七月二十七日:『星辰の日』
年代物のドアベルが鳴り、客の退店を知らせる。『ありがとうございました』と
店の灯りが消えるのを尻目に『アイテム』の面々は、月と星の光よりも尚、綺羅びやかな学園都市の夜景に歩み出る。
「それにしても、中々良い雰囲気の店だったわね。食事も美味しかったし立地も良かったし、何よりマスターが良い男だったし……これからはあそこを集会場所にしようかしら?」
「それ、いい! 結局、賛成な訳よ!」
「そうですね、超異論ありません」
「うん、わたしも良いと思う」
少女達は口々に、きゃいきゃいと。どうやら、店より食事より雰囲気より、何よりも
「……俺以外の男なんて滅べば良いのに……」
『ココハ、公道デス。綺麗ニ使イマショウ』
等と、物騒な事を呟きながら。最後尾を歩く黒猫男、路面に唾を吐く。直ぐに、近くに居た清掃ロボットが駆け付けて清掃、警告してきた。
しかし、華麗にスルーして歩き去る。『運悪く、待機モードが誤作動した』……勿論、嚆矢に触れられて『
「
「どー言う意味か、詳しく話し合おうか……そして」
背後から、熱い吐息と共に嘲りの言葉。冷たい指先と共に、愚弄の一撫で。それを甘んじて受けながら、振り返る。背後で笑う沸き立つ影、燃え盛るような三つの瞳に向けて。
「──何でお前は、俺の背中で
「む?」
背中に抱えた和装の娘。垂れ掛かる黒髪、ほとんど重さを感じない小駆。その、
だが、やはり元々は同じ日ノ本出身。直ぐに言葉の意味を理解したらしく、不機嫌そうに眉を顰めて。
「何を言っとるのだ、貴様は。歩いたら────疲れるであろう」
「こんなにも当たり前の事言われて、ここまでの衝撃を受けたのなんて生まれて初めてだぜ……!」
流石の
尚、長谷部等の武器類は全て“
《まぁ、そんな事はどうでもよかろう。しかし、面白い異能を持つのう? 『
(別に……この学園都市の学生なら誰でも、初歩の初歩でやってる事だよ)
そもそも、学園都市の誇る『超能力開発』とは、先ずそこに先立つ。あらゆる
だから能力研究協力などの仕事や要請は皆無であり、アルバイトで糊口を凌ぐような真似をしているのだから。
「
「…………意味が解らん」
「今はそれで佳い。千里の道も一歩から、じゃて。
鷹揚に笑われた。何の
だが、そこまで徹底して開けっ広げである為か。不思議と反感は感じない。却って、何か────笑い飛ばされて、逆にスッキリしたような。
──これが、戦国の群雄の一人。最も覇者に近かった者。『魔王』と呼ばれ、それを自認した
『成る程、確かにこれは付いていきたくなるかもな』等と考えながら。端正な横顔に刹那、見惚れて。
「ところで……置いていかれておるぞ?」
『あっ……ちょ、皆待って欲しいニャアゴ!』
面と向かってにやり、と嘲笑われてしまう。見れば、確かに『アイテム』の四人は横断歩道の先。慌てて、疲労困憊の上に負傷から痛む全身に鞭打って走り出す。
思い出したのは、少し前の事。というか、昨日今日の話。ステイルを倒した後、見つけたあの少年。確か、名前は。
──
完全に逆怨みだが……あの夜、散々見せ付けてくれたウニ頭の少年。その余りの違いに、またもや鬱になって。
《それはまた。御主とは大違いじゃのう……》
『てけり・り。てけり・り……』
(放っとけ! そして
ギリギリで赤に変わった横断歩道を、『
「
『もうやらんニャア、疲れてるって言ってるナ~ゴ!』
「何じゃ、つまらんのう。はっは~ん……さては貴様、ゴネ得を狙っておろう? 長谷部だけでなく、『鎧』もあわよくば、と」
『ち、違うもんニャア──ゴッ?!』
若干の図星を突かれて焦った、対面の歩道への着地のその瞬間。ずるっ、と足が滑る。見れば路面には、何か液体の零れたような黒い染みがあった。
両腕でバランスを取ろうとするも、背中には何時もはない過重量。堪えきれずに背中から、車道に向けて傾く。更に泣きっ面に蜂、大型のトラックが直ぐ間近に迫り────
『んニ゛ャ?!』
「──ったく、超世話の焼ける」
「結局、詰めが甘いわけよ」
その両腕を、最愛とフレンダに引かれて事なきを得る。走り去るトラックから『気を付けろ』とお決まりの野次が飛ぶが、馬耳東風だ。
「まぁ、詰まらない事で折角の戦力を削られるのは超ゴメンですし」
「そう言う事なのよね~、あんたの『
最愛は面倒そうに、フレンダは茶化すようにそう口にして手を離す。そして、まるで……こちらに歩幅を合わせてくれているように、ゆっくりと先を歩いている。
──まさか、これは……二人纏めて好感度+1?! くっ……苦節十八年、漸く俺にも春の足音が!
