第80話 覇王(前)
聖王オリヴィエが聖王のゆりかごを用いて《グランダムの愚王》を征伐して以降、聖王のゆりかごはいくつかの反連合国の王都を消滅させていき、ゆりかごの圧倒的な力を思い知らされた国々は次々に聖王連合に加盟していくようになり、数百年続いたベルカの戦乱は瞬く間に終息を見せていった。これが世に言う『聖王統一戦争』の経緯である。
しかしそれから数年後、聖王のゆりかごは突如ベルカの空からその姿を消し、それに乗じて崩壊寸前だったダールグリュン帝国と反連合国が再び勢いを取り戻し、聖王連合の打倒とベルカ統一を掲げ兵を挙げた。
ゆりかごなき今、ベルカはダールグリュン帝国によって統一されるのか、あるいはベルカそのものが崩壊するまで戦が続いていくのか、人々はそう思い悲嘆にくれた。
しかしそうはならなかった。
今や聖王家を超え、帝国と肩を並べる強国となったシュトゥラ王国が立ち上がり、反連合国と帝国の軍を鎮圧していったからだ。
◇
シュトゥラではゆりかごの起動から間もなく、病床にあった当時の国王が崩御し、第一王子にして唯一の王位継承者だったクラウス・G・S・イングヴァルトがその位を継いだ。
そして彼は即位間もなく、軍を率いて未だ連合になびかぬ反連合国や帝国に攻め込んだのである。
ある時は中枢王家の要請を受けて、ある時は自身の判断で、クラウスはほとんど休む間もなく兵を指揮しながら自ら前線に立って敵軍を蹂躙し、敵国から降伏と連合への恭順の言質を取るか、はたまた敵国の王を討ち倒して国を潰し、クラウスは再び軍を率いて次の国へと戦いを仕掛けていった。
シュトゥラの内政を預かる高官たちの中には王を諫めようとする者もいた。だがクラウスはそんな声に耳を傾けようとしなかった。これは連合のベルカ平定を助けるための戦いで、シュトゥラを存続させるために必要な事だと言って聞かなかった。
ならばせめてと、家臣たちはクラウスにシュトゥラ王家の血統を残すために妃を迎え、世継ぎを設けるべきだと訴えたが、彼はそれにも首を頑として縦に振らなかった。今はそんなことをしている暇はないとクラウスは言っていたが、オリヴィエへの想いが尾を引いているのは誰の目から見ても明らかだった。
それから数年もの間、クラウスはひたすら戦いを続け、多くの国を滅ぼし無数の屍を築いていった。ゆりかごがベルカから姿を消して今まで息をひそめていた帝国と反連合が再び動き出すようになってからは、かの国々に対して一層攻撃を強め、クラウスはベルカ中から《シュトゥラの覇王》と呼ばれるようになっていった。
そんな時、クラウスのもとに、皇帝率いる帝国の軍が、南の地に進んできているという話を聞いたのは。
――雷帝ゼノヴィア! とうとう姿を現したか。しかもよりによってあそこに。
その報告を聞いたクラウスはすぐさま五万もの軍を率いて南へと向かった。目指すはかつて《魔女の森》と呼ばれていた枯れ地だ。
◆
シュトゥラ南部。
そこはかつて緑豊かな森で《魔女》と呼ばれる亜人たちが暮らす森だったが、十年前隣国が仕掛けた燃焼兵器によって無残にも焼き払われ、ほとんどの木々が焼け落ちてしまった。そして今では木々の残骸も完全に朽ち果て、影も形もなくなってしまっていた。
その荒れ地にて三万ものダールグリュン帝国軍と、彼らを追ってやって来た五万ものシュトゥラ軍が対峙したのである。
情報通り帝国軍を率いるのは、かつては覇王とも呼ばれていた《雷帝》ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン。
