その日、後藤が仕事部屋へ戻ってくると、そこにいたのは結火一人だった。いつもならここにいる時はだいたい書類仕事をしているのに、今日はなぜか風鈴を手に持ち、それを眺めている。
「お疲れ様です。その風鈴、どうされたんですか?」
後藤が声をかけると、結火はハッとしたように慌てて風鈴を後藤から隠すように仕舞った。
「……お疲れ様、です。ちょっと、……頂き物でして……」
結火が珍しく言い淀んだ様子で小さな声を出す。後藤は少し考えたあと、ピンときたように口を開いた。
「あ、もしかして、例の、告白してきたという方から頂いた、とか?」
「……」
結火は何も答えなかったが、後藤は自分の言葉が当たっている事を悟った。苦笑しながら言葉を続ける。
「素敵な贈り物じゃないですか」
「……そう、ですね」
「ところで、答えは出たんですか?」
「……答え」
後藤は頷きながら結火へ向かって言う。
「相手の方が、結火様にとってどんな存在か……。ご自分の気持ちを確認できましたか?」
「……」
後藤のその言葉に、結火は黙りこむ。その後目を閉じて、ゆっくりと頭を抱えた。
「……ちょっと、もう、いっぱいいっぱい、で……、考える余裕が……、」
「まあ、大切な事ですし……ゆっくり考えた方がよろしいかと」
「……そうですね」
結火は目を開いて、後藤に向かって微かに微笑んだ。
次の日の夜、結火はテキパキと隊服に着替えた。今夜も仕事だ。身を整えるため、洗面所へ向かう。顔を洗おうとした時、ふと鏡の中の自分と目が合った。
「……あ」
結ってない黒髪が、サラリと揺れる。肩先に触れるくらいの真っ直ぐな髪だ。
「切らなくては……」
長いと仕事の邪魔になる。
もう、自分の髪に対して、特に思い入れはない。
近いうちに、髪を切ろうと決心しながら鏡から目をそらす。そして、適当に髪を後ろで束ね、頭巾を被った。
「胡蝶様」
それから三日後、結火は珍しく、仕事ではなく私用で蝶屋敷を訪問した。結火がカナエを呼び止めると、カナエは嬉しそうに顔を輝かせた。
「ユウさん!」
そのまま結火の方へ勢いよく近づいてくる。
「あなたから、声をかけられるなんて……、とても嬉しいわ」
「……恐縮です」
「どうしたの?何か、私に用事?あ、そうだ、ここじゃあなんだから、縁側に行きましょう!お茶とようかんを用意するわね」
「……はあ」
カナエが笑顔でそう言いながら、結火の腕を引っ張って行った。
「こちらを」
「あら、何かしら?」
縁側に二人並んで腰を下ろす。結火はカナエに向かって、持ってきた包みを手渡した。
「先日、贈り物を、頂いたので……」
結火が差し出したのは、和菓子だった。先日の風鈴のお返しのために買った物だ。カナエが驚いたような顔をする。
「あら、お返しなんて気にしなくていいのに……」
「そういうわけにはいきません。……お口に合うかどうか分かりませんが、ぜひ、皆さんで召し上がってください」
結火がそう言うと、カナエは苦笑しながらも受け取ってくれた。
「どうもありがとう。みんなで頂くわね」
結火はペコリと頭を下げた。
目的は果たした。もう帰ろうと結火が挨拶のために口を開きかけた時、
「カナエ様ー!」
蝶屋敷で働く少女達が、カナエの方へと走ってきた。
「あら、どうしたのかしら?ちょっと行ってくるわね。ここで待ってて」
「……あ、」
結火にそう言って、カナエは立ち上がり、少女達の方へと向かった。もう目的は果たしたのだし、帰ろうと思っていた結火は機を逃した。そのまま、カナエは少女達と何かを話していた。その後ろ姿を静かに見つめる。
サラサラと風が吹いた。乾いたようなすがすがしい風だ。カナエの絹糸のように美しい、長い髪が風に舞う。艶やかで繊細な髪だ。光を弾いて輝く。
「……」
そういえば、と結火は思い出す。
自分も、昔は髪が長かった。
腰まで真っ直ぐに伸ばした長い髪だった。
風が吹くと視界を邪魔する長い髪は、正直戦う時は邪魔だった。任務の時は、必ず髪紐で結っていた。
何度も切ろうと思った。
だけど、
『髪は伸ばした方がいい』
そう結火に言ったのは、父だった。
