リヴォルタ市議会のテジス議員に招かれた俺は料亭を出てすぐにシグナムと、なぜかついてきたエリゼ、ジェフを連れて、南区の高級住宅街にあるというテジス邸に向かった。
それ以外の者たちは料亭の前で別れ、宿に戻ってもらうことにした。
大勢で訪ねても向こうを警戒させ、かえって無用な争いを招きかねない。それに傷心中のヴィータの側に誰かを付ける必要があるとも思った。
テジス議員はあご髭を生やした四十代の男だった。
彼が住まう邸宅は他国の伯爵邸に匹敵する規模の屋敷だが、邸宅に対して庭はそこそこの広場がある程度だった。
想像していたよりは大きな屋敷に住んでいる。それが俺が抱いた感想だ。
執事が俺のことをグランダム王だと知っていたことから、当然ながらテジス議員もそのことをとうに知っていた。
どうやら一週間前のフッケバイン傭兵隊との戦いがきっかけで、俺たちの事が街中に知れ渡ったようだ。どこかの国の王族が従者数人を引き連れてリヴォルタに滞在しているらしいと。
その噂はたちまち豪商や政治家たちの知るところとなり、その頃からテジス議員は虎視眈々と俺に接触する機会をうかがっていたらしい。
彼は話を始めてすぐ、俺に対してこう切り出した。
このリヴォルタをグランダムの領土に入れる気はないか? と。
一週間前に発生した騒乱によって、リヴォルタに住んでいた傭兵たちのほとんどはこの街から逃げてしまい、今のリヴォルタは防衛力と治安維持力が欠けている状態だ。わずかに残っている傭兵たちではとても手が足りないうえに、彼らは市民たちから大きく信用を失っている。
今はまだ住民の多くが復興にかかりきりで大きな犯罪は起こっていないが、いつ暴動が起きたり街全体が無法状態になってもおかしくないとのことだ。
その対策として議会ではある案が上がっていた。
リヴォルタを近隣に位置する大国と統合させるという案を。
防衛どころか治安維持すらままならなくなったリヴォルタの現状を考えたら、至極まっとうな意見である。
では連日議会が開かれている状況で、なぜそれがいまだに実行されていないのか?
それは議会が連合派と帝国派に大きく分かれているからだ。
どちらの国もベルカを二分する超大国でその他の国を圧倒する力を持っており、リヴォルタを守る力は十分にある。相手国の方も自国の首都以上の規模がある大都市を領土に出来るのなら快く応じてくるだろう。
ならばどちらでもよいのでは?
今は一刻も惜しい時だ。意見が膠着したのならその場で多数決を取って、強硬的に採決を採るべきではないかと普通は思う。
だが、聖王が各国に告知した《起動宣言》のことを考えるとそうもいかない。
二ヶ月前、聖王は各国に対して、半年後の《聖王のゆりかご》の起動と、聖王連合に加わらないすべての国への攻撃を表明した。
聖王のゆりかごを一度も公開しないままそんな宣言を出したことに疑問はあるが、戦乱で各国が疲弊する中で今頃になってそんな告知を出してきた以上、ただの脅しではないだろう。
それに聖王があそこまで言った以上、ダールグリュン帝国も黙ってはいないはず。
四ヶ月後までに間違いなく連合と帝国との間で大きな戦が起きる。その戦はおそらくどちらかが滅びるまで終わらない。
それを念頭に置くと安易にどちらかを選ぶことはできない。決定に踏み切れないのもわかる話だ。
多数派を組織する力を持つ市長や有力議員がいればまだ何とかなるのだろうが、彼らは一週間前の騒乱の中ほとんどが行方不明になっている。
傭兵隊やゴーレムの手にかかったのか? テジスよりはるかに大きく堅牢な屋敷に住んでいるだろう彼らが揃って? ……おっと今はリヴェルタがどちらの国と統合するかだったな。
頭に湧き上がりかけた疑問を抑えつけて、統合問題の方に頭を切り替える。
連合と帝国。どちらの国に己が街を託すかで議会が割れる中、テジスをはじめとした一部の議員が両派とはまったく異なる案を出した。
リヴォルタの北にあるグランダム王国との統合も視野に入れるべきだと。
当然ながらその意見はまったく相手にされず、両派はすぐにテジスたちそっちのけで議論を再開させたという。
当然だ。ここ数ヶ月の間にディーノとガレアを攻め落とし版図を広げたとはいえ、グランダムは二国と比べれば吹けば飛ぶくらいの小国でしかない。そんな国と組んだところで街を守るどころか、周辺国からの侵略を招くのではないか。
