Shangri-La...   作:ドラケン

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第2章・chapterⅡ Doel Chants/幻想御手事件
七月二十二日:『闇に吠えるもの』


 

 

 明けやらぬ未明の学園都市、その闇の帳の中。過密なるこの都市の、数えきれない空隙(すきま)の一つ。

 

 

「――――ハァッ、ハアッ!」

 

 

 開発が放棄された一区画、路地の裏側。普段は落第者(ふりょう)の学生や、犯罪に身を染めたならず者。或いは浮浪者の溜まり場となっている地区の、その片隅。

 

 

「――――ハァッ、ハアッ、ハァッ!」

 

 

 息を急き切って、男が走っていた。如何にもと言った風体の、年若い彼。ほんの数十分前まで、十人ほどの不良仲間と共に『無能力者狩り』にて小銭と小さな自尊心を満たしていた浅はかな彼は、頻りに足元を気にしながら。『アレ』を、決して踏まぬように。

 同時に、ガコン、ガコンと定期的に、しかし不規則に。足下の金属質な音が、軋むように追ってくる。

 

 

「――――ハァッ、ハアッ、ハァッ、ハアッ!!」

 

 

 そう、浅はかであった。上手く行き過ぎていた事もある。『警備員(アンチスキル)』すらも、『レベルが上がった』彼らにとっては敵ではなかったから。実質、大能力者(レベル4)クラスの『念動能力(テレキネシス)』を得た、彼には。

 だから今宵、三人目として『彼』に目を着けたのが――――その、悪運の尽き。

 

 

「助けてくれ! 俺が! 俺が悪かったから――――」

 

 

 悲鳴を上げる。狂ったように、同じ言葉を上げ続ける。今まで嘲笑ってきた『無能力者』と同じ台詞を。

 それが何の解決にもならない事は、()()()()()()()()()()と、()()()()()()同じように悲鳴を上げて、そして『消えた』事から判っている。

 

 

「お願いします、お願いします! 許して、許して! 殺さないで下さいぃぃぃ!」

 

 

 それでも、悲鳴が止まらない。それでも、まだ()()()()

 彼の能力(スキル)を持ってしても、捻り潰す事も引き離す事も出来はしない。この『ゲーム』はただ、定められたその一瞬まで。

 

 

「ッあ――――」

 

 

 そして、遂にその一瞬。『しまった』と思った時には、もう遅い。今、命運も尽きた。

 彼の足音と足下の音、それが重なってしまったのは――――

 

 

「――――ぎ」

 

 

 悲鳴は、断ち切られた。くぐもるように、ほんの少しだけ軋む音。水っぽいモノを引き裂く音と、硬く乾いた木の棒を滅茶苦茶に圧し折ったような音が、夜を揺らして。

 

 

「――――ハハッ」

 

 

 最後に、笑い声。人の気配の消えた、路地裏に。

 色濃い狂気を孕んだ、その嘲笑は。黒い影は、恐らく人ではない。かつてはそうだったのだろうが、少なくとも今は。

 

 

「……飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)――――!」

 

 

 満足のいく食事を終えた獣のように、闇に吠えるかのように――――その『右手』の一冊の『本』を、ヌメつく夜闇に掲げた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 瞼を開く。狂気の混沌の底からの帰還に、散大していた瞳孔が鈍い痛みすら感じる勢いで引き絞られる。

 涙に霞んだ視界の先には、自室の天井。そこには、渦を巻く混沌の銀河などはない。喧しい蝉の鳴き声こそあれ、躍り狂う蕃神も居ない。極めて健常な、夏の朝だ。

 

 

「……ッたく、途中までは最高だったのに。最終的には、やっぱり悪夢かよ」

 

 

 寝汗を拭い、悪態を吐き――――右腕を見遣る。握り締めて強張っていた掌を、ゆっくりと解いていく。

 まだ、あの柔らかな温もりと冷たさ。そして嘲笑する虚空の如き、硬く鋭い漆黒の鉤爪の感触が残る掌を。

 

 

「ッ……ああ、ヤベェ。完璧に遅刻だな、コリャ」

 

 

 携帯で日付と時刻を確認すれば、七月二十二日の……朝と昼の境。既に、風紀委員の活動は始まって久しいだろう。

 どうやら、また美偉に小言を言われて黒子の顰蹙(ひんしゅく)を買うだろうと、溜め息を吐きながら。体に、怠さや痛みの無い事を確認して。

 

 

「ん……?」

 

 

 すんすん、とばかりに鼻を鳴らす。男臭く汗臭い『だけ』である筈の、己の部屋にふわりと漂う――――甘く、芳しい……有り体に言えば、腹の減る臭いに。

 近所の部屋から流れ込んだのだろうか、嚆矢には料理などする習慣はない。第一、昨夜は風呂から上がるなり布団に倒れ込んで前後不覚。泥のように眠った筈である。

 

 

「……そういや、撫子さんの好意、無駄にしちまったな」

 

 

 思い出したのは、『後で温かい物を持っていく』と言っていた撫子の言葉を忘れていた事。取り敢えずは腹拵えだ、とリビングに繋がる戸を開き――――

 

 

「――――う~ん……やっぱりお米と調味料だけじゃ、お粥が限界ですね」

「そうね。でも、病み上がりならお粥くらいで丁度良いと思うわよ?」

 

 

 自室の簡素な台所に人影。片方は毎朝見る、藤色の和服に割烹着の撫子と……柵川中の制服に、同じく割烹着を着けた花束の少女。

 

 

「あら、嚆矢くん」

「あっ――――こ、こんにちはです、嚆矢先輩」

「ああ……どうもこんにちは、撫子さん、飾利ちゃん」

 

 

 振り向き、淑やかに微笑んだ撫子。振り向き、慌てて頭を下げた飾利。状況を呑み込むのに、少々の時間を掛かった。『風紀委員(ジャッジメント)』の方には、撫子さんから『病欠』する旨を連絡してくれたらしい。その後、見舞いとして――――

 

 

「――――ふぅ。今、戻りましたわ、初春……あら、目が覚めましたの、対馬先輩?」

「ああ、白井ちゃん。つい今、ね」

「そうですか。丁度良かったですわ、食材も無駄にならなくて済みます

 

 

 コンビニの小さな袋、それを持って空間移動(テレポート)して来た常盤台の制服にツインテールに……不機嫌さを覗かせた黒子。

 

 

「あら、やっぱり空間移動(テレポート)って凄いわね。普通に歩いたら、一番近くのコンビニでも五分は掛かるのに」

「そう便利でもありませんの。何せ、少しでも集中を乱すと誤差で大変な思いをしますのよ」

 

 

