Shangri-La...   作:ドラケン

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八月三日・夜:『妖蛆の秘密』

 

 

 

 年代物の蓄音機からムーディーなブルースが流れ、薄いカンテラの明かりが揺らめく火影を投げ掛ける室内に、爽やかな夜風が吹き抜ける。

 現在時刻、二十時半。場所、“純喫茶 ダァク・ブラザァフッヅ”。熱帯夜である筈の今宵に、有り得ざる程に涼やかな夜気。それを受けた冒涜的な装飾の木扉とドアベルの耳障りな音色が、嘲笑うように来客を告げている。

 

 

「貴女が、此処に来るのは────いつ以来でしたかね、キザイア=メイガス?」

 

 

 グラスを磨いていた黒髪の男性、背の高いギャルソンの男。麗貌の店主は静かに、男女問わず万人を魅了するであろう紅い瞳のニヒルな笑顔を来客へ向けた。

 

 

「そうね────十年振りよ、クライス=ブロッケン。それとも、“薔薇十字閣下”とお呼びするべきかしら?」

「今はアンブローゼス=デクスターと名乗ってはいますが……どうぞ、お好きなように。どれも私には違いありませんとも、()()? ご注文は、前のように発泡林檎酒(シードル)になさいますか?」

「……相変わらず食えないわね、“土星の円環の魔導師(マスター=オブ=サイクラノーシュ)”。それじゃあ、蒸留林檎酒(カルヴァドス)を頂くわ」

 

 

 怪体(けたい)な女だ。この真夏に、一目で最上質と判る茶色の毛皮の襟巻きを巻いて。まるでお気に入りの香水か何かのように薬品と獣臭、腐乱した果実のような甘い香気を纏う女だ。

 つかつかとハイヒールの足音を板張りの床に刻む、その女性客。黒い、さながら洋式の喪服のような出で立ちの未亡人めいた。黒いヴェールにより、一切表情の掴めない彼女へと。

 

 

「何時にも増してお目が高い、流石はかの悪名高き“セイレムの魔女”様。先程、良いものが手に入ったばかりです」

「はっ──何が“セイレムの魔女”よ、莫迦莫迦しい。魔女裁判(あんなもの)なんて、勝手に人間どもが疑心暗鬼で殺し合っただけじゃない……いえ、()()()()()()も言えないかしら。気に入らない相手の始末には都合がいいものね、どうでもいいけれど」

 

 

 “セイレムの魔女”と呼ばれ、キザイアなる女は鼻で笑う。人間め、悪質な汚物袋めと唾棄しながら。

 カウンターに差し出された、ロックのブランデー。そのグラスをやはり黒い手袋に包まれた細指で持ち上げ、カロン、と氷が鳴る程に傾ける。

 

 

「……あら、確かに上物ね。学園都市に来て久し振りに、本物のアルコールを呑んだ気がするわ」

「勿体ないお言葉です、ミス。ところで、そのお召し物という事は?」

「ええ、葬式よ。付き合い程度だってのに、面倒ったらありゃしない」

 

 

 恭しく礼を取った上で問うた店主に、ヴェールの彼女は襟巻きを毛並みに沿って掻いぐるように、慈しむように撫でながら。

 

 

「勤め先の上司が行方不明になったのよ。それで警備員(アンチスキル)がその身辺を調べてみれば、非正規実験の証拠が出るわ出るわ……『不死の追求』ですって。黴が生えたような研究テーマを、科学の都の研究者様が、今さら『魔術』でよ? 医者にしろ武芸者にしろ、本当、男なんて救いようの無い莫迦ばっかりね」

 

 

 辟易したように、グラスの酒精を煽る。それなりに強い酒の筈だが、全くもって気にしてはいないようだ。ただ、愚痴を吐き出す代わりにするかのように。

 白い喉元、こくりこくりと。艶やかに蠢かせるだけで。ただ雫を飲む、それだけでも蠱惑的に。

 

 

「ふむ、つまりは何か……()()()()()()()があった、という事ですか」

「言っておくけど、私は噛んでないわよ? まさか“死毒の神(グラーキ)”に縋るなんて、あの莫迦男も身に過ぎた夢を見たものよね。お陰で、平穏に暮らしたいこっちまで調べられたじゃない」

 

 

 早速、一杯乾かして。その時にはもう、カウンターには新たなブランデーを満たしたグラス。気の効いた事に、ピスタチオとカシューナッツも添えてある。

 

 

「第一、私が一枚噛んでれば理事会に消されるようなヘマはしないし、貴方の弟子に負けるような無様も晒させない」

「おやおや、それはそれは……買い被られたものですね、()()も」

 

 

 その新しいグラスの縁を、手袋の指先が撫でる。艶やかに、艶かしく。獲物を糸に絡めとる女郎蜘蛛のように、滑らかな指使いで。

 

 

「……薄情なものね、あの哀れな生け贄の仔山羊(スケープ・ゴート)は、今また階段を上ろうとしてる。()()()()()と向き合わされて、また一歩。黄金螺旋階段を上る。影の魔物(ア・バオア・クゥー)は笑うのでしょうね、自分が最上階を踏む事は無いとも知らずに」

「ええ、喝采してください。喝采してください。黄金の生け贄は今だ死なず都市に在る。何なれば現在時刻を記録しますか、キザイア?」

「冗談きついわね、クライス。私がやらなくても、今頃は“時間人間(チク・タク・マン)”が刻んでいるでしょうに。()()()()()()に好き勝手にさせて、()()()()はどうなるやら」

 

 

 と、哀れむように嘆息を漏らす。酒精に火照る吐息溢して、表情を隠すヴェールを揺らして。魔女は何を思うのか。

 

 

「想恋も思慕も、約束も記憶も────忘れてしまえば、何の意味も無いと言うのに」

 

 

 愁うように、窓の外の彼方。夜の闇に浮かぶ、廃墟ビルの屋上を見上げて────

 

 

………………

…………

……

 

 

 ドロリと肌に絡み付く無風の、茹だるような暑さを孕む夜気。昼間の陽射しが蓄積したアスファルトとコンクリートが夜空に陽炎を立ち上らせる様は、さながら目に見えぬ魑魅魍魎、百鬼夜行が這い出る阿鼻叫喚。

 地に落とされ、大鎧と『影』二つを砕かれて。片腕を失なった為に自らが吐いた血の池に溺れる、地獄絵図さながらに。

 

 

「ッ…………!」

 

 

 嗚呼、突いた右掌でクシャリと潰れたそれは幻覚ではない。コンクリートを這い回る蛆虫、百足、蜘蛛、蜚蟲(ゴキブリ)────生理的な嫌悪を催すありとあらゆる地虫に害虫どもが、吐き出した血を歓喜と共に貪っている。

 そして気色悪く、食い意地汚く。その原泉たる嚆矢の口に向けて、右腕を這い上がろうとする。払い除けても払い除けても、追い付かないくらいに。

 

 

