四年ぶりに再会したシュトゥラの王子クラウス、彼が連れてきた同国の客将にして聖王家の王女オリヴィエ、二人のお付きの学士エレミア。
グランダムにやって来た彼ら三人とは、一波乱も二波乱もありながら楽しい一週間を共に過ごすことができた。
それに昨日の会食がなければ財政難を解決するために公債を発行するなんて考えが、俺たちに浮かぶことはなかっただろう。まあ、最初にそれを教えてくれたのは、国債や公債が幅広く売られていたらしい先史時代から生きてきたイクスなのだが。
その彼ら三人をはじめとするシュトゥラのキオネル騎士団は、いよいよ母国シュトゥラに帰還するためにこの城、そしてこの国から去って行ってしまう。
城内から外に通じる扉を前にした大広間には、騎士団から何人かがクラウスたちを迎えに来ており、そのうち三人は俺たちがガレアから王都に戻って来た時に街道で見かけた騎士たちだ。
俺もまたクラウスたちと親交を結んだ守護騎士、ティッタ、イクスを連れて、この広間で彼らと別れの挨拶を交わしていた。
「オリヴィエ殿、昨日の模擬戦ではつい勢い余ってしまった。心からお詫びする。だが――」
「いいえ、あれは自分の負けを認められず、悪あがきに誤った使い方であの技を使用しようとした、私が悪かったんです。だから、またお手合わせしてくださいね、シグナム」
「喜んで!」
そう言葉を交わしてこの城で出会った二人の剣士、シグナムとオリヴィエは握手を交わしていた。
「ザフィーラ卿、お世話になりました。卿との手合わせがきっかけで、祖先から伝わる技をいくつか習得することができました。また色々教えてくださいね」
「私で役に立つなら喜んで受けよう……まあクラウス殿と違って君には手取り足取りとはいかんようだがな」
「……?」
ザフィーラはそう言ってエレミアの頭を撫でる。片やティッタはザフィーラの最後の一言の意味を測りかねているようで首をかしげていた。
そうしてザフィーラの腕から解放された後、エレミアは首を傾けているティッタにも声をかける。
「もちろんティッタさんとの試合もいい経験になったよ。あなたの固有技能は当たったら恐ろしいから、避けようと必死になっていくうちに回避に関する技能が自然に身についていく」
「なんのなんの! アタシにとってもリッド君との闘いは学ぶものが多かったよ。今度会ったらまたやろうね。次はシュトゥラでかな」
そう言いながらティッタはエレミアと握手を交わす。……しかしリッド君ね、ティッタはとうとう最後まで気付かなかったらしい。
それぞれ別れを惜しみあっている面々を眺めている俺に向かって、クラウスが近づいてきた。
「ケント、今日まで世話になったな。彼ら騎士たちからもあの通りオリヴィエやエレミアがよくしてもらった。本当に感謝している」
「それはこっちの台詞だクラウス。彼女たちとの付き合いはあいつらにとっていい刺激になったと思う。またいつでも来い。俺が闇の書を悪用しないように監視するためにもな」
クラウスからの謝辞を流しながら、俺は闇の書を掲げておどけて見せる。
そんな俺にクラウスは「お前という奴は」と言いながら呆れまじりのため息をついた。
「守護騎士か、忠誠心が厚いのに加えて皆君に信頼を寄せている。主従としても仲間としても理想的な間柄だ。大切にしろよ」
「お前に言われるまでもない。ここでぞんざいに扱うような真似をしてあいつらに逃げられでもしたらそれこそ国家存亡の危機だ。守護騎士はもう俺だけでなく、軍の皆からも頼られるようになってきているからな」
クラウスはそれはそうだと笑った後、表情をやや引き締めた。
「公債とやらの発行、本当に実行するのかはお前次第だろう。僕にはただグランダムの財政回復がうまく行くよう祈ることしかできない」
「そうだな。お前たちを見送った後でそこの宰相ともう一度考えてみる」
そこで俺とクラウスは後ろにいる若作りの宰相を見た。
彼にはもう公債を他国の高官に売る案について話してある。
宰相から見れば危険ではあるが、それ以外に資金を工面するための手が思い浮かばないため、一考の余地があるそうだ。それにグランダム各地の市場が好調で税収が上がっているという事実も、彼の背中を押す要因となっている。
