Shangri-La...   作:ドラケン

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24.July:『The Masters』

 

 

 背面から路面に叩き付けられ、あらゆる意思が挫かれた。蜘蛛の巣状のひび割れを全方位に拡げ、震度2くらいの揺れを刻んで。

 全ての空気を吐き出した肺腑、吸う事を思い出せない。心臓、血液が一瞬だけ滞り、脳、考えるのを諦めた。

 

 

「──────────」

 

 

 見えている。自分を倒した、その男。何かを、口にした彼は。ただ、残念な事に。完全に震盪した脳では、その言葉の意味を理解できない。

 そもそも、彼は知らない。今、男が口にしたのは『空白』の言葉。エリンの地の古き言葉。口伝でのみ伝わる、門外不出の吟遊詩人の言葉だ。

 

 

 記憶を忘れる為の言葉だ。目の前の日本人離れした筋肉質な、天魔色の髪に蜂蜜酒色の瞳の男の。だから、ただ悔しく思う。あれくらい、自分も男らしければ、と。

 小さな頃から、女の子と間違われ(からか)われ、苛められ続けてきた彼が強さを求めたのは、『幻想御手(レベルアッパー)』や『妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)』に手を出したのは、そんな理由。

 

 

──ああ……やっぱり強いなぁ、主将は……。

 

 

 ただ、それだけを思う。学園都市にただ一人、能力(スキル)を持つ者ならば誰しもが無意識に行う『確率の取捨選択』を意識的に行う欠陥能力、確率使い(エンカウンター)異能力者(レベル2)

 手の届く内で、演算力が上ならば他人の能力の妨害や底上げすらする事も可能な、『()()()()()()()()()()』彼。付いた渾名は『制空権域(アトモスフィア)』。

 

 

──流石、『原石』……だ。

 

 

 恐らく、学園都市の能力ではない。少くとも、古都はそう考えている。そもそも、『運』の証明など現代科学ですら出来ていないのだ、それを『異能力(レベル2)』だとは、中々洒落ている。一体、どんな基準で『運』の強度を測ったのか。

 そんな折り、耳にした言葉。それが、『原石』。能力開発を受ける前より能力を備える、天然の異能力者。かの超能力者(レベル5)第七位(ナンバーセブン)もそうだとか、どこかの学区には研究所まで在るとか言う噂もある。そして、彼等は総じて稀有な能力を持つと。

 

 

──全く……せめて、とんでもなく強い能力に負けたなら、まだ諦めがついたってのに……。

 

 

 だが、だが。彼の能力は武威ではない。あくまで、支援程度。つまり、今回のこの敗北は────純粋な、鍛練の差。功夫の差。それだけの事。

 ただ、武技の練度のみの差であり、十分に巻き返せるもの。だから、こそ。

 

 

──諦めるな……貴方は、僕にまで……そう言っているんですね────……

 

 

 それは時間にすれば、一秒未満の出来事。断線する意識の最後の最後で、古都は────

 

 

………………

…………

……

 

 

 確実に昏倒させた古都に拘束用の手錠を嵌めてから視線を外し、溜め息一つ。まだ、何も終わっていない。その確認だ。

 

 

「向こうも向こうで、ヤバい事になってるみたいだな! 急ぐぞ、黒子ちゃん!」

 

 

 見れば、二キロ程先だろうか。原子力発電所の方に向けて────特撮映画の怪獣じみた、頭らしき場所にボロボロの『天使の光輪(エンジェル・ハイロゥ)』を備えた巨大な()()が、躙り寄っていっている。

 足元の建造物、薙ぎ倒しながら。いくらなんでも原発は洒落にならないと、嚆矢は疲労困憊の身体に鞭打つ。

 

 

「何を言ってますの。先ずは、貴方の怪我の手当てが先ですの」

「大した事無いって、こんなモンは唾付けときゃ治っアイタタタ……」

「それで治れば死人なんて出やしませんの、大人しくなさいな。第一────あそこには」

 

 

 対し、同じものを見ながらも落ち着き払った黒子。嚆矢の左腕を背中側に捻って膝と腰を折らせ────ブラックホールに抉られて結構な血を流す、彼の首にハンカチを当てる。

 そこに、漸く『遠見』の神刻文字(ルーン)が効いてくる。先ず、見えたのは……宙を舞う、一つのコイン。そして────右手を差し出す、茶色のセミロングの彼女は。

 

 

「お姉様……学園都市の第三位、『超電磁砲(レールガン)』御坂美琴、その人が居ますもの」

 