「ひっはは────可愛いもンだろォ、コイツらがテメェを監視してたンだ。空の上じゃあ、蠅や蚊、虻に蜂がさ」

『クハハッ、さぁ、三度目の正直と言う奴だ……今度こそ掛け取りを回収させて貰うぞ、コウジィィィィ!』

 

 

 そんな有り様を、まるで観劇するかのように平然と。革製の黒衣に白い外衣を纏う少女はくしゃり、くしゃりと踏み潰しながら。その端から、無数にも見える蟲どもは仲間の死骸に群がり、餓鬼道もかくやと腹に納めて。

 ずるり、ずるりと。今も左手に携える魔導書“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”のページの隙間から競うように這いずり出る害虫は、恥も外聞もなくまぐわい合い、失なった数を取り戻すどころか上回る勢いで殖えていく。

 

 

「……ソイツは、君が思うような便利な道具じゃない。今すぐに捨てろ、それ以上使えば呑み込まれるぞ」

「なンだァ? 敵の心配なンて、左腕ェ飛ばされてる割にゃあ随分と余裕じゃねェかよォ? マゾかよ」

 

 

 そんな悪質、悪辣を左手に持つ彼女に。震える膝に鞭打ち、蟲どもを払い除けて。最早『話術(アンサズ)』の一字すらも励起していられない程に疲労困憊たる身体で、口端から零れる血を拳で拭いながらの嚆矢の言葉。

 しかし海鳥はただ表情を歪めて、それに嘲笑を返したのみで。

 

 

「────それとも、何か? 思い出しでもしたかァ、()()()()()をよォ?」

 

 

 それは嘲笑の中で。ほんの刹那、願うように祈るように。彼女の唇が紡いだ言葉が、聞こえて。

 それは前日に見た、絹旗最愛の言葉を想起させた。

 

 

『………………ははっ、忘れてた。結局──世の中なんて、こんなもんでしたねぇ』

 

 

 その失意の言葉、その前の段階。この娘は彼女と同じ、思い出して欲しいのだと理解出来る。出来るからこそ、出来ぬと理解出来る。何故なら、忘れたのではないから。物理的に奪い取られたのだから、どうしようもない。

 だが、一つだけ。可能性があるのだとすれば、ただ一つ────造花の楽園に於いて銀色の娘に貰ったあの乳白色の宝玉、それだけ。

 

 

 それだけが、“奪われた記憶”を取り戻す可能性を宿しており────

 

 

「……(いや)、思い出してはいない。俺は『暗闇の五月計画』の後に『プロデュース』で物理的に記憶を奪われた。だから記憶は永遠に戻らないし────悪いが、そもそも戻す気もない」

 

 

 だからこそ、それに頼る事などしない。失われたもの、は戻ったところで別物だ。()()()()()ものは、何があっても取り戻せないし取り戻してはいけないのだ。

 だからこそ、真摯に。懐から取り出した煙草、ステイルから貰ったその煙草を銜えて火を点す。炎の煌めきと煙草の煙、その二つに蟲どもは恐れ戦き、嚆矢の足下にざわりと場所を開けて。

 

 

「……そォかい、ひゃはは。そォだよなァ、現実なンてそンなもンだ」

 

 

 同じく、落胆と共に何かを諦めたような瞳の海鳥の足元からも。彼女の右掌に凝集した窒素、目に見える程の熱と乾きを孕むソレに恐れ戦いて。

 

 

「ンじゃあ、互いにこれ以上の言葉は必要ねェよなァ────『廻天之力(サイクロトロン)』、天糟 荒矢(あまかす あらや)ぁぁぁぁっ!」

 

 

 振るわれた右手より放たれた『窒素爆槍(ボンバーランス)』、以前とは違い灼熱を纏うソレ。ソレに向けて、嚆矢は銜えていた煙草を右手で投げ出し────

 

 

「“炎よ(Kenaz)────巨人に(Purisaz)苦痛の(Naupiz)贈り物を(Gebo)”!」

 

 

 紡がれた詠唱は、ステイルの“炎剣”。摂氏三千度、あらゆる物質を焼き払う炎の刃。それを握り、真っ向から熱波の槍を迎え撃って。

 夜空の只中で、一瞬の光芒が閃く。それが、この闘いの幕開けだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 迸った轟音と閃光に寸暇、視力を失う。熱と乾きを孕む『窒素爆槍(ボンバーランス)』を迎撃し、迎撃し、迎撃し────その威力を相殺した“炎剣”が、燃え尽きるように砕け散った。

 三度の余波に虫けらどもが砕け散り、燃え尽き、圧し潰れる。都合、三合で数十から数百の死が撒き散らされる。

 

 

──“魔女狩りの王(イノケンティウス)”でも使えりゃあ、形勢も有利になるだろうに。術式が解らないから無理だがな。

 まぁ、見様見真似とは言え“炎剣”だけでこの体たらくだ。あんな大魔術、俺には数秒と維持できないだろう。矢張(やっぱ)ステイルの奴は、ナチュラルに天才だって言う事か。

 

 

 その事実に、鋭く舌を打つ。たった三合で使い物にならなくなった炎の刃、僅かにそれだけの間しか維持できなかった己自身の凡才さに。

 同じルーン使いながら、それを平然と二本。更には他の上級の魔術と併用する、ステイルの非凡さに。

 

 

「はっ────ヤるじゃねェか? 脳味噌弄くられて能力(スキル)は劣化した分、鍛えた身体(フィジカル)でカバーってかァ!」

「ッ…………!」

 

 

 そして邪悪窮まる鉄の書物を携え、目前まで迫った少女に。その突き出す()()()()()()()()()()が埋め込まれた右掌に集った灼熱、重複合窒素の槍を幻視する。

 空いた右手で抜き放つ圧し斬り長谷部、その(しのぎ)で見えざる槍の穂先を受け流す。しかし、輻射熱までは避けられない。

 

 

《“アッシュールバニパル王の焔(ふぁいあ・おぶ・あっしゅーるばにぱる)”……か、厄介なものを。可能な限り躱せ、嚆矢。あれは中東の悪性伝染病(ぺいるらいだー)、その擬人化たる“病魔風(ぱずず)”じゃ。一撃でも受ければ、致命的な(やみ)に冒されるぞ》

(言われなくても。あんなモノを一撃でも喰らえば、病み腐る前に焼け死んで終わりだろう)

 

 

 市媛の忠告を待つまでもない。ジリジリと肌を灼く砂漠の熱波と、唇が割れる程の乾き。風に乗り撒き散らされる病毒素(ウィルス)、そのどれもが致命的。

 チラリと、ショゴスにより修復中の己の左腕を見遣る。修復率は一割未満、後数時間は治るまいし、リハビリにも時間が要ろう。今は、片手で遣うしかない。

 

 

(……参ったな、片手剣術なんて専門外だ。“二天一流(ニテンイチリュウ)”……もっと気合い入れて、諦めずに特訓しておくべきだった)

 

 

