グランダム王国のディーノ併合、王位の代替わり、そして新王が肌身離さず持っている魔導書が伝説にある《闇の書》らしいことは、飛行魔法で各国を行き来する伝令や間諜によって一日もたたず各国に知れ渡った。
特に、併合を承認した当事国である『ダールグリュン帝国』には。
「皇帝陛下、ご鍛練中失礼します」
許可を得て、皇帝専用の鍛錬場に宰相が入ってきた。
鍛錬場には鎧を着こんだままで、魔導媒体でもある巨大槍で何度も突きを繰り返している女性がいる。
波打った長い銀髪を下ろした美女だが、緑の右眼と紫の左眼から光る眼光は見る者を委縮させる。
ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン。
ベルカを二分する大国、ダールグリュン帝国の皇帝にして《雷帝》の異名を持つ女傑。
「鍛錬しながらで構わぬか? 異がなければそのまま申すがよい」
「はっ! 帝国本土に亡命してきたディーノの王子が、祖国奪還とグランダムへの再侵攻に皇帝陛下のお力を賜りたいと……承認していただけた暁にはグランダムの持つ力の秘密を教示すると申しておりますが」
それを聞いたゼノヴィア皇帝はつまらなそうに肩をすくめ、再び突きを始める。
「《闇の書》……であろう? それならもう知っておる。ならば却下だ。ディーノから連れてきた兵なら動かして構わぬから、やりたければ自分でしろと伝えておけ」
「……よろしいのでしょうか? グランダムを落とせば、闇の書という伝説の魔導書を手にできるでしょうに。数万もの数の差で野戦に持ち込まれたグランダムが勝ったのは、魔導書から出てきたたった二人の女騎士の力と聞いております。そうでなくとも何かがグランダムにあるのは明らかではないかと。闇の書があの国にあるという情報も看過はできないのでは?」
「そなたは余が魔導書をめくりながら戦う姿が想像できるか?」
そう言われて宰相は言葉に詰まる。
ゼノヴィアは突きの鍛錬をやめて、宰相の方を向きおかしそうに笑った。
「クックックッ、そう怖気づいてくれるな。余もそんな戦い方が似合うと思っておらん。余にはこいつみたいな得物のほうが合うのよ。我が槍で他国を侵し、従え、勝ち上がり、ベルカの世を掴み取ってこそ我が覇道! 完成させるだけであらゆる力が手に入る魔導書など興が覚める」
自身が持つ巨大槍を小突きながらゼノヴィアはそう言い、さらに続ける。
「それに強敵が現れるのも覇道の面白いところよ。闇の書を武器とする王の誕生を祝って、ディーノくらいくれてやろうではないか。……して用向きはそれだけか?」
「いえ、エリザヴェータ様がお越しです。また陛下に稽古をつけてもらいたいと」
愛弟子の名前が出た途端、ゼノヴィアの顔がほころんだ。
「よい。ここに案内せい。どれほどこの《雷帝》に近づいたのか試してくれるわ!」
『エリザヴェータ』。遠縁ながら皇族と血のつながりがあり、ゼノヴィアが見込んだ弟子の名前である。
◇
同時期、大陸北方にある『シュトゥラ王国』では。
「ケントが《闇の書》を……それは本当ですか、陛下?」
「うむ。新たなグランダム王が黒い魔導書を用いて、習得が難しい大魔法を使ったり、尋常ではない強さを持つ騎士たちの力を借りて戦に勝ったというのは事実らしい。壊滅寸前に置かれたにも関わらず、短時間でグランダム軍を立て直しディーノ王を討ち取るまでに至ったことも踏まえると、ただの噂と片付ける方が無理だ」
シュトゥラ国王の執務室にて、机に座っている国王とその机の前に立って話をしている王子の姿があった。
すっきりした短い緑髪で紫の右眼と青の左眼の
クラウス・G・S・イングヴァルト。
シュトゥラ王国の第一王子であり、そして……
「クラウス。たしかグランダムの新王とお前は――」
「はい。少なくとも私にとって親しい友人だと自負しております。しかしまさか……」
親友が劣勢だと思われた戦に勝って命を拾い、王になった。これだけなら喜ばしいことだ。
しかし、その親友が闇の書を所持し、その力を使ったらしいというのは聞き捨てならない。
闇の書は所有者となった者に、ありとあらゆる望みが叶うほどの強大な力をもたらす“万能の魔導書”とさえ呼ばれる代物だが、その反面、闇の書の持ち主は皆書の完成のために動いて、ほどなく
グランダムが大きな力を持ったこともシュトゥラとしては脅威だが、クラウスとしては今までの闇の書の所有者のように、王となった親友までが突然行方をくらますことがないかが気がかりだった。
「クラウスよ、今度の遠征の後で構わん。一度グランダムへ行って――」