俺だってそう思う。のだがテジス議員の考えは違うらしい。
彼の考えによれば、リヴォルタが連合か帝国の領土になることでリヴォルタを巡り、かえって二国間の戦争が早まる恐れがあるのだと言う。
だが、連合にも帝国にも属さない第三国がリヴォルタを併合することで二国は矛を収め、結果的に争いの芽を摘み取ることができるのではないかとテジス議員は考えた。
これまでの話の合間合間に議員は俺に、連合や帝国をどう思うか? なぜグランダムはどちらにも与しないのか? などを雑談という形で探り、俺はそれらに対して正直に自分の考えを伝えた。
その結果とガレア戦での戦績も踏まえたうえで議員は、グランダムという国にリヴォルタを預けたいと言ってきた。
その話を聞いて俺は揺れた。
もしテジス議員が危惧する通り、リヴォルタを巡って連合と帝国が戦いを始めるようなことが起これば、聖大陸全土にわたる危機だ。ゆりかごの起動を待たずして大戦が始まってしまう。
グランダムがリヴォルタを併合することでそれを防ぐことができるかもしれないのなら、検討してみる価値はあるだろう。
それにこれはグランダムにとっても悪い話ではない――いや、包み隠さずに言えば思わぬ収穫だ。
リヴォルタはベルカ隋一の都市と言われるほど発達した都市で、経済力も一都市としてはずば抜けて高く、この街を統治下に収めることができれば計り知れないほどの税収が見込める。復興債の利息など余裕で払える上に、十年後の債務自体の返済さえ見込めるほどの巨額な歳入が。
しかし、やはり懸念もぬぐえない。現にその話が出た時にエリザは難しい顔で俺を見つめていた。
◆
テジス議員に考える時間が欲しいと告げて、俺たちは屋敷を後にし帰路についた。
エリザが住んでいた別荘もこの住宅街にあるらしいのだが、一週間前の騒乱以降、その別荘は避難所となっていて、今も家を失った多くの人々が暮らしているという。中には豪華な別荘から出て行きたくないだけの者もいるらしいが、エリザとしてはあの別荘はもう捨てた気でいるので好きにしてくれと思っているとのことだった。
エリザは現在、住宅街の入り口付近にある議員や富豪御用達の高級宿に滞在しており、執事たちは近くの宿に泊まりながら、ローテーションでエリザの世話をしに高級宿に通っているらしい。
エリザが泊まっている高級宿の前でテジス家の馬車から降りた俺たちは、今度はエリザが用意した馬車に乗り込んだ。
その馬車の中で、俺とシグナムの視線を浴びながらエリザは開口一番に尋ねてきた。
「……どう思います?」
「グランダムとリヴォルタの統合についてか?」
俺の返しにエリザはこくりとうなずく。
「……議員の言うことにも一理あると思う。リヴォルタを巡って帝国と連合が戦うことになれば元も子もない。もし、そうなったらリヴォルタは間違いなく戦に巻き込まれ、滅ぼされてしまう。ここはあえて中立を保っている国と手を組むのも一つの手だろう」
「私は反対です!」
エリザはぴしゃりと予想通りの言葉を口にした。
「……まあ、お前はそう言うと思っていたよ」
帝国の人間としてはそう答えるのが正しいのだろう。
だが、納得する俺の横でシグナムは不敵に笑いながら告げる。
「リヴォルタを併合してグランダムが大きくなるのが恐ろしいか?」
その言葉にエリザはむっとしてシグナムに鋭い視線を向け、すぐにぷいと視線をそらして言った。
「正直に言えばそれもあります。あなた方の恐るべき力は一週間前に思い知らされましたから。それに帝国がリヴォルタを手に入れて、更なる発展を遂げることを望むのは帝国貴族として当然でしょう。……ですがそれらを差し引いて、あなた方の友人としての観点から見ても私はあの話に反対です」
友人という言葉にシグナムはかすかに目を見張る。
だが、エリザはそんなことお構いもなく、俺に顔を向きを戻しながら続けた。
「もしあのテジスという議員に勧められるまま、貴国がリヴォルタを手中に収めたら帝国は、皇帝陛下は何とお思いになるでしょうね? 帝国との合一を望む議会の意向を無視して、グランダムがリヴォルタを侵略した。とお考えになるかもしれません」