 そう間を置かずに、この二人がやって来たそうだ。因みに、住所は『書庫(バンク)』に載せているのだから、アクセスする権限がある人間や同僚ならば誰でも知れる。

 

 

――まぁ、十中八九、みーちゃんに『本当かどうか確かめてこい』って言われたんだろうけどさ。良いけどさ、それでも別に。

 

 

 ことことと、ガスコンロに掛けられている小型の土鍋を見る。それに気付き、撫子はにこりと。黒子からビニール袋を受け取った飾利は、照れて俯く。

 

 

「あの、具合はどうですか? もし、食欲があったら」

「頂きます。一粒残さず、頂きます」

 

 

 聞かれるまでもなく、昨日の昼から何も食べていない。迷う事など一切無く、頭を縦に振った。

 

 

「そ、即答ですか……じゃあ、味付けは塩と梅干し、卵のどれにしますか?」

 

 

 がさがさと、ビニール袋から取り出されたもの。梅干し、卵。そして、元々それだけは備えていた瓶入りの塩が並べられる。

 迷うところである。米本来の甘味を味わえる塩か、さっぱりとした果肉の酸味を織り混ぜた梅干しか。はたまた、濃厚な蛋白質の滋味と満足感の卵か。

 

 

「き……究極の選択過ぎる……! くっ、飾利ちゃんの鬼! 悪魔! 人でなし!」

「ええ~?! お、お粥の具でそこまで言われるなんて……っていうか先輩、冷蔵庫にお米とミネラルウォーター以外入って無いじゃないですか。もう、やっぱり栄養片寄りまくりですよぅ」

 

 

 等と、飾利とほんわか戯れるように笑い合えば――――

 

 

「それで? もう病気は治りましたの、対馬先輩。昨日の夜の風邪が、今朝には?」

「…………」

 

 

 物凄く、冷たい眼差しで見詰めながら問い掛けた黒子。ほとんど、路上に落ちていた汚物を見るような。そっち側の業界人ならば、礼を言わなければいけないくらい、完成した蔑みの眼差しで。

 

 

「いや、うん。あの、昨夜(ゆうべ)は本気で具合悪くて。ほとんど、記憶無いくらい。熱とかは計ってないけど……」

「ふぅん……そうですか。分かりました、固法先輩にはそう報告しておきますの。『半日で治ったみたいです』って。本当に対馬先輩は体だけは頑丈ですのねぇ、わたくしの怪我もそれくらい早く治ってくれればと思いますわ。本当に、かえすがえす、う・ら・や・ま・し・いですの」

 

 

 と、居住まいを正して答えた嚆矢に対してそんな言葉で絞めた彼女だが、ちっとも納得している風はない。にこやかに笑っているが、額に青筋が見える。寧ろ、猛り狂っている。

 

 

――あぁもう、昨日の俺の莫迦! 熱くらい根性で計っとけよな!

 

 

 地団駄を踏みたくなったのを何とか堪え、応えるように頬をひくつかせて笑う。それに、ジト目で腕を組み、なんなら怒気すら孕んでいた当の黒子は。

 

 

「では、わたくしはこれで。お邪魔いたしましたわ。では、また明日ですの」

「あっ――――白井ちゃ」

 

 

 用件は済んだと、呼び止める暇もなく消える。『これだから空間移動能力者(テレポーター)は』と内心、肩を竦めて。

 

 

「じゃあ、卵で頼むよ、飾利ちゃん。梅干しは梅干しで食べるからさ」

「あ、は、はい……じゃあ、用意しますね」

 

 

 そんな黒子へと、悲し気な眼差しを送った飾利だったが……すぐにほんのり笑って卵を溶き始めた。

 

 

「あ、そうだ。ご免なさい、二人とも。私、ちょっと用事があったの」

 

 

 そこで、軽く掌を叩いた撫子が申し訳なさそうに扉に向かう。『表面的には』、申し訳なさそうに。

 すれ違い様――――耳元に、微かな囁き。

 

 

「良い子達ね、嚆矢くんの後輩さん達は。泣かしちゃダメよ?」

「え~と?」

「ふふ。ダメよ、失望させちゃ?」

 

 

 『既に失望させちゃってる娘も居るんですが』の言葉は、唇に当てられた右人差し指。白魚のようなそれに、止められていて。

 

 

「失望してるなら、構いも、怒りもしないわよ。よく言うでしょ、『好きの反対は嫌いじゃなくて、無関心』だって」

 

 

 その言葉だけを残し、楽しげに去っていく背中を見送るしかなく。

 

 

「……まぁ、そりゃあ。年上の男ですからね、これでも」

 

 

 屋外の熱気にもう、汗をかく。今日も今日とて、真夏日だ。気合いを入れて欠伸をすると、支度しに自室に帰る。その後は、腹拵えだ。

 

 

「――――飾利ちゃん、幻想御手(レベルアッパー)事件の途中経過、聞かせてくれ」

「えっ? でも先輩、今日は……」

 

 

 食卓に着くや、開口一番そんな事を口にした彼に、『病欠』と聞いていた彼女は、面食らうように。

 

 

「休みは返上、第一、後輩が二人とも頑張ってるのにおちおち寝てる訳にゃいかないって。タダ働きも、たまにはね」

 

 

 いつの間にか――――学ランに『風紀委員(ジャッジメント)』の腕章を通した、()()()()()()()()()委員会活動中の姿で現れた嚆矢に。

 

 

「……はい! それじゃあ、ご飯を食べてから支部にあるデータを洗い直しましょう!」

 

 

 右腕を曲げて、日頃の部活動で拵えた力瘤を作って見せたその姿に……お粥を持ったまま、くすりと。

 

 

「そういう事を白井さんの前で言えば、見直してくれるのに」

「ハハッ、言ったろ? 『可愛い娘ほど、苛めたくなる』んだってさ」

 

 

 そんな軽口に、まるで蕾が綻ぶように――――前に言った通り、『妹』に何処か似た、見覚えがある笑顔で微笑んだ。

 

 

………………

…………

……

 

 

 キーボードを叩く。カタカタ、カタカタと。一応はブラインドタッチだが、一文で二回は間違えてしまう程度。

 現在、支部の一室。空調の効いた快適な室内で、飾利は『幻想御手(レベルアッパー)』に関する過去の記録や証言を。嚆矢は、電子の海(インターネット)を彷徨している。

 

 

 探すのは、『レベル 上がる』の検索キーワードのページやサイト。無論、学園都市の生徒ならその類いは誰もが……『超能力者(レベル5)』でもない限りは、誰もが興味を持つこと。それこそ、星の数のヒット数である。

 

 

「……気が遠くなるな、これは」

 

 

