Shangri-La...   作:ドラケン

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26.July:『Necromancer』

 

 

 現在時刻、十九時。幾ら長い夏の昼とはいえ、この時間になれば夜の気配の方が強くなる。昼間と比べれば幾分はマシになった空気の熱、しかしまだ、アスファルトから立ち上る熱気が通行者を苛んでいて。

 

 

『やっぱり革靴はあっついニャア、水虫が恐いナ~ゴ』

「ちょっ、汚っ! てか臭っ! 結局、近づくなって訳よ」

「さっさと超消臭(ファ●)ってください」

『ふ、二人とも酷いニャア……ジャーヴィス情けなくて涙出てくるナ~ゴ!』

 

 

 人目を引く、黒猫頭の長身の男。名前通りに脚の長い黒ずくめの男(ダディ・ロングレッグ)と、小娘二人。

 靴を片方脱ぎ、ケンケンしながら足に涼を取っていた彼に、鼻を摘まむフレンダと最愛は揃って反抗期の娘かなにかのような事を口にして。

 

 

「ところでジャーヴィス、あんた、その格好で本当にやる気?」

『ンニャ? 勿論そのつもりニャア、何処かおかしいナ~ゴ?』

「恋愛物の映画を一人で見に行く超勇者ですか、貴方は」

 

 

 当たり前●のクラッカーである。こんな目立つ格好でスニーキングミッションを行うなど。南米のジャングルで段ボール箱を被って『迷彩』と言い張るようなものだ。

 要するに、否、要しなくてもモロバレだ、スネーク。

 

 

『心配しなくても、ほら、こうすれば……ニャアゴ』

 

 

 パチン、と影の鋼が形成する猫の爪先が鳴る。まるで、刃と刃をぶつけたような音色と、眩めく火花と共に。

 その火花は、彼が銜えた煙草の先に。万色の紫煙を撒く、その源に。

 

 

「「────!?!」」

『どうかニャアゴ?』

 

 

 その、顔容……見覚えの有るその顔は────黒猫の頭と手にダブルのスーツ、肩にロングコートを羽織った姿の。

 

 

「……え? 絹旗……結局、何か変わった訳?」

「……いえ、フレンダ。超前のままですね」

 

 

 二人の声、勿論、そのままの彼の姿に困惑して。しかし、変わったと言えば確かに。確かに、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「これって……」

『ニャハハ、簡単ニャア、フレンダちゃんと最愛ちゃん以外でオイラを見る奴……正確には『オイラを見る自覚をした奴』には、ごく普通に見えるように視角情報を誤認させてるナ~ゴ』

 

 

 なるほど、確かに。そうとしか思えない、不思議な現象である。何やらちらりと此方を見た通行人は、二度見をした後で首を傾げて歩き去っていく。

 そう言う『欺瞞』のルーンを刻んだだけであるが。今は夜だ、このくらいの魔術(オカルト)行使ならお茶の子さいさいである。

 

 

「相も変わらず、結局、あんたの『正体非在(ザーバウォッカ)』って訳分かんない訳よ」

「超摩訶不可思議です……というより、私達にも同じように超擬装すれば良いのでは?」

『そんなに誉められるとオイラ照れちまうニャア、後、正体を誤解されたら面倒ナ~ゴ。オイラ、本当のオイラでフレンダちゃんと最愛ちゃんに振り向いて欲しいのニャアゴ』

「結局、キモい訳よ」

「超キモいんで寄らないで貰えます?」

『照れちゃって~、可愛いニャアゴ』

「「マジキモい」」

 

 

 と、大柄な体をお道化させて。端から見れば、軟派な大男が女子高生と小学生に言い寄っているようにしか見えまいが。

 それにしても、情けない話だろう。そんな状況を前に、誰もが無視を決め込んでいる。世渡り上手と言うか、意気地無しと言うか。

 

 

『リアルなトーンは流石に傷付くニャアゴ……しかしてダイヤモンドが砕けないように、彼女いない歴=年齢のこのジャーヴィスは諦めニャア! 即ち、先ずは三人であそこのカラオケにでも行こうナ~ゴ』

「とりあえず、ビチグソと比較されたダイヤモンドに超謝ってください……そして、超自殺志願者ですか、あんた?」

「……アンタねぇ、そんなに原子崩し(メルトダウナー)されたい訳?」

 

 