 

 コイン、弾かれて。収斂するローレンツ力が、対象を超音速へと加速して─────怪獣の体を撃ち抜く。あれこそ、御坂美琴の代名詞。

 最早、戦車砲クラスの破壊力だ。超電磁砲(レールガン)、怪獣の体内の、『何か』を吹き飛ばし、撃ち砕いて。

 

 

『…………………………!!!??』

 

 

 遠すぎて、風鳴りにしか聞こえないが……恐らく、『核』のような物を破壊されたのか、カタチを保てなくなった怪獣──後に『幻想猛獣(AIMバースト)』と呼ばれたもの──が、バラバラに崩壊していく。

 それは、まるで……生まれ落ちた命が、先ず上げるモノに。『産声に似ていた』と、何故かそんな、感傷的な事を思った。

 

 

「……男前過ぎるよなァ、アイツは。大体一人で何とかしちまいやがる」

「あら、そこがお姉様の素敵なところなんですのよ……今、警備員に初春が保護されたそうですわ。木山春生も、確保されたと」

「そっか……事案終了(QED)っと」

 

 

 息を吐き、どすんと腰を下ろす。黒子が押さえてくれていた首の傷、ハンカチが当てれたそれを、自分の左手で押さえる。代わりに、黒子は嚆矢の前に移動してしゃがみこむ。

 白いハンカチは、既に半分近く紅い模様に染まりつつある。アドレナリン全開で痛みなどはないが、結構な出血量らしい。

 

 

「そうでしたわ、右腕────あんな訳の分からないものに刺されて、大丈夫なんですの?」

「ん、あァ……何か、大丈夫っぽいね。ハハ、流石は『制空権域(オレのスキル)』だな」

 

 

 勿論、能力のお陰などではない。全ては、『あらゆる生命が大いなる輪廻の果てに、その御許へと回帰する』という“自存する源(■■=■■■)”が、その消化酵素の持ち主を『回帰』させたが為。

 あの『ティンダロスの猟犬(ハウンド・オブ・ティンダロス)』の過去から繋がる因子が、消え果てた為だ。そうでなければ、今頃もう、この命などは尽き果てていよう。

 

 

「何を馬鹿なことを……そもそも、わたくしを庇ったりするからそんなことになるのですわ! わたくしは大能力(レベル4)空間移動能力者(テレポーター)白井黒子ですのよ、放っておいて貰えた方が動きようが……」

 

 

 携帯で風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)、そして救急に連絡した後、ずびしっと人差し指を突き付けられて叱られる。

 しかし、その理屈はおかしい。そう、おかしいのだ。恐慌に陥っていて能力が発動していなかったとか、そんな事ではなく。根本から、間違っている。

 

 

「なに言ってンだよ、黒子ちゃん。風紀委員(ジャッジメント)の腕章に在るのは、『楯』だぜ?」

「そんなこと……分かっておりますの! わたくし達は、学園都市に住まう学生の楯……」

「いいや、分かってない。分かってねぇ、分かれよ。俺達はさ、『護る為に在る』んだから。先ずは仲間から護んねェと、そんな事も出来ねェ奴に────一体、誰を護れるってンだ?」

 

 

 強い意志の籠る、蜂蜜色の瞳。後輩を指導すると言う、ついさっきも遣った行為。母校でも、二年次からは遣れと先代主将に言われて。ほぼ毎日、行ってきた事だ。それを、黒子にも。

 

 

「……は……はいですの……申し訳ありませんですの」

 

 

 正論を述べられて恥じ入るように頬を染め、視線を逸らした彼女。その左の上腕、そこに嵌められた腕章を引かれて。

 それは、風紀委員(ジャッジメント)として認められた者にしか装備を許されない物。『戦う』のではなく、『護る』事を誓った者である証。

 

 

 それ以外は、例え、着用を許されていたとしても偽物だ。少なくとも、対馬嚆矢はそう考えている。

 

 

──つまり、己の事だ。この、偽善者が。あっちにふらふらこっちにふらふら、明部と暗部を行ったり来たり、どっち付かずの顔無蝙蝠(ナイトゴーント)め。

 

 

「────まぁそれは兎も角、この悪運がどうして女の子にモテる方面の才能に繋がらないのかと小一時間、俺の人生を脚本した神を問い詰めたいね、マジで」

「またそうやってチャラチャラと……はぁ、真面目にしていればそれなりですのに……」

 

 

