Shangri-La...   作:ドラケン

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第四章・Chapter Ⅲ “妖蛆の秘密”=De Vermis Mysteriis
3.August・Night:『Five-Over Melt-Downner』


 

 

 時刻、午後十四時。響くのは水の音。パシャパシャと、明るい室内の洗面台から。身を屈め、顔を洗っていた少女はタオルで水気を拭いながら息を吐いた。

 

 

「大分……見えるようになりましたわね」

 

 

 紫色のパジャマ姿、彼女の特徴の一つであるツインテールではなくストレートのロング。その所為か普段よりも大人びて見える黒子は、鏡に映る()()()()()()自分を見詰めて、目を瞬かせた。

 

 

「……いけませんわね、このままでは」

 

 

 と、慚愧に眉を顰める。思い返した、昨日の失態。飾利のお陰で打尽に出来たから良かったものの、下手をすれば怪我人二名を出しただけで逃亡されていた恐れもあった。

 そうなれば自分も勿論だが、班長を勤める嚆矢が責任を負う事になる。実際、昨日の失態の後始末はそうなった。更に言えば、今まで先達が積み重ねてきた風紀委員の評判を落とす事にもなるのだ。組織に属するとは、社会を形成するとはそう言う事だ。決して、一人では完結しないし洒落では済まない。

 

 

 第一、正義が負けてはならない。正義は必ず勝つ。正義トハ不朽不倒ノ大樹タルベシ……とまでは意気込んではいないが。

 彼女は間違っている事は嫌いだし、不当な事は見過ごせないくらいの、人として当たり前の潔癖と責任感は持ち合わせている。

 

 

「明日は、皆に謝りませんと──はいですの、どちらさまで……」

 

 

 そう、心に決めて。一刻も早い快復の為に休もうとして────自室に響くノックの音に、応えながら扉を開けた。

 

 

「あ、こんにちはです、白井さん」

「どうもこんにちは、黒子ちゃん」

「──って、初春に先輩?! どうしてここに……」

 

 

 開けた扉の先から覗いたのは、同僚二人。即ち飾利と嚆矢の二人であった。

 

 

「と言うか…………まだ活動時間ではありませんの?」

「何言ってんだよ、黒子ちゃん。活動は明日以降も出来るけど、黒子ちゃんの見舞いは今日しか出来ないじゃないか」

「…………貴方は情熱を傾ける方を盛大に間違えてますの」

 

 

 だが、おかしい。それはおかしい。此処は常盤台の学生寮、国会議事堂も吃驚のセキュリティが導入されており、且つ、()()()()が居る。

 あの規律第一の女傑が飾利だけならまだしも、男である嚆矢を通すような事が有る訳もなく。だからと言って、前述の通りに何処からか侵入出来る訳も無し。

 

 

「ああ、簡単簡単。()()()()()さ、機械の誤作動も、巡回に出交すのも────トンネル効果で壁をスルッと通り抜けるのもさ」

「毎度の事ですけれど、呆れてものも言えませんの。貴方の能力(スキル)は本当に異能力(レベル2)ですの? 出来る事が多すぎですわ」

「照れるね、はいコレ。お見舞いのケーキ。大丈夫、冷やした状態で飾利ちゃんが『定温保存(サーマルハンド)』してくれてるから……あ~、にしてもクーラーって最高だよな……」

 

 

 薄着に慌ててショールを羽織り、黒子は呆れたジト目で此方を見遣る。いつも通り、撫で付けた亜麻色の髪と澄んだ蜂蜜色の狼の瞳の男。

 悪びれた様子もなくボタンを全て寛げた学ラン姿で涼む、男子禁制の常盤台の寮に現れた命知らずを。

 

 

「うんうん、そこまで元気なら明日からも問題なさそうだね。明日も今まで通りに炎天下の虱潰し(ロードローラー)作戦だから、しっかり休んどきなよ」

 

 

 その命知らずは、黒子が『昨日の事は省みているが、悪い意味では引き摺っていない』事を確認して、安堵しながら。

 

 

「あら、『マネーカード事案』の方針に変更は無しですのね……少し憂鬱ですの」

「本当ですよぅ、しかも今日は先輩がおかしかったですし」

「いつもの事ではありませんの?」

「ハハハ黒子ちゃんの冗談面白い」

「冗談は言っておりませんの」

 

 

 だから、そんな風に。『話術(アンサズ)』を励起しながら軽薄に、当たり障りのない雑談を交わして。都合、五分も掛かる事はなく。

 

 

「さて、じゃあそろそろかな。あんまり婦女子の部屋に長居するのもあれだし、これにて失礼」

「そう思うなら、そもそも不法侵入しないでくださいましな……まぁ、お見舞いの品はありがとうございますの」

「なんのなんの。安物だから、気にしないで御坂と食ってくれよ」

 

 

 気安くそう口にして、背を向けたその男。無論、そんな訳はない。この学園都市では、こう言った嗜好品には笑えるくらい法外な税金が掛かる。最低でも二人分なら、一般学生の食費の二週間分は難い。

 故に、そこは男としての見栄だ。武士道から『武士は食わねど高楊枝』を地で行く義父(ちちおや)からの教育により、男とはそう言うものと決めているから。

 

 

