Shangri-La...   作:ドラケン

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七月二十七日・夜『悪心影』

 

 

 ルーンにより生み出した水で目を洗いながら、緑の灰の海を渡る。最後に学ランの袖口で目を拭い、それを脱いでカッターシャツ姿に。袖を帯のように腰に巻き付けてきつく絞り、彼方にて未だに微睡む“屍毒の神(グラーキ)”を目指して。能力(スキル)魔術(オカルト)を酷使した所為で、脳味噌を握り締めるかのような酷い頭痛がある。それでも、足は止めない。

 些細な話だ、そんな事は。今は、ただ……あの醜悪に微睡む化け物を。悪意をもって描くのに失敗してもああはなるまい、生理的な嫌悪が先立つ悍ましき邪神が目を醒ますよりも早く斬り棄てる。それ以外に思うところは無い。

 

 

 醜い、実に醜い。たった数百メートル先に鎮座する、蛞蝓(ナメクジ)雲丹(ウニ)八ツ目鰻(ヤツメウナギ)の合成体。ただ視界に納めるだけで吐き気が、嗚咽が、絶望が止まない。少しでも気を抜けば、思わず腰の得物で自刃してしまいそうな程に。それこそは、“旧き世の支配者(グレート=オールド=ワン)”。()()()()()()()()、“屍毒の(グラーキ)”の神たる存在としての()()()()()()が。

 気付け代わりの煙草、フィルターのみとなったそれを吐き捨てる。くるくると螺旋状に焔の軌跡を画いた後、緑の灰に呑まれる────よりも早く、ショゴスの乱杭歯に噛み潰された。貪欲な話である。今の今まで、目指す邪神の瘴気に震えて影に隠れていた癖に。

 

 

 それに僅かに笑んだ嚆矢は、代わりに長谷部に手を掛ける。鯉口を切り、臨戦態勢に。震える指先を握り締めて黙らせ、柄を潰すくらいの気概で。この空間を支える、幾つもの柱のは一つ。邪魔な一つを、躱して進む。

 敵対の意思を、明らかに。殺意と、戦意を籠めて────白刃を引き抜きながら。

 

 

『させないとも!』

「ッ…………!」

 

 

 刹那、背後に感じた瘴気。逆らわずに体を流せば、黒いメスを握る右腕が薙いだ。柱に突き刺さる事で動きを止めた酷く醜悪な、陰惨な右腕。下膨れのだらしない肥満体の腕、二メートル近い長さの怪物が。

 それを成したのは、先程通り抜けた柱の後ろからの存在。先程は誰も居なかった筈の、其所に居る者。

 

 

西之(にしの)……(みなと)!」

『フフ、ああ、昔はそう呼ばれていたね……だが、今は!』

 

 

 首の無い男は、白衣を振り乱しながら笑う。声を出す器官など無いと言うのに、耳障りな声を何処からか響かせながら。

 また、背後から繰り出された左腕。顔面を握り潰そうとでもするように、迫った掌。成る程、捕まれるだけでは済むまい。そこに覗くのは、口角を吊り上げた────血を流す、乱杭歯の()()()。あれが声の発信源か。

 

 

『“悪逆涜神(イゴーナロク)”────それが、今の名だ!』

「“悪逆涜神(イゴーナロク)”────?」

《『────痴れ者が(Fuuuuck)!》』

 

 

 その名を呟いた瞬間、“悪逆涜神(イゴーナロク)”の左腕を撃ち抜いた銃声と共に。“悪心影(あくしんかげ)”とセラから、同時に叱られた。と言うか、間違いなく罵倒された。

 その瞬間にはもう、背後に感じるモノが増えていた。“悪心影(あくしんかげ)”以外に、もう一つ。何か、酷く悪質なモノが。

 

 

『大人しく我が教団に加われば、蔵人と同じように彼女共々歓喜の内の死後(しょうがい)を約束したと言うのに……』

「誰が望ンだッてンだ、クソッタレがァ!」

『望んだではないか、その少女は! “幻想御手(レベルアッパー)”等と言う如何わしい物にまで手を出し、昏睡してまで!』

 

 

 背後に立ち、無造作に両手のメスを繰り出した怪物の気配。それを、しゃがんで回避する。そして立ち上がりながら、背後に一太刀を。

 

