「ゴホッ、ゴホッ」
胸から喉に突き上げるように不吉な咳が出てきた。結火は左手で喉を押さえる。
大丈夫、まだ息はできる。苦しくはない。
そう自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、大きく深呼吸をした。
その時、扉がコンコンと音をたてた。結火はすぐさま返事をする。
「はい?」
ガチャリと扉が開き、入ってきたのは予想通りカナエだった。
「今、大丈夫?」
「ああ……」
結火が頷くと、カナエが声を弾ませて言葉を続けた。
「あのね、いいものを持ってきたの」
「いいもの?」
カナエの言葉に、結火が首をかしげた。カナエは楽しそうに何かゴソゴソとしている。見えないため、何をしているかは分からない。
やがて、カナエが窓際に立つ気配がした。窓を開ける音が聞こえる。
「何をしているんだ?」
結火の疑問にカナエが答える前に、風がふわりと吹く。その途端、
──チリン
涼やかな可愛らしい音が聞こえた。結火が音に反応して顔を動かす。
「……風鈴か」
「ええ!」
カナエが弾んだ声を返してきた。
「結火さん、風鈴が好きでしょう?時期的にはちょっと早いけど、音だけでも楽しめそうだなって思って……」
「ああ……」
結火は小さく頷きながら、耳をすませた。
──チリン
風に合わせて再び風鈴が音を立てる。結火は微笑みながらカナエに声をかけた。
「私が以前、あなたに贈った風鈴か?」
「ええ」
カナエは大きく頷いた。
「いい音だ。ありがとう、カナエ」
お礼を言った結火は、ふとあることを思い出し、ポツリと呟いた。
「そういえば、残してきてしまった」
突然の結火の言葉に、カナエがきょとんと首をかしげる。
「……?何を?」
結火は苦笑しながら言葉を続けた。
「風鈴を、家に残してきてしまった。あなたから贈られた風鈴だ」
「ああ……」
そう言われて、カナエも随分と前に結火に風鈴を贈ったことを思い出す。
「あの花火が描かれた風鈴?」
「ああ……鍛練のためにこの屋敷を出た時に、家に持ち帰ったんだ。そのまま置いてきてしまった」
「あら、そうだったの……」
「うん」
結火は鮮やかな花火の柄を思い出しながら言葉を重ねた。
「あなたと離れている間……とてもつらくて寂しかったけど、あの風鈴には随分と慰められた。……私の、宝物だ」
それを聞いたカナエが微笑みながら結火の肩を撫でた。
「それじゃあ、明日にでもあなたのおうちに行ってあの風鈴を持ってきましょうか?」
「いいのか?」
「ええ。どこに仕舞っているか教えてくれれば、持ってくるわ」
その言葉に結火が顔を綻ばせる。
「……頼む」
「ええ。待っててね」
結火が微笑みながら頷く。
同時に風が優しく吹いて、風鈴がチリンと音を鳴らした。
◇◇◇
相変わらず咳は止まらず、時々は呼吸の苦しさもあるが、それでも徐々に自力で身体を動かせることができるようになってきた。今ではなんとかベッドの上で身体を起こすこともできる。
「それじゃあ結火様、後でまた包帯を変えに来ますね」
そう言って、朝の点滴を終えたアオイが部屋を出ていった後、結火はモゾモゾと身体を動かし始めた。
カナエは何時頃ここに来るだろうか、と考えながら必死に身体を動かし続け、なんとか上体を起こしたその時だった。扉がコンコンと音をたてた。
「はい?」
結火が返事をするとすぐに扉が開く音が聞こえた。
「……どうも」
少し怒ったようなその声に、結火は息を呑んだ。
「……蟲柱様、ですか?」
「もう柱ではありません。鬼殺隊も、解散しましたしね」
少し掠れていたが、間違いなく胡蝶しのぶの声だった。こちらへ近づいてくる気配を感じる。杖をついているのか床が音をたてた。
「お互い、死に損ないましたね」
どこか不機嫌そうなその声に、結火の手が震える。包帯の間から、涙が零れた。
「……なんで泣いてるんです?」
しのぶに問いかけられ、結火は声を絞り出した。
「あなたが……っ、無事だったから……生きてる、から……」
無事だとはカナエから聞いていたが、実際にしのぶの生存を再確認して心から喜びを感じた。
