Shangri-La...   作:ドラケン

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八月四日:『伏魔殿』

 

 

 水滴。一滴だけ、ぽたりと。無窮の虚空から降り注ぐものを思う人もいるかもしれない。或いは、静かに頬を伝うものを思う人もいるかもしれない。そしてこれは、後者だ。

 雲の出始めた夜空の下のとあるビルの屋上、ヘリポートで。自らの最高傑作、そう冠して送り届けた駆動鎧。蜻蛉を象り、学園都市に於いて最強の一つである『原子崩し(メルトダウナー)』をも再現してみせた機体。その無惨な残骸を目の当たりにした、病的な痩躯の技術者の。

 

 

「あぁ…………あぁぁ」

「……申し訳ない、博士。あと一歩、だったのですが」

 

 

 頭を抱え、ガクリと膝を折る。まるで、神に祈りを捧げる殉教者の如く。その様子を後方から眺めていた『彼』が、ばつが悪そうに弁解の言葉を口にすれば。

 

 

「…………ぃ……」

「本当に、申し訳な────」

 

 

 髪を掻き毟り、怒りか哀しみか、肩を震わせた科学者は────

 

 

「────素ンンッッ晴らしいぃぃぃいっ!!」

 

 

 青年の謝罪など馬耳東風、まるで天啓を得た狂信者の如く、歓喜に咽びながら立ち上がる。さながら舞台俳優のように両手を広げ、夜空を仰いで。

 

 

「まさか、まさか我輩のガラクタを返り討ちに出来るとは……素晴らしい、実に素晴らしいのである! こうしては居れん、直ぐにデータを抜き出して再検討である! このガラクタの倍は、性能を底上げせねばならぬであるな!」

「は、博士……?」

 

 

 その、余りの熱狂ぶりを訝しんで。青年は恐る恐ると、大いに引きながら言葉を掛ける。博士────木原痴智(きはら しれとも)は、そんな彼を漸く、居たものと気付いて。

 

 

「ん、君も生きていて何よりであるよ。君以上の才能など、他には有り難いであるからして……ほう、『原子崩し(メルトダウナー)』を凌いだであるか! 一体どんな装甲材、どんな装置であるのやら」

 

 

 実に、あっさりと。青年が生きていた事など、心底どうでもいい風に。懐から取り出した携帯端末、其処から伸ばしたコードを駆動鎧に繋いで操作しながら。

 爬虫類のようにねちっこい瞳を爛々と煌めかせて、画面に表示される英語と数字を流し読みながら。

 

 

「……ふむ、人型での完璧なまでの飛行であるか…………この形状では飛行には向かぬ、さては重力制御であろうか? 背面のジェットエンジンじみた物は姿勢制御の為であるか? そもそも、燃料はなんであるのやら……くははっ、ソソられる、ソソられるではないか! こうでなくては詰まらん、上には上が居らねば────天には、引き摺り下ろす物が無ければな!」

「そうですか────では、これで。ああ、ところで」

 

 

 狂喜に満ちた笑みを浮かべる痴智にあからさまな実験動物扱いをされて、内心腹を立てた青年が踵を返す───その刹那、ふと思い出した事があった。

 

 

「黒夜海鳥はどうしました?」

 

 

 自分に取引を持ち掛けた、あの少女を。天と地、科学と魔術の二段構えを敷いた雇用者。暗部の同朋、同僚を。

 別に特別な感情などはないが、一度乗った船。行く末くらいは気になって。

 

 

「さて、連絡して来ないからには負けたのであろうよ。いや、勝ったからと言って我輩に連絡を寄越すとも思えぬが。詰まり、どうでも良いことである」

「どうでも良いとは、また。貴方の最高傑作、なのでは?」

「ふむ? 何度言わせるのであるか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と申しておるのであるよ、我輩は」

「っ……そうですか」

 

 

 対する、あまりにそっけない物言い。要するに『また新たな最高傑作を作れば良い』との意味の言葉に、さしもの青年も絶句して肩を竦めたのみで。

 今度こそ、歩みを止める事はなく。一刻も早く立ち去りたい、とばかりに。

 

 

「ではな────()()()()()()()()のである、シルバークロース=アルファくん?」

 

 

 最後のその声が届くよりも早く、青年────シルバークロース=アルファの姿は、夜の闇に消えたのであった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 水滴。一滴だけ、ぽたりと。無窮の虚空から降り注ぐものを思う人もいるかもしれない。或いは、静かに頬を伝うものを思う人もいるかもしれない。そしてこれは、前者だ。

 その滴を鼻先に受けて、嚆矢は鼻を拭いながら日付を跨いだ夜空を見上げる。西からの叢雲が煙るように立ち込め、煌めきの一つすら無い無明長夜の只中で。万色の紫煙を吐きながら、窓の桟に腰掛けて。

