コントゥア消滅から二日後、そして守護騎士たちがグランダム王都から追放された日の翌日。
この日は先聖王が半年前に告げた期限の日であり、彼の娘にして聖王位を継いだ現聖王オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトがコントゥア消滅の直後に告げた、グランダム王国への最後通牒の期限日でもある。
空に浮かぶ巨大な鋼船《聖王のゆりかご》と魔力砲《レーゲンボーゲン》の威力を見せつけられたベルカ中のほとんどの国の人々は、グランダムの降伏か王都の消滅そして王国の滅亡を疑わなかった。しかし、グランダム王ケント・α・F・プリムスが持つ闇の書を知る近隣の国々の住民たちの中には、《聖王のゆりかご》と《闇の書》のぶつかり合いによる、ベルカの覇権をかけた戦いが行われると思う者たちもいた。
彼らの予想はいずれも覆されることになる。この騒乱の渦中にいる人物の一人、グランダム王ケントと、リヒトと呼ばれているケントの従者によって。
リヒトと一夜を共にしてから朝を迎えて、俺とリヒトは同じベッドで目を覚まし、俺を起こしに来たメイドにそれを目撃されるという事態が起こったものの、彼女の厚意ですぐに湯が用意され、俺とリヒトは同じ湯で体を洗い身支度を整えた。この時点で城にいる人間の中で、俺とリヒトの関係を知らない者はもういないと思っていいだろう。
支度を整えてすぐ俺は宰相に呼ばれて、ゆりかごについてどう対応するつもりなのかを問われた。それに対して俺は「考えがある」とか「心配はいらない」と言ってはぐらかし宰相から逃れた。
そして先聖王とオリヴィエが提示した刻限である正午まであと四半刻を切った頃、俺とリヒトは城内のドレッシングルーム(着替え部屋)にいた。
◆
着替えのために設置された大鏡の前で、俺はいつもの魔導鎧の上に豪奢な黒いマントを羽織る。
このマントは2代目の国王が自身の権威を示すために作らせたもので、縁には茶色い毛皮を付け、至る所に金糸による刺繡が編み込まれた、聖王や皇帝が身に着けているものと遜色のない豪華な作りになっている。
当時のグランダムはいくつかの街や村が合わさった貧しい小国に過ぎず、その国の国王には過ぎた代物だ。国中に圧政を敷いてまでこのマントを作らせた王は、死ぬまで民に憎まれたとか。
――だからこそ、このマントは今の俺が着るのにふさわしい。
「とても良く似合っていますよ。我が主」
マントの紐を結び終えた途端後ろの方から声がかかってきて、そちらを振り向く。
俺に声をかけてきたのは言うまでもない、これからともに
彼女が呈した賛辞に俺は苦笑いを浮かべる。
「それは褒めているのか? 自分で考えたこととはいえ、ベルカ中の人々にこの格好をさらすのかと思うと恥ずかしくて仕方がないんだが」
俺がそう言うとリヒトはくすくすと笑ってから言った。
「もちろんです。そのまま式典に出ることだってできますよ。……本当にいいんですか? 今ならまだ引き返せます」
その言葉に俺は苦笑いを浮かべたまま言葉を返す。
「引き返すってオリヴィエに降伏しろってことかよ? そんなことをすればグランダムは守れても、この先もっと大きな被害が出てしまう。これが一番犠牲が少ない方法なんだ。……大丈夫、お前のおかげで覚悟は決まった。むしろ俺としては……」
「……主?」
怪訝そうにこちらを見てくるリヒトに俺は首を横に振りながら言う。
「なんでもない。それよりお前こそ大丈夫か? その赤いライン、もしかして昨夜の行為が原因で……」
俺の問いに、リヒトは両頬についている赤いラインのうち左頬のラインを手でなぞりながら言った。
「いいえ、昨夜のことは関係ありません。おそらく自動蒐集の開始に向けて、夜天の魔導書が活性化しているためでしょう。このことはシグナムからも聞いているはずですが」
「それはそうだが……」
今日の朝、俺たちがベッドから起き上がった時には、リヒトの体に赤いラインが顕れていた。両頬と左腕にそれぞれ二本ずつ。
確かにシグナムから闇の書が完成間近になればリヒトの体に赤いラインが現れるようになるとは聞いたが、あの直後にこんなことが起こればもしかしたらとは思ってしまう。
いずれにしても時間が無くなっているのは確かだ。もう後戻りはできない。
「……そろそろ行こう。リヒト、夜天の魔導書を」
「はい。こちらです」
リヒトがうやうやしく差し出す剣十字がついた茶色い表紙の本を俺は受け取る。
夜天の魔導書……俺の人生はこの本から始まってこの本によって終わる。つくづく因果なものだ。
しかしこの本がなければ、俺はヴォルケンリッターに助けられることはなくディーノとの戦いで戦死していたかもしれない。そしてこの本がなければ俺とリヒトが出会うことはなかった。そう思うとこの魔導書を憎むことはできない。
「ありがとう。リヒト、ユニゾンはできるか?」
「ええもちろん。私は元々そのために造られた融合騎ですから」
そう答えるとリヒトはこちらに歩み寄ってくる。そして……
「――!」
おもむろにリヒトは俺に唇を重ねてきた。それに反応して俺は自然に彼女の背中に手を回しかける。だがリヒトの体は光となって俺の体内に入っていき、俺の手は虚しく空を切った……不意打ちするくらいならちゃんとさせろよ。
内心でリヒトに毒づいたその時だった。
「――ぐあああああ!」
突然全身に何かが絡みつき肉に食い込んでくる感覚に襲われる。――まさかこれは!