「ヒュッ────ザシュッ! ブシャアッ!」
「……何で今、そこで斬殺音入ったし」
「えっ……丁度四人だし、
「殺すんならお前からだっ!」
「なんと……
「今すぐ降・り・ろ!」
からから笑う背後の悪神を揺り落とそうと、ヘビメタのように激しく体を揺する嚆矢。それを裸馬を乗り熟す要領で制している市媛。
そんな、端から見ると痴話喧嘩でもしているような二人組を、最愛とフレンダは溜め息混じりに。
「本当、結局あんたら
そっぽを向いたままの最愛の代弁も兼ねて、苦笑いしながらフレンダがその一言を発する。明らかな、齟齬を。
それに、嚆矢は動きを止める。真面目な顔は、ショゴスの猫覆面に隠れて見えはしまいが。
──『兄妹』。何故か、こいつは
まあ、十中八九魔術だろうが。つーか当たり前に溶け込むとか
寒々しい感覚に、平静を取り戻す。そして思い出す、己には
『さてさて、それじゃあオイラはそろそろ御暇するニャア。猫の集会でコレがコレなもんでナ~ゴ』
「あらそう、じゃあコレ。今回の働き分だ、
改まって戯けた
有り難く頂戴し、懐に。因みに、発信器等が仕込まれていればこの時点で不具合を起こしていよう。
「じゃあね、じゃーびす」
『うい、それじゃあまたニャアゴ、理后ちゃん、フレンダちゃん、最愛ちゃん、
ひらひらと手を振りながら、曲がり角を曲がって消える黒猫男とその背中の
最後に、振り向いていた背中の存在が──燃え盛るような三つの瞳と嘲笑をもって此方を見詰めていたような気がして、四人は一瞬、背骨の髄までの震えを感じて。
「ところでさぁ……」
「何よ、麦野?」
そんな二人を見送った後で、『アイテム』の頭目は首を傾げる。まるで、何か重大な事を思い出したように。
「あのさぁ、今回の仕事なんだけど……私、『三人』って言わなかったっけ?」
直ぐに忘れてしまう、そんなことを口にした…………。
………………
…………
……
腐臭漂う下水の中、『
「
涙を堪えるかのような仕草で、くすり、くすりと娘が嘲笑う。『
『黙れ』と『棘』を振るう。串刺しに貫かれ、しかし、平然と長女は此方を嘲笑って。
「さぁ───機械のように冷静に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷厳に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷酷に、チク・タク。チク・タク!
「───────!?!」
熱を籠めて『知る筈もない何か』を喚ぶその女に、『
だが、最早引き返しようもない。後は、最早……滅びに至る、宿命のみ。
──まだ……まだだ! まだ、負けてはいない!
撃ち込まれた無数の棘に、既に死骸は形すらなく。しかし、死んでなどいない。あれは、
──手に入れろ、あの少女……
だから、命じる。可能性を殺す事を。手下である、彼らに向けて────
………………
…………
……
無窮の魂が、漸く辿り着く。某かの影響下に在るのか、揺らめきながら、漸く。ホテル・リッツ。学園都市の最高峰宿泊施設。与えられた情報から辿り着いた、この場所。
「失礼致します。どなた様に、御用でしょう?」
ボーイが、侮るように声を掛けてくる。然もありなん、大袈裟に見た所で、己などその程度だ。だから、精一杯。その、矜持を張り詰める。嘗められぬよう、格好のつくように────!
