煉獄結火の葬儀はしめやかに執り行われた。
鬼殺隊に属していた人々が多く集まり、カナエはもちろん蝶屋敷の少女達も、全員が参列する。
棺には、たくさんの藤の花と彼女の日輪刀、そして死ぬまで大切にしていた赤い髪紐が入れられた。
葬儀では、アオイやきよ、なほ、すみがポロポロと泣いていた。しのぶとカナヲもまた、悲しそうな表情でずっとうつむいている。
その一方でカナエは全く涙を流さなかった。ただ、感情が消失したように、ぼんやりと葬儀を見つめていた。
葬儀の後、千寿郎がカナエを引き留めた。
「胡蝶様、姉上を看取ってくださってありがとうございました」
目を真っ赤にさせた千寿郎はそう言って、深々と頭を下げた。その横では槇寿郎が寄り添うように立っており、カナエに声をかける。
「あの子は、君のそばにいることができて、心から幸せそうにしていた。最後まで、結火のそばに寄り添ってくれたこと、心から感謝する」
カナエは唇を震わせながら顔を伏せた。
「……そんな……私……」
本人が望んだとはいえ、結火は実家に、家族の元へは帰らなかった。槇寿郎も千寿郎もその意思を尊重したようだが、最期を見届けられなかった事に対して、複雑な気持ちを抱いているに違いない。だが、それでも二人はカナエに心から感謝して深く頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
カナエは何も応えることができず、静かに頭を下げる。そして、フラフラとその場から立ち去った。
蝶屋敷に戻ったカナエは、着がえもせずにぼんやりと診察室の椅子に座っていた。
どうしようもないほどの悲しみと寂しさで、心が沈んでいる。何もする気力が起きない。絶望感に支配されて、目の前が真っ暗だ。なのに、何故か涙が出てこない。大切な人が亡くなったというのに。
あまりにも悲しすぎて感覚が麻痺してしまったのだろうか、とどこか冷静に自分を分析していたその時、扉が開く音がした。
「姉さん……」
包帯を巻いたしのぶが杖をついて部屋に入ってくる。カナエは感情の宿らない視線をしのぶに向けた。
「……なあに?」
カナエが尋ねるが、しのぶは何も答えない。ただ静かにこちらを見つめている。
「……しのぶ?」
カナエが再び声をかける。するとようやくしのぶは口を開いた。
「大丈夫?」
その問いかけに、カナエは小さく頷いた。
「ええ……。でも、しばらく一人にしてくれる?」
「……」
しのぶは何か言いかけるが、結局口を閉じ、無言で部屋を出ていった。
部屋から出て私室に戻ろうと廊下を歩いていたしのぶに、アオイが声をかけた。
「しのぶ様、カナエ様は……」
「しばらく一人にしてほしいって」
しのぶは暗い表情でそう答える。それを見たアオイもうつむいた。
「そう、ですか……」
しのぶは大きく息を吐くと、廊下の窓へと視線を移す。そして外の景色を見つめながら、言葉を重ねた。
「なんだか、不思議な感じね……」
「はい?」
アオイが不思議そうな顔をする。
「……あの人、もうどこにもいないのね」
そう呟くしのぶの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。驚いたアオイが声をかける前に、涙がこぼれ落ちた。まるで雨が降るように涙が次々と流れる。
アオイは慌てたようにしのぶの肩を支えた。
「し、しのぶ様……」
「ご、ごめんね……っ、泣いちゃって……」
しのぶは自分でも泣いていることに驚いている様子だった。口元を抑えながら、声を漏らす。
「あの人のこと、気に入らないって思ってた……だけど、こんなに、こんなに呆気なくいなくなる、なんて……」
「しのぶ様……」
「……姉さんを置いていくなんて……本当に最後まで気に入らない……っ」
しのぶはアオイに支えられながら、涙を流し続けた。
その翌日、朝早くに起きたカナエは私室から出ると、ゆっくりと歩き、蝶屋敷の廊下を進んだ。
幸いなことに、入院している患者はほとんどいないため、仕事も少ない。
静かに歩を進め、かつての結火の私室へと向かう。入り口からぼんやりと部屋を見渡した。結火の私物は家族に返したため、狭い部屋には、何も残っていない。静かな空間だけが広がっている。
「……」
