第七学区に、そのビルはある。誰もが何の為に在るのか、何が有るのかを知る事もなく。黒一色の外壁、出入り口はおろか窓すらもない異質。異形。だが、誰一人────それを確かめる事はない。
あってはならないのだ、そんな事は。己の命が惜しければ、そこに集う『闇』を知るべきではない。そう────“
「君が────」
その闇の中に、光がある。“黄金の夜明け”が、
「君がここに来るとは、珍しい事もあるものだね────“
見下すように見上げながら、白髪の……男にも女にも老人にも若人にも見える、ローブにも囚人服にも見える装束を纏う『見えざる杖を持つ魔術師』は。
「確かに、確かに。だが、当たり前の事だよ────“
まるで鳴り響く
「それで今回は何用かな、相も変わらず一秒の誤差もない
「相も変わらず面白い事を言う、今日も明日には死にそうな
「これは手厳しい、では暇な私の時間潰しに付き合ってもらえるのかな?」
「時間の浪費は人間どもの悪癖だ、総時間二分で済む。我が目的の為に君の配下を一人、生け贄とする事に決めたと
悠然と微笑んだ“
和やかに、まるで旧友との再会を楽しむかのように。
「ほう、生け贄。君達の目的の為に、私の部下を」
「承諾を求めてはいない。ただ、決定事項を告げただけだ」
そして刹那、二柱が同時に発した殺気に空間が狂い、時間が痴れた。恐らくは、同じ場所に居ただけでも狂死しよう。他に誰も居なかったのは、せめてもの救いだったのだろうか。
殺伐と、まるで仇敵との再会を楽しむかのように。
「……構わないさ。替えならば、幾らでも利くからね。それに、暗部だからと私の部下な訳ではないよ」
「では、これで話は終わりだ。時間は有限のもの、無駄には出来ない。『彼女』には既に“
「やれやれ……仕事が早いものだね」
アレイスターの言葉に、“
「随分と『彼』に期待しているようだね……あの『
「死んだ北欧の神々の名を騙る愚か者どもにも、次元の狭間に引き籠もる暇人どもにも興味はない。“結社”は、我等の目的を果たすのみ」
「ふむ……機械の君にはやはり、相性が悪いかな?」
その背中に掛かったアレイスターの言葉、それに“
「────面白い。実に面白い。君の
「そうかね? そこまで言われて悪い気はしないが」
笑う、誰しもがうっとりと見惚れるように精密な機械の笑顔で。嗤う、誰しもがあっさりと発狂するような凄惨な鬼戒の笑顔で。人のものではある、しかし鮫のような。人外に違いない、しかし尋常な。
だが、人ならざるのならば魔術師も同じ。その圧倒的な狂気、風のように受け流して。
「君達は────あの“双子”を
「君には、興味はあるまい? 私にこのビルが一体何であるのかも、君が“
「なるほど、道理か。手間を掛けたね、次は茶菓子くらいは用意しておくよ」
「期待せずに待っていよう」
振り向きもせずに、実に簡潔に言葉を返して。“這い寄る混沌”の一柱たる“魔神”は、時間の波間に消えていく。
魔術師はそれを見送り、愉しげに────微笑んだのだった。
………………
…………
……
緩やかに茜色に染まる学園都市、第七学区の
ショゴスによる黒いフルフェイスのヘルメットとライダースーツを纏う嚆矢は、ただ前だけを見詰めて自動二輪を転がして。
「…………あれ?」
何か、大事な事を忘れているような気がして。だが運転中だ、気を散らすのは危険だと判断して集中を再開する。
その刹那、凄まじい速度でトレーラーが対向車線を走り抜けていった。その巻き起こした
「……危ねぇな、
《む、もしやあれが『
(ンな訳あるかよ……
そんな事を呟き、それきり意識する事はなく。この時、起こっていた『事件』など知る由もなく。
辿り着いた『純喫茶 ダァク・ブラザァフッヅ』。薄暗い路地裏の僅かに開けた敷地の中に停車、螻蛄に戻った鎧と共にライダースーツとヘルメットから不定形に戻ったショゴスが影に潜り込み、消えていく。
