蝶結び   作:春川レイ

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隠しごと

 

 

夜間の任務が無事に終わった。隠の仕事部屋では、結火と後藤を含めた数人の隠達が書類業務をしていた。結火も自分の報告書を淡々と仕上げる。しかし、さっきから、近くに座っている後藤が何故か結火の方をチラチラと見てくるのが気になり、今一つ集中できない。何か言いたげな顔をしているが、何も話しかけてこない。居心地の悪さのあまり、結火は自分から声をかけた。

「……あの、どうかされましたか?」

結火がそう尋ねると、後藤はビクリと肩を動かした。

「後藤さん、私の仕事で何か不備がありましたか?」

「……いや、なんでもない……」

後藤は小さな声で答えた。他の隠の目を気にしてか、いつもの敬語ではなく、ややぶっきらぼうな言い方だ。頭巾の隙間から見える顔色が、なんだか悪いような気がして結火は首をかしげた。

「後藤さん?あの……」

「お、俺、この書類を提出してくるわ!」

結火がなおも話しかけようとするが、後藤は早口でそう言って、素早く部屋から出ていった。

「……?」

「ユウさん、後藤さんと何かあった?」

近くで様子を窺っていた他の隠も不思議そうに尋ねてくる。結火は首を横に振りながら口を開いた。

「いえ……ちょっと心当たりがないです、ね……。顔色も悪い気がしたし……何かあったのでしょうか……?」

「腹の調子でも悪いんじゃない?」

隠が適当な事を言いながら、興味を失ったように書類へと視線を戻す。結火も後藤の様子を気にかけながらも、机の上の書類をまとめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しくじった……」

その数日後、結火は唇を噛みながら、ゆっくりと歩いていた。その足取りはいつもより重い。

いつもの任務のはずだった。剣士達が戦っている間、鬼から一般人を庇いつつ、避難誘導をしている時、左足首を捻ってしまった。

「……よもや、よもや……私も焼きが回ったものだ。こんな失敗をするとは……情けない」

小さく呟きながら歩いていく。骨は折れていないようだが、足が痛い。そのうち治るだろうと放置しようと思ったが、徐々に痛みが強くなってきた。これでは十分に動けず、任務にも集中できない。仕方なくゆっくりと歩きながら、蝶屋敷へと向かっていた。

「……ごめんください」

「あら、ユウさん」

結火が蝶屋敷の玄関を開けると、出迎えてくれたのは胡蝶カナエだった。

よりにもよってこの人か、と結火は思いながらペコリと頭を下げる。カナエは顔を綻ばせながら口を開いた。

「どうしたの?今日の任務は、怪我人は出なかったと聞いたけれど……」

「……怪我人は、いらっしゃらないのですが……、どうも、私が、怪我をしたようで……」

結火がそう言うとカナエは驚いたような顔をした。

「あなたが?」

「……左足を、捻りました。面目ありません」

目をそらすように下を向いてそう言う。不甲斐なさのあまり、腹が立って仕方ない。自分で自分に苛々し、それを誤魔化すためにうつむいていたら、突然カナエが結火の手を握ってきたため、驚いて顔を上げた。

「こちらへ。私が治療するわ」

カナエが結火を誘導するように手を引いた。

「……ありがとう、ございます」

結火は小さくそう言いながら、引っ張られるまま歩く。

「足は痛い?」

「……少し、ですが。あと、熱いです」

治療をする部屋に入ると、すぐに椅子に座らせられた。薬や包帯やらをカナエが準備をする。

「足を出してくれる?」

その言葉に頷き、素足を晒す。カナエがすぐに診察を始めた。

「……骨は折れていないようね。よかった。でも少し腫れているから、冷やして、あとは包帯を巻くわね。痛み止めも出すから……でも、しばらくは、激しい動きは控えた方がいいわ」

