俺とクラウスとエレミアとシグナムは、模擬戦で負傷したオリヴィエの怪我を診てもらうため、彼女を連れて城内にある医務室を訪れていた。
「そんなことがあったんですか。いけませんよオリヴィエ様。模擬戦というものは日ごろの鍛錬の成果や課題、改善点を見つけるために行うもので、互いの優劣を競うためのものじゃありません。ヴィータちゃんやティッタちゃんと違って、オリヴィエ様とシグナムはそんなことを起こさないでくれると信用していたのに――」
「すみません」
他国の姫に対しても臆せずくどくど説教してくるシャマルに対し、オリヴィエは素直に耳を傾ける。
「――以上です。今度同じことを起こしたら練兵場へは出入り禁止にしてもらいますから。そういうことになりましたので、よろしいですね陛下?」
「……あ、ああ」
シャマルはオリヴィエに向けて一方的に宣告しながらも、城主である俺に確認を取ることは忘れなかった。それはいいことだが、口をへの字に曲げながら話を向けられたのでなぜか俺まで怒られた気分だ。
以前ヴィータがこぼしていた通り本当に小うるさいな。オリヴィエもすっかりたじたじになっている。
「じゃあ治療を始めましょうか。では陛下とクラウス様とエレミアさんは早く出て行ってください」
一通り言いたいことを言い終わったシャマルは気を取り直して俺たちに退出を命じる。
しかしクラウスは、
「えっ!? どうしてだい? オリヴィエの体に大事がないか確かめるためにも、僕はこのまま――」
ああ、こいつはそういうところで機転が利かない奴だったな。
シャマルの指示に反発するクラウスの姿に俺は学術院の頃を思い出す。
そんなクラウスにシャマルは声を荒げた。
「その体を診るためにオリヴィエ様にはこれから服を脱いで頂きますから、男性陣は早く出て行ってください!」
「あっ! す、すまない。ケント、リッド、僕たちは出て行こう」
「ああ」
「あ、はい」
シャマルに一喝され、退出するよう指示された理由に気付いたクラウスはオリヴィエに背を向けて医務室から出て行こうとし、俺もエレミアもクラウスに続こうとする。
そこへ……
「あれ? エレミア様も出て行かれるんですか? エレミア様なら問題ないと思いますけど」
後ろからかけられた声に気付いて立ち止まり振り返ってみると、俺たちに声をかけたのは、助手としてシャマルの手伝いをするようになったイクスだった。
ここでイクスの現状についても説明しよう。
イクスは形式上、未だガレア王国の国王のままでいるが、政治的不備を抱えたガレアの主権をグランダムに預け、自身は政治や社会、国家運営について学ぶためにこの城に逗留していることになっている。宰相たちからすれば実質的には、ガレアの裏切りを防ぐために囲んだ人質という形だが。
この城に来たばかりの頃は、イクスも守護騎士たち同様平時の仕事がまったくなく、部屋で過ごすだけの状態だったが、城を散策している途中で偶然通りがかった医務室でガレア戦にて負傷した兵士たちを見つけて、罪悪感を思い出したイクスは彼らの内一人の手を握っていると、なんと彼の傷がみるみる治っていったという。
それ以来、イクスは毎日のように医務室に通うようになり、自ら負傷兵の救護を買って出るようになった。そのため、元々衛生兵のような仕事を頼んでいるシャマルの助手として、イクスを彼女の側につけることにした。
なお、イクスが起こした治癒の現象についてはシャマル曰く、イクスの体内にあるマリアージュコアを生成する母体コア《冥王核》が引き起こしたものではないかとのことだ。
マリアージュの生成は死体の中にコアを埋め込むことで行われる。傷だらけだった死体が傷一つない
