第71話 密かな決意
聖王のゆりかごが放った魔力砲《レーゲンボーゲン》によってコントゥアが消滅し、その光景をベルカ中に現れた枠によって見せられ、ベルカ、特にオリヴィエから宣戦布告を受けたグランダムの王都は大混乱に陥った。
他国やリヴォルタなどの都市からやって来た者はすぐさま王都を後にし、王都民の中にも実家がある村などの地方へ逃げようとする者が続出した。
そんな中、王都にとどまり、街の一角に集まってゆりかごや聖王を名乗る少女について論じている者たちがいた。
「おい、お前さんも見たか? 新しい聖王って女がゆりかごを使ってコントゥアを消滅させたところを」
「ああ。グランダムが降伏しなければこの王都も消滅させるんだとよ。くそ、何が聖王だ! ただの侵略者じゃないか! コントゥアだってほとんど使われてないとはいえグランダムの領土のようなもんなのに、それを勝手に」
「まったくだな。かわいい顔してえげつないお嬢さんだ。……しかしあの顔、見覚えがある気がすんだけどな。この街であんな女の子を見たような」
「聖王になるような子がグランダムに? 気のせいでしょう……と言いたいところなんだけど、私も見たことがあるような気がするのよね。あとちょっとで思い出せそうな気がするんだけど」
「――あっ、もしかしてあの子じゃないか! 半年前のガレアから侵略を受けている最中にこの街にやって来た、シュトゥラの王子と一緒にいた義手の女騎士」
「ああっ! それなら私も覚えてるわ。あの子が側にいたせいでクラウス様とお話しできなかったんだから。あの時は可哀想な女の子だって思って我慢してたけど、やっぱりろくな女じゃなかったわね!」
「……ただの私怨じゃねえか。俺なんてあの子に休みの日はいつか直接聞いたんだぞ……軽くあしらわれたけどな」
「お前じゃ不釣り合いだっての。でも確かにかわいい子だったよな。いつもニコニコしていて……それがどうしてあんな」
「ふん、その頃にはゆりかごなんてなかったから猫被ってたんだろうよ。それより問題は、あの女がクラウス王子のお付きだったってことだ。まさかシュトゥラもあいつとグルなんじゃ」
「……だとしたらまずいな。ゆりかごに加えてシュトゥラまで敵になったんじゃ、守護騎士って嬢ちゃんたちでも勝ち目なんてないぞ。もううちの王様には連合に降伏して闇の書って奴を差し出してもらうしか」
「でも、降伏してもグランダムが聖王家の傘下に下るだけで済むのか? ただの威嚇で国一つ消滅させるような女が聖王なんだぞ。逆らったら、いや機嫌を損ねただけで街一つ消されちまうかも」
「待て。希望を失うのはまだ早い。伝承によれば闇の書は持ち主に強大な力を与える物という話だ。現に我々の王はその力でガレアの軍勢を倒し、四ヶ月前には帝国軍を追い払ってリヴォルタを手に入れたのだ。聖王も闇の書の力を恐れているから、降伏だけでは足らずに闇の書を要求しているのだろう。逆に言えば闇の書にはゆりかご以上の力があるということではないだろうか?」
「ああ。俺も死んだ爺さんからその話を聞いたことがあるぜ。俺が知ってる話じゃ、闇の書は何百もの頁を埋めて初めて強い力を発揮するらしいけどな」
「そう言えば私の彼がお城に勤めてる兵士なんだけど、彼から闇の書の頁がほとんど埋まったって聞いたことがあるわ。もしかすれば、あと一戦もすれば闇の書は完成するかもしれないって」
「そうか、まだグランダムにも勝ち目はあるってことか。闇の書が完成さえすればゆりかごに対抗できる。そうなればこの国は連合の属国どころか、ベルカを取りまとめる大国に……」
「ああ。オリヴィエが言った期日までまだ二日はある。それまでに戦を起こして闇の書を完成させれば何とかなるかもしれねえな」
闇の書の話が出た途端不穏な事を言い始める者が現れるが、誰も彼らを咎める様子は見せない。ゆりかごを破る術があるのなら、その力にすがりたいと思っているのは皆も同じようだった。
そんな一同を、眼帯で右眼を隠し久しぶりに着る町娘の格好で城下町に出たティッタが眺めていた。
(……思った以上にまずい状況になってるね。このままだと『闇の書を完成させるために戦を起こせ』って声があちこちから出てきかねない。確かにそうでもしないとゆりかごには勝てないだろうけど。
……どうしちゃったのさオリヴィエさん? 以前のあんたは力で他人を従わせようって人じゃなかっただろう。それとも、あいつらの言う通りあれは演技だったのかよ?)