 しかも、大半が『楽してレベル上がんねぇかな~(笑)』とか言った内容の物ばかり。しかもそういうものも、もしかしたら偽装である可能性を考慮して虱潰しにしなくてはいけない。

 すっかり冷めた珈琲を啜る。開始からもう、三時間弱。目もショボショボしてきた。それでも、まだ一割も調べきれていない。

 

 

「…………ん?」

 

 

 そんな時、ふと目に入った文字。そこには――――

 

 

「……『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』……」

 

 

 『発狂レベル急上昇www』と書かれた部分がヒットしたらしい、それは『クトゥルフ神話を下敷きにしたテーブルトークRPG』のページ。

 自らが関わった物の名が出ている事に興味を引かれて、或いは流れ作業で条件反射に。つい、クリックしてしまう。

 

 

「へぇ……凝ってんなぁ」

 

 

 開かれたページは、黒地に『中心に目がある五芒星』の描かれた背景。そこに、『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』の来歴や内容の記されたページ。その内容はほぼ、セブンスミスト前で『白い修道女(シスター)』に聞いたものと同じだった。

 

 

――そう言えば、あのシスター……結局、あの娘が件の『禁書目録(インデックス)』って奴だったんだろうか……

 

 

 等と、普段は夜にしか見せない『魔術使い』の顔で思案しながら『禁忌の書架に戻る』というリンクを踏む。その先は、様々な項目で区分けされたホーム画面。

 『水神クタアト(クタアト・アクアディンゲン)』や『輝く捩れ双角錐(シャイニング・トラペゾヘドロン)』等、覚えの有るものもある。『これはタメになる』と、ページ名を見れば。

 

 

「『Miskatonic University occult sciences (ミスカトニック大学・陰秘学科)』……ですか。あれですか? 嚆矢先輩、外国の大学にでも進学、するんですか?」

「ッと……あ~、いや、うん。もしかしたら関係有るかも、って……真面目に取り組みます」

 

 

 すぐ近くから、飴玉を転がすように甘ったるい声。即ち、すぐ近くで画面を覗き込む、飾利の声が。それに、少しだけ往生際悪く。だが、直ぐに白旗を上げて。

 

 

「此方は目ぼしいモノは無し。飾利ちゃんの方は?」

「こちらも、特には。そう言えば……白井さんが捕まえた『偏光能力(トリックアート)』の錯乱した状態を『雑な洗脳みたい』、って思ったそうですよ」

「洗脳、か……精神に作用する能力(スキル)が関係してんのかな」

 

 

 飾利の言葉に、暗部時代の情報を思う。昔知り得た、『超能力者(レベル5)』に関する実験。

 

 

――確か、居たな。『心理掌握(メンタルアウト)』だかなんだかの、チビ助が。何て言ったッけかな、名前が難しすぎて読めなかったのは覚えてるんだけど。

 

 

 何処か、別の施設での『超能力開発実験』の情報だ。『彼』の開発実験を行っていた機関とは別、ただし――――他の研究所よりもよっぽど偏執的に『その上に座す意志』を目指していた『機関』が、どうにかして得たのだろう、その情報。

 もう、この世の何処にもない。だから、今さら思い出しても意味はない。空虚そのものだろう。

 

 

「まぁ、超能力者の洗脳が雑な訳ないか……しかし、こうも尻尾が掴めないんじゃなぁ」

「そうですねぇ……音楽だとか、レシピだとかの偽情報も多くて、苦労して捕まえた使用者も意識不明になるから、元の木阿弥です」

「狙ってやってるんだとしたら、中々の策士だね、この事件の首謀者は」

 

 

 背凭れに体重を預け、背伸びする。時間経過と共に自然と曲がっていた背骨が、ボキボキと盛大に鳴る。

 そんな時だ、携帯が――――

 

 

「…………さて、飾利ちゃんの可愛い顔を見てリフレッシュしたし、もう一頑張りするかね」

「ななっ、何言ってるんですかぁ! もう、知りませんっ!」

 

 

 学ランの、内ポケット。そこに仕舞う、『仕事用』の携帯が震えたのは。飾利が苦手そうなからかい方をすれば、案の定。顔を真っ赤にした彼女は、自分の使っていたPCに向き直った。

 

 

「さて、と……」

 

 

 その隙に、携帯を確認する。震えたのは二回、即ちメールだ。題は、『無題』。差出人の名前も『F』、嗜みとしての符丁。

 

 

『20時、駅前広場。遅れたら結局、私刑な訳よ』

 

 

 非常に簡潔な一文である。それだけに、ひしひしと……不満のようなものを感じる。最後の『私刑』の部分は、素かわざとか。

 

 

「……お呼びだニャア、また寝不足ナ~ゴ」

 

 

 お道化ながら、他人に聞こえないように小さく口にする。魔術(オカルト)能力(スキル)と偽る『黒豹男(ザーバウォッカ)』の口調のそれは、諦めるかのように。

 指定時刻までは、あと五時間。初日と比べればまだ、余裕はある。問題は、この委員会活動をどうやって円満に時間前に終わらせるか、だが。

 

 

「そう言えば、白井ちゃんは今何処に居るんだろ?」

 

 

 『将を射んとすれば、先ず馬を射よ』と言う訳で、先ずは話題を外に向ける。いきなり『解散』等と言おうものなら、今度こそ冷たい眼差しだ。

 

 

「ふんだ、知りませんっ」

 

 

 しかし、先程の言葉が尾を引いているらしく、飾利は素っ気ない。視線すら、此方にはくれなかった。やれやれと肩を竦める。結局、解散は――――何の進展もなく、徒労だけを残してギリギリの19時まで。

 

 

「それじゃあ、また明日。飾利ちゃん」

「はい、じゃあまた。態々送っていただいてすみません、嚆矢先輩。それと、ジュースも」

「ただの『当たり』だよ。実質一人分しか払ってないんだから、気にしない気にしない」

 

 

 飾利の寮の前で、送ってきた飾利が門扉を潜るのを見送る。彼女が手に持っていたジュースは、勿論確率使い(エンカウンター)制空権域(アトモスフィア)』によってなので、財布は痛まない。

 それに、女の子の笑顔への投資とすれば、安いものだろう。

 

 

 自分の分の缶珈琲を飲み干し、丁度近くを通り掛かった円筒型の『清掃ロボット』の真ん前に置く。外では数世代先のオーバーテクノロジーだろうが、学園都市ではそう珍しくもない技術だ。

 ズゴゴ、と音を立てて、空き缶は吸い込まれていく。ロボットは『環境美化ヘノ協力ニ感謝シマス』と、予めプログラムされた通りの台詞を流して、清掃を続ける為に移動していった。

 

 

「さて、タイムリミットまで三十分かぁ」

 

 

