Shangri-La...   作:ドラケン

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1.August・Night:『Passage...Lost』

 

 

 酷く湿った生温い夜風に乗って、生臭い鉄の臭いが鼻をつく。血と臓物と、絶命間もない死体……まだ年若い少年の死骸の臭いだ。それを引き摺り現れた、五体の屍食鬼(グール)が纏う香気だ。

 野良犬を思わせる外観だが────今朝がた見たようなチャラついた服の切れ端を身に付けた、酷く戯画めいた()()()()()()達が。

 

 

 ジリジリと、まるで見た事の無いモノに興味を示す犬のように。互いを牽制するかのように、僅かずつ(にじ)り寄ってくる。

 

 

「……ったく、前の仕事と言い今回と言い────最近は有機生命体兵器(バイオ・オーガニック・ウェポン)でも超流行ってンですかねェ!」

「良く分かんないけど、そっちがその気ならヤってやる訳よね!」

 

 

 その吐き気を催す冒涜的な外見に、唸りを上げる程に高密度の窒素を纏う最愛とスカートの中から拳銃を取り出していたフレンダが悪態を吐いた。

 対して屍食鬼(グール)どもはメスのように鋭い爪をギチギチと鳴らし、ナイフのように巨大な犬歯をガチガチと鳴らしながら少年の肉を噛み、臓腑を啜りつつ。新たな『瑞々しい獲物』を目にした彼等は、一斉に下卑た笑顔らしきモノを浮かべる。

 

 

呵呵(かっか)……どうやら、三大欲求のうち睡眠欲以外が増幅されておるようじゃのう」

 

 

 それは、まるでと言うかまさに────発情期の犬のオスが、メスを見付けた時のモノで。

 

 

《穢らわしい、野犬風情が(サカ)りおって。目障りじゃ─────討滅するぞ、嚆矢》

(言われなくてもその心算(つもり)だ。()くぞ────ショゴス、“悪心影(あくしんかげ)”)

『てけり・り。てけり・り!』

 

 

 獣相手に、礼節も糞もありはしない。投げ付けられた骨付きの肉片や(はらわた)を、足下に蠢く玉虫色の影から沸き立つ無数の血涙を流す眼を覗かせるショゴスを、物理無効の体である触腕を自律防楯(オートシールド)として。

 更に鞘から長谷部を抜き放ち、陰に還った“悪心影(あくしんかげ)”を背後に。月光を照り返す白刃を(あらわ)し、柳生新影流兵法(ヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)の基本たる“合撃(ガッシ)”の構えに。

 

 

 背後で震えている少女を護る、忠義の武士(もののふ)のように。

 

 

「「「「「Howwwwwwwl(ウォォォォォォォォォォォォォォォォン)!!」」」」」

「「「──────!!!」」」

 

 

 遠吠えと共に、死骸(エサ)を捨てた五つの影が猛烈な勢いで疾走(ハシ)る。五体が散開し、バラバラに動き回って此方の隙を狙っている。速い、並の人間であればその動きと数に眩惑されよう。

 それは野犬のように精密で獰猛な、野猿のように複雑で老獪な『狩り』だった。

 

 

「こんのぉ!」

 

 

 先ず、拳銃を手にするフレンダが反応した。『ベレッタM93R』を学園都市の技術で改良した『ベレッタM93R2“ブリキの木こり(ウッドカター・オブ・ティンプレート)”』……銃口の跳ね上がりを電子制御で抑えた、三点射(トリプルバースト)で弾幕を可能とする機関拳銃(マシンピストル)を放つ。

 まるで木こりの電動鋸のような、そんな音が響いて。戦いに慣れた彼女は数に惑わされずに最も近い一体のみを狙って、見事に捉えた。

 

 

「ちょ、何よコイツ、効いてない?!」

 

 

 だが、全くもって屍食鬼(グール)には通じていない。曲がりなりにも『鬼』か、その生護謨(ゴム)じみた肌は銃弾を受けても尚、貫かれる事なく弾き返して。

 射撃を受けたその一体が、反撃とばかりに牙と爪を剥いて躍り掛かる。血肉と臓腑のこびり付いた、不潔極まる野獣の武器を振りかざして。弾切れになった拳銃を楯にするかのように、フレンダは身構えて。

 

 

「────犬ッコロが、俺より先に手ェ出してンじゃねェ!」

「っ……ジャ、嚆矢!?」

《チッ────貸しにしておくぞ、嚆矢!》

 

 

 それを、長谷部の白刃で受ける。受け止めた汚穢の爪牙に、“悪心影(あくしんかげ)”が反吐を吐いて。

 

 

「────失せろ!」

「ギ、ガへ!?」

 