しのぶはそんな結火を見つめながら、やはり不機嫌そうに言葉を続ける。
「これでもあなたと同じくらい大怪我だったんですよ……臓器も潰れたし出血も酷かったし……本当に、よくもまあ生き残れたものです」
「もう、身体は大丈夫なのですか?」
結火の問いかけに、しのぶは小さな声を出した。
「そうでなければここには来ませんよ。なんとか離床できるくらいには回復しました。まあ後遺症は残るでしょうけど」
しのぶの言葉に結火は大きく息を吐く。
「よかった……」
心から安心したようにそう呟く結火を、しのぶはしばらく無言で見つめた。
「……あなたのおかげで、戦いに勝てました」
しのぶが小さな声でそう言ったため、結火は驚いたようにそちらの方へ顔を向ける。そして首を横に振った。
「私は、あまりお役には立てませんでした……」
「いいえ。あの鬼を倒せたのは、紛れもなくあなたという存在がいてくれたからです。あなたが来なければ、私は生きてここに帰ることはできなかったでしょう……助けていただいたこと、心より感謝します。ご尽力いただきありがとうございました」
しのぶが頭を下げる気配がする。結火は胸がいっぱいになるのを感じた。
「お礼を言うのは、私の方です。蟲柱様……いえ、しのぶさんの指示のおかげで、私は刀を振るうことができました。ありがとうございました」
結火に名前を呼ばれて、しのぶが顔をしかめる。それに気づかず、結火は涙を流しながら言葉を続けた。
「よかった……あなたと共に、ここに、カナエの元へ一緒に帰ることができて、本当によかった……」
結火の口からカナエの名前が出たことで、しのぶが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あなた、姉さんと……」
しのぶの言葉を遮るように結火は声をあげた。
「カナエの事が好きです」
直接的なその言葉にしのぶは目を見開き、息を呑んだ。
「……好き、です。お慕いしています」
結火がはっきりとそう言うと、しのぶは強く拳を握り口を開いた。
「何ですか?それを私に言うなんて……どういうつもりです?まさか、姉さんを私にください、なんてほざくつもりですか?」
「……」
結火は言葉に詰まって顔を伏せた。そして唇を強く噛む。
そんな言葉は、とても言えない。あまりにも不実すぎる。自分は死に逝く人間だ。口が裂けても、そんな無責任な事は言えない。
しのぶの鋭い視線を感じながら、結火は一度大きく息を吸い込む。そしてゆっくりと声を出した。
「申し訳ありません……しのぶさんが受け入れてくださらない事は分かっています。私の事を嫌っているということも。だけど、それでも……許してほしいんです」
「許す?」
そう聞き返すしのぶが、今どんな顔をしているのか分からない。それでも、結火は、必死に自分の言葉で想いを紡いだ。
「カナエを好きでいることを、許してください」
しのぶの強い視線を感じる。情けないことに緊張で声が震えるのを押さえられなかった。
「いずれ……近いうちに私の生命は終わりを迎えます」
しのぶがピクリと眉を動かしたが、結火はそれに気づかず言葉を重ねた。
「もうそんなにはもたない。自分で分かってるんです。……身勝手なのは承知しています。残酷で自己中心的な思いであることは自覚しています。だけど、それでも……どうか、許してください。そばにいることを、許してください。もう少しだけ、あの方の近くにいたいのです……」
結火の言葉にしのぶは何も反応しなかった。しばらく沈黙が流れる。
結火が再び声をかけようとしたその時、
「最低ですね」
しのぶが吐き捨てるようにそう言った。結火の肩がビクリと震える。
「思い出だけ残して、一人で逝ってしまうなんて……あの優しい姉さんを悲しませるなんて、本当に残酷。最悪。クソ野郎」
その言葉に何も言い返せなかった。しのぶの言葉を無言で受け止めることしかできない。結火が顔を伏せたその時だった。
「……ああ、本当に腹が立つ……そんな事を言われたら、私は何も言えないじゃないですか」
