三姉妹の項
ベル・ダンディアがソールの住まう塔を出てから三度目の月が天に昇っていた。ミッドガルズは塔を守護する為に残り、彼女に同行したのは、一角獣アインホルンと、新たに供に加わった巨獣皇スミドロードである。
ベル・ダンディアとスミドロードが最初に出会ったのはまだスクルディアが生まれる前、ベル・ダンディアが飛龍ヴァルキュリウスと共に世界を旅した頃にまで溯る。
ベル・ダンディアがこの世界と隣り合う世界を訪れた際、重傷を負っていたスミドロードの命を救ったことでスミドロードは彼女に深く感謝し、ベル・ダンディアの従者となることを誓った。
この世界の住人となったスミドロードは、危機ある時はいつでもベル・ダンディアの力となるべく、まだ慣れないこの世界で武者修行の旅に出た。
侵略者が出現した際、スミドロードは、昔から親交があったという、氷の淑女スノトラのもとで働いていた。その実力を認められ、スミドロードが巨獣皇の称号を与えられたのもこの時である。
此度、スミドロードはベル・ダンディアがソールのもとに帰って来たという報を聞き、スノトラの了承を得た後、ベル・ダンディアのもとへ馳せ参じたというわけである。
スノトラの下には、スミドロードの現在の同僚であるガラパーゾや、スノパルドといった獣達が残っている。彼らにスノトラの守護を任せ、スノトラのもとを去ったことはスミドロードにとって心残りなことであったが、スノトラは、スミドロードがスノトラにとっても友人であるベル・ダンディアの力となることを喜んでいた。
「ベル・ダンディア様、今日はもう十分でしょう。一旦お休みになられた方がよろしいかと」
スミドロードの提案に、ベル・ダンディアは同意した。
「そうね。幸い、この辺りはまだ侵略者の姿も見られないし、今のうちに疲れをとっておきましょう」
スミドロードは、ネコ科特有のしなやかな体を曲げて、その場に己の巨体を横たわらせた。ベル・ダンディアとアインホルンがその懐に抱かれる形となる。
アインホルンは、スミドロードと共にいるベル・ダンディアの安心しきった表情を見る度に、なんとも言えない肩身の狭い思いをしていた。
思えば、自分がベル・ダンディアと出会ってから、そう幾日も経ってはいない。聞くところによると、スミドロードとはジューゴンよりも長い付き合いだという。完全に機械化した飛龍ヴァルキュリウスをベル・ダンディアが愛おしそうに撫でていた時も、自分とは比べられないほどの絆の深さを感じた。アインホルンには、どうにも入り込む隙が無いように思えた。
スミドロードの懐でしばらく眠りに付いていた、ベル・ダンディアとアインホルン。異変に真っ先に気が付いたのは、ベル・ダンディアであった。
「スミドロード、アインホルン。何かがこちらに向かってきます。急いで隠れて」
ベル・ダンディアが言い終わらないうちに彼方よりの気配に気が付いたスミドロードは、ベル・ダンディアとアインホルンを側の樹海の内部へ隠れるように促すと、二人を庇うようにして覆いかぶさり、その身を伏せた。
「一体、何が……」
状況を呑み込んだアインホルンが困惑する。
「おそらく、侵略者でしょう。かなりの数です」
三人が身を伏せている間に、侵略者の気配はアインホルンにもはっきりと感じとれるようになっていた。
来る。
上空を、侵略者達の一大拠点となっている巨大な鋼の船が通過した。それに続いて、無数のくろがねの船が次々と天空を横切って行く。夜空の月と星々の姿は隠れ、白く染まった大地が黒色へと塗り潰されていった。
この地上に生きる獣達とは異質な物体の大群。今まで、多くの同胞達を滅ぼしてきたその侵略者達を、スミドロードは怒りの眼で睨みつけていた。
