《シュトゥラの覇王》クラウス・G・S・イングヴァルトと《雷帝》ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュンの壮絶な決闘を最後に、ベルカ全土を巻き込んだ戦いはついに終結し、後の世で『諸王時代』と呼ばれる長い戦乱の日々はようやく終わりを告げた。
その後は平和な時代が続くのみである。ごく数年のつかの間の間ではあるが……。
愚王ケント・α・F・プリムス亡き後、聖王連合はただちにグランダム王国政府と停戦協定を結び、そのまま終戦を迎えることとなった。
グランダム王の死と闇の書の消滅、そして多くの民が亡き王に反感を抱き聖王を支持するようになったことで、連合がグランダムを攻撃する理由がなくなったのである。
なお戦後処理を進めていく傍らで連合はグランダム先王の遺児ティッタ・セヴィルのもとに特使を派遣し、最大限の後援を約束したうえで女王即位を強く勧めていたが、ティッタは先王との関係を否定して即位を拒絶した。
それによって王位継承者がいなくなったグランダム王国は解体し、聖王連合に統治されることとなった。
しかし、グランダムには今もなお愚王が遺した巨額の債権があり、これを黙って請け負うほど中枢王家も甘くはなかった。彼らはグランダムに独立国と同等の自治を認める代わりに、グランダム自治政府に対して債権の返済を独自に行っていくように指示を出したのである。
そうしてグランダムは依然として膨大な債務を抱えながらも、聖王連合の保護下のもとでついに平和と安寧が得ることができた。
◆
ケントの死とグランダムの聖王連合への統合からちょうど十年後。
かつてグランダム王宮と呼ばれていた城はそのまま、聖王代行から任命された総督が政務を執るための総督府となっていた。
その総督がいる執務室では二十代くらいに
そこへ扉がコンコンと叩かれてくる音が耳に届いてくる。それからすぐに扉の外側から衛兵の声が聞こえてきた。
「リヴォルタからセヴィル辺境伯がいらっしゃいました。総督閣下にお渡ししたい書類があるとのことです」
それを聞いて男は扉の方に目を向ける。これはまた珍しい人物が来たものだと男は思った。
「お通ししてくれ」
男がそう言うと「はっ」という声が返ってきて扉が開かれる。
衛兵が開いた扉をくぐって執務室に入って来たのは右手に鞄を持ち、癖っけのある茶色の髪を肩ぐらいまで伸ばした女性だった。
金色の右眼と緑色の左眼の上には眼鏡をかけており、文官服と長いスカートを組み合わせた格好をしている。
執務室に入って来た女性、ティッタは鞄を足元に置きスカートの端を摘まんで一礼した。
それを見て、彼女もずいぶんと変わったものだと男は思った。
「お久しぶりです。総督閣下」
「こちらこそ、お久しぶりですティッタ卿。お元気そうで何より」
ティッタの挨拶に総督は感慨深そうな笑みと言葉を返す。そんな彼にティッタは、
「それはこちらの台詞ですよ
「よしてください、こんな年寄りにお世辞が過ぎますよ。それに私はもう宰相ではありません。グランダム王国がなくなったことでその地位は失ってしまいました。まあ聖王代行から総督という肩書をもらって、この城に勤め続けてはいますが」
「いいじゃないですか、こうやって話すのも久々なんですし。それに今日は、十年前から抱えていた大きな問題が解決する記念すべき日なんですから」
その言葉を聞いて宰相はああと思った。
そうか、彼女はそれをねぎらうためにわざわざここまで来たのか。
ティッタと元宰相はここ十年の間、グランダム復興債の利払いと返済のために何度も連絡を取り合い協議を重ねていた。直接話をしたことも何度かある。債権問題においてグランダム最大の都市であり、もっとも多く税を集めることができるリヴォルタの協力はなくてはならないものだったからだ。
しかし債権関連の支出は膨大で、リヴォルタから送られてくる税収があっても決して順調とは言えなかった。それにリヴォルタでも十年前から今も続いている不作の影響を受けて住民が激減し、税収も減っている。対策も何度か取ってはいるが、出て行こうとする住民を無理に押し留めることはできない。
しかし、そのような中でも債券の利払いを欠かしたことはなかった。そのほとんどが皇帝とその親族に流れていたのは少々癪ではあるが。
そして今日、最後の利払いと債務そのものの返済をもって、グランダムは復興債という大きな負債から解放された。それまでの苦労は言葉だけではとても言い尽くせない。
