グランダムの愚王   作:ヒアデス

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第56話 不可解な撤退、そして……

 ローダン伯爵のとりなしでダスターの当てつけ混じりの雑談がひとまず()んで、ダスターと俺はここまで俺について来てくれた皆とともに卓を囲んでいた。ジェフだけは執事という立場から、エリザの後ろで立っていたが。

 淹れられたばかりで湯気が立っている紅茶を手に、再び雑談が始まる。今度は俺の連れを巻き込んで。

 

「しかし、驚いたよ。ガリ勉すぎて女っ気が全然なかったケントが、こんな見目麗しいご令嬢たちを連れてくるなんてな。一体どこで拾ってきたんだ?」

 

「……成り行きでな。別に容姿で取り立てたわけじゃない」

 

「おいおい、正直に言えよ。別に責めているわけじゃない。お前が健全な男だと確認出来て、俺は喜んでいるんだぞ。もっとも騎士の位を与えてまで、どこにでも連れ回すようなことをしているのはお前ぐらいだ。そんなこと俺にはとても思いつかないよ。ククッ」

 

 ……ダスターの奴め、今度は仲間や連れをダシにして俺を貶める気か。

 しかし、効果は十分のようだ。

 ダスターがそう言ってから、エリザが険しい視線を俺に向けてきている。

 エリザとてこれがダスターの嫌味だとわからないほど駆け引きに疎い女子(おなご)ではないだろうが、彼女自身それを疑っているのもあるだろう。

 

「……」

 

 ……その一方で、俺にとってもっともそんな誤解をされたくない女子(おなご)、黒衣の女を見ると、彼女は紅茶を飲む手を止めて、鋭い目つきでダスターを睨んでいた。

 まさか、怒っているのか?

 

「クククッ」

 

 一方、先ほどとは違って思い思いの反応を見せる俺たちを見て、ダスターは笑い声を漏らす。

 いかん。奴の挑発に反応するまいと決めていたのについ。

 気を落ち着けるべく俺は紅茶に口を付ける。

 

 ……うまいな。これを淹れたのはローダン伯爵だという話だが、うちの城に仕えている侍女でも、ここまでうまく淹れられる者はいない。帝国では男でもこのようなたしなみを身につけているものなのか?

 俺が紅茶を口にしながらそんなことを考えている時だった。

 

「そういえば、ケントの父君も時折手近な女に手を付けていたそうじゃないか。隠し子も何人かいるとか……君は知っているかい?」

 

 ダスターはそう言って今度はティッタに話を向ける。

 

「……まあ、聞いたことくらいはあります。でも、なんでそんな話をアタ、私なんかに?」

 

「いやなに、見たところ君は生粋のグランダム人だと思ったからなんとなくな……ふむ、よく見れば君の瞳は左右違う色なんだな」

 

 生理的な嫌悪感から顔を遠ざけるティッタに構わず、ダスターは顔を近づける。

 

 そしてダスターは目を見開いて、あたかも今気づいたかのように――

 

「おや、しかも左右ともケントとまったく同じ色と配列じゃないか。まさかと思うが君はもしや……いやしかし、グランダムに王女がいたなんて話は聞いていないが」

 

 わざとらしく考えこむ芝居をするダスターに対し、ティッタはぶすっとしながら告げた。

 

「ええそうです。私は先王陛下と平民の母から生まれた子供です。でもそれが何か?」

 

「ああ! そうだったのか。いやいや、君も運がないねえ。王妃の子として生まれていれば王女として何不自由なく育ち、今頃はどこかの王子のもとに嫁いで幸せな生活が送れただろうに。それが母親がどこぞの平民だったせいで……実に不憫だ。知らない方が、いやむしろ生まれてこない方が幸せだったろうに――ハハハッ!」

 

 

《……ねえ、こいつボコボコにしていいかな? アタシ、もう我慢の限界なんだけど》

 

《気持ちはわかるがもう少しこらえてくれ。そろそろ本題に入ろうと思っていたところだ》

 

 ダスターが続けて二度紅茶に口をつけたのを見計らって俺はそう念じた。ネタが尽きてきた頃に見られる兆候だ。

 