対してシュトゥラ軍の指揮を執るのは、数多の国を攻め滅ぼし《覇王》の異名で呼ばれるようになったシュトゥラ王クラウス・G・S・イングヴァルト。
ベルカ史上最後の戦いとなるこの戦が、覇王の名を持つ者同士の戦いとなるのは歴史の必然だったのか? それとも覇王と呼ばれる二人の執念がなせる業だったのか? それは神のみぞ知る。
青い鎧のシュトゥラ兵と白い鎧の帝国兵は互いに剣を振るい、槍を突き、敵国の兵の命を奪い自らも別の敵兵に討たれ屍となる。そんなことが何千、何万回も繰り返され数刻もしないうちにあちこちで屍が散乱していく。
「見つけたぞシュトゥラ王!」
「その首もらった!」
「覚悟おぉ!」
十人以上の帝国兵がクラウスめがけて殺到してくる。
クラウスは自分に向かってくる帝国兵を見据えると、自身の足元に魔法陣を展開しながら右腕を後ろに下げた。
「シュトゥラ流……」
そして、
「空破断!!」
クラウスが手のひらを開いたまま右手を前に突き出した瞬間、彼の手からすさまじい衝撃波が放たれる。
それをもろに喰らい、ほとんどの敵兵が四方へ吹き飛び息絶えていく中、敵兵の一人が生きたままクラウスの前に飛んできて、満身創痍のまま地に横たわった。
クラウスは紫の右眼と青い左眼で敵兵を見下ろす。自身を見下ろす二色の冷たい目を見て敵兵は思わず「ひっ!」と声を上げた。
クラウスはその場で膝を折りながら命乞いの言葉を上げんとした敵兵に向かって右手を振り下ろし、敵兵の心臓を容赦なく打ち砕いた。
敵兵は口から血を吐き出しながら果て、敵兵が吐き出した血を浴びて青年の体は汚れるが彼は意にも介さず立ち上がり前に目を向ける。
そこには新たな敵にして青年が探していた敵将がいた。
「シュトゥラ王クラウス・G・S・イングヴァルト殿とお見受けするが……相違ないかな?」
長く波打った銀髪、緑の右眼と紫の左眼、白い軍服、身の丈ほどもある巨大な槍。彼女こそが帝国軍を率いる総大将にして、クラウスが十年間探し求めていた宿敵。
「ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン……」
ゼノヴィアの姿を認め、クラウスは彼女に憎悪と殺意のこもった目を向ける。
ゼノヴィアを睨むその顔は十年前の朗らかな彼とはまるで別人だった。
それに対してゼノヴィアは十年前と変わらない容貌のまま、不敵な笑みを浮かべながらクラウスを見据えていた。
◇
聖王のゆりかごが起動して以降、ダールグリュン帝国でも大きな変化が起こっていた。
ゆりかごの力におののいた属国が軒並みに独立を表明して連合に降り、この期に及んで沈黙を保ち続ける皇帝に対し各地の諸侯も反旗を翻したのである。
かくして聖王連合に匹敵するほどの勢力を誇った帝国は、連合の侵攻やゆりかごの攻撃を待たずして分裂。長きにわたる内乱状態に陥った。
なおフィアット候にして元ディーノ王子だったダスターもディーノ王を名乗り手勢を連れて連合へと向かって行ったものの、すでに旧ディーノ領はグランダムの一部として連合の統治下にあり、領土を持たない身となったダスターがその後どうなったのかは不明である。
ゼノヴィアは自身を討ち取らんと攻め入って来た属国や諸侯を撃退していった。しかし独立しただけの国に対しては手を出すことはなかった。温情からくる判断ではない。この情勢下の中で迂闊に戦線を広げれば兵や物資の消耗を早めかねないことに加えて、こちらが疲弊した所を見計らってゆりかごや連合の軍が攻め入ってくる恐れがあったからだ。