《では、
(何だよ、手伝えよ。
《働いたら負けだと思うておる》
(そのまま永遠に朽ち果てろ)
ついでに、“
後は、嚆矢一人が残るのみで。只一人、溜め息を溢しながら。
「……さ、仕事仕事」
だが、元から大して他者の心など
異形の彫刻が施された木製の扉を開く、異質な金属のドアベルの冒涜的な音色を聞いて。
「いらっしゃい。待っていましたよ、コウジくん」
「こんばんはです、ローズさん」
しっとりとしたジャズを流す、古式ゆかしい蓄音機の音色に包まれた店内に待つ緋瞳の師父の笑顔に応えた。
………………
…………
……
時刻、二十時ジャスト。場所、純喫茶ダァク・ブラザァフッヅ店内。ギャルソン服を纏う嚆矢は、暇そうに椅子に座っている。
まぁ、事実暇だ。何せ、既に二時間もの間、一人として客など入っていないのだから。
「……………………」
“
《『何だよ、手伝えよ。
(ちょっと何言ってるのか解りませんねぇ……)
背後に立った“
そんな風に集中していたからだろうか、ドアベルの冒涜的な音色に反応が若干遅れたのは。
「あ、いらっしゃ────」
開かれたドアから、微かに生臭い風を纏う二つの影。
──中国拳法……か。何者だ、コイツら?
その二人の眼差し、ドロリと濁った死魚の眼の如く、瞬きの無い視線に肌が粟立つ。即ち、明白な殺意────
「
「オ嬢様、済ミマセン」
「オ嬢様、御免ナサイ」
それを踏みにじるようにクスクスと笑いながら、海の気配を連れた屍蝋の如き肌の少女が歩み入る。二人の従者を控えさせながら、水色の髪を結った中華袖の衣装の娘が。
年代物の木製の床を、きしりとも軋ませない
「あら、お出迎えは無し? 日本のおもてなしは世界一と聞いていたのだけれど?」
「っ……、…………っ」
何よりもその腰の巻物だ。そこから放たれる淀み腐った水の如き、凄まじいまでの瘴気。それに、深海の水圧に喘ぐように息を吐いて。
「いらっしゃいませ、ご予約の」
「ええ、可愛らしいお兄さん? 私が今宵の主賓────」
殺意よりも明白な、『食欲』を瞳に湛えて此方を見遣る────三人の人外を。
「“
一昔前の映画の中国人のような口調で
………………
…………
……
第七学区のとある公園。昼間はウニ頭の高校生が自販機に金を飲み込まれて喚いたり、ビリビリする中学生がその自販機を後ろ回し蹴りしていたりするような、何処にでもある緑化公園だ。
蒸し暑い夏の暗闇の中、気の早い虫達は既に熾烈な伴侶獲得の為の歌謡祭を催している。無論、虫に限った話ではないが。
青春を謳歌する学生が逢瀬をしたり、それを
「ようよう、お嬢ちゃんどこ行くの~、っと」
「何、一人ぃ?」
「だったらお兄ちゃん達が
「大丈夫大丈夫、お兄ちゃん達は学園都市には詳しいからさぁ」
「何処に支部があるかも、ホテルの場所も詳しいぜぇ?」
「……………………」
そんな中の六人、高校生くらいか。まだ小学生と言っていい少女を自販機の前で囲んでいる、六人の
朝方にも同じような事をしていて、
「まだガキじゃねぇか、付き合ってらんねぇ……」
ただ一人、五人に着いていけずに距離を置いた少年。彼が一番まともで、そして────一番、不運であった。
「────うるせぇんだよ、クソ雑魚どもが」
「「「「「あァン──────?!」」」」」
自販機の灯りを逆光に、頭からすっぽりと白いフード付きの上着を被った少女の呟き。それに一気に彼等は逆上して────
「────────」
悲鳴を上げる暇もなく撒き散らされた血飛沫の中、『
「え──────?」
仲間だった者達の血飛沫と肉片に塗れた少年の耳許に、せせら笑う忍び笑いだけが届いて────
………………
…………
……