「俺は俺で、また髪を下ろしたレアな黒子ちゃんを見れた訳だし満足満足。アダルトな黒子ちゃんもやっぱり素敵だなぁ」

「んなっ!?」

 

 

 そしてケルト神話から『英雄とは色を好むもの』を地で行く義母(ははおや)からの教育により、好色さを隠す事もなくニッカリと狼の如く笑いながら。男とは性欲の権化(そう言うもの)と決めているから。

 黒子が呆気に取られ、そしてやがてショールごとその小さな体を抱き、耳まで真っ赤になるのをつぶさに観察して。

 

 

「この────」

「んじゃ、また明日ッ!」

「ふあっ、それじゃあまたです、白井さん!」

 

 

 飾利の肩を抱くように、壁に走り込む。普通なら、壁にぶつかって終わり。しかし『空間移動(テレポート)』能力の黒子にとっては、別におかしな行動とは受けとれず。

 

 

女の敵(ジゴロ)~~~っ!」

 

 

 叫びながら、『空間移動(テレポート)』により嚆矢の顔面に叩き付けられたであろうケーキの箱。しかしそれは嚆矢の能力で擦り抜けつつあった事と、視覚情報が不鮮明な黒子が演算に失敗した為に。壁に消えた男には無意味で、ポトリと壁際に落ちたのみ。

 それに荒い息を吐きながら、黒子はショートケーキとモンブランを手にしたままで。

 

 

「本当に……これですから、あの人はっ……!」

 

 

 もう一度顔を洗うべく、洗面台に向かって。決して鏡を見る事なく、冷水を選んで───

 

 

………………

…………

……

 

 

 時刻、午後十七時。風紀委員(ジャッジメント)の活動を終えて、飾利を寮まで送り届けて。僅かに傾き始めた西日を浴びながら第七学区の通りを歩む。

 ぶらぶらと、別に興味もない服屋や家電屋の前で立ち止まり、買う気等は毛頭無いウィンドウショッピングをやってみたりしながら。

 

 

呵呵(かっか)、そこまであの妹御が恐ろしいのかのう」

「………………煩い」

 

 

 嘲り、黒髪を靡かせながらながら陰より顕現した、黒地に紅く彼岸花柄に染め抜いた和服姿の市媛に核心を衝かれ、ぐうの音も出ない。態々(わざわざ)こんな風に、のっけから激怒する男の如く愚図めいているのは、確かにその所為だ。

 今朝のあの怒りようでは、まだ怒っている筈。このままでは部屋に帰り、扉を開けた瞬間にまたもや“雷虹螺旋(カラドボルグ)”、下手をすればケルト神話四至宝の一つ“彗星五連(ブリューナク)”も十分に有り得る。

 

 

 故に、何か。義妹の怒りを鎮める手筈を整えるまでは帰る訳にはいかず。だからと言って、良い案は浮かんでこない。

 そのままぶらぶらと市媛と流し歩き、気付けば完全下校時刻はとっくに過ぎていて。

 

 

 逢魔が刻の紅い日射しにそろそろ学生服は目立つ事に思い至り、ショゴスの内に……と言うか、ショゴスの纏う甲冑の鎧櫃の中に納めてある『Mr.ジャーヴィス』用のスーツへと────風力発電塔の影をすり抜ける一瞬に、影に融けたショゴスにより着替える。

 亜麻色の髪をオールバックに撫で付けつつ取り出した煙草──ステイルから貰ったイギリスの、某国が親善大使代わりに輸出している植物食のツートンカラー熊と同じ名前の煙草を銜え、火を点す。

 

 

「アイツが喜ぶもんか……どうしたもんかねぇ」

「まぁ、時間ならばまだあろうて。犬も歩けば棒に当たる、とな」

「…………それ、悪い事があるって意味じゃなかったか?」

 

 

 呵呵と嘲笑いながら左腕を抱き抱えた市媛に好きにさせたまま、呆れ顔で紫煙を燻らせる。歩調が合わさり、コツ、コツと革靴と三枚歯下駄の足音が重なる。

 全身の血管を巡るニコチンの熱さを心地好く感じながら、どうしたものかと思案していると……時折、視線が集中するのを感じる。

 

 

 不快に思って辺りを見れば、男どもが揃って顔を背ける。それで、成る程と得心した。

 

 

「美しすぎると言うのも罪よのう、呵呵呵呵(かっかっかっか)

 

 

 次いで衆目を浴びてご満悦な様子の市媛が笑い、気取った様子で右手で髪を梳いた。幾らか携帯のシャッター音が聞こえたのは、この際放っておく。

 

 

「ホントにな、条例違反で通報される前に帰らねぇと」

「ふむ……よく分からんが馬鹿にされたのは判ったぞ。そこに直れ、嚆矢。(わらわ)が手ずから斬首してくれる」

「勘弁、こんな町中で長谷部振り回そうモンなら一発で逮捕だ。安土桃山時代とは違うんだよ」

 

 

 衆目を避けて、路地裏に入る。多少治安は悪くなるだろう、どちらかと言うと、コイツらが立ち入った所為で。

 

 

「あら、好久不见(お久し振りですね)

「え────あ、どうも……」

 

 