 自嘲と照れ隠しを併せた、立て板に水の如き軽口に呆れた顔をしながら、黒子はトレードマークのツインテールに。より正確に言えば、その付け根のリボンに手を伸ばし────するりと解く。それを、止血帯として右腕に。

 

 

「黒子ちゃん────いいって、マジで。ホントにこんな傷、放っといても治るから」

「いいえ、キチンと手当てをしておかないと後で化膿したりと危険ですもの」

「ごもっとも……」

 

 

 意趣返しのように、今度は黒子が正論を述べる。無論、ぐうの音も出ない。荒事には慣れている為か、手際が実に良い。元々赤いとは言え、もうこのリボンは使えまい。

 

 

「悪い。礼は、必ずするから」

「それでは、いつまでも終わりませんの。結構ですわ」

 

 

 ストレートのロングヘアとなった彼女が、ふう、と息を吐く。妙に大人びた表情、髪を下ろすだけで印象がガラリと変わるのは女性の特権か。

 首の傷も、『治癒(ベルカナ)』の神刻文字(ルーン)のお陰で薄皮が張られた状態まで回復している。これなら、動くくらいは問題ないだろう。

 

 

「それと……」

 

 

 遠くから、車の音。どうやら、警備員(アンチスキル)が先に着いたようだ。しかも、装甲車と救急車。喧しいツートップだ。中から、十人近い完全武装の警備員が現れる。どうやら、あの怪獣の暴れた地点と勘違いしたらしい。

 状況説明の必要を感じ、嚆矢と黒子は立ち上がる。一斉に周りを騒音と人熱(ひといき)れが包んで。

 

 

「護ってくださって……ありがとうございますの」

「え──何? ゴメン、周りが五月蝿すぎて聞こえなくて……」

 

 

 だから、聞こえない。顔を背け、長い髪に表情を隠した黒子の言葉を、完全に聞き逃した。

 だから、首の傷が開かないように体ごと向き直って。

 

 

「別に、何でもありませんわ。この件は、貴方の『秘密』は、わたくしの胸の内に留めておくと。それだけですの」

 

 

 くすりと、朗らかに笑う。恐らく、知り合って間もなくの頃以来、向けられた笑顔。ただし、知り合って間もなくの頃よりも、近い距離で。

 だから、一瞬迷う。また、『空白』で消す事を。取り返しようもない、空虚を刻む事を。先程の古都のように、『魔術(オカルト)』に関する記憶を消そうと、その肩に伸ばしていた左手が、止まる。

 

 

「では、わたくしはお姉様のところに行って参りますわ。ごきげんよう、先輩」

「あ────」

 

 

 それを止められる訳もなく、空間移動(テレポート)で黒子は消えた。やはり、能力的に相性が悪い。触れないと何も出来ない、自分の能力と魔術の脆弱を思って。

 

 

「……莫迦が。秘密を共有したくらいで、なに喜んでンだ。餓鬼かよ────」

 

 

 悪態、吐いて。事情を聴いてくる男性警備員に、作り笑いで応じて。

 

 

「……餓鬼かよ、俺は」

 

 

 『贋物』で、『本物』を隠して。これで、後に『幻想御手(レベルアッパー)事件』として長らく記録を残す事件は、終わった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜の帳の降りた、崩壊した高速入り口の封鎖区域のある一点に。闇より尚濃い、その『影』は在った。ごぽり、ごぽりと泡立って。饐えた臭い、撒き散らしながら。

 

 

『オ、オオォォォォォノォォォォォレェェェェェェ…………ニンゲン、フゼイガァァァァァァ!』

 

 

 まるで、暗闇の深海から浮き上がるように……鋼鉄の装丁を持つ魔導書は、闇より沸き上がる。不快な粘塊の如き、闇から。

 怨嗟、撒きながら。呪詛、喚きながら。事象の地平線より脱出する際に著しく魔力を散じた為か、言葉すら明瞭ではなく。最早、誰がどう見ても悪性としか見えまい。

 

 

「お 困 り の よ う だ ね」

『────────』

 

 なれば、そんなものに気軽に声を掛けた者。それもまた、尋常の者では有り得まい。その存在、影より濃く。狂気よりも明白な、怪異である。

 

 

「手 を  貸 そ う か ?」

 

 

 鮫の如く、有り得ない笑顔を浮かべながら。深紅の瞳、燃え盛らせて。闇を従える────青き娘など……断じて。

 

 

………………

…………

……

 

 

 カタタッと、二度のタイプ音。一応のブラインドタッチで打つキーボードの、エンターキーをダブルクリックした音だ。

 

 

