ベルカ中の人々の前に現れている枠には、今もグランダム上空に現れた灰色の髪の男の姿が映し出されている。
その男は髪の色や片目の色が変わり両頬に赤いラインが浮かび上がっているものの、彼を知っているものから見ればその顔はまぎれもなく……
「陛下……本当に陛下なの?」
枠の向こうで嗜虐的な笑みを浮かべている男を見て、シャマルを呟くような声を漏らした。
その言葉をともに卓を囲み枠を見ていたヴィータが首肯する。
「ああ、間違いねえ。風貌は変わっちまっているけど、あいつは確かにケントだ。けど、あの姿は一体?」
「ふむ、我らが知る主と大きく様変わりしているな(しかし、遠い昔にもあのように主の姿が変わるところを目にしたことがあるような……)」
変貌したケントを見ながら、ザフィーラは腕組みをし懸命に記憶をたどる。しかし、あまりにも遠い過去のことで思い出すことができない。
無理もない。それはまだ闇の書が《夜天の魔導書》と呼ばれていた頃のこと。ヴォルケンリッターとともに、自らも闇の書の意思とユニゾンをして戦っていた
「そ、それにしてもあの結界は何でしょう? どうしてケント様は王都を結界で囲んだりなんか」
「あの結界で王都を守るつもり……かもしれんな」
イクスの問いにそう答えながらもシグナムは自信がなさそうに言葉尻を濁す。
どちらかと言えばあの結界は内部を守るものではなく、中にいる者を閉じ込めるためのものに見える。何より結界に覆われた王都を見下ろし、愉悦に浸っているように笑っているケントを見るととてもそうには思えないのだ。
それに、ケントはなぜ《超距離通話》を使ってベルカ中の人々に自分の声を聞かせているのだろうか?
ティッタは一人沈黙したままケントを見て思う。
(お兄様、一体何をしようとしているのさ? あんたが何を考えているのかまったくわからないよ)
◇
ダールグリュン帝城 談話室。
「あの姿は!?」
「どうした? 今のグランダム王の姿に何か心当たりでもあるのか?」
今のケントを見て思わず声を上げるエリザにゼノヴィアは問いを投げる。
エリザはゼノヴィアに視線を移し、首を縦に振った。
「はい。以前にもお話したと思いますが、リヴォルタでカリナという傭兵隊の首領と戦った際に、ケントさ――殿がリヒトという方と融合してあのような姿になったことが……ただ、あの時とも様子が違っているようですけど。あの時は頬にあんなラインなんてついていなかったはず……」
「そういえば、大昔に持ち主と融合する人型の兵器があったそうだな。てっきり過去の人間が遺した絵空事の類かと思ったが」
そうつぶやいてからゼノヴィアは紅茶を口に含む。
彼女もまたベルカ王族の一人として先史時代ついてある程度は知っている。融合騎についてもその文献を目にしたことがあった。本人が言っているように本当にあったものだとは思っていなかったが。
それにゼノヴィアにとってもエリザにとっても気になることはそこではない。
「それにしてもグランダム王、ケントの奴は何をするつもりなのだろうな? お前が見たところあの結界は……」
「はい。リヴォルタで騒乱が起きた際に市民たちを閉じ込めたあの結界によく似ています。まさか、あの時倒した傭兵隊の誰かが使っていた魔法をケント様が……」
「だろうな。我々に自身の声を聞かせている術も、どこぞの魔導師から奪い取った術ということか。王都にいる民を閉じ込め、我々に己の声を聞かせて、奴は一体何をするつもりだ?」
答えが返ってくるとは思っていないのだろう、独り言のようにゼノヴィアはつぶやく。エリザもそれには首をかすかに横に振って沈黙するしかなかった。
(……ケント様、リヒト様、あなた方は一体何をしようとしているのです?)
