Shangri-La...   作:ドラケン

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第四章・Chapter Ⅰ “妹達”/Radio-Noise
八月一日:『雲耀』


 

 

 それは、七月最後の日。稲光が引き裂いた漆黒の空から降り注ぐ雨粒が叩き付けられる闇夜の底で、一人雷鳴を聞きながら。路地裏の物陰に隠れたままで、びしょ濡れになりながら『その時』を待つ。

 時ならぬ雷雨に、視界は最悪だが問題はない。軍用ゴーグルを操作し、熱源探知(サーモグラフィー)に切り替えて。覗きこんだ曲がり角の先に、悠然と歩いてくる人の形の熱源が一つ。

 

 

「あァ────面倒くせェ。何も、こんな日にまでヤる(こた)ァねェだろうによォ」

 

 

 ゆっくりと、この豪雨の中を傘も差さずに歩く少年らしき熱紋。それを確認して、常盤台の制服を纏う少女は握り締めている細身のライターのような形状の、スイッチのカバーを外す。

 

 

「オイオイ、何処に居やがんだァ? 今回はやけに消極的じゃねェか」

「……………………」

 

 

 あと五歩、まだ早い。この距離では駄目だ。()()が踏み込むまで。

 

 

「ンだよ、かくれンぼかァ? (だっり)ィなァ、さっさと(しめ)ェにしようや」

「……………………」

 

 

 あと四歩、まだまだ。この距離では、()()()()()()()

 

 

「チッ……無視かよ。あ~あ、段々腹立ってきたわ……」

「……………………」

 

 

 あと三歩、もう少し。遅過ぎても早過ぎても、通用しない。ジャストでなければ、死ぬのはこちら。

 

 

「よォ、どんな死に方が好みだァ? 挽き肉か、細切れかァ? 好きな方を選びやがれ」

「……………………」

 

 

 あと二歩、あの『能力』の効果範囲に─────

 

 

「返事なしかよ……ンじゃ、勝手に選ばせて貰うぜェ?」

「……………………」

 

 

 あと一歩、踏み込めば()()────!

 

 

「────────!」

 

 

 押し込まれたスイッチにより、少年の歩く路地に設置されていた爆弾────高指向性対人地雷、所謂『M18 クレイモア』を学園都市の技術で更に強化した『M18R 鋼の雨(スティール・レイン)』が、これ以上ないタイミングで起爆した。

 少年の直ぐ脇で、高指向性爆薬が爆ぜて内部の散弾を撃ち放つ。そもそも、それだけでも人どころか装甲車や戦車の無限軌道(キャタピラ)くらいなら吹き飛ばせる。

 

 

 だと言うのに────撒き散らされた子弾が更に炸裂して、電子制御により『少年』に向けてのみ、全方位から文字通りの『鋼鉄の豪雨(スティール・レイン)』を撒き散らす。完全な過剰殺傷(オーバーキル)だ。

 故に、『対人地雷』としては失敗作。間違いなく、殺してしまうから。無論、それが足下で炸裂した『少年』はもう、肉片しか残っていない筈であり────

 

 

「────っ?!」

 

 

 覗き込んでいたゴーグルが、撥ね飛ばされた。茶色のショートボブの髪が、幾らか散る。それを為したのは、間違いなく──────

 負傷した片目を押さえる右手。零れ出す赤い滴、止め処なく。

 

 

「────細切れの後にィ、挽き肉だな。イィッツ、ショオォウ、タァァイム」

「あ────…………」

 

 

 その『濡れてすらいない右手』の持ち主である『白髪の少年』が稲光に照らされながら、悪鬼の如き笑顔のままに耳許に語り掛けた言葉を最後に─────雷鳴の轟く路地裏に、今度は血の雨が降って。

 

 

「…………第8376次実験“全方位同時飽和攻撃に対する反応テスト”の終了を確認。目撃者、なし。『廃品処理』の後、帰投します」

 

 

 それを、びしょ濡れのまま『見ていた』もう一人の常盤台の制服を纏う少女。彼女は、無惨な挽き肉と化した『少女だったもの』を見下ろしながら。

 

 

『お疲れ様、撤収後三時間で次の実験だよ。いつも通り指揮は任せるね、“中継装置(トランスポンダー)”?』

「了解しました、“教授”。“10000号(トランスポンダー)”より伝達、8377号は次の実験の準備を。8378号から8400号には撤収作業を開始を指示します」

 

 

 それを確認したもう一人の『彼女』は、ゴーグルに内蔵された通信機器に向けて呟いた。耳に届く掠れ気味の老人の声は、実に楽しげに。実に不快な余韻を残して、消えた。

 その声に答えて────周囲の物陰に、ゴーグルの光が無数に浮かんで。稲光が照らした『彼女』…………軍用ゴーグルを外し、雨雲に覆われた夜空を見上げる『御坂美琴』の姿。

