グランダムの愚王   作:ヒアデス

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第35話 魔導封じ

 自分たちを誘拐した賊たちがいる家の正面扉に向かいながら、ヴィータは拠点の左側を歩いているアロンドの方に目を向けた。

 ヴィータが見守る中、アロンドは外壁半ばほどのところまで行くとそこで立ち止まった。彼によればそこにもう一つ拠点内へ通じる扉があるのだそうだ。

 アロンドは半ズボンに手をやりすぐにその手を取り出す。暗さのせいでよく見えないが、ズボンについている衣嚢(ポケット)から何かを取り出していたのだろう。

 これからすることを考えるとアロンドが使っている武器だろうか? 衣嚢に収まるような武器と言えば、まさか……。

 衣嚢から取り出した何かを手に、アロンドはヴィータの方を見ていた。もし念話が使える状態だったら、アロンドから早くしろという思念が飛んできただろう。

 そんなアロンドに対してヴィータは心の中でわかってるよと答え、正面扉の前に立った後、右手に持っている愛槌グラーフアイゼンに呼びかける。

 

「グラーフアイゼン Installieren(インストリーレン)

『Anfang』

 

 ヴィータとグラーフアイゼンがそう唱えた直後、ヴィータの装いは私服から、グランダム軍の魔導鎧を基調とした黒い騎士甲冑に変わる。

 ヴィータの右手にはさっきまでと変わらずグラーフアイゼンが握られていて、左手だけが空いてる状態だ。その左手でヴィータは扉をコンコンと叩く。

 

 

 

 

 

 

 ここはかつて北西区を自らのシマとして開拓しようとした大商人が、住居兼店舗として使用していた邸宅だった。だが、商人はかなり前に北西区から逃げ出すように他の街区へ移り住んでしまい、この家はもう誰のものでもない。

 北西区に失業者や犯罪者が住み着き始めたせいで、区画全体がスラム化してしまい開拓を断念せざるを得なくなったためだ。

 そして今、商人一家に代わってここに住んでいるのは、大きな空き家に目をつけ拠点として利用している十数人の賊たちだ。

 この荒れた状態のまま捨て置かれている邸宅の広間にて、賊たちは……。

 

「それでは商談成立を祝して……乾杯!」

「「「かんぱーい!!」」」

 

 頭目の音頭に続いて、手下たちが銀杯をぶつけ合い、杯の中になみなみと注がれた酒を飲み干していく。

 杯をぶつけた時の衝撃で少なくない酒が床にこぼれ、室内には酒のにおいが充満していたが、賊たちは気にするどころか、これで酔いが回りやすくなったとのたまう始末だ。

 彼らが誘拐してきた子供たちのほとんどは、今日までの間に売却先が決まった。この乱痴気騒ぎはそれを祝って行われているものだ。

 ただし、倉庫に閉じ込めてある子供たちの中には、まだ買い手が決まっていない子が二人だけいる。

 その二人とは、賊たちが今日の昼に誘拐してきた赤毛の少女と黒髪の少年。

 どちらとも身代金の受け渡しは今日の夜に行われる予定であり、一応何人かの手下を向かわせているが、正直そちらはあまり期待していない。

 赤毛の少女の連れは旅人風の若い男女だ。いずれも少女とはまったく似ていないという話だったので、兄姉ではないのかもしれない。そうなると子供一人を返してもらうために、彼らが数千リヴォルも払ってくれるとはとても思えない。

 黒髪の少年にいたっては、広場のベンチで寝ているところを捕まえて、その場に身代金の額と受け渡し場所を記した紙を置いてきたという状況だ。その紙を少年の親兄弟が見つけてくれたのかどうかさえ分かっていない。

 だが、万が一少女と少年の保護者が身代金を払ったとしても、あの二人を返すつもりは毛頭ない。

 あの二人はどちらとも今まで連れさらってきた子供たちの中でもっとも顔立ちがよく、その上健康そうだ。あれならどこに売っても他の子より高い値が付くだろう。買い手もすぐに決まるに違いない。

 それを見越して賊たちは今持っている有り金を湯水のように散財して、酒食にふけっていた。要するにバカ騒ぎがしたいだけなのだこいつらは。もっとも、通報を防ぐための結界を張ってもらっている魔導師だけはこの騒ぎから外れてもらっているが。

 