「ダスター、俺たちの事はもういいだろう。そろそろお前の方について聞かせてくれないか? なぜお前が帝国軍の指揮を執っている? その帝国軍なんか率いてリヴォルタ領に近づいてきてどうするつもりだ?」

 

 俺がそう言うとダスターはふんと鼻を鳴らして答える。

 

「一度に二つも質問をするな。俺が帝国軍の指揮を執ることができるのは、帝国内において俺は侯爵だからだ」

 

「お前が帝国の侯爵だと?」

 

 俺の復唱にダスターは「ああ」とうなずいた。

 

「数十年前に帝国が南部へ侵攻した際に、父上もディーノ軍を率いて戦に参加されてな。フィアットという地方の城を陥とす武功を立てられたんだ。その報奨として父上は当時の皇帝陛下から、フィアットの地と侯爵位を賜ったのさ」

 

 なるほど、それ以来ディーノ王は帝国の侯爵にもなったわけか。その王が死んでダスターが侯爵位を継いだと。

 確かに、それならダスターが帝国軍の指揮官に収まることができたのも納得がいく。

 ダスターは一度紅茶を口に含んでから続けた。

 

「帝国軍を率いてリヴォルタに来たのは、ゼノヴィア皇帝陛下にそう命じられたからだ。防衛力を失い無法地帯になりつつあるリヴォルタを平定しろとな。これからは俺たちがリヴォルタを守ってやると言うんだ。文句どころか感謝されてもいいと思っているくらいだ」

 

 そう吐き捨てて、ダスターはまた紅茶を飲もうとカップに口を近づける。

 そこへ、

 

「皇帝陛下が略奪を許さないのはご存知なのですよね?」

 

 強い口調で尋ねてくるエリザに、ダスターは意外そうに目を見張った。

 

「……グランダム人のくせに詳しいなお嬢さん。それともあんた、リヴォルタ市民か? それにしては品がいいな。リヴォルタの人間は歴史の重みを知らない愚民どもばかりだと思っていたよ」

 

 ダスターはそう言ってエリザを褒めるものの、エリザは答えずじっとダスターを見つめたままでいる。

 脈がないととったのか、ダスターはため息をついて再び口を開いた。

 

「もちろん陛下の民に対する慈悲深さはよく知っているとも。それを知った上で略奪なんてするはずないだろう。さっき言った通りちゃんと街は守ってやるさ」

 

 そこでダスターはわざとらしく言葉を区切り「だが」と続けた。

 

「リヴォルタを立て直したら、指揮を執った俺にはそれに対する見返りがあって当然だろう。陛下は間違いなく俺にリヴォルタを譲る。そうなれば俺はれっきとしたリヴォルタの領主だ。領主が領地で権勢を振るって何が悪い?」

 

 その言葉にエリザは押し黙る。

 俺もエリザも民から納められた税で生活し、また彼らに対してある程度の権限を有している。

 そんな俺たちがダスターの言葉を否定することはできない。

 俺にとって問題なのは――

 

「悪いとは言ってない。ただ、八万もの軍勢とリヴォルタの支配権を手に入れたお前が、そのままリヴォルタを治め続けるだけとは思えないんだ。まだ他に目的があるんじゃないか?」

 

 俺の問いにダスターは大げさにふむとうなってから口を開いた。

 

「さっきも言ったが俺はいずれディーノの王となる身だ。だが、統治者としての経験が足りていないと言われると否定できない。だから俺は王位を継ぐために必要な経験を積むべく、数ヶ月前からディーノを離れてフィアット領の運営を担っていたのだが」

 

 ……聞いていた話と随分違うな。我が国に降ったディーノ貴族の話では、ダスターは父親が率いるディーノ軍が全滅したと聞いた途端、慌てて帝国に逃げたという話だったが。

 あまりの厚顔ぶりに訂正する気も起きず、俺は内心で鼻白みながらダスターの話に耳を傾け続ける。

 そしてついにダスターはそれを口にした。

 

「だが、四ヶ月前に父が崩御されたと聞いてな。俺は父に代わって国の舵を取るべく、ディーノに戻ろうとしたのだが……驚いたよ。なぜかディーノにはグランダムの貴族や軍が居座っていて、彼らがディーノを治めているそうじゃないか。まるで我が国がグランダムに併合されたようだったと聞いている。これが本当だったら実におかしな話だ。そうは思わないかケント?」