 しかしそのお陰で、漸く元々の目的の解決策を思い出した。目の前には以前黒子への贈り物をする為に利用した、『舶来雑貨 縷々家』との看板を掲げた雑貨屋。そしてその主たる、匂い立つように美しいチャイナドレスに黒い扇の娘が。

 

 

「今日はあの娘達じゃないんですね……ふふ、罪作りなお人」

「いやいや、あの娘らはただの後輩ですから」

「そうですか。ところで今日は、何か御入り用で?」

 

 

 しっとりと濡れたような、やはり口から出ているとは思えない声で問い掛ける彼女……確か、海 藍玉(ハイ ランユゥ )と名乗ったその女性。その姿に、()()()()()()()()()を思い出して。

 

 

「いえ……何か買うか、お市?」

「いや……要らぬ。()()()()()()()に興味はない、さっさと()ぬるぞ」

 

 

 と、忘れない内に傍らの娘に問うた。しかし、いつもならそんな『新しい事』に進んで突っ込んでいく筈の彼女が、そんな事を宣う。

 多少、疑念を感じはした。しかし、市媛の“言霊”には逆らいようもない。

 

 

「っと、済みません、藍玉さん。また今度、今度は妹でも連れてきます」

「ふふ、お気になさらず……では、再見(また)

 

 

 そんな冷やかし以下の無礼すらも気にした様子はなく、女店主はにこやかに笑って。

 

 

「────再見(またね)、“悪心影(シャドウジェネラル)”?」

「応、またのう────“黒扇膨女(ぶろーてっど=うーまん)”」

 

 

 気を逸らした嚆矢の気付かない一瞬、宇宙すら震撼させるほどの悪意と混沌を振り撒いた二人は、互いに嘲り合って。

 気付かないまま、歩く数区画。やがて斜陽は藍色に。藍色から、暗闇へと移り変わる。その暗闇に紛れるように、嚆矢と市媛は自室を目指して路地裏を進む。

 

 

 あれ以来何一つ口にせず、黙りこくる娘を左腕に引っ付けたまま。三本目の煙草を踏み躙った、その直後。

 

 

「…………喝采せよ、喝采せよ。嗚呼、素晴らしきかな。黄金の生け贄は死なず、未だ学園都市にある…………か」

「なんだよ、いきなり……」

「いや……ただ、そなたの在りように今更ながら、憐れみを覚えただけじゃて」

 

 

 無言を貫いていた筈が突如、沈んだ様子でそんな事を宣う。正しく、意味不明。その彼女に、改めて意義を問おうとした────その刹那、ほとんど叫ぶ勢いで抱き付いてきた彼女。それに、逆らわず。

 

 

「────敵、三十五度上方(さるとりのかみ)! 来るぞ!」

「っ────────!!!!」

 

 

 振るわれた『爪』を、辛うじて躱す。アスファルトを穿った、三本の爪痕を。

 転がり、市媛を抱きすくめて。それを成した、一条の『影』を見据えて。

 

 

「“人間五十年……下天の内を競ぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり”」

 

 

 間を置かずに腰元に現れた、日本刀“圧し斬り長谷部(はせべ)”と刃金の螻蛄(ショゴス)。その刃を引き抜きながら誓句を唱えれば、砕け散るように螻蛄状態のショゴスが分解した装甲を乱舞させる。

 黒い刃金と黒い影、その二つが入り乱れた嵐の中。嚆矢は、誓句を唱える。

 

 

「“一度(ひとたび)(しょう)を得て”……」

 

 

 無論、構えたのは嚆矢だけではない。背後より強襲を掛けた『影』は、既に再度の攻撃準備を終えており────

 

 

《────“滅せぬものの、在るべきか”!》

 

 

 誓句と爪の一撃は、全く同時に。深々と彼の居た空間を穿った爪は、悠々と暗がりの虚空に帰り────勝者の凱旋の如く、空を巡る……

 

 

《舐められたもんだぜ……この程度でよォ!》

《─────!?》

 

 

 背後からの金打声に、その意識を下方に。そこに映る、日本刀を携えて背中の二基の合当理(がったり)により空中を疾駆する人形の機影を見て────

 

 

《この────蜻蛉(トンボ)野郎がァァァッ!!》

『…………クク、素晴らしい。素晴らしいではないか、大和武士(サムライトルーパー)!!』

 

 

 人間大の鬼蜻蜒(オニヤンマ)は、実に楽しげにそれを迎えたのだった────

 

 

………………

…………

……

 

 

 濃藍色に染まりゆく虚空(ソラ)を、二つの漆黒が天翔(かけ)る。双発の合当理(がったり)から爆音を撒き母衣(つばさ)で風を斬りながらも、通常の科学技術による探知ならば受け付けぬ“悪心影(あくしんかげ)”の神鉄による装甲(はがね)。人は時ならぬ雷鳴に首を傾げ、些かの間、非日常の出来事として記憶に残すのみであろう。

 対し、四枚の透翅(はね)を複雑かつ繊細に振るわせながら、無音のままに夜空を滑る鬼蜻蜒(オニヤンマ)。曲面のみで構成された、空力特性と隠蔽性能の極致。加えてステルス塗料を塗布されている科学の結晶の鋼鉄(メタル)、人はその存在に気付く事すら出来まい。

 

 

