グランダムの愚王   作:ヒアデス

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EX.7 領主からの求婚

 日が沈んで辺りがすっかり暗くなった頃、ヴァンネット城では城の庭に料理を乗せた卓が運び込まれ、ガレット獅子団の戦士、騎士たちもそこに集まっていた。

 ガレット北部にのさばっていた魔物が退治されたことを祝い、魔物退治を成し遂げた勇者ケントとその供たちを城を挙げてねぎらう宴がここで開かれるのだ。

 通常こういった宴は城内の広場で行われるものだが、主賓である勇者の希望によって屋外で宴が開かれることになった。勇者の故郷では見ることができない紫がかった夜空と輪に囲まれて並んでいる大小二つの月が存分に眺められる中庭で。

 

 セッティングが終わりすべての賓客と多くの将兵が集まったところで、ガレット領主ブルトンヌと勇者ケントからの挨拶が行われ、それをもって宴が始まった。

 

 

 

 

 

 ブルトンヌたちとともに魔物退治を行い、ヴァンネット城を訪れたパスティヤージュの一行もこの宴に参加しており、特に一行を主導していたパスティヤージュ王家の当主クラリフィエと、かの国の勇者アデライドは影の主賓として将軍や高官などからの歓待を受けていた。もっとも、彼女たちに近づく者たちの半分以上は他国の王や勇者に取り入ろうという魂胆が透けて見える者たちばかりだったので、クラリフィエとアデライドにとっては内心煩わしいものでしかなかったのだが。

 しかし、そのような者たちもヴァレリアに睨まれたりヒナに追い散らされていくうちに数を減らしていき、ようやく解放されたクラリフィエは人目に付きにくい片隅に移動しそこで一息ついていた。

 クラリフィエは手に持った杯を傾け、水をあおってからため息を吐き出す。

 ああいった手合いと話すのはやはり疲れる。

 

 アデルとともに魔物退治の旅に出る前から、王女として地方の領主やその子女を相手にすることは何度かあったが、《英雄姫》として名を馳せるようになってから、自分に対して露骨に媚びを売ったり取り入ろうとする者たちが急激に増えてきた。

 当初こそは自分たちの働きが認められたものだと喜んだり、まわりから持ち上げられてまんざらでもない気分だったのだが、自分たちに近づこうとする者たちと接していくうちに彼らの抱いている下心が分かるようになり、表面上では笑顔で流すものの内心では話すのも億劫になってきた。

 

 そしてふと思う。フロニャルドにはびこる魔物を退治しようと旅に出なければ、自分はこのような場に出ることはなく、今も城の中でひっそりと暮らしていただろうか? 

 もしもそうなっていたらフロニャルドは今も魔物が跋扈し、人々はほとんど集落から出ることはなく質素な生活を送っていただろうか? それとも別の誰かが魔物を退治したり勇者を召喚したりして、今のような世の中を作っていったのだろうか?

 おそらく後者の可能性が高いだろう。精強な軍団を指揮して魔物と戦っているブルトンヌや、彼女によって勇者として召喚されたケントという男を見てクラリフィエはそう思った。

 

(だったら、私が勝手な都合で彼女をフロニャルドに呼び出した意味は……)

 

「あの、少々よろしいでしょうか?」

 

 ふと声を掛けられ、クラリフィエは考えを切り替えながらそちらを向いた。

 

「あなたは……」

 

 クラリフィエに声をかけたのは、金髪を短く揃えた二十代に見える女だった。女は一礼して自らの名と身上を明かす。

 

「シャマルです。ケントの従者をしている者ですが、覚えていらっしゃいますか?」

 

「もちろんです。先ほども一緒にお風呂に入りましたよね」

 

 笑顔を浮かべて応じるクラリフィエに、シャマルも笑みを返しながらうなずく。

 

「ええ。覚えていただけて光栄です。……それと、我々の主を助けていただいたことについて改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございます!」

 

「い、いえ、私は魔物を見て思わず体が動いてしまっただけで。それにあなたたちが魔物を弱めてくれたから、私たちも無事に禍太刀を封印して土地神様を助けることができました。こちらこそなんとお礼を言っていいか」

 

 シャマルとクラリフィエは互いに感謝の言葉を口にし、それからシャマルはクラリフィエの顔色を伺うように言った。

 

「……だいぶお疲れのようですね」

 

「ええ、まあ。ケント様と違って主賓ではないとはいえ、それでも一国の代表ともなれば声をかけられることも多くなりますから」

 