 

 

「……………………何故」

 

 

 通信装置を切ってのその呟きは、雷鳴に掻き消されて誰にも届く事なく…………。

 

 

………………

…………

……

 

 

 現在時刻八月一日朝八時、風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部への通勤途中。昨夜の雨に濡れた道は、しかしもう、夏場の猛烈な暑気に乾きかけている。

 足下から這い上がってくる水蒸気に、少しは涼しいような。蒸す所為で不快な気分を味わいながら、嚆矢は歩く。

 

 

 その道々、通行人からクスクスと笑われる。子供からなど、指を指されてしまう始末。通常の学ラン姿、別に寝癖が付いている訳でもない。では、何故か? 当然、背中の少女の為だ。

 

 

「うむ、この『はんばーがー』とか言うものは実に合理的じゃな。紙で摘まんで食えるところが良い、合戦の最中には籠手が外せぬからのう」

「さいですか……つーか、俺の分まで食うなよ!」

「良いではないか、良いではないか。呵呵呵呵呵呵(かっかっかっかっかっか)!」

 

 

 『面倒じゃ』と歩く事を拒否して嚆矢に背負われたまま、つい先程コンビニで買った朝飯のハンバーガーを食いながら満面の笑みを浮かべる……紫と白の矢絣(やがすり)模様の大正の女学生風味な、夏用に紗で織られた裲襠(うちかけ)を羽織り、螺鈿(らでん)細工の施された(こうがい)のような(かんざし)で黒髪をポニーテールに結い上げた、市媛の。

 無論、二人分を。黒いポリエステル製の薄手の夏用学ランの肩口には、パン屑がポロポロと降ってきている。雲脂(フケ)のようなので、心底勘弁して欲しい。

 

 

 しかも、それを微笑ましく見られながら、だ。相変わらず、市媛の『魔術』というか『妖魅』により、周りからは『仲良し兄妹』と見られている。一種の、公開処刑の気分だ。

 

 

「あ、おはようございます、嚆矢先輩、織田先輩」

「おはようございますですの」

「あ、おはよう飾利ちゃん、黒子ちゃん」

「うむ! 苦しゅうない、大儀である」

 

 

 そこに行き合った飾利と黒子も勿論、『兄妹』として疑わない。『織田さん』等と、苗字が違う事も知っているのに。

 

 

「相変わらず、仲がお宜しいことですわね」

呵呵(かっか)、妬くでない。(わらわ)は別に、男でも女でもイケるぞ?」

「何の話ですの、何の!」

「勿論、『ナニ』の話じゃのう。呵呵呵呵(かっかっかっか)!」

 

 

 と、黒子からジト目で見られていた市媛が、嚆矢の背から飛び降りた。翻る裲襠(うちかけ)の裾と袖、その下の……嚆矢ですら始めて見た、弐天巌流学園(ぼこう)の女生徒用学生服。

 モダンでシックな、これと言った特徴の無い黒のセーラー服。白いタイで襟には日本の白線、ミニのフレアスカートに海老茶色のストッキングで。卸し立ての革靴を鳴らしながら、からからと豪快に笑いつつ。

 

 

「……………………?」

 

 

 雲一つ無い快晴の青空を見上げた嚆矢は────燦々と注ぐ直射日光に『今日も暑く長い一日になりそうだ』と。一条棚引く飛行機雲と、抜けるような青色。モノレールの走り抜ける金属音、降り頻る蝉時雨を聞きながら。

 既にぐっしょりと掻かされた汗の不快感と共に亜麻色の髪を掻き上げ、青空を引き裂く幻影のような雲耀(うんよう)を。予感にも似た予兆(きざし)を、その目に見たような気がして。

 

 

「よ~よ~、兄ちゃん。朝っぱらから見せ付けてくれるねぇ!」

「羨ましいねぇ、俺らにもその幸せ分けてくれるぅ?」

「『一人は皆の為に(ワン・フォー・オール)』って言うだろぉ?」

「だぜぇ、独り占めはイケねぇよなぁ?」

「そ~そ~、一対三より六対三の方が余らなくて済むじゃん?」

「兄ちゃんは帰ってシングルプレイでどうぞぉ?」

 

 

 目の前に立ちはだかった『如何にも』な風体の六人組の不良男(スキルアウト)達を見て。

 怯えた飾利と男達の存在にすら関心を払わずに扇子で涼んでいる市媛を、黒子と共に庇い立つ。

 

 

「……朝っぱらから()()()()かよ」

「右に同じく……はぁ、朝からついてませんの」

 