「あ~……やっと終わったぁ~……一年分はパソコン触った、もう嫌だ、もうやらない」

 

 

 呟き、仕上げた報告書を本部に送信して、嚆矢はのへーっと机に突っ伏した。そのせいで、画面には意味不明な文字の羅列が量産されていく。

 時刻は、既に二十時を回っている。事件の終息から今まで働き通しで、漸くノルマが終わったところだ。その量、実に四十ページ以上。『被害の規模やタイムテーブルも記せ』との本部からのお達しで、更に時間を食わされた。結局、一番割りを食うのは現場である。

 

 

「お疲れさん、先輩」

「なんだ、おむすび君か……せめて美少女に生まれ変わってから出直してきてくれ」

「コーヒーやんねーぞ、このロリコン先輩」

 

 

 『巨乳』Tシャツの同僚の差し出した紙コップのホットのドリップコーヒーは、冷房の効いた室内での事務作業に疲れた身に染み入るかのよう。

 有り難く啜りながら、パソコンのモニターを落とす。待機画面の黒いモニターに、疲れ果てた己の顔が映って。

 

 

「しかし、今回の事件はまた大変な位置に居たな。大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫、酷いのは見た目だけで深くなかったからさ」

 

 

 言い、包帯の巻かれた首の傷を擦る。医者からは『安静にしておくように』とも言われたが、結局は神刻文字(ルーン)による治癒で騙し騙し、復帰した。

 

 

お前(ロリコン)はどうでも良い、白井の方だ。何か、妙に吹っ切れたような顔をしていたんだが」

「だな。一体何しやがったんだよ、対馬(ロリコン)? 事と次第じゃあ、警備員(アンチスキル)に引き継ぎだぜ?」

「随分な言われ方だが……まぁ、良いさ。何せ、漸く黒子ちゃんと仲直り出来た俺は既に賢者モードだからな!」

 

 そこに声を掛けてきた、帽子に丸眼鏡の根暗そうな男とスキンヘッド。何なら、コイツらの方が、『不良学生』のような見た目の同僚達が。

 

 

「呆れた……やっぱり対馬先輩って筋金入りのロリコンね。本気でキモいんですけど」

「何とでも言うがいいさ! だけど、俺は絶対に変わらないからな!」

 

 

 最後に、バッグにペットボトルを大量に持つ長髪で目が窺えない女学生が溜め息交じりに呟いて。全て、後輩である。何なら、もう数年来の。つまり、気の置けない仲間内のじゃれ合いだ、これは。

 

 

「何が変わらないんです?」

「何が変わらないんですか?」

「何が変わらないんですの?」

「誰が何と言おうと、俺は年下好きだって事に決ま────って……」

 

 

 三人分の問い掛けにそこまで言って、錆びた鉄葉(ブリキ)の玩具みたく振り返る。無論、其処に居たのは後輩────固法美偉と、御坂美琴と白井黒子の三人。

 

 

「……御坂さん、白井さん。あまり近付かない方がいいわ、この変態には」

「お姉様、お下がりくださいですの。視線だけでも不浄ですわ」

 

 

 文字通りに『白い眼差し(クレアボイアンス)』である。眼鏡越しのと裸眼の、軽蔑の視線は。

 

 

「酷ッ! 変態は変態でも、嚆矢君は女の子に手を出した事なんてない変態紳士(ジェントルマン)でしょうが!」

「ハイハイ、対馬さん。寝言は寝てから言ってくださいねー」

「はい、傷ついたー……嚆矢くんのHPはもうゼロよ!」

 

 

 それら、全てを含めて。177支部の一室は、朗らかな笑いに包まれて……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜でも綺羅(きら)びやかな都市の片隅、暗がりの袋小路の最果て。其処に、切破風屋根の屋敷はある。息を潜めるように、或いは、傲然と。

 学園都市の成立よりもずっと前からあった、明治初期の古めかしい洋館建築。黒一色の、さながら匈牙利(ハンガリー)の森の奥に在ると言う、シュトレゴイカヴァールの『黒の碑(ザ・ブラック・モノリス)』の如く(そび)え立って。

 

 

「貴方が────」

 

 

 屋敷の男主人が。黒い肌の麗人が、或いは、燃え立つような瞳の魔人が口を開く。

 

 

「貴方がこうして────我が領域に踏み込むのは、何度目でしたか?」

 

 

 磨き終えたクリスタルグラスに、球形の氷を収めたグラスに、純喫茶では有り得ないもの。私物のブランデーを、最後の一滴まで注ぐ────魔導師が。

 