時刻、二十時十分。場所、純喫茶ダァク・ブラザァフッヅ。今時珍しいカンテラの灯りに照らされた室内に、芳しい匂いが立ち込めている。
その
《とんでもない
(食文化は国
《難儀な性分よのぅ、お主》
各々の頭蓋を器にした牛に豚、鹿に猪、熊に猿の脳味噌と目玉のスープに臓物のソテー、昆虫や爬虫類の素揚げ。得体の知れない茸や木の実、植物のサラダ。最早、コールタールにしか見えないホットドリンク。全て、奥の厨房で師父が作っているものだ。
それを慄然たる思いで並べた嚆矢は、戦慄に打ちひしがれている。何故か? 単純な理由だ。
「ああ、いつ来ても此処の品揃えは最高ね。店主に感謝を伝えて頂戴な」
「は、はぁ……」
それを喜悦に満ちた表情で見詰める、『
一挙手一投足を見逃さぬように。まるで、嚆矢の
《ふん……
「「─────!?」」
対した“
「────うん、美味しいわ。やはり脳髄は哺乳類のモノに限るわね。猿のモノ、御代わりを戴けて?」
「あ、はい。直ぐにお持ちします、
一触即発じみた空気の中で、そんな言葉が。それを天の助けとばかりに──実際は魔の囁きだろうが──嚆矢は、師父の真似をしながら
それに、ナプキンで口許を拭っていた汀邏はキョトンと、一瞬呆気に取られた後で。
「ぷっ、くふふ……いつ以来かしらね、小娘扱いされるなんて」
口許を隠し、上品に笑う。悪意の無い、まさに小娘のような純朴な笑顔で。それに、従者二人は驚いたかのように“
「あ、済みません。気分を悪くされたのでしたら……」
「いいえ、寧ろ嬉しかったわ……くふふ、まだまだ私もいけるかしらね?」
だがもう、姫君は純朴さを包み隠すように。淑女の嗜みか照れ隠しか、艶やかさの
だから従者達は、今度こそ嚆矢に向けて。陰惨な、夜の磯辺に屯する毒虫じみた殺意を漲らせて。それを受けた嚆矢が、肌を粟立たせるくらいには威圧して。
「────ねぇ、
「…………あの、まだギリギリ十代なんですが」
「あら、そう? でも、私から見れば叔父様だわ。煌めく黄金瞳の、素敵なお・じ・さ・ま」
「ひ、酷い……
彼女から放たれた言葉の方に、嚆矢は酷くショックを受けながら。これ幸いとばかりに項垂れて従者達の視線から逃れながら、厨房に引っ込んでいこうとして。
鳴り響いた、冒涜的なドアベルの音色。それに、振り向けば────
「お邪魔しまーす……あれ、店主さん代わった訳?」
「──────な」
息を飲む、衝撃に。夜闇の中から歩き出てきた、裏の自分の良く知る金髪碧眼の娘────フレンダ=セイヴェルンに。
魔術的な抵抗か、記憶操作に関する能力を持たない限り、師父から招かれた訳でもなければ再び辿り着く事など能わぬ筈のこの店に、再び現れた少女に。
「ま、
「そう? 私的には及第点な訳だけど」
「誰もアンタの男の好みなんて超聞いてないんですけど」
「ん……大丈夫。そんなふれんだを、わたしは応援してる」
その後ろから続いた『上司達』、麦野沈利と絹旗最愛、滝壺理后の『アイテム』の面々に相対して。
無論、今は『影』に潜んでいる“
「騒がしくなってきたわね……私、凪の夜の海のような静けさの方が好きなの。
「あ、はい……お送り」
「結構よ。それじゃあ、
だが、増えた人口密度に眉を顰めた姫君が立ち上がる。慌てて椅子を引いて見送ろうとするも、制されて。従者を引き連れ、姫君は戸口を跨いでいった。
すかさず握り締めた首飾り、『
「……い、いらっしゃい……ませ……四名様で宜しいでしょうか」
「そ。結局、良い席を用意して欲しい訳よ。結構格好良いウェイターさん?」
冷や汗を吹き出し、顔を引き攣らせて笑いながら。ウィンクしてきたフレンダの言葉に、窓際の四人掛けの席を促したのだった。
………………
…………
……
何故こうなったのか、と頭を抱える。席について駄弁っている闖入者達にバレないようにカウンターに引っ込んで、しゃがみこんで。