 等と、口惜しむ。天下に名高い二刀流、剣聖宮本武蔵の開いた我流の神髄。かの巌流島の決闘にて、()()使()()の“巌流(ガンリュウ)”佐々木小次郎を打ち破った剣派。

 無論、対馬嚆矢はその器に非ず。下手な我流剣の癖が付いてしまい、新影流の技が鈍るだけだったが。それに気付いた義父に、散々に打ちのめされて止めただけだったが。

 

 

 何にしても、この状況は不味い。()()()()()()()()()だ、単純計算で二分の一。使えなくなった技の事も計算に入れれば、五分の一以下しか性能を発揮できまい。

 更には、炎と言う戒めを取り払われた蟲どもが再び集り始める。黒い津波のように、這いずり飛び付き、新鮮な肉を喰わせろと毒牙を鳴らして────。

 

 

《一揆衆並に鬱陶しいのう、この虫けらどもが────散れぃ!》

 

 

 “悪心影(あくしんかげ)”の『均衡崩し《バランスブレイカー》』により発された、長谷部の刃を覆う業火に焼き払われる。そして嚆矢の右手もまた、柄からの熱に火傷を負って。

 

 

 

 

 その状態で────

 

 

 

 

立 ち 消 え よ(H N I)立 ち 消 え よ(H N I)立 ち 消 え よ(H N I)!』

「喰らいな────!」

 

 

 果たして、それは偶然だろうか? “妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”の消沈の三大ルーン詠唱と共に、海鳥の右手に今度は冷気が満ちる。凍えた、水分を無くした渇いた白光、辺りの蟲どもを凍死させて、凍て砕きながら。

 

 

「『────“零下の氷山棺(イイーキルス)”」!』

 

 

 放たれた白い光の槍、凍てつく極北の白夜のような。だが、神々しさも清廉さも其処には無い。在るのは只、膿み、病み、不健康に肥満した白蛆の笑顔のような───

 

 

《────うつけめが! 気を逸らすな、魂を食われるぞ!》

(ッ…………!)

 

 

 危うく気を取り直して、迫る白光を長谷部の鎬で受け流す。-196℃の窒素の槍、無論その冷気までは受け流せない。

 肌を凍らせる渇いた風を浴び、鼻血が流れた。粘膜がひび割れたのだろう、僅かな痛みと共にそれを右手……火傷の上に凍傷を負った、酷い状態の右手で拭う。

 

 

「ひゃはは、いい面構えになったじゃねェか。その方が男前だぜ?」

『クク……』

 

 

 目の前、僅かに離れた位置で黒い少女は嗤う。口角、鋭く吊り上げて。本来は攻撃的な意味を持つと言う笑顔、此方に向けて。

 

 

《嚆矢……真逆とは思うが、貴様》

 

 

 左手に張り付いた芋虫に。木の葉を蝕む芋虫のように、命を蝕む魔導書を携えていて。嘲笑われながらも得意気に、此方を嘲笑う

 そんな彼女を見詰めたまま────市媛の言葉を塞ぐように、長谷部を鞘に戻す。

 

 

《この期に及んでまだ、女とは闘わぬつもりか──────》

 

 

 応えるまでもない。そのあり方に、憐れみを。そして恐らくは────そうしてしまった()に、憎しみを。

 

 

「聞いた通り、女にゃ手ェ出さねェって訳か……矜持か意地か、ったく笑えるぜ、墜ちたもンじゃねェか。かつては老若男女の区別なく、邪魔になるンなら数秒前の仲間だろォと捻り潰してきたアンタがよォ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

──『暗部の存在は暗部によって擂り潰される』、分かり易いくらいの自業自得。そうだ、あれは俺の罪そのもの。俺への罰。本来はそうだった、そうじゃなきゃいけなかったもの。俺の為に用意された裁き、俺の為に用意された死の形。

 だから、この子は来たんだ。俺の前に、俺の為に。俺は、覚えてすらいられなかったのに。

 

 

 海鳥の嘲笑に、改めて感謝の念すら抱く。初めて、このクソッタレの世界に感謝しながら。憎しみ、妬み……そんな負の感情を湛えた彼女の笑顔を、真正面から望みながら。

 

 

「笑える話だぜ、化け物が人間の真似事なんてよォ! お友達は何人居るンだァ(見捨てたくせに、私達を)? もしかして恋人とかも居るのかァ(忘れてしまったくせに、私達を)? そいつらはテメェが六百人以上を(どうして、どうして……)殺した事は知ってンのかよ(私達を忘れてしまったの)────人食い狼(お■■ゃん)?」

 

 

 声、声が。嘲笑が、悲嘆が。重なるように聞こえたのは、真実か幻覚か。諦めて嘲笑う声と、祈り悲しむ声が重なったのは。訳知り顔で大人が口にするような声と、駄々を捏ねる子供が口にするような声が重なったのは。

 だがそれも、辺りを這い回る蟲の足音、飛び回る羽音に呑み込まれる。耳障りな、この全てを嘲笑う蠅声(さばえ)に。

 

 

「まァ、何でもいィや……そっちが勝手に手ェ抜いて死んでくれるンだ、こっちとしちゃあ万々歳か。じゃあな、裏切者────」

 

 

──俺が犯してきた罪の清算。俺が奪ってきた物への等価の(あがな)い。俺が忘れてしまった過去(メモリー)への────罰の形。

 何て有り難い矯正。何て正しい末路。嗚呼、()()()()()()()()()()()()

 

 

 だから。だから────

 

 

焔炎(カノ)刺蕀(スリサズ)()────』

 

 

 海鳥の命を蝕み、魔力に変え、ルーンを刻むその存在。それを、強く。強く────

 

 

──お前だ、“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”。そう、お前だけが余計なんだ。お前だけが不純なんだ。お前だけが────

 

 

「────邪魔なンだよ、蛆虫がァァァァァッッ!」

『────るッ?!』

 

 

 蜂蜜酒色の瞳で睨み付けたまま咆哮し、懐から抜き放つ学園都市製の改造大型制式拳銃『南部式拳銃(グランパ・ナンブ)』。抜き打ちの一撃(クイックアンドドロー)、真っ直ぐに“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”を捉えて。

 それでも。五十口径の弾丸でも、魔の域に在るその鉄の書物には傷すら付かない。あれを破戒し得るモノなど、より上位の魔術であるとか────或いは、あらゆる幻想を殺す右腕であるとか。そうでなければ、意味など無い。

 

 

『じゃあ、どうするの? あなたはどうしたいの、こうじ?』

 

 

 だからこそ、屋上に投射される黄金の月輪の元で。その声は、彼の耳にのみ届く。

 

 

「悪ィね────俺、まだ恋人が居ねェからどうにも死ねなくてさァ。その三流パルプは、便所紙に再利用してやるとして」

「ちぃ────!」

 

 