「御意。ケント……グランダム王に会って、事の真偽と彼の思惑を確かめて参ります!」
クラウスがそう告げた直後に扉をコンコンと叩く音がして、王とクラウスが扉の方を見た。
「陛下! オリヴィエ聖王女殿下がお越しになりました!」
「――!」
クラウスが一瞬固まる。後にしてもらった方がいいかと考える彼に対して、
「お通しせよ!」
王が入室を許可したのを聞いて、クラウスは思わず王を見る。そんな息子に王は――
「心配いらん。呼んだのは余だ」
そう言ったところでちょうど扉が開き、衛兵の一人に先導されながら一人の少女が入ってきた。
「国王陛下、クラウス王子殿下。拝謁に賜りこのオリヴィエ、恐悦至極に存じます」
少女は
「久しぶりだなオリヴィエ殿。楽にされよ。余もクラウスも堅苦しいのは好まん」
手を振りながら微笑む王にオリヴィエも相好を崩した。
輝くような金髪をリボンとキャップで結び、緑の右眼と赤い左目の
オリヴィエ・ゼーゲブレヒト。
同盟国シュトゥラに
王は机の上に置いた手を組んで、居すまいを正し口火を切った。
「オリヴィエ殿、貴女は南にあるグランダムという国を知っているかな?」
「ええ! クラウス様のお友達が王子でいらっしゃるとか。隣国と戦争があったと聞きますし、その方がご無事と聞いて私も胸をなでおろしていたところです」
グランダムという国の名前を聞いて、オリヴィエは笑顔を絶やさずに答えた。
一方で、王は上機嫌そうに言うオリヴィエを見て、ふむと頷きながら口を開く。
「悪印象は持っていないようだな。近々クラウスがその国へ向かう予定があるのだが、どうだろう、オリヴィエ殿も共について行ってやってくれないか?」
「はい! 喜んでクラウス様の訪問にお供させていただきます!」
「――父上!?」
笑みを浮かべながら快諾するオリヴィエに反して、クラウスの方は驚きのあまり声を荒げる。
オリヴィエは同盟保証の為に、聖王家から実質的な人質としてシュトゥラに遣わされた姫だ。
しかし、クラウスにとっては共に学び、共に遊び、共に腕を磨きながら育った、妹も同然の家族。そう遠くない内に婚約して、本当の意味でクラウスの家族となる日も来るだろうと言われている。
そのオリヴィエに対して王は、グランダムへの行軍に同行してほしいなどと言っているのだ。
クラウスは親友ケントを信じている。しかし、人の気持ちというものは確かとは限らない。それにケントを傀儡にして、重臣たちがグランダムを動かしている可能性は十分にある。国王がいまだ年若いケントならありうる話だ。
クラウスもオリヴィエも無事で済む保証はない。
しかし、それを分かって王はクラウスに言い聞かせる。
「ものは考えようだ。グランダム王となったケントとやらがお前と親しいということは、我が国にもそれほど悪くない印象を持ってくれていると考えていい。そこへお前と共に聖王家の王女が訪ねてくれば、ケント王は聖王連合を意識せざるを得ない。良い方にな。闇の書の主が我ら聖王連合に味方してくれれば、帝国も矛を下ろす気になるやもしれん」
「……確かにそういう考え方も……しかし」
納得がいかず顎に手を乗せ考え込むクラウスを見て、オリヴィエはフフフと笑った。
「大丈夫ですクラウス。クラウスが親友だと信じる方でしょう。いい方に決まっています……あっ!」
王の前でクラウスに敬称をつけ忘れたことに気が付き、オリヴィエは王の様子をうかがう。だが、王は笑みを浮かべるだけだった。
「よいよい。オリヴィエ殿とクラウスの事はとうの昔に知っておる。私はそなたの事も娘同然だと思っておるのだぞ。オリヴィエはそう思ってくれぬのか?」
「いいえ、そんなことは! 機嫌を直してください、お父様」
そう言ってごまをするオリヴィエに、王もクラウスも笑いを吹き出した。
◇
『聖王連合』という言葉には、広義の意味と狭義の意味がある。
広義の意味では聖王家と同盟を結ぶ国家すべて。シュトゥラ王国もこれに含まれる。
しかし狭義の意味では、聖王になりうる魔力コア《聖王核》を組み込まれた王家を戴く国家に絞られる。これにはシュトゥラは含まれない。
これら王家は内外では『中枢王家』と呼ばれている。
聖王連合の中心地、聖王都では連合の頂点に君臨する
「グランダムという国が隣国ディーノを攻め落とし領土を広げた。それはどうでもいい。しかし、見過ごせないのは新たにグランダム王となった男が《闇の書》を手に入れたということ」
王の一人がそう切り出した。
「闇の書は魔力を集め完成させれば、神に準ずる力を持つとされる。おこがましくも《聖王のゆりかご》を凌ぐほどのな」
「――!」