 実際に、その姿は夜闇に紛れるようにあやふやで……余り離れてしまうと、捕捉(ロック)が外れてしまう。さながら幽鬼のような、曖昧な姿。

 それに敵意を向けても誓約(ゲッシュ)が働かないからには、相手は男かはたまたそれ以外なのだろう。その点はついていると言うべきか。

 

 

《ちっ────嚆矢、ぼさっとするでない! 六十度上方(とらのかみ)じゃ!》

「クッ……!?」

 

 

 見失ったその隙に旋回した敵機は、既に攻撃体制。片側三本の、鋭利な刃渡り四十センチを越えるククリナイフじみた爪を備えるアームを振るう。

 

 

《──右肩部装甲板に被撃。損傷は軽微、僅かに削られた程度じゃ!》

 

 

 反撃を捨てて、辛うじて右肩の装甲で受けて凌ぐ。首筋を狙っていた刃は届かなかったが、勢いの乗った衝撃は肩から背中に突き抜けた。一瞬、気が遠退く位には。

 

 

(ッ……速度は奴の方が上か。こりゃあ、逃げるのは至難だな)

 

 

 頭を振り、意識を保つ。只でさえ空中戦など初めての経験だと言うのに、相手の土俵で戦っても埒は開かない。その合間にも、敵機は遥かに遠ざかり……それでもその複眼(メインカメラ)の視界はほぼ全天周、此方の一挙手一投足を捉えて離さない。

 

 

《確かに加速性能(あしまわり)では負けておるが……下の楼閣の隙間でも縫えばいけようて。この“悪心影(あくしんかげ)”の旋回性能(こしまわり)を舐めるでない、童貞が!》

「上等、艶声で哭かしてやるよ────鬼さん此方ァ!」

 

 

 だから、追わずに()()()()事にした。そもそも彼方(あちら)から襲い掛かってきたのだ、こうして尻を向ければ息を急ききって飛び込んでくるだろう事は明白。

 一気に近づく地上の建造物群、その隙間に潜り込む。最高速度に至った事で、纏わり付くような風を引き剥がしながら。母衣を使い損ねれば激突、致命的な隙となろう。

 

 

《ふん、釣れよったわ……背後に着けてきておるぞ》

「……………………!」

 

 

 聞こえる市媛の声にも、答えを返す余裕はない。ビルだけでなく標識や風力発電塔、その隙間を潜り抜けるには一瞬足りとも気は抜けない。

 今も、回る風車の羽を掻い潜って急上昇────

 

 

《来るぞ────敵機、背面!》

「調子くれてンじゃ────ねェェェッ!」

 

 

 長谷部の特徴である高自由度(フレキシブル)な合当理を前面に向け、一気に反転する。更には六枚二対、計十二枚の偏向板を巧みに操作して急制動を掛ける。一刀流で“金翅鳥王剣(キンシチョウオウケン)”として伝わる技だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その威勢を乗せて、爪を振るうべく背後に迫り────邪魔となる風車の羽を斬り落とした鋭爪に向けて、長谷部を振り抜く!

 

 

《胸部装甲板に被撃、損傷軽微────外したか》

 

 

 向かい合って走り抜けた二条の銀閃、その片方は南蛮胴(プレートメイル)に覆われた胸に傷跡を。

 驚くほどに巧みな透翅(はね)使いで長谷部を掻い潜って一撃をくれたもう片方は、既に遥か先へと天翔り去っており────

 

 

(いや)────()()()()()()()

 

 

 二本の傷跡を刻まれた武士は、急制動(インメルマンターン)による激甚な重力に、寸暇霞んだ意識を手繰り寄せつつ。ほくそ笑みながら、()()()()()()()()()を見遣る。

 加速性能と運動性能は彼方(あちら)が上、だが攻撃力と防御力では此方(こちら)が上。詰まり、()()()()()()()()()()()()という分かり易い構図だ。

 

 

《戯け、外しておるわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()!》

「無茶言ってンな、この野郎! こちとら介者兵法は週に一回くらいしかやってこなかったし、そもそも()()()()()()()()()なんて専門外だっての!」

 

 

 だからこその相棒の叱咤に、武士は全身を覆う刃金を軋ませながら肩を竦めて。踏ん張りの効かない空中での、“合撃(ガッシ)”の失敗を反芻して。

 

 

「────まァ、コツは掴んだから()()()()()()()()()()()。黙って見てろよ、姫御前(おやかた)様?」

《口ばかりでなければよいがのう、呵呵呵呵(かっかっかっか)!》

 

 

 悪意と殺気に満ち溢れた三つの赫瞳、燃え上がらせて。彼方に去った鬼蜻蜒を見定めるべく、全身の装甲の隙間からショゴスの血眼を無数に覗かせて────!