 腕章を外し、迫る時間に溜め息を。その癖、足取りは普段と変わらない。何なら、携帯を……自前の携帯を弄りながら歩く程の余裕。

 開いたのは、インターネットのページ。後で探しだし、ブックマークした『あの』ページ。

 

 

「……へぇ」

 

 

 読み進めながらまだそれなりに多い人並みを歩く。すいすいと、『運良く』誰にもぶつからずに。

 無論、能力(スキル)有ればこそだ。社会規範(モラル)に照らし合わせても、好まれはしない行為である。

 

 

 それでも、興味が勝つ。人が、態々自ら恐怖に近寄るように。

 

 

「んー、成る程ねぇ」

 

 

 覗き見るのは、深淵か。興味を惹いた項目を幾つか。

 

 

「ふんふん、『外なる神(ストレンジ・アイオン)』に『旧支配者(グレート・オールド・ワンズ)』……うわ、スゲぇ数。ここらへんは後回しだな。先に……」

 

 

 見るのは、『魔具の祭壇』なる項目。そこに有る――――

 

 

「『賢人バルザイの偃月刀(えんげつとう)』……刃にして杖、そして祭具、か」

 

 

 鍛冶師の養子(むすこ)(さが)か、読み深める。青銅で()たれたという、その刀。或いは杖。

 『門の神を召喚する』際に必要となるらしい、それを。

 

 

――『門の神』……その名は『ヨグ=ソトース』。『邪神の副王』であり『全ての時空に接する神』、『一にして全、全にして一』。

 つまり、『時空移動(タイムリープ)』でも出来る神って事か? 白井ちゃんの『空間移動(テレポート)』の上位互換みたいな?

 

 

 等と、少し考え込む。だとすれば彼女の攻略の文字通りの『鍵』は、この神性の能力の再現ではなかろうか、と。

 無論、簡単な話ではない。その為には、この神の事を記した『魔導書(グリモワール)』がなければ。

 

 

「うわ、冗談じゃねぇよ。あの蛆虫だけでも人生の三分の一くらいの恐怖を味わったってのに、更に新しい奴なんて」

 

 

 結論、そうなる。まだ、自ら狂気の領域に足を踏み込むまでにはSAN値は減っていない。

 が、読み進めれば、その先に。

 

 

「……召喚方法載ってるがな」

 

 

 何と破滅的な事か、そこには懇切丁寧な『ヨグ=ソトース』の召喚方法が記載されているではないか。

 ごくり、喉を鳴らす。どうやって勝負に持ち込むかはまだ決めてはいないが、二度も苦杯を舐めさせられた黒子に――――勝ち得る機会を目前にした、高揚で。

 

 

「――――勝ち目はある、かもな」

 

 

 嚆矢は角を曲がる。角の先、人気の無い路地裏の暗がりに踏み込む。そして――――

 

 

「先ずは、師匠に相談してから。安全性を確かめてから、だ――――」

 

 

 監視カメラも何も無い事を確認して、彼は『魔術使い』の顔となる。着ていた学ランを錬金術(アルキミエ)によりスーツとし、髪と瞳の色をも、黒と燃え立つような赫に塗り替えた姿となり。

 

 

「――――やれやれ」

 

 

 『長い夜になりそうだな』と、()()()()()()()()()()()()()()()()、実に楽しそうに。

 薄暗い逢魔が時の空の下。懐から取り出した舶来煙草、ブリキのケースから取り出したそれに、火を燈した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その全てを、眺めていた『彼』。闇のただ中で、蠢くように、這いずるように。

 

 

「あれが……そうか。なるほど、確かに――――旨そうだ」

 

 

 ニタニタと、ネチャネチャと。不快極まりない粘着質さで、一連の出来事を。

 

 

「――――どお~? 彼、中々の男前でしょ~?」

「――――!」

 

 

 その饐えた悪臭を放つ闇の底に、火が燈る。『彼』の驚愕を、見詰める為か。

 

 

「まだ『覚醒の世界』のままだけど、将来性は抜群だよ~? 君とは違ってさ~?」

 

 

 けらけらと嘲るように、紅い占い師が歩み出る。生きた炎が揺らめくランプを片手に、能面の笑顔を見せて。

 それに、『彼』は己の体を庇うように、闇がある場所に身を隠す。

 

 

「我が女王――――生きたままに埋葬された貴女。今や、今や彼の者は具現の域……顕現までは、もう僅か。貴女様が望むなら、我が最後の仕上げを成しましょう」

「そうだね~、やっぱり『飼う』なら~、ああいう可愛い子が良いよね~」

 

 

 影から恭しく礼を取った『彼』に、しかし紅い占い師は興味を抱かない。既に遊び飽きた玩具を、子供がそこらに放るように。ショウウィンドウに並ぶ新しい玩具に目を奪われるように、『男』を見詰める占い師は。

 それに、『彼』はギシギシ、グチャグチャと『歯』を鳴らす。『彼』の女王の機嫌を損ねぬように、小さく小さく。さながら、濡らした紙ヤスリを擦り付けるように。

 

 

「あんなもの……あの程度の魔術使い、すぐに喰らい尽くせる。だが、我が女王にそこまで言われる男だ――――」

 

 

 口調とは裏腹に、『彼』は怯えている。それは目の前の紅い占い師に対してか、彼方の『男』に対してか。『彼』の『本質』の部分が――――いずれかの前の『強者』に。

 どんなに強がろうと、決して敵わない相手。しかし、認めたくないその事実に。

 

 

「死を望むまで、苦しめてやる……その『クルーシュチャ方程式(悲劇と言う名の喜劇)』を、楽しませて貰うとも」

 

 

 だから、『目的』をすり替える。自分より『弱い』相手へと。『危険な獲物』より、『遊び道具』へと。ニタニタと、ネチャネチャと。不快極まりない粘着質さで――――

 

 

「あの小娘を目の前で喰っちまえば――――お前はどんなに苦しむかな、『闇を彷徨う者(シャドウビルダー)』!」

 

 

 花束の如き少女が消えた寮を、舌舐めずりするように眺めて……闇に吠えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ゆらり、と。昼間、アスファルトに降り注いでいた太陽の熱が立ち上る陽炎に変わって、気温の下がった夜の空に帰っていく。

 その為、今もまだ暑さに変わりはない。日が落ちても尚、今度は足元から熱が。

 

 

「…………」

 

 

 少女達は、駅前の噴水広場で腰を下ろしている。金髪碧眼の高校生、フレンダは苛々と携帯を弄りながら。オレンジのフードを目深に被る中学生、最愛の『アイテム』二人組は――――今や、『駅前広場のチェシャ猫』として都市伝説になるくらいに目撃者を出した『黒豹男(ザーバウォッカ)』との初遭遇場所で、その到着を待っていた。