 残念ながら、この学園都市にそんな状況に介入する意気地を持つ者は極僅か。有り体に言えば、学園都市二八〇万人の内の七五〇〇人、五二〇分の三程度には居るやも知れぬ。

 即ち、五十人に満たないこの道のりに居る可能性は度外視できるのである。それでなくとも、手に届く内ならば『賽子(かくりつ)を何度でも()()()()()』の持ち主だ、彼は。

 

 

『決まってるニャア、挑む事にこそ意味が』

「──そこらで止めなさいよ、大の男が見苦しい」

「そうやねぇ、最近の若者としてはハングリー精神は見上げたもんやけど」

「引き際を弁えるのもまた、良い男の条件だにゃ~」

『あるん……ナ~ゴ?』

 

 

 突如、背中の側から掛けられた声。凛とした、確かな自己を持った声だ。振り返る、人の神経を逆撫でするかのような困惑の猫面(ショゴス)をわざとらしく浮かべた、性悪猫(チェシャ=ザ・キャット)が。

 

 

──驚いた。いやマジで。見れば、三人。俺はどうやら五二〇分の三の確率を引いたらしい。どうせなら、宝籤(たからくじ)か何かに当たりゃあ良いものを。いや、俺が宝籤なんて買おうモンなら特等から独占できる。即座に警備員(アンチスキル)がすっ飛んでくるだろうが。

 まあ、個人的には、()()()()()()()の部類だが。

 

 

 最近、見た覚えのあるその制服。白い半袖のカッターに紺色のスカート。そして、同じ配色のカッターにスラックス。彼にとって、学校名とは『部活』の看板。即ち──名も知らぬのであれば、十把一絡げの凡百な『とある学校』の制服となる。

 

 

「ああん、助かりますぅ……急に絡まれちゃってぇ」

『フレンダちゃぁぁぁん?! それは洒落になんないニャアゴ!』

 

 

 よよよ、と芝居を打つフレンダ、黙して従うだけの最愛。一気に周りは敵だらけに。何なら、今まで見ず知らずを貫いていた通行人までもが、此方に非難の眼差しを向けてきた。甚だ厚顔な話である。

 学校帰りか、はたまた。しかし、真面目そうな黒髪ロングの少女に如何にも不真面目そうな金髪グラサンと青髪ピアス。どんな取り合わせか、と心中で首を傾げて。

 

 

『おおっとこれはこれは……ご紹介が遅れましたニャア、素敵なお嬢さん、オイラはMr.ジャーヴィスと申しますナ~ゴ』

「なっ────?!」

 

 

 だが、些末な事だ。彼にとって、全ては単純明快──ただ唯一、それが女性かその他か。それ以外には無く、また、女性には礼を尽くす以外にも無い。

 真ん中の少女……随分と立派な『二物(むね)』をお持ちな、気の強そうな黒髪の少女の前に跪いての、英国騎士気取りの恭しい自己紹介。無論、フレンダと最愛に取っては、相変わらずニタニタ笑う性悪猫が少女らを小馬鹿にしている以外には見えないが。彼女らに取っては、大の男が真面目腐ってそんな事をしている訳である。

 

 

「ちょっ……いい加減にしなさいよ、貴様! 見た目で舐めてると、痛い目に!」

『そんな真逆(まさか)ニャア、素敵だから素敵だと言ったまでナ~ゴ』

 

 

 ぶん、と振られた少女の学生鞄を躱す。結構な勢いだったが、知り合いの致死レベルの竹刀や張り手に較べれば児戯も児戯。合気を使うまでもなく軽く見切り、適切な距離を保つ。

 

 

「おやおや、こいつはかみやんに強大なライバル出現だにゃー」

「──煩せェンだよ、クソムシ共。口ィ業務用のホチキスで永遠に閉じてブチ(ころ)がすぞ、ボケが」

「ああ、男に対してはSなんやねぇ……」

 

 

 ニタニタと。いつも通りに人を小馬鹿にした、『猫の無い笑い』を浮かべて。道化のように軽やかに、ステップを踏みながら。目をやった先、そこに瞳を凝らして────一つ、盛大に舌打ちして。

 

 

──まぁ、こんな奴等が居るんなら。まだまだ、この都市も捨てたモンじゃねぇのかもな……。

 

 

 等と。ひたすらに検討違いな安堵をしながら踵を返す。向かう先は、路地裏の影。彼の、本来の居場所。紛れ込むべき汚濁の掃き溜めであり、慣れ親しんだ場所。

 ほんの数年前までの、彼のホームグラウンド。そして、今また帰った暗部。だからこそ、目立って仕方がなかったから。その瞳には、目映く映るからこそ。

 