「……はい。ありがとうございます」

また不甲斐なさを感じながら、返事をした。

仕事が出来ない。それは結火にとって何よりも忌むべきことだ。これでまた、他の隠にも迷惑をかけることになるだろう。本当に、情けない。

私には、仕事しかないのに―――、

そう思っていると、足に冷たいものが当てられた。思わず身震いし、そちらに目を向ける。カナエが冷たい手拭いを、結火の足に当ててくれていた。

「これでしばらく冷やしてね。大丈夫。すぐに治るから」

「はい」

結火はそう返事をして頷く。

少し沈黙が落ちた。

「……あの」

「なあに?」

結火が声をかけると、カナエは微笑みながら返事をした。

「……自分で、冷やしますので」

「あら、ダメよ。これは私の仕事」

「いや、冷やすくらい、自分でできます。胡蝶様は、お仕事が――」

「今日は妹もいるし、療養している人も少ないから、大丈夫」

「いや、しかし――」

結火がなおも言い募ろうとすると、カナエが不満そうに少し頬を膨らませた。

「もう。察してちょうだい」

「……はい?」

「あなたと少しでも一緒にいたいのよ」

「……」

「こんなふうに二人きりで過ごすのは、貴重な時間、だもの……。あなたは、いつもお仕事で忙しいし。ね?」

「……そういう、わけでは」

結火がそう言うと、カナエは少し顔を近づけてきた。

「あら、じゃあ、あなたのお休みを教えて?」

「……なんでそんなこと、知りたいんです?」

「決まっているでしょう?逢瀬を、したいの」

「……」

「逢い引き、よ」

「別に言い直さずとも……」

結火は呆れたように口を開く。カナエがますます近づいてきた。

「本当にそう思ってるのよ……お仕事は関係なく、あなたと……二人きりで、逢いたいわ」

「……」

「でも、どんなに誘ってもあなたには断られちゃうし……いつか、一日中、あなたと一緒に過ごしたいわ。それが、最近の私の目標ね……」

「……」

「それで、お休みはいつ?」

「……お答え致しかねます」

冷たく素っ気ない言い方になってしまった。結火はそう思いながらカナエから目をそらす。カナエは結火の答えにあからさまに不満そうな顔をした。その顔のまま、ゆっくりと、冷やしている足に触れた。何度も優しく撫でてくる。結火は震えるのを堪えながら口を開く。

「……何を、」

「どうしても知りたいの。ユウさん、教えて。ね?」

「……」

「……教えてくれるつもりはないみたいね。じゃあ、これくらいはいいかしら?」

これくらいとは?と口を開きかけるが、直後にカナエは、結火が全く予想もしていない行動をした。

「……は?」

カナエが床に膝をつき、冷やしていた手拭いをその辺に置く。そして結火の足を掬い上げるように持ち上げる。結火が戸惑っているうちに、カナエは足の甲に、顔を近づけ、その唇を触れさせた。

「ちょっ……、何を……っ」

慌てて足を引っ込めようとするが、カナエはそれを許さなかった。

「胡蝶、様……っ、汚い……ので……」

「……ふふ。ユウさんも、そんなに動揺するのね」

カナエが結火の様子を楽しそうに眺めながら笑った。

「初めて、見たわ。あなたの、そんなところ」

「こ、胡蝶、様……」

「かわいい」

カナエは嬉しそうに微笑む。

「なん、で……」

「だって、あなたがお休みの日を教えてくれないんだもの」

「だからって……」

「ねえ、ユウさん。今はドキドキしてるでしょ?」

その問いかけに結火はグッと言葉に詰まった。

「……」

「嬉しいわ。あなたのそんなかわいい所を、見ることができて……」

「……かわいい、なんて」

「あら、とってもかわいいわ」

またカナエが足に唇を落とした。

「……っ」

「私がこんなふうにしただけで、動揺するところとか。……気づいているかしら?目も、……瞬きが増えたわね……」

「……ち、ちがう」

「かわいい」

「……」

「本当に、……かわいい。その頭巾の下は、今どんな顔になってるのかしら……」

「……」

「あなたの、顔を見たい……ずっと隠しているあなたの全てを、見たいの……。きっと、私、あなたの隠された部分だって、全部好きになるわ」

カナエが甘い微笑みで囁いた。その言葉に結火は目を見開く。そして、

 

 

「―――下らない。馬鹿馬鹿しい」

 

 

吐き捨てるように呟いてしまった。身分が上位である彼女に向かって、あまりにも無礼すぎる言い方だ。しまった、と思ったがもう遅い。

「……ユウさん?」

カナエが驚いたように結火の顔を覗き込んでくる。結火は動揺を隠すように、カナエの手の中から足を引いた。

「……包帯を、貸してください。帰ります」

「……ユウさん?」

訝しげなカナエを無視するように、立ち上がった。そしてもう一度言う。

「―――もう、帰ります。ありがとうございました」

「あ、待って。処置を……」

「結構です。帰ります」

「ユ、ユウさ……」

何か言おうとするカナエに構わずその辺にあった包帯を手に取る。そして、

「待って、ユウさん!」

カナエの声を背に、結火は逃げるように走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最悪だ。痛む足を無視しながら結火は走る。

最悪、最悪だ。これは、完全に八つ当たりだ。

思わず逃げてしまった。本当に、私は馬鹿だ。

 

 

『――何故、黙っていた』

声が聞こえる。

『何故、隠していた』

聞きたくない。もう、忘れたい。

『何故なんだ、結火』

やめてくれ。もう嫌だ。

 

 

悲しみが、殺そうとしている。

もう、やめてくれ。

隠したつもりはなかった。

言えなかった。どうしても言えなかった。

終われ。終わってくれ。もう苦しむのは、嫌だ。

いや、ちがう。苦しむのが嫌なんじゃない。

逃げることが嫌なんだ。

もう逃げたくない。

本当は、逃げるのではなく、強かったあの瞬間に、死にたかった。

誇りを胸に、死にたかった。

 

 

 

 

 

『結火、お前は――、本当に――、』

また、声が聞こえた。

 

 

 

ああ

 

 

 

申し訳ありません、父上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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