 

 嚆矢は『硬化』のルーンを刻んだ革手袋を嵌めつつ、黒子は金属矢を指に持ちつつ、実に面倒げに。

 

 

「本当、この都市って退屈しねぇな……」

 

 

 心底から呆れ果てた風に吐き捨てながら、まだ装着していなかった『風紀委員(ジャッジメント)』の腕章を取り出したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 それは、遡って数分前の事。

 

 

「……………………」

 

 

 頬杖を突いてモノレールの窓の外を詰まらなそうに眺めていた、ハンチング帽に大きなヘッドホンを首に掛け、火の着いていない煙草を銜えた少女は、その青菫石(アイオライト)の瞳を一回だけ瞬かせる。

 一番端の席で隣の席にキャリーケースとビニール傘を置いて全てに関心を払っていない、薄手のジャケットにホットパンツ、ニーソックスとブーツの娘は。

 

 

「ちょっとちょっと聞いてんの~、お嬢ちゃん?」

「何だよ、無視することないじゃん?」

「俺らはさ、親切心から言ってんだよ~?」

「俺ら、学園都市に詳しいから案内してあげるってさぁ」

「そ~そ~、お兄さん達が手取り足取り腰取りな」

「なんなら、大人の階段まで案内しちゃうぜ~?」

「……………………」

 

 

 そんな少女の真横、通路側に下卑た笑い顔の男達が立っている。一つ前の駅で乗り込んできた、落第生(スキルアウト)だ。その六人が、実に()()()()()()()()()を向けながら。

 周囲の乗客は、見て見ぬ振りだ。それが一番、無難であるから。それもあろう、しかし一番の理由は。

 

 

「“────煩い、黙れ”」

「なっ────!?」

「テメッ────!?」

 

 

 無関心な様子のままの少女の発した、その台詞。それに、六人は逆上したように顔を真っ赤にして────喉を押さえて、錯乱したように。或いは、酸欠の金魚のように口をパクパクさせて。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「“次の駅で降りて、その足であの男の周りの女をしつこくナンパしなさい”」

「「「「「「…………………」」」」」」

 

 

 初めて、表情に『怒り』じみたものを浮かべた彼女に与えられた()()に、男達の目が虚ろに濁って。そのまま、ふらふらと出入口付近に立つと、タイミング良くモノレールが止まる。男達は、そこで降りていった。

 それに、興味を向ける事もなく。青菫石(アイオライト)の瞳を、また一回、瞬かせて。

 

 

「……本当、この都市って────退屈させてくれるわね」

 

 

 一点を────眼下で、女学生三人を連れた()()()()()()()()を見詰めながら。深海のように静かな車内で、誰にともなく呟く。

 

 

「“ねぇ、浮気者の義兄(にい)さん?”」

 

 

 口角を、さながら三日月のように吊り上げて。『親愛』と言うには些か、熱の籠り過ぎた声色で────…………

 

 

………………

…………

……

 

 

 絡んできた六人の落第生(スキルアウト)を黒子と共に、三分で叩き伏せて警備員(アンチスキル)に引き渡し、支部に少し遅れて出動する。一応、『風紀委員(ジャッジメント)の活動』で遅れたのでお咎めは無しだった。とは言え、遅れた事には変わりはない。

 

 

「では、今月の活動方針を確認します。先月の『幻想御手(レベルアッパー)事件』のように、何時なんどき危険な事件が起きるかは分かりません。その為、平時の巡回を強化するよう指示が出ています」

 

 

 朝礼中の室内に静かに入り、美偉の伝達に耳を傾ける。月初めなので、確認事項が多く少し長めらしい。

 

 

「管区内でも『路地裏のマネーカード』の件などがありますが、今朝も不良生徒による委員の襲撃が有りましたので、常に数人のペアで行動を心掛けてください」

 

 

 早速、先程の事を引き合いに出されて視線が集まってくるのを感じる。幾分、居心地が悪い。恐らく、それは黒子も飾利も同じ。不適な態度を崩さないのは、市媛くらいだろう。

 そう、此処でもやはり、彼女は当たり前に風紀委員(ジャッジメント)として受け入れられている。

 

 

「では本日も一日、宜しくお願いします。以上、解散」

 

 

 その朝礼も終わり、解散する。三々五々、支部を後に風紀委員は学区内に巡回に。勿論、嚆矢らもそれに倣う。

 黒子と飾利、市媛の三人と共に、学園都市の雑踏に踏み出す。嚆矢は、黒子の『金属矢』と同じく。彼の『()()()()』を、忍ばせて。

 

 