「“
悪意と嘲笑を込め、更には害意を籠めて……嚆矢は、『頼れ』と言われた住所を訪ねた。全ては────
「『グラーキ』とか言うクソッタレの神を討つ。力を貸せ」
対馬嚆矢は、ただ、それだけの為に。
………………
…………
……
デザインの上でのみ古めかしい、中身は最新式だろう全く揺れないエレベーターが停止していた。分度器型の回数表示、その針が止まっているのは右端。即ち、最上階。この第七学区のランドマークとされるホテルだ。
世界中にまま有る、かの『
絢爛な玄関とは裏腹に、客室の並ぶ階は素朴だ。深夜と言うのもあるが、その辺りは日本人の感性に合わせているのだろう。仄暗い廊下を訥々と、スーツに外套を纏っているのでドレスコードはクリアしている嚆矢は歩く。
ただ一人、チップを渡したドアボーイが『案内致します』と言ったのを断って。オールバックに撫で付けた亜麻色の髪を気怠げに撫でて。
そもそも、迷う部屋数がない『
「邪魔するぜ……っと」
何の迷いもなく、ドアノブを回して開く。それだけで金属のドアノブに接していたスタンガンは故障、手榴弾はピンは抜けたが信管が不発、ライフルの引鉄に繋がっていたワイヤーに至っては断線して用を為さなかった。
「大したモンだ、テメェを殺すにゃあ────先に可能性を殺さなきゃいけねぇ、って訳だ」
「別に、そこまでする必要はねぇさ。魔術にしろ能力にしろ、俺には
それを、真正面から笑った男が居る。対面のソファに座り、葉巻を吹かしながら
空洞の眼窩でどうやって知り得たのかは分からない。しかし、彼は……真っ直ぐに、此方を向いていて。
「────両手を上げて跪け、少しでも不審な動きをすれば……分かるよね?」
「はいはい……」
後頭部に突き付けられた、冷ややかな感触。間違いない、銃口の感触。声の近さから、まず拳銃。そして女の声であるからには……導き出される結論は、あの娘。
「ようこそ
《おい、嚆矢。この無礼者を斬れ、今直ぐに》
ならば、逆らえない。『女に優しくする』のは彼の
辺りには、不穏な気配が充満している。まるで、息を詰めて此方の隙を窺っている『何か』が物陰に潜んでいるように。
言われたように、両手を頭の後ろに回す。その膝裏を蹴り払われる。激痛ではあったが、衣服に忍ばせたショゴスのお陰でほぼノーダメージ。ただし、やはり勢いに膝は突かされた。これで、最早無抵抗だ。
「ふぅ、さてと。じゃあ、商談といこうか?」
「ちょっ……ボクは無視かよ!」
《
「ちょっと黙ってろ、セラ。後、銃は仕舞え。こいつぁ勘だが……暴発するだけだろうぜ」
それを全て、無視して。葉巻を灰皿に押し付けたレイヴァンはどこか遠くに向けて合図を出す。背後の銃口が消えた事以外に嚆矢は知る由もないが、窓の彼方のビルの上。赤いライトシェードの真下から、バレットライフルにて嚆矢を捕捉していたティトゥス=クロウに向けて。
前後からの強烈な殺気が消えた事で、僅かに落ち着きを取り戻す。後は、目の前の屈強な男を説得するだけ。
「来い、って言われたから訪ねたってのに。米国式の歓迎は手荒くていけねぇ」
「悪りぃな、真っ当な教育は受けた事がねぇからよ。で、『グラーキを討つ』とか言ってたが?」
「ああ、だから力を借りに来た。実際、倒せるかどうかとかも聞いとこうかと」
刹那、辺りの空気が揺らめいた。丁度、『グラーキ』の名が出た瞬間に──『何か』が、逃げ惑うように。同じく、背後のセラも息を飲んだのが分かった。
