仕事のため、久しぶりに蝶屋敷を訪れた後藤は、煉獄結火に関して信じられない話を聞き、思わず声をあげた。
「ええっ!?結火様が?」
きよ、なほ、すみの話によると、結火は再び剣士として戦うために蝶屋敷を出たらしい。
「え……で、でも、結火様は肺が弱ってるはず……」
後藤がアワアワとしながら声を出したその時、廊下の向こうからカナエが顔を出した。
「後藤さん、ちょっと……」
カナエが小さく手招きして後藤を呼ぶ。後藤は驚きつつ、カナエの方へと近寄った。
「あのね、実は結火さんの身体のことなんだけど──」
カナエから、結火の身体に起こった変化について話を聞いた後藤は愕然として声を出した。
「ど、毒って……それ、絶対に大丈夫じゃないヤツですよね!?」
そのまま頭を抱え、呻く。
「嘘だろ、おい……」
カナエは顔を伏せて小さな声を出した。
「それでも、これは結火さんが決めたこと、だから……」
後藤はハッとしてカナエの顔を見返した。
「胡蝶様……」
後藤が何かを言おうとしたが、それを遮るようにカナエは微笑んだ。
「もしも後藤さんが外で結火さんに会うことがあったら、くれぐれも体調には気を付けるようにとお伝えしてね」
そう言ってカナエは逃げるように屋敷の奥へと走っていった。
「……」
後藤は青い顔をしたまま、それを無言で見送ることしか出来なかった。
◇◇◇
目を閉じて、息を吸った。
できるだけ酸素を多く取り込むように呼吸する。
全身の筋肉が動き出すのを感じた。心臓が鼓動して、血液が循環していく。
──できるか?
自分に問いかける。
──いや、できるか、できないか、ではない。
──やるんだ。
そして煉獄結火は瞳を開いた。
直後に、大きな刃が目の前で動くのが見えた。それを避けながら、自分も腕を動かす。刀を一気に振り下ろした。技を繰り出しては、受け流す。キィンと、刀がぶつかり合う音が響いた。
そのまま止まることなく腕を振るい続けていたが、徐々に呼吸が乱れてくるのを感じた。
「……っ」
一度退こうとしたその時、目の前で動いていた刀がピタリと止まった。
「ここまでだ、煉獄」
宇髄天元の言葉に、結火もまた動きを止める。そして、刀を持つ腕をゆっくりと下ろした。
「あっ、休憩ですか~?ちょうどお茶を入れてきましたよ!」
動きを止めた結火と宇髄を見て、須磨と呼ばれていた宇髄の嫁が声をかけてきた。ニコニコと笑いながら、湯呑みが乗ったお盆を運んでくる。
「おう、すまねえな」
宇髄はすぐに湯呑みを手に取ったが、結火は無言で何かを考えるようにその場に顔を伏せた。気づかれないように小さくため息をつく。
「煉獄、大丈夫か?」
ハッと顔を上げると、宇髄と3人の嫁がこちらを心配そうに見つめていた。
「悪い、少しやりすぎたか?」
「……いや」
結火はゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫だ。……すまない、宇髄」
「あ?何が?」
「お前も柱稽古で忙しいのに、手合わせに付き合ってもらって……」
その言葉に宇髄はニヤリと笑った。
「気にするな。ちょうど時間が空いていたし、いい息抜きにもなる」
その時、まきをと呼ばれていた嫁が口を挟んできた。
「お食事も用意しましたよ。少し座りませんか?」
その言葉に結火は無言で頷いた。
「天元様、お怪我はしていませんか?」
「美味しいもの、いっぱい用意しました!」
「お饅頭もあるんですよ~」
「おう。ありがとうな」
目の前で宇髄と3人の嫁がイチャつくのを眺めながら、嫁が作ってくれた握り飯を咀嚼する。
相変わらずうるさいほどに賑やかな家族だ、と結火はぼんやりと考えた。