 

 

「………………」

 

 

 右手を見遣る。握り、開く。どうやら今回は鎧を纏っていた事が幸いしたか、多少の怠さを除けば異常はないと言って良い。

 くい、と缶ビールを煽る。熱いシャワーを浴びて浄めた体、その熱を夜風と冷えた麦酒が冷ましていく。身体中に刻まれていた争いの痕跡も、元々常人離れしていた回復力と『白樺(ベルカナ)』のルーンにより瘡蓋となっている。流石に、ヒビの入った肋骨まではまだまだだが。その痛みをも、酒精が紛らわせてくれる。

 

 

「うむ、現代の酒も中々に佳いものよ。甘露甘露、呵呵呵呵(かっかっかっか)

「そういや、お前が安土で飲んでたあのワイン……真逆(まさか)とは思うけど、相当なヴィンテージなんじゃ?」

「儂は古いものより新しいものの方が好きじゃからな、骨董の付加価値などに興味はないのう」

 

 

 下ろした缶ビールが、横から拐われる。拐われたと思った時には、桜色の唇が飲み口に。白い喉をぐびりぐびりと、艶かしく蠢かせて。

 誘うように撓垂(しなだ)れ懸かる、膝の上の紅い襦袢姿の市媛の深紅の眼差し。それを受け流しながら、桟に置いている灰皿に灰を落とす。

 

 

 場所は学園都市で最悪の治安を誇る第十学区、男女の()()()()()に使われる雑居ビルの一室。壁一面、漆黒。まるで墨汁を流したかのような。

 余人には分かるまい、それは(まじな)いの結果。この部屋の内と外の位相をずらし、不可知とする言霊の魔術。『耳なし芳一』の話の如く、びっしりと幾万幾億もの真言に塗り潰された結界だ。次元そのものをすり替える魔術、最早この空間は外部からは関知すら出来ぬ、孤立した異界だった。

 

 

「これには手を焼かされたわ、比叡山攻めと本願寺攻めの時にの」

「魔術……ってか、仏教の法術か。確かに、仏敵・第六天魔王波旬にはキツいだろうな」

「おうとも。まぁ、その為に“神野悪五郎日影(しんのあくごろうにちえい)”を用意したのじゃがな」

「“神野悪五郎日影(しんのあくごろうにちえい)”?」

「言っておらんかったか、あの大鎧の銘じゃ」

 

 

 “神野悪五郎日影(しんのあくごろうにちえい)”、天竺(インド)から中国、そして日本を支配すると言う魔王。『異境備忘録』に拠れば十三の悪魔の棟梁の一体で、その第六位であるとされている。

 

 

『てけり・り。てけり・り!』

「うむ、今回は主もようやったの。誉めて遣わすぞ。無礼講じゃ、好きなだけ食うがよい!」

 

 

 と、広口の洋盃に金平糖を溢れそうな程盛ったものを、何処からともなく取り出して摘まんでいる彼女。其処から一つ、右手で摘まみ取る。噛み砕けば、仄かな甘味が鼻孔に抜ける。

 同じように、二人の影から沸き上がったショゴスが多数の偽足でそれを摘み上げ、裂けるように現した乱杭歯の口で頬張っている。凄い勢いで減るが、無くなる前に涌き出るかのように金平糖は尽きない。

 

 

「へぇ、じゃああの“第六次元の魔王(ラグニル)”ってのは?」

「あれは騙りじゃと説明したじゃろ。御主の決意を測る為の、のぅ。しかしまぁ、次元を操ると言う能力の絡繰自体は有る故、それが“第六次元の魔王(らぐにる)”であるとも言えるか」

 

 

 ふむ、と思案顔を見せた市媛が洋盃を足で支え、懐から新たに取り出したもの。虹色に煌めく黄金、その『塊』は────

 

 

「これが“神の血晶(らぴす=さぎー)”……大鎧の、否、“悪心影(あくしんかげ)”の核じゃ。これを破壊されれば、如何な(わらわ)と言えども混沌にすら戻れずに消える」

 

 

 一般的には『カラビ=ヤウ多様体』と呼ばれるソレ。スカスカの海綿か何かのようにも見える、幾何学的な形状の。有機物とも無機物とも言えぬ、妖しく悍しい光沢を放つ、掌ほどのサイズの『獅子の心臓(コル・レオニス)』。

 

 

「……そんな大事なモンは仕舞っとけよ。ブチ抜かれてからじゃ遅ぇぞ」

呵呵(かっか)、その程度で死ぬるのならば儂もその程度と言う事。それに───」

 

 

