八月十日:『陽光と、日陰と』
轟音、閃光。巨大な機械から音を越えた速度で走った一閃は、過たず獲物を捉え────閃光、轟音。跳ね返った一閃は過たず射手を捉えて、鉄屑とプラズマの爆轟を撒き散らす。
「か────あ、は」
「……チッ。こんな事をチンタラ続けて、本当に『進化』なんて出来ンのか────ねェ、っと」
ブラックの缶珈琲を啜りつつ煩わしそうに歩く白髪の少年は、歩調を変える事はなく。熔けて崩れた残骸に埋もれるように、焼け焦げて死戦期の呼吸と痙攣を繰り返す『肉塊』を無慈悲に踏みつけて────血飛沫と共に、無感動に微塵の
「……“
「へいへい、こンだけ時間掛けてまだ半分……かァ。まだまだ先は長ェなァ?」
そしていつも通り、後始末に現れた
それを率いる少女の言葉に、げんなりと肩を竦めて。缶コーヒーを飲み干した彼は、路地裏を歩く。
「あと、十七人で────漸く“
「……………………」
「ありがたくて言葉もねェってかァ? ヒャハハ…………!」
そのすれ違い様に、少女の肩を掴んで。耳元に寄せた口、三日月のように歪ませて。一瞬だけ、びくりと肩が揺れたのは。
「次の実験の開始時間は四時間五十八分後です。早めの用意をお願いします」
「……ハ。
果たして、気のせいだったのだろうか。少女は変わらず、機械じみた抑揚の薄い口調で呟いたのみ。
それに白けきった顔で、少女を突き放した少年が歩いていく。心底面倒そうに、肩で風を切りながら。
「……………………」
残された少女は、空を見上げる。明け方の、一番暗い、忌まわしい闇空を。無表情に、何処までも無感動に。
荒野に放たれた
「…………っ」
最後に、一度だけ。呼吸を外した。何故か? 理由は明白だ。恐らく、彼女以外に気付いた者は居まい。軍用の電磁波観測機能付きのゴーグルと、彼女の『特徴』である『通信と観測に特化した
「…………あれは」
それ程に高度な
「……
寝起きの譫言のように、神への真摯な祈りのように。小さな声を漏らして────。
………………
…………
……
夏の、蒸し暑い夜空を翔ける刃金に纏わり付く熱気を切り裂いて、“
早晩、ショゴスが修復を完了した混沌の大鎧。その調子を見る為に丑三つ時を、夜は人の消え去る学生街である第六学区を選んでの慣熟飛行。誰かに見られぬよう、細心の注意を払ったつもりで。
その真相を呑み込むように大鎧は混沌に還り、血涙を流す無数の瞳を浮かび上がらせた不定形の影に融けて消えた。残るは
「……今、
「ふむ、見られたのう。しかし、あの距離ならばはっきりとは解らんであろ。捨て置けい」
確かに完全な隠形を行っていた筈だと自負する嚆矢が語り掛けた口調は、腰に
対した市媛の言葉は軍配を団扇代わりにしつつ、実に面倒そうに。早く帰って涼みたいと、全身から立ち上る不機嫌オーラが雄弁に語っている。
「…………まぁ、どうせ証拠はないし口封じは良いか。飛行にも支障は無かったし、鎧も完全復活してたしな」
「ならば早う帰るぞ。今宵は『くーらー』で涼みながら『らむね』を飲みつつ、『いんたーねっと』を見て『おーるないと』すると
「現代を満喫してんじゃねーよ、戦国大名」
だから、一度だけ視線を感じた方を睨んで。見える筈もない『観測者』を思い描いて、非常階段からビルを後にする。いつも通りの日常へと戻る為に、長谷部を影の中の鎧櫃に仕舞って。
「そうさのう、早めに戻らねばまた、お弓にどやされるからのう」
「解ってんならさっさと帰るぞ。また、“
………………
…………
……
時刻、午前十一時。場所、第六学区の裏路地。ほぼ真上からのピーカン照りの烈日を避けるように路地裏に入った初春飾利と固法美偉の二人は、揃って溜め息を吐いた。
いつもならば無人か、悪ければ不良が屯している程度のそこには、普通の学生達が一心不乱に地べたに這い
「はい、注目!