 

 その勢いのまま、刀を振り抜く。夜闇に火花を散らしながら、牙と爪を斬り裂いた長谷部は屍食鬼(グール)の親指以外と上顎から上を跳ばして。

 間違いなく、誰がどう見ても致命傷だ。後は、その末期を見届けるだけで。

 

 

「────Geaaaaaaa(ゲェァァァァァァァァァァァァァァァァ)!」

「なァ、にィッ!?」

 

 

 その状態で黒く濁った血飛沫を撒き散らしながら、屍食鬼(グール)はゴリラのように強靭な腕を振るう。全くの予想外、辛うじてそれをショゴスの自律防御(オートシールド)が受け止めた事で左腕の打撲程度の外傷に収まった。

 

 

「チッ────超気ィ抜いてンじゃねェですよ!」

 

 

 瞬間、最愛が屍食鬼(グール)を殴り飛ばした。その隙に、三体の屍食鬼(グール)が彼女に向けて躍り掛かって。

 

 

「図に乗ってンじゃ────」

「────無いって訳よね!」

 

 

 それを嚆矢はショゴスの中から引き出した火縄銃の『炮烙火矢(ホウロクビヤ)震天雷(シンテンライ)』で、フレンダはスカートの中から引き出した棒付榴弾の『携行型対戦車ミサイル』で、其々(それぞれ)撃ち落として。

 その爆風で、残りの一体も吹き飛ばされる。しかし、直撃を受けた個体以外は無傷らしい。

 

 

Grrrr(グゥルルルルルルルル)…………」

「うげ……結局、マジでキモい訳よ」

 

 

 下半身を、上半身を。爆風の余波で四肢を失っても尚、屍食鬼(グール)どもは躙り寄ってくる。

 素早い動きこそ、傍観していた個体と爆発に巻き込まれた個体のみだが。より一層、化け物の度合いを増した屍食鬼(グール)どもに辟易した眼差しを向けて。

 

 

《ほう、どうやらただの屍食鬼(ぐーる)ではないのう……死体に死霊を憑依させたものか》

(その心は?)

《体を消滅し尽くさぬ限り不死じゃ、微塵に刻んだところで動くぞ》

(また、面倒な……)

 

 

 痛む左腕を誤魔化すように、力を籠めて刀を握る。握り締めて、右腕を見遣る。数日前、『二つの異能』を振るった右腕を。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

──あの時の異能ならば……あれならば、コイツらも消滅させられるだろう。魂までも凍り腐らせる絶対零度の右撃(アヴソリュート=ゼロ)と、魂までも焼き尽くせる無限熱量の右撃(インフィニット=ヒート)で。

 この二つなら、殺してやれる筈だ……この哀れな骸どもを。きっと確かに、きっと速やかに──────殺して、やれるんだ。

 

 

 そんな、希望的観測を持って見詰めて。直ぐに、馬鹿馬鹿しいと改めて。

 

 

《では、使うかのう? 貴様が呼べば、()()()()は来よう》

 

 

 掛けられたその声に、拭いきれぬ悪心を。焼き尽くすかのような邪悪を、背後に感じながら。右腕を、握り締める。殺す為の腕を。救う事など有り得ない、ただ奪う為の右腕────混沌の右撃(ザーバウォッカ)を。

 

 

(いや)、有り得ない。たった二回しか使えない術なんて、()()()()()()()()()()()使()()()()

《ふむ……では、どうする? あれを殺しきるなど、至難の技ぞ?》

(ハッ────不死身を殺す方法なンざァ、()()()()()()()()

《成る程、道理じゃな》

 

 

 長谷部の柄を握り締めて、浅はかな考えを捨てる。分かりきっている事だ、『英雄(ヒーロー)』ではなく『悪鬼(ヒール)』である己に、そんな自己犠牲で得られるものなど有りはしない。

 まだ、敵が五体とは確約されていない。だから、ここで無駄撃ちして後々必要な時に役立たずでは、目も当てられまい。

 

 

「………………………………」

Grrrr(グゥルルルルルルルル)…………!」

 

 

 隙無く刀を構え、屍食鬼(グール)の出方を待つ。新影流兵法の基礎、『臨機応変』を体現するべく屍食鬼(グール)の呼吸を測る。新影流兵法の基礎にして、奥秘たる一撃の為に。

 

 

Graaaa(グゥルルァァァァァァァァ)!」

 

 

 刹那、五体満足な最後の一体が飛び掛かってくる。速い、先程までの個体の比ではない。素体となった人間の基本性能が良かったのか。

 

 

柳生新影流兵法(ヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)────」

 

 