 

「全く……だから、そう言うサイトは覗くなッつったのによォ!」

 

 

 ふらふらと、正に不自然の極み。呆然自失の体で、有り得ない時間に有り得ない場所を歩いている……佐天涙子の姿を見たからこそ。

 

 

「あ、この……待ちなさ──!」

「ほっとくにゃー、この先は流石に」

「せやねぇ、この辺はもう治安悪い時間やし。女の子には、特にね」

 

 

 それを追おうとした少女。しかし、それを金髪グラサンと青髪ピアスが押し止める。黒髪ロングの少女は、とみに気分を害したらしい。不機嫌面で。

 

 

「……ほんと良いこと無いわ、最近……上条(アイツ)の不幸癖でも伝染ったのかしら」

 

 

 毎日毎日気が滅入るほどに景気の悪い同級生(クラスメイト)の陰気な顔を思い出しながら、『吹寄 制理(ふきよせ せいり)』はため息混じりにそんな事を呟いて。

 側に居た筈の金髪碧眼の少女とフードの少女の二人が消えている事にも、気付かずに。

 

 

………………

…………

……

 

 

 涙子の消えた路地裏を走りながら、『影』に潜む使い魔(ショゴス)に命じる。浮かび上がる無数の目や複眼、あらゆる感覚器官による敵や無関係な人間、或いは不審な物体への警戒を。その間、己は────ステイルのカードに魔力を流し、魔術的な警戒を。

 首から下げる兎の脚(ラビッツフット)の護符に刻まれた『大鹿(ベルカナ)』のルーンの恩恵を受ける健脚は、紺色の暮れ空より見詰める目印(ほし)の如き黄金の煌月、その放つ道標(みち)の如き純銀の月影にしか照らされていない路地裏の薄暗い悪路を軽々と踏破する。背後に笑う、悪辣な虚空を知らぬまま。

 

 

『てけり・り!』

「チッ────!」

 

 

 そして、何とか認識した。辛うじて、()()()()()()を。

 警告と焦燥に従い、涙子の背中を見詰めたままに身を捻る。涙子の肩に伸ばしかけた右手をがむしゃらに引き戻し、一回転しながら右肩を背後に反らす。大袈裟なくらいに。

 

 

 その空間を目にも留まらぬ速さで、『()()』が貫いた。

 

 

「クソッタレが────何だ、ありゃあ!?」

 

 

 本来ならば、見る事も叶わない速さだった。拳銃弾などは及びもつかぬ、ライフル弾でもまだ遅い。さながら、衛星軌道を回るという宇宙塵芥(スペースデブリ)の如き速さで頭の有った空間を貫徹した、その────。

 

 

雀蜂(スズメバチ)────じゃねェよなァ、あンな化物!」

『────────────!』

 

 

 怖気と共に吐き捨てた通り、尾節に黒い棘を備えたその姿は、全体的には確かに蜂にも見える形状だろう。大型犬ほどもある蜂が居れば、だが。そしてその忌まわしい菌類じみた頭部には、眼も鼻も口も触角も見当たらない。だが、言語すらないのに明確に敵意と害意を、そして悪意を伝えてくる嘲笑じみた雰囲気がある。我々人類が、足下に這いずる害虫を見付けた時のような。

 そんなあやふやな姿を、一瞬だけ。ショゴスの複眼による恩恵、昆虫じみた動体視力をテレパシーによって得た事で、掠め見た気がした。

 

 

「今のは……何て、気にしてる場合じゃねェか」

『てけり・り! てけり・り!』

「ギャーギャー煩せェって……分かってらァ!」

 

 

 そうして、辺りを見回す。先程から、がなり立てるかのように鳴き喚くショゴスの声に、身に刻むルーンに。

 凝り固まる澱のような暗がりに消えた『化物』を見据え、その右手に『賢人バルザイの偃月刀』を握り締め────る事もなく、一顧だにせずに涙子の消えた隘路にその後を追って走り出す!