 

 

「おっそいわねー。どこで油売ってる訳よ、あの黒猫」

 

 

 フレンダがそう愚痴るのも仕方無い。時刻は既に、20時まで後5分を切っている。

 

 

 暗部に於いて、最も重要な要素は『信頼』だ。他者を明日をも知れね我が身を預けるのは、信頼できる相手を於いて他にはない。

 まぁ、それも結局、『自分が生き残るため』の利害の一致でしかない。寧ろそうでなければ、寝首を掛かれるのが暗部である。

 

 

「はぁ~……だから嫌だって言ったのに。結局、時間にルーズとか麦野の『原子崩し(オ・シ・オ・キ)』確定な訳よね、絹旗?」

 

 

 携帯をミニスカのポケットに仕舞い、見た目通りの外人チックな肩の竦め方で溜め息混じりに呟く。

 それに、先程から瞑想でもしていたのかと言う具合でフレンダの言葉を聞き流していた最愛が、漸く目線を寄越した。

 

 

「確かに、超遅いですね。メールは何て送ったんですか、フレンダ?」

「結局、普通にな訳よ? 20時に、駅前広場集合って」

 

 

 どうだ、とばかりに起伏のなだらかな胸を張る高校生。そんな彼女より、或いは『大きい』のではないかと思われる中学生は……。

 

 

「駅前広場は駅の両側に在るんですが……超どっちを指定したんですか?」

「……えっ? いや、だって普通、こっちだと思わない? 初めて会ったのもこっちだったし」

 

 

 最愛はジト目でフレンダを見詰めて――――それに『思いもよらなかった』ふうに呆気に取られ、焦り出した顔をした彼女に呆れたように溜め息を吐いた。

 

 

「どうやら、『原子崩し(オ・シ・オ・キ)』確定なのは、あの猫男だけじゃないようですね」

「いや、ちょ、マジで洒落になんない訳よ!?」

 

 

 ゾッ、と顔を青褪めさせるフレンダを余所に、彼女は少し離れた位置に在る時計を見詰めて。残りは、十秒。

 

 

「……え~っと、絹旗さん? 喉とか、渇いてません?」

「いいえ、ちっとも。私は、反対側を超捜してきますので――――」

 

 

 実に腰を低く、揉み手しながら問うたフレンダ。しかし懐柔ならず、残り三秒で最愛は歩き出そうとして――――視界が、黒一色に。

 

 

『――――だ~れニャアゴ?』

 

 

 『黒豹男(ザーバウォッカ)』の肉球付毛皮手袋で覆われて。背後の陰りにいつの間にか現れていた、『猫の無い笑顔』を暗がりに浮かべた彼。

 そして最愛はその耳元に、気味の悪い合成音声で囁かれて。

 

 

 後に、偶然にも近くにいた男性。丁度今日、『瑞穂機構病院』を退院したばかりの彼は、その時の事を後に語る。

 『はい、もう四十年も生きてますが、今まで聞いた事の無い音でした。少し前に人が黒焦げになるのは見たんですけど、まぁそれは無関係ですね。ええ、メコッ、とか、グシャッ、とか……そんな可愛いものじゃありませんでした。え、例えるなら? そうですねぇ……聞いた事はありませんけど、全力で蛙をぶん殴ったらあんな音がするんじゃないんですかね? メメタァ、って』……と。

 

 

「……次に同じ事をヤったら、今度は超全力で『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を()ち込みますンで」

『これで全力じゃニャアとか、お兄さん戦慄(ガクブル)ナ~ゴ……』

 

 

 優に二~三十メートルも転がされた後、植え込みに突っ込んで漸く止まった嚆矢を見下ろして。

 静かな怒りを湛えた最愛は踵を返すと、フレンダの方へと歩いていく。

 

 

――成る程、()()()()()()()()

 これが大能力者(レベル4)絹旗 最愛(きぬはた さいあい)』の『窒素装甲(オフェンスアーマー)』か……。

 

 

 思うのは、そんな事。彼とて、無意味にあんな事をした訳ではない。『探索』の神刻文字(ルーン)と『錬金術(アルキミエ)』により、彼女の周囲を解析する為だ。

 地球の大気の中で、最も比率の多い気体『窒素』を装甲として纏う、文字通りの能力。その密度を活かした防御力と攻撃力、更に窒素は不燃、無色無臭だ。知らなければ対処は先ず出来まい。

 

 

――斯く言う俺も、今漸く信じた。錬金術による物理的、神刻文字による魔術的な解析で、先ず間違いはない筈。流石は大能力者だねぇ、隙がないや。

 

 

 と、現実に意識を戻す。植え込みの中、目の前には――――金に煌めく瞳の黒い仔猫。まだ、親に庇護されているだろう頃合い。それが、どうして一匹だけで。

 

 

『……成る程ニャア、お前も……一人ぼっちナ~ゴ?』

 

 

 その境遇に、連帯感を。仲間を見付けたような、喜びにも似た感情で右手を伸ばす。にゃあ、と小さく鳴いて、人懐こくその手袋に刷り寄る仔猫。それに――――昨夜見た、あの夢の少女を思った。あの、温かな右掌の感触を。

 

 

『――――ンニ゛ャ?!』

 

 

 瞬間、ズボリとばかりに引き抜かれた。足を掴まれ、一本釣りの鮪の如く。

 

 

「何時まで超休んでるんです? 時間も押してますし、超さっさと移動しましょう」

『わかっ、分かったニャア! だから、イダッ?! 引き摺らないでナ~ゴ!』

 

 

 それは、或いは意趣返しか。石畳に爪の痕を残しながら引き摺られて、投げ出される。会った初日も、この子に引き摺られた事を思い出しながら、正に猫の如き身のこなしで受け身を取りつつ立ち上がる。

 見下してきていた眼差しは、いまや遥か下。本来、それほどの身長差がある。

 

 

「っていうか、アンタ……その格好で何時まで居る気よ? 結局、活動場所制限される訳よ」

 

 

 体操選手の床競技のように着地を決めた嚆矢の傍らに、フレンダが立つ。その表情は、完全な呆れ顔。

 

 

『そんな事言われてもニャア。大体、脱ぐなって言ったのはしずりんナ~ゴ』

「『しずりん』って、アンタ……麦野に聞かれたら、マジで殺されるわよ」

 

 

 ニャハハ、と。人を小馬鹿にしたような表情を張り付けた、猫の覆面。その性悪(チェシャ)猫が、懐から取り出した懐中時計を見遣る。

 

 

『で、今日は何の仕事ニャア? また、機密保持ナ~ゴ?』

 

 