 

 

………………

…………

……

 

 

 衝撃は、決して少なくはない。まさか、あの形状であんな動きをして来るとは────

 

 

『被害報告……右一番サブアームを欠損(ロスト)。ダメージコントロール、重心バランス修正完了。戦闘続行に支障なし』

「……………………」

 

 

 管制AIの無感情な報告に、些か甘く見過ぎていたかと切り落とされた右のサブアームの付け根を『彼』は見詰める。その先に、またも背を向けた敵機。

 追うしかない、でなければ逃げられる。己から襲撃した以上、狩り獲る事こそが勝利であるのだから。これで逃すなど、有り得ざる失態。

 

 

敵機(ボギーワン)二百七十度下方(エイト・オクロック・ロー)────』

 

 

 間を置かず、機首を敵機に。間を置かず、最高速度(トップスピード)に乗りながらその首筋に向けて振るう、戦車の装甲ですらも斬り裂く高周波振動刃(ヴァイブロブレード)

 

 

「─────ッ!」

 

 

 そして再び、返しの刃が迫る。先程よりも更に正確に、今度は此方の首筋に寒気が走る程に。『∞』を描いて交差した二機は、片方は威勢に乗り上に。片方は威勢を削がれて下に。

 

 

『被害報告……左サブアーム一番二番、三番のクローを欠損(ロスト)。ダメージコントロール、重心バランス修正完了。戦闘続行に支障なし……しかし、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 今度は、あの鎧武者の装甲には傷すら入れられていない。機動性では此方が上だが、戦闘力は彼方が上。()()()()()()()()()()()()()、あまりにも分かり易い構図だ。

 加えて今も、着々と空戦に対応してきている敵機。覆しようもない事実だ。恐らくは、次。次の一合で己は撃墜されるだろう。

 

 

 ()()()()()()()()

 

 

 だから、男は口許を歪ませた。

 

 

「…………“死を思え(メメント・モリ)”」

 

 

 ただ、嘲笑の為だけに────薄緑色の複眼、悍ましく煌めかせて……

 

 

………………

…………

……

 

 

 三度目の交差、二度目の反撃。先程、右の腕を飛ばした時以上の手応えに達成感。

 

 

《よし────斬り抜けた! 戦果、敵機の左腕三本じゃ! ようやった、嚆矢。後で金平糖をやろう》

『てけり・り! てけり・り!』

 

 

 快哉の言葉は高らかに、二重に響く。片方は無傷で敵に損傷を与えた事を、もう片方は斬り落とした敵の残骸を貪り喰った事に。

 悪辣なる二柱が、嘲笑う混沌と究極の虚空が。マトモな人間ならば、吐き気を催そう。マトモでない人間ならば、その有り様に感心したか。

 

 

 ならば────

 

 

(トド)め、だ」

 

 

 無関心に受け流したこの男は、恐らく人間ではあるまい。きっと人の姿をした幼い狼であるとか────或いは、黄金色の幼い獣であるとか。

 何であれ、現状は変わらない。ただ、苛烈な命の営みが。生きる為に対敵を食らうという、至極有り触れた異常(じょうしき)だけが、其処に在って。

 

 

「──────ッ!」

 

 

 四度目の『∞』を描く双輪懸(ふたわが)かり。全速力を持ち、今度こそと鬼蜻蜒の息の根を狙う漆黒の刃金“圧し斬り長谷部”。

 対し、先程までの威勢を失って滑空するだけの鬼蜻蜒。薄緑色の複眼を、ただ此方に向けているだけで────最早、勝利は揺るぎなく。

 

 

 

 

 

────本当に?

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 

 刹那、鎌首をもたげた違和感。おかしい、有り得ないと。『この程度で諦めるような輩が、そもそも襲撃など仕掛けてくるものか?』と。

 その焦燥、一度火が点いた疑心は瞬く間に版図を広げる。まるで燎原の火のように、砂に染む水のように。

 

 

 遮二無二、その『複眼』の視線から逃れた。選んだのは下方、蜻蛉の視界の僅かな死角となる場所を。

 しかし、遅い。もしもこの鬼蜻蜒が最高速度であれば、それは成し得ただろう。だから、滑空するだけの鬼蜻蜒の複眼は、逃れきれなかった獲物をまだ見詰めていて。

 

 

 その、刹那────

 

 

『…………“死を思え(メメント・モリ)”』

「《──────ッっ!?」》

 

 

 嘲笑じみた、何処からとも知れぬ金打声(メタルエコー)に戦慄を。そして複眼から、浮かび上がるように現れた『薄緑色の光の塊』が────

 

 

『声紋承認──“Five-Over(ファイブオーバー) Meltdownner(メルトダウナー)”起動』

 

 

 複眼の視線をなぞるように虚空を切り裂いて、光条は過たず正確に鎧武者を捉えた────!

 

 

………………

…………

……

 

 

──落ちる。墜ちていく。真っ逆さまに、上から下へ。即ち、下から上へと真っ逆さまに。

 

 

 墜ちているのか、それとも上り詰めているのか。昇り詰めているから、堕ちきっていくのか。

 分からない、解らない。空っぽ頭(エアヘッド)案山子(かかし)には考える脳味噌がない。臆病者(チキン)獅子(ライオン)には、真実を知る勇気がない。鉄葉(ブリキ)(きこり)には、その意味を知る心がない。だから、無意味だ。

 

 

 またか、と思う。周囲を覆う黄金の渦、螺旋を描くモノの正体に気付いたところで。見た目が変わったところで、ここはあの無窮の世界。宇宙の外から嘲笑う神々に、最も近い空間。

 

 

 今の彼には、()()()()()()()

 

 

──ああ、聞こえる。耳障りな音が。チク・タク。チク・タク。チク・タク。時間だと、嘲笑うように告げている。断罪の時だと、無関心に告げている。

 今も、今も。遥か最果てから。無限光の満つ真上から、虚無闇に沈む真下から。即ち、無限光に沈む真下から、虚無闇の満つ真上から?