ゼノヴィアは常に自ら軍を指揮し、打ち破った諸侯や王の城に住みつきながら各地を転々としていった。経費もだいぶかかった。ほとんどは討ち取った諸侯たちから没収した財とその地に住む民からの税で賄っていたが、半年ごとに手元に入ってくるグランダム復興債の金利も助けになった。
戦いを重ね各地に移り住みながらゼノヴィアは待っていた。自分を討ち取りにゆりかごが姿を現すのを。
ゆりかごを守る無数の小型船や砲台を潜り抜けてあの鋼の船に潜り込み、その奥にいるであろう聖王オリヴィエと対決する。ゼノヴィアはただそれだけを楽しみにしていた。
しかしそれが叶うことはなかった。
帝国の分裂から数年後、ゆりかごは突然ベルカからその姿を消した。
ベルカの平定は今だ為されてはいない、この聖大陸に限っても連合に加わっていない国はそこそこ残っているし、形だけは連合に加わった体を取っていてもその実、面従腹背の姿勢を取る国も多い。
そんな中でなぜゆりかごは姿をくらましたのか、ゆりかごの仕組みを知らないゼノヴィアにもそれが意味することは容易に想像がついた。
故に彼女は立った。再びこの地に戦乱を起こし、自身を満足させるほどの力を持つ
現金な事に、ゆりかごがなくなった途端属国や諸侯からの攻撃はぴたりとやんだ。彼らは再びゼノヴィアについた方が賢明だと考えたのだ。
そんな彼らをゼノヴィアは内心で侮蔑しながらも責めることはしなかった。今はただ北への道筋を作れればいい。《覇王》と呼ばれている“彼”に迫るための道を作れれば。
それからまた数年の時をかけてゼノヴィアは北へ進み、シュトゥラの西にある地を抑えた。かつてシュトゥラの南にある魔女の森を焼き払ったことでシュトゥラの怒りを買い滅ぼされた国があった場所だ。
そこはすでに土壌の腐敗が進んでいて誰一人住んでいない荒れ地となっていた。だからこそシュトゥラもこの地は重視しておらず、帝国軍に奪われたとしても即座に兵を送ることはできなかったのである。
ゼノヴィアはそこからさらに東へ進みこの地に足を踏み入れた。この『魔女の森』だった地に。
そしてついに彼女は《もう一人の覇王》と相まみえることになったのである。
◇
クラウスの魔力がこもった拳とゼノヴィアの槍の穂先が真正面から衝突する。
二人は拳と槍を繰り出して相手の攻撃を弾き、その間隙をついて攻撃を仕掛けるも防がれる。
そんな応酬を絶え間なく続け、クラウスは拳を突き出しながらゼノヴィアに怨嗟の声を漏らす。
「お前が……お前がいなければベルカの戦乱はここまでひどくはならなかった……お前たちが聖王連合に歯向かわなければ!」
それを受けてゼノヴィアも槍を振るいながら答える。
「確かに。それは否めんな……だが聖王連合の敵は我ら帝国だけだったわけではあるまい……反連合も帝国とさほど変わらん規模があったそうだが」
「――違う!」
クラウスはそう叫ぶとともに拳に一層強い力を込め、ゼノヴィアの槍を殴りつける。
その衝撃は槍からゼノヴィアの体にまで伝わり、彼女は危うく槍を取り落としそうになった。
クラウスは拳を振り上げながら言葉を続ける。
「反連合があそこまで増長したのは、お前たち帝国が聖王家に対抗しようとしていたからだ! 帝国が最初から聖王家に友好的だったら、奴らも戦を起こそうとはしなかったはずだ。お前たちが余計な事をしなければ!」
声を荒げるクラウスにゼノヴィアは鼻を鳴らした。
帝国の存在とは関係なしに、連合に不満を持つ国は昔から存在していた。
その国々はいつしか
帝国がどう動こうと、戦乱自体は必ず起こっていたはずだ。
しかしクラウスの言うことにも一理ある。連合と帝国が同盟関係、もしくは友好的であれば、反連合も迂闊に二国を敵に回すわけにはいかなかったはずだ。帝国の動き次第では戦乱はもっと小規模になっただろうことは否めない。
