Shangri-La...   作:ドラケン

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第四章・Chapter Ⅱ “妹達”/De Vermis Mysteriis
八月二日:『追憶』


 

 

 窓の外は静寂(しじま)の底、深い海のような群青菫(アイオライト)の朝の気配に包まれた学園都市の摩天楼(ビルディング)群。230万の内の八割が学生であるこの都市の朝は、登校時間となる迄は極めて静かだ。どのビルも窓硝子に反射する青い光に染められ、美しい蒼朝の色に。ただ一棟、()()()()()()()()()()()()、あの『ビル』以外は。

 そしてそれはこの喫茶店の中も同じ、聞こえるのは小鳥の囀りくらいのもの。営業を終え、灯りの落とされた室内は朝日により青く染まっている。

 

 

 その煌めきを背にした最愛は一種、神々しい程に────清々しいまでの殺意を放ちながら。

 

 

「さて、じゃあ超手短にいきますか。対馬嚆矢、異能力者(レベル2)確率使い(エンカウンター)』……通称『制空権域(アトモスフィア)』、ですか」

「…………調べたのか。何とも……周到な事だな」

 

 

 何処かに依頼でもしたのか、缶珈琲を傾けつつ携帯の画面を見ながら。しかし隙無く、此方の様子を注視しながら。

 そんな少女を見詰めながら、口を開いた。開いてから気付き、舌打ちしそうになるのを堪える。

 

 

 気絶している間に“書庫(バンク)”を調べられた、それが先ず一つ目の失策。

 警備員(アンチスキル)の記述はないが、風紀委員(ジャッジメント)の記述は有るだろう。それだけでも、暗部の存在にとっては看過できない筈。スパイの疑いを掛けられて始末される事も十分に有り得る。

 

 

「ふゥン、弐天巌流学園三年で合気道部主将……言ってた事には、超偽りはないみたいですねェ。そして────」

「……………………」

 

 

 二つ目は、『兎脚の護符(ラビッツフット)』を奪われている事。脱出させない為にだろうが、ショゴスが居るので拘束を脱するのは容易い。

 しかし、問題はそんな事をすれば逆効果な事。だと言うのに、『話術(アンサズ)』を担う護符がない。つまり、対馬嚆矢は……『()()()()()()()()()()()()()()』の本人の弁舌のみで、この場を乗り切らねばならない。

 

 

「────それ以外に特筆に値する経歴はなし……超楽しそうな学生生活そうで、何よりで」

「……………………」

「どうかしましたか、急に超静かになって?」

「……痛くもない腹を探られれば、誰でも不愉快にはなる」

 

 

 小馬鹿にするような口調で、最愛は携帯を仕舞う。その様を黙って見詰めたまま、努めてポーカーフェイスで。

 

 

(どういう事だ、これは……)

 

 

 理解の及ばない事情に、端からは分からない無表情で困惑する。先に述べた通り、『風紀委員(ジャッジメント)である』事は公然の事実。“書庫”にも明記されていなければ、いざという時に不具合が生じる。

 今はまさにその逆の不具合で首の皮が繋がったのだから文句はないが、理由の分からない百分の九九(ラッキー)など、胡散臭くて仕方がない。

 

 

 まるで、何か────自分の預かり知らぬところで、取り返しのつかないツケが貯まっているような。そんな不快感と焦燥とが、心を埋める。

 

 

「じゃあ、超質問といきますか……『暗闇の五月計画』との関わりと、黒夜海鳥との関係について」

「……………………」

「だんまり、は超賢いとは言えませんけどねェ。つまり、超言えねェ事があるってェ事になりますから」

 

 

 思考する合間を黙秘と取ったか、最愛は瞳を更に鋭く尖らせて。飲み干した缶珈琲……スチール缶を、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』で握り潰しての恫喝を。

 

 

「……別に、話して困る事はない。だが────話す事がないのだから、どうしようもない。調べたなら分かるだろう、俺に八年より前の記憶はない」

「……………………」

「分かっているのは、『暗闇の五月計画』の被験体で暗部の()()()だった事。そして、『暗闇の五月計画』の後の実験で────」

 

 

 別に珍しくもない、暗部ではよくある話だ。『能力が脳のどの部位に宿るのか』を探す実験。それ以上も以下もない、ただただ事実を返す。

 

 

「それ以外の記憶は、物理的に…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「──────」

 

 

 じっとそれを聞いていた最愛は、一度目を瞑って。何か、酷く────

 

 

「……つまり、『覚えてない』と」

「ああ。あの黒夜とか言う娘にも、君にも悪いが…………()()()()()()()

「…………………………」

 

 

 数時間前にも見た表情を。酷く、嚆矢の言葉に傷付いたような表情を──フードの下で浮かべて。

 

 

「………………ははっ、忘れてた。結局──世の中なんて、こんなもんでしたねぇ」

「………………………………」

 

 

 一体、誰に向けてか。握り潰した空き缶をテーブルの上に置いて、彼女は一度、諦めたかのように嘲笑って。

 立ち上がり、歩み寄ってくる。力を籠めればへし折れそうに華奢な体に、装甲車くらいなら破壊できる攻撃力と防御力を与える『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を纏ったままで。

 

 

 その右手を、此方に伸ばし────

 

 

「疑って超悪かったですね、次からの仕事も超宜しく頼みます────“廻天之力(サイクロトロン)”」

「ッ………………………………」

 

 

 彼の()()()()『能力名』を口にして、嚆矢を拘束していた結束バンドを人差し指と親指だけで引き千切って。“兎脚の護符(ラビッツフット)”と“輝く捩れ双角錐(シャイニング=トラペゾヘドロン)”を投げ渡して踵を返すと、ポケットに手を突っ込んで扉に向かう────

 

 

「ぎゃん!」

「さっさと超帰りますよ、フレンダ」

 

 

 途中でテーブルに突っ伏したままの、フレンダが座っている椅子を彼女ごと蹴り転がして。

 

