両軍が国境の森林を挟んで対峙して数日後、数週間は続くと思われた膠着状態は、敵軍の数少ない飛行魔導士兵と森林の腐食によってあっけなく瓦解した。
「我が軍の進行を遮る森はもうない。全軍進め―!!」
「オオオオオォォ!!」
天幕から出てきたディーノ王の喚起を、彼が従える軍勢が一斉に声を張り上げて応じる。
敵の進行は早い。我先に腐敗した森を抜け敵軍を蹴散らし、王の求める敵国の王子の首と闇の書というらしい魔導書を手にするべく、馬を、己が足を進める。
片や、森が腐食する前に敵陣に踏み込んでいた飛行兵は王子の隙を突くことに失敗したと悟った途端、300ほどの兵を失いながらもグランダム軍の攻撃が届かない森の上まで後退していた。深追いしようとするグランダム飛行兵もいたが、眼下の森だった場所を通ってくるディーノ軍を見て思いとどまった。
腐敗兵器――大森林を荒れ地に変える《
「恐れるな! 我が兵たちよ!」
俺がいた天幕よりさらに奥の方から響く怒声に、俺も兵士も思わず振り返った。
「陛下!」
――父上!
兵の声と俺の心の声がダブる。
そこから現れたのはすでに黒き魔導鎧に装束を変えたグランダム王、俺の父だった。
「たかが一万対三万。一人が三人以上敵を討ち取れば済む話であろう! 我とて小国なれどベルカに打ち立てられた国の王。グランダム王として備わった我が技能をもって千人は潰してくれるわ!」
そう息巻いて父は実の子である俺をも顧みず進んでいく。だが父は俺にだけ伝わるように《思念通話》を届けてきた。
《ケント、私に何があっても決して退くな。お前を主と選んだ闇の書と、お前だけが持つ《固有技能》、そして書を引き寄せたお前自身の才を信じろ》
「陛下? それはどういう――」
「……皆、戦に意識を向けろ。一人で四人は討ち取れ。それで我が国の勝ちだ」
俺の問いを無視しながら父は地を離れ、宙へ浮いていく。
それを見て――
「待ってください。陛下! ……父上ーー!!」
◇
王は飛行し後方から最前列へ飛んできた。
「陛下!?」
迫りくる敵に集中していたため、今まで後方に意識を向ける暇もなかった兵がはるか後ろから突然飛んできた王に驚く。
「木が枯れるなど少し珍しいものを目にしたからといって、慌てふためいている兵が多すぎるのでな。余自ら活を入れてやろうと思って来たのだよ。前線に立つなど久しいからな。いい機会だ、よく見ておけ。ベルカ王に名を連ねる者の戦いを!」
そう言いながら、王はさらに前に向けて歩を進める。
逃げるどころか単身で向かってくる老兵に、敵兵は怪訝に思いながら迫って来るが構う者はいない。
黒い鎧を着ているものは皆グランダムの兵士だ。民間人相手では許されない殺戮を尽くすのみ!