 

 やはりダスターの最終的な目的はディーノの奪還か。

 

「ようだったもなにも、ディーノはグランダムに併合され、現在ではグランダムの一角を担う領土となっている。まさか、今まで知らなかったというんじゃないだろうな?」

 

「なんと! ではグランダムは我が父を亡き者にし、我が国を侵略したというのか? 何ということだ! それが本当だとしたら実に許しがたいことだ。俺はお前のことを無二の親友だと思っていたのに。その友からこのような仕打ちを受けるなんて……見損なったぞケント!」

 

 ダスターはその場から立ち上がり、演劇で見る悲劇の主人公のような口上を並べてから、俺を指さし罵る。

 うすら寒い茶番に俺はため息をついて、

 

「先に戦を仕掛けてきたのはディーノの方だ。我が軍は国を守るために出兵し、ディーノ軍を撃退した。非がそちらにある上に戦に負けたのだから、領土を貰い受けるのは当然の事だろう。帝国だってそれを認めている」

 

「帝国が? 陛下もそのような事を認めているだと? 馬鹿な! 次期ディーノ王であるこの俺を抜きに、そのような話が進められていたというのか。俺は友だけでなく忠誠を誓った主君にまで裏切られたというのか? あんまりだ! こんなひどい話があるものか!」

 

 ダスターはなおも舞い、薄幸ぶりを強調する口上を並べ続ける。

 それを俺や連れの皆は白い目で眺めていた。

 

「非はそちらにあると言っているのだがな。ディーノからの宣戦布告状もグランダムの城にある。なんなら持ってこさせようか?」

 

「そんなもの筆記が達者な者に書かせれば、いくらでも偽造できる! 我が国への侵略を正当化するための偽装工作だ! そんなものを見せられたところで俺は断じて認めないぞ!」

 

 ……当人の息子であるダスターには言いにくいのだが、ディーノ王の筆跡はかなり癖が強い。読み終わるまで少なくない時間を費やしたと宰相が語るほどだ。あの筆跡を偽造できる者なんて、そうそう見つからないと思うが。

 言いがかりもここまで来るといっそ清々しい。思わずため息をついてしまう。

 彼が言いたいことを一言でまとめるとこうだ。

 

「つまり、現在我が国の領土になっているディーノを返せと、お前はそう言いたいんだな」

 

「当然だ! 我が国はグランダムによって不当に侵略されたんだ。返してもらうのは当然だろう!」

 

 鼻息を荒くしてダスターはそう言い放つ。

 ……さてどうするか。

 

 

 

 ディーノ返還は交渉材料として考えてはいた。

 ディーノも交易で栄えている国とはいえ、生産力も経済力もリヴォルタと比べればかなり劣る。経済力に至っては三分の一にも満たない。

 リヴォルタ侵攻を取りやめさせる代わりに、ディーノを返すというのも手の一つだと思っていた。

 しかし、どうやらこの侵攻は皇帝が命じたもので、ダスターが侵攻中止に応じたとしても、皇帝がそれを認めるとは限らない。

 それにダスターがディーノを取り戻したらそれで気が済むタマか? 俺はそう思わない。まがりなりにも、奴とそれなりに長い付き合いになる俺だから断言できる。

 

 ダスターは間違いなくグランダムへの報復(侵攻)を企んでいるはずだ。

 

 今までの間もダスターはそれを考えていたはずだが、ディーノから逃げてきた兵が少なすぎるためしたくてもできなかった。だが、今のダスターはリヴォルタ平定の名目で、八万もの大軍を手に入れている。

 

 一方、我が軍の兵は三万、すべての領地から総動員しても五万が限界だ。

 この時点で我が国の兵より、ダスターが率いている兵の方が多い。

 その軍のほとんどは、リヴォルタ平定のために皇帝から一時的に借りている兵だが、ダスターは口実を付けて八万の兵を保持し続けようとするだろう。そこまではいかずとも、ダスターは権勢を駆使してそれなりの大軍を保持し続けると考えるべきだ。