クラウスたちを見送るべき今でも、宰相の頭の中では公債の事が大きな部分を占めているらしく、時折目をつぶってあれこれ考えているようだった。
その様子を見ながら俺と共に苦笑いを浮かべた後、クラウスはその表情から笑みを消し俺に向き直った。
「この国を守るために闇の書が必要だというならもう僕は何も言わない。学術院で一年間共に過ごしてきたお前を信じる。だが忘れるな、シュトゥラが弱きを助ける騎士の国だということを。万が一、お前が闇の書を己が野心を満たすためだけに使おうとした時、僕は容赦なくお前を倒す!」
そう言ってからクラウスは右手の拳を握って、それを俺に向けてきた。
「ああ。俺としてもお前たちキオネル騎士団は敵に回したくない。色々な意味でな」
俺もまた返事と共に右手の拳を突き出し、クラウスのそれにぶつけた。
「それともう一つ、闇の書を持つのはいいが過信はするな。もう耳にしたことがあるかもしれないが、この書を持ったことのある人間は皆――」
クラウスが続けて何事か言おうとしたところを大きな開閉音が遮り、同時に城の外に通じる大きな扉が外側からゆっくり開いてきた。俺たちもクラウスたちも思わず扉の方に顔を向ける。
「失礼します! ――これは陛下! お見苦しいところを」
扉をくぐって広間へ入ってきた兵は、姿勢を正しながら謝る。
彼に続いて高級そうな絹服を着たカイゼル髭の男と、男の後ろを歩く銀色の鎧を着た兵士二人が城内に入ってきた。
男はこちらを見てある一点に目をやると、驚きを隠せない様子でその目を見開く。
男が目をやった先にいたのは、先ほどまでシグナムと別れの挨拶を交わしていたオリヴィエだ。
オリヴィエも男が何者か知っているようで、彼に向けて深く頭を下げた。
無言の応酬を交わす二人に気を取られながらも、衛兵は我に返り慌てて俺の方を向く。
「――失礼しました。陛下、聖王連合ゼーゲブレヒト家から使者の方がお越しです」
衛兵に紹介されて、ゼーゲブレヒト家がよこした使者という男はオリヴィエから俺の方に改まって向き直り、右手を左胸に当てて一礼してきた。
「グランダム王国国王ケント・α・F・プリムス陛下でいらっしゃいますな。わたくしはゼーゲブレヒト王に仕えるサイノスと申します。本日は世俗の間で聖王と呼ばれている我が国の王から、ケント陛下への伝言を預かり御前に参上仕りました。ただその前に、陛下の後ろにおられるご令嬢にも挨拶をさせていただいても構いませんかな?」
サイノスと名乗る使者の要望に、俺はオリヴィエの方を見て、彼女の顔色をうかがう。
オリヴィエが俺に向かって首を縦に振るのを見て、俺もサイノスに彼女への挨拶を許した。
サイノスは十歩ほど足を進めてオリヴィエのもとへ歩み寄り、再び手を胸に当てながら一礼し、オリヴィエもそれに対して、ドレスの端をつまみながら礼を返した。
「お久しぶりですオリヴィエ聖王女殿下。こうしてお会いできるのは、殿下がシュトゥラに留学されて以来ですな。あれから数年の間にますますお美しくなられたようで、妻子持ちの身でありながら思わず目を奪われてしまいましたよ」
「お世辞が過ぎますわサイノス伯爵。こちらこそご無沙汰しております。伯爵のご子息とお嬢様はお元気でいらっしゃいますか?」
「ええ。せがれの方は二年ほど前に聖王陛下から騎士の叙勲を受け、聖王宮にて陛下の御為に尽くさんと日夜修練に励んでおります。ただ、娘の方は殿下が留学に行かれて以来、悲しみのあまり枕を涙で濡らす日が一年ほど続いておりましてな。今はようやく立ち直ってレディとして教養を身につけるべく、研鑽の日々を送っております」
「まあ、それは驚きです。伯爵のお嬢様は私などよりとても心がお強い方だと思っていましたのに」
二人は笑顔を絶やさずそんな身の上話をしている。
しかし、オリヴィエの声音はクラウスやエレミア、俺たちと話している時と比べたらどこか空々しく、サイノス伯爵とやらもそれがわかっているようにオリヴィエと話を続けていて、二人ともうわべだけを取り繕いながら話しているようだった。
一通り互いに近況を語り終えると、伯爵はクラウスの方に体の向きを変えた。
「お初にお目にかかりますクラウス殿下。殿下のご雄姿はかねがね、鮮やかな碧銀の髪と《聖者の印》とも言われる異色の瞳、一目見てあの名高きクラウス王子とわかりましたぞ」