もっとも、仕組みは治療魔法と似ており単純に才能があるだけとも言えるため、当のイクスにはそう説明しているが。
だから俺たちが怪訝に思ったのは、イクスが医務室にいることではなく、彼女が言ったことについてだった。
「エレミアはここにいていいのか? ……まさか、エレミアとオリヴィエってそういう関係だったのか?」
「馬鹿を言うなケント! そんなこと僕は今まで一度も聞いたことがない。……聞いたことはない……ないのだが……」
完全には否定しきれないのか、クラウスの語気は次第に弱くなっていく。そこへシグナムが、
「おや、主ケントとクラウス殿はまだご存知ではなかったのですか? エレミア殿はおそらく――」
「さ、さあ、僕たちは治療の邪魔ですからもう出て行きましょう! 殿下も陛下も早く!」
シグナムの言葉を遮って、エレミアは俺とクラウスの手を引っ張り外へと連れ出した。
◇
エレミアがケントとクラウスを外へ連れて行って、医務室には女性陣だけが残った。
「……ケント様とクラウス様、すごい誤解しちゃってたけど、これって私のせいですよね。ごめんなさい」
気まずそうにイクスはオリヴィエに頭を下げる。
オリヴィエは手を振ってイクスをなだめた。
「いえ、気にしないでくださいイクス様。エレミアがシュトゥラに来たばかりの時もそう思われていたことがありましたから(それに誤解されたままでも失うものはありませんしね。
一方、シャマルの方は二人の話についていけずに首をかしげていた。
「……えっと、エレミア様はオリヴィエ様の恋人というわけじゃないの? それなのにここに残ってもいいって……どういうこと?」
「シャマル、お前までまだ気付いていないのか。エレミア殿は――」
シグナムは呆れた様子で肩をすくめながら、シャマルにエレミアに関するある事実を明かす。
その直後――
◇
「えええええええええ!!」
突然医務室の方からつんざくような悲鳴がして、俺とクラウスは勢いよくそちらの方を振り返った。
「今の悲鳴はシャマルのものか」
「まさか賊か。こともあろうに、オリヴィエが負った傷の手当てをしている時に」
「あっ! いやそれは多分――」
「行くぞケント! 負傷者を狙う賊など許しておけん」
「ああっ!」
賊を捕縛するべく、クラウスに続いて俺も医務室へ踵を返す。
「待って二人とも! 今はヴィヴィ様が――」
エレミアがなぜか静止しているが、構わずクラウスは医務室の扉の取っ手に手をかけ、俺も腰に差した剣に手をかける。
「「大人しくしろ!」」
扉を開けたクラウスと剣を抜いた俺が医務室に踏み込むと、そこにはシグナムとシャマル、イクス、そして、すでにドレスを脱いでいて下着姿になっているオリヴィエがいた。
……あれ? おかしいな、彼女たち以外誰もいないぞ。
訝しむ俺たちの後ろにいるエレミアの方からため息が聞こえる。その吐息には呆れが多分に含まれているように感じた。
「「「……」」」
シグナム、シャマル、イクスは無言で固まっている。
残る最後の一人は、
「…………」
「オ、オリヴィエ、いけませんよ。淑女たるものそんな恰好のまま男の前に出てきては」
オリヴィエは悲鳴も上げず、下着姿になっている自分の体を隠すこともせず、顔を伏せてクラウスの方へにじり寄ってきた。
オリヴィエの体は起伏は緩やかだが、気になるような跡が一つもない白くて美しい肌だった。整った容姿も相まって人を魅了させるには十分だ。しかし、腕だけは無機質な金属がむき出しになっており、それが見ていて痛々しく……今はとても恐ろしい。
オリヴィエは顔を上げる。
彼女はいつものように慈愛に満ちた笑顔を見せていた。