どうやら、狙いを付けた相手は中々の
「若いってのは良いねぇ。
クッ、と喉奥で笑った男。その瓶麦酒を一気に煽りながら。ぐびり、ぐびりと二度、喉仏が上下した。それで飲み干したらしく、口を離せば『ぽん』と音が立つ。
「──旧支配者は死なねぇ。あれは、『そういう災害』だ。天災だと諦めた方がいい。地震とかハリケーンと同じさ、人間にはどうしようもない」
「そうかい。つまり、『人外なら出来る』って訳だろ? だったら勿体付けてないで、スマートに会話しようぜ」
「可愛くねぇ餓鬼だな、お前……」
機先を制されて、幾分気分を害したらしいレイヴァンが空の瓶麦酒を転がす。因みに、テーブルの上にはズラリと空瓶が転がっている。
そして、ソファのすぐ脇には明らかに後付けの簡易冷蔵庫。そこから新たな瓶を一本取り出し、親指だけで栓を飛ばした。
「曲がりなりにもありゃあ神だ、
そして、更にもう一本を取り出して──此方に投げて寄越した。それを振動させぬように気を付けて受け取ると、栓を……面倒臭いので、ショゴスにかじらせた。
「殺せないが、封じられる訳だ。因みに、『顕現』って?」
「お前の背後に居座ってる
「
呼ばれたからか、姿を現した“悪心影”……市媛。レイヴァンの対面のソファに、どっかりと腰を下ろして。更に『脚で』もって、レイヴァンが空けたままでまだ呑んでいなかった瓶を掴み取る。
刹那、背後から風が吹いた。そうとしか形容できない速さで、セラは市媛に肉薄する。
「────下がれ、下郎。誰の許しを得て拝謁するか、
「────それはこっちの台詞だ、
脇差し『
一触即発、正にそんな陳腐な表現がぴったりのスイートルーム。しかし、均衡とは崩れるもの。
「それで? まさかとは思うが……まだグラーキに挑む気か?」
「勿論。殺す、この世から消す」
「ソイツは無理だ。何故なら、『クトゥルフ神話』は他の神話とは違う。あれは『人間の集団妄想』で成り立ってるんだ。人が滅ぶか、忘れ去るまでは消えねぇよ」
「成る程ねぇ……」
「「…………」」
そんな二人をそっちのけで、瓶麦酒を口にしながら会話しているレイヴァンと嚆矢。その様に、先に得物を納めたのは市媛。
呆れたように、脇差しを鞘に戻して。代わり、何処からともなくは瓶詰めの
「阿呆らしいのう……あちらはあちらで盛り上がっておるようじゃし。どうじゃ、呑むかえ?」
「
以前、嚆矢にしたように金平糖を勧める。無論、脚で。なのでセラは気分を害したらしい。つかつかと、レイヴァンの方に行ってしまった。代わりとでも言うように。
『てけり・り。てけり・り』
「おう、くれてやろうぞ。ほれ。ふ~む、これが
寄ってきたショゴスに餌付けする市媛。我関せず、とばかりに麦酒に舌鼓を打ちながら。それに、我関せずとばかりに。嚆矢はレイヴァンに最後の一言を。
「なら、力を貸してくれ。あんた程の魔導師なら、それが出来る筈だ」
「出来ねぇ、とは言わねぇが……俺らは慈善事業の『教会』じゃなくて、資本主義に基づく『協会』だ。見合う得がなきゃ、動かねぇ」
それこそ、米国の真髄。資本主義そのもの。分かってはいたが、やはり一筋縄ではいかない。言い、テーブルの上にバシンと叩き付けた『モノ』。その、悍ましき瘴気を撒き散らす『一冊』は。
「“
あの狂信者が有していた、写本ではあるが精度は折紙付きの
「冗句にしちゃあ、面白れぇ。たかだか写本一冊の為に、旧支配者を相手にしろってか」
「受ける訳ないだろ、そんな依頼!