「ふむ、しかし……一人で楽市楽座とは恐れ入るのう、その発想は(わらわ)にも無かった。さては其奴(そやつ)、サル並みの達者か?」

(いや)、あんな大人物はそうそう居ねェから」

「サルが大人物? ハハッ、抜かしおる」

否々(いやいや)、後の関白だから」

 

 

 開口一番、市媛がそんな事を口走った。夏の風に裲襠(うちかけ)とポニーテールを翻しながら、唇を尖らせた彼女は思案した顔を見せて。

 

 

「兎に角、八月の重点は『マネーカード事案』ですの。路地裏を虱潰し、方針はそれで宜しいですの?」

「文句無し、それじゃあ行こうか」

 

 

 方針には文句はない。どう考えてもマイナスが先立つ事案だが、もしもそれが犯罪の為にバラ撒かれたフェイクだとするなら、十分に解決対象だ。

 まぁ、そこまで来ると、警備員(アンチスキル)の領分だが。だからこそ、嚆矢は此処に居るのだから。

 

 

 その後、一般生徒への聴き込みや路地裏を可能な限り見回って。幾つか見つけ、又はマネーカードを探しているらしき人物とも何度か鉢合わせて横領になる前に回収したりして。

 土地勘のある路地裏を、三時間ほど掛けて隅々まで見回った。その結果────

 

 

「しめて二十一枚、総額十八万円分……世の中、何考えてるか分かんねぇ奴が居るもんだ」

「ほう、単価は分からぬがそれなりの額であろ? では茶店に行こうぞ、遊里(ゆうり)ならば尚良し」

「行くわけありませんの、そして後者は存在してませんの」

 

 

 結構な枚数と金額になった為、一旦支部に帰る事として。その道々、嚆矢は呟く。辟易した表情で、マネーカード探しに飽きて彼におぶさっている、市媛を運びながら。

 炎天下で歩き回っている事もあり、既に三人は汗まみれだ。嚆矢の背中の一人を除いて。勿論、タオルで拭いてはいるが限度はある。忌々しいくらいに勤勉な太陽に、文句が言いたいくらいだ。

 

 

「いや、そろそろ休憩入れよう。無茶して日射病とか熱中症とかになっちゃあ、素も子もないし」

「それはそうですけれど……むぅ、仕方ありませんわね」

「そうじゃそうじゃ、(わらわ)は『ぱふぇ』とやらを所望するぞ。この一番でかい奴じゃ」

 

 

 と、市媛が何処からか取り出した勧進帳を見せてくる。良くポストに投函されている、食品関係のチラシの切り抜きが貼られた物を。

 

 

「うわあ……見たくなかった、チラシをスクラップして持ち歩く第六天魔王とか見たくなかった。幻滅した」

「なんじゃと貴様、そんなに鋸挽(のこぎりび)きが好きじゃったとはの」

「あ、あのでも、この近くに喫茶店なんてありましたっけ?」

 

 

 仲裁するかのように声を上げた飾利、嚆矢が休憩を勧めて黒子が納得した理由である彼女。

 元々、体力面では実戦派の嚆矢や黒子には及ぶべくもない情報処理要員の彼女は、ヘロヘロと危なげな仕草で。

 

 

「それなら、良い店があるよ。そこの角を右に曲がったトコに」

「へえ、なんてお店なんですか?」

 

 

 だから、その店を案内する。先も言った通り、この路地裏は()()()()()()()()だから。

 

 

「純喫茶、ダァク・ブラザァフッヅさ」

「“昏い同朋団(ダァク・ブラザァフッヅ)”……ですか。なんだか不吉な屋号ですのね」

 

 

 一瞬だけ、まるでこの世界が息を呑んだかのように。太陽から雲により隠された日陰の中で、蝉時雨が止み、鳥肌の立つような薄ら寒い風が吹き抜ける中で。翻るツインテールとスカートの裾を押さえた黒子が、そんな事を口にしたのを聞きながら。

 彼の魔術の師、魔導書(グリモワール)象牙の書(ブック・オブ=エイボン)”の持ち主『“土星の円環の魔導師(マスター・オブ・サイクラノーシュ)”アンブローゼス=デクスター』の経営する、その店の名を口にした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そこは、この盛夏の最中でも薄暗く。まるで、地下の大神殿だと。その喫茶店に仕掛けられた『魔術』を知る者ならば思うだろう、堅牢無比な城郭を。

 幾何学的な紋様が刻まれた、木製の扉を開く。冒涜的な形状のドアベルが、怪物が嘲笑うかのような音色を鳴らす。これだけで、並みの魔術師ならばもう、この店の『闇』に呑まれていよう。

 

 

「────おや、こんな昼間からとは珍しいですね。コウジ君?」

「お邪魔します、ローズさん」

 

 