 

『その希求や良し! 今時の若者にしては実に素晴らしい! そう、力とは求めなければ手に入らない! 私に、命を甦らせる事に心血を注いだ私に“屍毒の神(グラーキ)”が微笑んだように、彼女には資格がある。故にこの私が“神なる力”の一部を与えようと言うのに……何故邪魔をする!』

「イカれてンじゃねェ────テメェこそ、与えられただけの力で粋がってンじゃねェよ!」

《チッ……敵、背面(うま)じゃ!》

 

 

 それも意味がない。愚鈍気な見た目とは正反対に、軽々と背後を取られる。そして襲いくる両腕のメス。それを明らかに出遅れ、前転で躱しながら斬り上げるように降り下ろす。

 

 

『しかし、これは好機である! 旧態依然と化した我が教団に刷新をもたらす、天啓であるのだ!』

「何────!」

 

 

 一太刀は、虚しく空を斬る。そして初めから其処に居たように。西之医師、否、“悪逆涜神(イゴーナロク)”は『前』に居た。そして、当たり前のようにメスを投擲する。辛うじて回避が間に合う、正確にはショゴスの防御のお陰だが。

 そんな嚆矢の背後にセラが立つ。苦々しげに、息を吐きながら。意識が無いと見える涙子を挟んで護るかのように。

 

 

『伯父貴が言った通りなら、“悪逆涜神(イゴーナロク)”は『壁の向こうから現れる権能(ちから)』を持つんだ! つまり視界の壁や思考の壁……()める意思がある限り、更にその背後を取られる!』

「……成る程、ね!」

 

 

 得心と共に、顔を向けていた方と反対の左側から“悪逆涜神(イゴーナロク)”がぶよぶよと不快な腕を突き出す。掴み、動きを封じようと────涎と泡を撒き散らす人間の口唇と、異様に長い舌の付いた掌を。触れれば即座に屍の仲間入り、間違いなく正気を失う様相で……涙子を狙って。

 

 

『後ろだ、カインの末裔(ヴァンパイア)!』

「チ────気持ち悪ィモン、突き出してンじゃねェ!」

 

 

 迎え、腕を絡めとり回転(まわ)す。合気を発露する。体重も百キロは軽く超えていそうなその怪物が、腕力と体重を乗せた威力を逆手に取られて宙を舞う。

 無論、見逃す訳の無い隙。即座に、長谷部を降り下ろし────

 

 

『流石に、あの鷹尾君を殺した腕前だ……まともに闘っては勝ち目はないか。しかし、それならばそれでヤりようもある!』

「野郎────!」

 

 

 声は、やはり背後から。回り込まれ、体勢も崩している状態ではメスを躱せず。駆け抜けた烈風纏う銃弾に、脂肪の塊の如き腕が弾けた。それにより辛くも、虎口を脱する。

 

 

糞が(shit)、あの伯父貴が梃子摺(てこず)った訳だ!』

 

 

 代わり、窮地に陥ったのはコンテンダーを放ったセラ。本体を貫くよりも早く、速く。肥え太った巨体が彼女の背後を取っていた。

 撃ち尽くした拳銃の弾倉を再装填(リロード)していたセラが、涙子を投げ出す。無論、嚆矢に向けて。

 

 

 過たず受け止め、代わりに────懐から取り出した、『南部式大型拳銃(グランパ・ナンブ)』を投擲する。やはりセラも過たず受け止め、背後の“悪逆涜神(イゴーナロク)”に向けて。

 

 

『貰った!』

「ッ!?」

 

 

 声は、嚆矢の背後から。同時に、頭が両手に抱え込まれた。即ち────

 

 

『『─────殺せ、奪え、犯せ! あらゆる“悪”は、人が。お前達が作り出したもの。故に、お前達にはあらゆる“悪”が可能だ!』』

「ア────ガ!」

 

 

 外部音声をシャットアウトしつつ二方向(サラウンド)から耳に、直接触れた口唇からの声が流し込まれる。精神を苛み、脳細胞を死滅させる恐慌の声が。

 正に衝撃だ。直接、脳味噌を殴打されたような。正気を保てる筈など、無くて。

 

 