 

 

 当たり前だ、彼にとって優先すべきは『女の子』の方。『化物』だとか、知った事ではない。そんなものは二の次だと、己の信念(ゲッシュ)に従ったまでの事。

 

 

『────────?!』

 

 

 だから、泡食らったのはその『化物』の方だろう。まさか、ここまで意味ありげに登場しておいての無視を受けるなどとは。今の今まで、能力者にしろ魔術師にしろ()()()()()如きを狩る際には一度たりとも無かった事だ。どんな『馬鹿者(いけにえ)』も己を前にすれば平静を失い手向かいながら逃げるか、或いは狂うかしていた。

 それを、一顧だにせずに逃げの一手などと。有り得ない、と。『化物』は自らの自尊心に掛けて再度、突撃し────ニタニタ笑う猫顔を『本来の顔』に戻し、天魔色の髪を靡かせて反転しながら突き付けられた、漆黒の南部拳銃の照星を睨む蜂蜜酒色の瞳に捉えられた事を知る。

 

 

 そこは隘路、横の移動では避けきれぬ。かと言って、縦移動こそは射手の思う壺だろう。一発を受けて足を止めれば、追撃により仕留められかねない。ならば、取るべき手段は一つ。更なる加速、それによる突破。一発を受けようとも、一度最高速度に乗れば問題はない。若しも死ねども……その死骸の質量と速度は、縦回避すら出来ぬ獲物を穿ち殺すだろう。即ち、どう転ぼうが問題はない。

 問答無用の最高速度(トップスピード)、そこに至った『化物』が一気呵成に特攻する。見苦しいまでにひた走る、獲物に向けて。食らう一撃、腸まで食い込んだ銃弾にも構わず────

 

 

『────────??!』

 

 

 そして、己の浅はかさを悔いる。そもそも、敵対者はそんな事は折り込み済みだった筈だ。この『化物』を相手にする以上、そのくらいの分別はつけていた。

 そうだ、つまり最初から『必殺』を期して。その銃弾は最初から────『呪いの粘塊(ヨグ=ショゴース)』であり。

 

 

『────てけり・り』

Gyyyyyyyy(ギィィィィィィィィ)?!』

 

 

 その人知を越えた体内から、『化物』を……牙と臼歯の乱杭歯をガチガチと鳴らす、人知を越えた『より悍ましい化物』が喰らい尽くす!

 

 

 風船が萎むように、体内に向けて消え果てた『化物』から一つの混沌が帰ってくる。再び一切を顧みず、走り続けていた嚆矢の元に。

 勿論、最初に述べた通り嚆矢に取ってはどうでもいい事だ。だから、大して反応せずにそれを受け入れて。

 

 

「“ヨグ=ソトースの時空掌握(ディス=ラプター)”────!」

『てけり・り』

 

 

 目の前の涙子、その身柄を拘束しようとしていた()()()()に向けて。

 

 

Gyaaaaaaaa(ギャアアアアアアアア)!!?』

 

 

 握る『賢人バルザイの偃月刀』により発した空間歪曲、その負荷により捩じ切れた目の前の空間と共に、もう一匹が断末魔を上げながら虚空の裂け目に貪られ消えた。

 そうして、何とか捕まえた涙子。肩に手を掛け、無理矢理に振り向かせてみれば────虚ろな、まるで夢遊病か催眠術で操られているかのような、無気力な瞳がこちらを見た。

 

 

「チ────」

「ん────あ……?」

 

 

 偃月刀を投げ棄て、その目の前で柏手を鳴らす、『解呪』のルーンを刻んだ掌で。それにより、正気を取り戻した涙子が、短く呻いて。

 

 

「あふ……ふぁぁ~……おはよう、初春……」

「いや、違うから。嚆矢君だから」

 

 

 等と、欠伸を漏らしながら気の抜けた言葉を。ともすれば、『本当に寝ていただけなのではないか』と危惧しそうな程に。

 

 

「こうじ……嚆矢……ファッ!? つ、対馬さん?! ど、どうしてここに!?」

「それは此方(こっち)の台詞だって、佐天ちゃん? こんな時間にこんな場所で、何してんだか」

「こんな場所って……あれ、私、言われた通りに病院の薬を飲んで……どうして、こんなところに?」

「だからそれ、此方の台詞だって」

 

 

 先ずは泡食った涙子だが、言われて辺りを見回して……首を傾げる。よくよく見れば、パジャマ姿。あからさまな異常事態であろう。こんな姿で、彼女の住む寮から歩いてきたなどと。

 

 

「兎に角、寮まで送ってくよ。ほら、これ着て」

「うっ……す、すみません」

 

 

