聖王が各国に向けて《聖王のゆりかご》の起動を表明してから二ヶ月。
それまでの間に、今まで独立を保っていた国々――通称『独立国』の中から少なくない国が、聖王連合への加盟を表明した。
しかし、シュトゥラなどの有力国を差し置いて中枢王家が実権を握る連合の内情や、古代兵器による加盟強要に不満を持っていた国々も多く、連合と敵対しているダールグリュン帝国に自ら下る国や、加盟に応じず怪しげな商人やギルドを出入りさせている国など不穏な動きを見せる所すらあった。
このような情勢でもダールグリュン帝国は当然のように連合加盟に応じず、最近では近隣国の方から進んで軍門に下ってくるということもあってか、他国を侵略するような動きも見せず沈黙を守っていた。
我がグランダムも、その保護国となっているガレアも、連合には加わっていない。中枢王家への不満もあるが、一番の理由はやはり連合と帝国・反連合の戦に巻き込まれる恐れがあるからだ。その意味では現状において帝国に与するのも危険と言えるだろう。
さて、ここで我が国を脅かすもう一つの危機の方に話を移そう。
ガレア戦後に王宮や王国政府が直面した財政危機。
それを解決するために考え出されたのが公債の発行。しかも自国の富裕層だけでなく、他国の富裕層や貴族に売るという案だ。
その案は先述した『聖王のゆりかご起動宣言』によって、一時は廃止も考えられた。
しかし、それに異を唱えたのがなんとあの宰相だった。俺が公債発行の案を話した時に難しい顔で渋っていたあの宰相がだ。
宰相の考えでは、聖王の宣言によって、これからベルカ各国は深刻な経済危機が起こる可能性が高く、人々、とりわけ多くの金を扱う富裕層は手元に留保してある現金を債権の類に替え、自らの手元に配当のような利益が入ってくるようにしてくるはずだと。
おそらく宰相には現在までに各国がどんな動きを見せるのか、あの宣言が発布された時点ですでに予測がついていたのかもしれない。
とにかくそうして王宮から有史ベルカ史上初の公債『グランダム復興債』が発行され、国内外の富裕層にそれを喧伝していった。
それは結果から言えばうまくいった。
発行した復興債はほとんど
最悪の国と呼ばれていたガレアを倒し、傘下に置いたグランダムの信用は思いの外高かったらしく、他国、主に周辺国から復興債の注文が相次いだ。
最初は高利で貸し付けようとした国内の豪商も、俺に融資を受ける気がないと知ると、せめて行きがけの駄賃でもというように、低利率を承知で復興債を買っていった。
だがこれほどの成功に至った最も大きな要因は、半分以上の債権をある人物が大量に買い取っていったことだろう。だがそれは、俺や宰相にとって恐るべき不測の事態でもあった。
発行した復興債を半分以上買い上げた、言い換えれば我が国の負債を半分以上立て替えたグランダムの
その大人物の名は『ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン』……俗に《雷帝》という異名で呼ばれる、ダールグリュン帝国の皇帝だった。
……いや、まずいだろうこれは。
執務机に積まれた債権者名簿の一枚を両手に取った状態で、俺は思い悩む。
名簿の中間あたりにその名はあり、名前の横には赤ペンでチェックマークが付けられている。復興債を最も多く保有することを意味する印なのだが、俺から見れば「こいつには気をつけろ」という印にしか見えない。
実際、これは帝国が我が国の負債の大半を握ってるも同然の状況だ。
しかし、俺たちとしては後悔よりも困惑の方が勝っている状態だ。俺もあの計算高い宰相も、まさか帝国の皇帝が巨費を投じて、潰れかけの国が出した公債を買いあさるなどと考えもしなかったんだから。
ゼノヴィア皇帝、そして帝国は、この債権を盾に我が国に服従を迫るか、もしくは債権回収を理由に攻め込むつもりなのだろうか?