◇
結界に包まれ中にいる者たちが誰一人出られなくなった王都の上空では、今もなおケントとゆりかごが睨みあうように相対していた。ゆりかごの後方にいる数百機もの小型機もケントに向かわず、彼から母艦を守るように静止している。
そんな中、彼の前に枠が現れ、そこにオリヴィエの顔が映し出される。
『グランダム王ケント殿……ですね。お待ちしていました。先ほどの無礼はお詫びいたします。今の攻撃は血気に逸った臣下が独断で行ったこと。ここは痛み分けということで収めていただけませんか?』
「なに、別にあれくらい気にしていない。そちらこそ大丈夫だったか? 少し加減をし損ねてな。羽虫を払うだけのつもりが、そちらにまで届いてしまったみたいだ」
しゃあしゃあとケントは言って見せる。明らかにわざとゆりかごに攻撃をぶつけたのは誰の目にも明白だった。その証拠にケントはにやにやした笑みをオリヴィエに向けており、悪びれている様子が一切ない。
それを見てオリヴィエはふっと息をついた。その表情は今までと比べてわずかに感情が戻っているように見える。
『お気遣いなく、こちらにも被害は出ておりません。……それでグランダム王殿、あなたが姿を現してくださったということは、先日私が出した要望の返答を聞かせていただけるということでよろしいでしょうか?』
「ああ、我が国の聖王連合への加盟と闇の書を渡してほしいというあれか」
ケントの言葉にオリヴィエはうなずきを返すようにわずかに首を下に傾け、こわばった表情でケントを見る。
それに対して、ケントはしばらくの間左手にある闇の書を眺めながらあごに手を載せて考え込むようなしぐさを見せて、再びオリヴィエに視線を戻して口を開いた。
「闇の書を渡すことはできない。これは余が所有する至宝にしてグランダムの国宝である。それをむざむざ貴公に譲る道理はない」
『……そうですか。残念です』
そう答えた瞬間オリヴィエの目に冷たさが戻り、それを見て王都の人間は震え上がる。その目に殺気が灯るのを感じたからだ。
しかし、そんなことも気が付いてないような素振りでケントは話を続けた。
「ただ、連合への加盟については、条件次第で同意してもいいと思っている」
『……条件とは何でしょう?』
条件という言葉に、オリヴィエは少し間を空けてケントに問いかけた。
連合に加わる代わりに王都への攻撃をやめろと言うつもりだろうか? 彼女が知るケントならそう言ってくるはず。しかし、それにしては態度が尊大すぎる。とてもそんなことを言ってくるようには見えない。
訝しむオリヴィエにケントはその条件を告げた。
「なに、簡単なことだ。このケント・α・F・プリムスを連合の盟主とし、すべての連合加盟国は余に忠誠を誓うと約束してほしい。無論貴公もだ、聖王オリヴィエ殿。さすれば余は闇の書の力を持って、ベルカに安寧をもたらすと約束しよう」
ケントの言葉にオリヴィエは目を見張り、これを聞いている者たちも仰天した。
何を言うかと思えばケントは聖王連合に降るどころか、逆に自らの傘下に下れと言ってきたのだ。ゆりかごの主砲を突き付けられている身にも関わらず。
『ケント殿、自分が何を言っているのか分かっているのですか?』
オリヴィエの問いに、ケントは頭を軽く縦に振って答える。
「もちろんだともオリヴィエ殿。余が連合の盟主となってベルカを統一し、その統治者になるということだ。……ふむ、聖王連合という名前も余が束ねる連合国家に相応しくないな。“
『戯言を。そのような事を許すと本気でお思いですか? それに、あなたなどにベルカを統一することが本当に可能だとでも?』
オリヴィエの問いにケントは笑みを浮かべながらうなずいた。
「無論だ。貴公も知っての通り、余にはこの《闇の書》がある。完成した暁には所有者に絶大な力をもたらす魔書がな。その闇の書を完成させるために、余は各地で魔力と命を集めて闇の書の頁を増やしてきた。ディーノ、コントゥア、ガレア、リヴォルタ、といった各地の国や街を回ってな!」
◇
「な、何を言ってんだあいつ?」
「この言い方じゃまるで……」
「主ケントが各地で戦を引き起こしたような物言いではないか」
ケントが言い出したことに守護騎士たちは困惑の色を浮かべる。
今までの戦いでケントが裏で糸を引いていた事実など一切ない。にも関わらず、なぜケントは突然あんなことを言い出すのだろうか?
守護騎士たちがおろおろする中でイクスとティッタはもしやと思った。
(もしかしてケント様は……)
(お兄様、あんたまさか……)
◇
一方、グランダム上空ではケントが話を続けていた。
「ここまで頁を集めるのは苦労したよ。何度直接隣国に攻め入ろうと考えたことか。だが、その甲斐あって闇の書もあと90ページで完成する……街一つから魔力と命をかき集めれば丁度いいくらいだ!」
その言葉にオリヴィエは目を見張り、話を聞いていた人々もギョッとする。
「街一つだと!? そ、それってこの王都のことを言っているのか?」
「まさか、結界で俺たちを王都に閉じ込めたのは」
「私たちの魔力と命で闇の書を完成させるため……」
『ケント殿……あなたはまさか』
騒然とする王都の人々と目を大きく見開くオリヴィエを眺めながら、ケントはクククと笑い声を上げた。
「君が考えている通りだ。余がこの王都に姿を現したのも、闇の書を完成させるためだ。眼下にいる王都の民たちの命と魔力を糧としてな!」