「どんどん飲め。どんどん食え。遠慮はいらんぞ。明日には大金が入って来るんだ。おいそこの二人、向こうの方にまだ酒があったはずだろう。すぐ取ってこい!」

「……へい」

 

 頭目に命じられた手下二人は、不服そうな表情で応じる。酒盛りを始めたばかりでそんなことを言いつけるくらいなら、始める前に用意させればいいじゃないかと。

 そうふてくされながら手下二人は、酒瓶が置かれてある調理場の方に向かった。

 この二人は実に運がない。酒を一杯口にしただけですぐ小間使いを命じられ、宴の場から外れなくてはならないのだ。そして命じられた時機も悪かった。今ここにいればあと一週間は生きられただろうに。

 手下二人が姿を消してしばらくして、正面の扉を叩かれている音が聞こえてきた。

 頭目たちは一瞬怪しげなものを見るように顔を向けるがすぐに気付く。

 

「あいつ、やっと戻って来たか。ガキに飯やるのになにをちんたらしてたんだ」

 

 そう、魔導師とさっきの二人以外に、もう一人この場にいない者がいる。監禁している子供たちにパンを運んでいた者が未だに戻ってきていなかったのだ。

 頭目は愚痴をこぼしながら顎で扉を示す。

 それに応じて手下の一人が扉を開き、開口一番に文句を言った。

 

「おせえぞ。まさか売りものに手を上げてたんじゃねえだろうな――?」

 

 手下の前には誰もいない――ように見えた。だが目線の下あたりから。

 

「よう!」

 

 声につられて手下は視線を下げる。

 そこには赤毛を三つ編みに編んだ少女がいた。少女は黒い甲冑を装着し、右手には金属でできた槌が握られている。

 それを見た手下はつい呆気にとられる。

 子供たちは全員倉庫に閉じ込めてあるはずなのに? それに鎧を装着してる子供なんていたか? 大体あんな槌一体どこから?

 それらの疑問が頭の中に駆け巡り、呆けた面をさらしている彼めがけて少女、ヴィータは槌をぶつけた。

 

「ぐあっ!?」

 

 顔を殴打された手下はうめき声を上げながら室内へ吹き飛んでいき、他の手下や床に置いてある酒瓶、杯を巻き込んで横に転がっていった。

 思わぬ不意打ちと酒を台無しにされたことで頭目や手下たちは逆上し、顔を歪めながらヴィータを睨む。

 

「な、何だてめえは!?」

「このガキは昼間さらったばかりの」

「ガキどもはみんな倉庫に閉じ込めてあるはずだぞ?」

 

 騒ぐ賊たちを前にヴィータは拠点内にずかずかと足を踏み入れるが、室内に充満した臭気をもろに嗅いで思わず顔をしかめた。

 

「くっせえ。酒の匂いまみれじゃねえか。それに部屋中滅茶苦茶だし、まさか今まで一度も部屋を片付けたことがないんじゃないだろうな?」

 

 空いた左手で鼻をつまみながら、ヴィータは広間を見回す。

 そのヴィータに向かって、頭目は表情をゆがませたまま言葉をかける。

 

「お前、一体どうやってあそこから抜け出してきたんだ? まさか――」

 

 その問いにヴィータは槌を肩に担いでから答えた。

 

「そんなの決まってんだろう。飯を運んできた奴をぶっ倒して空いたままの扉から出てきたんだ。しかし、飯を持ってきたのが一人だけだったのは、さすがに予想外だったぞ。子供のとはいえ十人分の食事を持っていくんだから、後何人かは来ると思っていた。……おいてめえら、子供たち全員の食事がパン一個っていうのはさすがにひどすぎるんじゃねえか!」

 

 そう言ってヴィータが凄んで見せると、手下たちは「うっ」とうめきながら一歩後ろへ下がる。

 こんな子供に賊たちはなぜか身がすくんでしまう。相手は自分たちより半分ほどの背丈の少女にも関わらずだ。

 そんな情けない姿を見せる子分たちに、頭目は怒鳴り声を上げた。

 

「てめえらビビってんじゃねえ! よく見ろ! 相手はあんなちっこいガキだぞ! 俺たちに歯向かおうとしたらどうなるのか、その体に刻み込んでやれ!」

「お、おう!」

 

 頭目にどやされたことで、手下たちは気を取り直してヴィータに迫る。

 ヴィータは賊たちに槌を向けてニヤリと笑った。

 

