Shangri-La...   作:ドラケン

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断章 アカシャ年代記=Akasha-Chronicle
??.----・error:『Nyarlathotep』Ⅳ


 

 

 目の前には、極彩色のうねり。波模様ような、風模様のような。不揃いの玉虫色、しかし規則正しい、何処か人外の精神性を感じさせる異次元の色彩。

 時間の感覚も、空間の認識も、既に忘我の彼方。此処に来たのは一瞬前だったような、遥か過去だったような。何処から来たのか、何処に行くのか。何も分からない、分からない、何も。

 

 

 だが、分かる事もある。両腕にある温もりが二つ。意識を失っているフレンダと最愛の。僅かに狂気を和らげる、温かさ。そして……色彩の向こうから覗く陰湿で冷酷な光を湛えた、無数の眼、眼、また眼。

 それは此方を歓迎などしていない。寧ろ見下し嘲り、『活きの良い餌だ』とばかりに舌舐めずりしている。

 

 

『──────────────』

 

 

 代表するように現れた、一人。否、一体に周りの眼が一斉に(かしず)く。一人と感じたのは、それが覗き穴すらない朧気な色彩の織物を纏う人型をしており……一体と思い直したのは、それが全高百フィートもの巨躯であったからだ。

 二人が失神していて、本当に良かった。もしも事前知識なしにこんなモノを目の当たりにすれば、正気に堪えられるかどうか。

 

 

『わたしは きゅうきょくのもんの もんばん にして さいていしゃ! げーときーぱー うむる・あと・たうぃる だ────ざんねん! きみは しんでしまった! わたしの てちがい だ! だから すきな せかいに いきかえらせよう! とくてんも あたえよう!』

「……………………はぁ」

 

 

 巨人が、声ではない何かで問うた。しかし、意味が分からない。『窮極の門(ヨグ=ソトース)門番(ゲートキーパー)にして裁定者“ウムル=アト=タウィル”』、そこまでは脳味噌で理解出来たのだが。

 後に続いた問いは、この怪物の正体を知る────本能が、理解したらしい。

 

 

『────さあ えらべ! いまなら はーれむうはうは さすおに なかでき まちがいなし! おまえ さいきょう! むてき! だれからもすかれる! これで ぼっち そつぎょう!』

「……いや、別にいいわ。普通に、元の世界に還してくれ」

 

 

 差し出された腕。織物の袖は長く、手は見えないが……此方の、胸を指差している。『其処に、求めるものがある』と。

 それに理解が及ばず、脳味噌は頸を傾げる事を命じ……本能は畏怖に、頷く事を命じた。

 

 

『────おかしい  こういえば ばかな にんげんは いれぐい  ほかの どんなやつも なんかいも じぶんの みたい ゆめの なかに きえていった  きづきも しないで けんぞく たちの みせる ゆめに  もんのかみの とりせつに そう かいて あった』

「あっそう……まぁ、例外ッて事で」

『くやしい  おまえ ぜったいに ごちそうさま に する』

「女の子になら喜んでごちそうさまされてやるけど、()()は勘弁……じゃあ、またな」

『ああ じゃあ またな  おぼえてろ おまえ わたしの いけにえ  ()()()() ()()()()()

 

 

 その全てを見通して、“門番(ゲートキーパー)”は姿を消す。否、それは旅を終えた証。その証左に、辺りの眼達が残念を示している。

 『折角の餌が』と、涎を流しながら。それでも、“他の門番”は裁定に逆らわずに見送って消えていく。

 

 

 安堵と、変わり行く世界の情景。渦を巻く銀河の脳髄から離れ、懐かしく芳しき菫色のスンガクの馨りに包まれて。

 

 

()()() ()()()  ()()()() ()() ()()  だから にげられない  いつか おまえも ごちそうさま する』

「はいはい、()()()()()()()()

 

 

 嚆矢は、本来在るべき世界へと帰還を果たしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 瞼を開く。薄明かりの世界の中で、ノスタルジックな蓄音機からレコードのブルースと焙煎した珈琲の香気の漂う木造の屋内で。まず感じたのは、両掌の痺れるような疼痛。元の人間の掌は、ショゴスの組織が沈着したように黒ずんでいる。

 長椅子に寝そべったまま、まだ不随意の痙攣が僅かに残る掌を揉み解す。だが、明日にはこの程度なら治っているだろう。

 

 

「……やれやれ、か」

 

 

 最後に拳を握り締めて、改めて開く。鈍い神経と触覚が馴染むまで、暫くは合気は無理かもしれない。

 そんな事を考えた彼を覗き込んだ、影がある。

 

 

「『やれやれ』はこっちの台詞だっての、悪目立ちしやがって」

「ウワァァァ、出たな妖怪────すいません冗談ですから『原子崩し(メルトダウナー)』は止めてください頭目(ヘェェッド)!」

 

 

 ウェーブの掛かった茶色の長髪に、釣り目の美貌。『アイテム』の頭目(ヘッド)麦野 沈利(むぎの しずり)その人である。

 

 

「まぁいいわ、今回は手柄だったしねぇ……」

「て、手柄?」

 

 

