リヴォルタには軍隊が配備されていない。軍の代わりにリヴォルタの治安と国防を担っているのは、市内で活動している大小さまざまな数十もの傭兵団だ。
その見返りとして、傭兵たちは市内の各区画に一ヶ所ずつ設けられている兵舎に住まうことが許されていた。
兵舎の中でも最も大きな広さを誇る中央区の屋舎にて。
日が落ちて巡回の時間が迫り、多くの傭兵たちがその準備をしている中、禿頭で髭をたくわえた中年の男が辺りをきょろきょろと見回しながら兵舎の中を忙しなく歩き回っていた。
男の名はタール。この兵舎に住む傭兵たちの大多数が名を連ねている《タール傭兵団》の長にして、兵舎全体をも取り仕切る
険しい顔つきで歩き回るタールに、若い傭兵が声をかける。
「タールさん、どうしたんです? また不機嫌そうな顔して」
「フッケバインの奴らを探してんだよ。そろそろ巡回の時間だっていうのに、あのアマども今日は誰一人として姿を見せやがらねえ。あいつらが今どこにいるか、お前は知ってるか?」
タールの問いに若い男は首を横に振り、タールは舌打ちをこぼす。
「ちっ、そういえばこの前の見回りの時も、あいつら全員揃って姿をくらましてたな。街一番の金持ちに気に入られてるからって調子に乗りやがって。やる気がないなら自警団なんかやめて、とっととここから出て行けってんだ!」
そう吐き捨ててタールは壁を殴る。
それまで巡回の用意をしたり、仲間とだべっていた傭兵たちは壁を殴る音が耳に届いてきた途端、ぎょっとした顔をタールたちに向ける。
そんな部下たちにタールは手を振りながら、
「悪い。驚かせちまったな……ただフッケバインって奴らの事を考えるとついな」
それを聞いて傭兵たちは苦笑いを浮かべながらうなずきを返した。
タールがフッケバイン傭兵隊のことを嫌っているのは、ここにいる者たちなら皆知っていることだ。
タールが率いている《タール傭兵団》は、二千もの傭兵を抱えている大規模な武装組織だ。リヴォルタどころか聖大陸全土を見渡しても、これほどの数を擁している傭兵団は彼らの他にはいない。
故にタールは自分こそがリヴォルタ軍の総大将であり、いざ有事となればリヴォルタにいるすべての傭兵を下官として動かせる力と権限が自分には備わっていると信じて疑わなかった。
だが、タールの考えに反して、傭兵の身でありながら彼に従おうとしない者がごくわずかにいる。
それがカリナ・フッケバインと、彼女がいずこから連れてきた六人の若者たちだ。
ひょろいノッポの男が二人に、親を亡くしてここに来たという年端もいかない子供、感情が抜け落ちたように無愛想な白髪の少女、いずれも傭兵には見えない。トリノという筋肉質な女と、最近一味に加わったらしいヴァルカンという男なら納得もできるが。
だがそんな奴らより、何よりも……。
(たった七人だけの傭兵隊だと? ふざけやがって! そんなもん絶対に認められるもんか! このタール様をコケにしたあの女が結成した傭兵隊なんて)
タールはライラの事を恨んでいた。初めて会った時から今に至るまでずっと。
一年半前、タールはすでにリヴォルタ最大の傭兵団をまとめる長として傭兵団のみならず、この兵舎のすべてを取り仕切っていた。
そこに彼女らは現れた。
長い黒髪を後ろに束ねた女と、長い白髪をそのまま下ろした少女の二人組。
その二人組の片方――カリナという黒髪の女を一目見た瞬間、タールは彼女のことが気に入った。
そしてタールはカリナの肩を抱き、半ば無理やり部屋に連れ込もうとした。
彼女らの事を西区の娼館から来た娼婦だと思ったのもある。加えてあの時は仕事終わりで酒も入っていた。だが、それ以上にカリナという女はタールの好みだった。
蠱惑的な容姿、サバサバした雰囲気、すべてにおいてど真ん中だった。手を出さずにはいられなかった。
だが、タールがカリナの肩に触れたその瞬間、カリナにタールの腕を掴んで彼の体を一気に持ち上げ、そのまま床に叩きつけた。
タールには一瞬何が起きたのかわからなかった。だが、それから間もなく自分が何をされたのかを理解する。
自分は女に投げ飛ばされた。
リヴォルタ――いや、ベルカすべての傭兵たちの頂点に立つ自分が、あろうことか細身の女にあっさりと地に打ち付けられたのだと。
その事実を認識した瞬間、タールは逆上しカリナに殴りかかった。かろうじて剣を振り上げる真似こそしなかったが。
しかし、その結果は惨敗だった。鍛え上げた体躯を持ち数々の戦場で戦いの経験を積んだタールが、突然この寮に現れた女に手も足も出なかったのである。
彼女らがやって来たばかりの頃はタール以外にもカリナ、そしてライラに手を出そうとする者もいたが、タールを完膚なきまでに叩きのめした女がいるという噂が広まるにつれて、そんなことを考える者はいなくなった。