そして、ふと蝶屋敷の少女達と過ごした日々を思い出した。きっと今頃、蝶屋敷ではあの食堂で、少女達は明るく話をしながら、温かい食事をしているのだろう。
それを想像したのと同時に、胡蝶カナエの顔が脳裏をかすめる。
「……」
蝶屋敷で過ごした穏やかなあの日々が、もう既に懐かしい。あの場所に帰りたくて、何よりもカナエに会いたくてたまらなかった。
食事をする手を止めて、暗い表情でうつむく結火に、宇髄が視線を向けた。
「どうした、煉獄?顔色が悪いな……気分が悪いのか?」
宇髄が結火の顔に手を伸ばしてくる。その手を、結火はそっと払いのけた。
「いや……体調が悪いのはいつものことだから」
その言葉に宇髄が顔をしかめた。
「まだ身体がきついのか?」
「ああ……毒の効能だからな」
相変わらずしのぶの毒による症状はひどい。だが少なくとも眩暈はほとんどなくなったのは幸いだった。頭痛や吐き気は続いているが、徐々に慣れつつある。
「……仕方ないんだ。これは、私が戦うために必要なのだから」
結火はそっと囁く。まるで自分に言い聞かせるように。
そんな結火から宇髄は目を逸らすと、気まずそうな顔で口を開いた。
「煉獄……言いにくいんだが」
「お前の言いたいことは分かってる」
結火は宇髄の言葉を遮るように声を出した。
「……昔と比べると、全然戦えていない。防御はなんとか出来ているが、身体の動きも鈍いし、呼吸もすぐに乱れる。技に切れがないし、頻繁に体幹もぶれるな。少なくとも今の状態では……上弦の鬼にさえも勝つことはできないだろう」
結火が冷静に言葉を返すと、宇髄は目を見開いた。結火は肩をすくめながら言葉を重ねる。
「……自覚はしているさ。これでも柱を名乗っていたのだから」
宇髄は複雑な表情で頷いた。
「流石に昔と同じように、というのは無理があるだろ……正直かなり厳しいぞ」
「ああ。分かっている」
結火は強く拳を握った。
「分かっているんだ……痛いほどに。だけど、それでも……私は、戦う。少しでも役に立ちたいんだ」
そんな結火の姿を宇髄はまっすぐに見つめる。そして、手に持っていた握り飯を口に入れ、一気に飲み込むとニヤリと笑った。
「それじゃあ、飯の後はまた素振りだな。その後は手合わせの続きをするか」
その言葉に、結火は目を見開いた。
「……止めないのか?」
「あ?」
「……私が、戦おうとしているのを止めないのか?……反対しないのか?」
その問いかけに宇髄は肩をすくめた。
「止めたって、絶対に止まらねえだろ。お前は」
「……」
「お前は昔からそういうヤツだからなぁ、煉獄。いつだってひたむきで、真っ直ぐだ。ここで俺がとやかく言っても、お前が止まることはないって分かってるさ。お前は、鬼殺隊士として、剣士としての生き方を貫くことを選択した。そして、それを曲げることはない。そうだろう?」
「……」
「それなら、邪魔はしないさ。これはお前の戦いだ。そのまま進め、煉獄」
なんと答えればいいか分からず無言で宇髄を見返す。そんな結火に向かって宇髄は言葉を重ねた。
「それにな、負けると決まったわけじゃないだろ。人間の能力は未知数だ。限界を越える人間ってのは、分からねえんだよ、煉獄。時として……人は、大きな力を発揮して、誰も想像出来なかった事を成し遂げたりする。──だから、諦めるな」
「……」
宇髄の言葉を聞いた結火はゆっくりと息を吐き、頭を軽く横に振った。
「……よもや、お前からそんなに真面目な言葉で説教されるとは思わなかった」
そして、結火は真正面から宇髄を見返し小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