『『今、お前の腕の中に収まっている者を見ろ……そう、それだ! まだ蕾ではあるが、間違いなく雌だ! お前の為の饗餐(きょうさん)だ、お前に貪られる為の生娘(いきえ)だ!』』

「ッ……ッ、俺の……為の?」

 

 

 色を喪った視界で見る。確かに、そうだ。セーラー服の娘、黒く艶やかな長髪の。まだ青いが、確かに……“雌”だ。もう、()()()()くらいには熟している。

 笑う。嗤う。自然と、口角が釣り上がる。きっと、誰が見ても醜悪な笑顔だろう。そう、自覚出来る程に。下卑た笑いで、彼女を……涙子を見詰めながら。美しい娘である、誰がそれを否定できるのか。後、五年もすれば誰に(はばか)りもあるまい。

 

 

「────釣れた、な」

《────阿呆が、のう!》

『『な──────!??』』

 

 

 刹那、突き立つ刃が二つ。長刃の長谷部国重(はせべくにしげ)と、短刃の宗易正宗(そうえきまさむね)の二刃が。()()()()()()()()()()()()()貫かれて。

 

 

『が、ギィアァァァ! 何故だ、何故私の洗脳が通じない?!』

「たりめェだ、阿呆。男の口説き文句なんざ、聞く訳あるか。俺を口説きたきゃ、女に生まれ変わって出直してこい」

 

 

 のたうち回るように、耳朶に侵入して脳味噌を弄り回そうとしていた二つの舌が乱舞した。それから逃れ、傷痕をわざと無惨に切り開きながら。致命傷を与えるべく、嚆矢は“合撃(ガッシ)”を構える。

 正しく、最後の一撃の為に。最期の一撃の、()めに。

 

 

『きっ、()ッッッッ(サマ)ァァ!』

「あばよ────!」

 

 

 遮二無二繰り出された両腕は、背後から。しかし、種のバレたトリックなど児戯に等しい。ショゴスの観測により得た背後の位置を元に、“ヨグ=ソトースの時空掌握(ディス=ラプター)”にて空間転移する刃が“悪逆涜神(イゴーナロク)”を捉える。

 その剣撃は“添截乱截(テンセツランゲキ)”。柳生新影流の剣は、護謨(ゴム)じみた表皮とゲルじみた中身の二重構造を深々と斬り裂く。右八相に構えて、上段から相手を切り下げ、再び片手で切上げ、更に上段から片手で突く技を。腐った肉を斬り、饐えた血飛沫を感じながら。剣舞は、確かに獲物を斬り捨てた。

 

 

 手応えは在った。さながら卵の薄皮を引き裂くような手応えと、魚の身を斬るような。

 

 

「チッ────!」

(かっ)、先程の南蛮武士とは違う意味で斬り辛いのう!》

 

 

 しかし、浅い。その分厚い脂肪から滲む(あぶら)が長谷部の刃を滑らせて、致死傷を与え損なわせた。

 断ち斬られた、汚汁塗れの右腕がコンクリートの床に落ちる。後僅かに踏み込めれば、止めをさせたのだが。

 

 

『グッ────ぎぃぃィィィィィ!』

 

 

 更に、背後に回られる。刃から逃れようと。しかし、そのイゴーナロクの無防備な背中に50口径弾が撃ち込まれる。セラの放った、“風王の爪牙(ハストゥール)”に導かれた南部式大型拳銃の。

 

 

『っ……中々、ご機嫌な反動(リコイル)じゃんさ!』

『ぎっ、ガァッ!』

 

 

 放つ、放つ。三発の魔弾は過たず標的へ。体内深く抉り、再生を許さない。悶絶しながら、再びイゴーナロクは姿を消す。今度は二人の背後には現れない。

 一瞬の内に訪れた静寂。不気味な程に静穏。抱き抱える涙子を、知らず強く引き寄せた。

 

 

「……何処に消えた?」

《ふむ……近くにはおらん。待て、見付けた。左後方(ひつじさる)、距離二〇〇米(にちょう)!》

 

 

 悪寒に、急ぎ振り向き見る。そこは、そう────

 

 

『ぬ、グッ……グラーキ様……かくなる上は、貴方様の覚醒を』

『ちぃ──あの野郎!』

 

 