 奥のカウンターから掛かった声、それが最後の罠。主の招待に、“無形の闇”はそれを最後に消えていく。

 

 

「お邪魔いたしますの」

「お、お邪魔します」

 

 

 続き、こう言う店に入るのにも抵抗がないのか黒子、少し憚りながら飾利。そして、心地好いクーラーの効いた室内に。

 

 

「うむ、邪魔する────“微睡みの蟇王(つぁとぅぐぁ)”よ」

「これはこれは、ようこそお出で下さいました────“悪心影(シャドウ=ジェネラル)”殿」

 

 

 最後に踏み入った市媛の、その言葉に苦笑しながら。アンブローゼスは、採譜(メニュー)を取り出して。

 

 

「御注文をどうぞ、可愛らしいお嬢さん方(リトル・ミスズ)?」

 

 

 老若男女問わず虜にするような笑顔と声色でもって。少女達に語りかけた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「…………ふぅん、あれが」

 

 

 少女が、それを眺めている。殭屍(キョンシー)のような服装の付き人らしき男女二人が差し掛けた、傘の影から歩み出て。海の気配を連れた、烏賊か蛸の触腕を思わせるウェーブの掛かった水色の髪の。悠久の時を掛けて深層を巡る海洋水のような、深い藍色の瞳をした。

 まるで、さざ波のような声で呟きながら。紺色の中華風の装束を纏う水死体の如き白蝋の肌を、汗一つも掻かずに陽射しに晒して。

 

 

「“御父様”より格好良いわね、“叔父様”は」

 

 

 その少女に、傘の影が差し掛けられる。付き人らしき、目深に帽子を被った男二人。どちらも()()()()()()()()()()()()()()、酷く歩きづらそうな様子の。

 

 

「御嬢様、太陽ノ光ハ、オ肌ニ、良クナイ、デス」

「御嬢様、風ニ当タル、オ肌ニ、良クナイ、デス」

「分かってるわよ、五月蝿いわね……」

 

 

 従者二人の、たどたどしい言葉。日本語に不慣れなのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような。

 

 

「今晩が楽しみだわ、ふふ……」

 

 

 それに踵を返した“水妖の娘(ルサールカ)”は、実に楽しげに沸き立つ陽炎の波に消えていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 約一時間の休憩を終えて会計を。無論、纏めて奢りで嚆矢が支払う。そのマネーカードは、アイテムのギャラで得たもの。まだ、二十万円近い残額がある。

 師から声が掛かったのは、精算を終えた直後。既に黒子と飾利は店の外だ。

 

 

「バイト、ですか?」

「ええ。今晩、上得意のお客様がいらっしゃる予定でして。中々の美食家で健啖家なので、私は厨房に専念したいのです。そこでコウジ君に、ホールをお任せしたいのです」

 

 

 実に珍しい話だ、師父からの頼みなど。何時もは此方から頼むだけなのだ。だから、その恩返しとして。

 

 

「まぁ、特別用事もありませんし。是非、手伝わせていただきます」

「ありがとうございます、持つべきものは誠実な弟子ですね」

呵呵呵呵(かっかっかっか)、こやつが誠実? 臍で茶が沸くのう!」

「煩せえわ……それじゃあ、また。行くぞ、お市」

「はい、午後六時頃までにはお願いします」

 

 

 にこりと微笑んだ師父に見送られ、この建物の外観を忘却させる魔術の籠められた扉を開く。ドアベルの音色は、この場所の位置を洗い流す魔術。師父に認められている者以外で、この純喫茶を記憶できる者は居ない。

 クーラーの効いた室内から、熱線の降り注ぐ屋外へ。市媛と共に、茹だるような暑さと肌を灼く陽射しの晴天の元へと生還を果たす。

 

 

「何のお話でしたの?」

「大した事じゃないよ」

「ふぅん、怪しいものですの」

「もう、白井さんったら……」

 

 

 その日盛りの中、早速うっすらと汗を掻いている黒子からジト目を向けられた。風紀委員(ジャッジメント)である手前、まさか完全下校時刻を越えてバイトだなどと言える訳もなく適当に茶を濁して。

 

 

「そう勘繰るでない、お(くろ)、お(かざり)。師弟で衆道(しゅうどう)など、そう珍しくもないではないか」

「誰がお(くろ)ですの、誰が……って、衆道(しゅうどう)?!」

「し、衆道(しゅうどう)って……ふえぇ」

「適当なフカシこいてンじゃねェぞ、お市! 二人とも、俺と師匠は断じてそんな関係じゃないから! あと、妙齢の婦女子が昼日中からそんな言葉連呼しちゃいけません!」

「っていうか織田さん、お(かざり)は酷いですよぅ……」

 

 