ハッとして顔を上げる。しのぶはそんな結火を苦々しそうに見つめながら大きく息を吐いた。
「どうせ、姉さんもそれを望んでいるのでしょう?それが姉さんの望みであるのならば……私はその意思を尊重しますよ」
しのぶはゆっくりと手を伸ばした。結火の左手にそっと触れる。
「本当は死ぬほど嫌ですけど……まあ最後くらいはいいでしょう」
そしてそのまましのぶは結火の手の甲を軽くつねった。突然の刺激に結火はピクリと肩を揺らす。そんな結火を見つめながら、しのぶは言葉を続けた。
「これくらいで勘弁してあげます」
そして、クスリと笑った。
「ああ、それから、私、別にあなた個人の事は嫌ってませんよ。姉さんとの事を気に入らないのは確かですけどね」
結火が驚いたように声の方へ顔を向ける。しのぶは一度だけ、今自分がつねった手の甲を優しく撫で、言葉を重ねた。
「ありがとうございました、結火さん。あなたは本当に素晴らしい剣士です。出会えて、本当によかった」
思いもよらない言葉をしのぶからかけられて、結火はポカンと口を開ける。そんな結火を見てしのぶは再びクスリと笑うと、
「さようなら」
杖をつきながら、ゆっくりとその場から立ち去っていった。
◇◇◇
その日のお昼過ぎにカナエは結火の部屋を訪れた。
「こんにちは、結火さん」
「……」
結火の様子を見てカナエは首をかしげる。結火は珍しくぼんやりとしていた。もしや寝ているのだろうか。
「結火さん?」
カナエがもう一度呼びかけると、ようやく結火はカナエの存在に気づいた様子で、
「あ?ああ……」
慌てて言葉を返してきた。
「ごめん。少しぼんやりしていた……」
「どうしたの?何かあった?」
カナエが尋ねると、結火は一瞬迷ったようにしたがすぐに言葉を返してきた。
「あの……さっき、ここを……しのぶさんが訪ねてきた」
「ああ」
カナエは顔を綻ばせた。
「しのぶがお見舞いに来てたのね。あの子、結火さんの事をすごく心配してたから……」
その言葉に驚いて、結火はカナエの方へと顔を向けた。
「そう、なのか……?」
「ええ。しのぶ、すごく治療を頑張って……やっとね、歩けるようになったから、一番にここに来たんでしょうね」
「そうか……」
その事実が嬉しくて、結火は小さく笑った。
「しのぶさんの経過は順調なのか?」
「ええ」
妹の顔を思い浮かべながらカナエは言葉を重ねた。
「点滴も終了して、今はお食事もできるのよ。少しずつ体力も戻ってきて……今は身体の機能を回復させるために訓練をしているの」
「そう、か……それは……嬉しいな」
心が温かくなるほどの喜びを感じる。
結火はゆっくりと身体を起こすとカナエの方へと手を伸ばした。
「結火さん?」
カナエが驚きの声をあげる前に、結火は左手でカナエを抱き締めた。
「あら、どうしたの?」
カナエが驚きながらも結火の背中に腕を回し、ゆっくりと背中を撫でる。結火はカナエの優しい手を感じながら、小さな声を出した。
「……間違ってなかった」
「え?」
「私の、人生は間違ってなかった。心から、そう思う。私は、愚かで弱い剣士だったけど……何度も何度も傷ついて躓いて絶望したけど……それでも思うんだ。私は間違ってなんていなかった。絶対に」
囁くように言葉を重ねた。
「戦うことができてよかった。剣士になってよかった。あなたの妹を助けられたのだから……」
弟の仇は取れなかったが、それでも愛する人の妹を助けられた。
後悔なんてしない。誰かから否定されても軽蔑されても、心から思う。
──私の歩んだ道は絶対に間違ってなかった。
そのまましばらく結火とカナエは抱き合っていたが、やがて結火の方からゆっくりと身体を離した。
そして、ゆっくりとなぞるようにカナエの顔に触れる。
「あなたは──」
「うん?」
「あなたは綺麗だな」
突然の結火の言葉に、カナエは目を瞬かせた。
「え?どうしたの?突然……」
「いや……」
結火はカナエの存在を確かめるように頬を撫でる。
「一つだけ残念なのは、……視力を失ったことだな」
そのまま結火はカナエの額に自分の額をそっと当てた。
「あなたの顔をもう一度見たかった」