 だが、見えている。(ハナ)からその個体に警戒していた嚆矢は、迷わずに正調上段より長谷部を振り下ろす。

 稲妻のように、その一撃は速く。

 

 

「ガ、ギャヒ─────!?」

 

 

 斬り臥せる。伸ばされた腕ごと、その身を断ち斬った。

 

 

Ghiiiiii(ギィィィィィィィィィィィィィィィ)!!!」

 

 

 だが、まだ動く。屍食鬼(グール)の肉体は、致命傷を受けても尚、まだ獲物に喰らい付くべく吠え声を上げて。

 

 

「────“村雲(ムラクモ)”!」

 

 

 一歩下がり、喉笛のあった空間を噛み締めた屍食鬼(グール)と目が合う。その目に映るのは長谷部の閃き。

 下段からの返しの一刀で、その素っ首を断ち切る。首を飛ばされた屍食鬼(グール)は、悲鳴すら上げられずに────

 

 

『てけり・り。てけり・り!』

 

 

 傷口から侵蝕を開始したショゴスに呑み込まれていく。生物も無生物も溶かし、同化するショゴスならば不死だの何だのも無意味である。

 後の四体も、それでカタがつこう。幸い、動きが速いのは後一体。その個体も、既に頭部を喪っている。更に、テープ式の壁面破壊器(ドアブリーチャー)を地面に罠として設置して下半身のみの個体の両足を引き飛ばしたフレンダと踵落としで上半身のみの個体のアタマと両腕を捻り潰した最愛も、この程度の相手に遅れを取る事もないだろう。

 

 

「……大丈夫だったかい? 怖かったね、もう大丈夫だ────」

「……はい…………っ……あの………………」

 

 

 一段落がついた安堵からか、背後の存在を思い出す。時折震えた声を漏らす、小さな……まだ小学生くらいの。

 最愛とそう体格に変わりはない少女に向けて、振り向き様に声を掛ける。安心させようと、精一杯に優しい声を出して。

 

 

「あの……私の事、覚えてない…………?」

「──────え?」

 

 

 縋るような問い掛けを受けて、刹那────白い、白い、白い部屋を思い出す。息苦しい程に狭い、無機質な立方体の空間。見覚えが有り過ぎて、吐き気を催すほどの……実験室の記憶を幻視して。

 

 

 その視界の端、自販機の脇に垣間見た気がした『異形』。場違いなメイド服を纏う、()()()()()()()()()を。

 まるで嗚咽を堪えるかのように、肩を震わせている……己と同じくらいの年代の、さながら()()のように精密で、精緻で、美しい娘。

 

 

────可哀想、可哀想。

 

 

「ッ────!!」

 

 

 だが、嗚呼。それは『悲嘆』ではない。口を開かずとも、言葉は無くとも────如実に訴えかけてくる。怖気(おぞけ)を伴いながら、吐き気を催す程に。

 団栗のような、硝子玉の瞳。それは、見間違えようもなく『嘲笑』に歪んでいる。

 

 

────可哀想、可哀想。可哀想な『孤独な人狼(ローン=ウルフ)』。血に塗れたその牙で、その爪で。()()()()()()()()()()()()

 

 

「クッ…………!」

 

 

 目は口程に物を言うモノ、だからこそ、人は彼女の瞳に『()()』を聞く。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

────さぁ、機械のように冷静に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷厳に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷酷に、チク・タク。チク・タク────飢える(イア)飢える(イア)、喚ぶの!

 

 

 幻の嘲弄は、振り向き様の一瞬の出来事。目を戻してももう、何処にも『異形』は居らず。代わりに、気付く。背中に寄り添うように震えている少女に。

 

 

「っ……ふ、ふっ……くっ、ふふ」

「────────」

 

 

 否、違う。()()()()()()()()()()()()

 視界の端に見えた、あの『異形』と同じく────()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「────」

 

 

 振り向ききった嚆矢の目に映ったのは、黒く長い髪。一部のみが金髪に染められた、その髪が────直ぐ、間近に。

 

 

「……そォかよ、やっぱり忘れちまったのかァ。いや、ガキの戯言なンて信じて夢見てた私が馬鹿だったってェだけか」

「何、が────ッ?!」

 

 

 間近に迫った、何か一つ、夢を捨てて(うつつ)を受け入れたかのような黒い瞳に湛えられた────疲れと諦め。そしてその奥に潜む、()()()()()()()()()を認めて。

 そのせいだろうか、反応できなかったのは。例え万力じみた腕力で頚を絞られたと言えども。屍食鬼どもの運んできた血臭に紛れて気付かなかった────人造の臭いに。

 

 

「ッ────何を!」

 

 