 だがそれでも魔導書を少女の左手から弾き飛ばし、仰け反らせる程度の効果はある。これで、次の一発を凌げば通常の『窒素爆槍(ボンバーランス)』しか使えない。

 ならば、まだ戦いようはある。この長谷部の刃、『天魔覆滅(バランスブレイカー)』の刃をあの魔導書に叩き込む。それで、あれを斬れる筈だ。

 

 

『じゃあ、どうするの? きみはどうしたいのさ、コウジ?』

 

 

 だからこそ、屋上に投射される白銀の月光の元で。その声は、彼の耳にのみ届く。

 

 

「その後のお楽しみタイムには、たっぷり付き合って貰うぜ────海鳥ちゃンよォ!」

「舐めやがってェ────!」

 

 

 その僅かな隙から勝機を掴み取るべく、そこに走り込む。『女に手は上げない』、その誓約(ゲッシュ)を魂に刻む男は天魔(あま)色の髪を靡かせて獲物に躍り掛かる狼のように。『大鹿(ベルカナ)』を刻んだ脚で、襲い来る蟲を踏み潰しながら駆ける。もしも蟲の体液などで足を滑らせ、動きを止めればあの灼熱の槍の餌食だ。

 詰まりは、狩人と餓狼の鬩ぎ合い。どちらが先に止めを刺し、どちらが先に食らうのか。それを競う争いだ。

 

 

 そして────

 

 

「ッ…………!」

 

 

 ずるり、と。踏み潰したヤスデの体液に、足を取られる。時として大発生した際には列車を脱線すらさせると言う、その脂ぎった体液に。

 

 

「────貰ったァ!」

 

 

 致命的な、隙を────黒い少女は見逃す訳もなく。溜めに溜めた右手の熱波の槍、打ち出して。

 

 

「─────まだだァァァッ!」

 

 

 命を削り、虚空に発した玉虫色の魔法陣四枚。それは盾、それは護り。『賢人バルザイの偃月刀』に刻まれた、四種の魔術的防呪印。

 それでも槍は、“竜頭の印(ドラゴンヘッド・サイン)”に“キシュの印”、無敵の“ヴーアの印”を易々と貫いて。遂には目の前、最後の一枚“竜尾の印(ドラゴンテール・サイン)”に迫り────

 

 

「チイッ────!」

 

 

 軋み、ヒビ割らせ────辛うじて止まる。まるで唸り声のように、軋む音、目の前で失墜する。

 最早“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”まで三メートル、海鳥までなら二メートルの距離まで迫った嚆矢は、長谷部の柄に右手を掛けており────

 

 

「────バカが! 私の『窒素爆槍(ボンバーランス)』が、掌から打ち出すだけの能無しだとでも思ってやがったかァ?!」

「!?」

 

 

 打ち出された熱波の槍を、()()()()()()()。威力を増すべく、体ごと左に反転しながらの一撃。

 正に『槍』として衝き抜かれた一撃に、第四の印が打ち砕かれて。当然、捨て身の突進を行っていた嚆矢にそれを躱す事は出来ずに。

 

 

『てけり・り!?』

「クッ────!」

 

 

 遮二無二、捻って突き出した左肩口。ショゴスが修復中の、左腕────そこで、受ける。

 元々の傷口を更に抉り、終いには灼熱で焼かれる。気が触れるような苦痛が、神経を焼いて。

 

 

「……本目録、“虎走(コソウ)”か」

「流石、御名答ォ。甘く見ンなよ、人狼鬼(ルー・ガルー)? テメェが刀使いだってのは分かってたンだ、対策しねェ訳がねェだろォが?」

 

 

 それでも、命は拾った。ショゴスという守りがあったからこそ、二文字のルーンを孕むその槍を止める事が出来た。

 

 

「この体の大半は機械でよォ……データさえ入力すりゃあ免許皆伝の技に身のこなしだ。便利だよなァ、正に科学の勝利だ!」

「…………巫山戯るな、そんなモノは甘えだ。技とは、身に刻んだ繰り返しであればこそ。付け焼き刃など──!」

 

 

 機を逃さず、距離を取る。乱れた息を吐きながら睨む先では、不可視の槍を担ぐ海鳥が悠々と“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”を掴み上げていて。

 その少女の嘲りに、反意を示す。それは只、義父の教えを知るからこそ──認める訳にはいかない台詞だった。

 

 

「なら見せてやるぜ、科学の技を。さァ来いよ────“柳生新影流兵法(ヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)”!」

「上等、行くぞ────“新陰疋田流槍術(シンカゲヒキタリュウソウジュツ)”!」

 

 

 灼熱に燻る槍と、片手に握る刀。“剣聖”上泉伊勢守信綱を師に持つ開祖同士であり、共に『陰流』の流れを組む二派が相対した────。

 

 

………………

…………

……

 

 

 白い、白い、白い部屋。其処は血生臭い研究資材管理室、或いは清潔な獄門台への十三階段か。

 そこに集められていた『研究材料(モルモット)』は、既に半数まで減っている。昨日まで一緒に震えていた同朋は、もう半分しか居ない。あれ程に狭かったこの部屋が、今は伽藍と。

 

 

 満足なシーツも与えられない其処は、昼も夜もなく煌々と明るくて。眠る事が出来ずに気の触れた者も、少なくはない。

 

 

『……………………』

 

 

 その壁際で、粗末な検査着のみを纏う童女は一人、膝を抱いて眠ろうと。今の季節がいつかは知らないが、室内は常に一定の気温。寒くもなく暑くもない、()()()()()()()()()()過ごし易い気温で。

 だからこそ、伽藍堂(がらんどう)の空間は肌寒く。我が身を抱いたまま小さく、彼女は肩を震わせて。

 

 

『…………さむいだろ、おいで』

『………………?』

 

 

 頭の上から掛けられた声に、一瞬、ビクリと震えて。恐る恐ると上げた瞳に映る────

 

 

『ひとりじゃ、さむいだろ? きみもおいで、いっしょにあったまろう?』

 

 

 もう一人、童女を連れた────右手を差し伸べる、亜麻色の童。虚ろな瞳できょとんと己の右手と顔を見比べる彼女に、ニカッと笑い掛けたままで。

 

 

『……どうして?』

 

 

 その虚ろな瞳の彼女が、ぽそりと。あらゆる意味に聞こえる問いを、口にしても尚。得意満面のその笑顔を、変える事はなくて。

 

 

『きまってるよ。それはね、ぼくが────』

 

 

 胸を張って、堂々と────

 

 

「────絹旗ぁ、聞いてんのかにゃ~ん?」

「っ……!」

 

 

 その声に、最愛は我に還る。辺りを見回せば、活気のある小汚ないファミレス。そして鮭弁当を食す麦野沈利にボーッとドリンクバーのストローを咥えている滝壺理后、サバ缶を頬張っているフレンダ=セイヴェルンの三人が、不思議そうにこちらを見詰めている姿を認めて。

 

 