この部屋で、二人きりで過ごした夜を思い出す。あの日の彼女の声を、表情を、こちらを見つめる瞳も全て覚えているというのに、もう気配さえ感じない。残っているのは現実味のない絶望と悲しみだけだ。
「……」
カナエは部屋に入ることもせず、顔を伏せると再び歩き出した。
次にカナエは先日まで結火が療養していた病室へと向かった。扉を開けて、部屋に入る。やはり静寂の空間が広がっているだろうと思いながら足を踏み入れ、そして目を見開いた。
窓際に、一羽の鴉がいた。静かに結火が寝ていたベッドを見つめている。その瞳には、明らかに悲しみが宿っていた。
「あなたは……」
恐らくは、結火の鎹鴉だ。結火が、“芯”と呼び、とても可愛がっていた事を思い出す。
カナエは鴉に近づきながら声をかけた。
「あなたも、寂しいの?」
芯が一言、「カァー」と鳴く。カナエはその鴉を優しく撫でた。
「そうね……寂しいわね。私も、なの……。でも、どうしてかしら。涙が、出ないの。まるで、感覚が失くなっちゃったみたい……」
鴉は首をかしげながら、カナエをしばらく見つめる。そして、再び「カァー」と悲しげに鳴くと、カナエの手にすり寄ってきた。まるで慰めてくれているみたいだ。
「……ありがとう」
カナエが囁くようにそう言うと、鴉はフワリと窓から飛び立っていった。
その拍子に、カナエが結火のために吊るした二つの風鈴が揺れる。チリン、と涼やかな音がした。
「……」
静かにその風鈴を見つめる。紅の花火と、散りゆく桜の花が描かれた鮮やかな二つの風鈴。この音を聞いて喜ぶ人はもういない。
カナエは手を伸ばすと、二つの風鈴を手に取る。そして、それを慎重に取り外し、大切に持つと、静かに部屋から出て行った。
次に来たのは、二人で何度も一緒の時間を過ごした縁側だった。縁側の軒下に、二つの風鈴を吊るす。風が吹いていないため、風鈴は揺れない。それが、たまらなく寂しかった。
カナエの心はこんなにも寒々としているのに、庭は美しい花が咲いていて、日差しが暖かく、長閑な景色が広がっている。
カナエは縁側に腰を下ろすと、静かに庭の景色を見つめた。結火と過ごしていた時は、あんなにも輝いていたのに、今では全く光を感じない。
悲しみと虚無感しかない。
目の前は真っ暗だ。
「よっ」
そんなカナエに誰かが声をかけてきた。カナエはハッとして、そちらへ視線を向ける。そこに立っていたのは、何か大きな包みを手に持った宇髄天元だった。
「宇髄くん……どうしたの?」
「この近くに用事があったんだ。ついでに挨拶しようと思ってな」
宇髄の言葉にカナエは無理矢理笑顔を作った。
「そう……久しぶりね」
宇髄は苦笑しながら首を横に振る。
「久しぶり、じゃねえよ」
「え?」
「昨日、あいつの葬儀でも顔を合わせたろ?」
その言葉にカナエは一瞬眉をひそめ、うつむいた。
「そうだった?ごめんなさい……気づかなかったわ」
宇髄はそんなカナエをしげしげと見つめる。そして、肩をすくめて口を開いた。
「……あいつの事、残念だったな。お前は大丈夫か?」
カナエは困ったような表情で顔を上げる。
「……つらい、けど……でも覚悟していたから」
そんなカナエを見つめながら、宇髄は大きく息を吐く。そして、持っていた包みをカナエに向かって差し出した。
「ほら」
「……なあに?」
「土産。嫁が包んでくれたんだ。なんか菓子?が入ってる。食欲はないかもしれねえけど、少しでも口に入れた方がいいぜ」
カナエは戸惑いながらもその包みを受け取った。
「……ありがとう」
「おう。じゃあな」
そう言って、ヒラヒラと手を振りながら宇髄は足を踏み出す。そのまま去ろうとする宇髄に、カナエは声をかけた。
「ねえ、宇髄くんにとって、結火さんは……どんな人だった?」
突然の問いかけに宇髄は眉をひそめる。しかし、すぐに考えるような顔をして、口を開いた。
「地味な女」
「……」
カナエが思わず無言になると、宇髄はニヤリと笑いながら言葉を続けた。
「けど、どこまでも真っ直ぐな女だった」
その言葉に、カナエがハッとする。そんなカナエを見返しながら、宇髄は言葉を続けた。
「いつだって一番前で戦って、どんな時でも逃げることなく、ひたむきに人を護るために戦っていた。戦えなくても、自分の信念は絶対に曲げない。そんな強い女だったな。俺にとって、そんなあいつの存在は眩しかった」
宇髄は少し悲しげに笑った。
「お前が一番よく知ってるだろ?」