 肌理(キメ)細かで、ひやりとした感触が唇に。微かなミルクのような香りが、鼻孔を擽って。流し込まれた、()()()()()()()()モノに────技尽くで、少女を振り払う。

 

 

「しや、がァ─────る」

 

 

 刹那、世界が回る。全色の絵の具を一斉に混ぜたパレットのように、まるで二日酔いの最悪レベルのものを濃縮還元したような。とても立ってはいられない。

 膝を折り、両手をコンクリートに突いて這いつくばって。漸く、洗濯機の中で洗われている衣類の気分となる。

 

 

 先程見た『異形』のように、口許を押さえた姿で。最早顔を上げて、彼女を見る事すら出来ずに嘔吐感を呑み込む。

 

 

「どォだァ、“悪酔葡萄酒(バッドトリップワイン)”の味はァ? 聞こえてても、意味なンて解かンねェだろォけど」

 

 

 その嚆矢を見下ろして、嘲り笑う少女は白いコートを寛げると袖から腕を抜き、フードのみを目深に被って羽織る。覗いたのは、今までコートに隠されていた革製の衣服。

 

 

『いい様だな、コウジ……この我を一度ならず、二度までも侮った報いだ……!』

 

 

 そして──吹き抜けた、突風じみた風。腐肉のように甘ったるい、瘴気を孕んだ風が吹く。少女の手元に現れた、鉄の装丁の魔導書(グリモワール)が巻き起こした穢れの風が。

 

 

『この、“妖蛆の秘密(デ=ウェルミス=ミステリィス)”をな!』

 

 

 悍ましき異教の秘技を記した、最後の十字軍の生き残りが著した魔導書が。これで三度、立ちはだかった────。

 

 

………………

…………

……

 

 

 くるくるとクルクルと、繰々(クルクル)狂々(くるくる)と。世界が回る輪る、周る廻る。地面が天に天が地に、上が下に下が上に。北が南に南が北に、東が西に西が東に。

 立て板に流れる水は逆流して霧散する、覆水は盆に還って溢れる。投げられた賽子(サイコロ)は手に戻り────()()()()()()()()()

 

 

 五メートルと離れていなかった筈の、フレンダと最愛の姿すら確認できない。この暗闇に溶けて消えてしまったのか、等と本気で考えて。

 黒い闇は、白い光に。黒い公園は、白い白い────白い研究室に。無人の世界は────

 

 

『ん……ふふ、あげちゃった』

『うー、ずるい~……』

 

 

──()()が、『今度こそ守ろう』と誓った二人の──────

 

 

「ッ────か、ハッ……!」

 

 

 頭を振って記憶の混濁を払い、辛うじて正気を保つ。実に運のいい話だ。黒髪の少女を技で振り払った、その紳士的でない行為の為に受けた、『女性に優しくする』という誓約(ゲッシュ)からの警告で。脳髄に錐を刺し込まれたような痛みに、意識を保てた。

 もしもそれが無ければ、今頃はもう意識の手綱を手放して昏倒、或いは発狂していたかもしれない。

 

 

──“悪酔葡萄酒(バッドトリップワイン)”……魔力の形を持つ毒、馴染み深い『(ユル)のルーン』か。なら、解毒は同じ魔術(オカルト)でなければ難しいだろう。

 思考する/嗜好する。

 これは三流だ、破る方法はある/あれは上物だ、破る法悦がある。

 頭が痛い、考えが纏まる前に失神しそう/腹が減った、殺す前に(コロ)してから喰おう。

 

 

 思考、その渦巻き。繰繰狂狂(くるくるクルクル)。再度回りだした“悪酔葡萄酒(バッドトリップワイン)”の酒精に、長谷部の柄尻に頭を打ち付ける痛みで対抗する。

 その痛みに、乖離した理性と野性の隙間に針の穴一つの正気を手繰り寄せる。

 

 

(……無理、だな)

 

 

 この一瞬でのその有り様に、解決の最短距離であるルーンの使用を諦める。無理だ、この状態では。嚆矢が魔術を行使できるのは、『確率使い(エンカウンター)』の能力(スキル)あればこそ、反動が最低のダメージで済んでいるから。

 そして能力とは演算あればこそ、その演算に失敗すれば────能力もまた、失敗する。そうなれば魔術の反動は、完全に神のみぞ知る事となろう。もしかすると、『一文字で致死傷』と言う百分の一(サイアク)の事態も有り得るのだ。

 

 

《ふむ……では、どうするのじゃ?》

(──────)

 

 

 では、どうするか。どうすれば、この苦境を乗りきれるのか。思考、散断する自我の中で。背後の“悪心影(あくしんかげ)”に、燃え盛る三つの瞳で嘲笑われる迄もなく。

 あれは吐息の形をとった、肺からの汚染だ。呼吸をすればする程、汚染されていく。ならば、既に入ってしまった酒精を取り除く為にはどうするか。()()()()()()()()

