「どうして皇帝がお兄様の部屋なんかにいるんですか!?」
俺とゼノヴィアが酒を酌み交わしながら身の上話に興じている間に、部屋の前まで来たティッタはゼノヴィアの声と呼びかけに反応して部屋に入り、開口一番にそう尋ねてきた。仮にも部屋の主となっている俺ではなく、ゼノヴィアに向かって。
「どうしてって見てわからんか? ともに酒を飲んでいたのだ。そういきり立たんでもそなたの分は残っているぞ。足りなければよそから持ってくればよいしな」
「違います! なんで皇帝がお兄様と二人で酒なんか飲んでるのかって聞いてるんですよ! 相手が欲しいならエリザさんと飲めばいいじゃないですか! ……あんたまさか、エリザさんに続いて皇帝とも……」
ティッタはそう言って険しい目つきで俺を睨んだ。
「ち、違う! ゼノヴィアとは互いの国の今後についてや、ちょっとした身の上話をしていただけで――それに俺とゼノヴィアでは年が離れすぎているだろう!」
「確かにな。私にとっても二十もいかん小童など眼中にない。それに私の夫になるのなら私と互角に渡り合えるだけの、あるいは私と正面から戦おうとするぐらいの気骨は欲しいところだな。どちらにせよ、この小僧では望めん」
……ゼノヴィアに正面から挑もうとする男なんているのか? ……さっきの話だとゼノヴィアって三十はいってるはずだし、これって何気に王朝断絶の危機じゃないのか?
「……あーそうですか。確かにお兄様じゃ
「うむ。エリザにも悪いしな。ケントにはあやつぐらいでちょうどいいだろう。そなたもそれが聞きたくてここに来たのではないか?」
「あっ! そう、それを聞こうと思ってたんですよ!」
ゼノヴィアに水を向けられたことで、ティッタは思い出したようにポンと手を打った。
そしてティッタは引きつった笑顔を俺に向けて、
「ねえお兄様……昼間の模擬戦の後、みんなで湯殿に向かったのは覚えてるよね?」
その問いに俺は首を縦に振った。振るしかなかった。
「アタシたちはゼノヴィア陛下も交えて、
「……ザフィーラは買い出しの手伝いを頼まれたとかでいなかったな」
「そっか。じゃあお兄様一人で入ってたの?」
「…………」
おそらくティッタを始め女性陣たちは、
「そっちはどうだったんだ? さっき、ほとんどと言っていたが、誰かそちらに来なかった者でも……」
「うん。いつまで経ってもエリザさんが現れてこなくてさ、陛下も不思議がってたよ」
俺はゼノヴィアを見る。ゼノヴィアは俺から目を背けて、ワイン片手に窓に映っている月を眺めていた。雲から漏れる月の光は徐々に強くなっている。月の光がもっとも強くなる日は雲の向こうにある月が、満月になっている日だと本で読んだことがあるな。
「おい、話の途中で空なんて見てる場合か」
その言葉に圧されて、俺はティッタの方に視線を戻す。
ティッタの表情からすでに笑みは消えていた。
「さて、もう一度聞こうか。お兄様は一人で湯殿に入ってたの? それとも……」
「……エリザと入ってました」
立場上ゼノヴィアにも使っていなかった敬語で俺はついに白状した。
それを聞いた瞬間、ティッタの額に青筋が浮かび上がる。すると――
「ふむ、何やら話が込み入ってきたようだな。酒は置いておくから後は二人でじっくり語らうがよい」
そう言ってゼノヴィアは立ち上がり、扉の方へ足を進めていく。
ティッタは彼女に向かって――
「ゼノヴィア陛下は聞いていかないんですか? 愛弟子の純潔が散らされたかどうかっていうのに」
「よい。エリザがどこぞの流れ者と駆け落ちしようというわけでもあるまいに、童どもの色事に構ってられるか。少し気になることもあるし私はこれで失礼するぞ」
そう言ってゼノヴィアはこちらを振り返らず、手を振りながら部屋を出て行き、俺とティッタだけが部屋に残された。
◇
客室の扉を閉めてケントとティッタの目がなくなったところで、ゼノヴィアは廊下沿いにいくつか設けられた窓を眺めながら考えていた。
(満月まであと数日か。月には魔力が宿っており、このベルカなどの星にも影響を及ぼすことが度々あると聞いたことがあるな。……そういえば《聖王のゆりかご》の動力源の一つが、空から注がれてくる月の魔力だと耳にしたことがあるな……連合の《起動宣言》が本気だとすればもしや)
◇
ゼノヴィアが去ってから、ティッタは彼女が座っていた椅子に腰かけてグラスを掴み、たんまりと酒を注ぐ。
そして間髪入れずティッタはグラスを傾けて中の酒を一息に飲み干した。
「で、やったのか? いたしたのか?」
「もう少し言い方に気を付けたらどうなんだ。それとその二つじゃ意味が同じだからな」
「うっせえ! とっとと答えろ!」
卓にグラスを叩きつけながらティッタは詰め寄ってくる。まさかもう酔ってるのか?
