Shangri-La...   作:ドラケン

14 / 47
24.July:『Predator』

 

 

 病院を後にした『先輩』の、ノーヘルで超軽量バイクに乗って走り去る背中を窓外に望み、白井黒子は険しい表情のままで口を開く。

 

 

「……また、法律違反ですのね。一体、あの方の何処が信用に値するんですの、お姉様?」

 

 

 辛辣に、辟易したように。彼女が尊敬を越えて思慕に至るほど敬愛する、御坂美琴に向けて問うた。

 それに美琴は、少し考える仕草をして。

 

 

「まぁ、確かに軽いしチャラいし、能力(スキル)も便利なだけで大して強くはないんだけどさ……」

 

 

 そう、ボロクソに前置きをする。何故なら、それは紛れもない事実だから。

 

 

「そ、それでは、なぜですの? そこまでなら、なぜお姉様は……」

 

 

 余りの言われ方に、さしもの黒子も弱冠引き気味になる。誰でもそうだろうが。そんな黒子の様子に、僅かに微笑んだ美琴。それは、さながら。

 

 

「私と対馬さんの出会いって聞いてる? 大覇星祭の話」

「ええ、まあ……綱引きで拮抗して、最後はお姉様の電撃で昏倒させて勝ったとか」

「そ、それよ。いや、今となっちゃバカな事したもんだけどさ……」

 

 

 その話は、以前に彼本人から。『虚空爆破(グラビトン)事件』の時に聞いた事である。頬を掻き、苦笑いする美琴。勝ちを焦った力押しを恥じているのか、或いは。

 

 

「その後、当然猛抗議を受けたわけよ。当たり前だけど、『綱を狙って電撃を放った』なんて苦しいしね……危うく、乱闘一歩手前。その時よ、対馬さんが────一騎討ちで決着にしようって名乗り出たのは」

「一騎討ち……お姉様と?! なんて命知らずな……腕くらいならへし折れてしまいますわ」

「言ってくれるじゃないのよ、黒子……まぁ、そうなんだけどさ」

 

 

 或いは──何か、懐かしいものを思い出したからなのか。普段なら黒焦げものの失礼な物言いにも、今日は。今、この時だけは、電撃は迸らない。

 

 

「そう、一騎討ち。信じられる? 私を第四位(レールガン)と知った上で、よ?」

 

 

 そして、美琴は黒子の肩に手を置く。後輩に、自らの『失敗談』を語り聞かせる為に。

 

 

「何せ、あの人────」

 

 

 聞かされたのは、俄には信じがたい話。それはある意味、彼女にとっては『敗北』に等しいものかもしれない内容であった。

 特に、美琴を神仏の如く見る黒子には、信じられる筈もない。

 

 

 そんな話が────少し前に、あった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 蘇峰 古都(そほう みやこ)は、魔導書(グリモワール)妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』を携えたままで悠然と見詰める。路面の一部ごと蒸発し、後にはハンドルと前後輪の一部が残るのみとなったバイク。

 乗っていた二人は、最早、跡形も無く────

 

 

「……噂には聞いてる。風紀委員には、大能力者(レベル4)空間移動能力者(テレポーター)が居るって」

 

 

 その残骸から、約二十メートル程離れた場所に転移した黒子と嚆矢を、忌々しげに見遣りながら。

 

 

「っ……なんですの、今の……一体あの人の能力(スキル)は……!」

「『質量操作(マス・ゲーム)』……触れている物の、質量を増減させる能力だ」

「『質量』……ではやはり、あれは……!」

 

 

 辛うじて『攻撃』を避けた彼女が、魔本を携えた少年を望む。鬱屈と赤濁した眼で、こちらを見る古都を。

 答えた嚆矢も、視線は古都から離さない。最早、一瞬の油断が死に繋がると分かっているから。

 

 

「ああ────物質が、自分の持つ万有引力で自壊する現象……所謂、『事象の地平線(ブラックホール)』を、実証した訳だな」

「なんて厄介な能力ですの……!」

 

 

 言っている側から、古都の手元に魔本が悍ましく脈動する。それが、何か。かつて手にした事がある嚆矢には、分かった。

 

 