 

「……後、携帯の録音は消さないと超後悔する事になりますから」

「は、はい……」

 

 

 有無を言わせぬ最愛の迫力に、狸寝入りを決め込んでいたらしいフレンダは女の子座りの状態で涙目だ。そのまま木扉を開いてベルを鳴らし、一瞥すらないままに最愛は出ていった。

 その後を追うように、チラチラと何度も振り向きながらフレンダも。後には、嚆矢と市媛が残るのみ。

 

 

「…………………………」

 

 

 それを見送り、漸くして。嚆矢は護符を首に掛けて懐中時計を懐に入れると、転がされていた椅子に座って。

 その目の前のテーブルに、ソーサーに乗せられたカップ。中身は漆黒、芳しい芳香を放つホットコーヒー。

 

 

「いやはや、お疲れ様です」

「ローズさん……ありがとうございます」

「いいえ」

 

 

 礼を告げて、師父の淹れてくれたコーヒーを啜る。無論、()()()()()()()()()だけではない。その真意を過たず汲み取り、それでも何でもなさげに師父は厨房に引っ込んでいった。

 温かなコーヒーの苦味が、舌を痺れさせるようだ。しかし、胸に蟠る『苦味』には遠く及ばず。

 

 

 懐から取り出した煙草を銜え、火を点す。肺腑の奥まで目一杯に吸い込み────

 

 

「────ゲホッ、エホ……あ~、そっか」

 

 

 新生したばかりの肺腑には、刺激が強過ぎたらしい。盛大に咳き込んでしまい、そんな素人みたいな有り様に苦笑いしながら。

 

 

「何か思い出したのかのぅ?」

 

 

 いつの間にか隣でトーストにハムとチーズ、目玉焼きを乗せたものを()んでいる市媛が問う。興味無さげに、しかし嘲笑うように。

 それに嚆矢は嘲笑うように、しかし興味無さげに応えて。肩を竦めながら、フィルターまで吸いきった煙草を足下の影──ショゴスに向けて、投げ渡して。

 

 

「別に。これから女の子に会うんだし、風呂くらいには入らないとって思っただけだ」

呵呵呵呵(かっかっかっか)、是非もなし」

 

 

 嬉しげにそれを呑み込んで、現れた刃金の螻蛄を引き連れて。一息にホットコーヒーを飲み干すと、風紀委員の活動の準備の為に『自宅に帰る』と師父に帰る事を伝えに。

 その背中に、嘲笑う視線が。燃え盛るような三つの眼差しが向いているのを、肌で感じつつ。

 

 

『……そォかよ、やっぱり忘れちまったのかァ。いや、ガキの戯言なンて信じて夢見てた私が馬鹿だったってェだけか』

『………………ははっ、忘れてた。結局──世の中なんて、こんなもんでしたねぇ』

「……………………」

 

 

 思い返す、二つの『諦め』の言葉。自分がそうさせた、嘲りの言葉だ。その無力、その浅はか。自嘲の余り、自決してしまいそうな程で。

 

 

「……?」

 

 

 探ったポケットに、違和感。取り出したのは────明滅する乳白色の宝珠と、有機的な銀色の鍵。その二つの『魔道具(アーティファクト)』に、甦る記憶がある。

 極彩色の閉じた世界に、黒金の太陽と白銀の満月。そして────嘲弄する悪意の塊、見えざる皆既日食か皆既月食。

 

 

「どうした、嚆矢?」

「…………(いや)、別に」

 

 

 それを、背後で牛乳を飲んでいる市媛に悟られぬよう。再びポケットに押し込んで、螻蛄のショゴスを外に向かわせ、バイク形態で待機させる。

 朝の日差しは既に、透明なものに。大好きな青の世界は既に消え、遠くに(そび)える『窓の無いビル』は揺るぎなく。

 

 

「……今日も暑くなりそうだな」

 

 

 見習いたいくらいに早起きの、蝉の鳴き声を聞きながら。八月二日の今日に、悪態を吐いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 現在時刻、朝十一時半。現在位置、第七学区幹線道路。天候は快晴、不快指数は百パーセント。頭上からの直射日光と足下からの陽炎のダブルパンチで、茹だる暑さは青天井。

 嚆矢は額の汗をタオルで拭いながら憎たらしいほどの青天を見上げ、『織姫一号』からの天気データを表示している飛行船を睨み付けた。

 

 

「暑いなぁ……」

「暑いですねぇ……」

「気の持ちようですの。暑い暑いと言うから、余計に暑くなるんですのよ」

 

 

 同じく、暑さに辟易している様子の飾利と黒子の二人を連れて、『路地裏のマネーカード』の事案に対処して。今日も今日とて、外回りである。

 

 

「ホントだ、三回も言われると三倍は暑くなる気がするなぁ」

「白井さん……そんなに暑い暑い言わないでくださいよ~」

「……あなた方と会話していると、暑さ以外の熱が沸いてきますわ」

 

 

 黒子に心から疲れた顔を浮かべさせて、嚆矢と飾利はペットボトルを煽る。飾利は普通の生理食塩水、嚆矢は────

 

 

「あァ~、()()ゥゥゥい! 不味い、不味すぎる! もうどんな意図でこれを商品化したのか分からないレベルに不味いィィィ!」

「そこまで言うなら、飲まなければいいのではありませんの?」

「いやぁ、でも何だか妙に癖になる味と喉越しでさ」

「もう勝手にしてくださいませな」

 

 

 『大容量! 芋サイダー』と銘打たれた清涼(?)飲料水を、地団駄を踏みながら。突っ込んだ黒子に、更なる疲れを与えて。

 結局、時間が惜しくて自室には帰らずに銭湯で済ませ、そのまま風紀委員の活動に来た嚆矢は────

 

 