「そうですか……」

 

 そこでシャマルは考えるように視線を宙にさまよわせてから再び口を開いた。

 

「でしたら、こんなところで立っているより城内で休息をとるというのはどうでしょう? もう宴が始まってからだいぶ経ちますし、少しの間ここを離れても姫様を悪く思う人なんていませんわ」

 

 シャマルの言葉にクラリフィエは少し考え、

 

「……確かにそれもいいかもしれませんね。シャマル様の言う通りお城の中で少し休ませていただくことにしましょうか。お心遣いありがとうございます。それでは――」

「――あっ、待ってください!」

 

 忠告通り城に向かおうとするクラリフィエをシャマルが止める。眉をひそめながらクラリフィエが振り返ると。

 

「良ければ私もご一緒していいでしょうか? こうしてお近づきになれたことですし」

 

 その瞬間にクラリフィエはシャマルの意図を察する。この人は自分に何か言いたいことがあってそう言ってきたに違いないと。おそらく自分が一人になった時に声をかけてきたのも偶然ではないのだろう。

 

「……ええ。構いませんよ」

 

 クラリフィエがそう言うと、シャマルは礼を言いながら彼女の後を追った。

 

 

 

 その時、城内へ向かう二人を目にしてヒナが、

 

「あれ? あの人は確かこの国の勇者が引き連れてた……なんであの人がフィーと一緒に? 念のために私も一緒に行った方がいいのかな?」

 

 しかし、彼女の隣にいるヴァレリーは首を横に振って、

 

「放っとけ。あいつは他の奴らと違って戦いには長けていないみたいだし、襲われるようなことがあったとしてもフィーなら返り討ちにできんだろう。お前が気になるんなら監視を付けてもいいが」

 

 ヴァレリアがそう言うと彼の影から小さな影らしきものが飛び出し、一瞬にしてクラリフィエの影に溶け込んでいった。クラリフィエもシャマルもそれに気付いた様子はない。

 

「あれは?」

 

「研究用に俺が飼ってる魔物の一種だ。あんな風に他人の影に同化させることができるから、見張りや諜報に使える便利な奴だ。もしフィーに何か起こりそうになれば、あの影型魔物を通してすぐに俺に伝わる」

 

「ああ、そう言えばあんなのをいくつか育ててたっけ。そういうことなら私は備えだけしておけばいいか」

 

「ああ、そのくらいで充分だろう。それにもしかしたら……」

 

「もしかしたら?」

 

「いや、なんでもねえ」

 

 特に考えず問いかけるヒナに、ヴァレリアは首を横に振ってそう吐き捨てた。ヒナは気にせず「ふうん」と言いながらヴァレリアから視線を外した。

 そんな彼女にヴァレリーは「お代わりでも欲しいのかよ?」と聞き、ヒナは頬を膨らませて「子供扱いするな!」と怒って見せた。

 

 

 

 

 

 

 宴が始まってから肉が多めな料理と地酒に舌鼓を打ちながら、獅子団の副長サブラージュや領主お抱えの研究士ヴィノカカオを始めとした面々と言葉を交わしていくうちに時間は過ぎ、話しかけてくる者も少なくなり酒を味わっていたところで足元にたたずむ小さな影が目に映った。

 紫色の毛並みに首元に付け襟と赤い蝶ネクタイを付けた猫……俺たちをベルカからこのガレットへ送り込んだ使い猫だ。たしかチェルシーという名前だったな。

 チェルシーは俺と目が合うと背中を向けそのまま歩きだしていった。グランダム城で見かけた時と同じように。……ついて来いってことか。

 チェルシーが言わんとすることを察した俺は、空になった杯を卓に置いてチェルシーの後についていく。

 チェルシーはそのまま城内へと入っていき、俺もそれに続いて城の中に足を踏み入れる。

 半刻ごとに交代で城内の歩哨に立っている衛兵や料理の補充や食器の片付けなどのために駆け回っている使用人たちとすれ違いながら、チェルシーの背中を追って進む。

 その途中でシャマルとクラリフィエがある部屋に入っていったのが見えたが、チェルシーはその部屋の手前にある階段を登っていったため彼女たちの様子を窺うことはできなかった。また後で寄ってみるか。