Tibi(ティビ) Magnum(マグナム) Innominandum(インノミナンドゥム)signa(シグナ) stellarum(ステラルム) nigrarum(ニグラルム) et(エト) bufaniformis(ブファニフォルミス) Sadoquae(サドクァエ) sigillum(シギラム )────!」

 

 

 唱えられた言葉と同時に、辺りに漂い始めた腐臭。そして……耳に忍び込むような微かな嘲笑。

 

 

「何……ですの、この、笑い声……?」

「チ────『星の吸血鬼(スター・ヴァンパイア)』か!」

 

 

 こうなれば、魔術の隠匿などに拘ってはいられない。運良く、すぐ脇には高架の骨組みである鉄骨が露出している。何とか誤魔化せるだろうと、嚆矢は『右手』でそれに触れて。

 

 

飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)────!」

 

 

 昼間の、搾り滓のような魔力を注ぎ、玉虫色に揺らめくダマスカスブレード『賢人バルザイの偃月刀』を召喚する。

 

 

「剣────今、どこから?」

 

 

 呆けた声を上げた黒子に、反応を返せない。そんな状態ではない、今、彼は瀕死に近い。

 

 

──反動は、かなり酷い。トラックと正面衝突したような、気の遠くなる頭痛。つまり、死ねるくらい。鼻奥に感じる鉄の臭いを無理矢理吸い込む。そうすれば、次は舌に感じる鉄の味。それを無理矢理、飲み込んで。やっと準備完了だ。

 ッたく、喚んだだけでこれか……こりゃあ、『ヨグ=ソトースの時空輪廻(ディス=インテグレート)』なんざヤったら死ぬな……。

 

 

 それだけの反動を推してでも、この祭具を呼び出した理由は単純明快だ。

 目に見えない『星の吸血鬼(スター・ヴァンパイア)』を捉える方法は、今のところはこれしかない。空間を司る『ヨグ=ソトース』ならば、見えなくても存在しているものは捉える筈と踏んで。

 

 

「────其処ッ!」

『Gyaaaaaaaaa!?!』

 

 

 そしてそれは、効を奏した。繰り出した一閃には、確かな手応え。グシャリ、と。『斬った』と言うよりは『噛み砕いた』ような手応えだったが。

 続く断末魔、しかしそれで終わりではない。まだ、あと二匹!

 

 

「ちょ、あの、先輩!? 一体何がどうなっ──」

「説明は終わってからしてやる! 後ろから来てる、二秒後俺の側に跳べ、()()!」

「っ~~~~~~ああ、もうっ!」

 

 

 名指しでの命令に、怒濤の勢いの情報処理が追い付かなくなっていた彼女は一瞬身を竦めた。だが結局、今は従うしかないと即決したらしく、きっかり二秒後に背後に転移する────のと全く同じに、その空間に偃月刀が突き出された。

 

 

「二匹目!」

 

 

 黒子の背に取り付こうとしていた、見えざる伴侶を狙って。またも、『突き刺した』と言うよりは『食い破った』感触。余りの違和感に、つい手元を見てしまう。

 そして、後悔した。見えない血肉を啜り、歓喜に蠢く玉虫色の悪夢めいた色彩をまともに目にして。

 

 

「チッ……しまった!」

 

 

 正気を削られ、反動と相俟って意識が霞む。その一瞬の隙に、背中に取り付く事を許してしまった。藻掻けど、万力じみた力は引き剥がせない。おまけに偃月刀を封じる為か、腕を搦め捕る触手も感じられる。

 

 

『クク……良い気味だな、コウジよ。この“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”の──魔導書の不興を買った者の末路は、破滅のみだ!』

 

 

 耳元に、哄笑が響く。蠅の羽音のような、蛆蟲ののたくるような耳障りな声。いや、怨念か。

 耳ではなく心で聞く分、よっぽど寒気がする。並みの人間ならば、既に正気に耐えきれまい。既に、瘴気に堪えきれまい。

 

 

 無抵抗の首筋、今しそこに、化生の牙が突き立つ──!