 醜悪な神の、微睡む場所であり。既に携え、開かれた────『Ⅰ』と刻まれた“グラーキ黙示録(グラーキ=アポカリプス)”は魔力の渦に。

 その高純度な魔力に反応してか。三本の触手の先に着いた邪神の胡乱な眼差しが、イゴーナロクを捉えて。

 

 

『贄は、この私めが勤めましょうぞ……喰らえ(アイ)喰らえ(アイ)────“屍毒の神(グラーキ)”ィィィィィ!』

 

 

 呼び掛けに応え、円形に歯が立ち並ぶ邪神の口吻が開かれ────文字通り、『喰らう』。ばつり、と生々しい音を立てて。後には咀嚼音と、嚥下音。

 打ち砕けるだけの威力を持つコンテンダーの魔弾も、今からでは間に合わない。虚しく放たれた弾は、今、目覚めの食事を終えた神に向かって。

 

 

『─────オ ォ ォ j d w r ォ ォ ォ k g m w p ォ ォ ォ ォ ォ ォ オ !』

「『ッっ─────!!?」』

 

 

 狂死しそうな程に壮絶な咆哮を上げ、『棘』が弾を打ち砕く。正に雲丹が、身を護る為に棘を一方向に集めるように。戦車程もある巨体、揺らして蠢かせながら。

 どろついた三つの眼差しが此方を認める。先程迄とは比べ物にもならない、指向性すらありそうな狂気の瞳。

 

 

最悪だ(Holy shit)……『本物』の顕現を、許しちまった』

 

 

 黄衣の魔導師が、口汚く反吐を吐く。さもありなん、この圧倒的な狂気に晒されては。

 事実、彼女の隣の男なぞは既に膝を折って、無様にエヅきながら。最早、先に吐き尽くしており胃液すら出ないと言うのに。

 

 

「ハァ、ハ……ハッ。神様なンて仰々しく呼ばれてる割にゃア、何て(こた)ァねェ。只の、海産物だろ」

 

 

 まだ、その心神は生きている。まだ、爛々と()()()()している。

 袖で口を拭いながら立ち上がり、涙子をセラに預けて歩を進める。ただ、真っ直ぐにグラーキを目指して。

 

 

呵呵(かっか)、しかし敵は名実共に『本物』じゃぞ? 先の“迷宮蜘蛛(あいほーと)”や“悪逆涜神(いごーなろく)”のような『独自解釈』ではなく、のう》

「だから、何だ。知った事か、殺す。アイツは、俺の()()に手ェ出しやがった。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 足を踏み出す。止まりそうになる足を、挫けそうになる意志を廻す。腐敗した息を吐く邪神への一歩毎に強まる瘴気や害意、狂気や悪意をまともに浴びながら。

 長谷部が震えるのは、同化するショゴス……“バルザイの偃月刀”が(おのの)いているからだけではない、嚆矢の身体もまた、震えているからだ。

 

 

《莫迦め────死ぬぞ?》

 

 

 当然だ。あんな化け物を相手にして、無事に済む理由などない。現に、既に精神の何処かが死んだ感覚もある。或いは、其処が恐怖だとか言う分野なのかもしれない。木山春生辺りにでも聞いてみれば面白いかもしれない。檻の中に行けるなら、だが。

 否、行くだけなら何時でも出来る。殺人機械たる己なら、何時でも。

 

 

《では、(わらわ)の────》

「要らねェ、()()()で、片ァつける」

 

 

 聞き飽きた台詞を吐かれる前に、話を打ち切る。手持ちは神刻文字(ルーン)錬金術(アルキミエ)、祭具“バルザイの偃月刀”と刀“長谷部国重(はせべくにしげ)”、脇差“宗易正宗(そうえきまさむね)”。

 これだけを持ち合わせながら、一つも頼りに出来ない。それだけの圧力が、目の前から。

 

 

『─────オ ォ ォ j d w r ォ ォ ォ k g m w p ォ ォ ォ ォ ォ ォ オ !』

「『ッっ────??!」』

 

 

 壮烈な咆哮と共に、黒い棘が────槍襖が()()()()。投槍の如く、二百メートルの距離を無にする一射。それをセラは跳躍して、身を竦ませた嚆矢は刃を振り降ろし……弾き返され、幸運でそれを躱した。

 

 

