『自由都市リヴォルタ』
そんな名をつけられている街のまわりは巨大な外壁に覆われており、その壁の東西南北には一つずつ巨大な空洞が開けられ、そこを通って人々は街を出入りしていた。
その穴は門と呼ばれ、宵闇がベルカの曇天を覆うまでは、常に二人の兵が門を守っている。無論、同じ兵を半日間ずっと門の前に立たせているわけではなく、数刻おきに交代を重ねて門を守る兵は何度もその顔ぶれを変えている。
街に出入りするための四方の門のうち、北側の門で俺たちは門番から身元を検められていた。
「ケント・セヴィル殿とその御一行様、確かに確認しました」
俺たちの身分を証明する大きな紙に書かれた国籍と役人のサインを見た門番はそう告げる。
「では、街へ入る前に通行料を徴収させていただきます」
街へ入るために必要な料金を請求され、俺は懐から袋を出しそこから何枚かの金貨を出した。グランダムなら出入国するのにこれくらいで充分足りる。
「グランダムの通貨だが構わないか?」
「ええ、もちろん……ただ、これは少し多すぎますね。二枚ほどお返ししますよ」
金貨を受け取った門番は、そのうち二枚を本当に俺の手に返してきた。
街に入る前に早速リヴォルタとグランダムでの違いを知らされたな。入国料はこちらの方が数段低い。貿易を主産業とする都市ならではの価格設定か。
ただ、本来の通行料はもう少し安いのかもしれない。うっかり多めに納めてしまった金貨の内、二枚くらいはこちらに戻ってこずに、こいつらの小遣いになってしまうのだろう。
額を聞いてから出すべきだったと一瞬悔いたが、幸い全部は取られなかったことだし、丁寧に通行手続きを取ってくれる彼らへの心付けだと思い直すことにした。
そう考えている俺を前に、門番は懐からペンを取り出して、身分証に近づける素振りを見せる。
「では料金を領収した証として、証明書に私のサインを書かせていただきますが、構いませんね?」
「……サイン? なぜそんなことを?」
門番の行動に対し、俺の表情は訝しげなものを見る顔になっているだろう。
すでに書かれてある文言を塗り潰されでもしない限り、証明書に何を書き加えられても別に不都合はないが、一般の国や都市の壁門ではまず見られない段取りだ。
そこへ入る時も出る時も門番は通行料を受け取るのみ。なぜ領収した証など……。
「この都市から出る時にこの証明書に我々のサインが書かれていなければ、再度通行料が徴収されることになっていますが、それでも構わないのですか?」
そうか! 証明書に門番のサインがあれば、街から出る時に通行料が免除されるのか。
さっきも述べたが俺の知ってる国や都市では、入る時も出る時も通行料がかかる。
通行料を払って一度そこへ足を踏み入れてしまったら、旅を続けるためだろうと故郷へ帰るためだろうと、そこから出るためには、もう一度通行料を払わなくてはならない。つまり永住でもしない限り、二度は通行料を納める必要があるということだ。
しかし、この都市では入るためには料金が必要になるものの、都市から出る時はそれを払わずに済む措置を取ることができるらしい。
通行料が低いうえに徴収するのは片道だけか、通行人にとってはありがたい施策だな。
これをグランダムでやったら、民の負担も軽くなり、他国からの客も増えるようになるかもしれない。試しに一度行ってはみたいが……おそらく無理だろう。
リヴォルタのような自由都市と違って、ほとんどの都市では通行料を取っているのは、その地を治めている領主だ。
彼らの中にはこれと似たような仕組みを思いついた者も少なくないに違いない。しかし、それをすれば領主たちに入ってくる金が減る。だから彼らはあえて現状のまま行きも帰りも料金を取り続ける。
国全体よりもまずは自分の利益が優先。これが封建制の世を支配する領主たちの行動原理だ。
通行料を低く抑え、さらにそれを減免する施しを与える。それは国より規模が狭く、なにより市の為政者たちが市全体に金を落としてもらいたいという考えを持っている自由都市だからこそ取れる手だろう。
とにかく、門番の申し出に対する俺の返答は一つだけだ。
「……サインを頼む」
俺がうなずくと門番はすぐに何かを(間違いなく彼自身の名だろう)証明書に書き込み、俺に返してくる。
「確かに記入しました。くれぐれもなくさないでくださいね。……ところであなたはたしかケント殿というお名前でしたね? あなた方が住んでいるグランダムという国の王も、確かケントという名前だったと記憶しているのですが。その左右異なる眼の色といい、まさかあなた……」