 

 

『──────Gyaaaaaaaaa?!』

 

 

 迸ったのは、怪物の悲鳴。その、見えない体に突き立った────否、『転移』した五本の金属矢。黒子が、太股に常備している『風紀委員としての武器』だ。

 

 

「こうなったら、わたくしも女ですの────腹を決めて、いきますわ!」

 

 

 恐らくは予測で転移させたのであろうが、全弾命中させている辺り流石としか言いようがない。空間自体を転移する金属矢、だからこそ本来、大型の銃器でもなければ貫通し得ない怪物の護謨じみた表皮を『押し退けて』現れている。

 

 

「ハハッ────流石だな! それでこそ、御坂美琴の妹分か!」

 

 

 無論、その隙は逃さない。目の前に現れた黒子により嚆矢は『星の吸血鬼(スター・ヴァンパイア)』の拘束を逃れ、偃月刀を降り下ろす。縦一閃の唐竹割りに、祭具の内の副魔王が貪り尽くす。

 三匹、呼び出された全てを斬り伏せた。これで、残るは本体の古都と『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』のみ。

 

 

「そういえば、名乗っておりませんでしたわね。風紀委員(ジャッジメント)ですの────大人しく、縛に付きなさい!」

 

 

 混乱が去り、目的を定めてしまえば、女は強い。いつもの通り、黒子は風紀の腕章を向けて声高に宣言する。いつもの通り、先ずは敵対者に降服勧告を。

 

 

「成る程……面倒な能力だ。主将の『制空権域(アトモスフィア)』だけでも難敵だって言うのに……」

『ふん、しかし、多寡だか空間移動よ……慌てる事はない、ミヤコ。打つ手なら、在る』

 

 

 だが、彼らは意に介さない。ぶつぶつと独り言のように某かを呟き始めた彼、その携える魔本の────更なる、悍ましき脈動、蠕動。

 

 

『そう、我の言う通りにすれば良い。そうすれば、君は目的を果たす事が出来る。君の望む、未来を』

「僕の……望む、未来……」

 

 

 虚ろに、風前の灯の如く繰り返す。魂を失った人形のように。当たり前だ、命を削っているのだから。魔に与するとは、そう言うことだ。

 

 

──ああ、そうか……あの魔本は、炉なんだ。命を()べれば、見返りに魔を孵す『魔の孵卵器(インキュベーター)』。

 だから、反動は古都には返らない。ただ、命を蝕まれるだけ……かよ!

 

 

 歯噛みする。不甲斐ない、と。この期に及んで、また、選択を誤るのかと。

 

 

────そう、その通り。人生など多寡だか五十年。されど人生とは、全て選択だ。後悔と慚愧に満ちた、苦しみの輪廻だ。それこそが、『クルーシュチャ方程式』だ。お前達(われら)に与えられた、二重螺旋の回答だ。

 

 

 囁く声は、誰の? 自分の思考、それとも────耳元に、這い寄った黒い影のもの?

 

 

「『────飢える(イア)」』

 

 

 目の前の古都に、手間取る訳にはいかない。だが、古都を見捨てる事も出来ない。更にこの先、木山春生から飾利を救出しなければならない。余りにも時間が、無いのだ。

 

 

────さぁ、選べ。捨てる方を選ばなければ、どちらも失う。出会って間もない、笑顔を向けてくれる少女か? それとも、長い付き合いの、敵意を向けてきた少年か?

 さぁ、どちらを選ぶ? お前は、どちらを()()()()

 

 

 そう、時間はもうない。誰かが嘲笑っていても、気になどしていられない。

 

 

「黒子────お前は、木山を追え。俺は、こいつをふん縛ってから追い掛ける」

 

 

 だから、二人ともを助ける選択を。明らかに、間違いだと……自分でも分かる、選択を。

 

 

『やれやれ……是非もなし、とは。それは、最悪の答えだ。見損なったぞ────』

 

 

 だから、誰が呆れ返ろうとも関係はない。全ては、己の選択。ならば、後悔だけはしないように。『背後に佇む影』に還った、燃え盛る三つの眼差しに等は気付かずに、偃月刀を構えたままで。

 

 

「無茶を言わないでくださいまし。こんな厄介な相手を、貴方一人では荷が勝ちすぎると言うものですの────!」

 

 

 今度は、従う事なく。四本の金属矢を転移させた彼女。狙いは、古都の靴。

 

 

「『───飢える(イア)飢える(イア)……」』

 

 