「……まだ何もしてない。一緒に湯に浸かっただけだ」
体も全部見たわけじゃないしな。
エリザ曰く、淑女たるもの結婚するまでは、相手に体を見せることも触れさせるのも許してはいけないものらしい。なんだかんだであいつも貞淑な令嬢というわけか。
「まだねえ……つまり、からこれから先は何かするかもしれないと?」
「……まあ、可能性はある」
乾いた口を酒を含むことで湿らせながら、俺はどうにかそう答える。
「……お兄様はリヒトさんのことが好きなんだと思ってたんだけど、それってアタシの勘違いかな?」
「……いや、たぶん合ってる」
「たぶん?」
「――間違いなく合ってる!」
低い声で尋ね返され俺は反射的にそう言った。それが意味することを分かっていながら。
「だよねえ。シグナムさんやシャマルさんには、平気で肩とかバシバシ叩くくせに、リヒトさんが相手だともじもじしながら一言声かけるのがやっとだったもん。それも顔赤くしながら。いたいた、アタシのまわりにもそんなのが」
「えっ!? そんな奴がいたのか? まさかお前、その中の誰かと――」
ティッタの口から出てきた思わぬ事実に、俺は思わず腰を浮かながら尋ねる。
それにティッタは手を振りながら答えた。
「あー、ないない。冴えない奴らばっかしだったし。それ以前に告る度胸もない奴らなんか相手にしてられるか」
その答えに俺は安堵の吐息をつき椅子に座りなおす。
そうか、まだいないのか。いたら帰国次第すぐにそいつを城まで呼び出して、徹底的に問い詰めようと思っていたところだった。
そんな俺に構わず、ティッタはあることを口にした。
「それに今のアタシは伯爵以上の貴族としか結婚できないんじゃなかったっけ?」
「ああ、その通りだ」
貴族と平民では結婚はできない。それは誰でも知っていることだ。
では貴族と貴族ならいいのか? と言われると、それぞれの爵位による。
貴族には上級貴族と下級貴族があって、公爵から伯爵までが上級貴族、それ以下の爵位、つまり子爵と男爵が下級貴族となる。その下には準男爵と騎士がいるが一代限りなので貴族とみなされないのがほとんどだ。
そして貴族同士の結婚は上級貴族同士、下級同士でなければ結婚できない。
ティッタは三ヶ月前からリヴォルタ辺境伯の爵位を得て上級貴族となったため、伯爵以上の上級貴族としか結婚できなくなる。
それでも王族である俺よりは選択肢は広いし、ティッタの場合いざとなれば……。
「まっ、アタシに平民で好きな男ができたら、貴族辞めてそいつのとこに行くけどね。なんなら今すぐ爵位返そうか?」
「せめて引継ぎを済ませてからにしてくれ。リヴォルタの政務を取り仕切ってる身でもあるんだぞお前は」
そう戒めるとティッタは舌打ちしながら二杯目を注ぎ、グラスを傾けた。
「まあいいや。話を戻すよ。お兄様はリヒトさんのことが好きで合ってるよね?」
俺はうなずきを返す。
それにはティッタも異はないらしく、うなずき返して問いを続ける。
「でも、お兄様はこれから先エリザさんとも何かすると……いや、もう具体的に言え。抱くつもりなんだろう?」
俺はうなずきを返――
「浮気じゃん! 二股じゃん! 不倫じゃん! しかも相手は二人ともベルカきってと言っていいくらいの絶世の美女! 欲張りすぎにもほどがあんだろ! お前も結局
俺が首を振ろうとした瞬間、ティッタは立ち上がり予想通りの罵声を飛ばしてきた。耳をふさぐのが間に合わなかったせいで耳鳴りが響く。
「待て! これにはわけがあるんだ!」
「ほう、聞かせてもらおうか。お前みたいなもやしがあんな上玉を二人いっぺんにモノにしようって肉食に変貌しちまったわけを!」
ティッタはそう言ってドスンと椅子に座りなおしふんぞりかえる。……仮にも俺が主君でティッタが臣下のはずだよな?