「……偶然にも王と同じ名を持っている。恐れ多いので改名したいところだが、名を付けてくれた亡き両親を思うとそうもいかなくてな」
門番の勘繰りにひやひやしながらそう言い訳する俺の後ろで、騎士たちの中から何人かが忍び笑いを漏らしていた。そのほとんどがヴィータとティッタの口から漏れる声だ。
……そういえばこの書類にでっち上げた身元でも、俺とティッタは兄妹ということになっていたな。
「俺たちの左右違う眼の色も偶然なんだ。なあ妹よ!」
「えっ、アタシ!? ――そう! そうなんですよ。私たちの家系もこの通り
(何やってんのよこの兄妹は)
俺たちの後ろでシャマルが大きくため息をつき、門番は怪訝そうな目を俺とティッタに向けた。まあ、ここまではおおよそ狙い通りの反応ではある。人が慌てふためく姿を笑って見ている何人かの一人であるティッタに意趣返しがしたかったのも本当ではあるが。
「……まあいいでしょう。ただ、これだけは覚えてください。このリヴォルタには多くの国から来客が訪れています。商取引、旅行、観光などのためにね。その中には大国の貴族、時には王族までもが身分を忍んでいらっしゃっている。そのため、あなた方がグランダムでどのような特権を持っていようと、この都市の中では適用されません。それだけはくれぐれも忘れないでください」
誤魔化される風を装いながらも、門番は最後にそう念を押してくる。
外賓として訪れるならまだしも、身分を隠してくる以上特別扱いは期待するなということだ。
むろん文句はない。首を縦に振って応じる。
「わかっていただけたようで何より。ようこそ自由都市リヴォルタへ。あなた方のお越しを歓迎させていただきます」
「門を抜けたら、すぐ左側にある両替商を訪ねることをお勧めします。リヴォルタでは為替に関して協定が交わされているため、他国の通貨がまったく通用しないということはありませんが、市内通貨の方が決済がすんなりと進みますから」
二人の門番から歓迎と忠告を受けて、俺と騎士たちは門を通りリヴォルタへ足を踏み入れる。
◆
リヴォルタは元々ある国の商業都市だったが、戦乱の中で魔導武装、魔道具の販売によって財を成し、発言力を得た商人たちが当時の領主から自治を勝ち取ったことが自由都市としての始まりとされる。
その後、しばらくは領主もまだこの街に留まり続け、何かにつけて市民たちから税を取ろうと試みたが、市の財政に大きな影響を持つほどの財産と、それで傭兵を雇い私兵まで持つようになった商人、職人たちに押され、逆に減税せざるを得なくなったという。
しだいに領主はリヴォルタの外に新たな領土という収入源を求めるようになり、手柄を上げようと戦争に参加したがそこで討ち取られ、領主のいなくなったリヴォルタ領は国王の直轄に戻ったが、国王もリヴォルタの扱いを持て余したが為にこの街の運営に口を出すことはなく、どの諸侯にもこの地を与えることもなかった。
後にその国も戦火に焼かれ滅びたが、敵国はこの街を侵す真似をしなかった。彼らは密かにこの都市から武具類を買い取っており、攻め滅ぼしてしまうより取引を続けた方が都合が良かったからだ。
そんな紆余曲折を経て、都市リヴォルタはどの国からも独立した場所となった。
現在のリヴォルタは都市を代表する市長と市長を補佐する数百人の議員を選挙で選び、彼らに市政を任せる形で運営されている。
だが都市に住む住民のうち、選挙に立候補できる市民も投票できる市民もわずか一握りだ。
まず議会を構成するために必要な数百人の議員は立候補した市民たちの中から選ばれるが、議員に立候補するには難関な試験に合格したうえで、市に高い登記手数料を払わなければならない。
また候補者に投票するためにもある程度の読み書きができる必要があり、納税額が一定以上に達した者しか投票権が与えられない。
つまり、学に秀でていて裕福な市民だけが立候補と投票に参加できる仕組みになっている。
学については俺も理解できる。しかし、登記料と納税額で多くの市民たちを選挙からふるいに落とす理由には釈然としない。
事前に聞いた話では、税も払えない貧民が議員となり何らかの方法で議会を牛耳るようなことが起これば、不当な税制を作って市民の財産を収奪するような事態が起こりかねない。という意見がある商人から上がったためらしい。
とりあえず今はそのことは置いておこう。
そうして一部の市民によって選ばれた数百人の議員たちは、さらにその中からただ一人の市長兼議長を選出する。