 黒のロングコートを彼女の肩に掛けてやり、スーツ姿で笑い掛ける。通常ならば、こんな蒸す夏夜にそんな厚着をしている人間などいないと気付くのだろうが。今の涙子は、理解が追い付いていないようであるが。

 

 

「まぁ……取り敢えずは────」

『てけり・り。てけり・り!』

 

 

 その笑顔のまま、影に潜むショゴスの警告とルーンの警告が続く。危機感に従い、振り向きながら伸ばした右腕で────飛んできた火の玉を、合気により右斜め上に投げ逸らす。

 

 

「ッ……熱ィな、クソッ!」

 

 

 前後の闇、そこから歩み出す者達。現れたのは二人、若い女二人。制服から、どちらも長点上機学園の学生らしい。ふらふらと、先程の涙子と同じ様子。しかし、一つだけ違うところがある。

 

 

「お、おォォォォォ……」

「ウぅウぅぅぅぅウ……」

 

 

 虚ろな、などと生易しい話ではない。死んだ魚そのものの、濁りきり腐りきった瞳。肌もまた、屍蝋の如き蒼白。そして──呻き声を漏らすだけの、意思の欠片すらない表情。どう控えめに見ても話が通じる訳はないし、そもそも────生きていないと、ショゴスの感覚器と嚆矢の勘の二つが同じ結論を出した。単純だ、()()()()()()()()人間が生きているはずはない。

 だと言うのに、意思表示はハッキリと。差し出された片方の右手には炎を、もう片方は周りのゴミやら何やらの当たれば洒落にならない物を浮かせている。明確な、敵対行動を。

 

 

──発火能力(パイロキネシス)……(いや)火炎放射(ファイアスロワー)念動能力(テレキネシス)か。オーソドックスだが、面倒だな……。

 

 

「な、何ですか、この人達……何か、明らかにヤバイっぽいですけど」

「気にしなくていいよ、ほら、あれじゃね? 薬中かな?」

「これっぽっちも腑に落ちないご説明、ありがとうございます……」

 

 

 不穏な空気を纏う学生らから壁際に涙子を庇い、立つ。何度も述べた通り、彼にとって優先すべきは『女』だ。幸いとでも言えばいいのだろうか、どうやら『()()()()()()()()()()()()()』らしい。敵意を向けたところで、“誓約(ゲッシュ)”は働かない。有り難い話だ、心置き無く潰せる。

 不意に、背中に掛かる圧力。何の事はない、怯えた涙子が他に頼るものもなく、身を寄せただけ。ただ、それだけの事だ。他意などはない。

 

 

「心配無用、大丈夫。俺の理合(バリツ)は、科学程度にゃ破れない。否、もしも魔術が有っても、俺の理合の前には……たまさか得たチカラなんざァ、一から鍛え上げた俺の練武(アーツ)の前にゃア、風に吹かれる塵以下!」

「対馬さん……」

 

 

 だからこそ、奮い立つ。長点上機学園はもともと不倶戴天の仇敵であり、更には背後に護るべき者。男として、武人として。これで奮い立たなければ不能野郎(インポテンツ)である。

 悪辣に口角を吊り上げながら五体にルーンを、辺りの闇にショゴスを紛れ込ませて。戦意は十分、備えにも憂いなし。天魔色の髪を夜風に遊ばせ、闇に煌めく蜂蜜酒色の髪を嗜虐に歪めて。

 

 

「さぁ……て。そんじゃあ」

 

 

 構える火炎放射と念動能力、その左右からの攻撃、全てを捉えて。

 

 

「モテる男は辛いねェ。来な……遊んでやるぜ、可愛娘ちゃん達!」

 

 

 皮肉げに、或いは心底、生前に出逢えなかった事を悔やみながら。右手に偃月刀、左手に南部拳銃を構えて。その歩く死体(リビングデッド)達を、迎え撃つ─────!