それを一笑に伏して、レイヴァンはテーブル上に両足を投げ出す。“
「あと、
「そうだ、あと十三冊…………え、いや、ちょっ……
「ああ、構わねぇ。こっちの目的は、あのクソッタレの神を殺す事だけだからな。魔導書なんざ好きにしろよ」
「よし、交渉成立だな。となりゃあ善は急げ。明日の夜、
話は終わり、嚆矢は頭を下げて振り返り……そのまま、部屋を去る。市媛は、いつの間にかその背中に。燃え盛るような三つの瞳で、立ち尽くすセラを嘲笑いながら。
「じゃあ、グラーキは任せたぜ。何とかなんだろ、お前なら。俺はバカンスで忙しいからよ」
「…………」
その娘の肩を叩いて、大欠伸をしながらレイヴァンはさっさとベッドルームに消える。最後には、ぽつねんとセラだけが残り。
「
唐突な展開に、頭を抱えて踞る。それに今度こそ、辺りの『何か』が逃げ出した。
「
娘は大気を震わせながら、一気に立ち上がる。端正な美貌を歪めて、天井に向けて。
「────
航空機の爆音と紛う程の絶叫を、虚空に轟かせながら。
………………
…………
……
暗闇。
『いい気なものだな、人間よ。悪質な機械よ』
それを、嘲笑う者が居る。ギリギリと擦れ、軋むような
和風とも洋風とも判別のつかない甲冑。暗闇を溶かしたように禍々しい爬虫類の翅のような黒羅紗の陣羽織に、毒牙や毒爪、或いは魂を籠めて
余りに雑な
『■ぃ■……』
頭を振り、『記憶』を振り払う。思い出しては、『対馬嚆矢』が成り立たない。
『“第六天魔王”は貴様を気に入ったようだが……
刃金の甲冑が、黒い兇刃が解けて渦を巻く。鎧武者の具足が、飾られたような状態から別物へと形を変える。
長い、まるで黒い昆虫のようなその姿。二本の角と複眼を備え、強固な外骨格と
さながら────それは、『七つの芸を持つ』という昆虫『
『覚えておけ……このままでは済まさぬ。この
軋むような声が、遠ざかる。それは、覚醒の兆し。この
………………
…………
……
チュンチュン、と。小鳥の囀りが、覚醒したばかりの鼓膜を揺らす。カーテンをすり抜けてくる優しい朝陽に、蜂蜜色の胡乱な瞳が周囲を見渡す。状況の確認を開始する。
寸暇、状況把握。第七学区『メゾン・ノスタルジ』の自室、その寝室である。3LDK、風呂便所共用。三階建て、部屋数六。現在使用中の部屋は、二階の東に位置するこの部屋を除いて二室。一階一号室の管理人室、二階二号室の此処、そして三階一号室の名前も知らない『誰か』。
状況掌握、終了。今日の予定は二件、昼は風紀委員の仕事、夜は────
胸と両掌の傷は、既に古傷。肋骨は……まだ、繋がり始めたくらいか。ルーンの癒しや、
「ほうほう、これが
『てけり・り。てけり・り』
「…………」
リビングの、朝の某変身ヒロインアニメが流れているテレビにかじりついている悪姫と床上を蠢く不気味な粘塊とかを無視する道々、体の調子と共に確認した時間は五時二十分。
冷蔵庫から、凍ったお握り六つを取り出してレンジで加熱、十分。その間に残り三分でカップ麺三つにお湯を注ぎ、待つ。
「ほう……何故、握り飯をくるくる回しながら照らしておるのじゃ? そもそも、これはどんな
「温めてんだよ、電磁波で。これはレンジ、食べ物を温める機械」
「ほう……して、『電磁波』とやらをあてると、何故温まる?」
「水分が振動して熱を発生させる……らしい。やり過ぎると爆発するからな、勝手に使うなよ」
「なんと、爆発とな!?」
「目を輝かすな」
寄ってきた市媛に応じていると、そこで丁度レンジが鳴る。取り出されたホカホカのお握り六つを片手で器用にジャグリング……は無理臭いので、受け皿ごとテーブルへ。
因みに嚆矢は醤油、市媛は味噌。そしてショゴスは犬用の餌入れに、塩ラーメンをお握りに引っかけたねこまんま。何気に、一回で三食分の費用がかかってしまう事になったが。
──最近の暗部って、儲かるんだな……新聞配達のバイトの四ヶ月分だったぜ。
沈利に貰った報酬のマネーカード、その金額にコンビニ内で鼻水を吹き出したのが昨日の夜半過ぎ。お陰で、深夜の交渉時は嫌に落ち着いてしまったが。
「そういや、あの鎧の夢を見た」
「そうか。あのまやかし、なんと?」
「『このままでは済まさぬ』だと。“第六元魔王”様は」
「
「悪趣味な」
唐突に、話を振る。しかし、市媛はほとんど無関心でラーメンをすすっている。当然だが、箸使いは巧みだ。
そこで、話が途切れた。後には、ラーメンを啜る音とショゴスが餌を貪る音。
「あぁ、そうだ。俺、今日は夕方まで居ないから……大人しくしとけよ、見付かったら退去もあるかなら」
「管理人とやらだったか?