皇帝の目論見が後者ならばそれは絶対に回避しなければならないし、前者もできれば避けたい。現在の情勢下で帝国に下るということは、聖王連合を完全に敵に回すことになりかねないからだ。
しかし、皇帝の狙いが我が国の属国化、もしくは侵略の口実付けだったとしても、復興債を買い付けるのに彼女が投じた金はあまりに巨額だ。元を取るだけでもかなりの手間がかかるのではないだろうか? ディーノ戦から思っていたが、かの人物が何を考えているのかまったく掴めない。
それと関連して、気になる名前がもう一つ。
ゼノヴィア皇帝の数段下にあるその名前に俺は視線を移し、持っているペンで自らチェックマークを入れる。
『エリザヴェータ・ダールグリュン』。
姓からして明らかに皇帝の親族だろう。ミドルネームを記入しないあたり、おそらく帝位継承権から遠いほどの縁戚。
貴族、平民ともに、血縁関係もなく君主と同じ姓を名乗ろうとする者が現れることは滅多にない。王族を自称した者が不敬罪、詐欺未遂罪で捕まり、そのまま処刑された例が古代でいくつかあったからだ。加えてエリザヴェータという人の住所欄に記入されている地名は、帝国内のとある郊外を指しており、彼女が帝国人であることに疑いの余地はない。
彼女からの出資額は我が国の豪商より少し多いほど、皇帝と違って資産運用の域を出ないくらいか。
とにかく、皇帝からの債務の返済は絶対に滞らせるわけにはいかない。
復興債の返済は十年後、それまでの間に年二回債権者に支払う利息が彼らの利益となる。
最初の利払いは公債発行から半年後、二か月経過した現在から見ればわずか四か月後となる。
俺の視線は名簿から、多くの数字が羅列された書類へと移動する。
この書類は来年度までに取れると思われる税収の見込み額が記載された試算書を、つい先ほど修正させたものだ。
当初の試算では利息を払うのに十分な税収が、これから国に入ってくる計算だった。しかし、最近になってある問題が明らかとなった。
最近各地で農産物の収穫量が減少している。それもグランダムだけでなく聖大陸すべての国で。
不作の原因は悪天候と土壌の汚染。
各地の戦で使用されている《
それによってベルカ全土のいたるところで、食料品の値がじわじわと上がり始めている。
この影響で我が国の財政計画も、当初立てた予定より大幅にずれが生じることになった。
……今年はぎりぎり足りる。だが不作のせいで二年目以降は厳しい。それに今の情勢では再び他国が我が国に攻め込んでくる可能性も十分ある。戦に備えて軍備を整えたいところだ。
軍事力の確保、利息の支払い、そして十年後の債権の返済。
それらのために我が国の財政をもっと盤石なものにしたい。
そのために取れる方策が思いつく限り二つ。
一つは自国から取れる租税の徴収額を上げること。
もう一つが他国を侵略し、そこから税を徴収して国庫に組み込むことだ。
前者はもしもの場合の対応策として考えてはいたが、今となっては論外だ。
食料が値上がりし始め
地方を治める領主たちも強く抵抗してくるだろうし、従ったとしても国に取られた分を補うために、領民に対してさらなる増税を強いてくる恐れが大きい。それが今の好景気の恩恵にあずかりにくい農村や町で行われたら目も当てられない状況になる。
よって残るもう一つの案が近隣国への侵攻。
君主の意志に反して、自国が利益のために他国を侵す国と化す。聖王連合加盟や豪商の内政干渉を防いだことで回避したはずの未来が、再び現実味を帯び始めてきた。
増税はできない、他国を侵すことはしたくない。しかし、この二つ以外に国庫に入る歳入を増やす方法が見つからない。
……駄目だ。一人で考えても時間を無為に費やすだけでらちが明かない。
こうなれば……。
◆
「それで我らを集められたのですか」
開口一番にそう言ってきたシグナムに対し、俺はうなずきを返す。