「さっきも言った通り俺はリヒトのことが好きだ。それは確かだ」
俺がそう言うとティッタは「だろうね」と言った。
「でも、俺は一国の王で、結婚できる相手がかなり限られている。おそらく他国の王族でもないと妃には出来ないだろう」
「……まあ、そうらしいね」
ティッタもそれくらいはわかるらしい。渋々同意の声を上げる。
さっき挙げた通り、ティッタを含めた上級貴族は上級貴族としか結婚できない。
王族も身分の釣り合いを取るため、あるいは他国との関係を強めるため、もっぱら他国の王族と婚姻を結ぶのが通例だ。
しかもベルカでは、もう三百年はどこで戦争が起こってもおかしくない時代が続いている。政略結婚を通してでも、他国との繋がりは持てるだけ持つのが常識だ。
「リヒトは貴族ではないし、仮にお前の時のように領地を与えて貴族に出来たとしても俺の妻には出来ない。その点エリザは帝国の上級貴族の令嬢で、一国の王家に匹敵する力を持ってる。つまり……」
「リヒトさんとは結婚できないけどエリザさんとはできるってこと?」
ティッタの確認に俺はうなずきを返す。
「じゃあリヒトさんのことは諦めて、エリザさんと結婚すればいいじゃん。エリザさんだってリヒトさんに負けない美人だし、傍から見れば十分羨ましいぐらいだよ」
「…………諦めたくない」
我ながら子供みたいな言葉が漏れる。
そんな俺をティッタは呆れた視線で見下ろしていた。
「それでエリザさんと結婚しつつ、リヒトさんのことは
そう言われて俺はこくりとうなずいた。
俺がリヒトと付き合うには彼女に告白したうえで、なおかつ妾になってもらうことを承諾してもらうしか手は残されてないだろう。ならそうするしかない。
ティッタは俺をしばらく眺め、やがて根負けしたようなため息をついて、
「……分かった分かった。百歩譲ってリヒトさんを妾にするのはいいとしよう。元々アタシがどうこう言えることじゃないしね。で、リヒトさんを妾にした後はどうするの? もうそこらへんも考えてんでしょう」
「できれば一緒に王宮で暮らしたいと思ってる。エリザもそれで構わないそうだ」
(構わないんかい……エリザさんってそういうのは絶対許さない人だと思ってたんだけど。お兄様といい、恋なんてすると人間変わるもんだなあ)
ティッタはしばらくの間考え込むように動きを止めてから、また口を開いた。
「じゃあエリザさんの場合はいいとして、リヒトさんに子供ができたらどうすんの? あの人も守護騎士のみんなと同じ…えっと……プログ…なんとからしいから子供ができるかわかんないけど、万が一のことは考えた方がいいんじゃない?」
俺とリヒトの子供か……むしろ生まれてきてほしいと思う。
生まれてくるとすれば男の子と女の子のどちらだろう?
母親に似るのは息子の方だと聞くし、やはり息子の方が、いや母親に似ている娘だっている。どっちも捨てがたいな。
「――おいバカ兄貴! 戻ってこい!」
「な、何だ? 今悩んでいるところだったのに。まあ、ほぼ結論は出たが」
「そう、やっぱり子供も王宮で育てんの? それとも子供ができたら離宮とか建てて、そっちに住んでもらうの? アタシもさすがにそれは仕方ないと思うけど――」
「馬鹿言うな! なんで我が子と別々の場所で暮らさなきゃいかんのだ!?