「馬鹿な!? あの男は確かにグランダムとの統合を望むと言っていたぞ! 帝国との統合などたかだか議員数百人が主張しているだけだろう! それに議会とやらには帝国派と変わらない数の議員が連合入りを望んでいると聞くが、それはどうなる?」
シグナムは激高しながら立ち上がり、エリザに詰め寄ろうとするものの、俺はシグナムを押さえ何とか座らせる。
エリザは涼しい顔でそれを眺めながら言った。
「連合も同じです。連合と手を取り合うことを望む声こそがリヴォルタの民意。それを踏みにじるグランダムは連合とリヴォルタ双方の敵、聖王陛下に弓引く逆賊も同然。――その宣言を合図にグランダムに攻め込もうとするかもしれませんね」
エリザがそこまで言うと、シグナムも彼女が何を言おうとしているか察してあんぐりと口を開いた。
「それを口実に、帝国や連合がグランダムに侵略を仕掛けてくるということか!」
「最悪の場合、そこで二国が衝突して大戦が始まってしまうかもしれません」
俺がたどり着いた解答を肯定しながらエリザはそう付け足す。
グランダムがリヴォルタを併合しても大戦が起こってしまうかもしれないのか。
確かにその可能性は十分ある……いやむしろ、
「むしろ帝国か連合がリヴォルタを併合した方が、事を荒立てずに済むかもしれません。この二国がぶつかることの恐ろしさは、我々も中枢王家もわかっていますから(おば様ならやりそうですけど)」
……そういう考え方もあるか。小国が下手に首を突っ込むことで事態を悪化させかねないと。
「私としては帝国派か連合派に加わるように、あの議員様を説得することをお勧めします。帝国派に加わるようにするというのなら私も助力ができるのですけど」
そう言ってエリザは口角を吊り上げる。
ああ、そうだ。俺の知ってるエリザは、隙あらばこんな風に主導権を握ろうとする女だ。やはりこちらの方が彼女の素なのだろう。
そんなエリザにシグナムは何か言い返そうとするが、反論するための言葉が見つからないのか、うぐぐとうなる。
エリザは勝ち誇ったようにふふんと笑い、しばらくしてから笑みを消して言った。
「もっとも、私にとっては戦が起こる危機さえなければ、貴国がリヴォルタを治めるのも悪くないのですけど」
エリザのその言葉に俺とシグナムは眉をひそめる。
「なんでグランダムがリヴォルタを手にするのがお前にとって悪くないことなんだ? 帝国にとってもリヴォルタは何としてでも手に入れたい要所だろう? お前はその帝国の貴族で……」
思わず問いかけた俺にエリザはすぐに答えず、懐に手を入れる。そしてすぐに懐から何重に折られた一枚の紙を取り出した。
エリザはその紙を焦らすようにゆっくりと広げていく。
紙が目一杯広がったところで、エリザはその紙を眺めて満足げな笑みを浮かべてから、俺たちに見えるように紙の向きを変えた。
「――あっ!」
「……?」
それを見て俺は思わず声を上げた。一方でシグナムはそれが何なのかわからずきょとんとしている。
その紙の一番上には【グランダム復興債】という文字が記されており、さらに紙の右下には俺のサインがしっかりと書かれている。
エリザが手に持っているのは、まぎれもなくグランダム復興債の債券だ。
あっ! 思い出したぞ。確か以前目にした債権者名簿の中にエリザヴェータ・ダールグリュンという名前があった。債権の大半を皇帝に握られたことと、その負債を返すことに気を取られてすっかり忘れていた。
……待てよ、それをエリザが持っているということは、エリザは俺が抱えている債権の貸し手というわけで。
「そういうわけで、貴国が再び財政難に陥ると私も困るんですよ。そうなるくらいならリヴォルタを併合して税収を確保していただいた方がまだいいんです……ただ」
そこまで言ってエリザは一層笑みを深め、
「万が一返せなくなったら、お金以外の方法で払ってもらわないといけませんね……ケント様の体とか」
そう言ってエリザは俺とシグナムの間に割ってきて、俺にしなだれかかってきた。
俺は助けを求めるようにシグナムの方を見るが、彼女は大したことではないと判断したのか、俺たちから視線を外し外の景色を眺めていた。
この債務、何としてでも返さないと……とは思うのだが、俺の腕に乗せられている柔らかい物体の感触を覚えるにつれ腕を引っ込めようとはしながらも、彼女に対しては金以外で返すというのも悪くはないかもしれないとちょっと思ってしまった。