 それを縫い止めて相手の意識を逸らし、身動きを封じて直接転移で地面に服ごと縫い付ける。彼女の得意パターンだ。

 

 

「待て────ヤバイんだよ、あの本は!」

 

 

 時速に直せば二九〇キロ。嚆矢の言葉は届く前に消える。果たして、靴は縫い付けられた。しかし──狂信の祝詞は、既に最高潮。

 

 

「『飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)────!」』

 

 

 揺れる。空間が、揺れた。水面のように、()()()()()()が。

 その刹那、まるで──否、正に押し出されて、黒子が路面に落下した。

 

 

「───────っ?!」

 

 

 俯せに押し倒されて息を吐き出し尽くした所為で声も出ず、恐怖に目を見開いて。思い出したように吸い込んだ空気に感じたのは、以前に理科の実験で嗅いだアンモニアなど、可愛く思えるほどの刺激臭。

 止せば良いのに、本能が言う事を聞かずに。振り向いてしまう。見るべきではない、悪夢すら生易しいと言うのに。

 

 

『Gruuuuuuuuu…………!』

「ひっ──────??!」

 

 

 粘膜に酷く刺激を与える、腐った荒々しい息を吐くもの。まともに見た彼女は、思わず涙を浮かべた。酷く不快な戯画化された狗にも見える、それは────

 

 

「『さぁ、お前への供物だ。貪り尽くせ────“ティンダロスの猟犬(ハウンド・オブ・ティンダロス)”!」』

 

 

 いまだ時間すらなかった『角度ある時間(ティンダロス)』に潜む、あらゆる命を敵視する邪悪な異次元の狩猟者(プレデター)────!

 

 

 見た、見てしまった。背後、青白い粘液を撒き散らしながら吠える猟犬──見た目には、犬の要素などは四足である事以外にはない、怪異を。

 悪意に満ちたその顔容、いっそ雄々しく吠えればまだマシだろうが、断末魔のような金切り声のみ。

 

 

『Gruuuuuuuuu!』

「───────っ!」

 

 

 開け放たれた顎から乱杭歯が剥き出される。同時に、注射器の如き触手じみた舌と共に刺激臭混じりの吐息と唾液らしき腐汁が撒き散らされた。間近での事、避けようもない。

 ただ、分かる事は一つ。早く、逃げ出さなくてはいけないという事だけ。

 

 

(集中、集中────!)

 

 

 嫌悪と恐怖の相乗により集中を切らして空間移動を封じられ、最早、黒子は悲鳴すら出せない。そもそも空間移動能力者にとって、集中力は欠かせない才能。そんな事は、他ならぬ黒子が一番知っている。

 

 

(────なんで……無理ですの!)

 

 

 だから、恐怖に竦む心に鞭打ち、無理にでも集中して猟犬を転移させて逃れようとして────それが出来ない事に愕然と、慄然と。

 彼女の能力の通じない、悪夢その物の相手を前に……心が折れてしまうのも、無理はない話。

 

 

「いや……イヤですの、離してくださいまし!」

 

 

 それを、この作られた怪物は削り抉る。何故ならば、この怪物は()()()()()()()()()()()()()()()()()()怪物だから。

 子供のように──否、真実まだ、中学生の子供。年齢相応に喚き、暴れ出す。

 

 

『Gruaaaaaaaaaa!』

「イヤ、いやぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 そんな彼女──哀れな獲物を組み敷いて、勝ち誇るように猟犬は鋭利な舌先を向けて。

 

 

「化物が……人の後輩に訳分かんねェ汁引っ掛けてンじゃねェよ──────!」

 

 

 繰り出された偃月刀の横薙ぎの一撃。貪り喰う、副魔王の欠片。祭具にして鍵。それを予め予期していたように、猟犬は『路面の割れ目に吸い込まれる』かのように消えた。

 

 

「消えた──空間移動能力持ちか、面倒くせェな!」

 

 

 舌打ち、周囲の空間を探る。反応は────真横から、空間を歪ませながら『何か』が迫ってくる!