 駄弁りながら歩き出し、角を曲がる。恐らくもう、そこにあの純喫茶は見えまい。

 

 

「中々、良い雰囲気の喫茶店ですの。今度、お姉様をお誘いしてみますの」

「わたしも、佐天さんを誘ってみようかなぁ、なんて」

「なんじゃ、そんなにあの家主が気に入ったか? 呵呵(かっか)、やはり顔の差は堪えるのう、嚆矢よ」

「……俺以外の男なんて死に絶えれば良いのに────?」

 

 

 だから、不貞腐れたかのような態度で聞き流すかのように。僅かに感じた潮の香りに、頚を傾げながら。

 大通りに出ようとした、その瞬間────飾利の携帯が鳴り響いた。

 

 

「はい、もしもし……」

 

 

 飾利がそれに出たのを確認しながら、意識を他に向ける。人の通話を盗み聞きするような趣味などないのだから。

 だから、黒子の方を向いて。その栗毛色の髪を二房に分ける、布を見詰めて。

 

 

「あ、またそのリボンしてくれてるんだ」

「っ────な、なんですの、突然!」

 

 

 少し前にプレゼントした、その赤いリボン。それをまたしてくれているのを見て、嬉しくなった。

 

 

(いや)、愛用してくれてるなら嬉しいなぁ、と。プレゼントした甲斐あったよ」

「別に気に入ってなんておりませんの! ただ、他に無かっただけですのよ!」

「分かってる分かってる、偶然偶然」

「っ……この男は~~!」

 

 

 茶化す嚆矢に対して黒子は、失敗したと言わんばかりに頬を真っ赤に染めながら腕を組み、三十センチを越える身長差の関係で上目遣いに睨み付けてくる。

 澄まし顔を取り繕おうと必死らしく。怖さなど全く無く、ただ可愛らしいだけだが。

 

 

 最近は、こうして良く反応を返してくれる。『幻想御手(レベルアッパー)事件』での“ティンダロスの猟犬(ハウンド・オブ=ティンダロス)”を相手にして以来、少しは尊敬されているのか。彼女は、顔を背けたままで。

 

 

「ところで……この前の『友達の件』は解決しましたの?」

「……ああ。やりたいようにやって、上手くいったよ。黒子ちゃんのお陰さ」

 

 

 問い掛けられたのは、七月末の一件で彼女に溢した愚痴の事。そう、インデックスの件。七月三十日、ステイルと火織は英国に、当麻とインデックスは学生寮に帰った。魔術師達は真偽を確かめるために、学生と図書館は日常に戻るために。それぞれの道を歩みだしたのだ。

 ある意味では、彼女の助言のお陰だろう。恥ずかしい話、あの言葉がなければ……逃げていた可能性も有り得る。

 

 

「別に……貴方の()()()が選択した事ですの。わたくしには関係ありませんわ」

「それでも、さ。やっぱりこう言うと()()から」

 

 

 一切、こちらを向かない彼女に向けて。その真正面に歩き出て、真っ直ぐに。鮮やかな亜麻色の髪、風に靡かせて。深い蜂蜜色の瞳、揺らがずに。

 

 

「……ありがとう」

「~~~~!」

 

 

 一言、単純にも短絡にも程がある台詞を口にして。耳まで赤く染めた彼女は、

 

 

「わ────わたくし、急用を思い出しましたのでお先に失礼いたしますの!」

「あ、黒子ちゃ…………行っちまった」

 

 

 ヒュン、と風斬音を残して。止める間もなく、彼方に空間移動(テレポート)して消えていく。

 

 

「……やっぱり、気障(キザ)過ぎたか」

 

 

 それを見送り、ため息混じりに髪を掻いて。飾利の方に向き直れば。

 

 

「……………………」

「…………か、飾利さん?」

 

 

 既に通話を終えていた彼女は、ニコニコと笑っている。さながら、般若を思わせる様子で。笑っているのに、冷や汗が吹き出るような。

 

 

「……わたしも、私用が出来たので戻ります。先輩はどうぞ、支部に報告してきてください」

「あっ、はい」

「それじゃあ、さようならです」

 

 

 逆らう事を許さない語調に、思わず単純な返答で。敬礼までしてしまった。そして飾利は、振り向く事もなく。怒気を振り撒きながら、大通りに消えていって。

 

 

「……………………寂しい」

呵呵呵呵(かっかっかっか)、青春じゃのう」

 

 

 最後には、この二人だけが残った。嚆矢は空しげに、ため息を再び溢してポケットをまさぐる。

 マナーモードで震えた携帯を開き、届いていたメールを確認して。

 