カナエは小さく頷きながら呟く。
「ええ……知ってるわ……誰よりも……」
「むしろ俺が知りてぇわ。お前の前で、あいつ、どんな顔をしてたんだ?」
カナエは顔を伏せると、ゆっくりと首を横に振った。
「教えないわ。私だけの結火さんだもの」
宇髄は残念そうな様子を見せることなく、笑った。
「そうか……まあそうだよな」
そして、
「じゃあな」
そう言って、今度こそ屋敷から出ていった。
カナエはそれを見送ってから、宇髄からもらった包みに視線を移す。
もしかすると、用事のついで、ではなく最初からカナエを慰めるためにわざわざここに来てくれたのかもしれない。そんな宇髄の優しさに感謝しながら、屋敷の中へと戻っていった。
◇◇◇
それから数日後、蝶屋敷を一人の人物が訪ねてきた。
「ごめんください」
やって来た人物を迎えたアオイは首をかしげる。
「あなたは……」
「ご無沙汰しております」
そう言って、頭を下げたのは鬼殺隊で隠をしていた後藤だった。
「お久しぶりです。どうされました?」
「突然すみません……」
後藤はやや緊張しているように固い表情で言葉を続けた。
「胡蝶カナエ様にお話があります。お時間をいただけないでしょうか?」
蝶屋敷の一室にて、カナエは後藤と顔を合わせた。
「久しぶりね、後藤さん」
「胡蝶様、ご無沙汰しております」
後藤は深く頭を下げる。そんな後藤に、カナエは首をかしげながら問いかけた。
「私にお話があるって聞いたけど、何かしら?」
後藤は一瞬顔を伏せたが、すぐに懐から何かを取り出した。
「こちらを……」
それは、一枚の封筒と小さな包みだった。後藤はそれをカナエに捧げるように、目の前の机に置く。
「これは?」
きょとんとするカナエに、後藤は答える。
「煉獄結火様からの手紙と、贈り物でございます」
その言葉に、カナエの動きがピタリと止まった。そして、驚いたように目を見開く。正面に座る後藤と、机の上を交互に見つめながら、震える声を出した。
「て、手紙……?」
カナエの言葉に、後藤はしっかりと頷いた。
「はい。ご本人からの依頼で俺がお預かりしていました。亡くなった後に、胡蝶様に渡してほしいと頼まれまして」
「て、手紙って、いつ……?」
結火は視力を失い、身体もまともに動かなかったはずだ。そんな結火が手紙を書いたとは信じられない。もしや、最終決戦の前に書いたのだろうか。
そんな疑問を抱くカナエに後藤は冷静に答えた。
「こちらの手紙は、結火様に頼まれて俺が代筆をしました」
その言葉を聞いて思い出す。確かに、結火は亡くなる少し前に後藤と面会をしていた。恐らくはその時に書いたのだろう。
「こちらの贈り物は、蝶屋敷を出て鍛練をしている期間に、結火様ご本人が購入したそうです」
小さな包みをチラリと見て後藤は続ける。
そして、戸惑った様子のカナエに微笑みかけ、頷いた。
「結火様の最後の想いです……どうか、受け取っていただけないでしょうか」
カナエは泣きそうな顔でうつむいたが、やがて顔を上げると真っ直ぐに後藤を見返した。
「……ええ。ありがとうございました、後藤さん」
その言葉に後藤は安心したように微笑む。そして、何度も頭を下げながら、蝶屋敷を去っていった。
カナエは結火からの手紙と小さな包みを手に、部屋を出ると縁側へと向かった。風鈴が吊るされている所に腰を下ろす。そして、しばらく無言で手紙を見つめた。
「……」
亡くなる数日前に結火が書いたという手紙。彼女の言葉が、ここに綴られている。
──やはり、遺書、なのだろうか。
カナエは一瞬だけ瞳を閉じる。
すぐに目を開けると、小さな包みを手に取った。軽くて固い。手触りのいい小さな風呂敷に包まれている。風呂敷をゆっくりと開くと、出てきたのは桐箱だった。少し躊躇いながら、桐箱を開ける。
「まあ……」
カナエの口から思わず声が漏れた。
桐箱に入っていたのは、つげ櫛だった。艶のあるその櫛をそっと手に取り、見つめる。桜と蝶々が描かれた繊細な堀細工が美しい。一目で、かなり高価な物だと分かる。
カナエはしばらくそれを見つめていたが、やがて桐箱に戻す。ゆっくりと深呼吸をした。
そして、覚悟を決めたように手紙の方へ手を伸ばす。慎重に封筒を開けると、中の手紙を開いて、読み始めた。
次回、最終話です。最後までよろしくお願いいたします。