《聖王のゆりかご》という言葉が出た途端、聖王がかすかに身じろぎする。
周りの王はそれに気付きながら、見て見ぬふりをしながら話を続けた。
「どうする? 攻めるか。闇の書は色々恐ろしい噂も聞く故、我らの手中に入れておいた方がいいかもしれん」
「いや待て! 今の王はシュトゥラの王子と交流を持っていたと聞く。そこからあの国を連合内に誘い込めるのではないか。確かあそこには――」
「……我が娘、オリヴィエがいる」
王の言葉の続きを他ならぬ聖王ゼーゲブレヒト王が紡ぐ。
その瞬間、王たちの目が一斉に聖王の方に向いた。
自分に集まった視線に聖王はすくみ上がり、口を閉ざしかけるも、自らを奮い立たせて言葉を続けた。
「オリヴィエは母も手も、『聖王』の継承権をも失いながらも人を引き付ける魅力がある。人質として預かっているシュトゥラの王家や、そのまわりの人間からも好かれているという。あの娘ならグランダムの王から連合への帰順を勝ち取ることもできよう……武力を用いるまでもない」
聖王のその言葉を聞いてまわりの王たちは――
「なんと慈悲深い!」
「感服いたしました聖王陛下!」
「オリヴィエ聖王女殿下の慈愛と聖王陛下の徳を知れば、グランダム王もおのずから陛下に膝をつくでしょう」
王たちは口々に聖王をたたえ、拍手を打ち鳴らした。
しかし、彼らは知っているのだ。聖王がゆりかごから話をそらそうとして、穏便な解決を唱えたことに。
そして聖王も聖王女オリヴィエを誇らしく語るようで、内心は複雑な感情を秘めていた。
生まれた時に母を、幼くして腕と継承権を失い、つい四年前に人質としてシュトゥラに送られた娘を憐れむ気持ちはあるし、それまで抱いていた愛情は本物だった。
しかし、シュトゥラで充実した日々を過ごし、機能性が高い義手を手に入れて不便を解消し、王族をはじめとしたシュトゥラ人の信頼を獲得していったというオリヴィエの近況を聞き、聖王は実の娘に嫉妬心を抱いた。
自分はいつゆりかごに乗せられるか、怯えながら聖王位についているというのに。
(私は十分この世の享楽を楽しんだ。得られぬのはゆりかごに乗せられる恐怖がない安息のみ。ならばいっそ……)
◇
ガレア王城の地下広間に据え置かれ、無数のケーブルに繋がれているカプセルから一人の少女が出てきた。
「よくぞ我らの願いに応え、お目覚めくださいました。陛下」
黒いフードを被った男が愛想のいい笑みを浮かべながら少女に歩み寄る。
「ベルカは今どうなっていますか?」
少女の問いに男は肩をすくめる。
「未だ戦乱が絶えませぬ。聖王は相変わらずゆりかごで他国を威圧して幅を利かせ続け、最近では雷帝と名乗る輩まで出る始末。そればかりかゆりかごを凌ぐ力をもたらすという魔導書を手にしたという者が現れて……」
男の説明に少女は首を横に振った。
「ベルカの空は? 大地はどうですか? 私はそれが聞きたいんです」
男は肩を落としながら言う。
「空は変わらず灰色に曇り、太陽など見た者はいません。大地は汚れる一方、それなのに他国は猛毒を武器にしてまき散らし、腐敗兵器なる森林を滅する物まで作り出す始末」
それを聞いて少女は顔を伏せ、唇を噛みしめた。
(まだこんな不毛な争いを続けているのですか。このベルカという世界は!)
そんな少女の様子を見て、彼女の視界に自分の顔が映ってないと確信し、男はニヤリと笑う。
「つきましては陛下、どうか陛下のお力で
男の言葉を聞いて少女は勢いよく顔を上げた。
「そんな、
「争いを止めるためです!」
男の言葉に少女は肩を縮こませる。
「今度こそベルカに平和を取り戻すために、愚かな者たちに知らしめましょう。数百年前、陛下は見たいと仰っていたそうではないですか。木々や花があふれる大地を、世界を照らす日の光を。そのためにはベルカから戦争をなくす必要があるのです。陛下、どうか!」
そう言って深く頭を下げる男の姿に少女はついに……。
「わかりました。ただその前に、少し外を見てきていいですか? 今の空と大地の様子をこの目で確かめておきたいんです」
「ええ。ええ! よくご覧になってください。今のベルカの惨状を! それを見ればきっと陛下もわかるはずです。平和を取り戻すにはあえて血を流す必要があるのだと」
男の横を通って少女は歩き出す。地上への階段を登るために、汚染された風景があるだろう城の外へ出るために。
その姿だけでは誰も少女の正体を知ることはないだろう。
短い橙色の髪と肩にかかるほどのもみあげが特徴的な、両目ともに緑色の瞳の少女。
『ガレア王国』の王イクスヴェリア。
《冥府の炎王》の異名で、雷帝以上に恐れられる恐怖の王である。