片やタールの方は散々だった。
あの時一部始終を見ていた部下たちからは蔑みの目を向けられ、その後しばらくの間はタールに対して不遜な態度を取る者まで出たことも何度かあった。そんな身の程知らずには容赦なく制裁を加えておいたため、数週間後には表立ってタールに反抗する者は出なくなった。その頃にはカリナの強さがリヴォルタ中に知れ渡るようになったことも大きいだろう。
それでもタールはあの時の屈辱と恨みを忘れたことなどない。むしろカリナへの憎しみは日々強くなっていく一方だ。
自分のことなど眼中にないかのような振る舞いも、どこかから連れてきた数人の手下とともに傭兵隊なるものを立ち上げたことも、ヴァンデインという富豪からちょくちょく用事を頼まれていることも――すべてが許しがたい事だった。
いつかあの女を殺す。可能ならばまずは部下たちにライラという相方を犯させ、その光景を見せつけながら衆人の前であの女の服を引き千切って晒しものにして、手ずからあの女を犯し、あの時のことをたっぷりと後悔させ泣いて許しを乞わせながら相方ともどもなぶり殺しにしてやる。
そうタールは心に決めていた。
一年半ほど前の苦い記憶と、その頃から抱いていた暗い決意を思い出しながら、タールは階段を登る。彼が目指しているのは最上階にある、カリナとライラの部屋だ。
この兵舎の最上階にある部屋は、数ヶ月ごとに少しずつ増えていくフッケバイン傭兵隊の面々にあてがわれていくようになり、今や最上階そのものがフッケバインたちの領域と化していた。中には一人だけで部屋を占有している者もいると聞く。
本来は最上階も個室も、傭兵団団長とその側近だけが甘受できる特権だったはずだ。この兵舎でその権利を持っているのはタールだったはず。たった数人の自称傭兵隊の一味ではない。
階段を登り最上階が近づくにつれて、その事を思い出したタールはこめかみに青筋を立て、そんな上官の八つ当たりに巻き込まれないように、少し距離を空けて若い傭兵が後に続く。
そうしてタールと部下の傭兵は、フッケバイン傭兵隊の根城となった最上階に足を踏み入れた。
最上階はしんと静まり返っており、話し声も物音一つしない。普通だったら気にも留めないだろう。
しかし、今は夜の市内巡回が迫っている時間で、フッケバインたちもその巡回に加わる予定になっている。
それなのに誰一人部屋から出てこないどころか、どの部屋からも物音一つ聞こえてこないとは。
部屋でだらけてるのか、それともどこかに出かけたのか、どちらにしろ彼女たちは巡回に出る気はないということだ。
そうだと確信したタールは顔を歪め床を踏み鳴らしながら、最上階の一番奥にある部屋の前まで足を進める。
ここがカリナのライラの二人が住んでいる部屋だ。
タールは部屋の前に立つとおもむろに手を振り上げて、
「おいカリナ! 見回りの時間だぞ! さっさと出て来るんだ! まさかまだ寝てやがんじゃねえだろうな!?」
扉を何度も叩きながらタールは怒鳴り声を上げる。
しかし、中からは何の返事も帰ってこない。
ついに頭に来たタールは扉の取っ手に手をかけて、勢いよく押し開ける。
鍵はかけられていないようで扉はあっさりと開き、タールはわずかによろめいて、一歩だけ足を踏み出す形になってしまった。
タールは思わず後ろにいる部下の方を見るが、彼は笑いを漏らした様子もなく、どうぞ先に、と視線で促してきたのでタールは改めて部屋の方を向く。どうやらよろめきかけたことには気付いていないようだ。
威厳は保たれたと内心安堵のため息をこぼしながら、タールは部屋を見回す。
そこには誰もいなかった。部屋の主であるカリナもライラも、他の手下たちも。
「あいつら、やっぱり仕事を忘れてどっかへ行きやがったな。とことん舐めた真似をする奴らだ」
そう吐き捨ててタールは部屋の中へ踏み込み、部下もその後に続く。
二つ並べられたベッドにかかっている毛布は、片方はきちんと畳まれており、もう片方は起きた時に払いのけられそのまま放置されているようだ。
どのベッドがライラとカリナ、それぞれのものなのかは言う必要もないだろう。
とにかく彼女たちは毛布にくるまっていて、今もぐっすり寝ているということはない。
もしそうだったらタールは彼女らに襲い掛かり、懲罰と称してこれまでずっと抱えていた願望を叶えようとしていたかもしれない。
枕と毛布だけが残されたベッドを見て密かに落胆しているタールの横で、部下は机の方を見て
「タールさん、何でしょうあれ?」
「ん、何かあったのか? 何だこりゃあ?」
ベッド同様、少し距離を空けて並べられた二つの机のうち、片方にそれは置かれてあった。
灰色で楕円の形をした片手で持てるほど小さな物体。