「さて……んじゃ、次はこの路地裏だな。これが終われば昼休憩だ」

「ですです、パパっと終わらせちゃいましょう」

「まあ、異議はありませんの」

 

 

 黄金の()()()()の瞳で見詰めた、大通りからの小路。これで本日五つ目、午前中のノルマはここまでだ。

 この後は、美少女二人と昼休憩。現金なもので、そう思うと俄然、元気とやる気が沸いてくる。るんるんと浮かれた気持ちで、スキップなどしながら路地に踏み込んだりすれば。

 

 

「………………………………」

「うぐ……あ、イテぇよぉ……」

「…………あ~あ、これだよ。本当、()()()()

 

 

 だから、心底盛り下がる。亜麻色の髪を掻き、溜め息を溢す程。路地の暗がりに無言で佇み、片腕で高校生くらいの少年を持ち上げている大柄な影と、その足元に転がり呻いている数人の少年達を目の当たりにして。

 

 

「どうしたんですか、嚆矢先輩……ひゃあ!?」

「そこまでですわ────風紀委員(ジャッジメント)ですの!」

 

 

 遅れて現れた二人の声により、その大柄の影────まるでゴリラのように厳つい顔の男が此方の存在に気付いたらしく、口を開く。

 

 

「……風紀委員(ジャッジメント)、か。本当にお前達は……全てが終わってからでなければ来ないな」

「何ですって……!」

「そうだな。そんでテメェらは毎回迷惑を起こしてくれるよな────不良学生(スキルアウト)くん?」

 

 

 重厚な、しかし抑揚の少ない、さながらコピー機のような声色で。手を離され、落ちた少年はそのまま泡を吹いて気絶する。

 その男の挑発に、黒子が反応しかける。それを制するように、彼女の前に立つ。

 

 

「────此方はテメェらと違って暇じゃねェンだ、構ってちゃンは余所でやれよ」

「…………ほう」

 

 

 両手で髪を掻き上げて、黒子や飾利の前では決して見せない暗部用の『悪鬼(ヴィラン)』としての表情を浮かべて、剣気を乗せた恫喝を。それを受けて、大男は初めて表情を変えた。

 

 

「……誰かと思えば、お前か。大体半年ぶりだな……対馬嚆矢」

「…………(ワリ)ィね、男に割く記憶容量は八バイト以下なンだ。初期ファミコン並みに飛ぶンで、自己紹介頼むぜ」

 

 

 そのまま、腰に当てた右掌で『親指で押す』と『人差し指を回す』合図を出す。それに気付いた黒子は直ぐに辺りを目線のみで改め、飾利はスカートのポケットの中で何かを探る。その黒子と飾利は、嚆矢の影で見えはしまい。

 

 

「相変わらずだな……()()()()

「………………?」

 

 

 知己に話すような大男のその物言いに、引っ掛かるモノがあった。半年前、こんな男に会っていたような気がして────

 

 

「────ッ!」

 

 

 その思考の一瞬の隙、それを見逃されはしなかった。大男は、その巨躯からは想像も出来ない速さでもって肉薄し、もう目の前に迫っている巨大な右拳────を、“()小手返(コテガエ)シ”で捉えて押さえ込む。

 

 

「────大した脚だな、武術……(いや)発条包帯(ハードテーピング)か」

「……ああ、お前に見せるのは二度目だが……そちらも相も変わらず……大した腕だな、古流武術」

「俺も記憶してるさ、駒場 利徳(こまば りとく)……て事は、コイツらは『無能力者狩り』でもやってた訳か」

「察しが良くて助かる……そうだ……三人やられた。小遣い稼ぎ半分……遊び半分でな」

「だからやり返した、かァ? 知らなかったぜ、何時から学園都市はハンムラビ法典制度に移行したンだ?」

 

 

 には至らず、見た目に違わぬ慮外の剛力を備える大男は嚆矢の『左手』による理合では押さえ込めずに、腕を伸ばして掌を絡み合わせた仁王立ちで。

 背中越しに睨み合うような形で、同じ『技術』でありながらも正反対を体現する二人が鬩ぎ合う。

 

 

『……最近の風紀委員は……南蛮渡来のような金髪がいるのか』

 

 

 その男……駒場利徳の姿を完璧に思い出す。今年の一月、どんな理由だったかは忘れたが────警備員(アンチスキル)黄泉川 愛穂(よみかわ あいほ)と共に制圧した、武装無能力者集団(スキルアウト)()()()の事を。

 

 

「……痛みを知らぬ者に、痛め付けられる気持ちは解らん……()()()()()()()()()()()()()を……しているだけだ」

「ハ、御大層な御託だな。けど、『気に入らねぇからブッ飛ばした』で十分だろうに。態々、自分を『偽悪』に仮託しなきゃいけねェンなら────端っから仲良しこよしの『偽善』なンてやってンじゃねェよ」

「『偽悪』に『偽善』か……間違いはない……だがそれは貴様にも返る言葉だろう……()()よ?」

 

 

 『同属』、と。その言葉に、心が凍る。有り体に言えば、つまり────

 

 

「ハ……()()()()()()()()を当たり前に持ってた癖に、社会からケツ捲って逃げ出したテメェらと一緒にしてンじゃねェよ────!」

 

 

 反吐が出るくらい、ムカついて。『左手』で握り締めた『兎脚の護符(ラビッツフット)』、励起するのは『灼光(シゲル)』と『軍神(テイワズ)』の二文字。どちらも『身体能力強化』を持つルーンだ。

 無論、その反動は『確率使い(エンカウンター)』により鋭い頭痛として顕れる。脳の一部を万力で搾ったかのような痛みが、理性を突き抜けて野性を呼び覚ます。

 

 

「……くっ……!」

「……ちィ……!」

 

 

 その魔術(オカルト)により均衡が崩れ掛かるも、利徳は腕の『発条包帯(ハードテーピング)』を起動して堪える。

 図らずも、こんな場所で科学と魔術が鬩ぎ合う。片方は大兵の、科学技術による身体強化。もう片方は些か見劣りはするが大柄の、文字魔術による身体強化。

 