 それが気に食わなかったのだろう、邪神は苛立たしげに。身を丸めるように────巨大な棘の密集する大鉄球と化して、前進を開始した。

 これなら、外す事もない。後百メートル進むだけで、嚆矢は()()()となるだろう。

 

 

 それでも、前に。足は止めない。最早それはただの痩せ我慢に過ぎず、ただの意地で。

 

 

《やれやれ、この頑固者には参ったのう。(わらわ)としては、折角の憑代(よりしろ)を喪う訳にもいかぬ……では、やる事は一つじゃな》

「…………?」

 

 

 物言いに、不審を覚える。背後の影、恐るべき『第六天魔王』“悪心影(あくしんかげ)”の翻意。今まで、僅かな付き合いとは言え、この存在が意志を曲げた事はない。

 では、その真意はなんだ。その、為すべきは────

 

 

《────無理矢理にでも、剱冑(ツルギ)を着せる他に在るまいのう!》

「ッ─────?!」

 

 

 その、ただ一つ────!

 

 

『“悪心影(あくしんかげ)”────貴様この(オレ)を、この“第六元魔王”を! このような些末事に!』

 

 

 空間を砕き、現れたモノが居る。まるで虫食いの穴のように、次元を喰い破って────穴を穿ちながら、招聘された黒色の刃金。体長二メートル程の、巨大な螻蛄(ケラ)が吼えながら。

 覚えている。あの夢の中で、見た姿。自らを“魔王”と宣わって憚らない、()()()()

 

 

(やかま)しい────弾正忠(だんじょうのちゅう)の勅令である。(わらわ)が憑代を、()()()

『貴様ァァァァァァァ!』

 

 

 怨嗟の咆哮と共に、螻蛄が砕ける。否、無数のパーツに分解されたのだ。さながら嵐の渦中、逃げるどころか身構える事すら出来ない刃金の乱舞に晒されながら。

 

 

《さて、後は御主次第じゃ。呑まれ、狂い果てるも佳し。呑み、従わせるも佳し。全て、全て────あらゆるものは、貴様次第じゃ》

「“悪心影(あくしんかげ)”……!」

 

 

 悪態は、最後まで紡げない。それよりも早く、刃金が身体を覆う。先ずは右腕、飾利を狙った蚯蚓(ミミズ)と黒子を狙った猟犬(リョウケン)を打ち倒した時に摸倣し、纏ったモノが。だが、違う。まるで意味が違う。これは『本物』だ。

 まるで億を超す毒虫に食い付かれたような、壮絶な痛みと熱さ。グラーキの視線など、目ではない。その悲鳴すら、続々と纏わり付き顔面をも覆う刃金に呑み込まれて。

 

 

────諦めろ。人間に、耐えきれる筈もない。屈しろ、それで全て、楽になる。

 

 

 漆黒に閉ざされた視界に、光が見える。嗚呼、それは……

 

 

『無駄な足掻きだ。屈せ────人間! この“第六元魔王(ラグニル)”に!』

(…………!)

 

 

 衝撃を伴う咆哮を放つ……天を突く程に巨大な竜であり。6つの瞳に6つの腕を持つ竜、“まやかしの魔王”にして“第六次元の大君主”たる“大魔王竜(ラグニル)”であった。

 

 

『今や此処に、貴様以外は存在せぬ。脆弱な人間、哀れな人間! 貴様以外にはな!』

 

 

 確かに。確かに、そうだ。“悪心影(あくしんかげ)”は勿論、ショゴスの気配すらない。頼る事が出来るのは、最も脆弱な己のみであり。

 

 

『死ね、消えろ! (オレ)が糧となってな!』

(………………)

 

 

 圧力に、膝を突く。耐えきれる筈もない。そもそも、多寡が人間風情で……魔王に立ち向かおうとは、何事か。そんなモノは、何処かの勇者にでも任せておけば良かったのだ。それを、何をトチ狂って対馬嚆矢風情が代替しようとなどしたのか。

 今更ながらに、苦笑する。嗚呼、何と愚かな話か。身に余るモノを得ようと振るっての破滅など、見飽きる程に目にした癖に。

 

 

(それ、でも)

 

 

 それでも。

 

 

(生き、たい)

 

 

 『生きたい』。その意志だけは、変わらない。今まで、幾多を犠牲にして生き永らえながら。今まで、幾多を犠牲にして生き永らえ()()()

 

 

『■ぃに……』

 

 

 恐らく、幽明で唯一の。人生で最初であろう、その記憶。ひしゃげた車のボディによる鋼の檻の中、周囲に燃え盛る焔。鼻を突く揮発油(ガソリン)の臭い、腕の中で冷たくなっていく……■■■■に貰った、この生命(いのち)で。

 

 

(生きて、()る。俺は、全てを()る────俺が殺した、あらゆる全てが()るべきだった……全てを!)

