饐えた空気の荒涼たる暗がりの路地裏から、人いきれと光の満ちる大通りへと。息も切れ切れ、這々の体で。
「ハァ、フゥ……よし、逃げ切ったな。やっぱり直線移動は楽でいいや」
「あぅ、はわわ……つ、対馬さんの能力、応用効きすぎですよぉ……これだから、高レベル能力者って……羨ましいなぁ」
袖で汗を拭う嚆矢は、涙子を抱えたまま走り出る。勿論、壁の中から。それを見た通行人は始めこそ驚いたが、直ぐに興味を無くして歩き去っていく。尚、能力の行使による反動でその脳には多大な負荷。頭痛と吐き気、倦怠感が身を包んで離さない。
しかし、達成感は有った。最優先の目的である、今、腕の中でブー垂れている涙子を守る事は達成できたのだから。
──危うかった、な……在り方を間違えるところだった。俺は……対馬嚆矢は、『
只の人殺しの分際で、英雄気取りとは恐れ入る。危うく、悪鬼どころか凡夫にすら成れないところだった。
だから、いつものように、ヘラヘラと。何でもなさげに、痩せ我慢だけで。ほとんど、涙子が何を言っているのか。己も、何を言っているのか分からないような状態で。雲を歩くような心地のまま。
「さて、それじゃあ送ってくよ。此処からなら……柵川中の寮はバスで三駅先か」
「あ、ありがとうございます……じゃなくて対馬さん、い、今の……!」
「全く、悪い娘だなぁ、涙子ちゃんは。こりゃあ、飾利ちゃんと寮監さんに怒って貰わないと。是非とも常盤台の寮監さん並みに怖い人であって欲しいね」
「そ、それだけは~~!」
だからこそ、得たものに価値がある。価値無きものが価値有るものを得るのなら、意味は十分だ。そうだ、この平穏な日常こそが掛け替えの無いもの。『勝利』だとか『最強』などの空しいものより、こんな他愛の無いものの方が、遥かに得難いのだから。
下ろした涙子に軽口を叩き、その関心を『異常』から『日常』の方に戻して。近場のバス停の時刻表を確認、まだ便が有る事を確認して。
「いいね、真っ直ぐ寮に帰ること。さもないと、
「わ、わかってます、わかってますから……あ、でも、その」
腕章をヒラヒラさせながら口にすれば、涙子は慌てたように何かを口にしようとして……恥じ入るように俯く。そんな彼女に、微笑みながら────マネーカードを渡した。
「はい、コレ。快気祝いがわりに、ね?」
「……何から何まで、ごめんなさい……」
それにすっかり恐縮してしまった涙子の、項垂れた頭に掌を置く。とは言え、流石に撫でたりはしない。ぽん、と軽く当てたくらいだ。それだけでも、彼女の艶やかな黒髪は
それは、よく妹にやっていた事。無意識に近い行為だ。だからこそ、本心からとも言えなくもない行為であり。
「────『
そんな暖かさからの、彼が持ちうる最大級の訣別の
………………
…………
……
以前に飾利にそうしたように、記憶を消した涙子を寮に送り届けて。以前に飾利にしたように、後始末を施した後で。
またこんな事がないように、非礼を詫びつつ。彼女の私物らしい、暗示に掛けられた状態でまで持ち歩いていた『御守り』に『監視』と『解呪』のルーンを刻んだステイルのカードを仕込んでおいた。
「まぁ……結局、オチはこんなもんだよな。俺みたいな、ド
『てけり・り。てけり・り』
「煩せぇよ、さっさと偃月刀出せるくらいには回復しろっての」
先程までの時間を無に還した嚆矢は苦笑しながら煙草を銜え、火を灯す。そう、特別とは今のところ、『
取り出した『
『ハーイ、ボクウォッキー、アハハッ!』
『結局、某テーマパークのマスコットキャラの物真似してんじゃないって訳よ!』
早速、フレンダに突っ込まれて。性悪猫の、悪辣なマスクを被って。直ぐに、合流する事を約束する。第一、はぐれたのは彼女らのせいだが。
早々と合流予定を立てて、嚆矢は目指す。彼が、バイクを停めている地点を。駅前から、足跡を残さぬように走り抜けてきた『足』を目指して。
