三姉妹の項
フレイアが語ったことは実に恐るべきものであった。侵略者との戦いは、世界の崩壊のきっかけに過ぎない、というのである。
侵略者の出現、そして世界の終焉。それらはすべて氷の魔女ヘルによって予見されていたものであった。ヘルがソールと覇権を争って敗れた後も、彼女の残したメッセージに従い、スノトラやフレイアは対抗策を講じていた。
フレイアはヘルに加担した罪を自覚し、自らの意思で己を聖域に拘束していた。それは同時に、迫りくる世界の脅威から身を挺してこの世界を守護するという役割を、自らにかす為でもあった。
「ベル・ダンディア。私の力がまだこの世界の役に立てるというのなら、喜んで協力致しましょう」
フレイアの言葉にベル・ダンディアは喜び、感謝の意を述べた。二人はフレイアが拘束されていた聖堂の外へ出た。外で待っていたスミドロードとアインホルンが二人を出迎える。フレイアの眼覚めを知ったブレイザブリクは喜びの声を出した。
「おお、フレイア様。お久しぶりでございます」
「ええ、あなたには随分と長い間待たせてしまいましたね、ブレイザブリク」
それまでどことなく暗い面持ちであったフレイアであったが、自分のことをずっと守護してきたブレイザブリクに応えて、彼女は明るくほほ笑んでいた。
「あなたには申し訳ないのですが、これから大急ぎでソール様の塔へ向かって頂きますよ」
「いや、お気遣いなく。しかし、あなた様が自らこの地を離れること、こうも簡単にご了承いただけるとは思っておりませんでしたよ」
ブレイザブリクの言葉を聞くと、フレイアはくすっと笑った。
「私はこうして解放されることをずっと望んでいたのかもしれませんね。でも、マーニは私が帰ったらどう思うのかしら」
そう言うフレイアの表情にはまた翳りの色が表われていた。
程なくして、ブレイザブリクはソールの塔へ向けて移動を開始した。皆はフレイアが封印されていた聖堂の内部に入り、到着の時を待った。
眼の前を強烈な電光が迸った。走馬灯の様に脳裏を廻るこれまでの記憶。かつての体と別れ、与えられた新しい体。その内部を強力な熱量が奔った。
(これが私の新しい体。新しい力。なんという凄まじい熱量だ)
やがて、全身の拘束を解かれ、光と共に視界が開けた。己の体が自分の意思で動くことを確かめながら、ゆっくりと立ち上がる。全身から漆黒のオーラを放ち、天井からの電光を受け、その体は妖しく輝いた。これが私の新しい体なのだ。紛れもない私自身の。
「眼覚めたようね」
眼の前にいる機人、クイーン・ワルキューレの言葉で、その機械ははっと我に返った。
「ヴァルハランス。それがあなたの名前。あなたは鎧神機の称号を持つ騎士として生まれ変わったのです」
「ヴァルハランス……鎧神機ヴァルハランス。それが私の名」
これまで、神機グングニルの一人に過ぎなかった神機。数々の功績を称えられ、神機を統率する騎士として生まれ変わった。機人達が誇る、最新鋭の科学力を結集した新しい体を与えられたのである。
「ヴァルハランス。今後のあなたの活躍、期待しておりますよ」
名も無き動器や神機達は、新しい体と名前を機人によって与えられた時、その機人を親とすることが慣わしであった。ヴァルハランスはクイーンに向かって感謝の意を述べ、彼女を母と呼んだ。
ヴァルハランスが甲板に出ると、かつての上司であったイグドラシルが彼を出迎えた。ヴァルハランスは自分を推薦してくれたイグドラシルに改めて感謝し、新しい自分の名前を名乗った。
「ヴァルハランス……。良い名だ」
「ありがとうございます。イグドラシル殿。今後も、理想の世界を実現させる為、全力を尽くしましょう」
だが、その言葉を聞いたイグドラシルは微かに暗い面持ちとなった。ヴァルハランスは怪訝そうにイグドラシルの眼を覗き込んだ。
「如何なさった。イグドラシル殿」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
イグドラシルはそう言うと、甲板から臨める空を見渡した。ナノウィルスによって変質した空。無機的で、空気の流れは冷たく止まっていた。自分達の故郷を彷彿とさせる情景である筈だが、イグドラシルの脳裏をあの熊によって見せられた世界が過った。本来の大空と改変された大空がダブって映る。
自分が花となって体感したあの世界。何故か、イグドラシルにはあの世界が、まだ無事であった故郷に住んでいた時よりもずっと心地よいものであったように思われた。まるで、遥か昔に、自分が本当にあの世界に暮らす花であった様な不思議な感覚。