「――
しかし並の者より眼がいい者と、一瞬後の光景を見た者は老兵の正体を知ることになる。
「身体強化・《
グランダム王の体は赤色の魔力光を帯びながらどんどん巨大化していく。魔導鎧はこの変化を考慮した魔法式が組み込まれているためか壊れる様子はない。
「――なっ、《固有技能》だと? まさかこのジジイは――」
敵の老兵の変化に戸惑い動きを止めるディーノ兵だが、10mほどまで巨大化したグランダム王は敵兵が戸惑いから覚めるのを待たずに巨大な腕を振り下ろした。
「ギガントプレス!」
グランダム王の振り下ろした腕に押しつぶされ、十数人はたった一撃で圧死し、ごくわずかに逸れた者も腕や足を潰されその場から動けなくなった。
グランダム王は負傷した兵を巻き込むことも構わず、二度も三度も腕を振り下ろす。
敵が自軍の兵を皆殺しにしようとしたように、グランダム王も敵を皆殺しにする気で凶器となった腕を振るい続ける。
敵軍は人外と化したグランダム王の姿にすくみ上り、その場から逃げ出した。
「オオオオオオオオッ!」
しかし巨人、グランダム王は逃げだす兵を追って走り出し、彼らのほとんどを踏みつぶしていく。
そんな味方の惨状を見て、森だったところに近づいていたディーノ兵はその場にとどまり、足踏みをする。
そんな兵を侮蔑しながら、後方から敵の総指揮官が馬を走らせながらここまで来た。
「臆病者どもめ、これくらい雷帝に比べれば見かけだけの強化ではないではないか。……おいグランダムのジジイ! 余はダールグリュン雷帝陛下の腹心にしてディーノ王国の王である! ここは一国の王同士、一対一の決闘といこうではないか!」
後方から現れた緑色の鎧と兜の魔導装束をまとったディーノ王の姿を認め、グランダム王が足を止める。
ディーノ王を名乗る者の目は、確かに右眼が青、左眼が黄の虹彩異色だった。
「よかろう。その馬は決闘に必要か? 余の姿を見てひどく怯えているようだが、下馬する時を与えてもよいぞ」
グランダム王の言う通り、ディーノ王が乗ってる馬は落ち着きがなく、手綱を緩めれば勝手に逃げ出しそうだった。
「そいつはありがたいな。ではお言葉に甘えて――」
ディーノ王はグランダム王の勧め通り馬から乱暴に下り、トドメとばかりに馬の腹を蹴った。
馬はたまらず主人や巨腕の怪物から逃げ出し、ディーノ兵を何人か蹴散らしながら、いずこへ走り去っていった。
「……無体な真似をする。自分より大きな生物に恐れをなすのは動物の本能だろうに。人間も例外ではないぞ。雷帝から余に飼い主を鞍替えするというならば受け入れてやろうではないか。ただし、余のもとでは王を名乗ることはできんがな」
グランダム王の挑発をディーノ王は鼻で笑う。
「逃げる兵を踏み潰しておいてよく言うわ。貴様こそその身を雷帝に売り込んだらどうだ? 帝国の見世物小屋はさぞ大繁盛するぞ!」
「ほざいたな雷帝の狗が!」
王たる自身を猛獣呼ばわりされたグランダム王は憤慨し、巨大な握り拳をディーノ王に叩きつけようと腕を上げた。
「結界魔法・パンツァーガイスト」
しかし、ディーノ王の全身が紫の魔力光で包まれると光に阻まれ、グランダム王の腕はそこで止まった。
「なんの! ならば結界が壊れるまで殴りつけるまでだ!」
その言葉の通り、ディーノ王を守る結界をグランダム王は何度も殴り続ける。
「今だ! かかれ!!」
「ぐあっ!?」
結界に包まれたディーノ王めがけて拳を振るっていたグランダム王の後頭部に激痛が走った。
グランダム王はたまらず振り返る。
「砲撃魔法・フレースヴェルグ」
「ぐぉ!」
そして今度は左目に激痛が走る。
今まで森だったところの上を飛んでいた飛行兵が魔法弾を、グランダム王の後頭部、そして今度は左目に撃ち込んだのだ。
それを見てディーノ王はたまらず噴き出す。
「馬鹿め! 何が決闘だ。これは戦争だ。戦争とは結局、勝てばよいのだ!!」
結界を解いたディーノ王は、三角の魔方陣を自身の足元と前方に展開する。
「待たせたな兵たちよ。ジジイへのトドメはわしがさしてやろう」