………………
…………
……
携帯を切り、苛立ち紛れに蹴り飛ばした空き缶がカラコロと音を立てて転がる。それを為した黒タイツの脚線美、即ちフレンダは、隣に立つ最愛に向き直る。
「で、結局まだ監視な訳? いい加減、潜入なりなんなりしてサクッと終わらせないと、私らが麦野にサクッと『
「だからこそ、超万全を期すんですよ。ジャーヴィスの能力はこう言う作業には超向いてるみたいですから」
ある医院から少し離れた道端、死角となっている袋小路。そこに、フレンダと最愛は陣取っていた。無論、少女二人の事。早速『女の子二人だけじゃアブネェからさ、俺たちが一緒にいてあげるよぉ~(笑)』と寄ってきた
「あんな奴、居ても居なくても結局同じな訳よ。私と絹旗の二人で十分でしょ」
「それで超不安が残るから、待ってる訳ですが」
「あはは、結局卑下しすぎな訳よ、絹旗は~」
「……これだから、超不安なんですよ」
けらけら笑うフレンダに、溜め息を溢した最愛。真意は伝わらなかったようだ。
その最愛が見詰めた先、丁度営業を終えた医院から、医者が出てきた。事前情報から、あれが最後の関係者だと判断する。後は、医院に潜入して証拠を押さえ、当該の医師を拘束して引き渡すだけ。簡単な仕事だ、額面通りなら。
そして、こう言う仕事ほど額面通りにはいかない事を彼女は知っている。きっと、面倒な仕事になるだろうと。
「超文字通り、『猫の手も借りたい』ですねェ。ッたく……」
フレンダと同じく、空き缶を蹴り飛ばす。不良達を
『遅れて飛び出てニャニャニャニャー────ンべェし?!』
「「あ」」
狙い済ましたかのようなタイミングで曲がり角から勢い良く飛び出して戯けてきた、性悪猫の無防備な顔面に……縦にめり込んだのだった。
………………
…………
……
明かりの絶えた院内を歩く、三つの足音。無論、嚆矢とフレンダ、最愛の三人の物である。何かしらの機械が働いているのだろう、低い地鳴りのような音のみが木霊する中を。
『ニャハハ、潜入成功ニャア。それじゃあ、成果を押さえるナ~ゴ』
上機嫌にも程がある声色で、嚆矢が笑う。ただし、微妙に鼻声で。空き缶の直撃で曲がった鼻を、無理くりに戻した状態のまま。フレンダと最愛を、自らの能力の効果範囲である『手の届く距離』……即ち、両肩に抱いた状態で。
「……で、何時までこうしてなきゃいけない訳よ」
「超ぶん殴ってもいいですか?」
左右からのそんな声も、今なら小鳥の囀りのようなもの。実に心地がよい。だから、彼は左右に語りかけるように。
『そうだニャア。それじゃあ、最愛ちゃんは入口の警戒、フレンダちゃんはオイラと一緒に来て欲しいナ~ゴ』
「ハァ?! 結局、何で私とあんたな訳よ!」
『そりゃあ、最愛ちゃんは一人でも大丈夫そうだからニャア。けど、フレンダちゃんはどうも危なっかしい気がするナ~ゴ』
「それ、どー言う意味なのよ!」
「超妥当な人選ですね。じゃあ、私は超見張ってますんで」
コツコツとリノリウムの床から発する足音が、小柄なフードの少女が。最低限の光量しかない医院の暗がりに、溶け込むように吸い込まれていく。
その後ろ姿。小さく、しかし頼りになりそうな背中を見送り────
(ショゴス、二人の影に一部忍んどけ……何かあったら、直ぐに知らせろ)
『てけり・り。てけり・り!』
『てけり・り。てけり・り?』
『てけり・り。てけり・り♪』
命じれば、多少は復活したショゴスが一部分裂。最愛の影に紛れて追跡・監視を始める。勿論それは、フレンダの影にも。
幾ら細分化しようと、ショゴスは
「ちょ、絹旗……うわ、結局、マジであんたと二人? あー、思い出した……今日の運勢、最下位だったのよ」
『そこまで喜んで貰えるなんて……オイラ感激の余り涙がチョチョぎれてくるニャアゴ』