「へっ、子供さらって飲んだくれてる小悪党どもが言ってくれる。やれるもんならやってみろ!」

 

 

 

 

 

 

「ぐあっ!」

「こいつ!」

 

 頭目に酒を持ってくるよう命じられ調理場で酒瓶を抱えていた手下二人の耳に、突然何人かのわめき声と物音が届いてきたのはそんな時だ。

 

「騒がしいな。あいつら悪酔いしすぎだろう。宴はまだ始まったばかりだぞ」

「こりゃ明日まで二日酔い決定だな。あそこにいるだけで酔っ払っちまう。ったく俺たちをこんなところに追いやって、自分たちだけ楽しみやがって気に入らねえ」

「せめてものお返しに、俺たちもここでお頭ご所望の酒を頂いちまうとするか」

 

 そう言って男は酒瓶を持ち上げながら口をつけ、もう一人もそれに続こうとする。

 そんな彼らの鼓膜に、ギギギという耳障りな音が聞こえてきた。

 一人は瓶から口を離し、もう一人は瓶を手に持ったまま音のする方を見る。

 その音は調理場にある勝手口から聞こえていた。勝手口についている鍵穴のあたりで今もまだ。

 そこで二人はまさかと思った。鍵穴から漏れてくるこの音はまるで。

 二人がそれに思い当たったのとほぼ同時に、勝手口の扉は勢いよく開かれる。

 

「いたいた。誰もいなかったらどうしようと思ってたぜ」

 

 開かれた扉の向こうにいたのは、短い黒髪で半袖半ズボンの服装をした少年だった。

 少年は右手に持った短刀をくるくる回している。

 それを見て賊二人は、

 

「まさか短刀で鍵をこじ開けたのか? そんな技一体どこで?」

「い、いや、それよりも、どうやってあの倉庫から出てきた? あそこは閂がかけられていて、鍵開けの技だけじゃ、あそこを開けることなんてできないはず……」

 

 うろたえる賊二人を見ながら少年、アロンドは手元で回していた短刀を逆手に持って口を開いた。

 

「そんなことどうでもいいだろう。今確かなのはこの俺が悪党どもを殺しに来たってことだけなんだからよ!」

「ぬかせ!」

「てめえなんか素手で充分だ!」

 

 アロンドの挑発に逆上した賊二人は酒瓶を後ろに投げ、徒手空拳のままアロンドに迫る。

 それがこの二人の生前最後の姿だった。

 

 

 

 

 

 

「ぐあっ!」

 

 ヴィータが振り回す槌が腹に入って、手下は悶絶し床に倒れる。

 これで手下たちは全滅し、今この場に立っているのは雑魚を片付けたヴィータと、唖然としている頭目の二人だけだった。

 

「そ、そんな馬鹿な?」

「残るはお前一人だぜ。痛い目見たくなきゃ武器を捨ててその場に伏せろ!」

 

 頭目に槌を向けてヴィータは投降を命じる。

 

「……な、何だ? 何なんだお前は!?」

 

 頭目は信じがたい面持ちで問いかける。それに対してヴィータは槌を肩に担ぎながら答えた。

 

「鉄槌の騎士ヴィータ。グランダム王に仕えるヴォルケンリッターの一人だ」

「グ、グランダム、あの闇の書を持つ王がいるという……」

 

 ヴィータの言葉を頭目は笑い捨てようとした。だができない。

 自らが従える手勢のほとんどをあっさり打ち払った少女を前にして、ヴィータの言葉を否定することができない。

 

「……ぐぬっ」

 

 苦虫をかみつぶしたような顔で、頭目は歯をギリギリと噛む。

 屈するわけにはいかない。

 このまま当局に突き出されれば、自分たちは縛り首に処されることになる。手下たちはもしかすれば労役で済むかもしれないが、自分は誘拐以外にもかなりの悪事を犯している。それらの事実も手下たちの口から露見されていくだろう。まず死刑は免れない。

 何よりいくら強いからといって、こんな子供の言いなりになってたまるか!

 そう強く思った。しかし、このヴィータという子供、真正面から戦って勝てる相手ではない。いくつかの戦を渡り歩いてきた、元傭兵としての経験がそう告げている。

 こいつに対抗できるのはもうあの男くらいしか。ここは何としてもこの場を逃れて、彼のもとへ行きたい。そのためにせめて一瞬だけでも奴の隙をつくことはできないか。

 そう思ってヴィータを前にしながら、こっそりと辺りを窺っていると、

 

「ようヴィータ。そっちはもう片付いたか? ――あん? まだ一人残ってんじゃねえか」

「アロンド――その血は!」

(しめた!)