 『それに』と、嘲笑を吹き消して。真面目な表情で、彼女は彼を見遣る。蜂蜜色と深紅の視線、真っ直ぐに。決して逸らさず、離さずに。

 

 

「それに、貴様には教えねばなるまいて。我が同朋よ、東方薄暮騎士よ。“虚空の年代記(あかしゃ=くろにくる)”を紐解く旅人よ」

「…………お市」

 

 

 顔形ではなく、まるで心の奥底────否、その深淵に潜む魂を見透かすかのような強い眼差しに。戦国の魔王と自他共に認める、織田弾正の片鱗を見て。

 

 

『てけり・り! てけり・り!』

「…………食われてるぞ、核」

「……………………」

 

 

 『これめっちゃうめぇ!』とばかりに血眼で、市媛の携える“神の血晶(ラピス=サギー)”に齧り付いているショゴス。それはもう喜色満面、血晶どころか市媛の手まで呑み込んでいて。

 最後に、プッ、と異形の粘液に塗れた彼女の手だけを解放する。市媛はそれに、ふっ、と涼しげな笑顔を見せて。

 

 

「────吐けぇぇぇっ! 吐かぬか、このうつけぇぇぇっ!」

『でげり゛?! り゛り゛り゛り゛り゛!?!』

 

 

 むんずと掴むと、びたんびたんと床に壁にと代わる代わる叩き付けて。終いには涙目のショゴスの口に腕自体を突っ込んでまさぐり、取り返そうとしていた。

 そんな騒ぎを見ながら、残りの麦酒を煽って。正に、その瞬間。

 

 

「…………で、いつまで私はテメェらのコントを見せられてりゃいいんだ?」

 

 

 掛けられた氷点下の声色と眼差しは、部屋の奥から。キングサイズのベッドの上に転がされ、右と左でそれぞれの手首と足首を拘束された海鳥の。

 

 

「ああ、気ィ付いたンだ? ンなら、お待ちかねのR18タイムだなァ」

 

 

 それを確認して、口角を吊り上げた悪辣な笑みを浮かべながら。嚆矢は、フィルター間近となっていた煙草を灰皿に躙り消して────

 

 

………………

…………

……

 

 

 水滴。一滴だけ、ぽたりと。無窮の虚空から降り注ぐものを思う人もいるかもしれない。或いは、静かに頬を伝うものを思う人もいるかもしれない。しかし、これはそのどちらでもない。

 “魔女”と呼ばれた女が持っていたグラスの結露、その滴だ。グラスの内の氷と、夏の湿気と温度との差違が産んだ一滴だ。一枚板のテーブルに染みを残し、儚くも消えてしまったものだ。

 

 

「じゃあ、お暇するわ。そろそろ、人の世に帰る時間だし」

「ええ。名残惜しい限りですが、無粋は申し上げませんよ」

 

 

 立ち上がり、代金を────古めかしいセントゴーデンス20ドル金貨……現在の価値では幾らとなるだろう、二羽の鷲が刻印された金貨を置いた魔女キザイア。それを受け取り、にこりと店主アンブローゼスが微笑む。

 

 

「またお会いできる日を心待ちにしておりますよ、お嬢さん(レディ)?」

「冗談。盲目の邪神狩り(クトゥルフ・ハンター)が入り浸るような店なんかに、そうそう顔を出せるもんですか」

 

 

 悪戯っぽく笑う彼に、魔女は心底辟易した声を返す。見詰める先には、カロン、と。今正にテーブルに置かれたかのように揺れる、丸く削った氷を浮かべるロックのブランデー。

 

 

「この“昏い同朋団(ダァク・ブラザァフッヅ)”の店内では私が法です。勝手は彼にも貴方達にも、“旧支配者(グレート・オールド・ワン)”や“外なる神(ストレンジ・アイオン)”にもさせませんよ」

「貴方が言うと、冗談じゃないわね、トリスメギストス、カリオストロ。“黒い男(メン・イン・ブラック)”、“黄金薔薇十字(ローゼンクロイツ)”────“二重螺旋数式(クルーシュチャ方程式)”?」

 

 

 それに、忍び笑うような声。店主の口元から? それとも────この店の中に集う、捻れた木や小人、海月のような。見えざる異星の者達から?

 

 

「では、また。キザイア────基材滅存(きざい めつぞん)女史、ミスター・ブラウン・ジェンキンス」

 

 

 掛けた声、投げられた胡桃。それは、魔女の背中に向けて放物線を描き────

 

 

『キキィ』

 

 

 頭を起こした襟巻きに、ニタニタ笑うような、悪意溢れる戯画じみた人面に。

 燃え盛るような三つの眼差しを浮かべる人面栗鼠“ブラウン・ジェンキンス”に掴まれて、がりりと噛み砕かれたのだった。

 

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