 額に青筋を、右掌の上に緑色の発光体を浮かべていた沈利だが、思い直してそれらを消しながら……ニヤリ、と笑顔を見せる。状況が全く飲み込めない嚆矢としては、悪魔の笑顔に他ならない恐ろしさだが。

 

 

「例の研究所の実験成果……上手く手に入れてきたじゃないさ」

「あ、あぁ……それですか」

 

 

 体を起こして辺りを見回せば、隣のテーブルにフレンダと最愛、そしてノートパソコンで監視カメラの映像を観ている滝壺 理后(たきつぼ りごう)の姿もある。

 どうやら、フレンダと最愛は特に異常はないらしい。それに安堵しつつ。

 

 

「まぁ、聞いてた話とは全く違ったけど。死体を生き返らせるどころか、動く死体にしちまうとはね」

 

 

 腕を組み、不満そうにカウンター席に腰を下ろした沈利。何か、思案しながら。

 しかし、そんな事よりも。気になるのは、監視カメラの映像。正確には────ミ=ゴの事だろう。あんなものが人目につくのは勘弁して欲しいし、それを囮に帝督から逃げてきた事が知れては粛清(メルトダウナー)される可能性もある。

 

 

「……超心配ないです。あの化け物は、映像には残ってませんでした」

「そうか……なら、良いんだけど」

 

 

 と、そこに耳打ちしてきた最愛。確かに、自分が駆動鎧(ラージウェポン)を斬り伏せた後で現れた後詰めに突き刺された黒い棘。その後に現れた筈のミ=ゴは映っていない。

 では、後は実際にアレを目にした最愛とフレンダだが……まぁ、心配せずとも口裏を合わせる事になるだろう。そもそもあれは回収依頼のあった研究とは関係無いし、誰が好き好んで沈利の怒りを買うと言うのか。

 

 

「まぁ、上出来ねぇ。何より、あの垣根の野郎に一杯食わせたとこが。よくやったにゃー、ロートーンな地声が素敵な性悪黒猫(ジャーヴィス)ちゃん?」

『ッ……ニャハハ、お褒めに預かり光栄ですニャアゴ』

 

 

 言われて始めて思い出し、取り繕う。失念していた、性悪猫の擬装を。しかし、兎にも角にも上機嫌な沈利はくすくすと笑うのみ。

 

 

「どうぞ、ジャーヴィスくん」

「え……あ、ローズさん」

 

 

 そこに、芳しいブラックのホットコーヒーを持って現れた嚆矢の師父(マスター)、アンブローゼス=デクスター。そこで今更、此処が『純喫茶 ダァク・ブラザァフッヅ』だと気付く。

 一口、それを啜って一息吐いて。残りをテーブルに置くと、()()()()()()に向けて。

 

 

(そら、()()()()くれてやる)

『てけり・り。てけり・り♪』

 

 

 それを、誰からも見えない角度で触腕を伸ばしたショゴスが啜る。それを、見る事もなく思考する。

 今、自分が口走った言葉。『約束』とは何時したのか。そもそも一体、どうやって此処に来たのか。それが、今一思い出せない。頭の中に、靄が懸かっているようだ。

 

 

「なぁに、『窮極の門』を通ってきただけじゃて。貴様が喚んだのであろうに」

「────な」

 

 

 そして、何より驚いた事。対面の席、否、テーブルにどっかと腰を下ろしている────

 

 

「さて。さて────親愛なる(わらわ)憑代(よりしろ)(きみ)よ、人の子よ。こうして話すのは、二度目かのう?」

「…………お前」

 

 

 憎々しげに、嘲笑うように。振り返った視線の先で────一段高くなったテーブル上、そこでしどけなく横たわる……絢爛たる娘。墨を流したように美しい黒髪を結い、螺鈿細工を施した(かんざし)を差した。血の色よりなお深い、蛇じみた鋭さと無慈悲さを映す()の瞳の。

 喪服のような、しかし紅色の錦糸で多数の彼岸花の柄をあしらわれた豪奢な振袖の上に、男物の黒い外套を肩に羽織った姿の。奇矯な、実に奇矯な和装の娘。

 

 

「“(あく)────」

《これこれ、無粋な名で呼ぶでないわ。そうじゃのう、この姿の時は……》

 

 

 それを睨み付けるながら『“悪心影(あくしんかげ)”』と、その名を呼ぼうとして制された。腰に佩いた『圧し斬り長谷部』、魂の抜けたような軽さで。

 しかし、そこから響くように脳に流し込まれた声が、呆気に取られる嚆矢に向けた嘲笑と共に。

 

 

織田 市媛(おだ いちひめ)……とでも呼ぶが良いぞ。呵呵呵呵呵呵呵呵(かっかっかっかっかっかっかっか)!」

 

 

 『織田 市媛(おだ いちひめ)』と名乗った彼女は、腰帯に挿している嚆矢の拳銃『南部式拳銃(グランパ・ナンブ)』と私物らしき脇差しに扇子。

 その内、扇子を取り出して開いて。黒地に赤字で『天下布武』の四字の画かれたそれで口許を隠しながら、からからと哄笑した。


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