 

「離さなければ……圧し折るぞ……南蛮渡来!」

「此方の科白(セリフ)だってェンだよォ、独活の大木がァ!」

 

 

 ミシリ、と軋むような嫌な音が。それは二人の肘から。どちらかが肘を曲げれば、確実に相手の肘が折れるだろう。

 不利なのは、どちらか。利き腕で大反動の『発条包帯(ハードテーピング)』を使う利徳か、或いは左腕で小反動の『神刻文字(ルーン)』を使う嚆矢か。

 

 

 そんな二人を、黒子はじっと見詰め────その視界の端に、一瞬だけ煌めくものが見えた。

 隣のビルの窓が、光を照り返した様子────に見せ掛けた『金属矢』が、嚆矢の首筋に向けて飛翔して。

 

 

「残念でしたわね────そうは問屋が卸しませんの」

「ッ……マジか、こんなお嬢ちゃんに俺の打ち根が……そりゃあ、伊賀滅ぶわ」

 

 

 精密に空中で、空間移動(テレポート)した『金属矢』により撃ち落とされて。空気抵抗の乱れを受けて、矢は墜落する。

 その『金属矢』を投擲した頭巾のような帽子の少年の目前に、両手に太股のホルダーから抜き取った『金属矢』を飛ばした黒子が現れた。

 

 

()()()()に周辺の警戒をしておりましたもの、当然の結果でしてよ。そんな事より障害未遂の現行犯、貴方も捕縛させていただきますの!」

「上等だ、来いよ高位能力者。“武装無能力者集団(スキルアウト)”の力、見せてやる!」

 

 

 嚆矢の『人差し指を回す』……即ち『周辺の警戒』を促すハンドサインを受けたからこそ、彼女はこの少年の存在を察知して迎撃、捕捉が出来た。

 同じ『金属矢』を獲物とし、『相手の意表を突く事』を得意とする二人が相対して。

 

 

「────シッ!」

 

 

 均衡は一瞬で。再度、少年は目にも留まらぬ速さで投擲し────

 

 

「甘いですの!」

 

 

 黒子は目に留まる要素すらない、十一次元を経由した投擲により『それ』を撃ち落とした。

 

 

「ああ────全くだな、駒場!」

「────なっ!?」

 

 

 細長い、スプレー様の『催涙弾(それ)』を。直ぐ様破裂したそれは、小さな路地裏程度は白一色に染め上げて。

 利徳は嚆矢と対峙したままで、彼の名を叫んだ少年と全く一緒に。その投げ渡した、水泳用のゴーグルと塗装用のマスクで作ったと見える手製のガスマスクを片腕で被る。

 

 

「黒子────ッ!!」

 

 

 一方、白煙に呑まれた黒子に意識を逸らした嚆矢。有り得ざる隙だ、そして次の刹那にはもう────バキリと、生木を割くような不快な音が。

 

 

「油断大敵……だ」

「──────────────」

 

 

 喉まで上った声を、食い縛った歯で押し留めて呑み込む。梃子の原理で関節が逆に曲がった左腕が、まるで火が着いたように熱く痛み────

 

 

「退け────邪魔してンじゃねェ、三下ァァァァッ!!!!」

「────ぐふっ!?」

 

 

 その『折れた左腕』で、鳩尾(みぞおち)の僅かに右に打ち上げる肘打ちを貰う。所謂、肝臓の位置だ。

 如何な大男はだろうと、急所は急所。しかも魔術による身体強化を受けている者からの渾身の一撃。常人ならば、背中から肝臓が転がり落ちても何ら不思議ではない。

 

 

 それを片膝を突いたくらいで耐え切ったのは、一重に利徳が弛まぬ努力によりアスリート並みに身体を鍛えていたからに他ならない。

 追撃に備え、直ぐ様彼は腕を構えて────既に白煙の中央に走り込んでいる学ランの背中と、入れ違いに横に立った仲間の姿を見た。

 

 

「大丈夫か、駒場? あんたが膝ァ突くなんて……」

「……心配するな……一撃貰っただけだ……半蔵」

「そうか、ならいいんだけどよ。しかし相変わらず無茶な奴だな、あの“裏柳生(ウラヤギュウ)”は」

 

 

 もう、何ともなさげに立ち上がった利徳と共に路地の隙間に逃げ込みながら。服部 半蔵(はっとり はんぞう)は、既に見えなくなっている『誰か』に対してそんな事を口走って。

 走り出た通り、其処にエンジンを唸らせる一台のバンのスライドドア。まるで待ち侘びるように開かれていた其処に、走り込んだ。

 

 

「ずらかるぞ、浜面! 風紀委員に見付かった!」

「オイオイ、ヘマ打ってんなよなァお二人さん。しかも警備員(アンチスキル)ならともかく、風紀委員(ジャッジメント)って……」

 

 

 呼び掛けた運転席から返った軽薄な科白は、ブリーチした髪の少年のもの。ドアを閉めた二人に向けてサムズアップした浜面仕上(はまづら しあげ)は、間髪入れずにアクセルを目一杯に踏み込んで。

 

 

「馬鹿野郎、()()()風紀委員(ジャッジメント)なんだよ! “裏柳生(ウラヤギュウ)”の!」

「ああ……一月の時の……南蛮渡来の風紀委員(ジャッジメント)だ」

「……マジかよ、あの不良風紀委員?! え、じゃあまさかあの化け物警備員(アンチスキル)も!?」

「「アッチが居たら……今頃はここに居ないだろ」」

「ごもっとも……嫌な汗掻いたぜ……ん?」

 

 