 

 

(────喰え、ショゴス。喰って、()()()()()()()()()

 

 

 ならば、それしかない。これ以上の汚染を受ければ、それこそ手遅れだ。

 かつて『スクール』のゴーグル男に掌を潰された際は、ショゴスが組織に刷り替わるまで二分ほどを要した。ならば、問題はない。ほんの五分ほど、()()()()()()()()()()()()()()()()()の事だ。

 

 

『────てけり・り。てけり・り!』

「クッ────────────?!」

 

 

 指示に、喜び勇むかのようにショゴスが啼く。間髪容れず、両の肺腑が一口に貪られる。喉を駆け昇ってきた塊を吐き出せば、路面に鮮やかな緋色の徒花(あだばな)が咲く。

 目の回る中毒の最中、目の眩む激痛に口角を吊り上げる。喰われた肺では言葉すら発せず、路面に向けた悪鬼の笑顔は誰にも見えてはいないだろうが。堪らない、そうだ────

 

 

(これが────殺し合いだったな)

 

 

 刹那、身を躱す。翳されていた少女の掌からの目に見えない『何か』に、徒花が路面ごと散らされる。ショゴスの自律防御(オートディフェンス)は、肺腑の修復に全力を懸けさせている為に無い。

 矢張(やはり)、運が良い。もしも『片肺ずつ』などと悠長な事をやっていたら────今頃、この頭が西瓜のように砕かれていた事だろう。

 

 

「ひっはははは────よく躱したじゃねェかァ。“悪酔葡萄酒(バッドトリップワイン)”に冒されてる状態でェ、私の『窒素爆槍(ボンバーランス)』をよォ!」

『フハハハハッ────さぁ殺せ、宿主! 今なら奴は、まな板の上の鯉と言う奴だ!』

 

 

 白いコートを、夜風と爆風に翻らせながら。鉄の装丁の魔書を携えた黒髪の少女は二撃目、三撃目と『右手』を繰り出す。

 成る程、爆槍とは良く言ったものか。その度に、目に見えない何かによりその先のモノが撃ち砕かれる。

 

 

「────────」

「どォした、あの食屍鬼(グール)どもを相手してた時の勢いはよォ! それとも……」

 

 

 そもそも言葉など発せないし、口を開けば血を溢すだけだ。視界には端からテレビの砂嵐のような狭まり、体は末端から痺れるように重くなってくる。典型的な酸欠の症状だ。

 そんな嚆矢を嘲笑うように────フードの奥の瞳を爛々と、黒豹のように煌めかせる少女は。

 

 

「それとも────私にゃあ、掛ける言葉の一つもねェってェのかァ!」

「ッ………………………………」

 

 

 悲鳴のようにも聞こえる言葉を、溢しながら。遂に膝を突いた嚆矢に向けて、まるで突き放すように『右手』を伸ばす。

 その先端から、豹の爪を思わせる掌から────()を放つ。

 

 

「────────!」

 

 

 その槍を、長谷部で受ける。食屍鬼の爪牙の比ではない圧力、それを────刀の(しのぎ)を使う、合気により受け流す。二撃目、三撃目と。

 そもそも、古流武術の基本は合戦でのものだ。武器の使用を前提とした総合格闘技、それが古流武術である。

 

 

 そして、何よりも────()だと言うのならば、あの“迷宮蜘蛛(アイホート)”の槍騎士の“宝蔵院流(ホウゾウインリュウ)”とは比べるべくもない稚拙。

 ただ、強力な能力に任せた一辺倒の突き。見えずとも、躱すくらいは造作もない。

 

 

 この程度の技量であれば、何時までも躱していられよう。彼女の技量が本当にこの程度で、かつ万全の状態であれば……の話だが。

 

 

「やるじゃねェか、“黒い扇の膨れ女(ブローテッド=ウーマン)”が言ってただけはある……“屍毒の神(グラーキ)”とやらの猛毒を越えただけはあるって訳かァ」

『ハ、なればどうした…………所詮は洞穴に引き篭もる蛞蝓よ、この我とは比べるまでもないわ!』

 

 

 しかし、それすらも薄ら笑いだけ。少女は金色に染めた揉み上げを右手で梳くと、一瞬だけ攻め手を弱める。何故か、その瞳に懐古を宿して。何故か、その左手に────魔書を携えて。

 

 

『何を息吐いている、今が好機だろうが! 殺せ、今すぐ! 此奴は貴様の事を覚えていなかった……即ち、獲物だろうが!』

「うるせェ……解ってンだよ、クソムシが!」

 