「それもそうか……だからって、迷惑になるような事すんなよ」
「わかったわかった」
揃って食事を終え、ゴミを捨てて箸を洗って水切りに。時刻、午前六時ジャスト。七時までに家を出れば、余裕で間に合う。
「ほう、ほうほう。天気予報とな……織姫一号か。これが
『てけり・り。てけり・り』
しかし、どうも置いていくのが心配だ。見詰める先、ショゴスを座椅子がわりに番茶を啜りながら、またもテレビにかじりついている市媛。熱心に、朝の情報番組を見ている。
勿論、連れていった方が問題が大きい。因みに、ショゴスは二分割している。これで、逐一部屋の情報を知れる筈だ。ショゴスが買収されなければ、だが。
「じゃあ、行ってくる。今日の夜は、ちゃんと居ろよ?」
「応とも。
「はいはい、寝言は寝てから言えよ」
「
冗談めかして笑って済ませているが、一体どこまで冗談なのか。戦国時代は
そんな一抹の懸念を、振り払って。二本預かっている部屋の鍵の一つを残して、部屋を出た。
コンクリートの階段を降りる。エレベーターなどと言う便利なものはない。
その道すがら、見付けた後ろ姿。藤色の和服に割烹着、足袋に草鞋。竹箒を動かす度に、艶めく黒髪。長く垂れ下がる、纏められて猫の尻尾めいた後ろ髪がゆらゆらと。
「おはよう御座います、
「あら……おはよう、嚆矢くん」
声を掛ければ、振り返った眼鏡の女性。管理人の
足下、数匹の猫達。
「相変わらず、猫好きなんですね」
「ええ、犬も嫌いじゃないけどね。やっぱり猫の方が好きかしら」
楽し気に仔猫達をあしらい、転がしたり撫でたりしながら。答えた彼女が、思い出したように。
「あ、そうだわ。ねぇ嚆矢くん、実は実家からお肉が送られてきたんだけど」
「頂きます」
「はやっ……! まぁ、お裾分けするつもりだったんだけどね。一人じゃ腐らせるだけだから」
即答であった。だが、仕方ない。年頃の男子としては、やはり肉が食いたいものだ。
しかも彼女の実家から送られてくる肉というのは、
「実はカレーを作ってあるの。今日が二日め、食べ頃よ?」
「はい、それじゃあ
「ふふ。ええ、待ってるわね」
にこりと微笑みを向けられ、此方も笑い返して別れの挨拶。敷地内の駐車スペースからスクーターに乗り、支部を目指す。最後に、ちらりと自室の窓を見る。無論、何も映ってなどいないが。
何故か、そこから……燃え盛るような三つの瞳に、見詰められている気がして。
「
朝の残響のような空耳を、間近に聞いたような気がした。
………………
…………
……
今日も今日で、先の『
愚痴を言っても仕方はない。それは分かる。人間には誰しも身の程があり、大した人間など一握りだと。それは分かる。そして、大変なのは得てして『そうでない人間』の方だと言う事も。
「…………」
ピッ、ピッと警笛を鳴らす。快晴、炎天下の交通整理。まさかの信号機の故障、まさかの十字路。主要な道路でなく、学生主体の学園都市なのが救いだが。
それでも、かなりの車の数。それを陽炎の立ち上る十字路の真ん中で、既に三時間。無論、キチンと水分は摂っているが。
「交代だぜ、ロリコン先輩……」
「おう……悪いな、おむすびくん」
へろへろと交代に来た巨漢、『巨乳』Tシャツの後輩と、へろへろ交代する。これで今日のノルマは終了、後は支部に寄ってから帰るだけだ。
「お疲れ様です、嚆矢先輩」
「お疲れ様ですの、先輩」
「ああ、サンキュー。飾利ちゃん、黒子ちゃん」