 『輝く捩れ双角錐(シャイニング・トラペゾヘドロン)』を嵌め込んだ、その時計を。

 

 

「違うわよ。今日は、打ち合わせだけ。アンタと、私と、絹旗で」

『滝壺ちゃんとしずりんは高見の見物ニャア? それで、ギャラは同額とかはヤル気削がれるから止めて欲しいナ~ゴ』

「ンな訳ないでしょ。出来高よ、出来高」

 

 

 先を行く最愛を追うように歩き出したフレンダ。それを追い、嚆矢もまた。

 

 

『で、今から何処に行くニャアゴ?』

 

 

 先ずはその、根本的な問いから。少女達、振り返る。金色の髪、揺らして。冷たい色をした瞳、向けて。

 

 

「そうねぇ……そこのファミレスとかにしとく、絹旗?」

 

 

 暫く居ない内に、随分と闇は薄らいだものだと思うほど、暗部には似つかわしくない金髪の彼女。危ういほど、『普通』な。そんな、フレンダ=セイヴェルン。

 

 

「……打ち合わせに、そんなところは超使えませんから。どこか、手頃な場所があれば良いんですが」

 

 

 どこか懐かしい程に、深い闇を思わせる……暗部そのものと言えるような、彼女。安堵する程、『異質』な。そんな、絹旗最愛。

 

 

『……だったら、良い場所があるニャア。少し歩くけど、他の人間は見た事がないし、食事もできるナ~ゴ』

 

 

 そして、暗部の狂気そのものと言える程の『異形』――――『正体不明の怪物(ザーバウォッカ)』が、其処に居る。

 顔を隠し、名を偽り。能力を騙るのは……また、最底(そこ)に帰りたくないから。

 

 

――例え、仕事(ビズ)でも。もう、彼処は嫌だ。嫌だ。嫌だ。思い出す事も、もう。したくはない、あんな。ドブがまだ清流に見えるような、廃液の底になど。

 

 

 刹那、思い出してしまいそうになる。見えたのは立ち昇る、熱く紅い炎。揮発油の胸糞悪い臭い、鋼鉄の悪意に満ちた硬さと鋭さ。腕の中で冷たく蒼く、消えていく――――……

 

 

「分かりました、そこにしましょう。良いですね、フレンダ」

「私は別にどこでも、落ち着けるならいい訳よ」

 

 

 声に、正気を取り戻す。()()()()()()()()()()()()()()、嚆矢には分からない。もし、覆面がなければ、その呆けた面を見られていたかもしれない。

 危ういのは、こんな時に意識を放る自分もかと、人知れず自嘲して気を引き締め直して。

 

 

『それじゃあ、案内するニャア。けどまぁ、遠いし……バイクにも三ケツはできないナ~ゴ』

 

 

 近くの駐輪場、そこに停めてある――――以前、三体の機械偶像(ゴーレム)に変えた車を二台の大型のバイクとした物を思い出す。

 そして黒豹男は、煙草に火を燈す。口許の、ニタつくような配置のチャックを開けて銜える。紫煙を燻らせて。赤い硝子玉の瞳、煙草の火を受けて燃えるように。

 

 

『――――ココハ、禁煙区域デス。直チニ喫煙ヲ止メテ、移動シテクダサイ。繰リ返シマス……』

 

 

 寄ってきた清掃ロボット兼警備ロボット、それを見て。

 

 

「ああ――――煩いよ、傀儡(ロボット)風情が」

 

 

 無慈悲な地声でその機体に手を触れ――――錬金術により、瞬時に『卵のような二本足(ハンプティ・ダンプティ)』に変えて。

 

 

『こいつをサイドカーにすれば、問題解決ニャア。バイクを取ってくるから、少し待ってて欲しいナ~ゴ』

 

 

 お道化ながら、煙草を路面に投げ棄てると歩き出す。紅い軌跡を残した煙草は、アスファルトに当たって一際輝いた刹那、暗闇に沈む。

 その黒豹男を、傍らでゆらゆら揺れる『元・ロボット』を眺めて――――

 

 

「……ホント、結局なんなのかしらね、あの能力(スキル)? 滝壺の『能力追跡(AIMストーカー)』でも追いきれなかったんでしょ?」

「滝壺はそう、言ってました。麦野が調べた限りでも、似たような能力はあれども超正体不明だそうです」

 

 

 囁くように、少女達は語り合う。今日の目的の一つは、彼の能力の仕組みを暴く事。どうやら、腹を探りたいのは互いにらしい。

 

 

「文字通り、『正体不明(ザーバウォッカ)』な訳ね……」

 

 

 つん、とつつけば、それだけでバランスを崩したハンプティ・ダンプティが転んだ。後は足を蠢かせているのみ、立ち上がる事はできないらしい。

 未だに尻尾も掴めない、その能力。いや、尻尾ならば……これ見よがしに、スラックスの後方から異常に長いベルトの残りを尻尾の如く垂らした、そんな後ろ姿ではあるのだが。

 

 

「……ですが、収穫なら超有りました。私の『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を、アイツは無力化しました」

「えっ、マジ!? あ~……分かってましたよ、ええ。アイツは、絹旗に普通に()()()訳だし……つまり、アイツの能力の根本的な部分は『空力使い(エアロハンド)』みたいな気体操作?」

 

 

 睨まれ、慌てて考え、フレンダは辛うじて正解に辿り着く。だが、的外れだ。

 そもそも、彼女達は『魔術』を知らない。知らないのだから、真理に等は辿り着けない。『錬金術(アルキミエ)』等と、夢想だにもしまい。

 

 

「どうでしょう。それなら、私に殴られても超効かない筈です。何せ、能力無しなら私は超か弱い女の子ですから」

「……ソ、ソウデスネ」

「何か、超言いたそうですね、フレンダ?」

 

 

 再び、白い目をしたフレンダが最愛に睨まれた瞬間。目映いハロゲンの光と腹に響く機関(エンジン)音が二人に近付いてきた。そう、黒豹男の跨がる――――ハーレー・ダビッドソンが。

 

 

『旧式でゴメンニャア。けど、オイラどうも、古い物が好きなんだナ~ゴ』

 

 

 等と、愛想を振り撒くように。転がっていたハンプティ・ダンプティを蹴り――――サイドカーに変えて。

 

 

『さぁ、二名様ご案内ニャア。行く先は――――』

 

 

 黒に染まる空、星明かりすらない。地上の光に駆逐され、見えるのは……ただ。

 

 

『――――純喫茶、ダァク・ブラザァフッヅナ~ゴ』

 

 

 ただ、狂い笑う月と、姿すらない『虚空の瞳(ロバ・アル・カリイエ)』だけ――――…………

 

 

………………

…………

……

 

 