『キッ、貴様……!』

 

 

 目を、見開く。見えもしない目を。それでも、見詰める為に。自らの全てを、為すべき事を。

 何故ならば、それは────()()()()だ。刹那に消える、夢に他ならない。だからこそ、等の昔にあらゆる罪を犯した己には、相応しい末路であり。

 

 

『何、だと……まさか!』

(消えろ、有象無象(まやかしの魔王)。奴は、俺が()る)

『…………出来るか、貴様に。甘ったれ、全てを忘れたような貴様に!』

()るさ。()らなきゃ……喪う、それだけだ。俺は、俺の利己(エゴ)に戦う)

 

 

 決意と共に、押し返す。津波の如き圧力は全て返り、喚き散らす邪竜への返歌となる。思い出した、その一説。即ち、それこそが光明であり。故に、嚆矢は思い至る。

 

 

「そうか……()()()()だったな、お前は」

『ッ────ッッッ!』

 

 

 初めて、邪竜が息を呑む。漸く、“悪心影(あくしんかげ)”の言葉の意味に辿り着く。幾度もそう口にしていた、事実に。

 最早、余裕しかなく。掌に乗る相手を見詰める。爬虫類、或いは羽虫。愛らしい程に小さい。自覚さえしてしまえば魔王ですらこんなものか。そんな狭量に、告げる。

 

 

「俺は()く。邪魔すンな、────“悪心影(あくしんかげ)”」

『……ならば、佳し。是非もない。呵呵(かっか)、詰まらんのう! もうバレたか』

 

 

 最期に、微笑むように。記憶の端、忘れかけていたモノを。あの、“迷宮蜘蛛(アイホート)”の槍騎士の言葉を思い出して。

 

 

『マジも大マジ、糞真面目よ。クトゥルフ神話とは、()()()()()()()なのだからな』

 

 

 ゆるりと立ち上がり、体の具合を確かめる。妙に高い視界、そして軍用HMD(スマートグラス)のように照星(レティクル)や高度計、己の状態が表示されている。

 目線を、前に。彼方に蠢く“屍毒の神(グラーキ)”の名と、彼我の距離が表示される。その瘴気も悪意も狂気も害意も、今は微風のようなものだ。

 

 

(随分と近代的だな、まるで戦闘機パイロットの気分だ)

《しょごすが喰らっておった『駆動鎧(らーじうぇぽん)』……じゃったか? あれの絡繰を参考にしたのじゃ。時代に合わせた改修工夫(あっぷでーと)という奴じゃな》

(便利なこって。まぁ、使い易くて良いけど)

 

 

 ()()()()を止めて、是非もなく消え果てる。それで良い、後には、血生臭い血風以外には吹かない。

 後に残るのは、漆黒の南蛮胴(なんばんどう)に身を包んだ鎧武者のみであり。まるで、邪悪そのものが凝り固まった竜と見る程に、異形であり。

 

 

()くぞ────“悪心影(あくしんかげ)”!)

応友(おうとも)よ────!》

 

 

 刃金に包まれたままに嚆矢は残る残思の全てを代弁しながら、新たに刃を握る。それが、全てだ。

 漆黒の鎧、全身に。腰の兇器、傍らに。恐らく、生涯の幸運を使い果たして。

 

 

(“人間五十年……下天の内を競ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり”)

《“一度(ひとたび)(しょう)を得て”……》

 

 

 切り開く、自らの末路を。睨み据える眼前の“屍毒の神(グラーキ)”、『例え神だろうと()()()()()()()()()』のであれば。

 腰に下げた鞘に“長谷部国重(はせべくにしげ)”を────()()()()()()

 

 

《《────“滅せぬものの、在るべきか”!》》

 

 

 『ならば、()()()()()』と、意気を新たに腕を組み。

 最早、至近距離に迫った死そのものに対して。

 

 

裏柳生新影流兵法(ウラヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)明身(アケミ)”が崩し……》

 

 

 燃え盛るような三つの深紅の瞳と、刃金の隙間に蠢くショゴスの血涙を流す無数の瞳を輝かせて────!