と、そこに二人の少女が立つ。花の髪飾りのセーラー服の飾利と、ツインテールにブレザーの黒子。これもやはり後輩、しかし間違いなく来てくれて嬉しい女の子の方。
飾利から渡された、キンキンに冷えた缶ジュースを一気に煽って。
「…………何というか……独特な」
『味だ』とは言わずに、銘柄を見る。『芋サイダー』なるドリンク。一体、どんな会社がこんな物を販売するなどという英断を下したのか。
「あはは、実はさっき試しに買ったんですけど……やっぱり、不味いですよね……」
「まだ、口の中が
「ちょ、先にわたしの時にこのジュースの釦を押したの、白井さんじゃないで─────」
苦く笑う二人。じゃれあう女の子二人、微笑ましいものだ。だが、それよりもこれまで。
「う~い~は~る~~~っ!」
「へあっ?!?」
「とう!」
「ンぶふゥ!?!」
背後から忍び寄り、一瞬で飾利のスカートを巻き上げた少女。その長い黒髪が、しばしばさりと。飾利のスカートの裾とぴったり同じだけ、滞空して。
真正面から見てしまって、吹いた嚆矢。否、正確には黒子の裏拳で鼻面を叩かれて。
「おお、今日は水色と白のストライプかぁ。オーソドックスながら、ツボを押さえた選択ですなぁ」
「あ、あぁ……さ、佐天さんのバカぁぁぁぁぁ!」
佐天涙子は、びしりと親指を立てて笑い掛けたのだった。
………………
…………
……
夕刻、十六時。本部宛に本日の活動記録を提出し、後は帰るのみとなった。まだまだ日は高いとは言え、もしかしてと言う事もある。後輩(女の子限定)と涙子を送っていく事にした。
その道すがら、涙子がポツリと口を開いた。
「そう言えば、こんな都市伝説知ってますか?」
と、前置きして涙子が口を開く。相も変わらず、あんな目に遭っておきながら……記憶を消したのが悪かったか、アングラに首を突っ込んでいるようだ。
「『駅前広場の黒猫男』って話。何でも、第七学区の駅前で黒い猫の覆面を被った男が女学生に声を掛けてて、うっかり着いていくとボロボロに弄ばれた上に人体実験の材料にされちゃうんだって」
「何それ怖い。駄目だぞ、三人とも。そんな変態に着いていっちゃあ」
「御心配されなくても、まともな感性の人間であればそんな怪人物に着いていったりしませんの」
なんだか思い当たる節もあるような無いような気もするが、気にしない事にして。当たり二回、実質二人分で四人に行き渡らせたジュースを啜る。
因みに、今度はまともな自販機のジュースだ。その上で、何故か嚆矢は芋サイダー。
「う~ん、ドロッとしていてザラッとした最悪の舌触りと喉越し。後味を引くどころか、後味が悪いとしか言いようがない澱粉質。うん、一片の余地もなく不味い、最早糞不味い! ある意味凄い!」
「あの、幾ら勿体無いからって、そこまで言いながら飲まないでも……」
自らの『
詰まり、最初から『何が出るかお楽しみ』にこの芋サイダーしか入っていないのであれば、当然コレ以外が出る事はないのだ。単純な話である。
「え~、じゃあ、これは未確認情報なんだけど……御坂さんらしき女の子が真夜中に男性と追いかけっこしてるっていう噂が」
「あ~……まぁ、御坂も女の子だし」
「お姉様に限って、そんな事がある訳がありませんの! 証拠は、ソースはどこですの! 完膚なきまでに擂り潰してやりますわ!」
そんなこんなで、ツインテールで怒髪天を突いた黒子を宥めながら。気が付けば、別れ道。右方面の、駅を挟んだ彼方に嚆矢のアパート。前の通りのバス停に柵川中の寮方向のバス、そして左方面の彼方に常盤台の寮。
