古文書と翻訳文を手に俺とリヒトは外に出た。俺たちの後ろには見送りについて来てくれたサニーがいる。
「それじゃあ陛下、今までありがとう。陛下とイクス様がガレアを探索することを許可してくれたおかげで、色々貴重なものを見つけることができて楽しい日々を過ごせたよ。本当に充実した毎日だった……イクス様にもそう伝えておいて」
「ああ、任せておけ。こちらこそありがとう。君のおかげで色々と重要な事を知ることができた。これを無駄にし……たくはないと思う」
無駄にしないと言おうとしたが口ごもってこんな言い方になってしまい、サニーも苦笑する。
まだ夜天の魔導書の自動蒐集を止める手段は見つかっておらず、それに加えて《聖王のゆりかご》がいつ動き出すかわからない状況だ。そんな状況で大口を叩く余裕は正直なかった。
「リヒトさんもさっきはごめん。助けてもらったのに露骨に怪しむ態度とっちゃったりして」
「いや、夜天の魔導書が引き起こすことを知れば当然の反応だ。むしろ謝らねばならないのは私だ。私が魔導書を抑えきれないばかりにあまたの世界で惨劇と悲劇を起こしてしまった。主にもなんとお詫びしていいものか」
そう言ってリヒトは俺に頭を下げるものの、俺はいいと言って頭を上げさせた。
夜天の魔導書の暴走がリヒトや守護騎士が望んだものでないことは、俺にもサニーにも十分伝わっている。
俺ともリヒトとも言葉を交わしサニーは改めて俺たち二人の前に向き直り、少し迷いながら思い切ったように言ってくる。
「……ねえ二人とも、私と一緒に別の世界に行く気はない?」
「えっ!?」
「何!?」
サニーの言葉に、俺とリヒトはほとんど同時に声を上げた。
サニーは続けて言う。
「聖王連合から目の敵にされてる国の王様なんか辞めて、私と一緒にミッドチルダ辺りに移住しないかって言ってんの。もちろん守護騎士やイクス様も一緒にね。ちょっとの間なら待っててあげるからあの子たちも呼んできな」
「……それは……」
それは正直心が引かれそうな提案だった。
今のベルカはグランダム以外の国で戦が起こっていて、そのグランダムもいつ戦火に巻き込まれるかわからない。そのうえ聖王連合が連合に与しないすべての国をゆりかごの力で攻撃すると言っている現状では、ベルカのどこにも安全な場所はないと言っても過言ではなかった。
それならいっそのこと何もかも捨てて、他の世界で生きていくのもありなんじゃないか。……それに、もしそうなったら俺は王ではなくなる。その時は何の問題もなくリヒトと……。
そう思ったら俺の顔は自然とリヒトの方に向いた。黙ったままでいるわけにいかず――
「……リヒト、君はどうする? 別の世界へ行きたいのならばここに残っても構わないが」
そう問いかけるも、彼女は首を横に振って言った。
「……私は、主に付き従うためにこの世界に顕れた夜天の魔導書の管制プログラムです。その私が主から離れることができるとお思いですか? 主がどのような道を選ぼうと私はそれに従います。騎士たちもそれは同じでしょう」
「……そうだったな」
やはりか。リヒトも守護騎士たちも、夜天の魔導書のプログラムとして造られた存在だ。おそらく俺が命じたところで、彼女たちは俺や夜天の魔導書から離れることはできないのだろう。
俺が行くと言えば彼女たちも付いて来てくれる……だが、
「……サニー、すまないがやはりそれはできない。俺はグランダムの王だ。国に戻り、これからの方針を立てなければならない。それにもし連合に降伏するとなったら、俺が自ら連合と交渉する必要があるだろう。だから俺は君と一緒に行くことはできない」
「……そっか。そうだよね。王様がそう簡単に国を捨てるわけにはいかないか」
俺の返事を聞いてサニーは表情を曇らせ、やがて寂しそうに笑ってそう言った。
「すまないな。ただもう少しだけ待ってくれないか? 俺たちは無理でも、せめてあの子たちだけでも今のベルカから逃がしてやりたいんだ」
「……イクス様とティッタのことだね?」
その言葉に俺はこくりとうなずいた。
そうだ。ティッタとイクスはただの人間で、夜天の魔導書の命令に縛られているプログラムじゃない。ティッタを説得するのは骨が折れそうだが、彼女たちだけでも逃がすことはできなくはないはずだ。
サニーは頼もしげに笑いながら、
「うん、いいよ。連れてきてあげて。連合だって宣戦布告もなしにいきなり攻撃なんてしてこないはず――!」
サニーが言い終わる前に突然俺たちの頭上に四角い枠が現れて、サニーは思わず言葉を飲み込む。
枠の中には大空とそこに浮かぶ鋼の船が映っていた……あの形はついさっき古文書で見た――。
「……まさか、あれが《聖王のゆりかご》なのか?」
俺がそう呟いた途端枠から鋼の船が消え、無機質な表情をした少女が映る。
リボンとキャップで後ろに結んだ金髪、緑色の右眼と赤い左眼の
彼女は――!