 

 

《“相転移刀(フェイズシフトガン)”────“陽炎(カゲロウ)”》

『ガ j d x g 、 ギ ァ ァ ァ m a k t p ァ ァ ァ ァ ァ ァ ァ j t m d k p ァ ァ ァ ァ ァ ! ! ! ?』

 

 

 『業のみが有り、位が無い』とされる裏柳生の暗殺居合剣。柄に手を触れる事すらもなく逆手に抜刀された長谷部により、巨球は────真っ二つに、一刀両断に断ち斬られた。

 

 

呵呵呵呵呵呵呵呵(かっかっかっかっかっかっかっか)! 図に乗り調子に乗り、この世に現れた虚構(うつけ)めが! この世は人の世、天地遍く人為なり! 貴様ら神仏魔羅(有象無象)の這い出る隙など、蟻の一穴すらも無いわ!》

 

 

 腐り果てた血飛沫を浴びる事もなく背後に駆け抜けたまま、残心を示した鎧武者。その()が吼える。快哉快哉と、叫びながら。

 

 

《“神魔覆滅(ばらんすぶれいかー)”────星辰の彼方に失せよ、雑兵めが!》

 

 

 緑色の灰と崩れ去ったグラーキの体内から、『Ⅰ』と『ⅩⅠ』の銘を付けられた魔導書“グラーキ黙示録(グラーキ=アポカリプス)”が地に堕ちる。納刀してそれを掴み上げ、見詰めながら。

 

 

『あれが、“悪心影(あくしんかげ)”……かつて日本(ジパング)を征しかけた、魔王(サタン)

 

 

 黄衣の魔導師は、唾棄するかのようにその背中を睨み付ける。如何に『()()()()()()()()()』とは言え、紛う事なき旧支配者の一部を滅ぼした武者を。

 

 

 マントじみた黒母衣(くろほろ)と黒羅紗の陣羽織を纏い、挟箱のようなものを左右に一対背負って腰に二本を挿したその姿。大兵の鎧武者、身長は二メートルを遥かに越える。腕や脚も強靭そのものであり、魔術的な強化も窺えた。

 何より、その鬼気。それは、そう……『殺意』そのものだ。目に映る全てを殺し尽くす悪鬼修羅の類。アレは僅かとも、信じる事も頼みに出来ぬと彼女は悟る。

 

 

《……さて、と。じゃあ、戻ろうぜ》

『っ……!』

 

 

 その背中から掛けられた声に、正体を取り戻す。あらゆる敵の消え去った地下貯水施設。その虚ろの中でコンクリートを踏み砕きながら、武者が歩いてくる。

 

 

『……まだ、だ。他の所有者が外に逃げた。男が四人に女が三人』

《……そうだったな。じゃあ、手分けしようぜ。男は全て俺が殺る》

 

 

 魔導書を投げ渡す。代わり、『空間』を引き裂いて涙子を受け取る。有無は言わさない、言うのならば……と。意志を込めて、睨み付けて。

 

 

『ああ、良いよ。ただし、今日中だ』

 

 

 魔導師の言葉に、金属を擦り合わせる音を立てながら首是する。そのまま────

 

 

位相加速(フェイズアクセル)────正転(ポジティヴ)!》

 

 

 跳躍するように、速度を上げた鎧武者が『天井から』消えていく。背中の双発の火筒(スラスター)を吹かして。

 それを見送り、呟いた彼女。その背後に、立つ影が一つ。

 

 

『……やっぱ、あの時殺しとけば良かったかな』

「『後悔先に立たず』だな、セラ?」

『うるせぇやい。援護射撃もしてくんなかったくせにさ!』

 

 

 “水神クタアト(クタアト=アクアディンゲン)”を携えたレインコートの男、ティトゥス=クロウが。

 がなりたてる『妹』に、『兄』は。仄かに笑いながら、その頭をフードごと撫でる

 