それが小さな台座に乗せられた状態で、机の上に置かれていた。
「こいつは一体?」
四十年以上生きてきたが、こんなものは見たこともない。
タールは思わず机の上に置かれていた物体を手に取り、彼の隣にいた部下も物体の方に目をやる。
タールは手に持った物体の向きをくるくると変えながら、しげしげとそれを眺める……そして、
「それ、後ろの方に何か書かれ……てますよ。数字に見えますが」
「何だと?」
部下の指摘を聞いて、タールは後ろが見えるように物体の向きをくるりと変える。
そこには【00:01:5×】という、数字の列が表れていた。
だが、部下が言い淀んだのも無理はない。
誰かが書いたにしては数字の形が変なのだ。何よりその数字は右端の数がひとりでに減っているという現象まで起きている。
やがて数字は【00:01:0×】と表示された後、今度は【00:00:5×】と変わる。
これはまるで……
「まさか、これ時計なのか? ……でもなんで数が減っていくんだ? これじゃあもうすぐ0に――」
タールがそんなことを言っている間に五十秒は過ぎて、数字の列がすべて0で埋まる。
その瞬間、0の羅列は消えてある四文字が浮かんだ。
【
その四文字が二人が見た最後の光景となった。
◇
南区の店を出た後、ヴィータがなくしたうさぎのぬいぐるみの代わりとなるものを買うために、俺たちは北区へと向かったが昨日ぬいぐるみを買った例の露店はおろか、北区のどこにもぬいぐるみを売ってるような店は見つからなかった。
その後、俺たちは人形を売っている店を探して中央区へと足を運んだのだが、そこは貴族や富豪の令嬢を顧客とした高級店ばかりで、そのような店で売られているのは陶器で作られた人型の人形ばかりだった。ティッタがいくつか人形を見繕っては見たものの、ヴィータがそれらに興味を示すことはなかった。
どうやらぬいぐるみというものは、令嬢が好んでいる高価な人形以上に珍しい物のようだ。
そうしていくうちに時間は瞬く間に過ぎていって、太陽は完全に沈み、街のいたるところで明かりが灯され始めている頃。
俺たちはなおも失くしたぬいぐるみの代用品を求めて、中央区の街路を歩いていた。
だが、心の中ではほぼ全員が、一番栄えている中央区でこれだけ探しても見つからないんじゃあぬいぐるみを売っているところなんてあそこ以外にはなかったのだろうと、諦めの境地に達している。
当の本人もそれを感じ取っていたのか、肩を落としながら俺たちの前をとぼとぼ歩いていたヴィータは、おもむろに振り返って口を開く。
「ありがとうみんな。もういいよ。元はと言えばちゃんと目に届くところに置いておかなかったあたしが悪かったんだ。こんなことにこれ以上みんなを付き合わせるわけにはいかねえ。今日はもう――!」
その時頭上で何かが光り、一瞬遅れてつんざくような音が上から聞こえてきた。
最後の一言を言いかけたヴィータも、それを黙って聞こうとしていた俺たちも、思わず空を見上げる。
それを見た瞬間、俺たちは言葉を失ってしまった。
俺たちの目の前で建物が燃えている。
「きゃああああ!!」
「な、なんだ!? 火事か?」
「俺が先だ!」
「早く出ろ! このままここにいたら火だるまになっちまう!」
慌てふためく通行人、燃え盛る建物から次々に出てくるいかつい男たち。
建物についている看板には『リヴォルタ中央区 兵舎』と書かれていた。
では、建物から出てきているこいつらは傭兵か。
いや、それよりも――
「火事……にしては火の勢いが強すぎる――っ!」
すでに火に包まれている上の階に目をやると、視界の片隅に二つの影が見えた。
黒髪の女と白髪の女……あの二人は、
「カリナ……ライラ……なんであいつらが?」
彼女たちは兵舎から噴き出してきた炎に驚いた様子も見せず、悠然と空中に浮かんでいる。
「まさか、この火事はあいつらが?」
そう思ったと同時に俺たちは空と街中を見回すが、空中にはカリナとライラの二人しかいない。
では、他の奴らはどこへ? ……まさか。
◇
「おやおや、さっそく闇の書の主と守護騎士たちが現れちまったねえ。さすがに私とライラだけじゃあいつら全員の相手はきつい。今までと違って獲物の数もかなり多いし、ここは……」
空中で燃え盛る兵舎を眺めながら、カリナは右手をかざし短い詠唱を唱えた。
すると彼女の周囲で
「ミッドチルダで作られた《
◇
カリナのまわりから人型の異形が何体か現れたかと思うと、カリナはおもむろに右手を突き出した。
それを見て、
「来るぞ! 全員構えろ!」
「「はっ!」」
「はい!」
「おう!」
「――お、おう!」
俺たちは瞬時に武器と魔導鎧を装着する。
予想通りカリナが召喚した人型は、猛烈な勢いで俺たちに襲い掛かってきた。