◇
「……オリヴィエ」
シュトゥラ王城にある自室のベッドで横たわっていたクラウスの前にも四角い枠が現れ、先ほどまでは鋼の船、そして今は金髪の少女を映し出していた。
その少女は彼もよく知る家族同然の女の子、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトだった。
しかし、枠に映っている少女が浮かべている表情は、彼が知っているオリヴィエとは違い、感情が無いかのように冷たい表情だった。
これを見ているのはケントたちやクラウスだけではない。
◇
「ヴィヴィ様……」
ゼーゲブレヒト城の一室にて、エレミアと彼女付きとなった侍女二人も自分たちの前に現れた枠を通して、《ゆりかごの聖王》へと変貌したオリヴィエの姿を見ていた。
◇
「ほう、この娘がもうろくジジイに代わって新たに聖王となった者か」
「……この人が」
鋼の船とオリヴィエを映し出している枠は、帝国皇帝の居城――帝城の鍛錬場近くにあるテラスで紅茶を飲んでいたゼノヴィアとエリザヴェータの前にも現れていた。
面白そうに笑い紅茶を口に運ぶゼノヴィアと違い、エリザは困惑を隠せない表情で枠に映ったオリヴィエを見ている。二人の後ろに立っているジェフも平然としているように装っているが、内心は表情を保っているのがやっとというありさまだった。
彼ら、彼女らの前で聖王オリヴィエは口を開く。
『ベルカに住まうすべての皆様、御機嫌よう。聖王連合の盟主にして正当なるベルカの統治者――聖王オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトです。
先聖王陛下が各国に提示された期日まであと二日となりました。
本日はそれに先立って、多世界大戦以来数百年の眠りから覚めた《聖王のゆりかご》の力を皆様に披露したいと思います。
――それでは、とくとご照覧あれ』
オリヴィエがそこまで言った途端、再び枠に映っている風景が変わり、ある廃墟が映し出される。
その廃墟の風景に俺は訝しげな顔を作りかけるものの……よく見たら見覚えがあるような、それもついさっき上空から――
「――まさかここって!」
「……コントゥア」
サニーに一瞬遅れて俺はその地の名を口にする。
ガレアが送り込んだマリアージュに滅ぼされたグランダムの隣国だったところだ。
こんな場所をどうして……。
――まさか!
◇
金属でできた壁に覆われ、窓も蝋燭もなく天井にある光る物体によって照らされた部屋。その奥に据えられている玉座にオリヴィエは腰かけていた。
その表情にはかつての愛くるしさはかけらも残っておらず、顔つきこそ同じだったがその様子は同一人物とは思えず、双子か人格が変わったか、はたまた記憶喪失にでもなったかを疑うほどだ。
オリヴィエの前には無数の《
玉座に座ってから段々と薄められていく意識の中でオリヴィエは、一瞬だけ枠に映った顔を見逃さずその目に留めた。
「エレ…ミア……クラ……ウス」
そんな時だった。オリヴィエの隣にまた一つ枠が現れ、そこに目深に黒い頭巾をかぶったシスターの姿が映し出される。
『聖王陛下、魔力砲の発射準備が整いました。陛下の号令さえあればいつでも発射できます』
「……すでに各国は空の浮かぶゆりかごに恐れを抱いているはずです。後は二日後まで待つべきでは……」
オリヴィエの言葉にシスターはすげなく答える。
『いいえ、それでは不十分です。敵国の戦意を完全にくじくために、ゆりかごが誇る主砲の威力をすべての民に見せつけなくてはなりません。ご心配なさらなくても、半年も前に異形によって滅ぼされた国にいる者など誰もおりません……この砲撃で命を落とす者は誰もいません。どうか安心して発射命令をお出しください』
その言葉にオリヴィエは少しの間沈黙するもののすぐに答えを返す。
「……わかりました。発射はいつでもできるのですね?」
『ええもちろん。さあ陛下、ベルカに平和を取り戻すために――主砲の発射命令を!』
オリヴィエは目を閉じしばらくの間沈黙するが、やがて口を開き高らかに叫んだ。
「ファイエル!!」
◇
「やめろ!!」
俺が叫んだのとそれが起きたのは同時だった。
「きゃあ!」
「ぐっ!」
俺たちの足元が大きく揺れてサニーはその場に倒れ込み、俺も体を大きくぐらつかせ、リヒトはその場に踏みとどまってはいたものの驚きで目を丸くしている。
「大丈夫かサニー?」
「う、うん。何とか」
揺れが来ないことを確認して俺はサニーを抱き起こす。サニーは転んだ時についた土を手で払いながら立ち上がった。
「あ、主! あれを!」
リヒトの声に俺たちは今もなお俺たちの頭上に浮かんでいる枠を見る。
そこには――
「な、何だこれは?」
そこには巨大な穴が映っていた。
これはどこの
そんな疑問が俺の頭の中を駆け巡る。自分でももうわかっているくせにそれを認めたくない。あのオリヴィエがそんなことをするなんて……。
そんな俺の心情など知らないサニーは、
「これってまさか……コントゥアだった場所なの? まさか、さっきの揺れは――」
「ああ、間違いない。私はずっと見ていた。コントゥアと呼ばれる場所が光に覆われ、
――っ。
リヒトがそう言った瞬間、俺はとうとうその事実を受け入れる。
転倒していたサニーや体を崩しかけてその瞬間を見逃していた俺と違って、ずっと枠を見ていたリヒトが言うのだから間違いない。
『ご覧いただけましたか』
その声とともに枠には再びオリヴィエの顔が映し出される。その表情は先ほどまでと変わらない無機質なものだったが、先ほどの場面を目にした俺にはその表情がいっそう冷たいもののように思えた。
彼女は本当に俺たちと友好を深めた、あのオリヴィエなのか?