その言葉を聞いて、カナエは一瞬泣きそうな顔をする。結火はその気配を察して、口を開いた。
「ごめん、こんな事を言って……」
「あ……」
カナエが何かを言いかけるが一度口を閉じる。そのまま無理矢理笑顔を作ると、話題を変えた。
「そ、そういえばね、約束通り、風鈴を持ってきたのよ」
その言葉に結火は微笑んだ。
「ああ、ありがとう」
「早速窓のところに吊るすわね」
そう言ってカナエが結火から離れ、窓際に向かう。風が吹いて、すぐに二つの風鈴の音がチリンと響いた。
「ああ、綺麗な音だな……」
結火が嬉しそうに呟く。その顔を見てカナエも嬉しくなり、寄り添うようにベッドの淵に腰かけた。
「随分と暖かくなった……もうすぐ春だな」
「お庭のね、桜の蕾も膨らんでるの。きっともうすぐ咲くわ」
「あなたの風鈴と同じだな」
その言葉に、カナエは風鈴へと視線を向ける。結火が隠だった時にカナエに贈った風鈴には、桜の花が描かれている。贈られた時の事を思い出しながら、カナエは微笑んだ。
「本当、おんなじねぇ。桜が咲いたら庭に出てみましょうか。私が抱えていくわ」
「……」
一瞬結火は言葉が詰まった。カナエもハッとして口元に手を当てる。
しかし、結火はすぐに微笑むとカナエの髪を撫でた。
「私は重いぞ」
「……大丈夫よ」
カナエは無理矢理明るい声を出すが、心の中で自分の発言を後悔していた。
浅はかな発言をしてしまった。簡単に未来の事を口に出すべきではなかった。結火の命が、その時まで続くか分からないのに。
その時、突然結火が喉を抑えた。
「ゴホッ、ゴホッ……っ」
「結火さん、大丈夫!?」
カナエが慌てて肩を抱くように声をかける。結火は必死に胸を抑えながら声を出した。
「だい、大丈夫……っ、ゴホッ」
再び結火が咳き込み、その口から真っ赤な血が吐き出された。カナエの顔が真っ青になる。吐血だ。
素早く結火の身体を横たわらせると、大きな声で叫んだ。
「アオイ!止血剤の準備を!!あと点滴をお願い!」
カナエの慌てたような声を耳にしながら、結火の意識は闇の中へと落ちていった。
◇◇◇
気がつくと、誰かが手を握っていた。見えなくてもすぐに誰なのか分かった。
結火はそっと口を開く。
「……カ」
カナエ、と呼びかけようとしたのに、それ以上声が出なかった。代わりに何度も咳が出る。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……っ」
近くで人の動く気配がした。
「結火!」
「姉上!」
父と弟の声が聞こえる。どうやらカナエが呼んでくれたらしい。
「結火さん!目覚めたのね!」
カナエもまた声をかけてきたが、やはり答えることができなかった。胸が痛くて呼吸が苦しい。
何度も酸素を求めるように呼吸をすると、少しだけ楽になってきた。
「ゆ、結火、大丈夫か?」
「姉上……っ」
父と弟の心配そうな声に、結火はなんとか言葉を返した。
「……だ、だい、じょうぶ……ゴホッ」
結火はそう言いながら、カナエの手を握り返す。腕に違和感がある。どうやらまた点滴が増えたらしい。
「……私、どのくらい、寝てた?」
その問いかけにカナエがすぐに答えた。
「そんなに長くないわ。二時間くらいね……止血剤を投与して酸素の吸入もしたからもう大丈夫。呼吸が苦しくなったらすぐに教えて。もう少ししたら、輸血もするわね」
カナエの言葉に小さく頷きながら、結火はため息をついた。
「よもや……」
もう少し頑張れると思っていた。だが、自分が思っていたよりもかなり弱っていたらしい。
──あと、どのくらい身体はもつだろうか。
そう考えながら、結火は無理矢理笑顔を作ると、槇寿郎と千寿郎に声をかけた。
「私は、大丈夫です……すみません。心配をおかけして」
「姉上……」
千寿郎の声が震えている。そんな息子を槇寿郎は支えるように肩を抱いたが、そんな槇寿郎の瞳にも涙が浮かんでいた。
結火は家族に心配をかけたことを申し訳なく思いながら大きく深呼吸をする。その時、握っていたカナエの手が僅かに震えていることに気づいた。
結火は必死に笑顔を作りながら、今度はカナエに声をかける。