「なあ、ヴァルハランスよ。我々の行いは、許されることなのだろうか。他の世界を犠牲にしてまで生き延びる資格が、果たして我々にあるのだろうか……」
イグドラシルの言葉に、ヴァルハランスは驚いた。
「何を言われます、イグドラシル殿。滅びゆく故郷に残してきた多くの同胞達の為にもこれは必要な戦いではありませんか。我々は生き延びねばならないのです。同胞達を導いていく為にも」
イグドラシルは黙って思案した。この世界の本来の環境は自分達とは合わない。むしろ害毒であることは、ダイヤモンドの月の下でしか暮らせない同胞達が無数に存在することからも、はっきりしている。
故に、我々は機人の開発したナノウィルスによってこの世界を浸食し、環境を創り変えた。この世界に生きている数多の命の存在を黙殺してまで。
この世界の命の多くは環境の変化に適応できずに死滅していった。だが、機械化した己の体を武器にして、抵抗する者達も次々と現れた。すべての獣を相手にしていたのでは、故郷に残してきた同胞達を救うことは叶わない。その為、この世界の維持に貢献しているという歌姫を生け捕りにし、未だ不安定な世界の改造を完璧なものとすることに協力させるという計画が浮上した。同時に、歌姫を人質とすることで、獣達の抵抗は収まるだろうという目的もあった。
自分達にとって、獣達は新世界創造の障害と言える。しかし、獣達から見たら、我々は突然現れて生活と平穏を破壊した侵略者に過ぎないのだろう。
「イグドラシル殿。この頃のあなたのご様子、あまり良いものとは言えません。あの森で重傷を負った時以来でしょうか」
「……すまない。今のことは忘れてくれ。我らは勝たねばならないのだから」
しかし、イグドラシルの心中には、さらなる疑問が浮上していた。何故自分達の故郷は滅びの運命を辿ることになったのだろうかという疑問。
世界を浸食して滅ぼすもの、それを皆は陰で【虚無】と認識していた。【虚無】が自分達の故郷に出現した原因は定かではない。だが、この世界が自分達の故郷と同様の世界となった後、再び【虚無】が出現したらどうすれば良いのだろうか。
この世界の統一よりも、【虚無】の原因究明を急ぐべきではないのだろうか。ろくに対抗策を講じることもないまま侵略を開始しようとした際、最後まで反対していたロキの存在が、イグドラシルの脳裏を過った。
船は塔に向かって進んでいく。スルトの連絡で各地に散らばっていた同胞達の大半が召集され、ただ一点の目的地へと突き進んでいるのである。
ヴァルハランスは生まれ変わった自分の初陣を思うと、武者震いをした。話によると遠くの地域で開発していた翼神機グラン・ウォーデンは、実験段階で失敗し、大破したという。なおさらこの戦いにおける自分の役割は重いものとなる筈である。
そんなヴァルハランスの心中にもまた、疑念が生まれていた。自分が信望する鉄騎皇イグドラシル。彼の心を惑わす存在の実態が何であるのか。あの戦いの時、イグドラシルが敵の獣に喰いつかれ、何を見たというのだろう。
イグドラシルは何も教えてはくれなかったが、ヴァルハランスは、イグドラシルが何かを隠しているらしいことに感づいていた。
歌姫の歌声が響き渡った。前方の上空にオーロラの壁が出現する。ミッドガルズは目を閉じ、ソールの歌声に聴き入っていた。歌声はロキによって機械と化したミッドガルズの体にも活力を与えた。
スノトラやまだ帰還していない三姉妹の協力は得られておらず、十分な礎のない歌声は本調子ではなかった。それでも、今にも消え入りそうでありながら、懸命に命の声を届けようとするソールの想いを感じ取ったミッドガルズは、己の命を賭して戦う覚悟を確固としたものとしていった。
「ミッドガルズ。先ほどヘイル・ガルフより通信が届いた。どうやら姫君達は太古の守護獣を目覚めさせるつもりらしい」
ファーブニルの言葉を聞き、ミッドガルズは目を開いた。
「守護獣だと。そうか、凍獣マン・モールの助力を請うというわけだな」
古の獣マン・モール。かつて極寒の地を我が物顔でのし歩き、数々の乱暴を働いたと伝えられているが、ソールに心服し、己の命が尽きるその時まで、ソールの守護を担うことを誓ったという。
塔に危機が迫った時、即ち、その力が必要となったとき、マン・モールはソールを守護する為に眠りから目覚める。マン・モールが目覚めさせられるのは、過去にヘルがソールとの覇権を争った時以来のことである。
「ヘルが操っていた巨獣達を圧倒したあの力があれば、侵略者が相手といえども決して怖れることはあるまい」
ファーブニルはそう言ったが、ミッドガルズは安心することができなかった。