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 夜の闇に目を凝らす。街灯など無い路地裏の深い闇の最中で、饐えた空気を引き裂きながら飛来する『それら』を見逃さぬように。背後の彼女に、怪我一つ負わせる訳にはいかないと。

 

 

「目ェつむってな。すぐ、終わらせるからさ」

「は、はいっ」

 

 

 闇の彼方より認めたのは五つ。空き缶に大きめのボルト、車のホイールに打ち捨てられた立て看板、そして金属製のゴミ箱。後半になればなるほど、当たれば洒落にはならない。

 

 

「────!」

 

 

 だから、問題はない。何故ならば、その身に染み込ませた練武(アーツ)こそは合気道。加えて、かの英国探偵騎士(サー・ホームズ)がライエンバッハの滝より生還する際に用いた『理合(バリツ)』を標榜する隠岐津流。故に、生還する事こそがその真髄。

 

 

 右手を前に大きく突き出す、独特の構え。今回は、装甲として纏わずに偃月刀を握って。そのしなやかな刃先で、念動能力(テレキネシス)により飛来する危険物を次々と受け流(パリィ)していく。勢いは弾丸そのもの、少しでも加減を誤れば腕ごと持っていかれるだろう。

 それを可能としたのは、今どき『鍛冶師(ブラックスミス)』などと言う骨董品じみた職に就いている義父(ちちおや)から仕込まれた鍛冶師としての最低限度の剣術(おぼえとこころがまえ)があればこそ。

 

 

 それらの間隙を縫う『火炎放射(ファイアスロワー)』の放つ炎の(つぶて)もまた打ち払い、綱渡りの如くタイトな重心と理合の鬩ぎ合い。舌打ったのは、ゴミ箱で。運悪くか、それとも(はな)から狙っていたのか。中身の空き缶がバラ撒かれ、アルミとスチールの入り交じった散弾じみて降り注ぐ!

 

 

「────」

 

 

 ついつい、癖で『クソッタレ』と叫びたくなるのを口内で噛み殺し、堪える。背後の彼女に、ぎゅっと目をつむって震えている涙子に不安を与えぬ為に。代わり、周囲に潜むショゴスにテレパシーで命じる。

 

 

(もしこれでもう一人が『量子変速(シンクロトロン)』だったらと思うと、冷や汗モンだぜ……全弾捕捉(マルチロック)迎撃排除(インターセプト)────出来るな?)

『てけり・り。てけり・り!』

 

 

 言われるまでもない、とばかりに有りもしない胸を張ったかのように。宵闇に版図(カラダ)を広げたショゴスが、主の求めに応じて『防御(げいげき)』を為す。

 複眼にて、狙いを定めて一息に。飛び出したのは、影の速度を持つ牙や爪、骨といったモノによる弾幕。しかもそれらはショゴスその物であればこそ、自在に空間を疾駆(ホーミング)しながら次々に空き缶を穿ち、喰らう────!

 

 

「──“ヨグ=ソトースの空間掌握(ディス=ラプター)”!」

 

 

 最後に、空間ごとゴミ箱本体を捩じ斬る────よりも速く、ゴミ箱が引き戻されて歩く死体(リビングデッド)の前に滞空する。その意味を図りかね、嚆矢はゴミ箱の方を睨み付ける。

 しかし、おかしい。そう、おかしいのだ。何故ならば、『念動能力(テレキネシス)』使いは()()()()()()彼方(あちら)は、『火炎放射(ファイアスロワー)』の筈なのだから。

 

 

 その疑念に答えるように『火炎放射(ファイアスロワー)』が、ゴミ箱に触れる。強固な金属製の直方体の箱、それが……融解し白熱、沸騰した液体金属の塊になるのにそう時間は掛からなかった。

 その意味に気付いた瞬間の『クソッタレ』も、何とか呑み込んで。振り撒かれた灼熱の溶鉱に備えて第一防呪印『竜頭の印(ドラゴンヘッド・サイン)』を発動する。

 

 

「ッ────!!」

 

 

 撒き散らされた灼熱の散弾を、空間に浮かぶ魔法陣が防ぐ。先程の空き缶によるモノとは較べるべくもない範囲と個数、そして殺傷力。『竜頭の印』が軋み、燃え尽きつつも防ぎきった。後に残ったのは焼けた壁と路面、呼吸すら苦しい熱気のみ。

 だが、何よりも面倒なのは────それが一部に過ぎず、まだ四つの金属液球が浮いている事!

 

 

(クソッタレが……あれじゃあ、四発目で殺られる……!)