 

 

「クソッタレ────!」

「っあ────!」

 

 

 身を捻り、回避する。黒子を掻き抱くように引き連れ、横っ飛びに転がって。刹那、自らの質量に耐え切れず空間が潰れる。一点に集束し、事象の地平線(シュヴァルツシルト)の彼方へと。

 

 

「また、躱したか……流石、主将」

 

 

 拾った小石三つを右手でジャグリングしながら、古都は酷薄に笑う。先程の時のように、投げた小石をブラックホールと化したのか。

 感じる。見えているものだけではない。その周囲に、まだ。

 

 

「莫迦が……ンなモンに手ェ出さなくても、テメェならと思ってたのにな!」

 

 

 右手に持つ『賢人バルザイの偃月刀』を突き付けながら隙無く立ち上がり、左腕で今も震える黒子を庇って立つ嚆矢。

 

 

「それは『幻想御手(レベルアッパー)』ですか、それとも『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』ですか? はは、まぁ、どちらでも良いか……」

 

 対して目を擦りながらくつくつと笑う、古都。その左手に、魔導書『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』を携えて。

 

 

「倒すだけ。そうだろ、『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』……僕が、勝って……勝つんだ、勝つ…………」

 

 

 それは、『幻想御手(レベルアッパー)』使用による過負荷か、はたまた、魔術行使の為に命を削られた事による肉体の自壊か。

 赤濁した目から、一筋。ぽろぽろと、赤い色を溢して。

 

 

「見える、見えるぞ……ああ、これが、質量のうねり……!」

 

 

 目を開ける事もなく、せせら笑う。血涙をぽろぽろ、ぽろぽろと今も溢しながら────三つの小石が内側にひしゃげ、見えなくなる。

 

 

「チッ────呆けてる場合じゃねェ、しっかりしろ、黒子!」

「対馬……先輩……あれ、何ですの……あの、化物……!」

 

 

 仕方ないとは言え、今は死地。茫然自失状態の黒子を叱咤する。強く肩を揺さぶり、真正面から瞳を覗き込む。『加護』の神刻文字(ルーン)を刻み付けながら。

 それによりか、元々の意思が強いのか。虚ろな瞳に、僅かに正気が戻る。何とか、気絶まではいっていないらしい。

 

 

「クソッタレ……!」

 

 

 その間にも、古都は人差し指をこちらへ向ける。無論、その先から逃げる。迫り来る、『空間の歪み』を感じ────可視化した、光の歪み。放たれた、一条の光線を。

 それが触れた、橋脚。厚さ十メートルはあろうかと言う、コンクリートと鉄骨の複合材。それが、熱した鍼を突き刺した発泡スチロールの如く貫通されていた。

 

 

──さっきのが『事象の地平線(ブラックホール)の手榴弾』なら、これは『事象の地平線(ブラックホール)の銃弾』か。

 殺傷人数と効果範囲は前者より狭いが、速さと直線的な殺傷範囲はこれの方が上だ。

 

 

 二発、三発。副魔王(ヨグ=ソトース)の空間掌握により射線の先読みをし、回避を続ける。黒子が本調子でない今、自分が何とかするしかない。

 刹那、鼻を衝く刺激臭。それを感じると共に、足元から来る『何か』を感じる。見詰めても、そこにはアスファルトの破片くらいしかなく────

 

 

『Gruaaaaaaaaaa!』

 

 

 その『鋭角』から飛び出してきた『ティンダロスの猟犬(ハウンド・オブ・ティンダロス)』、この宇宙の邪悪の結晶の如き悪意の塊。

 獲物と定めた黒子に向けて、鋭利な舌先を射ち出すように肉薄する──!

 

 

「邪魔、だァァァァァァッ!」

『Gyaiiiiiiiiin!?』

 

 

 予測していたそれに、偃月刀を振るう。舌先、そして右前足を斬り飛ばされ、絶叫した猟犬。

 

 

「オイオイ……勘弁してくれよ」

「先輩────腕、に……!」

 

 

 だが、もう。もう、傷口は不快な粘液が泡立ちながら塞ぎ、あろうことか再生を始めている。まるで、蜥蜴の尻尾のように。

 対して、嚆矢は────庇った右腕の前腕に、舌先を受けてしまっている。注射器の如き舌先、そこから流し込まれた、()()()()。生命体を蝕む、猟犬の体液を。

 

 

『……ティンダロスの猟犬は不死。死なないから、傷も意味がない。意味が無いモノはね、無いのと同じなんだよ、コウジ』

 

 

 右腕に突き立つ舌先を引き抜き、投げ捨てる。もう、遅い。僅かな量でも、人にとっては致死。何故なら、()()()()()であるこの怪物の毒に、解毒剤などはこの世に存在しないのだから。

 光の加減によるものか、右の視界の端に純銀。くすんだ、煌めきを失った鈍い光。まるで、昼間の月の如く。

 

 

────無意味、無価値。非在の者、正体不明の怪物(ザーバウォッカ)。お前の事だよ、嚆矢?