 危うくハンドル操作を誤りそうになるくらい取り乱しかけた仕上だが、ふうと溜め息を吐いて何とか気を取り直したらしい。

 落ち着きを取り戻した彼はカーナビに従って高速に入ろうとハンドルを切り────行く手を遮るように目の前に停車した、()()()()()()()()()()()()()()()()軽車両を見る。両横には分離体があり、通るのは無理だ。

 

 

「チッ……何やってんだ、邪魔だな! さっさと退けよ!」

 

 

 クラクションを一回、二回。更に長押ししてパッシング。それでも前の車両は動く気配はなく。

 サイドミラーに見える後ろの車両、黒っぽいトラックも直ぐ其処まで迫っていて。

 

 

「……おい、半蔵……」

「ああ。な~んか……嫌な予感してきたんだが」

 

 

 辺りを見回す。昼間だと言うのに、他の車がない。まるで、()()()()でもしているみたいに。

 そして、カーナビの画面に────

 

 

『“You are guilty(貴方達は罪を犯した)” by-Goal Keeper』

 

 

 の一文が表示された瞬間────バンを取り囲んだ警備員(アンチスキル)の一個小隊。『親指で押す』……即ち『警備員に通報』を行った飾利が呼んだ、警備員達が。

 三人は絶句していた。その状況にではない。非殺傷のゴム弾が詰まったライフルを持つ多数の男性警備員になど、目もくれず。

 

 

「さあってと────久々に暴れられるみたいじゃん?」

「「「──────────」」」

 

 

 目の前の車両から降りた、たった一人の警備員。桔梗色の髪を一房に纏めた、アクリル製の『楯』のみを持つ、女性警備員に────…………。

 

 

………………

…………

……

 

 

 路地裏から歩み出た二人は、近場のベンチに腰を下ろす。そして嚆矢は自販機で買ってきたペットボトルの水を、目許をハンカチで押さえた黒子に差し出す。

 負傷に加えて不甲斐なさで落ち込んでいるらしく、肩を落としている黒子の隣に座って。

 

 

「けほっ、こほ……面目次第もありませんの……」

「なぁに、悪いのは俺だ。判断誤った、御免な黒子ちゃん」

 

 

 催涙ガスのせいで一時的に視力を失った彼女の肩をぽんぽんと叩きながら、努めて軽い口調で。見えはしないだろうが、頭を下げる。

 

 幸い、強いガスではない。『治癒(ベルカナ)』の力を流し込んだこの水……ケルト神話に(うた)われる『フィオナ騎士団』の騎士団長フィン=マックールの伝承に(なぞら)えた、その水で応急処置は十分だろう。

 自分の腕は取り敢えず、『直す』事にした。この程度の()()、別に魔術を使うまでもない。押し込めばそれで終わりだ。早速、外れている肘から先を右手で掴み────脈や摩擦感を確認した後で、一息に。

 

 

「いいえ、わたくしの失態ですの。迂闊に迎撃などせずに、ちゃんと見てから対応していれば……初春に呼ばせた警備員の手を煩わせる事も」

否々(いやいや)、どうせ捕まえたら警備員に引き渡すんだし。早いか遅いかの違いだけ────さッ!!」

 

 

 ゴキリ、と鈍い音を立てながら引く。意識が飛びそうな痛みが走るが、この少女の前で呻いたり喚いたり、そんな無様は働けない。

 だがしかし、目を洗っていた少女は僅かに空気が変わったのを感じたらしく。

 

 

「今、何か変な音がしましたけれど……」

「気のせい気のせい。それより、早めに手当てしないとな……さて、役得タイム!」

「ふあっ?! ちょっ、嚆矢先輩────っ!?」

 

 

 それを誤魔化す為に、それ以上に早く病院に連れて行きたいが為に。直したばかりの腕も使い、所謂『お姫様抱っこ』状態で。

 

 

「ひっ────ひゃ!?」

 

 

 見えずともどんな状態なのかは理解して、慌てて暴れかけた黒子だが……目が見えない状態ではその程度の不安定すら、絶叫マシーン並みの恐怖をもたらして余りある。

 彼女は思わず、その慎まし過ぎる胸ごと嚆矢の頭に手を回してしまった。

 

 

「イヤッホォォォウ! こいつァあ嬉しい誤算だ、元気百倍だぜェェェ!」

「こ、この変態~~っ!」

 

 

 その事だけに、意識を集中する。鋭く走る痛みも、気にしなければ無いものと同じだと昔の偉い人が言ったとか言わないとか。

 

 

《いや、言わぬであろ》

(煩せェ黙ってろよ痛ェだろ)

 

 

 背後に沸き立つ“悪心影(あくしんかげ)”の突っ込みを切って捨てて。そんな事よりも。

 兎も角、走り出す。幸いと言うか、彼が知る内で最高の名医である、あの『カエル顔の医師』の病院はこの近く。『駿馬(エワズ)』のルーンを起動している今、五分と掛かるまい。

 

 

「もっとしっかり掴まってな────少し急ぐからさ!」

 

 

 風を斬って走る。魔術による身体強化の恩恵、余りの速度に何度か他の通行人に振り向かれたりしながら。しかし構ってなどやらずに。

 

 

「あら、今のは────」

「もしかして、白井さ────」

「ちょっ、速──────!」

 

 

 途中、黒髪と茶髪、扇を持った三人組の常盤台の女学生を追い抜いて。何やら声を掛けられた気もしたが、それすら振り払って。

 

 

 まるで、彼女の自虐を置き去りにするかのように。そんな男の顔を、腕の中から。まだ涙に霞んでいる瞳で見詰めながら。

 

 

「本当に…………貴男って方は」

 

 

 呆れたような、諦めたような。そんな言葉を漏らしながら────微笑んだ黒子に、気付く事無く。

 

 

………………

…………

……

 

 

 とある公園の一角に、『彼』は寛いでいた。ベンチに腰を下ろし、目の前の噴水を眺めながら紅茶とスコーン、まるで英国の昼下がりだ。

 それが絵になるくらいに、『彼』は見目麗しく。()()()()()に張り付いた笑顔は、そうと思わねば気付きもしまい。

 