バレている訳ではない、と信じたい。もしもそうであれば、暗部の情報網であっという間に個人情報を丸裸にされて『
「うわっ、見てよ絹旗。さっきの女のテーブルの料理……こんなもの誰が食う訳よ」
「超えげつないラインナップですね、あの根菜とか引き抜かれた時に超悲鳴を上げそうな形してます」
「美味しいのかしらねぇ? フレンダぁ、アレ、摘まんでみな?」
「ちょっ! 勘弁してよ、麦野! あれ、ゲームとかで見た事ある訳よ! 食べたら即死する奴なのよ!」
「大丈夫だよ、ふれんだ。わたし、胃薬持ってる」
「……滝壺、それ結局食えって言ってる訳?」
その様を想像して青くなりながらそっと除き見れば、四人は海神の姫君が残していった下手物料理の方に気を取られているらしい。
そもそも、考えるべき事は他にもある。彼女らが、此処に来れた理由であるとか。
──まさか、実はあの中に魔術師が居る訳じゃねぇよな……だとすれば、まさかとは思うが滝壺ちゃんの『
では、何故か。そこで行き詰まる。魔術の気配はしないが、隠遁に優れた術者ならば尻尾を見せなくてもおかしくはない。
何か、気に懸かるモノはある。『他人の精神に働き掛ける魔術や能力』、嚆矢が知り得る中で、この店の隠蔽を剥がせる程のモノは、たった二つ。
──
詳しい事は良く覚えていない精神操作系能力の最高峰と、
何にせよ、気は抜けないと言う事だけは確かだ。どちらだとしても、どんな意図があるのか知れたものではない。
《ふむ、何者かが手引きした、と。しかし、なんの為にじゃ?》
(そこだな、問題は……真意が掴めない。だから、尚の事厄介だ)
考えれば考える程、分からなくなる。だが、時間はそうはない。既に二分が過ぎた、早くお冷やとおしぼりを出して
そんな些細な事で沈利の逆鱗に触れては敵わない。覚悟を決めて、更に強く『
「お待たせ致しました、お水とお手拭き、メニューでございます」
テーブルに水とおしぼりを四つ、メニューを真ん中に。最初にメニューを取ったのは
「どうも。今日のお勧めとかあるかしら?」
「今晩は
「良いわね、それを頂こうかしら」
「畏まりました、合わせてワイン等は如何でしょうか」
「そうね、赤を」
「承りました」
慣れた様子でチップを渡してきた沈利は、メニューを隣のフレンダに渡す。どうやら、こういった経験は豊富なようだ。まぁ、超能力者で暗部所属など並大抵な財力ではないだろうし、不思議ではない。
因みに本来、純喫茶では酒は出さない。だがこの店は夜間のみ、酒類を提供している……らしい。客が入っているところなど見た事がないので、今一ピンと来ないが。
「え~と……じゃあ麦野と同じもので」
「
「ちょっ、子供扱いすんなってのよ!」
「未成年者にアルコールを出してしまっては、店長に叱られてしまいますので……」
「むむ……分かったわよ、コーヒーで。はぁ……結局アンタ、堅物な訳よ」
多少気分を害したらしく、膨れっ面になったがなんとか納得はしてくれたらしい。恨みがましい目で見られてしまうが。
メニューは、対偶の位置の理后に渡された。彼女はそれを受け取り、暫くペラペラと捲って。
「ん……じゃあ、カルボナーラ」
「承りました。お飲物は如何しましょう?」
「水でいい」
「承知致しました」
そして、必要最低限の会話で注文が終わる。メニューは最後の一人、右の通路側の最愛へ渡された。
一番小柄な彼女は、それを数度だけ捲って。
「じゃあ、この油焼きそばで。鰹節と青海苔は超多目でお願いします」
「承り……えっと、油焼きそばですか?」
「……何か、超文句でも?」
それに、思わず聞き返してしまった。然もありなん、某グランプリに出てもおかしくないレベルのB級メニューだ。今までの三人とは全くもってベクトルが違う注文に、つい。