ディーノ王に集まる高魔力の気配に、グランダム王は見える方の右眼をむく。
「なに? これほど魔力を消費する術をこんなところで?」
「闇の書に備えて温存しておくと思ったか? あんな小僧、数万の兵の突撃で踏み殺せるわ!」
ディーノ王は勝ち誇り笑みを浮かべながらそんなことを言うが、これはブラフだ。
ディーノ王は己の固有技能によって、あと一回はこれぐらいの高位魔法を放てる。
もう充分魔力が集まった頃だ。
「広範囲冷却魔法・フィンブル!」
ディーノ王の前に展開した魔法陣から、猛烈な吹雪がグランダム王を襲う。
グランダム王の体はみるみる凍っていき、生じた氷は頭の先まで覆おうとしていく。
「……ケント、我が国を……ベルカ統一の悲願を……」
グランダム王はかろうじてそう言い残し、彼の全身は完全に氷漬けになった。
もはや凍死は免れない。
ディーノ王は氷漬けになったグランダム王の姿をしばらくの間眺めていた。そして……。
「ふっ……ふふふ……ふはははは!! グランダムの王は死んだぞ。皆の者、掃討戦だ! 残ったグランダムの兵をすべて討ち取れ! この戦我らの勝利は決まった!!」
「ウオオオオオオオ」
◇
「父上……父上―!!」
父、グランダム王が氷に包まれる姿は、前線まで駆けていた俺にもはっきり見えた。
もう助からないだろう父の名を叫ぶ俺の肩を、誰かが掴んで無理やり押しとどめた。
「殿下、お逃げください! この戦の勝ち目はなくなりました。こうなったら殿下だけでもこの場を逃れるしか我が国に存続の道はありません。王都に戻ることさえできれば聖王に助けを求めることもできるでしょう。何らかの条件は付けられるでしょうが」
俺を捕まえたのは先ほど助けてくれて、ともに前線まで駆けていた自軍の兵士だ。
「馬鹿な、お前たちはどうなる? 王も兵も失い、国土を蹂躙されて何が存続だ!」
俺はそう怒鳴って返すも肩を掴む力は緩まない。
「言い争っている時間も惜しい。誰か! 飛行魔法を使える者は無理やりにでも殿下を連れて王宮まで飛んでゆけ!」
「はっ! 王子、私にお捕まりくださ――ぎゃああ!」
俺を戦場から逃がすために来た飛行兵は、どこからか放たれた光弾に撃ち落された。
「敵軍が崩れたぞ。王子の首と魔導書は頂くぜ!」
そして先ほどまで後退していた敵の飛行兵が、再び俺を狙ってここまで飛んできていた。すでに数十体はいる。
さらにその奥の敵の本軍は元森を抜け、自軍を蹴散らしながら俺に迫ってくる。
もう駄目か!
◇
――主への敵意を検知。主を防衛するプログラムを実行する必要性ありと判断。
――ならびに周囲に多数の魔力反応を検出。蒐集プロセスの実行に最適と判断。
――開錠および起動プログラムを実行……転移機能とバックアップ機能に破損あり。一部の機能が正常に実行できない恐れがあります。
――『――の魔導書』の起動を開始します。
◇
「殿下、お逃げくださ――ぐああ!」
兵は俺を守ろうと抵抗し敵兵を何人か撃ち落とすも、むなしく敵の光弾に倒れる。そしてとうとう味方は全滅し俺だけが残った。
「後はお前ひとりだ。魔導書を出せ。そうしたら生け捕りかここで死ぬかぐらい選ばせてやる」
そんなにこの魔導書が欲しいのか? 主が追いつめられている今も錠から解かれる気配のないこんな本を――。
「――固有技能・《フライングムーヴ》」
技能の発動を念じた瞬間敵の動きが極端に遅くなる。
敵が止まってるも同然の間に、
「シュバルツ・ヴァイス!」
俺は刃で敵兵の一人の喉を、そして続けてもう一人、二人の首を斬っていく。
しかし、ここで限界が来た。
とてつもない疲労感が来てたまらず地に膝をつけると同時に、まわりの動きは元に戻る。
「ぐあああ!!」
「ぎえええええ!」
「ぐはぁ!」
急所を斬られた敵兵は断末魔を上げてこと切れ、それによって敵兵は仲間の死に気付く。
「――なに!? ……まさか貴様、何かの技能を使ったのか?」
「……それが答えというわけか。ならばここで死ね!!」
怒り狂った敵兵が杖型の媒体を俺に向ける。
砲撃魔法……ここまでか!