「仕事か?」

(いや)、お袋から。時間有る時に連絡してくれってさ」

「ふぅむ、しかし、その『携帯電話』とか言う奴は便利じゃな……(わらわ)の分を用意しても良いのだぞ、是非もないのだぞ?」

「金が掛かるんだ、巫山戯んな」

「ぐぬぬ……貴様、さては金柑(キンカン)の回し者か! あー、詰まらぬ!」

 

 

 と、携帯を欲しがる市媛を華麗にスルーして。どうせ、義妹の誕生日の事だろうと当たりを付けて、

 “悪心影(あくしんかげ)”に還り、背後に消えた市媛を気にする事もなく。さっさと支部にマネーカードを預けて今日の業務を終了すべく、歩き出して。

 

 

「……………………………………」

 

 

 歩み出した大通り、そこに────ミニスカートが揺れていた。植え込みから突き出た灰色のプリーツスカートが、フリフリと……たまに青と白のストライプなものが、見えたり見えなかったり。

 

 

 「……………………………………って、いかんいかん! 姑息だぞ、対馬嚆矢!」

 

 

 思わず数秒見守ってしまってから、頭を振って邪念を払う。女性に対して不道徳な事をするのも、彼の『女性に優しくする』誓約(ゲッシュ)に障る。

 

 

 そう思い直して周りを見れば、同じように立ち止まって凝視している男性多数。このスケベ共が、と自分を棚に上げながら、つかつかと尻の前に立って背面警備する。

 当然、周りの男共からは非難の視線が集まったが、風紀委員の腕章を見せれば蜘蛛の子を散らすように居なくなった。

 

 

「あ~~、おほん。そこの頭隠して尻隠さずなお嬢さん? 風紀委員だけど、少しいいかい?」

「…………それはミサカの事を指しているのでしょうか? と、ミサカは疑問を投げ掛けます」

「そう、君だよミサカさん……って、御坂?」

 

 

 咳払いしながら問い掛ければ、聞いた事のある苗字。それに、視線を向ければ────見た事のある、常盤台の生徒。見慣れないゴーグルを頭に乗せているが、他ならぬ『御坂美琴』その人だ。

 

 

「オイオイ、勘弁してくれよ御坂……今日は短パン穿き忘れたか? ガード甘いぜ、丸見えだ。まぁ、眼福だったけどな!」

 

 

 知り合いで、しかも丁度暇していたところで逢ったと言う事で、早速軽口を。首から下げた兎脚の護符(ラビッツフット)から、『口伝(アンサズ)』のルーンを励起して。軽い頭痛を感じながら。

 後は、放電を受けずに怒らせるギリギリのラインを攻めるチキンゲームを行うだけであり、

 

 

「丸見え、とは下着の事を指すのでしょうか。でしたら、その程度の事で幸福を感じるような貴方に幸福を与えられたのでしたら、ミサカとしても悪い気はしません。と、ミサカはドン引きしながら妥協します」

「……………………生まれてきて御免なさい」

 

 

 じっ、と硝子玉のような瞳で見上げられながら。こんな冷淡な反応をされて傷つけられるとは、思っても見なかった。

 

 

──なんか、調子狂うな。あれ、御坂ってもっとこう、サバサバしてて話しやすかったような……気のせいか?

 

 

「と、ところで御坂はこんなところでどうした? 黒子ちゃんと待ち合わせでも?」

「はい、いいえ。ミサカは、この子と遊んでいました」

「この子……ああ」

 

 

 そしてその腕の中の虎毛の仔猫が、琥珀色の円らな瞳を瞬かせながらニャアと鳴いた。恐らく先程は、この猫に構っていたのだろう。

 しかし、どこかで見た事がある気がする仔猫だった。まぁ、猫の見分けなど付かないが。

 

 

 そこで、再び彼女を見遣る。やはり、()()()()。以前、涙子の見舞いに行った際に見たように……御坂美琴は、()()()()()()()()()()()()()()()筈ではなかったか、と疑問を感じて。

 

 

「急に見詰めてどうされたのですか、と。変態に見詰められたミサカは、多少の鳥肌を立てつつ問い掛けます」

「……………………生まれてきて、本当に御免なさい」

 

 

 再度凹まされつつも、降って湧いた疑問を呈する事とする。

 

 

「なぁ、お前……()()()()だよな?」

「……………………」

 

 

 真贋を見極めるように、『見聞』のルーンを励起しつつ。肯定してくれるものと、期待して。

 

 

「……いいえ、はい。それが第三位(レールガン)と言う意味でなら、ミサカは違います」

「違う、って……え?」

「遺伝情報的には同じですが。と、ミサカは付け加えます」

 

 

 一瞬、意味が解らなくなりつつも。何とか、補足でその意味に辿り着く。そう、つまり────

 

