Shangri-La...   作:ドラケン

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3.August:『De Vermis Mysteriis』

 

 

 それは何時の事だっただろうか、それは烏賊墨(セピア)色に夢だ。あの暗闇に満ちた『計画』の中、ただ三人……正気を保ち、支え合っていた頃の。

 我が事ながら、馬鹿馬鹿しい。今更、あんな夢に縋ろう等と。()()()()()()()()()()()()と言うのに。

 

 

『大丈夫────ボクが、守るから』

 

 

 だが、それでも。それでも、嗚呼、忘れ得ぬものが一つだけある。誰にどう、何を言われても。

 いつものように折檻を受け、自分達の肩代わりに多めに殴られて。口の端から血を一条流しながら、それでも微笑んだ『彼』。その亜麻色の髪と、蜂蜜色の優しい瞳は……今も、今も忘れ得ずに記憶に残っていて────

 

 

「…………ん……?」

 

 

 邯鄲の夢(ヒュプノス)の彼方から目を開いた其処は、五感全てを蝕む地獄の釜の底だった。

 目を覆いたくなる程の、地平どころか天までも覆い尽くす蝿や蛆に蛭、百足に蜚虫(ゴキブリ)等の生理的嫌悪を催す害虫毒虫。鼻を突く饐えた腐臭に、億千万の蠢く耳障りな粘音。全身の肌と言う肌を這い摺り回る触手じみた感触に拘束され、不快極まる分泌液(甘い腐汁)が口内に流れ込む。命を、尊厳を蝕まれながら。

 

 

「…………はっ」

 

 

 まともな人間なら、すでに数度は正気を喪っていよう。だが、しかし──彼女は違う。凡百の女、或いは男であろうとも泣き叫び、狂乱するであろうこの辺獄(リンボ)であろうが。

 

 

「……下らねェ夢見せてンじゃねェよ、“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”────蛆虫が、数任せとか発想が貧困なんだよ。()()()()()()()()()()()()()()に比べりゃあB級映画みてェなもンだ」

 

 

 それに顔色一つ変えず、何処かで嘲笑っているのだろう自らの魔導書(グリモワール)に向けて呟いた黒夜海鳥には、()()()()()()()()()を生きてきた彼女には全くの無意味で。

 

 

『クク────いいぞ、ウミドリ……貴様はやはり、傑作だ』

 

 

 やはりどこからか嘲笑うように響いた、そんな羽虫の如き不愉快な声を聞いて。

 波が引くように、有象無象の害虫どもが消えていく。残されたのは、氷山の聳える極北の風景。そして、代わりに──背後に感じた、物理的なまでに壮絶な悪寒に彼女は振り返る。

 

 

「っ────」

 

 

 選択を誤った後悔は、直ぐに。目の前、鼻を付き合わせる距離に浮かぶ笑顔の能面(ペルソナ)のように真っ白な笑顔に。ポロポロと血液じみた球体を溢す真っ黒な眼窩と、底知れぬ悪意を湛えた三日月状の口からはおおよそ、邪悪以外に感ずるところはない。

 そして何より、呑んだ息が凍りつきそうな程の冷気だ。魂まで凍えそうなその────

 

 

『あと少しだ、あと少しで君の願いは叶う。さぁ、育んでくれ。君の憎悪を見せてくれ。共に煉獄の底へ行こう────』

 

 

 魂にまで根を張った、悪意の嘲笑そのもので。今も、今も視界の端で此方を見詰める……白い能面の後ろで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に────

 

 

──可哀想、可哀想。少女、生け贄、泊まり樹のない渡り鳥。貴女の願いは叶わない、貴女の想いは届かない。どうぞ、その化け物とでも恋獄の底へでもお行きなさいな。

 

 

 最も聞きたくないと願う、その考えを的確に告げられた…………。

 

 

──さぁ、機械のように冷静に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷厳に、チク・タク。チク・タク。機械のように冷酷に、チク・タク。チク・タク────飢える(イア)飢える(イア)、喚ぶの! アハハハハハ……!

 

 

 そんな、幻聴を聞いた気がした────…………

 

 

………………

…………

……

 

 

 眩く、目映い。そこはとある男の所有する一室、無機質で酷く乾燥した油臭い手術室(ラボラトリー)か。煌々たるライトに照らされた機械の明滅するその部屋より、光が消えた。即ち、施術の完了である。

 

 

「…………」

 

 

 手術台から起き上がり、簡素な被服を纏う己の姿を改めた海鳥。動くようになった右手を握り、それを見詰める目にも不調がない事を。今度こそ、覚醒の世界に居る事を確かめて。

 

 

「相変わらず良い腕じゃねぇか、痴智(しれとも)

『痴智“博士”であろうが、機械娘(マシンメイデン)! 貴様、我輩を誰だと心得る! 控え目に言って“万能の人(ダ・ヴィンチ)”の──』

「『再来であるところの木原痴智』だろ? 耳蛸だぜ……」

 

 

 その怒号の如き声でいきなりがなられて、五月蝿げに耳を右の小指塞いで。彼女は見遣る、傍らに立つ緑の黒髪を後ろで纏めた長身の男を。病的な痩躯にギラギラと不快な三白眼、しかし不思議と整った印象を与えられる。怜悧にして麗貌、しかし何処か非人間的な違和感を禁じ得ない、新品のスーツの上に着古した白衣を羽織る男性を。

 それは、眼差しか。まるで虚空の彼方から、この世の全てを見下ろしながら嘲笑う北極星(ポラリス)のような。

 

 

『しかし、今日は忙しかったのである! 君に“彼”、纏めて二人分の“調整(チューニング)”を施す事になるとは……我輩は君らの専属医師ではないのである、君らはそこのところを勘違いしているようであるのだよ!』

「あ~あ~、うるせェなァ……良いだろ、あンたの研究のモルモットを買って出てやってンだからよォ」

『そこのところは感謝するのであるが! しかぁし、それとこれとは話が別であるのであるからして!』

 

 

 爆音、或いは衝突音じみた声を厭って。海鳥は一部のみを金色に染めた黒髪を靡かせながら、手術台から床に降り立つ。ぺたりと、裸足の足が冷たいリノリウムに触れた。

 

 

「何にしろ、期待してろよ。依頼通り、()()()()()()()()とやらを手土産にしてやるさ」

『それは楽しみである! 君は我輩の最高傑作の一つでもあるのである、これからも期待しているのであるよ! 生きて帰ってくるのであるぞ、友よ!』

「…………はっ、面白ェ冗談だぜ」

 

 

 『どうせ、研究動物(モルモット)を無駄にしたくないから』だと知っているから、彼のそんな分かり易いまでの言葉に彼女は反吐を吐いて。

 まるで、今まで見ていた夢を振り切るかのように。閉鎖されている筈の室内に吹き荒れた風に、孕む紙の音。間を置かずに、海鳥の右手に携えられていたのは────

 

 

『さて、では行こうか……ウミドリ。次こそ、あの“人狼鬼(ルー・ガルー)”を食らう為に』

「テメェなンぞに言われるまでもねェよ……殺す、今度こそな」

 

 

 悪逆の魔導書(グリモワール)妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”であり、その蠢きのままに彼女は憎しみに瞳を染めながら────

 

 

『………………………………全く、本当に楽しみなのだよ。()()には』

 

 

 あからさまな非科学を目の当たりにしながら、それでも尚、男は腕を組んで笑う。『面白い実験動物(モルモット)め、興味が尽きぬ』と。その悪意に、海鳥は背を向けたまま…………。

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