 

 実際に、通りすがる女学生達は一様に『彼』を眺めている。あくまで遠巻きに、眺めているだけだが。

 

 

「よお、捜したぜ────」

 

 

 その隣に、無造作に腰を下ろした少女が居た。この麗らかな昼下がりにはまるで似つかわしくない濃密な闇色の、陰惨な気配を纏った娘だ。

 革製の衣服に小柄な身を包み、白いコートのフードを頭から被った────()()()()()()()()()()を傍らに携えた娘だ。

 

 

「仕事の依頼だ、テメェの『技術』を買いてぇ」

「ふぅ……金額如何(いかん)、かな。こちらも商売なものでね」

「だろうな、そりゃそうだ」

 

 

 黒い娘に、そう答えた『彼』。あくまでも優雅に()()()()()()()で。

 嘲笑うような黒の娘にも、それを崩す事はなく。あくまでも、あくまでも。

 

 

「テメェのその()()を治せる……と言ったら?」

「────────」

 

 

 『あくまでも』が、崩れる。一瞬『彼』は、娘を殺意の籠った視線で睨み付ける。周りで彼を眺めていた女学生達が、一斉に悲鳴を上げて逃げ出した程に。

 その身に纏う、濃密な闇色。陰惨な気配は、つまり────この男も、また。

 

 

「ひっはは、良いねぇ。そうじゃなきゃ、だ────」

 

 

 娘は、それすらも微風の如く受け流して。取り出したのは────『焼けた肉』。『彼』が不快感に、眉目を潜めるほどに炭化した肉だ。

 それを掌に置いたまま、携えた本を開くと、某かを呟いて。瞬間、その肉が────『瑞々しい生肉』に還った。

 

 

「……成る程、大した能力です。だが、残念ながら必要ありません。あと三年早ければ、這い蹲ってでも頼んでいたんでしょうけどね」

「そぉかい? これは、『見た目だけ』の治癒じゃねぇ。所謂、『逆再生』だ。この意味、分かるよなぁ?」

「……………………」

 

 

 『彼』は、もう一口紅茶を啜る。沈思の為に、味わいながら。それを黙認と取り、娘は更に──舌舐めずりしながら、新たな『媚毒(ことば)』を。

 

 

「それに、今回の『獲物』は……テメェも知らねぇ『駆動鎧(パワードスーツ)』を持ってるらしいぜ? 何でも、『人のサイズで戦闘機並みの空間制圧戦闘能力を持つ』らしい」

「……ほう、それはそれは」

 

 

 『彼』の笑顔の性質が変わる。合点がいった、とばかりに。狂暴な、底冷えがするほどに。

 

 

()()()()()だ……」

 

 

 醜悪なまでに整った笑顔で、『彼』は彼方を眺める────

 

 

………………

…………

……

 

 

 西の空が茜色に染まる頃、第七学区の風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部を後にした人影がある。

 長身で筋肉質な、亜麻色の髪のその男。背伸びをして背骨を鳴らしながら、歩く影だ。背後にて嘲笑う燃え盛る三つの瞳と、足下で血涙を流す無数の瞳が沸き上がる影を連れた男だ。報告書と始末書の二つを同時に書かされ、三度ほどあらゆる文字がゲシュタルト崩壊した男だ。

 

 

 因みに、黒子は昼前に飾利が寮に送っていった。明日は大事を取って休むらしい、と言うかドクターストップが掛かった。本人も不承不承了解した……と思いきや、『ハッ……傷付き帰還したわたくし、それを見たお姉さまは真に守るべき大事なものに気づいて(以下略)』とか元気を取り戻してくねくねしていたが。

 嚆矢の方も、誤魔化そうとした左肘の負傷をアッサリ見抜かれて、暫くは通院して診療となっている。『相も変わらず抜け目の無い人だ』と、大いに舌を巻かされた。

 

 

「ん~~……終わった終わった。さて、明日も早いし帰るか」

《ふむ、今晩の飯はそうさのう……うむ、この『牛ふぃれすてーき』とやらじゃな》

『てけり・り。てけり・り』

「巫山戯んな、んな無駄金が有るかよ。貯金もしたいし、今月は三万で乗り切るんだからな」

《節制など知らぬわ、金柑の手先め! (わらわ)は牛ふぃれすてーきに決めたのじゃ!》

『てけり・り。てけり・り!』

「むっしー」

 

 

 等と、端から見れば一人ごちる危険人物じみた具合で。包帯と簡単な固定だけが成された左腕を煩わしげに、尖らせた唇で掠れた下手くそな口笛など吹きながら。

 

 

「……なぁ、ロリコン先輩は一人で何を口喋(くっちゃべ)ってんだろうな」

「あれじゃね、遂にロリコンの毒が脳ミソまで回ったんだろ」

「惜しい人を無くした……と思ったが、ロリコンだから別にどうでもよかったと気付いた」

「聞こえてんぞ、後輩どもが……暇なら付き合えよ、ハンバーガーくらいなら奢ってやるから」

 

 

 バッチリそれを巨漢とスキンヘッドと学生帽の、後輩の男子風紀委員三人組に見られていたりして。

 

 

「ゴチんなりやーす。何すか先輩、今日は太っ腹じゃねーっすか」

「お前ほどじゃねぇよ、おむすび君。実は少し、良い事があってよ」

「どうせ白井に抱きつかれた、とかだろう」

「何だと黒眼鏡君、俺がそんな安上がりな男だと……なぁハゲ丸、アイツの能力(スキル)読心能力(サイコメトリー)』だったか?」

「能力使わなくても分かるってぇの、締まりのねぇ顔しやがって……ってか、ハゲ丸ってもう一回言ったら殺すかんな」

 

 

 そんな、在り来たりな夕暮れを当たり前のように。噛み締めるように、一歩一歩と────取り戻すかのように。

 