程なくして、上空の侵略者の船団はその姿を消した。未だ、怒りのこもった瞳で侵略者が消えて行った方角を睨むスミドロード。何やら、固い決意の色を顕わにしたベル・ダンディア。アインホルンだけが、鎧蛇の島を襲ったあの軍勢とは比べ物にならないほどの圧倒的な機械の大群を目の当たりにしたことで、茫然としていた。
「……急がねばなりません。急いで、フレイア様のもとへ向かい、皆を助けに戻らなければ」
ベル・ダンディアが、立ち上がった。
「しかし、それよりもソール様のもとへ戻って加勢した方が良くないですか。もう、フレイア様の所へむかっている時間などないのでは」
アインホルンがそう言うと、スミドロードは頭を振った。
「いや。我々は、急いでフレイア様の協力を仰がなければならない。今から戻ったところで、どのみち侵略者を退けることは叶わないだろう」
「し、しかし……」
「アインホルン。今は、ソール様の御力と、塔の仲間達を信じてください。ソール様の防壁が間に合えば、あの軍勢の侵攻を遅らせることも可能です。それにミッドガルズも協力してくれます。私達は、私達の使命を果たしましょう」
ベル・ダンディアにそう言われると、アインホルンは黙って頷くしかなかった。それでも、アインホルンは心配であった。果たしてあれほどの大群を相手にして、塔の仲間達は持ち堪えることができるのであろうか。
偵察機マグニより、ソールがいる塔の座標を知らされたスルトは同胞達にこの事を伝え、戦いの決着に望む決心を固めていた。
トールは度重なる激戦で疲弊した為に前線を退き、オーディーンは行方不明になったという。これ以上の長期戦は望ましくない。すべては完成された新世界創造の為。スルトの心中では、かつてないほどの使命感が顕わになっていた。
「スルト殿。あなたの御活躍、期待しておりますよ」
スルトは背後を振りかえった。この船の中にいる者であり、誰であるかは分かっていた。
「ヴァルグリンド殿。此度の快挙、あなたの協力がなければ為し得なかったことでしょう。あなたから提供して頂いた技術を駆使して、偵察に向かわせていたマグニが塔を発見し、我らの勝利は目前。ご協力感謝致しますぞ」
スルトの背後に立っていた機人――ヴァルグリンドに向かってスルトが言った。
ヴァルグリンドは微かにほほ笑むと、やや表情を引き締めてから言った。
「だが、油断為さるな。ソールの力にはこの私でさえ計り知れないものがある。それにこの世界の獣達も死に物狂いで抵抗してくるだろう。奴らも自分達の世界が滅びるかどうかの瀬戸際なのだから」
「それは了解しております。しかし、我らの目的は彼らを滅ぼすことではなく新世界の創造。その為に多くの犠牲を払って現在に至るわけだが……」
「分かっておりますとも。私もその使命を達するべく、こうして協力しているわけですからね」
「あなたほどの逸材が眠っていようとは、今まで気付きませんでしたよ」
ヴァルグリンドは軽く会釈した後、スルトの前から去った。スルトは、船に搭載されているレーダーを見やった。間もなく軍勢はソールの塔に到着するだろう。後は、ソールを生け捕りにし、新世界の創造に従わせる。それで、目的は果たされるわけだ。
「スルト、何故あの者を受け入れた。僕があれほど止めたというのに」
いつの間にかスルトの背後にいたロキの端末、ベビー・ロキが言った。
「ロキか。近頃のお前が言う事為す事俺には理解できぬ。ヴァルグリンド殿の助力で我々は遂に勝利を手にする一歩手前なのだぞ。そのうえ、何故お前は水を差すのだ」
「スルト、今からでも遅くない。あれは危険なんだ。今すぐあれとは手を切って、この世界から締め出さなくちゃいけない」
「ふん。お前は何をそう焦っているのだ。お前の言うことに耳を貸す気はない。どこへなりとも消え失せるがいい」
スルトはそれきり、ベビー・ロキを放っておいたまま、黙って船の進軍を観察していた。