「…………すみません、麦野。超ウトウトしてました」

「珍しい事もあるもんだけどさ。しっかりしとくれよ、絹旗。フレンダじゃあるまいし」

「結局、何でそこで私が引き合いに出されるわけよ、麦野!」

「大丈夫だよ、わたしはそんなふれんだを応援してる」

「辞めてやるぅぅぅ、こんなチーム!」

 

 

 周りの目を集める程に騒ぐフレンダから目を逸らして、三人は思い思いの食事を摂り始める。

 最愛もまた、目の前のハンバーガーを掴み上げて。思い出す、刹那の幻夢(ヒュプノス)。その内容に。

 

 

「…………はっ」

 

 

 つい先日、失望と共に捨てた筈の夢をまた見た事。それに自嘲しながら……溜め息ごとハンバーガーを噛み締め、呑み込んだのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 熱、吹き付けるように迫る。黒の少女が振るう不可視の槍、闇に紛れる『病み』を孕んだ窒素の槍。“新陰疋田流槍術(シンカゲヒキタリュウソウジュツ)”の“相外(アイハズシ)”、左半身で構えて刀を下に躱して突き上げる──と見せ掛けて、拳を狙う技“手縛(シュバク)”が襲い来る。

 隻腕の男は“柳生新影流兵法(ヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)”に伝わる“新陰疋田流槍術”用の“天狗抄(テングショウ)”により槍を受け流し、刃鳴を散らしながら防ぐ。鎬を削り、槍の穂先を弾く事に成功する。

 

 

 間合いを外し、息を吐く。辛うじて鍔の一部を欠け飛ばした程度で済んだが、もしも受け損なっていれば拳を斬られ────後は、一方的な屠殺となっていた事だろう。

 痺れた右手を片手の“(シャ)”に構えながら、三白眼の蜂蜜酒色瞳で海鳥の全身を見遣る。“偸眼(チュウガン)”と呼ばれる新影流の技法、対敵の全身を観察する事で相手に真意を悟らせない為の技だ。

 

 

「どォしたァ、数年来の研鑽とやらも大した事ねェじゃねェかよ? こんな付け焼き刃の槍術も満足に受けらンねェのかァ!」

「……………………」

 

 

 余裕綽々と嘲笑する彼女の言葉を聞き流しながら、観察を続ける。あの小柄で、目にも止まらない速度で繰り出される槍。厄介な事に、不可視の。

 しかし、ある程度なら間合いは見切れた。恐らく長さは三メートル前後、形状は素槍だろう。投槍としても使用可能な上に能力によるものなので、余り長さに関係は無いだろうが。

 

 

呵呵(かっか)、まぁ(わらわ)の軍で使っておった三丈槍ほどではないがな》

(成る程。じゃあ早速だけど槍の破り方を教えてくれよ、槍博士?)

 

 

 重さは有るのか無いのか分からないが、彼女の言葉通りなら機械の体。驚くべき膂力で、ここまで弾き飛ばされた事。

 

 

「そら、いつまで寝てやがるクソムシ────いい加減、無駄な魔力を吸ってンじゃねェ」

『ふむ────『櫟毒(ユル)』の毒を込めた咒弾(ガンド)とはやってくれる、流石は樹術師(ドルイド)の末裔か。いやはや、目覚めた時には負けておるやもと危惧したが……杞憂だったようだな、ウミドリ?』

「ゴチャゴチャうるせェンだよ、クソムシ。アレをヤるぞ」

 

 

 加えて────左手に持つ鉄の装丁の魔導書“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”の為、それが右手一本で成されたという事実だ。先日の駒場利徳のように、発条包帯(ハードテーピング)などの装備を内蔵していると見た方が良い程、華奢な体付きに見合わぬ身体能力である。

 両手でもキツそうな力だ、片手の現状では如何ともし難い差が横たわっている。

 

 

《何、槍を破るとな? この打刀でか? 前の破戒僧の時もそうじゃが、小手先の技でそんなのは無理じゃな。長物は刀には一方的に有利じゃからな、勝ち目などほぼ無い》

(元から期待しちゃいなかったが、そこまで言うか普通?)

《うむ、無理無理。そんなに勝ちたければ────》

 

 

 言葉を待たず、黒い少女は一気に距離を詰める。まるで風のように、長足術(ハヤガケ)の極みと呼ばれる“縮地(シュクチ)”の如く。その勢いに乗せて繰り出される一撃、その名は“前飛(ゼンピ)”。

 その穂先、そこに────

 

 

《銃でも使う他には在るまいて!》

「────!?」

 

 

 影より覗いた火縄銃の銃口が、隙だらけの突撃体勢を見せている彼女を狙い澄ます。そして、火縄(撃鉄)が落ち────るよりも早く、速く。

 

 

「────余計な真似してンじゃねェ、これは俺の喧嘩だろォが!」

《……貴様、まだ『女は斬らぬ』とでも言う気か! このうつけが、殺らねば殺られる事も解らぬか!》

 

 

 長谷部の一撃が銃身を打ち払い、投擲された熱砂の毒槍が火縄銃を焼き腐らせる。剣呑な気配は、背後の影から沸き立つ。

 それに答える暇など無い、既に。

 

 

「仲間割れかよォ、舐めやがってェェ!」

『フハハハ────惨めなものよな、コージィィ!』

 

 

 既に、既に。腐汁と腐肉に塗れた十文字槍(ジュウモンジヤリ)────『人間(ニンゲン)』と『無骨(ムコツ)』の四文字が刻まれた鋭利な槍が、彼の目前にまで迫っているのだから。

 

 

《貴様ら────屍肉に集る蛆蠅に武のなんたるかも知らぬ小娘風情が、鬼武蔵(オニムサシ)(ケガ)すか!》

 

 

 その号を“人間無骨(ニンゲンムコツ)”、作は名匠『和泉守兼定(イズミノカミカネサダ)』。信長配下の猛将、(モリ)鬼武蔵(オニムサシ)長可(ナガナリ)の愛槍である。

 まさか真作ではあるまいが、それでも学園都市の技術が使われているのならば……厄介な事は、この上無い。

 

 

「ッ!」

 

 

 崩れた今の体勢では、受けるなど無謀も甚だしい。迷わず回避する、右に横っ飛びに。ひたすらに、我武者羅(がむしゃら)に。

 それが幸を奏したか、槍は嚆矢の腕……未だ再生はならぬ左腕の、空の肘部分を貫いただけで。

 

 

「ヤれ、クソムシ」

ああ、娘さん(Oui, c'est une fille)────』

 

 

 真っ直ぐに此方へと向けられた“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”、その開かれた頁、腐臭漂う屎糞の地獄より────競うように迸しり、溢れ出た青白い蛆虫、蛆虫、蛆虫。その数、一瞬で数百にも及んで犇めいて。まるで花開くように、先端が人の掌のように裂けて。

 

 

「喰らいな────!」

「しまっ……!」

 

 

 競りだしたその数だけ、自分自身も頭をも吹き飛ばしながら『窒素爆槍(ボンバーランス)』を散弾の如く放って。『両手に別々の得物を持ち、片方を受けさせた後でもう片方で止めを刺す』という“玉飛(ギョクヒ)”のアレンジ技にて、屋上の一区画を消し飛ばして余りある威力を、真正面から嚆矢に叩き込んだ。