だからゼノヴィアはこれ以上の反論をしなかった。言っても栓のない事だから。それ以上に何より――
「空破断!」
「ぐっ……」
クラウスの右手に集まった魔力が衝撃波となってそのまま撃ち出され、ゼノヴィアを襲う。
だがクラウスの本命はそれではなかった。クラウスは衝撃波を放つと同時に地を蹴って衝撃波を受け止めているゼノヴィアの眼前に迫る。
クラウスは瞬時に右腕を後ろに下げながら力を溜め――
「破城槌!」
「あああ!」
どてっ腹に鎧が砕けるほどの会心の一撃を喰らい、ゼノヴィアはたまらず大きなうめき声を上げる。クラウスは続けて攻撃を打ち込もうとするも、空気の流れの変化を敏感に感じ取り反射的に後ろに下がる。その直後にゼノヴィアの槍がクラウスのいた所へ振り下ろされた。わずかにかすめたクラウスの緑髪が数本切り落とされて宙に舞う。
クラウスは舌打ちを鳴らし、ゼノヴィアは苦痛を感じながらもニヤリと口を吊り上げた。
(憎しみのこもった一撃……実にいい、血がたぎる。今まで相まみえたどの敵よりも戦うのが面白い……こやつなら――)
ゼノヴィアは笑みを浮かべたまま空いている左手を広げると、そこに魔力が集まり雷の球体が三つも出来上がる。
「五十四式・槍礫」
ゼノヴィアは左手の上に浮かび上がった三つの球体をすべてクラウスの方へ弾き飛ばした。
クラウスは迫りくる雷球を前にしても避けようとせず、わずかに身をよじるのみだった。避けた所を斬り伏せるつもりだったゼノヴィアはその場にとどまったまま眉をひそめる。
クラウスはおもむろに両腕を前に出し雷球を掴み取った。
(そう来たか!)
残った一つがクラウスに当たらず宙を舞う横で、クラウスはゼノヴィアを見据え掴み取った雷球をそのまま――
「旋衝破!」
「ちっ――」
ゼノヴィアは槍を振るいクラウスが投げ返した雷球を弾き落とす。弾かれた雷球の一つは地面に落ちてそのまま消滅し、もう一つは残っていた木の残骸に当たってそのまま燃え上がった。それを見てクラウスは苦々しく顔を歪める。
――それが一瞬の隙となった。
「――!」
燃える木に気を取られていたクラウスの後頭部を何者か――いや、そんなもの今更言うまでもない。いつの間にか背後に回っていたゼノヴィアがクラウスの頭を掴んだのだ。
「六十八式・兜砕!」
クラウスは逃れようとするもゼノヴィアはすさまじい強さで彼の頭を掴み続け、そのまま一気に地面に叩きつけた。
ゼノヴィアはクラウスの頭から手を離し、地に付している彼を切り落とさんと槍を振り下ろす。
だが……
「空破断」
クラウスは衝撃波を握りこんだ左手で地面を殴りつけその反動で起き上がり、そのままゼノヴィアが振り下ろした槍の柄を握りしめ、もう片手を開いたまま後ろへ下げる。
クラウスの動作と足元の魔法陣を見てゼノヴィアはとっさに槍を手放しかけた。手放すべきだと本能が告げていた。なぜならこのままクラウスの側にいたら――
「断空拳!」
「ぐあああっ!」
ひび割れた鎧にクラウスの掌打をもろに喰らう。あまりの衝撃にゼノヴィアは血反吐きながら後ろに吹き飛び、後ろに立っていた木に衝突した。
「見事だ、見事だぞクラウス。その力量、その冷徹さ、余に代わって《覇王》と呼ばれているのは伊達ではないという訳か」
ゼノヴィアは背中を強打した痛みも感じていないかのように、愉快そうにクラウスに賛辞を贈る。だが……
「……いいや、私は
その言葉を聞いてゼノヴィアは笑うのをやめ、怪訝そうにクラウスを見た。
クラウスは今もさえない顔のままだった。戦いを始める前と同じまま。