 チェルシーは自身の後を追う俺を尻目にどんどん階段を駆け上がっていき、最上階らしき階層まで上がるとチェルシーは向きを変えて通路を進み何度か曲がった所の先にある階段を登っていく。階段の先にある扉は開き切っておりチェルシーはその間を悠然と進んでいった。これもグランダム城の時と全く同じだな。

 

 

 

 

 

 

 やはりというべきか、屋上に出たチェルシーと俺を待っていたのは、チェルシーの、そしてこのヴァンネット城の主でもあるガレット獅子団領国の領主、ブルトンヌ・ガレット・デ・ロワだった。

 彼女は出っ張った手すりに背中を乗せながら、地酒が入ったグラスを片手に頭上に広がる夜空を見上げていた。

 薄く紫がかった夜空には、燦然と輝く無数の星々と二つの月が浮かんでいる。

 夜空と月。どちらも暗雲に包まれたベルカでは見られないものだ。親子か兄弟姉妹のように夜空に並んで浮かんでいる二つの月は円盤状の輪に囲まれており、本で見たものとまったく違う。その違いはここが異世界だからか、それとも俺が見た本の内容は間違いでベルカの上空にある月もあんな形をしているのか、俺には知る由もない。

 

「夜空や月を眺めながら飲むのもたまには悪くないものだな。夜空などとうに見飽きたと思っていたのだが」

 

 そう言ってからブル閣下は顔を下げてこちらの方を見る。声をかけられた途端チェルシーは主のもとに駆けて行った。

 

「ご苦労だったなチェルシー。やはり勇者を呼ぶのにお前以上の適任はいない」

 

 ブル閣下は自身の隣にある卓の上に置かれた皿を掴み、その皿に乗せられているものをチェルシーに与える。チェルシーが躊躇なく頬張っているところや香ばしい匂いからしておそらく魚だろう。

 皿に乗っている魚を平らげていくチェルシーの頭を愛おしそうに撫でてからブル閣下は腰を上げ、俺の方に体を向けた。

 

「よく来たな勇者ケント。楽にしろ。ここには(それがし)と貴殿と、あとはチェルシーくらいしかいない……酒はいるか?」

 

 そう言いながら卓の上に置いてある酒瓶を手に取るブル閣下に、俺は首を横に振って答える。

 

「せっかくのお誘いだが今日はもういい。これ以上は明日に響きそうだ。それに少し気になることもあるからな、悪いが遠慮させてもらうよ」

 

「気になることか。まさか宴にかこつけて、ここぞとばかりに女を口説きにでも行くつもりではあるまいな」

 

 酒瓶を傾け自らのグラスに酒を注ぎこみながら、ブル閣下はそんなことを言ってくる。

 

「クラリフィエ姫と一緒にいるシャマルの様子を見てくるだけだ。あいつなら心配ないと思うが、万が一他国の姫君に失礼なことをしていたら大ごとだからな」

 

 俺がそう言ってもブル閣下は疑いが抜けきれない表情をしながら、

 

「あの御仁なら多少のことは気にされんと思うがな。まあいい……ところでお前たちは魔物退治の道中、ほとんど空や森ばかり見ていたが、お前たちの世界にはああいったものがないのか?」

 

「……森も空もあると言えばある。だがそのどちらも、この世界で見られるものとはまったく違う。特に向こうの空は常に暗雲で覆われていて、俺とティッタ、イクスは晴れた空やこんな夜空を見たことがない」

 

 ブル閣下は信じられないと言いたげな顔で、しかしそれでもなんとかその光景を想像してみようと目を伏せて考えこみ、やがて言った。

 

「……それは惨憺な世界だな――ああ、すまない。お前たちがいた世界を悪く言うつもりではないが」

 

 慌てて片手を振りながら謝るブル閣下に俺は首を横に振りながら言った。

 

「別にいい。味気ない風景ばかりが広がる世界なのは確かだ。それに加えて不作が続いたり色々と窮迫した世界でな、正直こんな世界に住める人々が羨ましいと思うよ」

 

 そう言うと、ブル閣下は笑みを浮かべて……

 

「そうか。ならばいっそのこと貴殿たちもフロニャルドに――ガレットに住む気はないか? あれほどの魔物を退けて国を救った勇者となれば、民も部下たちも諸手を上げて貴殿を歓迎するぞ」

 

「俺を呼んだのはあの魔物を倒すためなんだろう? 役目が終わった勇者をいつまでも自国に置いておいてもいいものなのか?」

 

 俺の問いにブル閣下は強くうなずいた。

 