 

 

「……………………」

 

 

 『人間無骨』をコンクリートに突き立てて崩れ落ちた足場を眺め、立ち込める土埃にも何ら反応せず。穴に向けて潜り込む虫どもを無感情に、海鳥は見下ろしていた。

 

 

『フム、存外に呆気なく消し飛んだものだ。放って置いても、肉片一欠片に至るまでこの虫けらどもが始末しようぞ、ウミドリ?』

「……はっ。分かってねェな、テメェは。死体を確認するまでは生死不明だ、シュレーディンガーの猫は。特にあの野郎は、()()()()確率があるンなら間違いなく生きてる」

 

 

 辟易するように、灼熱の毒槍を真下に投げ込む。解放され、途端に吹き荒れる爆風と灼熱、そして病毒。先程まで屋上を埋めていた虫けらどもも、ほぼ全て死に絶えたか。

 

 

『クク、そんなものであるか?』

「ああ、そンなもンだ。とっとと終わらせるぜ、クソムシ……アイツを仕留めた後は、“黒扇の膨れ女(ブローテッド・ウーマン)”に証を渡さなきゃいけねェンだからな」

 

 

 嘲笑うように、空を舞っていた羽虫を頁に吸い込み貪り尽くして。消耗した魔力、命を補充した魔導書。それを確認し、再び槍を手にした海鳥が飛び降りる。

 下の階は優に数メートルの深み、しかし機械の体を備える彼女にとってはほんの僅かな段差に過ぎないのだろう。事実、何の危なげもなく着地に成功して。目の前、部屋の真ん中の床面に無造作に突き立つ“圧し斬り長谷部”を目にして。

 

 

「……そうら、やっぱり────なっ!」

『──『大鹿(アルギズ)』!』

「ヅッ!?」

 

 

 背後から組み敷こうと掴み掛かった嚆矢の、“悪心影(あくしんかげ)”の籠手に包まれた右腕をしゃがんで躱し、“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”によって()()()()()()『硬化』のルーンを纏った回し蹴りを横腹に見舞う。通常のものならば今の一撃に耐えて足を掴めただろうが、条件が五分なら軍配は元々強い方に上がるのが道理。メキリ、と肋骨の軋む鈍い音が響いた。その痛みに反応の遅れた嚆矢に海鳥の足はもう、掴めない距離で。

 振り向き様に振るわれた槍は、柄の釦を押し込まれて────手槍程度の長さにまで縮んでいる。この距離でも、十分に殺傷範囲となる程に。

 

 

「お得意の合気道の為に、近接戦(インファイト)に持ち込んでくるのなンざァ予想ォ済みだぜ」

「ッ……────!!!」

 

 

 頸を狙う刃を防ぐべく、右の肩口に側面の刃を受ける。装甲の隙間に抉り込まれ、皮を破り、肉に食い込む鋼鉄の焼けるような冷たさ。脳味噌から垂れ流す脳内麻薬(アドレナリン)が忘れさせてくれたのは、ただただ僥倖だ。

 だから、止まらない。二度目の右腕が、海鳥の外套の襟口を掴む事に成功して────頭にフードを被っているだけのそれは当然のようにすり抜けられ、ただ嚆矢の視界を塞いで隙を生んだのみ。

 

 

「特別サービスだ────今度こそ、さよならだぜェ!」

『──『焔炎(カノ)』、『刺蕀(スリサズ)』、『櫟毒(ユル)』…………立 ち 消 え よ(H N I)立 ち 消 え よ(H N I)立 ち 消 え よ(H N I)!!』

 

 

 溜めに溜められた『窒素爆槍(ボンバーランス)』、それは彼女の右掌の紅い宝玉“アッシュールバニパル王の焔(ファイア・オブ・アッシュールバニパル)”を基点に灼熱と乾き、病毒を帯びて“人間無骨”に纏わり付いて。。更にルーンのバックアップを受け、精度を増して。

 更に左掌の鉄の装丁の魔導書“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”を中心に、極北の白光が満ちる。凍気と渇き、そして永久凍結の呪詛が籠められた光“零下の氷山棺(イイーキルス)”がルーンのバックアップを受け、精度を増して。

 

 

「『消えろ────!」』

 

 

 同時に放たれるだろう、その二槍。その投擲は音速に迫り、躱し様はない、防ぐ術も無いだろう。無い、無い────本当に?

 

 

「……そうだな。此方も、特別サービスだ」

「何────?」

『ッ………まさか、それは!』

 

 

 海鳥の外套の下から、厚く偏平で不格好な刀剣────“賢人バルザイの偃月刀”が現れる。

 其処に染み入る玉虫色より、虚空に浮かぶ守護の印。それは加護、そして呼び掛け。この場には居ない、だが、遍く時空に接する神への祝詞の始まりである。

 

 

飢える(イア)─────」

『チィ────ウミドリ、この大馬鹿者が! ()()()()()()を満たしたな!』

「くっ……だから何だ、あの程度の悪足掻きで!」

 

 

 だから、届く。この地球上の何処でも、この印は。その浄句(ジョーク)は。

 厳かに、嘲るように。唱えたその言葉は、異なる時空に潜む『外なる神(ストレンジ・アイオン)』にも届くのだ。

 

 

飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)────!」

 

 

 泡立つように、偃月刀の玉虫色が揺らぐ。漆黒の原形質が爛れ落ちる。ダマスカス鋼じみたその祭具、その奥から覗く漆黒と無数の血色の瞳。悍ましい、眼が合うだけで、魔術行使で生命を削った以上の精神的苦痛。それすら、歯を食い縛って堪える。

 

 

『てけり・り。てけり・り!』

 

 

 漏れ出す異界の根源(ヨグ=ソトース)が、その原形質(ショゴス)が虚空を歪める。

 始めに現れたのは金切り声、そして玉虫色の二重円に八芒星。その魔方陣が回転して球を為し、開花するように空間に形を為す────!