 

 

 確かな事だ。何故ならば、この熱金属液塊を操っているのは『念動能力(テレキネシス)』。『火炎放射(ファイアスロワー)』は、手を出していない。

 

 

 では、どうするか。簡単だ、殺られる前に()()()()()()()

 

 

 その結論に従い、『念動能力(テレキネシス)』に向き直る。見ればその死人は答えるかのように、真っ直ぐにこちらを向いており────

 

 

「────が、ア?!」

 

 

 視界が歪むかのような、衝撃を感じた。その刹那、目ではなく、耳からでもない。直接、脳味噌に情報が流し込まれてくる。こちらの都合などは当然にお構い無し、廃人になろうと構わないとばかりの圧力で。

 

 

(────讃エヨ、遥カナル惑星とぅんっあノ鐘ヲ! 崇メヨ、壮麗タル鐘ノ音色ヲ! 偉大ナリシ、我ラガ“嘲笑ウ大吊リ鐘(ンガ=クトゥン)”ヲ!!)

 

 

 幻視する異星の風景と信仰、幻聴する人外の声色と思考。まるで、激流の最中の木の葉のように意識が揉まれて消えそうになる。

 それを何とか、膝を付かずに。ルーンの加護と食い縛った歯が頬肉を食い破る痛みで辛うじて堪え忍んだ。堪え忍んで、思考を高速で回転させる。

 

 

巫山戯(ふざけ)やがって……『念動能力(テレキネシス)』じゃなくて『精神感応(テレパス)』だと?!」

 

 

 『精神感応(テレパス)』、即ち他者との精神活動の共有を可能とする能力。それを今、受けたのだ。無論、それだけならば不快な程度だろう。人間同士であれば、だが。

 つまり、草食獣に肉食を強制したとでも言うべきか。受け付けないものを押し付けた結果、破綻しかけたのである。

 

 

 否、それも問題ではない。問題なのは────

 

 

「『二重能力者(デュアルスキル)』だとでも言う気かよォ、あの女は」

 

 

 吐き気を呑み込んで、睨み付けた先。ぎこちない動きで立っているだけの、蠢く死体を。

 

 

 有り得ない事だ、一人の人間が二つの能力(スキル)を持つなど。。理論として否定された、学園都市の常識の一つ。科学全盛のこの世において、絶対の(みことのり)だ。

 だが、知っている。能力(スキル)では無理でも、魔術(オカルト)ならば幾らでも持てる。では、あの娘は魔術師だった?

 

 

 それこそ、莫迦な。あの制服は長点上機学園の物に相違無い。置き去り(チャイルドエラー)なら兎も角、この学園都市で能力開発を受けていない学生など居ない。

 そして能力開発を受けた者は、余程の幸運と能力に恵まれない限り、生涯、魔術は使えない身体となるのだ。例外こそあれど。

 

 

──(いや)、違う。死人には、演算を必要とする能力(スキル)も生命力を必要とする魔術(オカルト)も使えない。つまり────

 

 

 だから、結論に辿り着く。あのゾンビが使う技は。

 

 

(全天周警戒……捜すぞ、ショゴス! 必ずどこかに術者がいる!)

『てけり・り。てけり・り!』

 

 

 使役する魔術師、それを叩く。確かに、『誓約(ゲッシュ)』は死体には働かない。今なら、問題なくあの死体を『葬る』事も出来る。しかし、都合が良すぎるのだ、何もかも。まるで、(あつら)えられたように。何か、裏がある。致命的な罠の気配を感じた。

 

 

「あ、あの、対馬さん……」

「ああ、涙子ちゃん。もう少し待ってくれ」

 

 

 背後の涙子の不安げな声に、漸く思考を切り上げる。余り不安にさせるものでもない、わざと名前で呼び掛けて、安心させようと。実のところ、進退窮まっているだけだが。

 

 

「────ッ……!」

 

 

 刹那、第二防呪印『キシュの印』と第三防呪印『ヴーアの印』を発する。その身体は『念動能力(テレキネシス)』に縛られ、更に精神を『精神感応(テレパス)』に掻き乱されて。もう一方のゾンビ、『火炎放射(ファイアスロワー)』だけではない。浮かぶ灼熱の液体金属、それを操る『液体操作(ハイドロハンド)』か何かの使い手。その放った炎の礫と、長く延びた溶鉱の鞭打に。

 精神攻撃と物理攻撃の持ち分け、大したコンビネーションだと舌を巻きながら。

 

 

「……ッ……さて、そろそろ本気でいくか。きな、お嬢さん達?」

 

 

 残る防御は最終防呪印『竜尾の印(ドラゴンテール・サイン)』のみ、対して敵には『火炎放射(ファイアスロワー)』と残弾二発の液体金属、加えて『念動能力(テレキネシス)』による拘束と『精神感応(テレパス)』による精神破壊。ほぼ、()()の状態だ。

 だからこそ、奮い起つ。今、倒れてはいけない。背後の彼女の為? 確かに、それもある。だが、何よりも────対馬嚆矢は変態紳士(ジェントルマン)だ。例え死体でも、それが女性であるのならば。

 

 

「……終わりに、してやる」

 

 

 黄金の蜂蜜酒色の瞳、輝かせて。目の前の死体二つに憐れみを。望む望まざるに関わらず、『あるがままの人間』として終わらせる為に。その自我(エゴ)を、貫き通す!