そのせいで、最愛から見上げるように睨み付けられた。そもそも、この少女は目付きが悪いのだが。
「い、いえ……失礼致しました。お飲物は」
「コーラで」
「畏まりました、暫しお待ちを」
注文を取り終え、厨房に引っ込む。其所では、師父が既に調理を始めている。この魔術師の
なので、注文表だけを置いてドリンクの方を持って行く事にして。
《どうじゃ、何か気付いたか?》
(まぁな……微かにだけど、魔力の残り香があった)
《つまり?》
(能力開発を受けてる人間は魔術は使えねェ……
無論、例外はある。何しろ己自身がそうなのだから。能力者が魔術を行使した際の……正確には『生命力を魔力に精製した際の反動』は、規模で違いはあれども完全にランダム。故に、『最も軽い確率』を掴み取る事で。
昔、蛙みたいな顔をした医者に『僕の研究成果でも使ってるのかな?』と聞かれたくらいに異常なレベルの、生来の『回復力』で騙し騙し使えている。最近はそれに“
《後者、であろう。“
(…………)
《…………なんじゃ、その眼は? 胡散臭さの塊を見ておるようではないか》
(まぁ、兎に角気ィ抜くな。ショゴス、
『てけり・り。てけり・り』
少なくとも背後に沸き立つ燃え盛る三つの瞳で嘲笑う
「お待たせ致しました」
先にドリンクを並べて、帰り際に先の客が残していった下手物料理の数々を下げる。
「そう言えば、ジャーヴィスの奴。アンタらどう思う?」
そこで、赤ワインを一口含んだ沈利がそんな事を口にした。思わずそれに、片付ける振りをしつつ耳を傾けて。
「どうって、結局どうもこうもない訳よ。素顔も見せないような奴、どう思えばいいのよ」
「超胡散臭いってところは、最初から変わりませんが。少なくとも戦力としては上々ですね」
「うん、でも……わたしの『
そこに本人が居ると、知っていての評価か。だとすれば、真綿で首を絞めるような良い性格をしている事になる。
そして
「よね。『
「顔が分かんないんだから分かる訳ないでしょうが……少なくとも、
「じゃあ、第一位とか?」
「…………超笑えねェ冗談ですねェ、フレンダ」
「な、何でアンタがキレる訳よ、絹旗…………じゃあ、正体不明の第六位とか?」
「さぁ、どうだろうにゃ~?」
「麦野が分からないなら私らにはもっと分からない訳よ……あ、良い事を思い付いたのよ」
四人組は直ぐ側に本人が居ると知ってか知らずか、そんな話で盛り上がって。
そうこうしている内に、幾つかの料理が出来上がっていた。片付けを終え、それを彼女らのテーブルに運ぶ。流石に纏めては無理なので、先ずは窓際の沈利と理后の分を。
「サーモンのムニエルと、カルボナーラでございます」
「へぇ、悪くない。悪くないわね」
「ありがとうございます、後の二皿も直ぐにお持ち致しま────」
携帯を操作しているフレンダと、窓の向こうの夜の闇を眺めている最愛の前を越えて二皿を置き、一礼して踵を返す。
「等の本人を呼び出してみる訳よ、財布も兼ねてね」
「す、ね────!」
正に、その刹那だった。フレンダが誰かに向けて通話を始めた数瞬の後に────嚆矢のポケットの中から、着信音が響いたのは。
それに、四人の視線が一斉に此方に。沈利と理后は料理から、フレンダは彷徨わせていた虚空から、最愛は窓の向こうから此方に向いた。
「し、失礼致しました────」
血の気が引く。有り得ない事だ、仕事用の携帯は常にマナーモードにしてあるはず。それが何故、と。
《…………あ、
(…………お前が謀叛に遭って死んだ理由が、今ハッキリと分かった)
背後の
そして、見える。フレンダが携帯の呼び出しを切ろうとしているのが。もし、あれを切られてそこで着信音が途切れれば……最早、詰みだ。疑いようもなく、絶対にバレる。
──考えろ、どう切り抜ける……この状況で、俺の取るべき最善の手は何だ!