◇
俺とリヒトが戻ってきた頃には城内はすっかり混乱しきっていた。通路を通っている衛兵や官吏、使用人はしきりに空を眺めており、職務どころではないようだ。
俺たちに気付くと皆いそいそとその場を通り過ぎたり職務に戻ったりするが、気にも留めずに城内を進む。
そんな俺たちの前から――
「ケント! リヒト! お前らこんな時にどこ行ってたんだよ! 特にケント、さっきから宰相さんがお前のことをずっと探していたんだぞ!」
他の騎士やイクスとともに俺たちを見つけるや、ヴィータは開口一番に怒鳴り声を上げてきた。ただし、いつもなら彼女とともに文句をつけてくるティッタの姿が見えない。
まさかと思いながらもそちらは後回しにして俺はヴィータに返事をする。
「すまない。ちょっと所用でな」
「所用ってこんな時にのんきな――おいリヒト、どうしたんだその手足?」
なおも続けて俺に文句をぶつけようとしたヴィータは、リヒトの手足に巻き付いた赤い
「……これか。問題ない、いつもの奴だ。お前も何度か見たことがあるだろう」
「ああ、あれか」
リヒトがそう言うとヴィータはあっさり納得して口を閉じた。片や俺はあらぬ誤解をされずにすんでこっそり安堵の吐息をつく。
それをどう勘違いしたのかシグナムが俺に説明をしてくる。
「主にはまだお話ししてませんでしたね。闇の書が完成に近づくと、このような拘束具が現れて闇の書の意思……リヒトの手足を押さえつけようとするのです。この通り活動に支障はありませんが。もう少し頁の蒐集が進めば赤いラインが体のあちこちに現れるようになるはずです」
……おいおい、明らかにただ事ではないぞ。おかしいと思わないのか?
《……リヒト、こいつらにも魔導書の本当の名前と暴走のことを伝えておいた方がいいんじゃないか。このままだと――》
《いえ、よろしければこのまま黙っていてもらえませんか? 此度がどのような結末を迎えるにせよ、夜天の魔導書は別の世界へ転移し、騎士たちは再び頁の蒐集を行うでしょう。騎士たちが望まずとも次の主がそれを望んでしまう。もし万が一、主が魔導書の完成を望まなかったとしても――》
《自動蒐集によって魔導書が主を飲み込んでしまい、また別の世界へ転移してしまうか……》
リヒトはかすかに首を縦に揺らす。どっちに転んでも、夜天の魔導書がただの本として大人しく本棚に埋もれることはないということか。
そもそも守護騎士たちが暴走の事を知らないのは本当にただの破損なのか? あらゆる魔法を記録するために作られたためか、この魔導書自体に頁を蒐集しようとする意志があるような気がしてならない。だとしたら守護騎士たちが暴走の事を知っているのは魔導書にとって都合が悪い事のはず。
まさか魔導書が意図的に守護騎士たちの記憶を……。
《必死に頁を集めても魔導書は暴走し、主と世界の破滅を招くだけ。それを知った上で頁を集めさせられるなど見るに耐えない。ですからどうか騎士たちには……》
《……わかった》
そう言われては何も言えない。彼女の言うとおり黙ったままにしておくか。
「――それどころじゃねえ! お前たちは見たか? オリヴィエが魔力砲でコントゥアって場所を――」
気を取り直してそう尋ねてきたヴィータに、俺はうなずきを返した。
「ああ。それなら俺もリヒトやサニーと一緒に見た。お前たちも見たのか?」