 

 

「来たれ────ヨグ=ソトースの十三の球体従者(御遣い)。汝が名は『パルタス』、大いなる禿鷲(ハゲワシ)なり!」

Gweeeeeeeee(グゥェェェェェェェェェェ)……!』

 

 

 そして現れ出る、ヨグ=ソトースに仕える十三の怪物の()姿()()()()。泡まみれの油を吹く捻れた翼をはためかす禿鷲の姿の、悍ましき玉虫色に煌めく虹鉄(こうてつ)機械仕掛けの虹鉄(デウス・エクス・マキナ)。並の人間ならば、噴煙を撒き散らすその姿を目にしただけで心が凍る。噴煙と共に撒き散らされるその声を聞いただけで、脳細胞が死滅しよう。

 これが、『ヨグ=ソトースの球体』だ。副魔王の従者、その意を体現すべく遣わされるもの。だからこその『御遣い』か。

 

 

「それが────どうしたァァっ!」

『砕く────それだけの事よォォォッ!』

 

 

 その『声』を掻き消すように、海鳥は叫ぶ。それを嘲笑う怪鳥は、爆風じみた羽ばたきと共に海鳥に襲い掛かる。人の正気を蝕む鳴き声と姿で、苛烈なまでに襲い掛かるパルタスを二つの槍────熱砂の毒槍と凍雪の呪槍で迎え撃ち──────

 

 

Gwe(グゥェ)eeeeeeee(ェェェェェェェェェ)………………』

「『────は………………?」』

 

 

 砕いた。粉砕した。焼き溶かし、凍り潰し、完膚なきまでに。呆気ないまでに。跡形もなく、砕き尽くして────

 

 

「────王手、飛角取り……ッてか」

「『なっ……!」』

 

 

 トン、と。実に軽く、まるで悪戯をした妹を叱るかのように。海鳥の真正面から、その額を軽く中指で押した────偃月刀を手にした、嚆矢を見て。

 

 

『馬鹿な────コージ……貴様、“星の吸血鬼(スター・ヴァンパイア)”の監視網をどうやって……ギヒッ!』

 

 

 斥候として、今晩の戦闘。空戦の時から放っていた『見えざる伴侶』による監視、それを掻い潜って……否、五匹全部を滅しながらも()()()()()()()()()()()()()()()()嚆矢を、真正面に見ながら────

 

 

「っ…………な、ンだ……これ、は」

「お前が教えてくれたンだろ、『体の大半が機械だ』ってさ────ならまァ、()()()()()()()()()()()()()()?」

「っ…………クソ、がァァっ!」

 

 

 額に触れられた、それだけで全く身動きが取れなくなった彼女は、最早どうにも出来ずに。

 呼び出した『パルタス』の力、『召喚者を見えなくし、見えないものを見えるようにする』効果で接近、及び“星の吸血鬼(スター・ヴァンパイア)”の排除に成功した嚆矢に。

 

 

『────ギ、ァァァァォァァギィァァ!!?』

『────てけり・り。てけり・り』

 

 

 “賢人バルザイの偃月刀”に貫かれていた“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”は、上質な獲物に歓喜する悪食に。“時空の呪粘塊(ヨグ=ショゴース)”に貪り食われて、最果ての虚空に繋がる胃袋へと消えた。

 

 

「さて、と……勝負はあったな。投降しろ、悪ィよォにはしねェって。この左腕とか肋骨の分、たァァっっぷりと。夜明けま(ラウンドスリー)で可愛がってやるからよォ」

「……………………んな」

 

 

 その偃月刀を、左の肩口に。一冊の魔導書、即ち魔力炉を食らったからか。ショゴスは左腕を丸々再現する事に成功して。その新生した左腕をわざとらしく卑猥に蠢かせ、動作を確認しながら問い掛ける。

 それに、身動きの取れぬままの彼女は────

 

 

「……ふざけんなよ、おい。聞いてンだろ、クソムシ! 私の何を持っていっても良い……コイツに勝てるだけの力を、寄越せ────“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”ゥゥゥ!」

「チッ……この期に及んで────?!」

 

 

 『悪足掻きを』と、そう感じたのも束の間か。彼女の叫びは、魂からの渇望。だから、その声は届く。届いてはいけない、澱みへと。

 周囲に満ちる瘴気、一度は消えかけた腐臭が再び、強く香る。鼻が曲がりそうな程の、悪意に満ち溢れた腐乱臭を孕む風……否、ぶくぶくと屍肉を喰らって肥え太った、無数の黒蠅が。

 

 

『────良かろう。確かに聞き届けたぞ、ウミドリ! 貴様の命の全てを、我に捧げよ!』

「ああ────構わねェ、勝てるンなら! コイツに勝てるンなら────未来なンて、要らねェェっ!」

「なっ……莫迦な!」

 

 

 彼女の左掌に集結し、形を成す。黒く、重たい鉄の装丁の魔導書と変わる。それは間違いようもなく、つい今しがたショゴスに喰らい尽くされた筈の“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”そのもので。

 

 

『意外か、コージよ……我が源泉は死、憎悪、怨念。此処にはそれが満ち満ちておるのよ。何の為に態々、虫どもを呼んだと思っている? 『()()()()()()()()()()』とは、貴様ら日本人の言葉であろうが!』

「クッ────!」

 

 

 即ち、『この場にて死んだ数多の虫けらの数だけの蘇生を残す』と、魔導書は絶望的な未来を示して。即座に、ショゴスを込めた南部式拳銃を構える────よりも早く、犇めいた蛆虫の頁が眼前に。寸前で、右腕にのみを纏った“悪心影(あくしんかげ)”の鎧により『空間転移(ディストーション)反転(ネガ)』が間に合い、致命傷だけは避けた。

 しかし発振器である肩部装甲板は吹き飛び、最早二度目はない。次は間違いなく、全身が吹き飛ぶ。

 

 

「『──飢える(イア)飢える(イア)飢える(イア)!」』

「何────!」

 

 

 否、二度目どころの話ではない。今の一撃など嵐の前の静けさにも満たぬ程の魔力の昂りが、目の前に。

 

 

《正気か、此奴────まさか、()()を喚ぶ気か!》

()()……?」

 

 

 刹那、“悪心影(あくしんかげ)”からの焦燥が届く。今まで無かった程の、狼狽と共に。

 

 

「『“(えい)”──────」』

《殺せ、今すぐに────嚆矢! 早く、あれを! 然もなくば……!》

 

 

 ぽろぽろと血の涙を溢しながら、とても人の喉から発せられるものとは思えない詠唱が響く。海鳥の命そのものを削り昂り続ける魔力の渦、それは────目に見える程の実態すら伴っていて。

 思い出すのは、インデックスが使用して見せた“竜王の殺息(ドラゴン・ブレス)”。それ程までの魔力が、目の前に渦巻いていて。

 

 

「『──“ZA(ぜい)”────」』

《──この坂東(かんとう)全域が消し飛ぶぞ!》

 

 

 言われるまでもなく、首筋が焼けるような感情が。魂の奥底からの衝動が、止めようもなく。

 今も、今も────

 

 

《殺せ! それ以外に、止める手立ては無────》

「……巫山戯ンなよ、テメェ────」

 

 

 沸き上がる怒り、止められない。『復讐』と宣った癖に、刺し違えるだとか。また、無関係の他人まで巻き込もうとしている海鳥に。

 “悪心影(あくしんかげ)”の言葉など、耳すら傾けずに。真っ直ぐ、彼女を睨み付けたまま────

 

 

──本当に憎む相手なら、その全てを否定しろ。その生涯を嘲笑い、その死にすら唾を吐き掛けて酒の肴にでもしろよ。刺し違えるだの何だの、折角の純味に余計な雑味を混ぜやがって…………中途半端な真似してンじゃねェ────!