 

 瞬間、美眉を潜めて。蠢き這いずるような鉄の装丁の魔導書に生命力を削られ、魔力に変換されて。無論それは魔導書の炉によるものだ、少女に反動は無い。

 少女の右手に集まる、魔術の気配。それは酷く覚えがある。収斂する気配、正にそれは────

 

 

「なァ────液体窒素って、知ってるかァ?」

『“沈静(ハガル)”、“鎮静(ニイド)”、“鎮勢(イサ)”!』

「ッ────────!?」

 

 

 覚えがある、術式で。嘲る少女の掌に集まる青白い霧、それの正体に気付いて────

 

 

「────くたばりなァ、クソ雑魚ォ!」

 

 

 放たれた、『消沈の三大ルーン』により-196℃まで冷やされた窒素の槍。その一撃を矢張、長谷部で受ける。しかし、刃を通して冷気が伝播するのは止められない。

 指先が凍る感覚がこびりつく、血液の巡りが滞る。その二つを、踏み越えて─────

 

 

「ッ────ッ!」

 

 

 展開した第一防呪印“竜頭の印(ドラゴンヘッド=サイン)”がそれを弾き、相殺する。砕け散る、竜の頭を象る魔法陣。それは即ち、究極の虚空に住まう神への祝詞の始まり。

 視界がボヤける。演算が纏まらない。愈々(いよいよ)、危険域か。

 

 

「足掻きやがってェ!」

『三枚だ、宿主よ。あれは神に捧げる生け贄の呪詛……“門にして鍵、一にして全(ヨグ=ソトース)”と交信する為のモノだ。後三枚、砕く前にカタを着けよ!』

「うるせェっつってンだろうが、こっちは最初(ハナ)っから……次で終いにするつもりだァ!」

 

 

 二撃目の凍槍によって、第二防呪印“キシュの印”が割砕する。後は無敵の第三防呪印“ヴーアの印”と、最終防呪印“竜尾の印(ドラゴンテール=サイン)”の二つ。

 

 

「クソが、出し惜しみしてンじゃねェ────もっとだ、もっと搾り取れ! 液体だなんて生易しいもンじゃねェ、固体をブチかます!」

『心得た────クク、ではいただくぞ!』

 

 

 魔書が、その鉄の装丁が妖しく艶めく。命を吸い、魔力を産み出しながら蠢いている。醜い、浅ましい。あんな汚穢を、好んで使う気が知れない。

 

 

立 ち 消 え よ(H N I)立 ち 消 え よ(H N I)立 ち 消 え よ(H N I)!』

 

 

 先程までの比ではない、魔力の昂りを携える彼女。対し、最早まともに残り二枚を展開できるかすらも怪しい自分。

 白い光、見るだけでも凍えそうな程に寒寒しい、極北の風だ。それが一陣、圧縮された槍となって心臓を狙い────

 

 

「“零下の(イイー)─────?!」

 

 

 撃ち出されるよりも早く、彼女に向けて様々な『顔』が描かれている携帯型対戦車ミサイルが撃ち込まれ────それを、右手の槍で迎え撃った彼女。その懐に、同じくらいの背丈の影が躍り掛かる。

 掌底からの蹴り、反転しながらの後ろ回し蹴り。高圧の『窒素』を『装甲』として纏う体術は、見た目からでは想像も出来ない破壊力だ。

 

 

 だから、黒髪の少女はそれを()()()()()。受け止めて白いフードの下の眼光を更に鋭く、全く同じように橙色(オレンジ)のフードの下の眼光を更に鋭くした最愛と睨み合いながら、邪悪に笑う。

 

 

「────超見覚えがある能力だと思ってみりゃあテメェですか、黒夜 海鳥(くろよる うみどり)

「ヘェ────確かに見覚えがあると思えば……優等生の絹旗ちゃンじゃねェかよ?」

 

 

 互いに、仇敵に再会したかのように。壮絶な敵意をぶつけ合って。

 

 

「ちょっと嚆矢、結局アンタ、顔が土気色なんだけど……大丈夫な訳?!」

「ッ────カハッ! ハァ、大丈夫になったよ、今……ね」

 

 

 駆け寄ってきたフレンダの問いに、ショゴスにより辛うじて、窒息するよりも早く再製した肺腑に息を吸い込み────暫し止めて、酸素を取り込みながら応えて。

 満足に動けるように、呼吸を整える。まだだ、気を抜くには早過ぎる。漸く首の皮一枚繋がっただけだ、現状は。

 

 

「仕切り直し、かァ……面倒臭ェけど──────よォ!」

「っぐ────?!」

 