「かまわん。むしろ故郷に帰った勇者より、フロニャルドに永住した勇者の方がずっと多い。アデライド殿とて、召喚されてからもう数年はパスティヤージュにいるという話だ。貴殿たちもこの国に留まる気はないか? もしここにいてくれるのなら、貴殿にも供たちにもそれなりの待遇と役職は用意するつもりだが」

 

 それは実にありがたい話だな。用済みの勇者とその連れを好待遇で召し抱えてくれるというのか。しかし……

 

「悪いがあちらに帰る国があるんだ。あっちの世界では俺は一国の王でな、こっちの方が豊かだからといって易々と国を捨てて移住するわけにはいかない」

 

 俺がそう言うとブル閣下は目を丸くする。

 

「ほう、装束や供を引き連れているところを見るに、もしやと思ったがやはり王だったのか。確かに王の地位を捨ててこちらに移り住むなど躊躇いがあるだろうな。……だがもしも、こちらでも貴殿が王に並ぶ地位につける望みがあるとすればどうだ?」

 

「王に並ぶ地位? それってまさか……」

 

 思わず声を漏らす俺に、ブル閣下は鷹揚な仕草で首を縦に揺らし……

 

「うむ。多分そのまさかだ。もしこの国にいてくれるというのなら、ゆくゆくは貴殿にヴァンネット……そしてガレットの領主の位を譲ってもいい」

 

「俺にガレットの領主の位を――だと?」

 

 思わず声を上げて驚く俺にブル閣下は「うむ」とうなずく。

 だが――。

 

「……この国は獅子団が治めている形になっているとはいえ、他国の支配を受けていないれっきとした独立国だろう。そんな国の領主にどこの馬の骨かわからない男がつくことなどできるのか?」

 

「貴殿は馬の骨などではない。この国を、そして周辺諸国をも救ったガレットの勇者だ。その勇者が領主になることを拒む者などどこにいない。フロニャルドでは領主や王は血筋に関係なく、自らが定めた者に位を譲ることができるからな。貴殿に領主を譲ることは十分可能だ。もちろん貴殿が領主を任せるに足る男か、じっくり見定めてからになるが」

 

 先代の領主と血縁関係がないブル閣下がヴァンネットの領主になれたのもそのためか。おそらくフロニャルドでは魔物という脅威が存在していることと、身分や階層の区分けが厳密なものではないからだろうな。

 

「もし信じられないのならこういうのはどうだ? ……貴殿が(それがし)の婿になるというのは」

 

「俺がブル閣下の婿に、だと?」

 

 思わず問い返す俺にブル閣下は顔を赤くしながら「うむ」と小さく言い、意を決したように言葉を続けた。

 

「……実を言うと魔物退治を終わらせた時からずっとそれを考えていた。貴殿が神剣エクスマキナを使って魔物を斬り倒したところを見た時からな。(それがし)は昔から夫にするなら自分より強い男か、もしくは並び立って戦えるほどの男がいいと思っていた。魔物を倒し名実ともにガレットの勇者となった貴殿ならば、(それがし)は己の操を捧げてもいいと思っている」

 

 そこまで一気にまくし立てると、ブル閣下はぐびりとグラスに残っている酒をあおった。

 一方、突然のことに俺は言葉を失っていた。まさかブル閣下が俺に告白してくるなんて予想もしていなかった。エリザの時といい、いわゆるモテ期というものだろうか? そんなもの信じてはいなかったが。

 

 ブル閣下もエリザ同様、俺にはもったいないくらいの美人だ。しかし……

 

「すまないが俺には――」

 

「ちなみにフロニャルドでは王族や領主など、身分の高い者が複数の妻や夫を持つことを認めている国がほとんどで、勇者も複数の伴侶を持つことができるらしい」

 

それは本当ですか!?

 

「……う、うむ。フロニャルドにおいて勇者は領主や王に並ぶ存在だからな。王族や領主のように、勇者もまた複数の伴侶を持つことができるとされている。どうしても気になっている女がいるのなら、その者も妻にすることを認めてもいい」

 

 ……いかん、思わず食いつくような姿をさらしてしまった。ブル閣下も引いてしまっている。

 

 

 