「残念だよ、スルト。でも、僕はこのまま黙ってはいない。それだけは覚えておくことだね」
不意にベビー・ロキの気配が途切れた。
やがて、しばらく黙っていたスルトが、おもむろに言った。
「魔神機の使用権を剥奪されたお前に、何が出来ると言うのだ……ロキよ」
ソールの住まう白き塔へと通ずる谷間。両方の崖は何れもその岩石特有の本来の白色を備えており、それと澄んだ空気がここがまだ侵略者の影響外であることを物語っていた。この谷間に、銀色に統一された装甲を持つ大蛇が横たわっていた。
「近付いてきているな……」
ミッドガルズが呻いた。その声に応えるようにして、鋼の装甲に覆われた竜が舞い降り、ミッドガルズの頭上で静止した。
「ああ。奴らだな」
竜はミッドガルズと同じ方角を見据えた。
「ファーブニル。塔の備えは万全だろうな。あの軍勢、同時に相手をしていたのでは到底我々だけでは防ぎきれないぞ」
ミッドガルズの問いに対して、ファーブニルが答える。
「塔のヘイル・ガルフに信号を送った。ソール様や、姫君達の力を信じる他はあるまい」
「ならばひとまず安心……というところか。まあ、我らは我らに出来るだけのことをしよう。」
遥か前方を覆うオーロラ。これがここら一帯の地域を異界よりの浸食から保護しているのである。そして、このオーロラがソールを始めとする氷の姫君達の力によってその輝きを増し、侵略者の軍勢を喰い止める。
それでも一時凌ぎにしかならないが……。ミッドガルズとファーブニルの心中を同様の感情が過った。上空よりの侵攻はしばらくの間防ぐことができるだろう。
だが、地上を前進していく侵略者の群れは、防衛線を越え、塔に辿り着く。ミッドガルズやファーブニルのような各地で待機している猛者がこれを撃退するのであるが、圧倒的な物量で攻め寄せて来る侵略者を防ぎきることは、不可能であろう。
(まず間違いなく塔にまで被害は及ぶだろう。後は、我々の友軍が到着するのを待つほかあるまい。ベル・ダンディア嬢、それにスノトラよ。急いでくれ)
空気を伝わる微かな振動が強まった。未だ、侵略者達はその姿を現さないが、確実に奴らは接近している。ミッドガルズは己の体内に眠っている熱量を徐々に解放させていった。幾千年ぶりの戦い。血が騒いだ。これが最後の戦いになるかと思うとなおさらのことであった。
月に照らされている白き塔。その塔の至るところでは、灯籠の様なホタルの輝きが灯っていた。ホタル達は本能で以て迫りくる異変を全身で感じ取っている。その塔のベランダの一つに白い影が立っている。歌姫ソールであった。
ソールの背後から一人の氷の姫君が姿を現した。ソールはその姫君の気配に気付いたが、振り向くことはせず、黙って塔のホタルと夜空の月と星によって映し出される情景を眺めている。まるで自分とその周りの時が止まっているかのように、身動き一つせず。
「ソール様。御時間でございます。」
マーニがそう言うと、ソールは振り向いてから頷き、塔の内部へ戻った。
ソールは、ガラスの様な冷たく透き通った体となった時、かつての生命の温もりと共に言葉を失った。後に残ったのは、この世界にとってなくてはならないもの、歌声だけであった。すべては氷の魔女達の仕業……。
マーニはソールに付き添い、歌声を塔より響かせる為、塔の最上部にある一室に向かった。そこではソールの側近、フレイとフリッグが待っていた。
フレイとフリッグがソールに会釈し、ソールを中に招き入れる。それまで穏やかな顔つきであったマーニは、フレイと眼が合うと、彼女をきっと睨んだ。フレイは動ずることなく、フリッグと共にソールを導く。
ソールが中央にある滑らかな材質の木で出来た椅子に腰を下ろすと、マーニは待ちかねていたようにフレイに言った。
「フレイ、あなたがベル・ダンディアを外にやらなければ、ソール様の御負担ももっと軽いものになっていたのよ」