例のごとく、ここは俺が仕事や勉学の合間を縫って休息をとる時に通う中庭だ。最近ではヴォルケンリッターやティッタやイクスといった、気を許せる者たちと相談をしたり、雑談を交わすのにも使っている。
俺は部屋を出るとともに、念話で上記の仲間たちを呼んでここに集めていた。
「おいおい、相談する相手を間違えてねえか? 宰相っつう兄ちゃんや、ガレアの王様やってるイクスはともかく、あたしらは政治になんて関わったこともねえぞ」
「い、いえ、私はガレアにいた時はほとんど眠ってて、起きている時も周りの人たちの意見にうなずくだけのお飾りだったんです。だから、私も政治の事はあまり……」
ヴィータの指摘にイクスは慌ててそう釈明する。
二月前にイクスが公債の案を出してくれた時は、曲がりなりにも一国の王だと感心したものだが、政策について深く入り込んだところまではさすがにお手上げらしい。公債についても先史時代からの知識という話だからな。
ちなみにヴィータの話に出てきたもう一人の人物、宰相にはすでに相談はしている。しかし、今のところ彼にも良い案が浮かばないとのことだ。
あと、ヴィータは知らないようだが、彼は父が若い頃からすでに宰相を務めていて、結構な年なのは間違いない。この間孫が生まれたとか言ってたような。
まあそれはともかく……。
「お前たち守護騎士の主の中には、どこかの領主もいたんだろう。その領主がこういう問題に直面した時にどんな対策を取りそうか、想像くらいはできないか?」
「増税」
「侵略」
俺が向けた質問にシグナムとヴィータはほとんど同時に答えを返してきた。どっちの案も俺が考えてボツにしたものだ。
「敵や市民、時には自分の部下からも、リンカーコアと魔力を奪っていくような主たちでしたからね。闇の書さえ完成させてしまえば主に楯突ける者などいなくなりますし、彼らなら躊躇いなくその二つを取るでしょう」
顔をしかめる俺に、シャマルは苦笑いを浮かべながら解説してくれた。
強大すぎる力は人を歪めてしまうものらしい。俺もそうならないように気をつけなくてはな。
「それ以外の方法を頼む」
俺がそう言うと腕を組みながらザフィーラは考え、そして思いつく限りの案を出してくれた。
「そうですな……国の支出を減らしたり、人口が増えるような策を立てるなどされてはどうでしょう。主にはすでに浮かんでいるような考えかもしれませんが」
ザフィーラの言う通り俺もそれは考えている。
しかし、どちらも口で言うほど簡単ではない。
まず、歳出についてはすでに可能な限り抑えている。
元々グランダムは連合、帝国、ガレア、またはその影響下に置かれている国々に囲まれているため、いつ戦が起こっても不思議ではない。そのため我が国では軍事費以外の予算は、その使い道をかなり厳しく精査されたうえで決められている。
つまり、今でもぎりぎりまで切り詰めているのだ。
そしてザフィーラが挙げたもう一つの案である人口、つまり働き手を増やすというのも、税収を増やすためには欠かせないことだ。
現に人口が少ない農村では、領主が領民同士に結婚を勧めて子供を多く作るように求めてくることがしばしば起こる。
侵略を行う目的も他国の人間を自国に組み込んで、税を払ってもらうことが根幹にあると言ってもいい。
だが、生まれた子供が働き手に育つまでかなりの時間がかかる。
そのうえ今は……。
「グランダムに限らず、聖大陸全土で土地の不毛化が起きている。この状況でやみくもに人口を増やせば、歳入増どころか、近い将来食糧危機が起きてしまう恐れがあるな」
「そうでしたか。申し訳ありません。主のお力になれず」
謝るザフィーラに、俺は首を横に振りながら、「いい」と返事をする。
俺も宰相も文官たちの誰も、それ以外の方法を思いつけないんだ。ザフィーラを責める気は毛頭ない。