 

 

 その姿は、まるで。彼は知るまいが、“彼”は知っている。薄く黄金に煌めく滴を湛えた、ビーカーの中に浮かぶ“(ビースト)”────

 

 

──そうだ、そうだ。巫山戯やがって、あの駆動鎧……殺す、殺してやる。喩えあれが俺がやって来た事に対する罰だとしても、知った事か!

 あの小癪な鎧から引きずり出して、末端の関節から刻んで。腸を引きずり出して食わせて、何処まで小さくなるか弄んでやる────!

 

 

 “()()()(Beast)”そのものの思考回路で。かつて“正体非在の怪物(ザーバウォッカ)”と呼ばれた時代の、悪逆無道の極まった魂で。

 

 

────可哀想、可哀想。

 

 

 そんな視界の端に浮かび上がるように、黄金の螺旋の影に立つ────咽び泣くかのように口許を両手で押さえながら肩を揺らして、嘲笑するエプロンドレスの()()が、其処に。

 

 

────可哀想な黒い子猫、人狼に付けられた古傷には蛆が湧いて、食い尽くされるまでもう後少し……残るのは外側だけ。“蝿の王(ベルゼビュート)”を産み出す為の、ぶよぶよの蛹になるの。

 貴方の所為で、貴方の行為で。貴方の願いで、貴方の祈りで。また人が死ぬの、また、また。今もほら、今、今!

 

 

 だから人は聞く。聞いてしまう。己の最も知りたくない事を。言われたくない事実を。

 

 

────さあ、機械のように冷静に。機械のように冷厳に。機械のように冷酷に。チク・タク。チク・タク。飢える(イア)飢える(イア)、喚ぶの! アハハハハ……!

 

 

 明確な言葉として発されないからこそ、その瞳に充溢する悪意と嘲笑を浴びて。自らの心で、聞いてしまうのだ────

 

 

──嗚呼…………そうか、そうだった。俺は……女の子を守る誓いを立てた“赤枝の騎士(レッド・ブランチ)”だった。

 そうだ、()()と誓った。こんな場所で死ぬ訳にはいかない……喩え()()が、過去の俺に対する罰でも────()()()()、守ると決めたんだ!

 

 

 だから、()()()()()()()()()彼は、はたと思い出す。己は“獣”ではなく、“人”であった事を。

 かつては()()であった事には間違いはないが、八年前に()()してくれた恩人が居た事を。

 

 

 だから、戻らねば。気を失している暇など無い。急ぎ、覚醒の世に戻るべく意識を強く。強く強く、『目覚めろ』と念じて。

 右手を伸ばす。真下の無限光にではなく、真上の虚無闇に。即ち、真上の無限光にではなく、真下の虚無闇へ。其処にこそ、彼が求める“力”があると知っているから。

 

 

────…………詰まらない、貴方は詰まらないわ。駄目ね、それじゃ駄目。あの御方には届かない。

 

 

 途端に、落胆したような意識が流れ込む。視界の端に映る女が、心底から詰まらなそうに眉根を寄せていていて。

 

 

(そいつは手厳しい。ところで、名前くらいは教えて貰えるのかい?)

 

 

 嘲りを消して今度こそ嘆いた女に次いで、嘆きを消した男の嘲りに。『詰まらない』、と。間違いなく、本心から────娘は、嗚咽するように肩を揺らして振り返り……歩き出す。

 刹那、『時間』が進み出す。無限の現在(イマ)が終わる。時間の回廊が崩壊する。動き、軋み、崩壊する封鎖宇宙。こちらを覗いていた、『青く煌めく斑紋』のような闇色と共に消えていく。

 

 

────……マーテル三姉妹が次妹“ススピリオルム”よ、白痴と暗愚の生け贄さん────にゃる・しゅたん、にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅめっしゅ、にゃる・しゅめっしゅ!

 

 

 『ススピリオルム』と名乗った女が、時間の波間に消える瞬間に思考した祝詞。或いは呪詛。それに、魂が震える。余りの神々しさに、余りの禍々しさに。

 若しくは、己だけではなく────どこか、違う次元から覗いていた『魔王』と『副王』すらもが。

 

 

《『────嚆矢(てけり・り)!》』

 

 

 同時に頭上から、即ち足下から、()()()()()()()()()()()────……

 

 

………………

…………

……

 

 

「────ッ!? かッ、ハ─────────!??」

 

 

 刹那、“悪心影(いちひめ)”と“大鎧(ショゴス)”の呼び声により、快美の失神(ゆめ)へと逃避していた魂が、痛苦の覚醒(げんじつ)回帰(りゅうしゅつ)する。

 正に、痛みそのもの。左肩から先に走る、神経を直接金束子(カナダワシ)で擦るかのような、焼け付く痛みによって。取り戻した正気が狂いそうな程に苛まれ、喰い縛る歯は砕けそうに。握り締める刃は不撓不屈の“神魔覆滅(バランスブレイカー)”、その強靭を拠り所に合当理を吹かして姿勢を立て直すべく母衣を使う。

 

 