これだけの声で騒いでも、南側エントランスホールは実に静かだ。当直医もいるだろう、正確には『獲物』だが。
現在位置は、通常は閉鎖される側の出入り口。守衛や関係者はそちらの筈。とは言え、幾らなんでも静かすぎる気もするが。
「ハァ、まぁ、結局愚痴っても仕方ないし……さっさと終わらせる訳よ、ジャーヴィス?」
カチャリ、と。スカートの裾から黒い塊を取り出したフレンダ。相変わらずの四次元スカート、間違いようもない、それは拳銃だ。
『グロック』系統だろう、しかし彼女くらいの掌に合わせた小型のもの。
『オーケイニャア。下調べ済みだし、早速鼠取りと洒落混むナ~ゴ』
ならばとばかりに、此方も徒手の掌から『
惜しむらくは、暫くは『賢人バルザイの偃月刀』は使えない事。接近戦は合気で行うしかない、と。
────本当にか? 本当に、
何故か、そんな事を自問して。まるで、耳朶に囁かれたかのような気分で……気を取り直し、
「じゃ、手始めに研究成果からいただく訳よ」
歩き出したフレンダ。その後を歩きながら────一度軋んだ天井、そこを見詰めて。何事もなく歩き去る。
『…………』
その澱んだ闇に浮かぶ、小さな……燃え盛るような三つの眼差しに気付かぬままに。しん、と。廊下の形に凝り固まったかのような、酷く落ち着かない静寂だった。何かが、手ぐすねを引いて待ち構えてでもいるように、焦燥とも緊張とも判別がつかない。
既に、足音は出していない。嚆矢も、勿論フレンダも。摺り足とまではいかないが、抜き足差し足忍び足と。
フレンダに手の動きで合図し、曲がり角で息を詰める。事前に頭に叩き込んだ地図の通りならば、その先には『再生医療科』の資料室がある筈。そして情報通りなら……そこには。
──予想通り……赤外線センサーか。あれに触れたら、五分と経たずに守衛と施設警備ロボットがお出迎えに来る。
まぁ、細工は既に施してるし、大した問題じゃないが。
暗視スコープを覗き、そこに映る幾条もの赤い光線を認める。それを、スコープを渡してフレンダにも確認させて。代わりに取り出したのは、『
フレンダとサムズアップを交わし合い、慎重に扉を開く。無論、『
開けてみれば、どうやら扉には紐で警報がセットされていたらしい。しかし、その機構も『運良く』紐が扉から外れてしまった事で不発に終わっている。
「んじゃ、早速捜索ね。こっちを先に終らせる訳よ」
『オーライニャアゴ』
面倒げに口にしたフレンダに、嚆矢は特に反論なく同意した。何せ、意外と広い研究室だ。一々、時間は掛けていられない。手分けして探す研究資料。鍵の掛かった場所などは、ショゴスを鍵穴に侵入させて解錠しながら。
だが、資料は皆無。これと言ったものは一切見付からない。
「っ……結局、長居は無用ね。離脱する訳よ」
『オーライニャアゴ』
如何にも、苦渋の決断とばかりに口にしたフレンダ。それに対して、嚆矢は特に反論なく同意した。
余りにも、軽く。余りにも、平然と。それは或いは、不真面目とも捉えられかねない響きで。
「あんた……本当に真面目に探したんでしょうね?」
そんな風に、フレンダでなくとも疑念を抱いても仕方無い程で。じとりと、睨み付けるように。『アイテム』の構成員、暗部に生きる人間らしい、酷薄な眼差しで。
『失敬ニャア。このジャーヴィス、女の子に嘘は吐かないナ~ゴ』
「どーだか……なら、いい訳だけど──?」
その誰何にすらヘラヘラと猫覆面の笑顔で戯けて返した彼に、さしものフレンダも溜め息と共に諦めを。扉に手を掛け、開く────その僅かな隙間から、コロンと転がり込んできた掌サイズの円筒形は。
『「────ッっ?!!』」
『────いやァ、驚いたニャア。もしあと少しでも爆発が早かったらヤられてたナ~ゴ』
初めから、物理無効のショゴスを覆面として纏っている嚆矢でなければ。そして──
『てけり・り。てけり・り』
「~~、~~~~!」