議員には通常十年足らずの任期を定められているのに対し、市長は本人が望む限りその地位に留まり続けることができる。
おそらくは市長という権力が空洞化したところを、他国から狙われるのを危惧しての措置だろう。
ただし、議会には市長を弾劾する権限を有しており、市の長としての権力の濫用は容易ではない。だが市長と議員たちが手を結べばその限りではなくなるだろう。
領主の子らが生まれながらに支配権を握ることが約束された封建制国家と違って、市民たちの支持を得た者が指導者となる民主政が取られている“自由都市”。
しかし、その実態は富裕層や彼らの代弁者たる議員たちが支配する“都市国家”。
そんな都市に俺たちは身分を
◆
門番の勧め通り、所持金の半分ほどを市内通貨とやらに両替して、俺は騎士たちと共に『リヴォルタ北区』の街並みを見渡していた。
街中にごった返した群衆、彼らに商品を売りつけるために地べたに敷物を敷いて品々を並べて座る露天商、大勢の人々が出入りしている建造物の数々。
騎士たちも俺も、目の前に移っている光景に圧倒されるばかりだった。
「うおー! 人も建物もいっぱいだ。ここだけでもグランダム王都より賑わってるんじゃねえの?」
「――おいヴィータ!」
今まで見たこともないほど街の賑わいに当てられ、思わずこの街とグランダム王都を比べるようなことを言うヴィータをシグナムは叱責しようとする。
だが、グランダム王都の領主である俺は、実のところヴィータに似た思いを抱いていた。
「……まあ、この中の一部がグランダムに来てくれるおかげで、今の繁栄があると言っても過言じゃないからな」
現在グランダムは防衛力が評価されて、各国から多くの行商人や旅行客が訪れ、彼らが落としていく金で好景気のさなかにある。
だが、行商人はともかく、旅行客の多くはこのリヴォルタにいる、あるいは訪れた観光客のごく一部だということは、この街を眼前にしており度々交易も行っているグランダム南部の領主たちにとっては周知の事実だ。
『リヴォルタを練り歩くのも疲れたな。どこかにのんびりできる場所ないか?』
『北にグランダムって国があるらしいけど、そこなんてどうだ? ガレアに勝ったくらいだから、ちょっとやそっとじゃ戦火に巻き込まれる心配もないぞ』
という会話を実際耳にした者もいるらしい。
グランダムの王としてそれを悔しいと思う気持ちはもちろんある。しかし、この街の活気を見て思わず、かなわないなと納得してしまったのも事実だ。
「陛下?」
複雑な気持ちになって、たそがれている俺にシャマルが心配そうな声をかけた。
「すまない、俺なら大丈夫だ。……それより今は陛下はよせ。一応身分を忍んでいる最中だぞ」
「す、すみません。ケント……さん」
慣れないらしく、照れくさそうに顔を赤らめながらシャマルは俺をさん付けする。
そこへ、
「おい! 何をいちゃついてんだ。無防備女医とむっつり兄貴」
「――うぉ!」
「ティッタちゃん!?」
俺とシャマルを押しのけて、その間にティッタが割り込んできた。
顔を輝かせ興味深そうにこの北区の街並みを眺めている時とは一転、今のティッタの表情は不愉快そうな色で染められている。
「なに? 体を押されたくらいでまさか不敬罪とか言わないよね。王様じゃあるまいし」
「……今さらそれぐらいでそんなことを言うつもりはない。王様だったとしてもな」
最初の門番とのやり取りの時点でお分かりの通り、俺たちは現在身分を隠してリヴォルタの街に入っている。
俺がティッタの姓を借りてケント・セヴィルと名乗っているように、他のみんなも適当な名字をつけ、王宮ぐるみで仮の身元をでっち上げた。この中で本名を名乗っているのはティッタくらいだ。
しかし宰相やシャマルの言うところによれば、身分を隠し過ぎてもいけないらしい。
あまり過剰に身分を隠して街へ入ろうとすると、何か良からぬ企みをしているのではないかと都市側から邪推され、余計な警戒心を持たれかねない。
俺がグランダム王かもしれないと匂わせつつも、断言はしない。
それで向こうも、隣国の王がお供を連れてお忍びで来たのだと察してくれるものらしい。
故に、俺は瞳の色を変える魔法などで虹彩異色をごまかす真似はせず、
しかし今考えれば、門番に勘付かれて慌てふためいている俺の姿が見たいがために、そんなことをさせられたんじゃないかという気もしてきた。女装案まで出てくるぐらいだったからな。実現しなくてよかったと本当に思う。――ちなみに女装の案を出したのはシャマルだ――
こんな調子で俺たちのリヴォルタ視察は幕を上げることになる。