思考を回転させる。
『ハァ~イニャア、フレンダチャン? ジャーヴィスナ~ゴ?』
「あ、やっと出た訳よ」
フレンダの携帯から響いた、金切り声のような声。間違いなく、それは嚆矢の『裏の顔』であるMr.ジャーヴィスのもの。ただし、微妙に片言だが。
そして、その等の本人は────
『フレンダチャンカラ電話ガ頂ケルナンテ思ワナカッタニャア、一体何ノゴ用ナ~ゴ?』
「では、残りの皿をお持ち致しますね」
猫男の声が響く中、フレンダと最愛に会釈して振り向く。それにより、四人の興味は完全に嚆矢から離れた。
そして嚆矢は、ポケットの中の────携帯に纏わり付く粘塊に向けて意識を。
(危なかったな……助かったぜ、ショゴス)
『てけり・り。てけり・り』
『何よ、てけりって?』
『あ、気にしないでニャア。それより、何か用事なんじゃないのナ~ゴ?』
と、
『あ、そうそう。こないだの店に皆で来てるんだけど、結局アンタも来ないって訳』
『ダァク・ブラザァフッヅニャア? 残念だけど、今日は無理ナ~ゴ……』
『何、私の招待を蹴るっての?』
『涙を呑んで見送らせていただきますニャアゴ』
兎に角早く切り上げようと、断りを入れる。厨房に引っ込んでいる内に切れば、一先ずは安心だ。
因みに師父はこんな時に限って、備え付け型の店電に応対している。随分盛り上がっているらしく、まだまだ終わりそうにない。
『なんな訳よ、もう! 今日は散々な日な訳よ────ウェイターさん、私の分まだー?!』
「あっ、はーい、ただいま!」
と、携帯とホールの両方から同じ言葉が。それに慌てて反応し、サーモンのムニエルと油焼きそばを持つ。再びショゴスの精神感応に対応を切り替えて、急いで運ぶ。
その為に振り向いた瞬間────
『「結局、新入りの癖に生意気なのよ! あと、ウェイターさんも遅い訳よ!』」
『「超待たせ過ぎです』」
「ッ…………!?」
振り向いた嚆矢の直ぐ目の前まで文句を良いに来ていたフレンダと最愛は、
『申シ訳アリマセンデシタ、直グニオ持チシマス────』
「勘弁してニャア、オイラにも用事ってもんがあるのナ~ゴ────」
「「………………」」
そう、金切り声が真面目に。バスドラの声が、巫山戯たように二人に答えて。刹那、フレンダと最愛が虚を突かれた顔をしたのを確認して。
直ぐに、自分がやらかした失態に目の前が真っ暗になった気がした。『終わった』と、だがまだ諦めず。
「成る程……超そォ言う事ですかァ」
「そうね、結局そう言う訳なのよね」
「………………あの、違くてですね、ちょっとお茶目をしてみたくなったと言いますか……」
フードを被ると仇敵を見付けたようにじろりと睨み付ける最愛、携帯を切ると最高の玩具を見付けたようにニヤリと笑うフレンダ。二人はそれぞれが注文した皿を嚆矢から奪い取ると、テーブルへと戻っていく。
「……後で、話が超あります。逃げたらブチ殺しますから」
「……結局、帰り道が楽しみな訳ね」
その去り際に、揃って嚆矢の頭の両側に顔を寄せて。怒気を孕み、まるで断罪するように。サドっ気を孕み、まるで嘲弄するように。
「「────ジャーヴィス?」」
「………………はい」
掛けられた最愛とフレンダの声に逆らう術など、嚆矢には残されていない。諦めて、窓の外に浮かぶ……赤く潤んだ三日月を見上げたのだった。
………………
…………
……
時刻、二十一時三十分。場所、純喫茶ダァク・ブラザァフッヅ。一際濃い、夜闇を湛えた第七学区の路地裏に聳え立つ黒い屋敷。或いは『
冒涜のドアベルの音色が響く。内から外へと向かう彼女らの店内の記憶を、魔術的な彫刻の施された木製の扉と共に削ぎ落とす鐘の
「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております」
「ええ、中々だったわ」