「ええ。医務室にも突然モニターが現れて、私もイクスちゃんもコントゥアが攻撃されるところを……」
「はい。とても信じられません。あのオリヴィエ様があんなことを……マリアージュを生み出して間接的にコントゥアを滅ぼしてしまった私が何をとは思います……でも!」
「イクスちゃん……」
シャマルに続いてイクスもあの時の事を思い出して顔を伏せる。特にイクスは半年前のことを思い出したこともあって、かなり参っているようだ。
しかし、モニターとはあの枠のことか? やはりあれも先史時代の技術らしい。
「あの後、ティッタはもしやと言ってから装いを変えて街の方へと向かったようです。止めた方がよろしかったでしょうか?」
「いや、彼女は騎士になるまではずっと街で暮らしていた。あいつなりに情報を得る手段があるのだろう。好きにさせてやれ」
ザフィーラの問いに俺はそう答える。
オリヴィエが見せたコントゥア消滅の光景とグランダムへの通達で、城内の人間は混乱しているが、市街地はその比ではないだろう。
上空からちらりと見たが、荷造りを始めている者もそこかしこにいる有様だったし、一角に集まって何やら話し込んでいる者たちもいた。ここは少しでも情報が欲しいところだ。ティッタがそれを掴んできてくれるのなら非常に助かる。
「陛下! こちらにおられましたか」
その声に俺たちは後ろを振り返る。そこには二十代後半
「その様子ですと陛下もおおよそのことはご存知のようですな。今まで何をしていたのか聞きたいところですが今はいいでしょう。すぐに私とともに執務室まで来ていただきたい。そこで色々と詰めておきたいことがありますので」
「あ、ああ……」
俺が言い終わると、すぐに宰相は背を向けて執務室の方へと向かっていく。詰めておきたいこととは、間違いなくオリヴィエが通達した要求についてだろうな。
守護騎士たちとイクスもそれを見て、俺に別れを告げてこの場を後にしようとする。彼女も含めて。
俺はそんな彼女に念を送った。
《リヒト、ちょっと待ってくれ!》
すると、リヒトは足を止めてこちらを振り向く。
《何でしょうか? 我が主》
《……一つだけ聞いておきたいんだが、もし……もしも、夜天の魔導書が破壊された場合お前と守護騎士たちはどうなる? 夜天の魔導書が破壊されてもお前たちはここで……この世界にいられるのか?》
大方答えが分かっていながら俺はそれを尋ねる。尋ねなければならない。
リヒトは首を振らずそのまま念を返した。
《いえ、夜天の魔導書が破壊された時点で、騎士たちも私もこの世界で存在を保てなくなり、魔導書の中に還るはずです。我々は夜天の魔導書の一部として造られた存在ですから》
《……そうか》
「おいリヒト! 何してんだよ置いてくぞ! ケントもさっさと仕事しに行けよ!」
ヴィータの声にリヒトはそちらを振り向き、俺に一礼してきびすを返した。俺もこれから向かう先へ顔を向けると、ヴィータの声に反応したのか宰相が険しい顔で俺を見ていた。俺は慌てて彼がいる方へ向かう。
心の奥である決意を固めながら。
しばらくの間見つめ合ってすぐに離れるケントとリヒトの様子を見て、イクスは恋愛がらみのことかと思ったが、難しそうな顔で宰相のもとへと向かうケントを見た途端に妙な胸騒ぎを覚えた。
そして、それは翌日には現実のものとなる。