潜んでいた影の中から、光と対を為す『影の速度』を以てフレンダの顔を覆った、ショゴスが居なければ。まあ、いきなり目と耳を潰されたフレンダからすれば、閃光手榴弾にヤられたのと同じ事なのだが。
『ニャハハ、良くやったニャア。ショゴス、光と音を通すナ~ゴ』
『てけり・り。てけり・り』
『ぷはっ────ちょ、ジャーヴィス! あんた、何したの……ってか、この声は何な訳よ!』
突然の暗黒と無音に藻掻いていたフレンダだったが、漸く視界と聴力を取り戻した事で落ち着いたらしい。逆に、己に起きた異変が気に留まったらしく、顔を覆ったショゴスを取ろうと足掻き始めた。
『見つかっちまったようニャア、ジルーシャちゃん。今はそれで逃げるナ~ゴ』
『誰がジルーシャなのよっ……結局、とんだヘボクラッカー雇った訳よ!』
『帰ったら麦野に言い付けてやる訳よ!』と息巻きながら、扉を見るフレンダ。無論、嚆矢もそうする。
『
現れたのは、施設警備ロボットが三体。ドラム缶型の、かなり旧型。しかし、普通の軍隊相手ならこれだけで一個中隊規模の戦闘力が有ろう。
無感情な機械音声と低い駆動音が、警報音が静かだった施設に満ちる。因みに此処は研究棟なので、これだけの厳戒体制が敷かれている。
その警戒の網に掛かった? 否、それはない。確かに、何にも引っ掛かった覚えはないのだから。つまり──
『何、
『うんニャア、どうやらアッチもアッチで奇襲受けたみたいだナ~ゴ』
ショゴスからの
だから、有り得るとすれば……
『兎に角、先ずは合流しなきゃニャア。そして脱出、やる事ばっかナ~ゴ』
『それしかないわね……んじゃ、行く訳よ!』
ゆるりと、以前『アイテム』の入団試験時に入手した軍用ナイフを備えた右腕を前に。彼の最も得意とする構えを取り、その左手には『
同じく、フレンダは……スカートの中から、戦闘機に描かれる『
『
それを確認し、ロボットが小型の武器を露出する。恐らくは、投網か遠距離用の
『結局────先手必勝な訳よ!』
その指揮官機を、フレンダの『
『ニャハハ────!』
その銃口を、銃弾が抉る。改造南部の
また、発射された投網は──ショゴスを潜ませるナイフの『
「雑魚が……出しゃばんじゃねェ、ってなモンだぜ」
クク、と邪悪に。素の声で笑って、嚆矢は右手を見る。無惨にも、ショゴスに食い潰されたナイフを。もう使い物にはならないと、全てくれてやる。これで、本当に近接武器は喪った。
『何遊んでんのよ、早く逃げる訳よ!』
『ノー、だニャアゴ』
『はあ?! 何でよ! 絹旗なら一人でも何とか出来るわよ、暗部舐めてんじゃない訳よ!』
その嚆矢に、早くも脱出ルートを走り始めているフレンダが呼び掛ける。見れば、周りの窓には学園都市製のシャッター。壁と言えば、
『それでも……残してはいけないニャア。オイラは────』
だから、兎に角、先ずは最愛との合流を。だが、先程から妨害電波でも出ているのか。インカムをどう操作しても繋がらない。募るのは、妙な焦燥。それは、何故か……胸元の懐中時計、そこに嵌まる『
苛立ちにがなるフレンダ。その声色に不釣り合いな、ショゴスのニタニタ笑いの猫面を見詰め返して。
『オイラは────
同じく、嘲るようなニタニタ笑いの猫面の覆面で。戯けたまま、恭しいお辞儀の後で反転して走り去った
そんな男を見送り、フレンダは。俯いて、ポツリと。
『はっ、バカバカしい……それでカッコつけてる気かっつーの』
唾棄するように吐き捨てて、最早一顧だにせずに。元から目指していた方へと、走り去っていった。
………………
…………
……
予感がする。何か、嫌な事が起きると。暗闇に生きる人間としての嗅覚か、昔からそういう勘は良く当たった。
非常灯に照らされた薄明かりの、けたたましいベルが鳴り響く廊下をひた走る。見れば、幾つもの警備ロボットの残骸が撒き散らされている。今も、何処かから硬い物が砕かれる音が響いてくる。最愛が、何処かで暴れているのだろう。