「本当に、大丈夫だよ……カナエ。大丈夫」
「……っ」
カナエが泣いている。
だが、安心させられるような言葉が見つからない。どう慰めればいいのか全然分からない。
ただ寄り添うことしか、もうできない。
「大丈夫だから、カナエ……」
泣きじゃくるカナエの手を弱々しい力で握りながら、結火は「大丈夫」と繰り返した。
その姿を槇寿郎と千寿郎は悲痛な面持ちで見つめることしかできなかった。
◇◇◇
その日から結火の身体は咳が止まらなくなり、毎日吐血を繰り返すようになった。
「ゴホッ、ゴホッ」
痛む胸を抑えながら深呼吸をする。
もう誰が見ても、長くないという事が明白だ。日に日に弱りゆく結火をカナエは支え続けた。
「結火さん、身体を拭くわね」
「……うん」
「その後は包帯を巻き直して……点滴をするからね」
結火の治療や看護、毎日の処置のほとんどを、カナエは一人で行っていた。他の仕事もあるため、時折アオイや他の少女の手を借りることもあったが、カナエは時間が許す限り結火のそばに付き添った。
「カナエ……カナエ……」
「うん?」
「手を、握ってほしい……」
「ええ……あなたが望むならいくらでも」
カナエがそばにいるだけで、結火は安心したように微笑む。それでも少しずつ手を握り返す力が弱くなっていくのを感じた。
きっと、遠からず身体に限界がくる。残された時間は少ないだろう。
底知れぬ悲しみを抱えながらも、カナエはできるだけ、結火が苦しくないように、つらくないように治療を続けた。
◇◇◇
酸素を投与した事で、まだ咳と吐血は時々見られるものの、結火の呼吸状態は徐々に安定してきた。
「あの、こんにちは」
そんな結火の部屋を訪ねてきた人物がいた。
その声を聞いて、結火は顔を綻ばせながら口を開く。
「ああ……竈門少年」
部屋に入ってきたのは、竈門炭治郎だった。
炭治郎はしばらくベッドに横たわる結火の姿を、呆然と見つめていたが、結火が小さく手招きをすると慌てたように近づいてきた。
「すまないな。ここまで呼び出して」
炭治郎と面会を望んだのは結火だった。一度、彼にきちんと礼を言いたかったのだ。お互いになかなか身体状況が安定せず、今まで会うことが叶わなかった。
炭治郎の身体が回復したという知らせを聞き、結火はカナエに炭治郎と面会したいと希望を伝えた。カナエは少し渋っていたが、なんとか短時間ではあるが面会の許可を得ることができた。
「あ、あの、お身体の方は……大丈夫ですか?」
「ん?うん。見た目が大袈裟なだけだ。すごく調子はいいよ」
その言葉が嘘であることを、匂いを嗅がなくても炭治郎はすぐに察した。
身体全体を強張らせている炭治郎に、結火は声をかけた。
「ありがとう、竈門少年」
「はい?」
「一度、きちんと礼を言いたかった。弟の、鍔を付けて戦ってくれたそうだな。あの子の想いを繋げてくれて、ありがとう」
「いえ!俺の方こそ、煉獄さんに励まされたことで最後まで戦うことができました!感謝しています」
その言葉に、結火は笑みを漏らす。
「君は弟と同じように心を燃やしてくれた……感謝しているんだ、本当に……」
もう少し話したかったが、残念ながら終わりの時間となってしまった。
何度も頭を下げながら炭治郎が部屋を立ち去ろうとしたその時、結火はあることを思い出して声をかけた。
「そういえば……竈門少年、私に何か聞きたいことがあったんじゃなかったか?」
「あ、えっと……」
炭治郎は困ったように笑い、首を横に振った。
「いえ、もう大丈夫です」
結火に聞こうとしていたのは、びりびりに破かれた炎柱ノ書の詳細だ。あれほど知りたいと思っていたが、既に戦いは終わった。だから、もう必要ない。
「……?そうか」
結火は不思議そうな顔をしたがそれ以上は何も尋ねることはなかった。代わりに微笑んで最後に言葉をかける。
「竈門少年」
「はい!」
「……本当にありがとう。どうか、幸せに」
それは、心からの願いだった。
結火の言葉に、炭治郎は大きな声で、
「はい!」
と返事をする。そして深く頭を下げ、その場から立ち去っていった。