 しかもリヴォルタで兵を募ればその数はさらに増える。人口から考えておそらく三万は挑発できるだろう。十万以上の兵を養うための食料もリヴォルタには十分ある。もっとも市民にとってはかなり重い負担だろうが。

 

 ただでさえ我が国のすぐ南に八万の軍が集まっている状態だ。

 それを阻止したいのは山々だが、この状況で下手にリヴォルタ侵攻の中止と引き換えにディーノを返したりすればどうなるか。

 ダスターは八万の軍とともにディーノへ向かい、そこからグランダムに攻撃を仕掛けるかもしれない。あるいは侵攻中止の約束を反故にしてリヴォルタをそのまま併合し、ディーノとリヴォルタの双方からグランダムを攻めることもありうる。その場合、リヴォルタから徴兵した三万の兵も加えてだ。

 ……駄目だ。ダスターにディーノを返すのは危険すぎる。

 

 

 

 俺がどうすればいいのかと悩んでいる間も、ダスターはリヴォルタを返せと迫り続ける。

 

「さあここで、帝国兵が聞いている前で、俺の国を返すと宣言しろ! さもないとこうして我が軍の進行の妨害していることを、グランダムからの宣戦布告とみなし、この場にいる八万の軍勢がお前たちを踏み潰すぞ!」

 

 その言葉を聞いて元ディーノ兵は剣を構え、俺たちも一斉に身構える。

 あっさり会見に応じたのはこのためか。

 

「あたしらを踏み潰すってよ。こりゃあもう戦うしかないんじゃないの」

 

「左様だな。主ケント、ここに至ってまだ戦うつもりはないと仰られるか? 相手が仕掛けてきたこの状況ならば、勝ちさえすれば帝国に対しても自衛のためだったと申し開きもできますが」

 

「アタシは構わないよ。へへっ、これでようやくあいつをぶっ飛ばせる」

 

「あの……やる気があるのはいいんだけど私を守ることも忘れないでね。この状況だとリンカーコアを抜き取る暇なんてないから、私は戦えないのよ」

 

 そう言いながら守護騎士たちは武器を構える。彼らの中でザフィーラだけが無言だったが、彼も手甲に覆われた拳を突き出しており、やる気があるのは他の騎士たちと変わらない。

 その中でエリザとジェフも椅子から立ち上がり、わずかに身構えてはいたものの武器を出さず無言で立ち尽くしていた。

 

 それを見て――

 

「お待ちくださいフィアット侯殿! ここに来るように言ったのは侯爵の方です。それに相手はまだ何の返答も出していません。しかもあちらにはまだあの方が――せめてあの方がいる間は穏便に済ませるべきです!」

 

 俺たちとダスター率いる元ディーノ兵が剣を向け合うのを見て、白い甲冑を着た帝国兵がダスターにそう忠告しようとした。

 しかし、ダスターは帝国兵を突き飛ばしながら怒鳴り散らす。

 

「あの方? 誰だそれは? 知ったことか! 俺は皇帝陛下からリヴォルタ侵攻の命とこの軍の全権を預かったフィアット侯ダスターだぞ! 次期ディーノ王だぞ! わかったらお前たちもさっさと剣を抜かんか! こいつらは我が軍の進行を妨げた帝国の敵だ! リヴォルタへの見せしめのためにも、帝国に歯向かう輩はここで一人残らず八つ裂きにしてやらんとなあ!」

 

 その言葉を受けて帝国兵たちは、ダスターに言われるがまま俺たちに剣を向ける者、渋々剣を抜く者、剣を抜くこともできずどうすればいいかわからず棒立ちしている者に分かれた。

 

 黒衣の女も意を決したように硬い表情で俺を見る。

 

《我が主、こうなっては仕方ありません。戦いに入ったらすぐにユニゾンします。ただ、間違ってもエクリプスというウイルスの力は使わないようにしてください。そんなことをすればウイルスが抑えられなくなってしまいますから》

 

《ああ。わかってる》

 

 あの戦いの翌日、ベッドの上にいた俺に黒衣の女は教えてくれた。

 俺の中のエクリプスウイルスは消えてなくなったわけではない。抗体によって押さえつけているだけだ。そのためウイルスは何らかのきっかけでまた目覚めてしまうかもしれない。例えば俺が適合者、いや感染者としての力を使った場合など。