「それじゃあ、ばいばい」
沈利と理后に向けて、頭を下げる。先に述べた暗示により、本来ならばもう二度と彼女らが来る事は有り得ない。だから、普段は白々しく感じる言葉。
だが、その慣例を破ってまた現れた今回の事から、嚆矢は恐々としながら。
「じゃあ、バイバ~イ。麦野、滝壺♪」
「……では、超また今度」
「………………」
笑顔のフレンダと仏頂面の最愛に両脇を固められた、逃げ場の無い状態で。最早、苦笑いしか浮かばない。
しかもフレンダには右腕を抱き締め……ている風に見える
「なんだい、フレンダ。『カラオケ行きたい』とか駄々こねてたのは、あんただろうに」
「だって麦野、結局これは運命の出会いって奴な訳よ。私と絹旗の事は気にしないで、楽しんできてね」
「こっちは此方でェ、超楽しみますンでェ」
「訳分からないわよ……てか絹旗、あんたキレてる?」
「いえ、別に」
「ふぅん……」
「…………そんなに良い男かしらねぇ? ま、人の趣味にとやかく言っても仕方ないか」
「………………………………」
此方を値踏みして、『理解できない』と肩を竦めた。実に大きなお世話である。
「コッチとしては、仕事に支障を出さなきゃ文句はないけどさ。ホドホドにしとくんだよ」
「は~い」
「はい」
「………………………………」
それだけ口にすると、沈利は少し先で待っていた理后と合流して夜の帳が降りた学園都市に消えていく。
それを最後まで見送って、実に三分は経っただろうか。漸く拘束が解ける。その刹那────
「さて、と。じゃあ」
「超尋問タイムといきますかねェ」
「………………………………」
夜の闇の中ですら炯々と光って見えた程の眼光で、フレンダと最愛が此方を見遣る。それは底冷えがする程に、嗜虐的な瞳だった。それは底冷えがする程に、無慈悲な瞳だった。
それを暗澹たる瞳で見遣る。陰惨な蜂蜜色の黄金瞳で、遠く空の彼方の三日月と朧な星影を浴びながら決意を固める。
──ヤるしかねェな……幸いと言うか何と言うか、彼女らは麦野沈利達には俺の事は報せてない。それは、“
同僚の初春飾利に、下級生
漸く自由になった右手で『
「──良い眼ェすンじゃねェですか、まるで餓狼ですねェ」
「結局、私らに何かあれば送信予約してあるメールが麦野に届く訳よ。下手な事はしない方が良いのよね」
「………………チッ」
だが、このルーンは『
それでなくとも『
『
何にせよ、これで四面楚歌だ。後は鬼が出るか蛇が出るか、なるようにしかなるまい。
「それじゃ、とりま散歩でもする訳よ」
「わ~い、全男子の夢『両手に花』だァ。美少女二人に挟まれてうーれしーいなー」
「………………」
嘲笑うフレンダに促され、
師父には告げない。告げなくても、理解しているだろう。それでも手や口を出してこないのは、信頼からか諦観からか。何にせよ、一人でやるしかないのは確か。
そんな、夜の闇の底で。まるで、処刑の為に市中を引き回される罪人のように。
………………
…………
……
時刻、二十一時四十五分。場所、第七学区のとある公園。昼間はウニ頭の高校生が自販機に金を飲み込まれて喚いたり、ビリビリする中学生がその自販機を後ろ回し蹴りしていたりするような、何処にでもある緑化公園だ。
蒸し暑い夏の暗闇の中、気の早い虫達は既に熾烈な伴侶獲得の為の歌謡祭を催している。無論、虫に限った話ではないが。
青春を謳歌する学生が逢瀬をしたり、それを
「で、結局アンタの名前は?」
「はいよ、フレンダちゃん。俺は
「最後の情報はどォでもいィとして、弐天巌流……あの、『武の
「一番重要なトコなのに……そ。その弐天巌流でオーケー。まぁ、時代錯誤の三流学園さ」
そんな中を、何でもなさげに三人は歩いている。女子二人にギャルソン、どんな組み合わせかと注目を浴びそうなものだが……自分達の世界に浸るのに忙しいのだろう。誰も気になどしていないようだ。