 

 

 そして、毒による幻覚か。左、揺らめき。昏い陽炎、影色の鋼。冷たく嘲笑する、燃え盛る三つの瞳。

 

 

『例え、殺せたって。時空の螺旋を走る猟犬は、過去(ワタシ)から現在(アナタ)に現れる。だから不死、だから無理なんだよ、コウジ』

 

 

 諦め、倦み微睡んで。純銀は、疲れたように微笑む。

 

 

────さぁ、またしても選択の時だ。さぁ、選べ……。

 

 

 諦めろと、嘲笑いながら。陽炎は、爛々と口角を吊り上げて。

 

 

『みんな、忘れてしまう。だけどね、過去(ワタシ)がないものは存在しないんだ。過去(ワタシ)は、いつも現在(アナタ)を見ているのにさ……だから、無理なんだよ。現在(アナタ)は、未来(わたし)は変えられても、過去(ワタシ)は変えられないんだから』

 

 

────選べ。お前の腕の中で震えるその娘か? それとも、お前の目の前で遅い来る男か?

 選べ。お前は……どちらを、殺すのか?

 

 

 二つの幻聴は、異口同音。『諦めろ』と。再生を果たした猟犬が、獲物を横取りしようとする嚆矢(闖入者)に怒りに燃える濁った瞳で睨みながら、再び鋭角に消えていく。

 

 

「っ……お姉様」

「……『お姉様』、か」

 

 

 呟きは、ここには居ない彼女の心の支え。情けない話だ、今確かに此処に居ると言うのに、自分では支える事も出来ていないのだ。

 更に、空間の歪み。古都の右掌、莫大な質量を収斂する気配。先程までとは訳が違う、橋脚一つがひしゃげていく。

 

 

──そうだな……確かに。普通なら、もう駄目だ。そういう能力(スキル)魔術(オカルト)を使えでもしなきゃ、諦めるしかない。

 

 

 諦めを告げる思考に、そうだね、と純銀が蒼い星雲(ネビュラ)の目を伏せる。当然だ、と影が燃え盛る三つの瞳を滾らせて嘲笑う。

 

 

「大丈夫だ────」

 

 

 しかし、身体を……口を衝いたのは正反対の衝動。痺れるような、引き攣れるような不随意の運動をする身体を無理矢理に押さえ付けて。

 

 

──そうだ、俺は誓った。俺は、護ると誓ったものは、何一つ諦めない!

 

 

 いつかとは違い、左腕でより強く黒子を抱き締めて。いつかと同じく、『護りたいもの』を庇い立つ。

 

 

「大丈夫────俺が御坂に会わせて見せる、必ず……だから!」

「……先輩……」

 

 

 頼りにされていないのは空しいが、だとしたら何だと言うのか。同じだ、自分以外が寄る辺でも関係ない。護ると、勝手に決めたのは、此方だ。

 だからもう、意地とハッタリだけで笑みながら。消化酵素に蝕まれ、青白い筋の浮いた右腕を伸ばす。

 

 

『「小賢しい────だが! 無駄だ! 摸倣しただけの、貴様の偽物の“影の鎧”では! 否、例え本物でも、この一撃は防げまい!』」

 

 

 古都──最早、蘇峰古都なのか『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』なのか、境界すら曖昧となり始めた存在が哄笑する。

 既に、呑み込んだ質量は橋脚どころか路面も含めた数十トン。そして、今まで見えもしなかったマイクロブラックホールが────針穴ほど、虚空に浮かんでいる。

 

 

『「終 わ り だ !   諦 め ろ !』」

『Gruaaaaaaaaaa!』

 

 