フリッグと共に周囲の窓を開け放していたフレイはその動きを止めると、マーニの方へ向き直った。
「マーニ。フレイアの戒めを解く為には、ベル・ダンディアの力が必要なのですよ。私やサーガでも可能ですが、塔を離れるわけにはいかなかった」
「フレイアは魔女に加担したのよ。この状況であれの力を借りようなんて正気の沙汰とは思えない。どさくさ紛れに何を仕出かすか分かったものじゃないわ」
「いいえ、マーニ。私はフレイアを信じております。現に、今までこの場に侵略者が現れなかったのは、フレイアや、スノトラ様のおかげなのですから」
マーニは驚き、眼を見開いた。
「何ですって。フレイアやスノトラ様が。どういうことなの、フレイ」
「フレイアは自らに戒めを施した聖域でソール様の歌声を増幅させ、多くの侵略者達の侵攻を喰い止めていたのです。これにはスノトラ様の助力もあってのこと」
「そのことをソール様は……」
「無論知っております」
そう言ったのは、ソールの歌声を響かせる為の準備を終えた、フリッグであった。マーニが椅子に腰を掛けているソールの方を見ると、ソールは静かに頷いた。
「でも、私には魔女に加担したフレイアやスノトラ様を心から信用することなんて出来ない……。あなた達は、目前の脅威にばかり眼を向けているけど、この戦いが終わったらスノトラ様が何をするか分からないわ」
「マーニ。スノトラ様は昔のことを酷く後悔なさっておられるのですよ。フレイアも、身を挺して今まで侵略者達を喰い止めてくれていました」
フリッグがそこまで言うと、マーニは押し黙ったまま俯いた。フレイがフリッグの後を繋ぐ。
「フレイアからの交信が途絶えたと、スノトラ様より、連絡がありました。事は急を要するのです」
だが、マーニは納得のいかない表情を変えることはなかった。
「あなた達があのヘルの助力まで請おうとしていることは分かっています。昔と同じだわ。こんな事……」
そう言うマーニにかける言葉を、フレイとフリッグはすぐには分からなかった。やがて、ソールが椅子から立ち上がり、ガラス細工の様な両腕を広げ、外の景色を見据えた。歌声を響かせる時がきたのである。フレイが部屋の北部に立ち、フリッグが南部に立った。マーニは黙って、ソールを見守っていた。
硝子の女神フレイアが自らを封じ込めた聖域。その地は何人といえども侵す事のできない高き山々に囲まれ、白く美しい聖堂が立ち並ぶ、獣や鳥達の聖地。透き通った高山の空気に満たされ、天空と接する別天地。ほんの数日前までは、そんな平穏な世界がそこにはあった。
ベル・ダンディア達が訪れたその地は無残にも破壊し尽くされていた。既に獣達はこの地を去り、辺りには打ち壊された聖堂の残骸が散乱していた。
天には既に日が昇り、異変によって濁った空気を弱弱しい光が伝わっていた。
「まさかこんな事になっているなんて……。フレイア様は御無事なのかしら……」
ベル・ダンディア達は瓦礫の間を掻い潜りフレイアが封印されている聖堂を目指す。
「これも侵略者達の仕業……。なんて奴らだ」
憤慨するアインホルン。だが、スミドロードだけが、腑に落ちない面持ちであった。
「これまでフレイア様はスノトラ様の助力もあり、侵略者達の侵攻から多くの同胞達を護っておられたのです。その守護には綻びなどありませんでした。それが今になって急に破られるとは……。敵側はこれまでにない何らかの力を行使してきた、としか考えられません」
一行が辿り着いた聖堂。幸いにもそこは無傷であった。侵略者達ですらここの一際強い結界は破れなかった、ということであろうか。
「ここの結界が無事ということは、フレイア様も御無事の筈」
ベル・ダンディアが安堵の表情を浮かべる。