「ティッタ殿、あなたが力を貸してくださったからこそグランダムは今日という日を迎えることができた。もしかすれば陛下はこれを見越して、あなたにリヴォルタを任せたのかもしれませんな。本当に感謝に堪えない」
「や、やめてくださいよ。あの債権も元はあのバカ兄貴が考えたものですし、一応妹として責任を感じなくはなかっただけですから」
頭を下げる元宰相にティッタは手を振りながらそう返し、元宰相が頭を挙げたのを見計らって話を続ける。
「まったく、つくづく迷惑な奴でしたよ。あんな債権残して死んじまいやがって。天国か地獄のどこにいるのか知らないけど、あの世にいるあいつになんとか請求できないもんかな」
ケントの話になった途端、ティッタは十年前のような口調で毒づきケントを罵る。
そんな彼女に元宰相は笑みを浮かべながら、
「……あの方についてだいぶ吹っ切れたようですね」
その言葉にティッタは複雑そうな笑みを作って言った。
「……最初は腹が立ったり戸惑ったりしましたけどね。でも色々考えてみると、やっぱりお兄様はああなることを狙ったうえで、アタシや守護騎士を追い出したり王都の人たちを脅かしたりしたんだと思います。でないとおかしいじゃないですか。固有技能を使えば魔力砲なんて楽によけられるのに、むざむざそれを食らったりして。それにお兄様の手元には闇の書もあったんですよ。あいつがその気になったらゆりかごを落とすことだってできたんじゃないんですか?」
「……でしょうね」
ティッタの推測に元宰相はあっさりうなずく。
それにティッタは腰に手を当て、呆れたような顔をした。
「でしょうねって、やっぱり最初から気づいていたんですね」
「ええ。これでも先々王の代から王家に仕えていましたから。特にあの方に関しては生まれた時からお傍で見守らせていただいていましたので、あの方が考えそうなことは大体わかります。あの日にあんなマントを付けて兵も連れず城から出て行くのを目にした瞬間、まさかと思いましたよ」
孫同然だった主に思いを巡らせ、元宰相は大きく息をつく。
彼から見ればケントの振る舞いは、明らかに攻撃の矛先を自分に向けるためのものだった。しかしあの映像を見た者たちから見れば、あの時のケントの姿はまさに暴君、いや狂王のそれだった。
故に、今やケントはベルカ史上最低最悪の王、《グランダムの愚王》と呼ばれ忌み嫌われている。
そのことを考えると自然と険しい顔を作ってしまう。そんな元宰相の様子をティッタは声をかけず、じっと見守っていた。
それを察したのか、元宰相は取り繕うように顔を上げる。
「……まあ、私のことはいいでしょう。あなたの方はどうです? あれからお変わりありませんか?」
「ええ。今は何とか落ち着いています。時々大きな事件が起こるたびにあの人たちがいたらなって思う時はありますけどね」
ティッタはそう言って寂しそうに笑い、元宰相も憐憫の情を込めて笑いかけた。
グランダム王宮を追放され、ティッタとともにリヴォルタへ移った四人の守護騎士たち。
十年前、ケントと闇の書が消滅したあの日を境に、あの騎士たちもまた忽然と姿を消した。
頭上に現れた枠を通してケントと闇の書の消滅を見届けた途端、彼女たちは皆重々しい表情になって押し黙った。ヴィータはケントのことを自業自得だと笑ったり気丈に振る舞おうとしていたが、やはりいつもとはだいぶ雰囲気が違った。
良き主だったケントの死に心を痛めているのかとも思ったが、今思えば彼女たちは自分たちがこの世界にいられなくなることを知っていたのだと思う。
そして夕方、その日の務めが終わった頃になっても彼女たちが戻ってくることはなかった。騎士たちの一人シャマルは部下であるイクスと行動を共にしていたはずだが、彼女もまたイクスが目を離したすきにいなくなっていたのだという。
そしてイクスもまた……。
「……それで宰相さん、何度もお尋ねしてますけど“あの子”は……?」
ティッタの問いに元宰相は首を横に振った。
「いいえ、彼女らしい人物を見かけたことはありませんね」
「そうですか……」
元宰相の言葉にティッタは肩を落とした。
守護騎士たちがいなくなって、しばらくしてからイクスもまたティッタの前から姿を消した。彼女の方はいくらか目撃証言もあったが、乗合馬車を使って街から出たらしく、それからはぱたりと消息を絶ったままだった。
実はみんなアタシのことが嫌いで出て行ったんじゃないだろうな?