 勝ち誇り、喚きながら。針穴もの大きさの潰星(ブラックホール)を投擲する。更に、右側の橋脚の鋭角から飛び出してきたティンダロスの猟犬。

 光すら逃げ出せない漆黒の地平線と、時空の果てまで獲物を諦めない猟犬。黒子の空間移動(テレポート)を試さずとも、躱せるべくもない。彼女もそれに気付いている、だから、目を背けて。

 

 

「前を……向け! 風紀委員(ジャッジメント)、白井黒子!」

「っ……風紀(ジャッジ)────委員(メント)……!」

 

 

 叱咤に、目を前へ。ホンの僅か、風紀委員(ジャッジメント)としての矜持が、恐怖を打ち破って。

 その瞳が見たモノ、変わり行くモノ。『賢人バルザイの偃月刀』と一体化した禍々しい刃金、右腕に。沸き立つ禍々しい奇怪にも機械に似る、確固たる密集した鎧にも群を為した剣にも、唯一生まれ持った拳にも見える追加された複合装甲を纏う、右腕の鉤爪の拳へ。

 

 

 

 

 

 

 ただ、迷い無く前へと向けられた、嚆矢の右腕────!

 

 

 

 

 

 

──掴める、この腕なら。虚空その物のこの右腕なら……それが例え、『事象の地平線』であっても。

 だから、後は俺次第。俺が、俺の生涯……たった二十年程だが、その間に積み重ねてきた全て。全ては、この刹那の為に! あらゆる、過去(おまえ)は────!!!

 

 

『「な──────バカな!?!』」

 

 

 その、信念。今の今までの生涯で、この状況を乗り切る事が出来るだけの自分であると自負して────迫り来る質量の地平線の、『理合』を確かに掴んで。

 

 

『Gyaiiiiiiiiin!?!』

『「事象の地平線(ブラックホール)を────投げただとォォォォォッ!??』」

 

 

 地平線に呑まれ、跡形もなく押し潰された────猟犬の断末魔。更に、直径二メートルもの大穴が、数百メートル先の橋脚まで穿たれて。

 必殺の一撃を『投げられた』衝撃と驚愕に絶叫した、古都と『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』。

 

 

「──────うそ……では、あれは……本当の事、でしたの?」

 

 

 それは、彼の腕の中の黒子も同じ。有り得ない事だ、普通ならば。ブラックホールを投げる、等と。しかし、彼女は思い出していた。彼女が、ここまで支えとした人物の言葉……御坂美琴の、先程の話を。

 

 

『投げたのよ、あの人。私の超電磁砲(レールガン)を、合気道で。まぁ、代わりに右腕がへし折れてたから、病院行きで私の勝ち扱いだったけどね』

 

 

 自嘲しながらの、そんな言葉を思い出して────己を抱く男の、前を見詰め続ける顔を見詰めた。

 

 

「悪い、力……貸してくれ、黒子ちゃん」

「え──力、って……どういう事ですの?」

 

 

 その蜂蜜酒色の瞳にいきなり見詰められ、思わず頬を染めた彼女。だがすぐ、風紀委員(ジャッジメント)としての顔を取り戻して。

 

 

「あの犬コロは、また来る。完膚無く消し飛ばさねェ限り、何度でも」

「ですけれど……あの怪物は、わたくしの『空間移動(テレポート)』で飛ばす事はできませんでしたわ……」

「だったら、『他のもの』を飛ばしゃ良いンだよ。ほら、童話の北風みたく、服だけ飛ばして剥いちまうみたいにさ」

「貴方という人は……全くもう、こんな時にまで軽口だなんて、ある意味尊敬いたしますわよ」

 

 

 不敵に微笑んだ、その顔に。この場にそぐわない程、剽軽な。そんな彼に、黒子は────今までのように、軽い溜め息を吐いて。

 

 

『コウジ────』

 

 

────やれやれ。貴様は、また……是非もなし、か。

 

 

 そんな黒子の声ではない幻聴は、二つ。一つは純銀、嬉しさを微かに漂わせて。一つは影色、呆れ果てて。歪んだ鋭角、そこを睨む嚆矢の右側の視界の端に浮かぶ、二つの幻覚は。

 

 

『Gruoooooooo!!!』

 

 

 予測通り、再び過去から走り出したティンダロスの猟犬。やはり、黒子のみを狙って。青白い体液を撒き散らし、狂気染みた咆哮を上げて────!