その笑顔を見た宇髄は驚いたように目を見開く。
「お前、笑うのか」
「……なんだ、それは。私だって笑うさ。人間なのだから」
「いや、いっつも仏頂面だからよ……笑ったことなんざないのかと……お前の笑顔を見ることが出来るなんてなぁ。長生きしてみるもんだ」
「年寄りみたいな言葉だな」
結火が呆れたように呟くと、宇髄がニヤリと笑った。
「誰かさんの影響かもなぁ?」
「……」
宇髄の言う“誰かさん”が誰なのか察して、結火は笑顔を消失させ、思いきり顔をしかめた。反対に宇髄はニヤニヤと笑い続けながら結火の顔を覗き込むように見てきた。
「煉獄ー、そろそろ吐いてもらおうか?」
「……なんだ?」
「惚けんなよ、胡蝶の事だよ」
「……」
結火は鋭い視線を宇髄へと向けた。
「……宇髄、そういえばお前、勝手に悲鳴嶼さんに話したらしいな」
「まあまあ、そんな細かいことは気にすんなよ。それで?お前ら、どうなったの?」
「……答える義務はない」
結火は素っ気なく言い放ち、立ち上がる。そして逃げるようにその場を離れようとしたが、宇髄はしつこくまとわりついてきた。
「あいつと恋仲になったのか?いつ?」
「答える義務はないといったはずだ」
「お前からも告白したのか?どんな風に?」
「宇髄、鍛練を再開するぞ」
「どこまで進んだ?俺の春本は役に立ったか?」
「いい加減にしろ、宇髄!」
「胡蝶を抱いたのか?」
「……」
「……」
「……」
「……ん?あっ、お前、もしかして抱いたんじゃなくて、抱かれ……」
次の瞬間、結火は振り向き様に宇髄の腹に、勢いよく大きな蹴りを入れた。
「ぐえっ」
宇髄が短い悲鳴をあげる。
「天元様ぁ!!」
その場で居心地悪そうに宇髄と結火の話を聞いていた3人の嫁も揃って悲鳴をあげた。
それに構わず結火は怒鳴る。
「馬鹿か、お前は!本当にいい加減にしろ!!」
結火はそう叫び、刀を振り上げた。
「ちょっ、煉獄、待て待て!悪かったって!」
宇髄が慌てたように素早く退く。
そのまま2人は2回目の手合わせへと突入した。
◇◇◇
蝶屋敷の調合室にて。
胡蝶しのぶは1人、机の上に設置している顕微鏡を覗きこんでいた。赤い唇が動き、囁くように声を出す。
「……これは、興味深い」
静寂の満ちた部屋に、しのぶの声だけが響いた。
そのまましのぶは顕微鏡から目を離し、目を細めた。大きく深呼吸をして再び呟く。
「面白い」
その時、後ろから声をかけられた。
「何が?」
しのぶが慌てて振り向くと、そこには姉の胡蝶カナエが立っていた。
「姉さん!驚かさないでよ……」
「しのぶが熱中しすぎてて気づかなかったんじゃない」
カナエは少し笑うと、首をかしげて再び問いかけた。
「それで?何が面白いの?何か発見した?」
しのぶは難しい顔をして、迷うように目を泳がせながらも口を開いた。
「発見したというか……ちょっと驚くようなことが起きてて……」
「え?」
しのぶは言いにくそうにしながらも言葉を続けた。
「結火さんのこと……」
突然結火の名前が出てきて、カナエが困惑したように眉をひそめた。
「結火さん……?」
しのぶが考え込むように顔を伏せ、言葉を重ねた。
「私……あの人が出ていく前に、採血をしていたの。身体の状態とか、いろいろと検査をするために……」
「……それが?」
「特殊な毒を身体に取り込んだことで肺の機能を高めた……だけどそれだけじゃなかったの。毒は、他にも影響を与えた……」
カナエが息を呑む。
「影響……それって……?」
しのぶは険しい表情で声を出した
「血液が変化していたの……とても信じ難い変化を」