 

 血まみれになってやって来たアロンドの姿を見てヴィータは青ざめ、その一瞬の隙をついて頭目は奥へ駆けて行った。

 

「――あっ! 待てよてめえ!」

 

 アロンドに付いた血が気になりながらもヴィータは逃げる頭目を追い、そんなヴィータをやれやれと冷めた目で見ながら、アロンドもその後に続いた。

 

 ヴィータとアロンドは荒れた邸宅を進みながら、賊の頭目を追い続ける。しかしこの中年親父、くたびれた見た目のわりになかなかすばしこくて距離が縮まらない。

 そうこうしている間に頭目はある部屋に飛び込み、ヴィータたちもその中に押し入った。

 部屋の中にはヴィータたちが追いかけていた頭目と、緑色のローブを羽織った若い男が床に座り込んでいた。男の側には酒瓶と杯が置かれており、仲間たちから距離を置いてここで一人飲んでいたことがうかがえる。

 

「あいつらだ。あいつらが仲間たちをのして、俺たちの計画を滅茶苦茶に……た、頼む。あんたの魔法であいつらを始末してくれ!」

 

 頭目に泣きつかれ男は立ち上がる。

 頭目の言葉と男の雰囲気でヴィータにも分かった。こいつが今まで思念通話を遮断していた魔導師だ。

 

「いいのか? 見たところ二人とも結構高く売れそうなガキだが。俺の魔法じゃ殺さずに済ませる自信はないぞ」

 

 ヴィータたちに目をやりながら、魔導師は頭目に念押しをする。

 頭目は口から泡を飛ばしながら、

 

「構わん! どのみちもうガキどもを売るどころじゃなくなった。かくなる上はあのガキたちもこのねぐらもすべて焼き尽くして逃げるしかない!」

「……そう言うことなら仕方ないな。悪く思うなよガキども」

 

 そう言うと魔導師はヴィータたちに右手を向け、その右手から赤く輝く三角の魔導師が浮かんでくる。

 それを見てヴィータは防御魔法の用意をするべく構えを取るが、アロンドの方は短刀を手に動こうとしない。

 

「何やってんだアロンド!? 早く防御しねえと」

「そんな必要はねえ。魔導師相手に俺がそんなことする必要があるもんか」

 

 そう言うとアロンドは右手に持った短刀をくるりと回転させる。

 

「お前からは色々と見せてもらったんだ。お礼にこっちも面白いものを見せてやるぜ」

 

 そう言うとアロンドはためらいもなく、その短刀で自らの左手を斬りつけた。

 

「――アロンド! お前一体何を?」

 

 アロンドが起こした行動にヴィータは激しく動揺し、二人に相対している頭目と魔導師も目を見張る。

 だが、本当に驚くべきことが起こるのはこれからだった。

 

『Engage koning 720 ――react』

(――発声機能! バカな、あれはもうずいぶん昔に失われた技術のはずじゃ?)

 

 アロンドの短刀が声を発したかと思うと、その短刀は瞬く間にまばゆい光に包まれていく。

 その後にアロンドが持っていた物を見て、アロンド以外の三人は自分の目を疑った。

 アロンドの手にあったのは小さな短刀ではなく、一振りの黒い剣だった。

 アロンドはその剣を片手で軽々と振るっている。

 

「《ディバイダー720 ケイマン・リアクテッド》。“魔導封じ”と呼ばれる武器の一つだ」

 

「魔導封じ……だと?」

 

 武器の形が変貌する様を間近で見たヴィータは、怪訝そうにその呼び名を復唱する。

 それに対して向こうにいる魔導師は、動揺を振り払うようにその(かぶり)を振った。

 

「下らん手品を、どんな剣を持っていようが懐に来られる前に焼き殺してしまえばいいだけのこと――くらえ、フレース・ファイエル!」

 

 そう唱えた直後に魔導師が展開している魔法陣から炎が噴き出し、それはアロンドに向けて一直線に放たれた。ヴィータは思わず叫ぶ。

 

「アロンド!」

 

 だが、

 

「――何!?」

 