 

 その証明とばかりに『左手』からの高圧の『窒素』を『爆槍』として最愛を吹き飛ばした、『黒夜海鳥』と呼ばれた少女が呟く。それに呼応するように、辺りから不穏な息づかいが聞こえてくる。

 物陰から、藪の中から。至る所から圧し殺したような、極上の餌を前に舌を出して喘ぐような────獣の息遣いが。

 

 

「こいつら、まだこんなに居た訳?! 勘弁してほしいのよ……」

「っ……超、泣き言言ってンじゃねェですよ。初体験がこンな化け物に輪姦(マワ)されるで良いってンなら、話は別ですけど」

「結局、どう考えても良い訳無い訳よ!」

 

 

 フレンダでなくとも、そう口を衝いて出よう。其処彼処に潜む食屍鬼を目の当たりにすれば。

 『窒素爆槍(ボンバーランス)』に撃たれた脇腹……『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を貫くには至らなかった衝撃を受けた脇腹を押さえながら、やはり辟易した様子の最愛が立ち上がる。

 

 

 それを見計らって、タイミングを合わせて『右手』を掲げた黒の少女。それは、走者に号令を出す仕草。

 

 

「ラウンド、トゥー……ってか────ァ?」

 

 

 号令が掛かる、正にその瞬間。魔書を携える少女は、まるで糸の切れた繰り人形のように()()()()にぶら下がった『右手』を眺めて。更に、目元を拭いながら苛立たしげに舌打つ。

 

 

「ちっ、()()しねェと────確かに魔術ってのは便利なもンだけど、こォも消耗が激しいとやってられないってェの」

「「「Howwwwwwwwl(ウォォォォォォォォォォォォォォォォン)!!!!!」」」

 

 

 その呟きを掻き消すような咆哮、周囲の食屍鬼どもの(たが)が外れる。最早、誰に止める事も叶うまい。我先にと殺到する牙と爪、不浄の槍衾(やりぶすま)か。

 

 

「悪ィな────この二人はとォの昔に俺が唾つけてンだ。テメェらは、お仲間同士で乱交(スワップ)してな」

「「はあ?!」」

 

 

 その先頭、口火を切った一体を“天地投(テンチナ)げ”により群れに投げ返し、仲間の爪牙に貫かせて。不浄の波濤からフレンダと最愛を護るように、その二人から盛大に睨まれながら。

 長谷部と偃月刀の双振りを携えている嚆矢は────勇敢で精悍な『英雄(ヒーロー)』等には程遠い、『悪役(ヒール)』すら通り越して、下賤で卑劣な『悪鬼(ヴィラン)』の笑顔で。

 

 

()くぞ、“悪心影(あくしんかげ)”────一撃で勝負を決める」

 

 

 一息に“()()長谷部(ハセベ)”と“賢人バルザイの偃月刀”を、“錬金術(アルキミエ)”により融合させて。玉虫色の刃を備えた、日本刀と替えた。

 

 

応朋(おうとも)よ────しかし、二人などと小さい事を申すでない。()()()()跳ねっ返りを従順に躾るのも、中々に乙なものぞ?》

「ふゥン…………確かに、ソソる話じゃねェか────検討しておこう」

「…………ッ?!」

 

 

 燃え盛るような真紅の瞳三つで、一瞬見詰められた黒の少女。悪寒でも感じたのか、猫のように身震いしていたようにも見えた。

 その、無意味な視覚情報を断つ。己の目は瞑り、代わりに影から覗くショゴスの血涙を流す瞳で、全天周の食屍鬼を捉えて。

 

 

「“柳生新影流兵法(ヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)”、“無形(ムギョウ)(クライ)”が崩し────」

呵呵呵呵呵呵(かっかっかっかっかっか)! 人界余さず人理の内、世に人外の這い出る空隙(スキマ)無ぁし!》

 

 

 構えもなく、長谷部をただ、だらりと持ったままで。三十を越える食屍鬼全てに、ただ一振りを。

 

 

《“神魔覆滅(バランスブレイカー)”────果てよ、神仏魔羅(うぞうむぞう)!!》

全天周相転移刀(フェイズド=アレイ)──────“辰気楼(シンキロウ)”!」

 

 

 “ヨグ=ソトースの時空掌握(ディス=ラプター)”により、空間転移する刃で。ただ一撃で、全ての食屍鬼を纏めて時空ごと斬り裂いて。

 

 

「「「「Gyaaaaaaaa(ギィヤァァァァァァァァァァァァァァァ)!?!」」」」

 

 