とっさに俺は大鏡を見る。
そこに映っていた俺の姿は、髪はユニゾンの影響で灰色に染まり、両眼のうち金色だった右眼は赤く変色している。以前ユニゾンした時と同じだ――エリザにそう教えられた――。
しかしそれに加えて、今の俺の両頬にはそれぞれ二本の赤いラインが走っていた。
そして腕にも、リヒトに巻き付いていたものと同じ赤い
――同じだ。赤いラインも赤い革帯もリヒトとまったく同じ。
《主! 大丈夫ですか主!?》
そこで俺の体内から悲痛そうなリヒトの声が響いてきた。
俺はすぐに体内にいるリヒトに語り掛ける。
《大丈夫だ。いきなりのことでちょっと驚いただけだ》
かっこつけてついそんな強がりを言ってしまうが、本当はめちゃくちゃ痛い。今も革帯が肉に食い込んできている。リヒトは今までこんな状態で生活を続けていたっていうのか。
《主、やはりここは私が! 私が前に出ますから、事が終わるまで主は私の中にいてください!》
リヒトの申し出に俺は首を横に振る。
《結構だ。驚いただけって言ってるだろう。お前はそこでおとなしく俺の晴れ舞台を見物していろ。勝手に出てこようとするんじゃないぞ!》
俺はリヒトに強く言い聞かせる。
これは俺じゃないと意味がない。リヒトではグランダムとベルカの両方を守ることができない。
何より、好きな女が耐えていたものぐらい俺が耐えられなくてどうするんだ!
「陛下、お着換え中に失礼します。そろそろ時間ですが……」
扉を叩く音とともに扉の向こうから声が聞こえてくる。その声は宰相か。声まで若く聞こえるから、慣れてないと若い文官としばしば間違えてしまう。
「分かっている。今出ようとしていたところだ」
そう言って俺は扉を開けた。
扉の向こうにいた宰相は俺を見るなり驚きで目を見張る。
「へ、陛下、そのお姿は!?」
「これから聖王陛下とお話をするからな。ちょっと装いを変えてみたんだ。どうだ? いつもよりはかっこいいだろう」
笑いながらマントを見せびらかす俺に宰相は青ざめた顔のまま言った。
「い、いえ、私が言っているのは陛下のそのお姿のことで――」
わかっているさ。髪と眼の色が変わったばかりか、ついさっきまで顔になかった赤いラインまで浮き出ているのに、それを装いを変えたぐらいで済ませられるわけがないってことくらい。
でも、今はそれどころじゃないんだろう。
「そんなことはどうでもいいだろう。それよりそろそろ時間が迫って来たんじゃないのか」
「え、ええ。それで陛下、最後にもう一度だけお聞きします。陛下は聖王からの要求にどうお答えになるつもりなのですか?」
念を押すように聞いてくる宰相に俺は笑いながら言った。
「言ったはずだ。俺に考えがあると……俺はそろそろ行くぞ。聖王とはあの妙な枠を使って話をするんだと思うが、あっちがわざわざここまで来てくれているのに俺が王宮にこもっているわけにはいくまい」
「へ、陛下が出て行かれるのですか? それはあまりにも危険――い、いえ、でしたら城にいる兵をお連れください。万が一の時は彼らを率いて――」
「必要ない!」
宰相の提言を俺はその一言で切って捨て俺は中庭へと向かう。あそこからなら飛行魔法で城を出ることができる。
この戦いに兵も軍も守護騎士もいらない。俺とリヒトで充分だ。
……本当はリヒトも連れて行くつもりはなかったのだが、俺一人では無理だったらしい。
さあ行こうリヒト。見事に