 魔導師と頭目は眼前で起こったことに目を剥き、アロンドの隣でヴィータも口をあんぐりと開ける。

 アロンドに放たれた火柱は、彼の手前で跡形もなく掻き消えたのだから。

 

「だから言ったろ。この魔導封じがあれば防御なんか必要ねえって」

 

 ニヤリと笑いながらアロンドは魔導師に剣を向け、足を踏み出す。

 

「ひっ――く、来るな、来るな化け物おおお!」

 

 魔導師の絶叫と同時にアロンドは駆けだし、相手の懐に踏み込んで剣を振るう。

 

「ぐはあっ!」

 

 アロンドは魔導師の胸に一太刀入れ、さらに剣を振り上げた。

 

「とどめだ。死ね!」

「待てアロンド!」

 

 とどめを刺そうとするアロンドだったが、ヴィータは彼の手首を掴んでそれを止めた。

 

「――てめえ何すんだ!? 離せこら!」

「これ以上やる必要はない! こいつはもう戦えないんだ。見ろ!」

 

 危うくもみ合いになりかける二人だったが、ヴィータに促されアロンドは魔導師を見る。

 魔導師は仰向けに倒れており、すでに気を失っていた。胸を斬られたものの魔導着に守られていたため命に別状はないだろうが、数刻は目を覚ますことはないだろう。

 それを見てアロンドは拍子抜けしたように舌打ちをこぼす。

 

「ちっ、わあったよ。こいつはお前に任せる。だからその手を離せ。いい加減邪魔なんだよ」

「……ああ」

「さあて、残るはあと一人……と言いたいところだが」

 

 ヴィータから解放されたアロンドはさっきまで頭目がいた所に目を向ける。しかし、そこにはすでに頭目の姿はなく、代わりにガラスの割れた窓が一枚あるのみだった。

 

「逃がしたか。お前が邪魔をしたせいだぞ。お前と揉めてなければ奴に逃げる隙を与えるようなことは」

「はあ!? 元はといえばアロンドが余計なことをしようとしたせいだろう! あの時点でもうケリはついてたじゃんか!」

 

 ヴィータとアロンドは間近まで顔を寄せ、激しく睨みあう。

 しかし、二人ともそうしているのが馬鹿馬鹿しくなってきて、互いに顔を背けた。

 ヴィータはそこで、

 

「なあ、一つ聞いていいか?」

「……何だ?」

「さっきの戦いなんだけどさ。もしかしてお前気付いていたんじゃねえのか。あの一撃を入れた時点で相手がとっくに気を失っていることに」

 

 床に倒れたままの魔導師を見ながらヴィータは尋ねる。

 アロンドは目を宙に泳がせて、

 

「……いや、そんなこと全然気づいてなかったぜ。こいつを倒す事で頭がいっぱいいっぱいだったからよ」

「……そうか」

 

 ヴィータはまだ何かを言いたげだったが、それ以上の言葉を飲み込んで沈黙する。

 

 違和感はアロンドが広間に現れた時からすでにあった。

 アロンドに付いていた血は彼自身のものではない。誰かから浴びた返り血によるものだ。

 その証拠にアロンドに付着していた血はすでに固まっており、その先には傷一つないアロンドの肌が見える。

 魔導師との戦いの時といい、この少年にはどこかおかしなところがある。

 ヴィータはこれまでの事でアロンドに対しては、自分と妙に気が合う奴だと思いながらも、それと同時に彼に対してどこか言い知れぬ不安のようなものを抱いていた。

 その時ヴィータたちの背後で扉が開き、何人かが中に入ってくる。

 そのほとんどがヴィータもよく知っている人物で……

 

「――ヴィータ無事か!?」

「この子は――どうしたのその血? 待ってて、今手当てしてあげるから!」

 

 ヴィータとアロンドを見つけるなり、ケントとシャマルはそんなことを言ってくる。ヴィータは盛大にため息をつきながら、

 

「……おせえ、遅すぎんだよお前ら! もうあらかたあたしとアロンドが片付けた所だ!」

 

 

 

 

 

 

(何だあのガキどもは? 何なんだあいつらは!?)