その刹那。不意に何者かが瓦礫の中から姿を現し、銀色の刃を突き出して、ベル・ダンディアに飛びかかった。確実に首筋を狙う刃。アインホルンが気付いた時には既に間に合わないところまで来ていた。だが、それより先に飛び出したスミドロードが、鋭い爪を構え、その銀色の影に突きかかった。
その影はスミドロードの一撃を受け止めると、一気に後方へ退いた。スミドロードとその銀色の機人が対峙する。
「スミドロード……」
ようやく事態を呑み込んだベル・ダンディアが呟いた。
「ベル・ダンディア様、下がっていてください。この侵略者は私が仕留めます」
その様子を眺めていた機人が口を開いた。
「これほどの猛者がいるとは想定外だったな。完全に気配を消していたこの私に気が付くとは、獣の直感というものだろうか」
その言葉にベル・ダンディア達は驚愕した。今まで侵略者と意思の疎通が出来たことはなく、それが可能であるのは、ロキとのみ意思疎通ができるミッドガルズ、ヘル、フェンリルぐらいしか、知らなかったからである。
「貴様は何者だ。侵略者なのか」
スミドロードが問い詰めた。
「我が名はデュラクダール。主の命により、君達の命をもらい受けに来た」
その機人、デュラクダールが言った。
「何故、お前は我々の言葉を喋る。それとも侵略者どもには既に分かっていたことなのか」
「なに、簡単なことだ。我が同胞から送られてきた情報で、この世界のことは大体分かっている」
そう言うと、デュラクダールは得物を構えた。
「無駄話が過ぎた。君達に恨みはないが、消えてもらわねば後々困るのでな。覚悟したまえ」
デュラクダールはそう言うと、瞬時にスミドロードへ斬りかかった。スミドロードは全身から黄色のオーラを滾らせ、これを迎え撃つ。デュラクダールの刃を弾くと、スミドロードは鋼の牙で以て反撃に出た。
「ベル・ダンディア様。急いでフレイア様の戒めを解いてください」
「分かったわ。スミドロード。どうか無事でいて」
ベル・ダンディアが急いで、聖堂に向かって這いだす。
「そうはさせぬ。行け、傀儡共よ」
デュラクダールの言葉に応じる様に、空間が捻じれると、そこから機械化した四体の狼達が飛び出した。
それはかつてウル・ディーネ達を襲った狼達と酷似していたが、その色はどす黒く染まっており、狂ったような色彩が全身に広がっていた。赤黒い狼が二体と微かに青みを残した黒色の大柄な狼が二体。それらがベル・ダンディアに背中の筒を向けながら、隙を窺う。
自分に牙をむく獣たち。あまりにも異様な光景を目の当たりにして、ベル・ダンディアは困惑した。
「こういうやり方は好かないのだがな」
デュラクダールは再びスミドロードに斬りかかった。スミドロードは黄色のオーラで強化した己の肉体でこれを受け止めたが、その体は刃を受ける度に確実に傷ついていく。
「アインホルン、ベル・ダンディア様を護れ。その獣たちは完全に正気を失っている」
アインホルンがはっとなり、ベル・ダンディアに迫っていた一体の赤黒い狼を横からつき刺した。狼は致命傷を負った筈であるのに、即座にアインホルンから離れると、再び隙を窺う。
ベル・ダンディアは決意を固め、急いで聖堂の結界へ向かうと、その結界を解きにかかる。その背後にアインホルンが立ち、狼達に睨みを利かせた。狼達は隙を窺いながら、その周囲を取り囲む。
「埒が明かぬな。傀儡よ、ベル・ダンディアのみを狙え」
デュラクダールの命令に応え、狼達が一斉に飛びかかった。アインホルンがベル・ダンディアを庇おうと立ちはだかったが、狼達の集中砲火をその身に浴び、為すすべもなくその場にどうと倒れた。
「ベ、ベル・ダンディア様……」
アインホルンの呻き声が空しく漏れた。
封印を解くのに掛かりきりであったベル・ダンディアに狼達の凶刃を避ける余裕などなかった。振り返ったベル・ダンディアは己の最期を悟る。
その瞬間。