「いえ、こちらこそ初めましてサイノス伯爵。シュトゥラ王国第一王子、クラウス・G・Sイングヴァルトと申します」
伯爵に声をかけられクラウスはあらためて自らの素性と名を名乗った。しかし、オリヴィエと違い、クラウスの表情は緊張で硬くこわばっている。
片や、伯爵は他国の王族と接する機会も多いのだろう。余裕の笑みでそれを受け流した。
「クラウス殿下とお父君に置かれましては、オリヴィエ王女の留学に際して多大なご配慮を頂き感謝の念も堪えません。我が王も深く感謝しているとのこと。ベルカの安寧のためにも貴国とは今後とも良き関係でいたいものですな」
「こちらの方こそ、オリヴィエ王女の留学先に我が国を選んでいただけたことは身に余る光栄だと思っております。それに王女の明るさには私も陛下もいつも元気づけられています。できるだけ長く我が国に滞在していただきたいと思っているぐらいです」
クラウスの方は社交辞令というだけでなく本心からそう思っているのだろう。すらすらとそう言った。しかし、最後の一言を聞いた途端伯爵の顔が険しくなった。
それを見てクラウスも訝しげな表情をする。
「あの……伯爵殿?」
「――ああいえ、そうですな。今後の情勢次第ではそれも叶うかもしれませんな。……ところでオリヴィエ殿下、今までクラウス王子と共にグランダムにご滞在されていたようですが、聖王陛下から仰せつかった例の言付け、ケント王にはお伝えいただきましたかな?」
伯爵のその問いに尋ねられた当のオリヴィエもクラウスも、表情を曇らせる。
「ええ、委細漏らさずに。しかし……」
断られたという言葉をオリヴィエは飲み込んだ。いずれ報告しなければならないとしても、この場でそれを明らかにするのははばかられたのだろう。
しかしその反応が既に答えを示しているも同然だった。伯爵は一層険しい表情を作る。
「そうですか……ケント王の返答次第では今回陛下から発せられる声明は、王にとってもグランダムにとっても吉報となるに違いなかったでしょうに」
そう言ってから肩を落とす仕草を見せる伯爵に、この場にいる人間は皆揃って眉をひそめる。聖王家の人間であるオリヴィエも例外ではない。彼女だって何も知らないのだろう。
伯爵の言葉の意味が気になりながらも、他国の人間であるクラウスたちまで謁見に立ち会うわけにはいかず、クラウスたちは騎士団を引き連れてこの城から出立し、俺は宰相たちと共に謁見の準備をすることになった。
◆
そして例によって、高官たちに囲まれて玉座に座る俺とその前にひざまずく伯爵との間で書状の受け渡しが行われた。
しかし書状の内容を見た途端、俺は驚愕のあまり自分の目が大きく見開いたのを自覚する。
「……伯爵、念のために確認するが、これはグランダム一国への要求か?」
俺の問いかけを伯爵は首を横に振って否定する。
「いいえ、書状に書かれている通り、
……どうするかな? イクスのことだ、あまりの衝撃に卒倒してそのまま寝込みかねない。
わずかに眉を寄せる俺を見ながら伯爵は不敵にほほ笑む。
これはあきらかに聖王連合に対立する国々への“脅迫”。見方によっては宣戦布告とも取れるだろう。
こんなもの、本当に聖王が自分の意志で書いた物なのか?
【ベルカに打ち建てられたすべての国と各国を代表する王たちに告げる。
我らが母なる地ベルカの上で不毛な争いが繰り広げられるようになって久しく、未だベルカは混迷極まる状況にある。
我々は今こそ手を取り合わなければ、ベルカすべての国を統合する唯一無二の連合国家となって。
それを実現するために余は《聖王のゆりかご》の起動を決意した次第である。
その船がベルカの空を舞った時、争いを続けるすべての者は己の愚を悟りそれを悔やむだろう。
だがそのような結果を待つまでもなく、諸君らは自らの過ちに気付くことができると余は信じている。
そこで余は隣人たる諸君らに猶予を与えたいと思う。
六ヶ月後の今日と同じ日の正午、各国の王たちにはそれまでに聖王連合への加盟を表明してもらいたい。
それに同意しない国が現れた場合、残念ながら我々聖王連合は当該国に対して、然るべき対応をとることになる。
半年後、ベルカと聖王連合が生まれ変わる記念すべき日に一滴の血も流れないことを祈るばかりだ】