 ブルトンヌの言う通り気になっている相手は一人いる。

 リヒトだ。前々から彼女のことは気になっていたがヴァレリーとのやり取りで確信した。俺は彼女に好意を抱いているのだと。

 しかし俺は一国の王で、彼女は爵位を持たないどころか素性も知れない身だ。リヒトと付き合えたとしても彼女を妃にすることは不可能だ。

 だがフロニャルド――少なくともガレットでは結婚に関して身分の差は重視されないらしい。

 よく考えればこれはリヒトを妻に出来る千載一遇の好機(チャンス)だ。一夫多妻はともかく、フロニャルドでならリヒトを妾ではなく正式な妻にすることができる。

 しかし俺には……

 

 

「……それでどうだ? (それがし)の夫となる気は。先ほども言ったように資質によっては貴殿に領主を譲ってもいいし、(それがし)以外の妻も……一人か二人くらいなら認めよう」

 

 ブルトンヌは不安げな表情で俺に尋ねてくる。俺は彼女の顔を見据えて……

 

「…………ありがとうブルトンヌ。そこまで言ってくれて嬉しいよ……でもすまない。君の夫になることもこの国に留まることもできない」

 

「街一つといくつかの村落しか版図がない、小さな国の領主では不満か? それとも、(それがし)のような色気のない女など妻にしたくはないか?」

 

 頬を膨らませて問いかけるブルトンヌに俺は首を横に振って答える。

 

「まさか。どちらも俺にはもったいないくらいだよ。それにガレットに移住すればあの子と一緒になることもできる。……でもそれらをふいにしても、俺はあっちの国を捨てることができないんだ。あっちの国、グランダムは祖先から代々受け継いできた大切な祖国だ。あの国を守るために祖先たちも俺も、そして民たちも数え切れないほどの犠牲を払ってきた。どんなに窮乏していても、どんなに惨憺たる光景が広がっていても、祖国を捨てて別の世界に移り住むなんて俺にはできない」

 

「……そうか、代々受け継いできた国か。そう言われたら納得するしかないな。(それがし)も先代様からこの国を託された現領主だ。貴殿の言い分は分かる……分かっているつもりだったのだが……」

 

 そんな言葉を漏らすブルトンヌの目はわずかに潤んでいるように見えた。

 

「……すまない。貴殿の国のことも知らずわがままを言った。許せ」

 

 そう言ってブルトンヌは頭を下げる。しかし、それは謝罪の気持ちの表れというより目に浮かぶ涙を誤魔化すためのものに見えた。

 それからブルトンヌは顔を上げて口を開く。

 

「やれやれ、見事に玉砕か。領主の位と一夫多妻(ハーレム)を餌にすれば食いついてくると思ったのだが。この分だとまだ当分は独り身かな」

 

「そう腐らないでくれ。閣下ならすぐに相手が見つかると思うぞ。自分より強いというところにこだわれなければな」

 

 俺がそう言うと閣下は首を横に振って、

 

「それは譲れん。(それがし)より強い男を夫に迎えるのは昔からの夢だからな。……ふむ、近日中には首脳会議が開かれるし、それを期に大陸中から腕自慢を募ってみるか。大陸全土から猛者を集めれば、(それがし)に勝てる男が何人か見つかるかもしれん」

 

 顎に手を乗せながらブル閣下はぶつぶつとそんなことをつぶやく。もしかして本気でやるつもりじゃないだろうな……?

 

 

 

 

 

 

 それからブル閣下と明日の送還について話を交わしてから、屋上に残るという閣下とチェルシーを残し俺は庭へ戻るべく来た道を戻るように一階に向かって階段を下りていた。

 そういえばクラリフィエとシャマルの様子を見に行くんだったな。ブルトンヌとの話が思ったより長引いたが二人はまだ部屋にいるのか?

 一階まで戻ると俺は二人が入っていった部屋に近づいて、そっと中の様子を窺う。傍から見ると怪しい限りだが今は使用人も衛兵の姿も見えない。

 部屋の中は一本だけ立てられたろうそくの火で照らされており、その中には案の定向かい合って椅子に座っているシャマルとクラリフィエがいた。

 部屋の様子を窺う俺の存在に気付くことなく、クラリフィエに対してシャマルは話を続けている。

 

「私が見たところ、クラリフィエ様の体はかなりたちの悪い病魔に蝕まれています。……差し出がましいかもしれませんが、もう魔物退治なんて無茶な真似はやめたほうがいいと思います。そうしないとあと数年もしないうちにあなたは死んでしまいますよ」

 

 その言葉を聞いた途端、俺はその場から一歩も動けなくなった。

 クラリフィエがあと数年もしないうちに死ぬ? 一体それはどういうことだ?

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