「クラウス」
そんな彼女から出た言葉は、
「歯を食いしばってください」
その直後、オリヴィエは金属の腕を大きく振りかぶり――クラウスの顔を思い切りぶん殴った。
顔面を殴られたクラウスはその場にどさりと音を立てながら倒れ伏す。
それを見て……
「お前たちに何事もなくてよかった。ではエレミア、俺たちは戻って――」
俺は踵を返してそうエレミアを促すが、エレミアは立ちふさがったまま先へ通してくれない。
「陛下、ここまで来て陛下だけ逃げて終わりというのは、裸を見られたヴィヴィ様や、そのことでしっかり罰を受けた殿下に対して義理を欠いているのではないかと」
エレミアの険しい瞳には、俺と後ろで佇んでいる半裸の
俺は恐る恐る振り返ると……
「安心してください――痛みを感じる前に
笑顔のまま金属の腕を振り上げている鬼が目の前まで迫ってきていた。
◆
気絶したままのクラウスを医務室の前にある椅子に寝かしつけておき、俺とエレミアは休憩室で休んでいた。
休憩室の名の通り兵たちが休むための部屋で、普段は多かれ少なかれ兵たちが出入りしている場所だが、今は運良く俺とエレミアしかおらず、オリヴィエに殴られた箇所を冷ますには都合がいい。
「痛てて」
「大丈夫ですか陛下?」
エレミアは薬を染み込ませたガーゼを俺の顔に当てながら、温かい言葉をかけてくれる。
オリヴィエの言葉に反してあの一撃は痛かった。金属の塊を顔面にぶつけられただけになおさら。
クラウスの方は本当に意識を失うくらい容赦なく殴られたようだが、俺に対しては多少お情けをかけてくれたらしく気絶するくらいではなかった。
その代わり俺はこうして今も痛みに苦しんでいるが、それを幸運ととらえるか不幸ととらえるかは、人によって意見が分かれる所だろう。
しかし、俺の横で手当てをしてくれているエレミアはクラウスや俺と違って、デコピン一発も加えられることはなかった。その上他の女性陣もそのことに関してはまったく口出ししてこない。やっぱりオリヴィエとエレミアってデキてるんじゃないか。身分の差とかで大っぴらにできないだけで。
いぶかしむ俺をよそに、エレミアは乾いたガーゼを薬瓶に漬ける。しかし……
「あれっ? 詰まっちゃった――」
瓶の中でガーゼが詰まったらしく、エレミアはそれを取り出すのに悪戦苦闘している。
この型の瓶は先が細く、こういうことが結構あるらしい。普段は使用を避ける型なのだが今日はこれしかなかったのか、それともオリヴィエの半裸を見たことに対するシャマルからの意趣返しか。
「よし、あとちょっと……あと少しで取れ――わあっ!」
細い瓶先からガーゼを出すことができたものの、勢い余って瓶の中身をぶちまけてしまい、エレミアの服は薬液まみれになってしまった。
「エレミア、大丈夫か?」
声をかける俺にエレミアは少しの間、自分の体を見まわしてから答えた。
「大丈夫です。ほとんど服にかかったようで、幸い髪や顔にはかからなかったみたいですから。これなら服さえ着替えれば」
それはよかった。目に入ったりしたら大変だからな。
……しかし服か。
俺もエレミアの事は言えない。ここまでの間に襟は曲がっているわ、上着は皺だらけだわ、色々大変なことになっている。せめて襟くらいは正さないとな。しかしエレミアしかいないとはいえ人前でいじるわけにも。
俺がそんなことを悩んでることも露知らず、エレミアは懐に手を伸ばす。ちょうどそこで。
――そうだ! 固有技能で時間をほとんど止めて、その間に襟も皺も正せばいい! そうと決まれば……
「
エレミアは媒介を使って魔導着に着替えているらしい。その間に俺も、
フライングムーヴ――えっ!?