 

「うむうむ、菜譜の端から端まで喰ろうてやろうて! この『特製すかいたわーばーがー』とやらはとみに楽しみじゃ」

「うげふ!? テメ、いきなりは止めろ!」

「うおっ、何だ織田か……あれ、お前何時から居たっけ?」

 

 

 実体化し、背中に負ぶさった“悪心影(あくしんかげ)”……勧進帳(食いたいものリスト)を手にした織田市媛に、危うく頸動脈を絞め落とされそうになりながら。

 視界の端に見える、端整な嘲笑。一房に纏められた灰燼の如き黒髪と、夕焼けよりも尚濃い鮮血色の瞳。

 

 

呵呵(かっか)────何を言うておるか、下郎ども。初めから(わらわ)は居ったであろうに」

「そう言われると……」

「そうだったような気が……」

「しないでもないような気もするような……」

 

 

 揃って首を傾げた彼等の視線が外れた一瞬、燃え盛る三つの瞳が嘲笑を向ける。無論それは“這い寄る混沌(ニャルラトホテプ)”としての顔だ、直視すれば正気を奪われかねない無貌にして無尽の悪意だ。

 それを後輩連中に見せない辺り、まだ良心的な部類の蕃神なのだろう。まぁ、食事前の無粋は好まないと言う程度の事だろうが。

 

 

「────どうした、嚆矢よ。行かぬのかのう?」

「……………………」

 

 

 嘲る物言いに、不愉快の意思のみを返して。いつも通り、もう最近は慣れてきた嫌いがある、背中の重みを背負ったまま。

 歩き出す世界を心に刻む。大嫌いな、その赤色の夕焼けを望みながら────それでも。()()の己には与えられなかった、大事な『日常』を噛み締めて……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時刻、十九時ジャスト。完全下校時刻までもう僅か、故に急ぐ自室までのその道程を、バイク形態を取るショゴスで走り抜ける。

 あの後、後輩と市媛にハンバーガーを約束通りに奢って。頼みすぎると裏に連れて行かれてマスコットのお兄さんに『お話』をされると言う都市伝説(フォークロア)のある百円のモノだけだったのでブーブー文句を言われたりして、随分と時間までもを食ってしまった。

 

 

 故に走らせる、刃金の二輪車。神代の甲鉄で()たれた大鎧、南蛮胴。『七つの芸を持つ』とされる『螻蛄(ケラ)』の似姿を持つそれは、重厚な排気音(エグゾーストノイズ)を奏でながら。

 

 

「……ふぅ、間に合ったか」

 

 

 無事に帰りついた、自室のあるメゾン。その庭には飼いも野良も区別無く、数匹の猫が屯している。

 まあ、いつもの事なので、いつも通り気にせずに。触ろうとすると逃げたり怒ったりするだけなので、興味無さげにその脇をすり抜けて……そう言う時に限って、この『猫』という生き物は甘えた声で鳴き、刷り寄ってくるのである。

 

 

「はいはい、また明日な────ッイテ」

 

 

 だからと言って、騙されてはいけない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 猫達をあしらい、少し欲を出して撫でようとした掌。返ってきたのは猫パンチと唸り声、間を置かずに散り散り去り行く尻尾。

 

 

 自分から刷り寄ってきたくせに、こちらがその気になれば掌返し。まるで、『気易く触るな、この痴漢!』とばかりに。

 

 

「これだから、全く────女も猫も可愛いんだよなァ。(いや)、従順な狗もそりゃあ好きだけど」

 

 

 フラれ男は苦笑いしながら、一応は誰にも見えないようにバイクを物陰でショゴスに還して影の平面に潜ませて。自室の鍵を取りだそうとして────漸く、違和感に気付く。普段はない、どうも代車らしき軽自動車が停まっている事に。

 

 

「これって……ハンディある人用のか」

 

 

 物珍しさから、覗き込んだ車内の様子で理解する。普段見慣れない車の内部だが、それくらいは気付いた。

 同時に思い出した管理人の言葉。『近々、新しい入居者が来る』という、撫子の言葉も。

 

 

「あ、お隣さんですか~?」

「え、あーはい……」

 

 

 と、背後から少女めいた声。随分と低いところから。いきなり邂逅かと多少緊張しつつ『いつもの通りにすれば良いだけか』と思い直して、握り締めた“兎脚の護符(ラビッツフット)”から『話術(アンサズ)』のルーンを頭痛と共に励起させて振り返る。

 

 

「始めまして、対馬で……って」

 

 

 その瞳に、その姿は映る。ピンク色の髪に小学生と見紛うばかりの小駆には似つかわしくない岡持(おかもち)を抱えていた。

 

 

「こんばんはです、隣に越してきた月詠で……って」

 

 

 同じく、それは対面の幼女……否、()()も。目の前の男の顔を見て──はたと、思い出したように。

 

 

「あなたは確か……対馬ちゃん? 上条ちゃんを助けてくれた」

「『ちゃん』って……あ、はい。その節はどうもです、月詠さん」

 

 

 一週間程前に、火織にノされた当麻を送り届けた先の家主だ。そう──インデックスの『首輪』とやらを破壊する際に()()()()()になった部屋の。

 それを思い出して、得心する。確かに、あんな状態の部屋に住める訳がない。

 

 

「えっと……上条くんとインデックスちゃんは元気ですか? あれから会ってないんで心配で」

「ええ、元気ですよ~。私の部屋を台無しにするくらいには」

「そ、そっすか……」

 

 

 気まずさから何とか会話のネタを絞り出した嚆矢に、ニコニコと……既に一、二杯引っ掛けたかのように据わった目で笑い掛けた、月詠 小萌(つくよみ こもえ)教諭。

 どう見ても目が笑ってはいない。その瞳には疲れと諦め、そして……酷く冷酷な気配があった。何か、悪いもの(クリッター)でも取り憑きでもしているんだろうか?