 あの力を使ったが最後、俺は人を殺し続けない限り、生きられない体になってしまうということだ。いや、もしかしたらこの先抗体がウイルスを押さえつけられなくなった時点で俺は……。

 

 二つの意味で覚悟を決めながら俺は剣を鞘から抜く。

 

「……?」

 

 その時、飛行魔法でこちらに飛んでくる魔導師が見えた。

 俺を含めそれに気付いた者たちの視線を追って、敵味方双方が頭上を見上げる。

 魔導師は戦いを始める寸前の雰囲気にすくみかけるも、後ろの方でいまだに剣を抜かず悠然と構えているローダン伯爵の側に降り、何かを告げ始めた。

 伯爵は見る見るうちに目を見開き、やがて――

 

全軍に次ぐ! 演習は中止だ。これより本国へ帰還する! すべての兵は今すぐ帰還に備えて準備を整えよ!

 

 ……はっ?

 

 そんな言葉と疑問符が敵味方関係なく、俺たちの頭の中に飛び交った。

 ダスターは伯爵の方へ駆けて行き――

 

「お、お前は何を言っているんだ? リヴォルタを目前に今から帰還しろだと? そんな真似ができるか! 第一貴様に何の権限があって――」

 

 まくしたてるように文句を言うダスターを見下ろしながら伯爵は……。

 

「これは皇帝陛下直々の命です。演習はこれまでにして早く帝都に帰還するようにと」

 

「へ、陛下が?」

 

 ダスターの復唱に伯爵はゆっくりとうなずき、言葉を続ける。

 

「私はこの軍に組み込まれる以前より、指揮官から指揮権を没収する権限と、指揮官に代わって全軍の指揮を執る権限を委ねられています。侯爵殿が陛下の命に背いた時は私が代わりを務めるようにと」

 

「な、なんだと!?」

 

 伯爵から告げられた事実にダスターは目を剥いて驚く。

 伯爵はさらに続けて言った。

 

「そして侯爵殿は陛下の帰還命令に背こうとしましたな。これがどういうことかお分かりか?」

 

「ど、どういうことなんだ……?」

 

 伯爵が何を言わんとしているのか半ば察しながらダスターは恐る恐る尋ねる。

 対して伯爵は顔色一つ変えないまま、

 

「陛下の命に背こうとした以上、貴様はもう指揮官ではないということだ! 邪魔だからとっとと馬車に戻っとれ!」

 

 伯爵に大声で怒鳴られ、ダスターはひぃっという声を上げながら逃げて行った。

 つられて元ディーノ兵はダスターを追っていき、帝国兵も武器を収め始めた。

 伯爵はそこでふうっと大きなため息をつき、俺たちに向き直った。

 

「お見苦しいところをお見せしましたな。あの男には(それがし)も癇に障るものがありまして」

 

「……いや、助かったよ伯爵。それに正直に言うとスッとした。あいつにもいい薬になったと思う。ディーノ王は相当あいつを甘やかしていたらしい」

 

 俺の言葉に伯爵は「そうでしょうな」と苦笑した。

 

「しかし助けてもらっておいてなんだが、いいのか? あと一歩でリヴォルタを手に入れることができるところだったろうに」

 

 俺の問いに伯爵はとぼけるように首を傾ける。

 

「さて、某に聞かれてもさっぱり。先ほどあの男にも言ったとおり、これは皇帝陛下直々の命なのです。そうでなければ某とてあそこまでは言えませんな」

 

「ゼノヴィア皇帝からの?」

 

 繰り返す俺に伯爵はうなずく。

 

「はい。お恥ずかしながら我が帝国では最近軍全体に渡ってたるみが見られましてな。そこで陛下は大規模な行軍演習を発案されて、その実施をフィアット侯爵に命じられました。陛下から見て侯爵の軟弱ぶりは目に余るものがあったのでしょう。これを機に彼も一皮むけないかと」

 

 そこで伯爵は大きく肩をすくめ、

 

「しかし一週間経っても我々はリヴォルタに入ることすらできておらず、それを聞いて陛下は大層お怒りになられ、もう演習などやめにしてさっさと戻ってこいとおっしゃられたそうです。……そうだったな?」