突如結界から白色のオーラが広がり、中空に飛び上がっていた狼達を包み込んだ。狼達は中空に止まったままその場でもがいていた。
「これは、フレイア様の」
ベル・ダンディアははっとなると、再び結界の術式を解きにかかった。
「なんだと。フレイアよ、まだこれほどの力を隠し持っていたとは……」
デュラクダールが驚愕する。スミドロードはその隙を見逃さず、一気にデュラクダールに喰らいかかった。デュラクダールは刃でこれを防ごうとしたが、間に合わず、スミドロードにその両腕を食い千切られた。スミドロードが容赦なく追い打ちを仕掛けようとしたが、デュラクダールは飛翔すると、上空からスミドロードを見下ろした。
「私とした事がこの様な失態をおかすとは……。主よ、御赦しを」
地上のスミドロードと上空のデュラクダールが睨み合う。
「見事だ、戦士よ。だが私にはまだやらねばならぬことがあるのだ。今回は私の負けだが、次はこうはゆかぬぞ」
デュラクダールがそう言うと、その姿は、狼が出現した時と同様の空間の歪みに呑まれ、消失した。
スミドロードは即座にベル・ダンディアのもとへ向い、重傷を負ったアインホルンの側に立ち、狼達に対して身構えた。だが、狼達は中空でもがいたままであり、襲いかかってくる様子は見受けられない。
ベル・ダンディアが結界の術式を解くと同時に大地が激しく振動した。すると、凄まじい地響きと共に、地面が浮き上がっていった。中空に止まっていた狼達が地上に叩きつけられた。狼達は立ちあがり、筒をベル・ダンディアに向けようとしたが、白色のオーラが地面を走り、狼達を次々と地上に突き落としていく。
一体のみ残っていた青みがかった黒色の狼が態勢を立て直すと、ベル・ダンディアに向かって砲弾を放った。即座に動いたスミドロードがこれを己の体で受け止め、狼に突きかかる。スミドロードによって筒を引き裂かれた狼はそのまま地上へと落下していった。
「ベル・ダンディア様、御無事ですか」
スミドロードが言った。
「ええ、私は大丈夫。それより、アインホルンを」
ベル・ダンディアは倒れているアインホルンのもとへ駆け寄ると、手当にかかる。ベル・ダンディアがそっと手を当てると、アインホルンの体をほのかな緑色のオーラが包み込んだ。それまで苦しげだったアインホルンの表情が、幾分か楽なものになっていく。
「ありがとうございます……ベル・ダンディア様」
アインホルンが弱々しく呟いた。
「礼を述べるのは私の方です、ありがとう、アインホルン。それにスミドロードも。あなた達がいなければ私はここで命を落としていました」
だが、アインホルンは自分の不甲斐なさが許せなかった。最初にあのデュラクダールと名乗る者がベル・ダンディアに斬りかかった時、自分はベル・ダンディアを助ける為にすぐ動くことが出来なかった。狼達にも歯が立たず、このような醜態をベル・ダンディアの前で晒してしまう。彼女を護る為にこうして同行してきたというのに、スミドロードと比べて自分は何と無力なのだろうか。
やがて、地響きが治まり、聖堂と共に浮き上がった大地が天空で静止した。一体何が起こったのか呑み込めずにいるベル・ダンディア達に向かって、何者かの声が語りかけた。
「よくぞ参られた。ベル・ダンディア殿、それに勇敢なる戦士達よ」
しわがれた低く響く声であった。すぐに皆はこの声の主がどこにいるのかを理解した。聖堂を乗せた大地が喋っているのである。
「儂の名はブレイザブリク。フレイア様を守護する為にこの聖堂と融合した者だ」
その言葉に、ベル・ダンディアがはっとなる。
「ブレイザブリク……。あなたがそうだったのね」
「ほほう。この老いぼれを存じておったか。幾千年のうちに儂の事など忘れてしまったのかと冷や冷やしたわい」
ブレイザブリクはそう言うと、穏やかに笑った。