 

──一卵性双生児、って事か? 御坂にそんな話は聞いた事ないけど……。

 (いや)、人の家の事情なんて他人が頚を突っ込むべきじゃない事とは思うけれどもさ。

 

 

 そう、思い直して。一応のところは、納得して。努めて笑い、雰囲気を変えようとする。

 

 

「そっか……悪かった、間違えて。それじゃあ、改めて────」

 

 

 気取った仕草、さながら舞踏会の申し込みのように気障ったらしい仕草で頭を下げて。

 

 

「俺は対馬 嚆矢(つしま こうじ)異能力者(Level2)確率使い(エンカウンター)』。人呼んで、“制空権域(アトモスフィア)”だ」

「“制空権域(アトモスフィア)”……ミサカネットワークに該当あり、弐天巌流学園に同名の能力者があり。『手の届く範囲であれば、起こり得る事の全てを起こし得る“確率事象の魔王(エヴェレット・デーモンロード)”』…………」

「懐かしいなぁ、一年の時はそんな感じで呼ばれたっけか。いやぁ、若気の至りだねぇ」

 

 

 二年前の、余り()()()()()()()渾名(あだな)に苦笑いしつつ、待つ。その意味に、彼女も気付いたらしい。足下に虎猫を下ろすと、舞踏会の申し出を受けた淑女の如くスカートの端を持ち上げて。

 

 

「そうですか、貴方はお姉様の知り合いでしたか。失礼しました、ミサカはミサカ10000号です。分類で言うなら異能力者(Level2)欠陥電気(レディオノイズ)』、『トランスポンダー』と呼ばれています」

「トランス、ポンダー……」

「はい、いいえ。親愛を込めて“折り返し”と呼んでください。と、ミサカは補足します」

 

 

 そこで、疑念は確信に。まぁ、この年代ならば仕方ないか、と。

 

 

──厨二病、かぁ……能力者も掛かるんだなァ。

 

 

 そんな風に嚆矢は、“折り返し(トランスポンダー)”に生温かい眼差しを向けて。

 

 

「そっか……兎も角、女の子があんな無防備な事はしないように。自分の可愛さを自覚するように、いいな?」

「分かりました、ミサカは自分の可愛さを自覚します。と、ミサカは少しいい気分になりながら応えます」

 

 

 本当に分かってるのか、と疑問を感じつつ、後二時間ほどで風紀委員の活動が終わる為に焦りを覚える。

 ちゃんと定時で帰るには、報告書の製作なども勘定に含めてギリギリのラインだ、と。

 

 

「それじゃあ、またな。次はデートでもしようぜ、“折り返し(トランスポンダー)”ちゃん」

「……………………」

 

 

 照れ混じりに走り去り、無反応に落ち込みながら消えていった嚆矢を見送って。

 ルーズソックスの足に擦り寄っていた虎猫を、再び抱き上げた彼女は。

 

 

「…………はい、いいえ。またです、嚆矢」

 

 

 痛むように、苦しむように。嚆矢に向けて、そんな風に口にした……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 自室に帰り、服を着替える。深緑のカーゴパンツと黒無地のTシャツに。一般的な休日スタイルの服を身に纏い、後は己の為すべき事を確認して。

 

 

「あら。こんにちは、嚆矢くん」

「あ、こんにちはです、撫子さん」

 

 

 日課の庭掃除をしていた和装の家主から挨拶され、会釈を返す。見れば、また仔猫が足下に戯れていて。

 

 

「そう言えば、今日の夕方に新しい店子さんが来るの。可愛らしい女の子よ」

「マジすか、俺、今日は夕方から用事があるんで……挨拶が楽しみだなぁ」

 

 

 少し残念に思いつつ、頭を下げる。返ってきた会釈に、再度頭を下げて。歩き出た道、人目と監視カメラの死角で。

 

 

「────ショゴス」

『てけり・り。てけり・り』

 

 

 呼び掛けに答え、空間を引き裂いて刃金の螻蛄が姿を現す。体長一メートル七十センチ強、全高九十センチもの、黒い刃が。それに、嚆矢は────

 

 

巡航形態(クルーズモード)走破二輪(ドライヴバイク)

《鉄馬か……佳い佳い、次は戦車か潜水艦、若しくは衛星兵器じゃな》

(手に入るか、ンなもン)

 

 

 ()()を掛ける。『螻蛄の七つ芸』が一つ、『走る』事に特化した形状に。即ち、嚆矢が扱い慣れた自動二輪車の形態に変型した螻蛄に跨がって。

 魔力を原動力とするその機関(エンジン)から咆哮を上げつつ、“悪心影(あくしんかげ)”と共に走り去ったのだった。

 

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