その
「エレミア……お前って女だったのか?」
確かに見えた。オリヴィエと変わらないくらい少し膨らんだ胸と、その下の何もついてないところが。
そうか、女だったのか。どうりでオリヴィエと仲が良く、半裸を見ても怒られなかったわけだ。
「――えっ!? もしかして、気付いちゃったんですか? 今まで気付いてなかったのに、一体どうして?」
……言えない。エレミアの体を見たなんて言ったらまた殴られる。今度は手当てを手伝ってくれないどころか、薬ももらえるかも怪しい。
「少し動きが気になってな。もしかしたらと思ったんだ」
「そうだったんですか。最初は隠すつもりはなかったんですが、成り行きで今はこうしています。でも武術家としては動きだけで性別を悟られるなんて問題かもしれませんね。しかし、さすがは闇の書に選ばれたグランダム王、すばらしい慧眼をお持ちです。感服しました!」
俺の内心も知らず、エレミアは尊敬のまなざしでこちらを見ている。
「い、いや、ほとんどあてずっぽうだったんだ。多分エレミアの動きに問題はないと思うぞ」
本当の事は絶対言えないやつだこれ。
ここは早く話題を変えた方がいい。
……だが一つだけ気になっていることがある。
「クラウスはこのことを?」
「うーん、どうなんでしょうね? 気付いてて素知らぬふりをしてくださってるんだと思いますけど」
エレミアは腕を組みながら考える。
だが俺の経験上、エレミアやオリヴィエが明かしてないとすれば――
「いいや、間違いなくクラウスは気付いていない。奴はそういう男だ」
「そうなんですか!?」
もう気付かれているかもしれないと思っていただけにそう断言されたのは意外だったのだろう、エレミアは驚いた様子を見せる。
そんな彼女に俺は説明する。
「ああ。クラウスはあの通り男前でモテるんだが、人一倍鈍い男でもあってな。まわりの
あれは忘れもしない、シュトゥラ留学中に起きた出来事だ。
ある日、学術院で注目の的だった令嬢が俺に声をかけてきた。何でもない風を装ってはいたが、心の中で俺は躍り上がっていた。あの令嬢には俺も夢中だったからな。
その令嬢が俺に言ってきたことは俺への告白――ではなく、クラウスが好きな食べ物は何か、趣味は何か、休日の過ごし方、全部クラウスに関する質問だった。
俺はその問いにわざとでたらめを吹き込んでやった。
それが功を奏したのか、その令嬢からの好意にクラウスが微塵も気付かなかったためか、二人が付き合うことはなかった。それは今もクラウスが独り身でいるのを見ればわかるだろう。
俺はといえばその時の怒りをバネに、しばらく剣の鍛錬に打ち込んだ。
模擬戦でクラウスを叩きのめせると考えたら鍛錬に身が入ったな。
まあ、そのおかげで俺は今まで生きてこられたのかもしれないし、クラウスもオリヴィエと仲良くなったのだから、双方とも結果的にはあれでよかったのかもしれない。
だが、あの日の事を思い出したらどうしても腹が立ってしまうな。
そう思っていたところで、エレミアはとんでもないことを口にした。
「ふぅん、手合わせの時とか結構触られてるんだけどな」
「――なんだと!? 一体どこを?」
「……? そりゃあ戦っていると当たることもあるでしょう。胸とか」
……やばい。久しぶりにクラウスという男に殺意を感じてきた。
そこへ部屋の扉が開く音が聞こえてきた。
「ケント、もう顔は大丈夫かい? あれ、リッドはなぜ着替えてるんだ?」
「あっ、大したことじゃないんです。ちょっと服が汚れちゃって」
「俺ももう大丈夫だ。むしろ力が有り余っている。お前と久々に殴り合いの喧嘩がしたいくらいにな!」
「えっ!? 一体どうしたんだケント?」
◇
一方、医務室でオリヴィエはシグナムから模擬戦の事で謝罪されたが、自分も意地を張りすぎたと謝り返し、その後シャマルとイクスから治療を受けた後で、医務室の隅にあるしきりに囲まれたベッドに横になり、そこへイクスだけを呼んだ。
「ありがとうございますイクス様。イクス様とシャマルさんのおかげでもうすっかりよくなりました」
「いえ、私が望んでしていることですから。それよりお休みしなくて本当に大丈夫ですか?」
オリヴィエの体を心配したイクスの申し出に、オリヴィエは首を横に振る。
「大丈夫です。もう痛みは取れましたし……それよりイクス様にお話ししたいことがあります」
「……先史時代についてですね」
イクスの返した言葉にオリヴィエはコクリとうなずいた。
「わかりました。私が知っている限りのことを――」
「いいえっ!」
イクスが話始めようとしたところでオリヴィエは遮る。イクスは怪訝な顔で……
「……あの、オリヴィエ様?」
意図が読めずイクスは思わず聞き返す。そんな彼女にオリヴィエは言った。
「イクス様、わたしはあなたに先史時代のことを話してほしいのではなく、むしろ逆です。これから先、あなたには先史時代の事を誰にも話さず、できればあなた自身忘れるようにお願いします。間違っても今後は先史時代の技術を戦に出そうとはしないように。それを破れば聖王連合は、あなたもガレアも一切の慈悲なく滅ぼしにかかるでしょう。
……それだけはどうかお忘れなきようお願いします。イクスヴェリア陛下」