「ッ……状況報告!」

《左肩部装甲板に被弾────辛うじて『空間転移(ディメンション)反転(ネガ)』を展開したが……肩ごと()()()()()()()!》

 

 

 言われて、成る程と。落下しながら、上空に立ち上る血煙を見る。焼けた蛋白質特有の鼻を突く異臭に、指先に至るまでピクリとも動かせない左腕。

 何の事はない、()()()()()()()()()()

 

 

「チ────ショゴス!」

『てけり・り! てけり・り!』

 

 

 命じるよりも早く、ショゴスは喪失した左腕の修復を始めている。この痛み、腕全体が焼けたような苦痛は、神経の誤作動による幻肢痛(ファントムペイン)に過ぎない。

 しかし、一瞬とはいえ失った血液は莫大。そしてこの大鎧を駆動させる為に必要不可欠な『魔力』とは、即ち『生命力』……術者の命である。

 

 

《おまけに、先の一撃で左の母衣も砕かれておる……墜ちるぞ》

「クソッタレが……一撃で逆転されたか……流石『原子崩し(メルトダウナー)』だ、紛い物とは言え“超能力(レベル5)”だな……」

《……では、あの中身はお沈だと言う事か?》

 

 

 では、その命を消耗した状態で。且つ、本来ならば能力開発を受けている学園都市の学生が。能力との兼ね合いで、辛うじて反動を抑え込んでいたような出来損ないの魔術師程度が、現代科学の極致たる存在に。

 

 

(いや)──あれは、機械で再現した能力。学園都市の目標は、科学による超能力の再現……その一端、だろうな」

 

 

 電気に関する事象を操る第三位『超電磁砲(レールガン)』と第四位『原子崩し(メルトダウナー)』、完全催眠の第五位の能力は科学的な解明がなされていると聞く。

 絶対防御の第一位、未知の粒子を産み出すという第二位『未元物質(ダークマター)』、そもそも訳が分からない第七位に──()()()()()()()()()()()()よりは、科学的なアプローチが易いのだろう。

 

 

《成る程のう……しかし、あのすばしこさにこの破壊力。厄介な話じゃて────》

 

 

 『全くだ』と苦笑する。先程まで見えていた勝ち目は、嵐の海の潮目の如く見失ってしまった。そればかりか完全に軍配は……その目の前、その遥かな────

 

 

《敵直上(いのかみ)、落下攻勢!》

「ハッ、地上まで生かしとく心算(つもり)はねェらしィな!」

 

 

 虚空の頂にて、薄緑色の光……『粒子でも波形でもない曖昧なままの電子である“粒機波形高速砲”』、即ち『原子崩し(メルトダウナー)』を滞空しながら増幅させている鬼蜻蜒に上がっているも同然で。

 落着を減速して凌ぐ、その選択肢は今消えた。片方の母衣も砕けており、急制動は不可。では後、出来る事は何か?

 

 

《高熱源体発生────!》

「クッ────!」

 

 

 次は、右肩を構える。だが、無駄だと言う事は明々白々。最も強固な胸部装甲に比肩する堅牢さを誇る肩部装甲板が、防御機構を展開した状態でも一撃で砕かれた威力だ。次に受ければ、先ず命は無い。

 ならば、やる事はただ一つだけ。背中泳ぎのように地表に向けて落下しながら、長谷部国重を鞘に戻して片腕で構える。即ち、片手での居合の構え。

 

 

《嚆矢───》

 

 

 そう、ただ────全力を尽くすのみ。育ての両親にまだ恩を返せていない内に、黙って死ぬ心算(つもり)は毛頭ない。

 左腕の喪失を癒すのはショゴス、ならば残る“時空の神(ヨグ=ソトース)”の力は余っている。

 

 

 それだけでも十分だ。今見せよう、死と隣り合わせの魔刃の舞いを!

 

 

「上等────先輩か同輩か後輩かは知らねェが、“廻天之力の怪物(サイクロトロン・ザーバウォッカ)”を舐めてンじゃねェ……!」

 

 

 待ち受ける。ショゴスは全力を喪失した左腕の補填に当てている最中、その目の恩恵は受けられない。

 

 

《ならば、(わらわ)天眼(せんさー)の出番じゃのう》

 

 

 刹那、視界が広がるような感覚。それは額の三つ目の瞳の視界だ、“悪心影(あくしんかげ)”の天眼(センサー)の視界だ。音紋(ソナー)熱源(サーマル)磁界(レーダー)を兼ね備えた混沌の瞳。加えて、僅かな未来位置予測(ホークアイ)まで。正直なところ、見え過ぎてしまって脳への不可が半端ではない。

 第一、見えるから躱せる訳でもなかろう。結局は思考に付いてこれるだけ、身体を鍛えているかどうか。それが全て。

 

 

(ショゴスと比べりゃ多少数に不安はあるが……無いよりゃマシか)

 

 

 だが、有り難い話だ。これでまた、少し勝機を取り戻す。無論、九対一で負けているのだが。

 

 

《────来るぞ!》

「────来いッ!」

 

 

 視界は共有している、ならば判断も同時。敵の『原子崩し(メルトダウナー)』が臨界を迎え、放たれる。

 宵闇に包まれた虚空が光り、裁きの雷霆が降る。あれこそは古来より神の怒りと恐れられた、その神威。その似姿。

 