 人気の絶えた暗い街路に、革靴の足音と粗い息遣いが響く。暗闇に姿は見えないが、まだ少女。迫り来る恐怖から、逃れる為に。

 足を止めてはいけない。止めてしまえば、追い付かれる。足を進めてはいけない。進めてしまえば、『それ』を踏んでしまう。

 

 

「――――はあっ、はっ、はあ!」

 

 

 ほんの気紛れの為に歩み出た街路、そこが口を開けた異界だった事に気付いたのは、もう呑み込まれてしまってから。

 そう、一歩――――買い物の為に寮から出た瞬間に。このコールタールのような粘性を持つ、煤煙のように濃密な闇、しつこく纏わりついて。

 

 

「はっ、はあ、はあっ!」

 

 

 見える。数十メートル先には、等間隔に並ぶ街灯の明かり。寒々しい、しかし確かな輝き。だがそれも、彼女が光が届く範囲に入る直前には嘲るように明滅し、消えてしまう。もう、走り始めてからずっと。何度、心が折れかけたか。

 思わず振り返る。しかしただ、無形の暗闇。だが、間違いない。そこに、『ソレ』は居る。悪夢のように、逃げ切れはしない。

 

 

『____________!』

「――――――――!」

 

 

 ひっ、と息を飲む。低く、獲物の仔兎を追い詰める野犬のように、浅ましい歓喜に吠える声。饐えた悪臭を引き連れて、這いずるようにズル、ズル、と蠢く耳障りな音。何度、心が折れかけたか。

 僅かたりとも、距離は離れていない。あれだけ走ったのに――――

 

 

「はっ、はあ、はあっ、はあ、はあっ!」

 

 

 そして、響き続ける足元からの音。腐臭を巻き散らしながら追い縋るように、ガコン、ガコン、と金属音。知らずとも分かる、その死の足音。何度、心が折れかけたか。

 常に、彼女の真下から。せせら笑うように、自分の居場所を示して。逃げろ、逃げろ、逃げて見せろと。逃げ惑う獲物を甚振って。

 

 

「はあっ、はっ、はあ!」

 

 

 事前に、『気を付けろ』と言われていた。だから最初に踏まずに済んだ。だが――――この暗がり、この恐怖。一体、何時まで避け続けられる?

 元々、運動は苦手なのに。麻痺した時間の感覚は、数分? 数十分? 数時間? もう、覚えていない。ただ、ただ――――

 

 

「――――はあ、はあっ……けほっ、はあっ、はっ!」

 

 

 息を乱し、駆け抜けるのは……決して路地裏ではない。ここは、主要な道路の一つの筈。

 だと言うのに、何故――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 否、理由ならもう、気付いている。これは――――これはそう、単純な話。

 

 

「はあ、はっ――――あっ!?」

 

 

 瞬間――――踏みそうになった『それ』を避ける為に、無理な踏み込みをして転んでしまう。前のめりに、辛うじて『それ』は避けて。代償は、掌と膝の擦過傷(すりきず)

 

 

「うっ……く」

 

 

 涙が滲む。その痛みと、理不尽に。まだ、分からない。まだ、理解できない。

 また、少し。また、一歩。確実に、その距離をもう、広げる事無く背後から迫ってくる『ソレ』に――――何故、追われなければいけないのか。

 

 

「っ……誰か――――誰か……!」

 

 

 だから、立つ。だから、走る。終わりなど見えない、この闇夜を。嘲笑する、『背後の闇』と『足元の音』を。

 

 

「先……輩――――」

 

 

 そして――――――――夜空、切り取るように浮かぶ、狂い笑う黄金の月と……『虚空の瞳(ロバ・アル・カリイエ)』に見詰められて。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ふと、何故か虚空を仰ぐ。誰か、誰かに呼ばれた気がして。窓の外、夜空、切り取るように浮かぶ、狂い笑う黄金の月を。

 だが、その眼差しはこちらを向いていない。そう、いつもみたいに、彼を嘲笑うものではない。誰か、別の……他の、何かを。

 

 

「ちょっと、聞いてんの、ジャーヴィス?」

『――――勿論だニャアゴ、フレンダちゃん』

 

 

 意識を、『ダァク・ブラザァフッヅ。』の席に陣取ったフレンダと最愛に戻す。耳元を掻いて。猫のように。

 因みに、マスターは何時も通り。『約束通り』に連れ合いを伴ってきた彼に、何時も通りにニヒルな笑顔で……『では、ご注文をどうぞ、ジャーヴィスくん』と。闇に生きる彼には、この集まりがどういうものかぐらい――――来る前から、お見通しだったのだろう。

 

 

「どーだか。じゃあ、さっき言った事を説明してみろって訳よ」

『お安いご用だニャアゴ』

 

 

 そこで、彼は台の上の書類を一枚手に取る。そこには――――一人の男性。大学生くらいだろうか、目付きの鋭い眼鏡、オールバックの。

 『能力名:表層融解(フラックスコート) 強度(レベル):4』と記された、暗部の機密文書。

 

 

『この男が外部に学園都市の能力開発実験情報のリークを企んでるから拘束しろ、最悪の場合は消せって指示が出たニャア。ただし、向こうもそれなりの能力者だから、気を引き締めて掛かるナ~ゴ』

「うっ……む、むっかつく~……!」

 

 

 語尾以外は、一言一句違わずに。『耳元の録音装置』で聞いたばかりの台詞を告げれば、フレンダは怒りを露に地団駄を踏む。

 因みに、最愛の方は無関心そうにミルクとクラブハウスサンドを()んでいる。フレンダの方はアイスティーにバターと蜂蜜のかけられたホットケーキ、嚆矢はフィッシュ&チップスにアイリッシュコーヒー。

 

 

「『表層融解(フラックスコート)』……確か、その名の通りに『表層』を『融解』する能力だったニャアゴ?」

「そ。でも、この男の場合は『表層を融かした跡の表層も融かせる』、ウザい能力な訳よ。人呼んで、『突貫熱杭(バンカーバスター)』だとか。先に捕縛しようとした組織は装甲車まで繰り出したけど、装甲車()()貫かれて失敗したらしいわ」

 

 

 二つ名の響きから何と無く能力を察するままだった。監視カメラの画像か何かだろう、あまり画質のよくない携帯の画像には、周囲を取り囲んだ装甲車。しかし――――一瞬でその車体には大穴が穿たれ、捻じ切れるように爆散していく。人も幾人、巻き添えで。まぁ、確かに閉じ込めておけそうにはない能力名である。

 観劇の合間の軽食宜しく、口許のチャックを寛げてフライを食む。魚と塩と油とケチャップの、雑な味わい(ハーモニー)が広がる。

 

 

――しかし、流石は大能力者(レベル4)だな……マジ、戦術的価値を見出だすレベルだわ。何々、『厚さ十メートルのコンクリート壁を貫くのに二秒フラット』? オイオイ、化け物じゃねぇかよ……。

 

 

 そこで、目に留まった対象の能力の強度。それは、嚆矢の『錬金術(アルキミエ)』……本来的な『化学技術』の範疇を越えた、某ダークファンタジー風の錬金術。ソレを行使する、彼の琴線に触れた。

 

 

――俺の『錬金術(アルキミエ)』は、最低でも五秒は対象に魔力を流して『走査(チェック)』しないと、組み替えはできない。分解するだけなら、一瞬でも出来るが……皮と肉を抉るくらいで精一杯だ。

 それより早い……か。上等、俄然()る気が出てきたぜ……!