『たった今、コントゥアと呼ばれていた地は、ゆりかごに搭載された魔力砲によって消滅しました。先史時代に存在した兵器の中でも最大の威力を誇る巨砲――《レーゲンボーゲン》によって!
これを考慮に入れたうえで、各国首脳の皆様におかれましては今一度我ら聖王連合への加盟を考えていただきたいと思います…………グランダム王国の国王殿には特に』
「なにっ!?」
オリヴィエの言葉に俺は思わず声を上げた。
グランダムの国王……紛れもなく俺のことだ。
まさか……
『誠に勝手ながら、未だに聖王連合に加わらない国々のうち、グランダム王国を最初に攻撃することにしました。
それを拒まれるのなら、グランダム王は二日後の正午までに連合への加盟を表明し、《闇の書》という魔導書を譲渡してください。
それがなされない場合、かの国の都はレーゲンボーゲンによって灰燼に帰すでしょう。
――どうか賢明なご判断あれ』
それだけ言って、枠とともにオリヴィエの顔は消えていった。
後には何とも言えない空気の中でたたずんでいる俺たち三人だけ。
「……へ、陛下」
「主……」
サニーは青い顔で、リヒトは何と言っていいかわからない顔で俺を見る。
馬鹿な。あと二日で連合への加盟の表明と闇の書の譲渡を行わなければ、グランダムの王都にあの魔力砲を放つだと?
……最悪だ。前者だけならともかく、後者の闇の書こと夜天の魔導書の譲渡は不可能に近いし、できたとしてもしたくない。
夜天の魔導書には転移機能があって、持ち主から離れたら書の方から持ち主のもとへ戻ってくるようになっている。おそらく持ち主の意思とは関係なく。
それを防げたとしても、夜天の魔導書は暴走寸前でいつ勝手に自動蒐集を始めて完成してしまうかわからない。こんな状態の魔導書を他人に渡せるものか。
「……サニー、ティッタたちを連れてくるという話はなしだ。君はできるだけ早くベルカから逃げろ」
「ほ、本当にいいの? こうなったらますますあの二人だけでも避難させた方がいいと思うけど」
「連合……オリヴィエが二日後まで何もしないとは限らない。さっきのように、警告のつもりでグランダム領のどこかを攻撃する恐れが強い。奴らが大人しくしているうちに早くここから逃げるんだ!」
サニーもそれは考えられると思っているようで、俺が強く言った途端さっきよりますます顔を青くしながらうなずいた。
「た、確かにそれはあり得るね。分かった、なるべく早く出発するよ。……じゃあ陛下たちも気を付けてね。いくら夜天の魔導書でもあんなの食らったらひとたまりもないと思うから」
そう言ってサニーは慌てた様子で建物の中へ駆けこんでいった。急いで次元移動の準備をしているのだろう。もう彼女と会うことはないに違いない。
「サニーとの別れがこんな慌ただしいものになるとはな。確かにあの魔力砲が相手では夜天の魔導書でも分が悪そうだが」
俺は軽口のつもりでリヒトにそう言った。しかし彼女は難しい顔つきで、
「……そうですね。命中したものを空間歪曲と反応消滅によって原子一つ残さず消滅させる魔力砲……レーゲンボーゲンでしたか。あんなものを撃ち込まれたら、完成した夜天の魔導書でも破壊は免れないでしょう」
――夜天の魔導書を破壊するだと!?
「さすがに完全に消滅まではしないでしょうが、ベルカから消失することになるのは間違いありません。その時はまた次の主の下で一から頁集めのやり直しですね」
リヒトはそう言って自虐的に笑う。そんな彼女に俺は何も言葉をかけることができなかった。
それどころではなくなったからだ。
……分かったかもしれない。夜天の魔導書の暴走からこの
愚王ケントが政務を放りだしてどこぞで遊興にふけっている頃、オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒト陛下が先聖王の意思を継いで聖王に即位した。
新聖王陛下は『聖王のゆりかご』に乗って聖王都を飛び立ち、グランダムの領土となっていたコントゥアを消滅させ、かの国に宣戦布告。ついに愚王ケントを追いつめたのである。
悪名高い愚王に聖王陛下の裁きが下されるのは、その二日後のことだ。
愚王伝断章 終