「さて、それではフレイア様の戒めを解いて貰おうかの。フレイア様は未だこの聖堂の内部にて自らを拘束なされておる。その拘束を解く事、フレイア様は快く思わないかも知れぬが、今はフレイア様の御力が必要とされる時。頼みましたぞ、ベル・ダンディア殿」
「はい、ブレイザブリク」
ベル・ダンディアは急いで、聖堂の中へ向かった。
ベル・ダンディアの力でコアの活力を取り戻したアインホルンはゆっくりと立ちあがると、スミドロードと共に彼女を見送った。
機械の軍勢が操る船団。その中の一つの船の一室にヴァルグリンドが腰を下ろしていた。
「しくじったか、デュラクダール。わざわざ人形にした獣共を復元して同行させてやったというのに。……まあ、こちらは予定通り。今回の所は大目に見てやっても良いだろう。【虚無】の力を試す良い機会にもなったしな」
そう言うと、ヴァルグリンドは空間を歪ませ、そこの歪みより覗ける異次元に浮いている物体――あの狼達の残骸を見詰めた。
「ふふ。お前たちにも近いうちに働いてもらうぞ。今度は大勢の御仲間達と一緒に、思う存分遊べるだろうよ」
ヴァルグリンドは次元の歪みを元に戻してから立ち上がり、窓から船外を見下ろした。
「この空も。この地上も。我が【虚無】で染めてくれるわ」
そう言うと、ヴァルグリンドは不敵な笑みを浮かべた。
関連カード
●巨獣皇スミドロード
白の巨獣・戯狩。
墜落した「歌姫の船」の下敷きになることで、船を救った。
「歌姫の船」とはおそらくネクサス「無限なる軌道母艦」のことであると思われる。
本章ではベル・ダンディアが黄の世界へ訪れていた頃に救った獣という設定で登場。
暫くの間、氷の淑女スノトラの元で働いていた。
●鋼人スルト
武装スピリット。
フレーバーテキストでは歌姫の塔を攻める巨人たちを指揮している。
北欧神話のスルトはロキに与し、ラグナロクの終局において、世界を焼き尽くした。
自分の小説における設定ではロキの親友(ただし、本章では意見の違いで仲たがいしている)。
●装甲機竜ファーブニル
甲竜・機獣のスピリット。
フレーバーテキストによると、歌姫の塔が彼の縄張りの中心。
本章ではミッドガルズと共に侵略者を迎え撃つ準備をしている。
●硝子の女神フレイア
囚われの女神。
侵されざる聖域に封じられている「硝子の女神」その人と思われる。
侵されざる聖域のフレーバーテキストを考慮すると、己の意思で拘束されていることになる。
●氷の女神フリッグ
氷姫の一人。
己の身体を楽器とすることで、ソールの歌声を届ける役目を持つ。
●デュラクダール
白の神将。
虚無の軍勢の一員。
フレーバーテキストによると、白の虚神が出現する門を守っていると思われる。
●輝竜殿ブレイザブリク
聖堂と融合した竜。
フレーバーテキストでは歌姫ソールを内に宿し、空帝ル・シエルと対峙している。
章題の輝竜殿は輝竜殿ブレイザブリク。
本章では侵されざる聖域でフレイアを守護していた。
聖堂は侵されざる聖域の一部でもあったという設定。
●無限なる軌道母艦
名所千選516。
侵略者の拠点であるが、のちに歌声を各地に届けるための歌姫の居城となった。
本章に出てくる「侵略者達の一大拠点となっている巨大な鋼の船」とはこのネクサスのこと。
それ以外にも無数の空飛ぶ艦隊が存在する。
●侵されざる聖域
名所千選660。
「硝子の女神」が自らを封じ込め、歌の力を増幅していた。
「硝子の女神」とは硝子の女神フレイアであると思われる。
●永久氷殿
名所千選106。
氷の魔女ヘルの住処。
このネクサスは本章に登場していないが、
氷姫が氷の身体となったのはヘルの仕業……という設定はこのカードのフレーバーテキストが元。
なお、ヘルは塔の古井戸に封じられていたので、相当長い間、永久氷殿を離れていたと思われる。