──非常ベルの所為で、震動しか分からねェけどな。ショゴスのテレパシーも利かねェなんて、魔術か? だとしたら、やっぱりヤベェ……右か左か、
予感は、ほぼ確信へ。疑いようもない、焦燥が首筋をチリチリと炙る。
『────こっち。こっちよ、こうじ』
「ッ……!」
刹那、視界の端にちらついた黄金の煌めき。それと共に、まるで夢見るような薄紅色の
右目、右耳。それは、確かに導くように。何か、人智を超えた『超越者に奪われた意志』で在るかのように。向けた両目、その焦点。蜂蜜酒色の双眸には……次なる分かれ道しか映らない。
『────コッチ。コッチだ、コウジ』
「……ッ!」
刹那、視界の端にちらついた青銀の煌めき。それと共に、まるで醒めたような薄蒼色の
左目、左耳。それは、確かに導くように。何か、人智を超えた『超越者に奪われた意志』で在るかのように。向けた両目、その焦点。蜂蜜酒色の双眸には……新たな、四ツ辻。
────
では、では。代弁者の一つの『貌』たる
背後から、確かに。嘲笑うその声色、まるで燃え上がる悪意そのもののような焦熱と底冷えが。
姿は見えない。当たり前だ、背中を見る事はできない。そんな当たり前の条理が、今は何よりも慈悲深い。もしも目にしていたのなら、正気に堪えきれまい。それほどまでも悍ましい暗闇色の、その奥に浮かぶ、燃え上がる三つの────
『
右の耳朶を生温かく
熱の籠った、冷厳なる力が。『超越者にすら奪えなかった意志』が、暇を持て余した神の戯れであるかのように。迷える子羊を、贖罪の山羊を導くように。
「────!」
『……ふむ、意外に釣れぬのぅ。
背後の闇色を振り払い、走る。前へ、ただただ前へ。構って要られない、時間がない。理由など、それだけで良い。真正面の道、警備ロボットの残骸が出火したそこを────
『
その残骸が歪み、曲がり、
『今更、この程度での挫折など
『……
カッカッカッカ……と、靴音を響かせて。導かれた事すら最早記憶にも経験にもなく、嚆矢は前へとひた走っていた。
そしてその、焔と煙の残滓の先に──居た。居たのだ。
『見ィっけ、だニャアゴ!』
「っ……ジャーヴィス!」
小柄な少女、フードを目深に被ったその姿は間違いない。絹旗最愛その人だ。まだ、無事だ。今も、一機の警備ロボットを『
だが、背中ががら空きだ。そこを狙う警備ロボットを────銃弾一発で『幸運にも』機能停止させ、『
『女の子のピンチに颯爽と駆け付けるオイラ……惚れても良いんだぜニャアゴ?』
「そうですね、超颯爽とし過ぎてて、危うく
『次からは普通に出てくるニャアゴ……』
軽口を叩けば、足下に気配。敵ではない、それは……
『てけり・り。てけり・り……』
『
ホールのように広くスペースを持たされた其処、恐らくは実験室か何かか。しかしその所為で、彼女は未だに五機もの警備ロボットに囲まれており。
『新手か……だが無駄だ!』
『一人増えたくらいで……不審者共め!』
『大人しく、縛に付けい!』
『女の子一人に大人気ない……ッて、
それらを指揮する、身の丈
警備ロボットと同じく、ドラム缶型の本体。しかし、そこから伸びる人間じみた強靭な手足。最新の『HsPS-15』と較べれば型落ちの払い下げ、数世代は前の物だが、装甲車程度ならば相手にもならない。
「さて、兎も角、あの玩具の兵隊達をどうにかしない事には超脱出不可能です。しかも、足手纏いも超増えましたし」
『ニャハハ、そりゃあ、そのほっそりとしたお御足になら幾らでも纏わり付くニャあゴッ! 冗談ですニャアゴ……』
吐き捨てた最愛に、空気を和らげようと巫山戯てみたら『
そう、幾らこの
────だとしたら、どうするのか。この場を乗りきる方法は、一体何か。また、壁でも抜けて逃げるのか?