 

 心の中でそう叫びながら頭目は必死の思いで、今まで住処としていた邸宅から遠ざっていく。その体には窓から脱出する時にガラスの先に触れてできたいくつもの切り傷があり、そこからぽたぽたと血が流れているが、彼にとってはそれどころではない。

 

(どっちも俺たちがかなう相手じゃねえ。特に恐ろしいのは黒髪のガキの方だ! 魔導封じだと? まるっきり禁忌兵器(フェアレーター)級の兵器じゃねえか! あんなもんを持ってる奴がこの街にいるなんて。早く逃げないと! この街からできるだけ遠くへ――)

「おやおや。そんな傷だらけの体でどこへ行く気だい、おっちゃん?」

 

 前の方から聞こえてくるその声につられて、頭目は顔を上げる。

 暗闇で今まで気づかなかったが、彼の前には二人の人間がいた。

 長い黒髪を後ろに編んだ若い女と、白い髪をそのまま下ろしている同じく若い女。

 白髪の女は一度も見たこともない。だが、黒髪の女の方は頭目にも覚えがあった。

 

「カリナ・フッケバイン……なんでお前がここに?」

 

 自身の名を呼ぶ頭目にカリナは手を振ってみせた。

 

「やっ、久しぶりだね。まさかあんたが誘拐事件の首魁だったとはね。市街で強盗事件を起こしたために、傭兵団から追放されてお尋ね者になって以来だけど、ここまで落ちぶれていたとはね。元同僚として私は悲しいよ」

「うるさい! お前に何が分かる? 俺たちは街の平和を守るために、常に命を懸けて戦っていたんだ。それなのに俺たちに市から下りてくるのはほんのはした金だ。役人や政治屋どもなんて大した働きもしてないのに、富豪からたんまりと賄賂を貰ってるっていうのによ。だったら俺たちも、市民たちから足りない分を貰うくらいの権利があってもいいはずだろう!」

 

 頭目は一気にまくし立てるものの、カリナは呆れたように首を横に振り、白髪の女にいたってはきょとんとするだけでそれ以上の反応はない。

 頭目は舌打ちしながら腰に差した剣を抜く。

 

「ちっ、お前みたいな奴にそんなことを言っても無駄だったか。まあいい。そこをどけ! 邪魔さえしなければ命は助けてやるよ」

 

 抜身の剣を向けて二人を脅かすも、カリナたちは微動だにしない。

 

「主……」

「いい。あんたの出る幕じゃないよ。ここでじっとしてな」

 

 刃先を向けてもどかず、ひるむ様子さえ見せないカリナたちに頭目は焦れてついに、

 

「どけっつってんだろぉ!!」

 

 剣先を向け、金切声とともに勢いよく頭目はカリナに飛びかかっていく。そして……

 

「――ぁ」

 

 次の瞬間、気が付くと頭目は地面の上に転がっていた。

 激痛をこらえながら彼は頭上を見回す。

 カリナはいつの間にか剣を抜いており、その下には真横に両断された自分の剣と、腹から下が切れた誰かの下半身が転がっていた。その下半身が身につけている履物は自分もよく知っている。あれはまさか……。

 そんな馬鹿なと思いながら、頭目は最後の力を振り絞って視線を動かし、自分の腹部を見やる。

 ――!

 自分の腹の下には何もなかった。ということはあれは誰かのではなく……。

 

(嘘だろ……なんであそこに……俺の足が……)

 

 頭の中に疑問符を浮かべたまま頭目はこと切れる。

 それを眺めながらカリナは吐き捨てた。

 

「あわれだねえ。市に不満を持つのは自由だけど、下手な欲をかくからかえってみじめな末路を辿ることになるんだ。略奪なら戦地ですればいいものを」

 

 

 

 

 

 こうして人質二人の反攻によって誘拐団は壊滅した。

 その中で死者三名、重傷者一名が出たものの、残りの賊たちは全員軽傷で済んでおり、生存していた賊たちは重傷者も含めてすぐに市当局に引き渡された。

 彼らに連れさらわれていた子供たちも解放され、当局に保護された。翌日には親元に戻ることができるだろう。

 俺たちはヴィータや、アロンドというカリナたちの仲間と合流し、彼らとともに北西区を後にする。

 これは余談だが、ヴィータたちと合流した時にまた俺の意志とは無関係に、闇の書が魔導師から魔力を蒐集した。

 その結果、書の頁が十ページと少し埋まりその際守護騎士たちから「惜しい、もうちょっとだったのに」という声が上がったが、この時点ではその言葉の意味を知ることはできなかった。

 それを知るのはもう少し先、リヴォルタで起きるもう一つの事件が終わりを迎える時である。

 

――『――の魔導書』385ページまでの蒐集を完了。


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