 

 

「あ、これ、引っ越し蕎麦です。蕎麦アレルギーとか無いですよね?」

「大丈夫です、好物です。特に冷やしたぬきとか最高ですよね」

 

 

 と、差し出された岡持。その中には、進言通りに引っ越し蕎麦が。ラップが掛けられているが、まだ温かいのが分かる。

 

 

「あはは、面白い冗談を言いますね、対馬ちゃんは? この世に『()()()()()()』なんて言う、非人道的で冒涜悪逆の極みのようなものが存在するわけ無いじゃないですかー」

「……えっ?」

 

 

──何か今、凄い事を言われたような。凄い笑顔で。凄い真顔で。

 

 

 しかし、その一瞬の思考の合間にも時は流れ去る。気付いたのは、弛まず続けた修練の賜物か。嚆矢の背後に忍び寄ったその気配に、彼は──瞬時に身を屈めて、後方からの裸締めを回避した。

 

 

「ひゅう、さっすがじゃん、対馬。伊達に『先輩』の愛弟子じゃないね」

「勘弁してくださいよ、黄泉川さん……あと、破門された身としては嫌味にしか聞こえませんって」

 

 

 それを成した女……緑色のジャージに身を包む、艶やかな肢体の女。警備員(アンチスキル)であり、即ち教師である彼女は黄泉川愛穂(よみかわ あいほ)。そんな彼女に、苦笑いを向けて。

 

 

「もう、黄泉川先生……他校の生徒にまでちょっかいかけちゃダメですよ? そうでなくても黄泉川先生は肉体言語(ボディランゲージ)過多で誤解されやすいんですから。ね~、対馬ちゃん?」

「ギクッ、べ、別に『躱さなきゃあの凶器を堪能できたんじゃ?』とか思ってないですから……!」

「あっはっは、小萌センセには敵わないじゃん。と、これ引っ越し祝い」

 

 

 同じ高校の教師、知己である二人に挟まれてしまい微妙に居心地が悪くなる。見た目的には親子レベルの違いがあるが……どうやら気は合っているようだ。

 

 

「あ、『梅安 久兵衛(うめやす きゅうべえ)』じゃないですか! 一口飲めば、星間飛行しているような夢心地だとか。でも、限定生産で滅多に出回らないって話なのに……良く手に入りましたね!」

「日頃の行いの賜物じゃん、今日もたっっぷり働いたからね……対馬?」

「あ~……はい、そうですね……御迷惑をお掛けしました」

 

 

 その愛穂が小萌に差し出した袋。高価そうな化粧箱には、『大吟醸 梅安 久兵衛』と記されている。

 にやりと流し目で見遣られては、照れたらいいのか反省したらいいのか。兎に角言える事は、この女性は自分が色女だと言う事を自覚するべきである。非常に勿体ない話である。

 

 

「そーだ、対馬も小萌センセの引っ越し祝いに付き合うじゃん? 寿司も特上の奴が三人前あるし」

「えっ、特上寿司? マジですか、三年は食って無いっす」

「マジマジ。本当は後輩を連れてくる気だったんだけど、急用で来れなくなったじゃんよ」

 

 

 その誘いは、十分すぎる魅力。大小の違いはあれどもどちらも紛う事なき美形の女教師二人と夜会とは。健全な男子であれば妄想した事くらいはあると思う。

 加えて、特上寿司。この学園都市では、嗜好品の類いは高い。寿司もまた、回転しているものですらも結構値が張るのだ。この期を逃せば、次は何時になるやら皆目見当もつかない。

 

 

 ……以上の点から鑑みて。この男子垂涎の誘いに対して対馬嚆矢が取るべき選択肢は、たったの一つ。()()()()である。

 

 

「いやぁ、返す返す惜しいんですけど……明日も早いですし、もう完全下校時刻過ぎてますから」

 

 

 『断る』選択を取り、告げる。一応、学生の身だ。こんなところで目をつけられては敵わない。

 

 

「はい、花丸ですよ~、対馬ちゃん。学生の本分は勉学ですものね。うちの『三馬鹿(デルタフォース)』ちゃん達にも見習って欲しいです」

「ハイなんて言おうもんなら、みっちり座学コースだったってのに。あ~あ、可愛いげ無いじゃん」

「アハハ……やっぱり」

 

 

 それに二人の女教師は、そんな言葉を重ねる。一人は満面の笑み、一人は慚愧のしたり顔で。

 端からそうだろうと読んでいた彼は、額に浮き上がった冷や汗を拭って。

 

 

「それじゃあ、またです。対馬ちゃん」

「また今度、じゃんよ。対馬」

「はい、じゃあ、また……月詠さん、黄泉川さん」

 

 

 そして、連れ立って帰っていく。その後ろ姿が、隣の部屋に入るのを見届けてから。

 

 

「……ほらな、だから女と猫は信用ならねェンだよ」

 

 

 そんな言葉を……真理を呟きながら、自らの部屋の鍵を開けて。開き、閉じる。

 そして履き物を脱いで、上がろうとして────刹那、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……お帰り、義兄(にい)さん。()()()()()()()()()()()()

「──────────────待て、弓弦(ユミル)。違うぞ、義兄(にい)さんは全力で誘惑を断ち切って────!」

 

 

 目の前に立つ、()()()()()()()()()()()()()()の……金髪に群青菫(アイオライト)の娘の姿を視界に収めて。

 鼻血が零れる事すら無視し、嚆矢はただ弁解のみを試みて。

 

 

「────『贋作魔剣(グラムフェイク)』」

弓弦(ユミ)────待て、待ってくれ!」

 

 

 その放つ祝詞に、己の命運の終局を読み取って……

 

 

「────『■■■■■(■■■■■■)』」

「─────────────!」

 

 

 渦を巻く螺旋状の虹色の直撃により、その意識を無限の暗闇に向けて散らしたのだった…………。


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