 

「は、はい。陛下はリヴォルタなど放ってすぐに戻ってくるようにと」

 

 伯爵に問われて皇帝からの使者らしい魔導師が同調する。

 

 ……いや、おかしいだろう。

 他国より一世紀ほど進んだ技術と文化を隠し持つリヴォルタは、連合同様、帝国にとっても喉から手が出るほど欲しい要所だったはずだ。

 その街を手に入れる機会をみすみすふいにするなんて。

 どういうことだ? このおかしな動き、帝国で何かがあったとしか思えない……いや待て、自国とは限らない。何かが起こっているのは帝国ではなく……

 

「ふざけないで!」

 

 その声に俺は後ろを振り返る。

 伯爵の話を聞いて声を荒げたのはエリザだった。

 

「帝国の軍が迫ってきたことで、街がどれだけの騒ぎになったと思っているの? しかもここに来て突然軍を退却させるなんて――おば様は一体何を考えているの!?」

 

 エリザは激しい剣幕で伯爵を怒鳴りつける。

 伯爵はそれに動じるそぶりを見せず、ゆっくりと首を横に振りながら言った。

 

「それは某にはわかりかねますな。陛下はただ演習を終わらせて帝都に戻るようにとしか」

 

「そんな説明で納得できるわけないしょう? ちゃんと教えてもらうまで――えっ!?」

 

 更なる怒声を浴びせようとしたエリザだったが、伯爵の視線を受けて急に言葉を引っ込め呆然とする。まさか、思念通話で何かを?

 

「エリザ、どうした? 貴様、彼女に何を――」

 

 シグナムはエリザに駆け寄って彼女の肩をつかみながら伯爵を睨むが、伯爵はひるみもせずシグナムを見つめ返すだけだ。

 彼はシグナムを無視してエリザに視線を戻しながら言った。

 

「エリザ様、陛下からの伝言です。『これから大陸中が慌ただしいことになる。悪いことは言わんからそなたも早く本国へ戻ってこい。色々と聞きたいこともあるからな』とのことです。では某も帰国の支度を整えねばなりませんのでこれで。失礼しましたなグランダム王。リヴォルタの民には申し訳なかったと伝えてくだされ」

 

 そう言って伯爵もまた俺たちから遠ざかっていた。

 俺はエリザの方を向いて尋ねる。

 

「大丈夫かエリザ? ……伯爵は何と?」

 

 俺の問いにエリザはぼんやりしながら言った。

 

「…………聖王が…………連合の聖王が…………」

 

 

 

 

 

 

 シュトゥラ王城・謁見の間。

 

「失礼します国王陛下!」

 

 扉が開かれた途端、オリヴィエは彼女らしくもなく慌てた様子で、半ば駆け込むように謁見の間に入る。

 そんな彼女を玉座に座ったままのシュトゥラ王と、その前に立っていたクラウス、まわりにいた王宮の高官たちが迎えた。

 それを見てオリヴィエはしまったと思い、すぐに立ち止まった。

 だが、王とクラウスは気分を害した様子はなく、重々しい表情を彼女に向ける。

 王は謁見の間に来たオリヴィエに向かって口を開いた。

 

「オリヴィエ殿、忙しいところを呼び立ててすまんな」

 

「いえ、私こそはしたないところをお見せしました。……それで、私を呼びに来てくれた侍女から聞いたのですが……本当なのですか?」

 

 オリヴィエの言葉に王はゆっくりとうなずく。

 

「うむ。無理なことだとは思うが落ち着いて聞いてくれ。……聖王陛下……そなたの父君が」

 

 そこまで言って王は言葉を止める。オリヴィエは堅い表情でその言葉の続きを待っていた。

 

「……崩御された。つい先ほど聖王都の使者が余のもとを訪ねてきて、そう告げられた」

 

「――っ!」

「オリヴィエ!」

 

 父の悲報に体を震わせるオリヴィエを見て、クラウスは場所も周囲の目も顧みず、彼女の側に駆け寄り体を支える。

 それに対してオリヴィエは片手を出してクラウスを制した。

 