あらん限りの声を張り上げてそう告げると、さすがのティッタも気圧されたのか、ぽかんとしながら俺を見つめたままになった。
そして、
「ふ、ふーん、王宮に置いとくんだ。……でもわかってんの? 庶子は王位を継承することができないんだよ。そんな風にどれだけ溺愛しようがそう決まってんの。あんたがリヒトさんと結婚できないようにね」
「無理に王位を継がせようとは思っていない。本人がそれを望んでいたら気の毒だがな。せめてどこか領地を与えて貴族の位を与えるくらいは考えているが――あっ!」
話の流れでついそれをこぼしてしまい、俺は慌てて言葉を飲み込む。
だが時すでに遅し、ティッタはやっぱりといった顔で鼻を鳴らした。
「やっぱり――おかしいと思ったんだよね。なんで読み書きがやっとのアタシをリヴォルタの領主なんかにしたのか。そんなことしなくてもリヴォルタを直轄領にして総督を送るとか、いくらかやりようがあったろうに。あんた、自分とリヒトさんの子供を貴族にするための予行演習に、アタシを利用したな!」
「ま、待て。そういう意図もない事もないが、お前のために何かしてやりたいと思っていたのも確かでな。それにお前がリヴォルタを監督してくれて、ずいぶん助けられている。テジス市長も賞賛していたぞ。治安面を始めいくつかの面は前より良くなったとな。だから――」
誤魔化し三割本音七割でそこまで言うとティッタはふっと笑い、
「分かった分かった。少なくともお兄様がリヒトさんと、生まれてくるかもしれないリヒトさんとの子供を大事にするつもりだってことは、よーくわかったとも。せいぜい大切にしてやんな……ただ」
ティッタはそこで笑みを消し、神妙な顔で言った。
「これだけは忘れんなよ。その子供があんたを恨むようになるかもしれないってことを……アタシみたいにね」
そう言ってティッタはグラスを一気に傾け、中に入っている酒を飲み干してから「お休み」と言い残して部屋から出て行った。
そうだった。あいつも父と妾との間に出来た庶子だったな。
俺が妾を持つことや庶子ができるかもしれないことに思うところがあるわけだ。
妾に庶子か。自分でも不誠実だと思うが、リヒトと深い仲になるにはこれしか方法がない。ティッタには悪いが見守っていてもらおう。
もっとも色々考えているものの、俺がリヒトに振られたり、彼女が妾になるのを嫌がったら元も子もなくなるわけだが。……その時は改めてエリザだけを愛すると彼女に誓おう。
◇
ダールグリュン帝城でケントがそんな皮算用と決意をしている頃、シュトゥラでは……。
聖王家の血族を狙う他国からの刺客が放った火によって業火に包まれる街中で、地面に横たわっている青年と、彼の近くに立ったまま青年を見下ろす少女がいた。
少女は青年に語り掛ける。
「クラウス、今までありがとう……だけど私は行きます。もう二度と戦なんかで大地が枯れることがなくなるように。本や絵でしか見たことがない青空と、グランダムのお城の庭に咲いてるような綺麗な花がどこでも見られるような世界を取り戻すために」
それに対して青年、クラウスは右腕を抑えながら立ち上がろうとする。しかし足を動かそうとした途端に激痛が走り、それ以上足を上げることはかなわなかった。
クラウスは顔を上げ少女を呼び止める。
「待ってくださいオリヴィエ! 勝負はまだ――」
ここから立ち去ろうと背中を向けていたオリヴィエは、もう一度クラウスの方へ向き直り口を開く。
「クラウス。こんな恩知らずの事は忘れて、あなたはこれからも良き王子として、国民や臣下たちと共に生きてください。そしていつかは陛下の後を継いで、立派な国王になってください……空の上から見守っていますよ」
空の上からという言葉に反応し、クラウスは思わず足を上げようとして激痛でうめく。
だが顔を伏せることはしない。
「待ってください! まだです!」
クラウスが言い終わるのを待たず、オリヴィエは彼に背を向け歩を進める。
「まだ他に方法はあるはずです! オリヴィエ、僕は――」
クラウスの悲痛な叫びにオリヴィエは返事を返さず、右の義手を上げるのみだった。
「オリヴィエ―!!」
いつしか目から涙を流しオリヴィエの名を叫ぶクラウス。
彼には見えないだろう。
クラウスに背を向けるオリヴィエの涙とくしゃくしゃに崩れた顔は。
永きに渡るベルカの戦乱の終わり、そしてグランダム王国の滅亡の日はすぐそこまで迫っていた。