「では、わたくしはこちらですので。ごきげんよう、ですわ」
「じゃあ、ここで。気を付けて帰るんだよ、二人とも」
「貴方もですわよ」
然り気無く、一人になる黒子を送っていこうとしたのだが……流石に、新幹線には追い付けない。八十メートル先に
苦笑する飾利と涙子に向けて、肩を竦めて戯けてみせた。
「と言う訳で、送ってくよ」
幸い、彼女らの寮の場所は知っている。帰り道に迷うような事もない。ジュースを何とか飲み干し、何処かに屑籠はないかと見回す。
「あ、わたしが捨ててきますよ」
「いやいや、そんな悪いし」
「奢って貰ったお礼です」
おっとりしているように見えて、飾利が一度こうと決めたら梃子でも動かない事は、もう分かっている。
仕方なく空き缶を預ければ、自分の分と涙子の分も含めた三人分を持って、少し離れた場所にある……と言うか『居る』清掃ロボットの方へと、とてとてと駆けていく。
転ばないかと胸を高鳴らせた……ではなく、手に汗握ったのは内緒。
「────もし、そこのお二方。お訊ねしたい事があるのですが」
「え、あ、はい?」
「はい、どうかしましたか?」
そこに、背中から野太い声が掛かる。不思議と、どこかで聞いた覚えがある気がしたが……今は気にしない事にして。
振り向いた先、そこに────見覚えの無い、三十絡みの男性の姿。甚平に雪駄、扇子と言うこれから夏祭りにでも行きそうな出で立ちの長身に、痩躯にすら見える程に引き締まった身体。糸のように細い眼差しに笑みの張り付いた、スキンヘッドの
「いや、実は道に迷ってしまいましてな。ここにはどう行けばよいのですかな」
見せられた紙、そこには住所とアクセス方法。しかし、そこは。
「対馬さん、ココ、柵川中の寮ですよね?」
「多分……そうだと。お子さんにでも会いに?」
「似たようなもの、ですかな? ハッハッハ……」
いきなりの不躾にも、笑って済ませる鷹揚な人物のようだ。そのせいか、警戒心は失せている。そのスキンヘッドが、夕方の日差しを浴びてキラリと光って。
「だったら、私達が送りますよ。丁度、そこに住んでますから」
「おや、それは有り難い。篤く御礼申し上げます」
「
深く頭を下げられ、此方が恐縮してしまう。涙子も嚆矢も、揃って一歩前に。
「何の、恩を受ければ礼を尽くすのは当たり前の事。礼を失しては沽券に関わりますからなぁ……」
そんな二人に向け、頭を下げたまま。男性もまた、一歩足を踏み出して────。
「────この、
「────」
にたりと、嘲笑う声。背筋に感じた悪寒と、目に見えるかのように昂る瘴気。しかし、既に遅い。
胸に走る冷感。次いで、灼熱。最早、痛みはなかった。目にも止まらぬ『
「…………!? …………!!」
その猛毒により倒れ伏し、指先すら動かせない。そもそも、絶命していないだけで奇蹟だが。
此方に呼び掛けているらしい涙子の声も、最早意味を成さない。ただ、『逃げろ』と口に出来ない事が悔しかった。見下ろし、嘲笑う男性──『Ⅱ』と表紙に印された
意識を失う瞬間まで、それを。自らの浅慮を恥じながら…………
………………
…………
……
彼女が帰ってきた時、そこにはもう、誰の姿もなく。飾利は、ぽつねんと佇んで
「あれ……佐天さん、嚆矢先輩?」
見回したバス停に、二人の姿はない。無論、
それに、彼女はぷくりと頬を膨らませて。
「もう、置いてくなんて酷いですよぅ……」
『当たり前』の日常らしい言葉を口にしたのだった。