涙子の時のように、最愛を抱えて逃げる? それも手だ、それも有りだろう。
「……
「ジャーヴィス……?」
だが、それでは駄目だ。涙子の時は、それで『全て丸く収まった』から。だが、今回は違う。
もし、成果なく戻ったりすれば……懲罰を受ける事になる。己一人ならばそれも可だが、フレンダと最愛の二人までもが懲罰を受けよう。暗部の懲罰────その意味するところなど、僅かなもの。
────それの何が悪い。そもそも、その二人とて闇に生きる者。刃の報いは己に返るもの、奪う者もまた奪われるもの。覚悟くらい、当にしていよう。
それを……自己の観念の為に。他者の意地を踏みにじろうと。浅はかな話であろうに。
確かに、確かに! それが摂理、それが真理だ。だが、だが────
「
自嘲と共に、
『
他人の意志を尊重しない言い訳に、自分の我儘を通す。その、有り得ざる無様。見苦しい、聞き苦しいと、良識の在る人間ならば断じよう。
しかしてそれは、紛れもなく純粋無垢な、偽りも誇張もない本心であり────対馬嚆矢という男の、紛う事の無い
『
だから、『それでいい』と。『それがいい』と、嘲笑う者がある。
背後に燃え立ち、誰からも見えずに……否、対敵にははっきりと、その姿を映して────哄笑する、『陽炎』が在った。
『
『陽炎』が揺らぐ。哄笑を止める事無く、左の腰に重みが加わる。見れば、嗚呼、何の事はない。揺らめく陽炎が在るだけだ。
足下で、ショゴスが脅えている。今にも、消滅してしまいそうなほどに。
「何が──はぷっ?!」
『ニャハハ……子供にはまだ早いニャアゴ』
何かを察したか、振り返ろうとした最愛のフードをその猫の手で更に深く押し被せて。代わり、その嚆矢の胴を割と本気の『
「え……?!」
『
そんな、最愛の驚きの声を尻目に。嚆矢はフードから手を離す。解放された視界、そこに映るのは……腰に太刀を
つい先程まで、そんな物は影も形も無かった筈だと。最愛は僅かに訝しみ、直ぐにこの男が名乗った
「えェ……分かりました。けどォ、帰ったら色々と超言いたい事があるンでェ……」
『分かってるニャア、ベッドの中でじっくりと聞いてあげるナ~ゴ』
「やっぱ今ァ、超ブち殺してェってなもンですがねェ!」
気を取り直した最愛が、正面の警備ロボット一機を殴り壊す。鬱憤を晴らすかのように、ボディブローの『
《
「向こうは心配しなくても負けねェ。問題は此方だろ、『
《ほぅ……もう思い出したか。まぁ、遅いくらいじゃがのう?
脳裏に響く声、それすらも気に留めず嚆矢は眼前を見遣る。勝利を確信しているのか、今も、悠然たる姿勢を崩さない
『ふん……刀か。馬鹿め、そんな時代錯誤な武器で!』
『学園都市の粋たる、科学の力に!』
『敵うとでも
示し合わせたかのように、其々が区切り区切りで構えを取る。ついでに、殺傷力の抑えられた
まぁ、気持ちは分かる。レベル20以上の勇者がスライムを甚振るようなものだ。
《ほうほう、これは愉快に思い上がっておるわ……あの“海道一の弓取り”とかホザいたおじゃる大名を思い出すわ》
「煩せェ、気に喰わねェならとっとと斬り伏せりゃ良いだろ、『
負ける訳の無い敵を嬲って楽しむ。なるほど、人間に普遍の感情だろう。その不遜な態度に、『
同意だ、全く持って。だが、ならば……この『刀』がやるべき事は、ただ一つ。
《……
悪辣な笑みに、悪辣な快哉が返る。本質として同じなのだ、この担い手と刀は。
『はっ、バカバカしい……それでカッコつけてる気かっつーの』
『やっぱ今ァ、超ブち殺してェってなもンですがねェ!』
他人がどう思おうが、我が意を通す。『
「さぁ行くぜ、『
《はっ……軟弱な鉄よ。思いも、願いも、魂も籠らぬ。軟鉄風情が、目障りな》
当たり前ではある。戦国の世では、鉄とは命懸けで造り、命懸けで加工していたもの。しかしこの華やかなりし現代では、鉄など在って当たり前。無感情な機械が、無感動に精錬しているに過ぎぬ。よく、彼の義父もそう嘆いていた。『最近の鉄に、息吹はない』と。
『ハッ! どちらが軟弱か……この一太刀が証明しようぞ!』
その内、一機が走る。片腕に、
そんな偽物の鋼を前に、嚆矢はゆるりと右手を突きだした。最も得意なその構えの後、左手で鯉口を切りながら、まるで舞でも舞うように刀の柄に手を掛ける。
交わりは、僅かに一回。耳障りな程に甲高い、鋼を断ち割る音が木霊して。走り抜けた
「“
《いざ────
抜き放つ鋭利な輝き。妖しく滑る鮮血よりも尚、苛烈なる白刃の煌めき。黒塗りの鞘に金の意匠。鍔には『永楽通寶』の四字を戴いた垂れ波紋。最早尋常の人間ではない、異形の刃金に包まれた、右手に握られて。
南北朝期、『