」

声をかけながら入ると、しのぶが少し目を見開き、口を開いた。

「あら、どうしました?朝早くに……」

結火はまっすぐに強い視線をしのぶへ向ける。

そして、

 

 

「決めました」

 

 

一言だけ言葉を返し、顔を伏せた。

しのぶは結火の言葉に一瞬驚いた後、満足そうに微笑む。そして、軽く頷いた。

 

 

 

「では、早速始めましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





なんか、ちょっと展開に行き詰まって、更新が遅くなりました。本当に申し訳ありませんでした。少しずつですが、書き進めて、必ず完結まで持っていきたいと思います。今後もよろしくお願いいたします。



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