 

 

 腕を組み、体重を椅子に預けてニタリ、と。覆面の表は嘲笑に、奥は克己心で牙を剥く。その剥き身の刃じみた殺意を、一切たりとも隠さずに。

 

 

「けど、結局、問題はそこじゃない訳よ。この男が、元『スクール』の構成員だって事が問題なわけ」

『あぁ……第二位(ダークマター)の率いる組織かニャア。成る程、向こうも面子の為に、こいつを狙ってるナ~ゴ?』

 

 

 フレンダの言葉に、記憶を漁る。昔、能力開発実験の合間に得た……反吐が出るような知識を。

 『スクール』。暗部で知らない者は、まず居まい。この『アイテム』のリーダー、第四位・『原始崩し(メルトダウナー)』『麦野 沈利』と同じく超能力者(レベル5)の、()()()未元物質(ダークマター)』の率いる暗部組織である。

 

 

「そ。そのせいで、他の組織は『スクール』とバッティングして返り討ちにされたりしてるらしい訳よ。まだ、『未元物質(ダークマター)』本人は出張(でば)ってないらしいけど」

『勘弁してほしいニャア、命が幾つ有っても足りないナ~ゴ……て言うかこの男、よくもまぁその状態で今も生きてるニャアゴ』

「全くですね。超悪運の強い奴ですよ」

 

 

 面倒そうにアイスコーヒーを啜るフレンダと、口許をナプキンで拭って最愛が口を挟む。割と空腹だったのか、皿はもう空だ。

 

 

「御代わりは如何ですか、可愛らしいお嬢さん(リトル・ミス)?」

 

 

 と、その皿を下げてテーブルを拭いつつ、店主(マスター)がニヒルな笑顔と共に最愛に喋りかけた。

 あらゆる女性を虜にしそうな、色黒の美男。魅惑のロートーンヴォイス。年齢・国籍不詳。店の菜譜(メニュー)と同じだ。だが、暗部で生きる彼女らに多寡がイケメン風情――――

 

 

「あ……は、はい、超頂きます」

「あ、私も私も! お代わりお願いな訳よ!」

「承りました、代金はジャーヴィスくんに付けさせていただきますね」

「……リア充なんて皆、死に絶えればいいのに」

 

 

 なんて事はなく、彼女らもそりゃあ妙齢の婦女子である。照れて頬を染めながら頷いた最愛、一気にホットケーキを食べ終えてアピールを始めたフレンダ。

 そして男からしてもクールに応じたアンブローゼス、テーブルに肩肘を衝いてポテトをモソモソと齧りながら地声で一人ごちた嚆矢。

 

 

 夜は長い、のかもしれないと。

 

 

「そう言えば、ジャーヴィスくん? 何か、私に聞きたい事があったのでは?」

「あぁ……そうでした」

 

 

 挙げ句、これである。本当に、『神様』のように、この男性は全てを見通していて。

 空恐ろしい。まるで、自分の全てが――――この男性の掌の上で、孫悟空のように、弄ばれているだけであるような観念を抱いてしまって。

 

 

「実は、『賢人の偃月刀』……これを創るのは、不味いかな、と」

「フム……不味くはないですが、使い方次第ですね。その先にあるものは、君の『右手』には余る」

 

 

 これである。やはり、知っている。今、嚆矢が何を望んでいるのか、何を為そうとしているのか。自分ですら気付かないものも、或いは知られているのではなかろうか、と。

 総て知った上で、彼はそれでも、この男に『信頼』を寄せたままで。

 

 

「しかし、そう――――それすら、越えたのならば。君は、更に上の存在となる。そう――――例えるの、ならば」

 

 

 恍惚と、見据える燃え立つ瞳。或いは、知らぬ人間が見ればお耽美な関係かと疑うほどの。だが、本人にとっては――――脂汗すら禁じ得ない。何故だ、何故、と。

 

 

「また一つ、階位を上げる。君は、虚空の螺旋階段を昇る。想像(イマジネイト)から具現(エンボディ)まで至った君ならば、間違いなく――――顕在(アクチュアリー)の域に至れる筈。いや、その『普遍(さき)』へも……その、更なる『■■(さき)』へも」

 

 

――『想像(イマジネイト)』? 『具現(エンボディ)』? 『顕在(アクチュアリー)』? ほとんど、意味は分からない。

 だが、それは――――今に、始まった事じゃない。ローズさんの言いたい事が分からないなんて、それこそ……山程。生まれた時から、分からない事など山程有った。

 

 

 だから、深くは考えない。それも、暗部で生きる為の一つの技能。見て見ぬ振り、只の偽善を傘に着て。否、偽悪か。元より、この命など――――

 

 

「では、これを」

 

 

 サンドイッチとホットケーキのお代わりと共に差し出された、古めかしい羊皮紙。妙に、時代がかった……そういう風に仕上げられたのであろう、『魔導書の断篇』を。

 

 

「『断罪の書・断篇』です。…君の求めるものは、ここに在る」

「……はい、ありがとうございます、師匠」

 

 

 言葉は、少なく。第一、傍らの二人が訝しむ目をしている。魔術の魔の字も知らない彼女らにとっては、一体、何の話をしているのかすら分からないだろう。

 だから、ただ受けとるのみ。後の事は、後で考えればいい。そう、それで……時間は、まだある。

 

 

『それニャア、そろそろ閉店時間だナ~ゴ。帰ろうニャアゴ、フレンダちゃん、絹旗ちゃん?』

 

 

 断篇を懐に仕舞い、普段通りの合成音声。お道化る仕草、何時ものまま。この、闇の最底(そこ)でも――――。

 

 

「超食べ終わってからなら」

「あんたはちょっと、黙ってろってな訳よ」

『さいですか、ニャアゴ』

 

 

 肩を竦める。結局、それから約三十分の間は何一つ、動かずに。ただ、何も知らぬままで、時間だけが過ぎ行く――――


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