 

 ならば、罪に塗れたこの身は。物心の付く前から血脂に塗れていたこの魂は、きっとここで裁かれて燃え尽きるのだろう。

 

 

「─────ッ!」

 

 

 天上より降り落ちる薄緑色の閃光、それに対応して────脇差し、宗易正宗(そうえきまさむね)を投擲する。

 『位相加速(ディストーション)正転(ポジ)』による空間的な加速により、光すら越えた速度で。反動により左肩の傷から血を撒き、静謐の夜空を穢しながら

 

 

『────何?!』

 

 

 致命の雷霆の()()()()()、乾坤一擲の銀光が擦れ違う。

 

 

 刹那、鬼蜻蜒の『彼』は瞠目しただろうか。その一撃は『原子崩し(メルトダウナー)』を狙ったものではなく、()()()()()()()である事に。

 そして────余りにも予想通りの行動に、僅かに機体を傾けただけで回避できた事に。

 

 

 同時にそれは────()()()()()()()()()()という事に他ならない。

 最早、侍には防御はおろか、腕を引き戻す時間すらも残されてはいない。ただ、雷霆に無防備な胸部装甲を撃ち抜かれるのみであり────

 

 

「構わねェ、()()()退()!」

(おう)(とも)よ────『位相加速(ディストーション)反転(ネガ)』!!》

 

 

 光に迫る速度で、右腕のみ()()()()()()()()退()()()。驚いたのは、回避ではなく時間稼ぎの為にそれが使われた事。

 

 

 何故か? 単純な話だ。勝負の場において、我が命可愛さにリスクを捨てるような者へと、()()()()()()()()()()()

 事実、鬼蜻蜒は────『原子崩し(メルトダウナー)』の第二射を、()()()()()()()()()()から放とうとしている直前であり。

 

 

裏柳生新影流兵法(ウラヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)傀儡(クグツ)”が崩し……」

 

 

 ()()()()()()()()()を握り締めた侍には、どうしようもない絶望──の、()()()()止まって見えた。

 

 

多層相転移砲(トランスフェイズガン)────“狐鬼灯(ホオズキ)”!」

 

 

 驚きにより狙いを甘くしたか、至近を掠める雷霆に甲鉄を灼かれながら振り抜かれた正宗の刃は()()()()───代わりに空間を引き裂きながら、()()()()()()()()()()()()()()()が鬼蜻蜒の尾節を切断した。

 更に二撃目で透翅(はね)を二枚。止めに首級(しるし)を狙った三撃目を、何とか複眼を抉られただけで回避して。

 

 

『ッ……バカな!』

「あり得ない、か? でもまあ、現実なんてそんなもんだ」

 

 

 鬼蜻蜒は、這這(ほうほう)(てい)で離脱する。そんな背中に向けて、恐らくは一合目の太刀打ちの間に取り付けてあったのだろう発信器に向けて語り掛けた。

 あの『原子崩し(メルトダウナー)』発動の直前、聞こえた声の主に向けて。

 

 

「聞かせろよ、俺を狙ったのは……復讐か?」

『…………お見事、正解だ。だが、まだ終わりじゃない……俺にとっては仕事だが、()は私怨だ。此処で死んだ方が幸せだっただろうに』

 

 

 通信は、其処までで切れた。あの様子では戦闘続行は無理だろう、無論こちらも。

 喉を競り上がる塊は鉄の味、血の塊に相違無い。幾度もの魔術行使の反動が、『確率使い(エンカウンター)』の閾値を越えたか。鎧の中では吐く事も出来ない。無理繰りに飲み下して、今は。

 

 

《……敵、索敵範囲外。生き残ったのう》

「ああ……流石に死んだかと思ったよ」

 

 

 合当理を吹かして姿勢を整え、不時着に備える。死地を潜り抜けて、後は多少手荒な地球(いろおんな)の包容を受けるのみで。その衝撃は、二トントラックと正面衝突したくらいか。

 部活で一応、五点着地は特訓したが。まさかあんなジョークでの練習に感謝する事になろうとは。人生とは分からないものだと、心底溜め息を漏らしながら。迫る廃棄ビルの屋上に、意識を集中して。

 

 

「《─────!!」》

 

 

 着地の直前に受けた、鋭い衝撃に横っ飛びに転がされる。鋭利な()ででも貫かれたような衝撃が、胸部装甲に刻まれて。

 堪えきれず、大鎧が影に還る。残されたのは左腕の通っていないスーツを纏う、盛大に喀血して屋上の一部を血色に穢した亜麻色の髪の少年のみ。

 

 

 否、一人ではない。もう一人、まるで夜の闇に紛れるような黒髪の────

 

 

「ンじゃァ────またもや第二ラウンドと行こうかァ?」

「ッ……お前、は」

 

 

 吐き気を催す不浄の極みたる魔導書を携え、一部のみ金髪に染め抜いた少女が────

 

 

「まだまだ夜は(なげ)ェぜ、なァ──“廻天之力(サイクロトロン)”?」

「……黒夜(くろよる)海鳥(うみどり)

 

 

 億を超える害虫が犇めいて形成されたかのような魔導書“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”を携えた、大能力者(レベル4)窒素爆槍(ボンバーランス)』黒夜海鳥が、其処に────


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