手を鳴らして注目を集め、宣う。それだけで、その路地裏に居た五人程の学生は観念してポケットや鞄を漁り出す。
「けっ、冗談じゃねえ!」
「そうよ、これは拾った私達の物よ!」
だが、そんなものはごく一部。高レベル判定を受けた者以外の多くの学生は、雀の涙ほどの給付金で暮らしているのだ。そこに降って沸いた、誰が何の為にかは不明だが路地裏にばらまかれるマネーカード事案。遊興費の足しにと飛び付く者が居るのも、仕方の無い事ではあるだろう。
だからと言って、逆上して『
「はいはい、ごもっともごもっとも」
「マネーカード集めのご協力、ご苦労様ですの」
だからその暴力を暴力で鎮圧されるのも、当然の事だったのだろう。放った火の
そして悠然と立つ対馬嚆矢と白井黒子に、路地裏の学生達は揃って恐れと諦めの視線を向けたのみだった。
「やっぱり噂が拡散してるわね……今じゃ、どの路地裏もこんな感じらしいわ」
「世も末だねぇ、働かずに食う飯が旨いなんてのが大多数なんてさ」
「そうですね、路地裏には不良学生が居て事件に巻き込まれる事も有るわけですし……」
最後の一人が帰された後、美偉が誰にともなく呟いた。多くがマネーカードをちょろまかそうとしていた為に酷使した『
答えたのは、嚆矢の軽口と飾利の疲れた声。蒸れるのを嫌い、手をウェットティッシュで拭いながら。押収したマネーカードを纏めながら、辟易した表情で。
「ねぇ、佐天さん?」
「なぁ、涙子ちゃん?」
最後にそう、呼び掛ければ――――がたりと、路地の入り口に
どこぞの『蛇』のコードネームの兵士よろしくスニーキングで脱出使用としていた少女が白日の下に。
「……こ、こんにちは~」
佐天涙子がひきつった笑顔と共に、白々しく挨拶したのだった。
………………
…………
……
午前の業務を終えて支部に帰って来た嚆矢は一目散、クーラーの前のテーブルに陣取って飲料を煽る。
「っは~、生き返る~! そしてやっぱ糞不味いィィ!」
「ですから、そう思うのであれば飲まなければよいではありませんの?」
「いゃあ、最近はどうも、これを飲まないと仕事した気にならないと言うか。疲労がポロンととれると言うか」
「何だか危ない成分でも含まれてそうな物言いは止めてくださいよぅ」
『濃縮還元! 芋サイダー』と銘打たれたペットボトルの色物飲料、それを一息に。後から続いて来た、面倒そうに口を開いた黒子は缶のミルクティー。慌てる飾利はパックのイチゴオレ。
そして今日の昼食らしい小さな包みを、それぞれ携えて。テーブルには小振りな弁当箱が二つ並ぶ。
「じゃ、俺も……っと」
最後に、嚆矢が取り出した……近所のスーパーの物と思しき、使い古してヨレヨレのビニール袋。中には、叩き売りのカップ麺とお握り二つ。合わせても五百円は越えまい、健康など完全無視のコスパ偏重な内容。
「……毎回思うんですけど、嚆矢先輩。それ、足りてます?」
「というより、バランスが悪すぎますの……体を壊しませんの?」
「もう三年間これだから、意外とヘーキヘーキ」
何の事はない、飾利と黒子が眉を潜める、彼のいつも通りの食事である。テーブルに並べば、もう、涙を誘うくらいに差が際立つ。
栄養バランスと彩りを考え、コスト度外視の黒子の弁当。些か質は落ちるが、やはり見映えのいい飾利の二段重ねの弁当。対して、湯気を出すカップ麺と白米のソレ。最早、同じ昼食と思うことすら冒涜に当たるような侘しさだ。
「頂きます……ずっ、はふ……熱っ、汁が目に!」
事実、後ろからそれを見た風紀委員の同僚などは、笑うどころか痛ましいものを見る優しい眼差しになっているくらいで。
「あの、先輩、どうぞ」
「これではイジメみたいですし……仕方ありませんわね」
「えっ、マジで!? 良いの?!」
見兼ねたのだろう、剥がしたカップ麺の蓋に飾利がミートボールとマッシュポテト、黒子が海老の天麩羅と海草の和え物を置いた。
「あ、ありがとう二人とも…………初春大権現様、白井大明神様! このご恩は子孫末代まで語り継がせていただきます」
「ふえぇ、せ、先輩ってば声が大きすぎますよぉ」
「大袈裟が過ぎますのよ、貴方は……他人の食生活をどうこう言う気はありませんけれど、バランスを考えないといざと言う時に大変ですわよ?」
それを二三度見した後、土下座の勢いで頭を下げた嚆矢。まるで主君から褒賞を賜わったかのように、それらを推し頂いて。
「ん~! ほんと、美味しいですよこれ」
「涙子ちゃんならそう来ると信じてたよォーー!」
報告を兼ねて別室に消えた美偉に叱られ終わったのだろう、休憩室に現れた涙子に全て平らげられた後の空の蓋を握り潰して。
麗らかな、外は地獄の猛暑であろうが、冷房の効いた室内は天国。更には、小粒とはいえ掛値無しの美少女三人との昼食。今日はいい日だと、しみじみ思いながら。
――明日からも、こんな日が続けばいいんだけどな。
彼方の、青空の果てで燃える太陽を眺めて目を細めた。
………………
…………
……
同日、同刻、同学区。光の差さぬ深淵の最中。『窓の無いビル』と、その意味を知らぬ幸せな者達が呼ぶビルの中。その意味を知る者達が敢えて語らぬ、黒いビルの中で。
「…………そうか。では、準備は終わったか、“
「ああ、アレイスター=クロウリー。我らの生け贄はまた一つ、黄金の螺旋階段を昇った。残る階段は少ないが――――」
蠢く、闇が二つ。片方は、ビーカーに逆しまに浮かぶ聖者にも悪魔にも見える男だ。もう片方は、銀色の懐中時計を携えて屹立する、時計塔の如き男だ。
本来、此所に居るべき少年と少女は居ない。既に、時計の男の発する狂気により逃げ去っている。
「時に囚われる全てのモノは、我が意のままであれば。あらゆるモノに、意味などありはしないのだから」
嗤う。時計男は、この世の全てを俯瞰して。見上げるように見下して、狂気を湛えて嗤うのだ。
「それは重畳。此方はどうも、
対して、やはり嗤う。逆しまの男は、この世の全てを俯瞰して。見上げるように見下して、嗤うのだ。
二人の少年と少女は、実に聡い判断をした。闇に生きるには、その鼻の利き具合は得難い幸福だ。もしもこの場に居続けてなどいれば、今頃は狂い死んだ骸しか残ってはいなかっただろう。
そして、幸福を掴み損ねた少年は、その悪意を知る由もなく。今も、何処かで笑っている――――…………