『お前の髪は、綺麗なのだから。伸ばすといい』
『父上は、長い方が、よろしいと思いますか?』
結火の問いかけに父は朗らかに笑った。
『ああ。嫌なら無理することはないが……。お前は瑠火似だから、きっと長い髪が似合うだろう』
「……」
「ごめんなさいね。ちょっと相談を受けてて……」
いつの間にか、カナエがこちらへ戻ってきていた。
ぼんやりしている結火の様子に首をかしげて、顔を覗き込む。
「ユウさん?どうかした?」
「髪が、綺麗だ、と思って―――」
あ、しまった。
結火は顔をしかめる。昔の事を思い出して、ぼんやりとしていたため、つい思っている事を正直に言ってしまった。
目の前のカナエがポカンとしている。完全に戸惑っているのが分かった。
「――申しわけ……」
結火が謝罪するために口を開く。しかし、同時にカナエの顔が真っ赤に染まった。頬を紅潮させ、恥ずかしそうにうつむき、自分の髪を耳にかける。その反応に結火も戸惑って思わず口を止める。
「……あなたが、そんなことを、言ってくれる、なんて」
そう小さな声で言いながら、顔を上げる。喜びが抑えきれないとでも言うように、顔を真っ赤にしながらも微笑んでいた。
「私……、今この時ほど、髪を伸ばしてて、よかったと思ったことはないわ」
結火はそんなカナエの姿を静かに見つめる。
「……ありがとう」
歓喜の表情を浮かべ、頬を紅潮させたカナエは、信じられないほど輝いており、愛らしく、可憐で―――、
よく分からないけど、少なくとも、彼女のこの笑顔はとても好きだな、と結火は思った。
◇◇◇
その頃、後藤は遠方の任務地にて、後ろから呼び止められていた。
「あ、すみません。少し聞きたいことがあるんですが……」
「はい?」
後ろから声をかけられて、振り向く。そこにいたのは、
「は、はい!なんでしょうか、胡蝶様!」
胡蝶しのぶだった。
後藤は直立不動の姿勢でしのぶの言葉を待つ。しのぶは少し首をかしげながら、口を開いた。
「……あなた、あの、隠の方の、上司、ですよね?」
「は……?それは、どなたの事で……?」
「ほら、あの人。名前は知らないけど、ユウさん、とか呼ばれている女性の方です」
「……」
後藤は思わず返事を忘れて無言になる。胡蝶カナエ様といい、しのぶ様といい、彼女の事をこんなにも尋ねてくるなんて。結火様、あなた一体何をしたんです、と内心困惑しながら、やっとのことで口を開いた。
「上司……というか、まあ、その……指導係、はしておりますが……」
しのぶは少し眉をひそめながら、口を開いた。
「あの人、一体どういう人なんです?」
「は……、どういう人、といいますと……?」
「よくうちに仕事で来るんですけど……、なんと言いますか……少し、変わった方、ですよね。とらえ所がないというか、得体の知れない方というか……、誰に聞いても、名前さえ分からないし……」
「……はあ」
「うちに来るのは仕事でしょうし、仕方ないとは思うんですけど……あまりにも素性が分からなさすぎて、こう言ってはなんですが、……その、正直気味が悪くて」
しのぶは腕を組んでため息をついた。
「でも、姉が……あの人を気に入っているみたいなので、邪険に扱えないし……」
「え……、そうなんですか」
胡蝶カナエが結火の事を探っているのは知っていたが、彼女を気に入っていたとは。知らなかった。
後藤は驚いて目を見開いた。
しのぶは大きく頷いて言葉を続ける。
「ええ。あの人のためにいいお茶を用意したり、ようかんを買い込んだり。先日は風鈴を贈るんだって言って、店で何時間も吟味していて……」
「え」
後藤が思わず声を出した時、前方から「すみません、鬼の場所についてですが……」と声が聞こえた。
「あ、はい。今行きます」
しのぶはその声に返事をすると、後藤に向かって、
「後でどういう方なのか、教えてくださいね」
そう言って、走り去った。
「………風鈴」
一人残された後藤は呟く。
「頂き物……、告白された方に頂いた、風鈴……」
呆然と、言葉を重ねた。そして、
「……えええぇぇぇぇっっ!!?」
叫んだ。
後藤さんともっと絡めたいです。