 

 

 苦痛を伝える誓約(ゲッシュ)、それすらも遠い。魂を突き動かす憤怒の前には、焼け石に水だ。

 しかし、海鳥の周りには“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”から溢れる白蛆の守り。のたうつ青白い腐肉の厚い壁に守られて、海鳥の姿は彼方に遠く。

 

 

────大丈夫よ、こうじ。わたしが、必ず届かせてみせるから。

────大丈夫さ、コウジ。ワタシが、必ず届かせやしないから。

 

 

 それでも 籠手に包まれた右手を前に伸ばす。天井に空いた穴、其処から覗き込むような月に照らされて。視界の端に見える、純金と純銀に導かれるように。真っ直ぐ、真っ直ぐ────。

 

 

「『────“TO(とう)”──」』

「黙れ────喚くな」

 

 

 最早臨界寸前に昂った、魔力の塊。不定形の、原初の混沌を思わせるそれに、向けて────右手を、伸ばす!

 

 

「奪わせるものか、それは俺の罰だ。“白く冷たき蛆神(リルム=シャイコース)”────貴様如きに!」

 

 

 知る筈の無い神の名を叫びながら、白銀に煌めく刃金の右腕から残光を棚引かせて跳躍する。“裏柳生新影流兵法(ウラヤギュウシンカゲリュウヒョウホウ)”の長足術(はやがけ)、“猿飛(サルトビ)”にて。

 それを逃すような真似を、白蛆はしない。一斉に嚆矢に向けて、数十もの『窒素爆槍(ボンバーランス)』を放つ────!

 

 

「俺の為の、断罪(すくい)を!」

 

 

 だがそれは、宇宙の終焉。“ビッグ・クランチ”の闇。虚無への収斂の刹那には、虚空清浄にまで版図を狭める闇と凍気。ならば、届くもの等は有りはしない。この世に在るモノである限り、有り得ない。

 かつて、ヒューペルボリア大陸を滅ぼした絶対零度。『素粒子も含めた全てが動きを止めた状態』である、摂氏(せっし)-273℃。即ち、電子すら停止する物質の崩壊温度。量子力学上の、温度の()()()()。支配者すら駆逐した、その脅威。だが、それすらも“自存する源(■■=■■■)”の前には意味を成さず。今やそれは、かの『元帥』の力の一部。

 

 

────無駄だよ、ワタシが……コウジには届かせやしない、何一つ!

 

 

 それを成した白銀の右手が────嚆矢の右手と重なって。

 

 

「凍て朽ちろ─────!」

『“絶対零度(アブソリュート=ゼロ)”』

 

 

 時すらも凍える程に白く眩めく銀燐が、世界を染めて─────後には窒素塊も白蛆の断末魔も、過去の塵芥すらも残る事はなく。ただ、嚆矢の吐いた息の白さが在るのみ。

 

 

「『────“()──」』

 

 

 全ての守りを剥ぎ取られ、それでも()()()まで詠唱を終えた海鳥の、凍えた唇が────。

 

 

「っ────!?」

 

 

 数日前の異種返しのように、重ねられた唇に封じられて。余りに予想外の行動に、全く同一と化していた海鳥と“妖蛆の秘密(デ・ウェルミス・ミステリィス)”の精神が解離する程には。

 

 

来い(イア)────“二十六文字の賢者の石(マァナ・ユウド・スウシャイ)”」

『なっ?!』

 

 

 そして、その間隙を縫って口内に呟かれた『名前』に。渦巻いていた魔力が一点に、海鳥の左手の魔導書に重ねられた嚆矢の刃金の右掌へと収束して、刃金を黒金に染める。

 

 

『貴様────何故、その名を!? 何故だ、多寡が人間風情が、()()()()()()()()()()!!?』

「喚くな────邪魔だ、間男。テメェは消えろ」

『きっ……』

 

 

 それは宇宙の黎明、“大爆誕(ビッグ・バン)”の光。虚無からの爆発の刹那には、無量無辺にまで版図を拡げる光と熱気。ならば、届かないもの等はありはしない。この世に在るモノで有る限り、有り得ない。

 

 

『────()ィィッ(サマ)ァァァァァァァァッッッッ!!』

 

 

 かつて、火星と木星の間に在った惑星をデブリベルトに変えた無限熱量。“ビッグバン”の1プランク時間後の熱量、即ち『プランク温度』。摂氏(せっし)1,420,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000℃────『これ以上の温度は物理的に意味が無い』“絶対熱”。量子力学上の、温度の()()()()。支配者すら存在を許されない、その脅威。だが、それすらも“沸騰する核(■■■■■)”の前には意味を成さず。それは初めから、かの『総帥』の力の一部。

 

 

────無駄なの、わたしが……こうじには届かせてみせるから、全てに!

 

 

 それを成した黒金の右手が────嚆矢の右手と重なって。

 

 

「燃え尽きろ─────!」

『“無限熱量(インフィニット=ヒート)”』

 

 

 時すらも燃える程に黒く煌めく金燐が、世界を染めて─────後には。

 

 

「……見たかよ。これが本物の絶対零度、これが本物の無限熱量だ」

「……………………」

 

 

 全ての未来が塵芥すらも残さずに消え去った、烏有のみ。如何な不滅の概念を組もうとも、無限の未来の分岐の全てを焼き尽くされてしまえば助かる道理はない。

 

 

《……呆れたものよのぅ、貴様の強情張りにも》

「今更かよ。所詮は俺だぜ? 何に期待してンだ?」

呵呵呵呵呵呵(かっかっかっかっかっか)────確かにのう! これは(わらわ)が阿呆であったわ!》

 

 

 降り注ぐのはただ、闇夜の静寂(しじま)。その只中に装甲を解いた右腕で、消耗し尽くして動く余力すらない海鳥を抱えた嚆矢が。

 真新しい煙草から万色の紫煙を燻らせながら、悪辣な笑顔を浮かべて立つのみ。

 

 

「………………どう、して……」

 

 

 と、あらゆる意味に聞こえる問いを、海鳥は()()口にする。生命力を削り過ぎて朦朧と霞む意識の中で。

 それを受けた嚆矢は、その言葉を聞いても尚。得意満面のその笑顔を、変える事はなくて

 

 

「決まってンだろ、そんな事────」

 

 

 堂々と、胸を張って────

 

 

「いい歳こいた男が、娘っ子にくらい格好付けて見せなくてどうすんだよ────」

 

 

 紫煙を吐きながら、自嘲するように悪辣な笑顔のままで。まるで舞台俳優のように、気障ったらしく囁いた台詞に。

 

 

『ぼくがきみよりおにいちゃんだから、さ────』

 

 

 先日、失望と共に捨てた筈の遥かな昔日の追憶に。全く同じ意味を口にした彼を、幻視しながら。

 

 

「……はっ、変わンねェなァ……このクソッタレ、がァ…………」

 

 

 馬鹿馬鹿しくなって、弛んだ気概。その為に今度こそ、海鳥は意識の手綱を手放したのだった。

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