「大丈夫です。ありがとうクラウス。……申し訳ありません陛下。お見苦しいところをお見せしました」

 

「よい。そなたの気持ちはわかる」

 

 (かぶり)を振ってそう言った王にオリヴィエは少し考えるそぶりを見せた後、思い切った様子で尋ねる。

 

「陛下、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

「何かね?」

 

「父は……聖王陛下はどのような亡くなり方をされたのでしょうか?」

 

 オリヴィエの問いに王は目を見張り、困ったように視線を宙に泳がせしばらくしてから言った。

 

「余も使者殿から知らされたばかりでな。詳しいことは知らぬのだが、病死だと聞いておる……一週間ほど前から具合を悪くされて今日の昼過ぎ頃に……すまぬ、それ以上はわからんのだ」

 

 その説明にオリヴィエはかすかに眉をひそめる。

 

(病死? ゼーゲブレヒト城には老衰以外なら、どんな病気も治せる設備があるのに?)

 

「オリヴィエ殿?」

 

「――いえ、何でもありません。妙な事を聞いてしまい申し訳ありませんでした」

 

 訝しげに声をかけてきた王に向かってオリヴィエは頭を下げた。

 それに対し王はよいと言ってから、

 

「とにかくそういう訳だ。オリヴィエ殿、クラウス、そなたたちはすぐゼーゲブレヒト城に参内する準備をしなさい。本来なら余も行かねばならないのだが――ゴホッ! ゴホッ!」

 

「父上!」

「陛下!」

 

 咳き込んだ王にクラウスとオリヴィエと玉座の隣にいた宰相が駆け寄ろうとするが、王は片手を出してそれを制した。

 

「よい。ただの風邪だ。もう治ったと思ったのだがしつこい風邪だよ」

 

 そう言って王は笑う。だが、クラウスもオリヴィエも臣下たちも、笑いを返すことはできなかった。

 最近になって王は具合を悪くすることが増えた。

 起動宣言をはじめとする、聖大陸の情勢の変化といった外的な要因が影響しているのかもしれないし、単に年齢のせいかもしれない。

 だが、王のまわりにいる者は考えざるを得なかった。

 現王に死期が迫っていること、そして王亡き後に王位を引き継ぐであろうクラウスの存在を。

 王自身もオリヴィエも例外ではない。

 父は風邪が残っているだけで、すぐにまた調子を取り戻すと()()()()()()()()()()のはクラウスだけだ。それが父の死や、王位を引き継ぐ重圧から目をそらすための現実逃避でしかないとわかっていながらも。

 

「とまあ、このとおり宰相からしばらくの間外出を止めるように言われておってな。余は聖王都まで行くことができぬ。クラウス、そなたが余の代わりにお悔やみを伝えてきてくれ」

 

「はっ。このクラウス、陛下の代理という責務を見事果たしてまいります。後の事は私たちに任せて、陛下は心置きなくご静養ください」

 

 クラウスは胸に手を当てながら王にそう告げる。

 王は「うむ」とうなずきを返した後、オリヴィエに顔を向けた。

 

「オリヴィエ殿、そなたも行ってくるがよい。私の事は気にせず、父君に最後の別れを告げてこられよ」

 

「……はい。お心遣い感謝します。陛下」

 

 クラウスに続いてオリヴィエも王に向かって頭を下げた。

 オリヴィエの心はいくつもの思いでいっぱいだった。

 自身の父の死を悼む気持ち、シュトゥラ王の回復を祈る気持ち、これらの出来事が更なる戦を繋がらぬように願う気持ち。そして……

 

(突然の病死……二ヶ月前の起動宣言…………まさかお父様、あなたは自ら)

 

 

 

 

 


 

 起動宣言から二ヶ月後、聖王陛下は急な病に襲われベルカを去られた。

 そして、聖王陛下の崩御とほぼ同時期に、愚王ケントはリヴォルタをグランダムの領土として併合する。このことからケントが『闇の書』を用いて、聖王陛下に何らかの呪術をかけたのはもはや疑いようがない。

 

 聖王陛下の崩御とグランダムによるリヴォルタ併合。

 この二つの出来事は、聖大陸に更なる混乱を引き起こすことになる。

 

愚王伝第3章 終

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