こうも次々に自分の前から人がいなくなられると、ついそんなことを考えてしまう。使用人や街の役人など、周りの人たちとはうまくやれているつもりではいるのだが。
そんなことを考えてしまっているせいだろうか、ティッタはつい大きなため息をついてしまった。
元宰相はそれを聞いて……
「おおっと、つい話し込んでしまいましたな。そろそろ仕事に戻るとしましょう。ティッタ殿、そちらの書類を渡していただけますか」
「あっ、そうでしたね……こちらです。リヴォルタで行う予定の公共事業についての資料もありますので、どうかよろしくお願いします。総督閣下」
鞄を空け、中にある紙束を差し出しながらティッタはそう言って、元宰相――総督もその紙束を受け取った。
「……公共事業ですか。それはまた一体どのような?」
「そちらの資料を読んでいただければお分かりになると思います。総督府にもお願いしたいことがありますのでぜひご一読ください。あの子にも協力を仰いでいるところなんですけどね」
総督は「はあ」と言い、その間にティッタは執務室の隅にあるソファに腰かけた。
それからしばらくの間、総督は何枚かの書類に目を通し、ティッタは侍女が持ってきた紅茶を口に運んでいた。
不意に総督は書類から視線を上げ、ティッタに声をかけた。
「そういえばティッタ殿、まだ身を固められたという話を聞きませんが、そちらの方はどうです? 誰かよい相手でもおられないのですか?」
その言葉にティッタは思わず紅茶をむせかけた。十年前だったら確実に噴いている。
「な、何ですか急に?」
「いえ、あなたとも長い付き合いになりますし、先王陛下が遺された御子のお一人でもありますので色々と気になりましてな。それでどうなのです? ティッタ殿から見て婿にしてもよいと思う方は?」
「いませんよそんなもの! 貴族の坊ちゃんはみんな軟弱な人ばかりで。まあテジスさんとかからはそろそろ妥協しろって言われてるんですけどね」
ティッタも彼らがそう言ってくる理由はわかっている。もし爵位を相続する子がいないままティッタにもしものことがあれば、リヴォルタは連合直轄地となり、どんな領主や総督が派遣されてくるかわかったものではないからだ。
しかし、おそらくその心配をする必要はないとティッタは思っている。連合が進めているあの計画が実行されれば、あの都市どころかベルカそのものを放棄せざるを得ないのだから。
ただ、それを抜きにしても個人的に子供は欲しいと思っている。
ベルカ中の人々から愚王と呼ばれている兄、彼が引き連れていた五人の従者たち、彼らの事を自身の子に語り伝えていきたいと思う。そしてその子供はさらに次の子供へと……そうしていくことで、後の世に少しでも兄のことを見直す人が現れてくれることを切に願う。
それに子供でもいないとあの剣を受け継ぐ者がいなくなってしまう。兄がこの城に置いて行った結果、自分に押し付けられた、ティルフィングという兄の愛剣が。
「……そうですか。ではうちの孫などいかがでしょう? ティッタ殿の婿に」
「はっ!? ……宰相さんの孫?」
総督の言葉を聞いてティッタは思わず間の抜けた声を上げる。一旦は直した呼び方もまた元に戻っている。
しかし総督は意に介さずにうなずきを返す。
「ええ。贔屓目を抜きにしてもなかなか見込みのある男だと思っています。爵位は継げそうにないので、いずれは騎士として陛下に取り立てていただこうと思ったのですが、陛下が亡くなったことでそれも難しくなりましてな。ただ、そんな理由で市井に埋もれさせるのはあまりに惜しい男だと思うのですよ……そこで」
総督はそこで言葉を止めティッタをじっと見た。
彼が言いたいことは十分伝わった。しかしティッタとしてはそんなことよりも……
「あの……そのお孫さんっていくつぐらいですか?」
ティッタの問いに総督は顎に手を載せ、ふむと少し考えてから答えた。
「今年で28になります。ティッタ殿も26でしたから丁度良いくらいではないかと」
「……えっと、宰相さんって十年前に孫が生まれたばかりだって聞いたことがあるんですけど、それは?」
「ああ、それは次女夫婦のところに生まれた孫ですな。ちなみに女の子です」
総督は淡々とそう答える……この一見二十代の、孫がいるようにはとても見えない男が。
「……じゃあ最後にあと一つだけ……宰相さんっておいくつなんですか?」
「おや、ご存じなかったのですか? 私は――」
総督がこれまた淡々と告げた年齢を聞いて、ティッタは思わずカップを落としてしまったという。
この二ヶ月後、ティッタは総督の孫と引き合わされ、似たような気質の持ち主だった二人は意気投合し半年もかけずにあっさり結婚。
その一年後には、
それから数年後、ミッドチルダへの移住に伴い、彼女も夫子とともにベルカを離れリヴォルタ領主ではなくなるが、セヴィル家はその後もダールグリュン家とエレミア家に並ぶ名門として存続し、遠い未来において創設される『時空管理局』にも大きな影響を及ぼすことになる。