その証拠に、今もほら。押し隠した熱い息吹が、
「ふ~ん」
「……何か?」
「いえいえ、何で覆面なんてしてるのかなって気になっただけな訳よ。別に隠すような顔じゃないってのに」
空色の瞳で上目遣いに、二歩先を後ろ歩きで行くフレンダから覗き見られる。ハニーブロンドの長い髪が、更々と夜風に流れる。居心地の悪さに口を開けば、返ったのはそんな言葉。
本当に、黙っていれば
「何か────隠さないといけない理由でもあるんですかねェ。例えば、『表』の顔に?」
そして
「無いって、最愛ちゃん? 俺はただ、アレ……家族に迷惑が掛かるのが嫌だっただけさ」
「“家族”ぅ? そんなもん、何を気にする必要なんて────」
「………………なるほどォ」
そう、僅かに欺瞞を。そして多分に本心も含めた、
フレンダは怪訝な、最愛は────そんなフレンダすら黙らされる程に、更に眼光を強めて。
「要するに、自分の為に私らを欺いたって事ですか?」
「そうとも言えるかも知れねぇけどさ。俺としては、
「悪いンですが、分かりませんねェ……私には、“家族”とやらは居ないもんでェ」
「居ないから分からない、なンて餓鬼にでも言えンだろォ? 知る知らない関係なく、大人なら類推して想像するもんだぜェ?」
そんな、当たり前の事を口にして。最愛の怒りを、真正面から受け流して。嚆矢は、巫山戯た様子を吹き消して言い募る。
まさに一触即発、命懸けのやり取りだ。互いに挑発し合い、先手を引き出そうとする二人のやり取りは。
「………………えっと、あれ、何かすごい真面目な雰囲気な訳だけど。口を挟んだが最後、『
「
「『おフレ』って、織田……あれ、アンタ何時から?」
「何を言うておる?
「う~ん、そうだったっけ……いや、そんな気もするような……?」
いきなり背後に顕現した市媛に、しかしその妖魅により誤魔化されて納得してしまったフレンダ。彼女は近くの自販機の灯りに照らされ、それを眺めて。
それを無視し、最愛は嚆矢を睨み付けたままで。値踏みするように、彼に向けて。
「なら、答えやがれ……テメェ。その理由は、私の大事なものを踏み躙る理由になンのか?」
「
「そう言う事だろォが、クソッタレが……!」
「あァ、そう言う事だなァ。
端からは、全く意味が分からないだろう。だが、分かるモノもある。それは、見逃せないレベルの『共感覚』であった。
──理解できる。嗚呼、それは、確かに。俺も感じた事のある、その感情だ。
「最愛ちゃんは、そうか……
「………………………………」
「分かるぜ、その気持ち。俺もそうだからな」
「────巫山戯ンじゃねェ、テメェ如きに何が分かるってンだ!」
──俺が、“
それを誰に、否定できるのか。少なくとも、俺には出来ない。出来ないし、
刹那、殺意が膨れ上がる。心得のある者であれば、誰でも分かるほどに。それこそ、開戦の意思表示の如く。
傍らのフレンダが、一瞬身を固めた程に。それは、正しく一騎討ちの前問答のようであり。
「た────助けて!」
「「「────!!!」」」
闇の中から走り出てきて嚆矢に真正面から抱き付いた、白い上着に
または────
「「「「「オォォォォォォォォォォォォォォォ………………………………………………………………」」」」」
闇の中から、よたよたと這い出るように現れた、野良犬を思わせる特徴を持った五人の『異形』への驚きであった。
その手には、何やら理解しない方が良い
「ちょ……なに、あいつら。どう見てもヤバイんだけど」
「……ふむ、どうやら『
「ぐ、『
忌々しげに口走った市媛に、フレンダが困惑した台詞を。対し、嚆矢と最愛は臨戦態勢を取る。
嚆矢は召喚した“
「成る程ねェ、道理で此処はァ!」
「随分とォ、静かな訳ですねェ!」
待ち望んだかのように眼光鋭く睨み付け、口角を吊り上げながら────!