 

「さぁ、野狐狩り(フォックスハント)だ。魔の眷属どもを殺すぞ、セラ」

『……ふん』

 

 

 仮面の娘は表情を読ませぬまま、腕組したままにされるがまま。

 

 

………………

…………

……

 

 

 薄暗がりの路地裏を歩く少年は欠伸と共に、気怠げに髪を掻き上げた。気心の知れた仲間との夜遊び明け、別に学校に行く訳でもない『落第生(スキルアウト)』だが、飲酒してぐるぐる回る視界では早めに休むしかない。

 仲間の二人、ゴリラと忍者から散々に進められて歩いて帰る最中、金髪に染めた彼は────曲がり角で、走ってきた男にぶつかられた。

 

 

「っ……てーな、気を付けろ!」

「ひっ、ひぃぃ! ゆ、許してくれ、もう関わらない、関わらないから!」

 

 

 いつもの通り、威勢良く相手を罵倒する。振り返り見た、其処に……男は、居た。いつもの通り、こちらを見ながら……真面目そうな学生服の少年は、怯えた表情を見せて。

 

 

「ゴメンで済めば警備員(アンチスキル)は要らねぇんだよ! この落とし前、どうつけて────」

「ひっ────ひぃぃ!」

 

 

 いつもの通りだ、後は少し脅して落第生への恐怖を植え付けるだけだ。他の落第生とは違い、その程度に済ませるのが彼の美徳。

 

 

《────覚悟は出来ているな、魔導師》

「──────────」

 

 

 だから、背後からのその声。己など比較にもならない程に。『殺意』を漲らせた声に、凍り付く。

 

 

「あ、ああ……頼む、助けて……」

《…………………》

「死にたくない、死にたくない! ただ、それだけで……本当だ、黙示録も渡す! だから────」

 

 

 漸く、落第生は悟る。初めからこの二人は、自分など相手にしていない事を。一気に、心が凍る。それもその筈、背後から迫る者の気配に。重厚な足音、金属の擦れ会う音。気を失いそうな程の圧力に、呼吸すらも出来ずにへたり込む。

 無様に尻餅を付き、這いずるように横道に。その目の前を────鎧武者が、アスファルトを踏み砕いて横切る。そして、銀色に輝く刃金の残光が……『本』を差し出していた学生服の少年の胸に吸い込まれるのを見た。

 

 

「か────ひゅ?」

《阿呆が……覚悟も責任もなく、魔術を弄んだ愚物。相応の惨めさで果てろ!》

 

 

 それが、真上に振り抜かれた。胸から上を失い、少年の残骸はくたりと(まろ)ぶ。

 

 

《これで、全てか》

 

 

 後には、夥しい血の雨。降り注ぐ肉片。それを浴びて、元より血塗れだった装甲を更に紅く染めた鎧武者。本を拾い上げたその瞳が、落第生を見詰めた。

 

 

《…………》

「────」

 

 

 刹那、少年は死を自覚した。こんな出来事を知りながら生かされる道理はない。そして、死を免れうる状態にもない。僅か十数年の生涯ではあったが、走馬灯のようなものも……見える事は、無くて。

 

 

「あ……」

 

 

 踵を返した鎧武者は、路地の暗がりに消えていく。見逃されたのだと悟り、失禁しかける程の恐怖から覚めた彼は、ぽそりと呟いた。

 

 

「赤い……駆動鎧……」

 

 

 後に『学園都市の都市伝説の一つ“人喰いダルマ”』となる、台詞を。『浜面 仕上(はまづら しあげ)』は。




※妄想ステータス値

通称 :“悪心影”長谷部国重装備
仕手(して):対馬嚆矢
種類:真打/重拡装甲
異能/特殊兵装:均衡崩壊/空間歪曲/神魔覆滅
仕様:汎用/白兵戦
合当理(がったり)仕様:熱量変換型双発火箭推進
独立形態:螻蛄(ケラ)
攻撃:4
防御:3
速度:3
運動:5
4項目小計:15
甲鉄錬度:3
騎航推力:2
騎航速力:2
旋回性能:5
上昇性能:3
加速性能:4
身体強化:3
7項目小計:22

こんなん出来ました(切腹)
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