 

「さてな────思い出したくもねぇよ、こちとら」

 

 

 麗人に応えたまま、ロックのブランデーを傾けた男は────煙草を灰皿に躙った、隆々たる筋骨を革の外套で包んだ、サングラスの白人の偉丈夫は。

 

 

「ねぇ────“牡牛座第四星の博士(プロフェッサー・オブ・セラエノ)”?」

「なぁ────“土星の円環の師父(マスター・オブ・サイクラノーシュ)”?」

「──────」

 

 

 にこりと、笑い合いながら。傍らに冷や汗を流しながら臨戦態勢で立つ、口を挟む事はおろか息をする事すら苦しげな。何時でも腰の、一向に気休め足らない拳銃を発砲可能な構えの、『水神クタアト(クタアト・アクアディンゲン)』を携えた海兵隊上がりの美青年を完全に無視して。

 麗人は、摘まみとして軽食を。塩を振った落花生とピスタチオ、胡桃の盛られた皿を差し出す。白人は、それを一つ。カリリ、と齧りながら。

 

 

「貴方も、後進の指導で? それにしては、随分と風雅を解さない弟子達のようですが」

「殺し屋に風雅なんざ要るかよ。テメェの弟子みたく、周りくどい人格形成なんてのは、力の後でいい」

 

 

 久方ぶりに再会した昔馴染みと笑い合う、まさにソレ。しかし、端から見れば一触即発。身が震えるほど、心が凍るほど。魂が──狂気に、磨り減るほどに。

 それほどである。この二人は、紛う事なき『選ばれた魔書の主』達は。一切の、揺らぎなく────!

 

 

「それで? まさか、わざわざ酒を呑みに来た訳ではないでしょう?」

「当たり前だ。今回は、相互不可侵の盟約を結びに来た。テメェの弟子、殺すからな。面倒だから、手ェ出すなや」

「それはそれは、また」

 

 

 明らかに、理不尽を。しかし、それすらも楽しげに。

 

 

「こう言っては何ですが……私の弟子は、貴方の弟子達ではどうしようもありませんよ? そうですね、余りにも役者が違いすぎると言うか。なんと言うか」

「分かってらァ、クソッタレが。たかだか海神と空神の『旧支配者』兄弟どもで、造化の双子たる『外なる神』をどうこう出来るたァ、俺だって思ってねェよ」

 

 

 どん、と。カウンターに一冊の書を置く偉丈夫。それこそは、彼の携える魔導書(グリモワール)。その、()は──────

 

 

「俺が、殺す。俺自身の手で、な」

「おや、それはそれは─────」

 

 

 カロン、と。グラスが啼く。魔人二人の放つ瘴気に当てられたかのように、二つに割れて。

 

 

「まさか、子供の喧嘩に親が出張るとは。その無粋、貴方が一番嫌う行為だと思っていたのですが」

「嫌に決まってんだろ、餓鬼どもの遊びに首ィ突っ込むなんざ。だが、外なる神と来ちゃ仕方ねェ」

 

 

 まさに、辟易と。だが、爛々と。久々の獲物を前に、舌舐めずる鮫の如く牙を剥いて。

 

 

「殺すぜ、あの“影”は。悪心の粋たる、法の敵(アウト・ロー)は。俺の手で、な」

 

 

 男────かつて、暗部すら生温い『世界の闇』で名を馳せた『博士』は、星よりの風を纏いながら。

 

 

「どうぞ、ご自由に。しかし、手前味噌ですが────強くはありませんが、厄介ですよ。コウジ君は」

 

 

 男────かつて、暗部すら生温い『世界の闇』で名を馳せた『師父』は、星よりの風を纏いながら。

 

 

「決まりだな。んじゃ、お愛想といくか。『ヨグ=ソトース』まで在るとなりゃあ、流石に『準備』が要るモンでなァ」

「ええ。ご武運を。精々、死なないように祈ってますよ。何なら、我が『神』は貴方を受け入れる用意がありますので」

「ハッ────讃美歌(キャロル)でも歌ってくれるってかい? 御免だね、何にしても」

 

 

 『今日一番面白い冗談だ』と笑って。白い男は、飲み干したブランデーボトルの代金を支払って席を外す。

 最早、話す事は無いと。話は終わったと、全てを嘲笑いながら席を立って。

 

 

「じゃあな。二度とは会うまいよ、“エイボン師父”」

「ええ。それではさようならです、“シュリュズベリィ博士”」

 

 

 永訣の言葉を交わして、全てが終わる────────


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