その言葉を聞いた途端、人々はケントの目論見を知って王都から逃げ出そうと街の端まで殺到し、街を包みこんでいる結界を殴ったり体当たりをしたりするが、結界はまったく破れる様子がない。
何とかできないかと何人かが結界の縁を凝視し、ある人物があっと声を上げた。
「思い出したぞ! この結界、見覚えがあると思ったらあれじゃないか。この前リヴォルタで騒乱が起きた時に俺たちを街に閉じ込めた結界――あれとそっくりだ!」
「そ、それって本当かよ? じゃ、じゃあ、あの騒乱を仕組んでいたのは……」
「いえ、それどころか、ディーノとの戦もガレアの侵略も、ケント様が」
「た、確かにおかしいと思っていたぜ。ガレア軍にあそこまでやられたのに、イクスヴェリアを処刑せず自分の城に置いておくなんてよ」
「ここ半年間のグランダムの急激な拡大はおかしいと思っていましたが、それもすべてあの王が……」
ケントが今まで起きた戦の黒幕と思って騒ぎ出す人々、今もなお王都から抜け出そうと結界を相手にあがく者たち、そんな王都民を見下ろしてケントは再び口を開く。
「余がオリヴィエだけでなくベルカ中にこの言を聞かせているのは、最後の礎となる王都の民をねぎらい、ベルカ中に闇の書の完成を知らしめるためだ。いよいよ闇の書は完成し、余はベルカを統べる力を得る。
すべては『ベルカ統一』という大義のため! その大義の前に、
◇
『――ふざけるな! この《愚王》が!』
『ひどすぎるわ!』
『俺たち国民を何だと思ってるんだ!』
オリヴィエの前に現れているモニターには、ケントを罵る王都の人々と、気分を害した様子もなく悠然と彼らを見下ろすケントが映っていた。
そんなケントに対してオリヴィエは悲しげな顔で……
「……ケント様、どうして」
そんなつぶやきを漏らしているオリヴィエの横にモニターが現れる。そこに映っているのはゆりかごの管制官でもあるシスターだった。
『陛下、レーゲンボーゲンを発射準備を行います。陛下もご準備を』
「レーゲンボーゲンを……まさか」
オリヴィエの言葉にシスターは首を縦に振る。
『このままでは王都の民を糧に闇の書が完成してしまいます。そうなる前にレーゲンボーゲンを使ってグランダム王と闇の書を消滅させなければ……ですから!』
「……分かりました。発射準備をお願いします。こちらはいつでも大丈夫です」
オリヴィエはそう答えた。今度はゆりかごによる精神制御によって言わされたものではなく、彼女自身の意思で命じたものだ。
闇の書はどうあれ、王たる者が自国の民を生贄にすることなど決して許していいはずがない。どんなことをしても彼を止めなくては……その命を奪ってでも。
オリヴィエはそう強く決意した。
◇
再び白く光るゆりかごの砲身を見てケントは鼻で笑う。
「無駄だよオリヴィエ殿。闇の書には再生能力と主たる余を守る防御能力があってな。
無駄なことはしないで、聖王都を明け渡しと余をもてなす準備でもすることだ。その際はオリヴィエ殿にゼーゲブレヒト城の案内と夜の相手でも頼むとしようか。はっはっはっ!」
ひとしきり高笑いを上げてからケントは闇の書を大きく掲げ。
「……では王都民諸君も覚悟ができた頃だろうし、そろそろ蒐集を始めさせてもらうか」
それを聞いた瞬間、王都の人々は物陰に隠れたり、目を閉じたり、その場にふさぎ込んだりした。
ゆりかごの砲身が白い魔力光に包まれたのはその時だ。
◇
「陛下、発射準備が整いました」
それを聞いてオリヴィエはもう一度ケントを見た。自国民を害する暴君になり果てた友の姿を。
しかし、そこで彼女が見たのは――
(……えっ?)
モニターの向こうでケントは発射寸前の砲身を眺めながら笑みを浮かべていた。その笑みを見てオリヴィエははっとする。
(まさか……ケント様、あなたは)
『Bereit. Feuer Regenbogen(準備完了。レーゲンボーゲンを発射します)』
そこで無機質な音声が部屋中に響いた。
オリヴィエはたまらず――
「やめてええええええ!」
◇
オリヴィエの意思に反して、砲身からおびただしい白い光の奔流がケントに向けて放たれていく。
それを前にしても、ケントは避けようともせずに宙に浮いたままだった。
《リヒト、もういい!! お前は逃げろ! ここまでで充分だ!》
《いいえ! 私もご一緒させてください!
「……馬鹿野郎」
意固地な
◇
光の奔流は凄まじい速さでケントに迫り、見る見るうちにケントは光に飲まれていく。あまりにもまばゆい光にケントを睨み続けていた者も思わず目をふさいだ。
それからやがて光が収まり、ケントがいた場所に人々が目を向けるとそこには何もなかった。
ケントも闇の書も、最初から存在していなかったかのように跡形もなく消滅したのだ。
聖王オリヴィエ陛下からの宣戦布告を受けた愚王ケントは突如乱心を起こし、四人の守護騎士や異母妹ティッタ、ガレア王イクスヴェリアといった面々を王宮から追放。さらには王都の住民を犠牲にして『闇の書』を完成させようと目論んだ。
しかし、『聖王のゆりかご』の魔力砲を受けて、愚王ケントは『闇の書』とともに消滅。
ついに愚王ケントに裁きが下り、グランダム王国とベルカは愚王から解放されたのだ。
それ以後グランダム王国は聖王連合に統合され、グランダムの民は聖王陛下の保護のもとで安寧な日々を取り戻したという。
愚王伝終章 終