 

 

「信じますわ、ええ……お姉様が、信頼なされる方ですもの、貴方は」

「はは、結局、御坂基準か……まぁ、そういうところが良いんだけどさ」

 

 

 生気を取り戻し、いつもの不敵さが戻る。そんな黒子の右腕が、嚆矢の刃金の右腕に重ねられる。白く温かな、小さな右腕。冷たく醜い、怪物の鉄腕に重ねられて。

 

 

『────そう。そう、なんだね。アナタは……うん』

 

 

 同じく、純銀の右腕が沿う。嚆矢と黒子の右腕に、重なるように伸びて──────

 

 

『Grrr──────?!!』

 

 

 煌めきが、満ちる。純銀の光、目映く二人の右腕に。虚空、引き裂くように。そして、猟犬は気付くだろう。虚空を掴むその鈎爪は、既に己の首を捉えている事に。今更、気付いても遅いのだが。

 

 

『Ga─────?!』

 

 

 そう、遅い────己の持つ『温度』が空間移動(テレポート)させられている事に、気付いても。

 既に、その身は氷点下。しかし、まだ動ける。怪物たるティンダロスの猟犬は、この世の法則では計れない。一歩、また一歩、獲物たる黒子に躙り寄り────

 

 

「無駄だ、怪物……お前には解らねェだろうが、この世で下がる温度には、限界があるのさ」

『Gi……?!』

 

 

 そこで、割れた。前肢、砕けて消える────!

 

 

『その温度が、絶対零度(アヴソリュート・ゼロ)。ヒューペルボリアを滅ぼした、零下の風……!』

 

 

 体が、崩れていく。全ての振動が凍結し、電子の動きすら停止した細胞が凍り腐れ、崩壊していく。

 そして、それは現在だけではない。遥か往古、一つの大陸を滅ぼした風は────猟犬の、今から繋がる過去の全てを凍て付かせ砕く!

 

 

「では────ごきげんよう」

 

 

 後には、身動き一つ無くなった猟犬の氷像が残るのみ。その、異形の彫刻に向けて。

 

 

「もう二度と会う事がないよう、祈っておりますの」

 

 

 黒子の飛ばした金属矢に、粉砕される。異形にしては、澄んだ音色を立てて。

 

 

『「猟犬が……ッ?!』」

「余所見してる場合かよ、古都────!」

 

 

 そして、古都の目の前に空間移動(テレポート)で現れた嚆矢。右腕、既に古都の右腕を掴んで。

 

 

『「くっ─────!』」

「どうした────決闘だろ? 俺と、お前の!」

「決闘……僕と、主将の……!」

 

 

 瞳が、開く。赤濁した、古都の瞳が。確かな────反骨心を持って。

 

 

 その時、近くのスピーカーから音楽が。柔らかな、優しい音色。それを聞いた、古都は……目に見えて、意思を取り戻す。嚆矢ではなく、自らの質量を増す。万有引力を味方に付けた彼の今の重量は、地球そのもの。

 

 

『どうした、ミヤコ────早く、奴を押し潰せ! お前は、我の言う通りに!』

「五月蝿い────黙れェェェェェ!」

『なっ────み、ミヤコ……きさ、マァァァァッ?!』

 

 

 瞬間、『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』が歪む。グシャリと一点にひしゃげ、古都の左掌と共に掴み掛かってくる!

 

 

「甘い──教えただろ、古都!」

 

 

 首の皮一枚で躱す、左手。しかし、引力に肉が幾らか抉り取られた。

 それでも、流れのまま────文字通りに。

 

 

「──────────ガ、はッッッッ…………!??」

 

 

 文字通り、『地球投げ』である。アスファルトに、蜘蛛の巣状のヒビが走るほどの威力で。自ら増した『万有引力』の為に、返って破壊力が増して。

 

 

「────理合は他人のだけ掴みゃ良い訳じゃねぇ。自分の理合こそ、常に掴め。そうすりゃあ、勝てずとも敗けやしねぇ……ッてな」

 

 

 一撃で昏倒させ、残心を示しながら。嚆矢は弟弟子に、いつかと同じ言葉を送ったのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。