とうとう俺は死を覚悟し目をつむる。
「――?」
「なんだ?」
…………。
しかし、いつまで経っても敵がとどめを刺してくることはなく、訝しく思いながら目を開けてみると、今まで懐にしまっていた黒い魔導書、闇の書がひとりでに宙に浮いた。
『Ich entferne eine Versiegelung.(封印を解除します)』
闇の書の中からそんな言葉が聞こえると、今まで闇の書を封印していた錠は突然砕けて、そのはずみで鎖はほどけそのまま地面に落ちていく。
そして、
『Anfang(起動)』
闇の書がそう告げた瞬間、俺の胸元から出てきた魔力光と同じ紺色の光る何かが、瞬く間に書に吸収される。
あまりに予定外の出来事と、攻撃で書を巻き込むことを恐れたのか、敵兵は何もしてこない。
そして闇の書の回りから紫の円状の魔方陣が顕れた途端。
「紫電一閃!」
いきなり魔法陣から出てきた桃色の髪の剣士が敵兵に斬りかかる。
「ぎゃあああ!!」
切られた敵兵は身体から煙を出しそのまま絶命する。
――炎への魔力変換!
「テートリヒ・シュラーク!」
大槌を構えた赤髪の少女が敵兵を勢いよく殴りつける。
「ぐはっ!」
殴られた敵兵はそのまま吹き飛び地面に勢いよく叩きつけられた。
「鋼の軛!」
褐色肌で筋骨隆々の大男が手を突き出すと白い魔法陣が現れ、
「がはぁ!」
地中から光の杭のようなものが敵兵を十人近く突き刺していく。
「くそ! ……(新手が現れた! 増援を頼む!)……思念通話が通じない? ……まさか――ぐああっ!」
応答がないことに戸惑っている敵兵の胸元から腕が伸び、輝く何かを掴み取る。
そこで気配に気づいた後ろを振り返った俺の傍らには、いつの間にか金髪の女性が立っていた。女性の媒体から延びる紐は円状の輪をつくり、その輪の中には緑色の渦が出来ている。彼女の左腕はその渦に突き込まれていた。
「主様、今のうちに闇の書に《リンカーコア》を蒐集させてください」
なに? リンカーコア? この
意味が分からず困惑する俺をよそに、魔導書はひとりでに頁を開く。
『Sammlung(蒐集)』
闇の書がそう宣告した途端、空白だったページにはおびただしい文章と記述式がひとりでに書き込まれていく。
「――なっ?」
異変が起きているのは女性に何かを奪われた兵士だけではない。
気絶した者の体からも同じような光が浮かび上がり、絶命した者に至ってはその何かが丸ごと魔導書に吸収されていく。
その間も桃色髪の剣士と赤髪の少女は敵兵を蹴散らしていき、その敵兵も光を奪われ気絶、あるいは絶命していく。
気が付けば俺を襲っていた敵兵はすべて倒れていた。
剣士は剣を鞘に納め、少女は持っていた槌を小さくしてしまい、他の二人とともに俺の前に来た。
「――」
俺は剣を持つ。
固有技能、もう一回使えるか?
使えたとしても相手を斬るのに使うか? それとも逃げるために使うか?
そんなことを迷う俺に向かって四人は一斉に膝をついた。
「えっ!?」
先頭で膝をつく桃色の髪の剣士が顔を伏せながら口を開く。
「闇の書の起動を確認しました」
続けて金髪の女性が言葉をつぐ。
「我ら、闇の書の蒐集を行い主を守る守護騎士にございます」
さらに大男が口を開く。
「夜天の主のもとに集いし雲」
最後に赤髪の少女が言った。
「《ヴォルケンリッター》――何なりとご命令を」
これが闇の書の守護騎士《ヴォルケンリッター》との出会いだった。