「税収か、お兄様も大変だね。私はつくづく王家なんかに生まれなくてよかったと思うよ……女好きだった
ティッタはわざと軽口を叩くことで重くなった空気を和らげようとする。
しかし、その努力もむなしく、考えに行き詰まった俺たちは何も言うことができずに沈黙し、中庭はしんとした静寂に包まれた。
かなり長い間を空けて、それを破ったのは二月前同様……
「いっそこの国の外に知恵を求めるしかないかもしれませんね」
「……イクス?」
名ばかりのガレア王にして、我が国では軍医見習いとなっている少女、イクスだった。
無意識に彼女の名を呼んでしまった俺に対して、イクスは慌てて手を振りながら、
「――あっ、すみません! なんとなく思ったことがつい口から出て――」
「いい。何か浮かんだのなら言ってみてくれ。どんな話でも聞かないよりはましかもしれない。それにイクスならこの間みたいにいい案が出せるかもしれないしな」
俺に促され、イクスは恐縮しながらもおずおずと口を開く。
「ええと……今は土地が枯れているせいで、農村からあまり税を取るわけにはいかないんですよね。それは仕方のないことだと思います。だから税収を増やすには、都市運営の方に力を注ぐしかないのではないかと私は思います。その参考に出来そうな都市が、この国の南にあると聞いたことがありますが」
「……『自由都市リヴォルタ』か」
リヴォルタはこのグランダム王国の南にある、どの国からも独立した自治都市だ。
五つの巨大な街区で構成されていて、全体の規模は聖王都やダールグリュン帝国の帝都より大きい。
しかし、リヴォルタには正式な軍は組織されておらず、いくつかの傭兵団が自警団として治安を担っているという状況だ。そのためか、あの街では窃盗などの軽犯罪から誘拐や強盗殺人といった凶悪犯罪まで絶えず起こっており、安全面に関しては疑問がある地域でもある。
それに都市運営は農村より難しい。
財力と学のある市民が為政者に抵抗し、思ったより税が取れない場合があるからだ。かつてリヴォルタを統治していた領主も王も自治を求める住民の声を抑えきれず、市の運営を住民に任せたという。
しかし、今は従来通りに農村を中心とした領地から税や作物が取ることができない状況だ。
都市運営に手を付けるのもありかもしれない。
「よし! 駄目で元々だ。お前たちの今までの働きに報いて休暇でも与えてやりたい頃だと思っていたし、都市運営の勉強のために一度リヴォルタへ行ってみるか!」
俺のこの一声に、
「休暇など我らにはもったいない。しかし、主ケントがそこへ行かれるというなら主をお守りするため、我らもお供しましょう」
とシグナムが、
「ケントのお供って休暇とは言えねえじゃねえか。まっ、ベルカ一の都市なら何か一つか二つ面白いものが見られるかもな」
とヴィータが、
「みんなでですか……困ったわね。留守にしてる間に怪我をした人が出るかもしれないから、長期間医務室を空けるわけには」
「あっ、それなら私に任せてくださいシャマルさん。私は大きい街とか過去の時代で見慣れ――あまり興味ないので」
「そう? それじゃお願いできるかしらイクスちゃん」
最近小さい子に肩の力が抜けそうな呼称をつけるようになったシャマル、
「リヴォルタかー。おいしいお店があちこちにあるって聞いて、一度行ってみたいと思ってたんだよなー。お兄様、慰労っていうからには、当然アタシら臣下に御馳走くらいしてくれるんだよね?」
目を輝かせながらねだってくるティッタが続いた。
「…………」
ザフィーラは特に何も言わず、黙ってその場であぐらをかき続けている。特に反対というわけでもないのだろう。
その後宰相からの許可も得て、イクスを除いた俺たちのリヴォルタ行きが決まった。
この時はあの都市であんな連中に遭遇するとは夢にも思っていなかった。
ある意味“守護騎士の複製”ともいえる能力を持つ超人たちに会うことになるとは。