 玉虫色の時空の裂け目に、食屍鬼どもが捕食されていく。足下の影は、食欲を満たされた歓喜に咽ぶように波立っていて。

 僅か数瞬で、食屍鬼は跡形もなく。先の五体の残骸も含めて、完全に消滅した。

 

 

『クッ────欠片とは言えども、流石はかの三御柱(みはしら)なる“門にして鍵、一にして全(ヨグ=ソトース)”か……』

「旗色が悪ィな…………仕方ねェ、退くか」

 

 

 使い魔の全滅すら、大して気にせずに。既に離脱の構えに入っていた黒の娘は、一度此方を見遣って。

 

 

「じゃあねェ、()()()()()()()()()がた? 次はきちンと殺してやるよ────“人狼鬼(ルー=ガルー)”。()()()()()()()()()()()?」

「「……………………!」」

 

 

 その台詞に。嘲笑うような────憎悪するような台詞に反応したのは、嚆矢と最愛の二人。フレンダはただ、そんな二人を見比べているのみ。

 足下に『窒素爆槍(ボンバーランス)』を叩き付け、粉塵を巻き上げた海鳥。その塵が晴れた時には、もうその姿はない。

 

 

 静けさが帰ってきた公園に、思い出したかのように虫の合唱と夏の茹だる夜気が流れ込む。

 長谷部を鞘に戻しながら行った“悪心影(あくしんかげ)”の音響探査(みみ)でも、近くには敵は居ない事を把握している。何とか、虎口を脱したらしい。

 

 

「……助かった、訳よね? いやー、結局、一時はどうなるかと思った訳よ」

 

 

 危機が去った実感に、フレンダが冷や汗を拭いながらそんな軽口を。嚆矢と最愛の二人に向けて、『やれやれ』とばかりにフランクに肩を竦めて戯けてみせる。

 勤めて、明るく。明らかに、ギスギスしている嚆矢と最愛の間の空気を和らげようと。

 

 

「……………………」

「……………………」

「あは、ははは……」

 

 

 それを完全に無視され、彼女は諦めて。溜め息一つ、『やれやれ』と肩を竦めて。

 

 

「……アンタ、対馬嚆矢でしたっけ? 『()()()()』に、どンな関係があるンです?」

「……………………」

 

 

 最愛の問いに、嚆矢は口を閉ざしたままで。呼吸すら最低限に、目を伏せたまま。微動だにせず、反応の一つすらなく。

 

 

「聞いてンのかよ、テメェ────」

 

 

 その様子に怒りを露にした彼女が、襟首を掴んで引き寄せた────

 

 

「────ふぎゃっ?!」

 

 

 その勢いのままで、さながら頭突きのような形で最愛の額に額をぶつけて……そのまま彼女を組敷くかのように、力無く倒れ込んだ。

 

 

「ちょっ、こンの────……!」

 

 

 いきなりの事に能力の発動をしくじったか、打ち付けた額と頬を赤く染めつつも一発、ボディーブローを叩き込もうとした最愛。

 そこで漸く、気付く。気付いて、溜め息を溢した後で。

 

 

「あ、お邪魔しました~」

「……フレンダ、ふざけてねぇでこの失神ヤローを退かすの、超手伝ってください」

「はいはい、しっかし……一層訳が分からない訳よね、こいつの能力(スキル)

 

 

 “悪酔葡萄酒(バッドトリップワイン)“の汚染と、その解消の為の肺腑の破壊と再生、更に大規模な魔術行使。その三倍の反動(トリプルパンチ)で、体力を使い果たしてしまった為に。

 ぐい、と背後からフレンダが嚆矢を抱え起こして、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を再び纏った最愛が彼を肩に担ぐ。

 

 

「それで? 何処に運ぶのじゃ?」

「そうですね……じゃあ、喫茶店に超戻りましょうか」

「そうね、結局賛成な訳よ……ってか、今まで何処に居たのよ、織田?」

 

 

 現れたのは、真紅の彼岸花(ヒガンバナ)柄に染め抜いた黒い和装に身を包む娘“悪心影(あくしんかげ)”────否、織田 市媛(おだ いちひめ)

 失神している嚆矢から長谷部を抜き取り、足下に蠢くショゴスに納めて。

 

 

「何を言う、ずっと()ったであろうに」

「そうだっけ……そんな気もするような」

「今は超どうでも良いです。それよりこの男、ヤバイくらい体温が超低くなってますから……急ぎます」

「ふむ、確かにのう。では、急ぐぞ」

 

 

 その唐突な出現に抱いた違和感も、彼女の言霊(ことだま)により霧散する。だが、今はそんな場合ではないと言う頭がある為か。

 フレンダも気を取り直し、来た道を振り返って。そうして三人の少女は、揃って復路に着いたのだった。


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