 

 

飢える(イア)────飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)!」

 

 

 放たれた溶鉱と火炎礫、拘束と精神破壊を『竜尾の印』が阻み、砕けた。最早、残るは生身だ。抗いようもない。

 だが、知るが良い。砕けた四つの印は、虚空に消えた。四つの御印は、『この世ならざる虚空』に御座(おわ)す『神』に届いたのだ。

 

 

 泡立つように、ショゴスが虚空に球を為す。やがてそれは、導かれるように形を成して。

 

 

「来たれ────ヨグ=ソトースの十三の球体従者(御遣い)。汝が名は『エリゴル』、鉄の冠を頂く赤い男なり!」

Ka()────kakakakakaka(カカカカカカ)!』

 

 

 現れ出た悪魔の一柱、赤い道化じみた矮躯の男。まるで戯画のような無茶苦茶なデザイン、見れば間違いなく精神に異常を(きた)そう。()()()()()()であれば。

 

 

『人が壁をすり抜ける確率は、如何に』

「……ックソッタレ」

 

 

 その囁きが耳を打つ。恐らくは、嚆矢以外には理解できまい。エリゴルの加護は、『戦いの知識とこれから起こる戦い』。役目を果たしたエリゴルが消える。後には、力を使い果たしたショゴスが残るのみ。これで、もうショゴスの防御も使用不能。だが……切り札足り得ない。意味の分からなかった言葉など。

 

 

(『人が壁をすり抜ける確率』……ンなもン、有る訳が!)

 

 

 そして、止めの一撃が放たれる。四つの能力による挟み撃ち、明らかな過剰威力(オーバーキル)が、嚆矢に向けて、構えられて。

 

 

「……『トンネル効果』?」

「──え?」

 

 

 言葉は、背後から。意外なほど、近い場所────

 

 

「『原子は陽子の周りを小さな電子が回転して構成してるものだから、電子の回転の周期が上手く会えば、壁をすり抜ける事も出来る』……だとか何とか、昔、都市伝説のサイトで見たような……」

 

 

 即ち、涙子の口から漏れて。明らかな間違いだ、浮薄な情報にすぎない。そもそも、それは量子論の誤った解釈の一つに過ぎず、裏付けも何もない。だが、だが。

 

 

「……成る程ね、だから『これから起こる戦い』か」

 

 

 その言葉の意味を察して、嚆矢はほくそ笑む。そう、それで良い。勝つ意味など、この戦いにはない。だから────例えそれが、無限に零に等しかろうと。

 零でなければ、嚆矢の『確率使い(エンカウンター)』は可能とする。

 

 

「じゃぁ、また。甦生して(おととい)来やがれ!」

「ふあっ、ええ~~っ!?」

 

 

 故に、涙子を抱き寄せながら()()()()()()()その虎口を凌ぐ。

 耐震耐火の強固なビルの外壁、それを瞬時に破壊する術は二体の歩く死体(リビングデッド)にはない。溶鉱も火炎も、念動も精神破壊も。何の意味もない。

 

 

 残された二体は恨めしげに壁を叩きながら、腐った吐息を夜闇に吐き続けるだけだった。

 

 

「あら、あら……ふふ、大したものだこと」

 

 

 その空間に、涌き出るように女が現れた。波の紋様を刺繍された青いチャイナドレスを纏った……黒い扇で口許を覆う、妖艶な女だった。

 そんな、たった一人の女に────歩く死体(リビングデッド)達は目に見えて恐怖し、逃げるように走り去っていった。

 

 

「孫子曰く、『三十六計逃げるに如かず』……間違いの無い判断です、陛下?」

 

 

 クスクスと嘲笑いながら、嚆矢の消えた壁を撫でる。まるで、愛でも囁くかのように。

 潮の香気を漂わせる女は、熱の籠る声を、()()()()()()()()()()()()()から響かせた…………。

 


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