(確かにマン・モールの力は強大だ。だが、相手が侵略者となると、どうしても決め手に欠ける。時間稼ぎにはなるがな。ロキの言うとおりというのが癪だが、やはりヘルやフェンリルの力も必要だ。何よりもソールの歌声をこの世界の隅々まで響き渡らせなければ、例え侵略者を退けたとしても、来るべき【虚無】を相手にした時、為すすべもないだろうな)
オーロラのすぐ側に出現する侵略者の飛行船団。ファーブニルが、遂にきた戦いの時を感知し、戦闘態勢に移った。ミッドガルズも赤く輝く四つの真紅の瞳を輝かせ、上体を起こした。
(後は、スノトラと、星導く使者の知らせを受けた各地の獣達の働き次第だな。精々頑張ってくれよ。俺達の戦いが無駄にならない様にな)
ミッドガルズは前方の侵略者達を睨みつけた。間もなく戦いの火蓋が切って落とされる。
「なんだと……これは。極光の障壁を創り出すとは。おのれ、歌姫の仕業か」
スルトが吐き捨てた。大軍勢で以て一気に塔を制圧しようと考えていたのに、ここにきて出鼻を挫かれるとは。
「スルト殿。友軍より通信が入っております」
傍らにいた機人がスルトに言った。
「繋げ」
了解した機人が回線を繋げた。前方のスクリーンに一人の機人の姿が映し出される。
「これは、ヴィーザル殿」
スルトがその場で敬礼する。ヴィーザルは軽く会釈した後、スルトに向かって要件を伝えた。
「上層部の一致で、これより我が軍は極光の下へと降下し、地上より塔を包囲することになった。差しあたって、スルト殿には地上に降りてそちらの部隊を指揮し、塔への進軍を開始して頂きたい。機人ドロイデンと盾機兵バルドルの部隊をそちらに送る。上手く使ってやってくれ」
「はっ。了解致しました」
「うむ。武運を祈っておるぞ、スルト殿」
通信が切れた。
スルトはすぐさま同胞達を集め、地上に降りる準備を始めた。
この戦いに全てがかかっている。同胞達の期待に応え、何としてもこの地を制圧し、勝利しなければならない。
決意を固めたスルトが、機械の軍勢と共に、地上への降下を開始した。
輝竜殿ブレイザブリクの速度は凄まじいものであった。ベル・ダンディア達が時間をかけて歩んできた道のりをあっという間に通り過ぎ、間もなく氷の姫君達の領地に入ろうとしていた。
「あ、あれは」
ベル・ダンディアが目を見開いた。オーロラの壁を囲む黒い船の群れ。その船団より、無数の侵略者達がばらばらと地上への降下を始めているところであった。
「このまま進めば侵略者達の格好の的となります。ブレイザブリク、一旦地上へ下りてください」
フレイアがそう言うと、ブレイザブリクはしわがれた声で返事をしてから、地上へと降下していった。
「前にも見ましたが、まさかこれほどの軍勢が相手とは……。塔の仲間達は大丈夫でしょうか」
アインホルンが心配そうに言った。
「ソール様の防壁が間に合ったようだ。まだ、しばらくは持つだろう」
スミドロードが侵略者の群れを睨みながら言った。
「ですが、このままでは侵略者達の思うつぼです。私達も急ぎましょう」
ベル・ダンディアの言葉に、一同は深く頷く。
やがて、ブレイザブリクが地上の砂地に着陸すると、ベル・ダンディア達はブレイザブリクの背より降り、鋼の砂を踏みしめた。
「ブレイザブリク、あなたはこの場に残り、侵略者達の動向を探っていてください。私達は侵略者達の軍勢をなるべく避けながら、塔へと向かいます」
フレイアがそう言うと、ブレイザブリクは不満そうでありながらも、渋々従った。
「……分かりました。皆の者、フレイア様のこと、頼みましたぞ」
ブレイザブリクは砂の中へと潜っていき、やがてその姿を地上より隠した。
「では、行きましょうか」
フレイアが言った瞬間、傍らの砂の中より、一頭の硬質化した黒色の皮膚に覆われた鹿が飛び出した。一行が驚きの眼でその鹿を見ていると、鹿は頭を垂れ、礼をした。
「私の名はレインディア。一部始終見ておりました。微力ながら私もあなた方の力になりたい。同伴してもよろしいでしょうか」
フレイアはほほ笑むと、優しくその鹿を見つめた。
「あなたも力になってくれるのですね。ありがとうございます。共に参りましょう」
レインディアは喜び勇んで一行に加わった。
「私の同族は皆、侵略者達によって滅ぼされたのです。結局、臆病者の私だけが生き残ってしまった……。この戦いこそ、私に残された、汚名返上のおそらく最後の機会。我が一族の誇りを、武功で以て示さなければならない」
レインディアの境遇にアインホルンは共感した。自分は鎧蛇の島の中では勇者とまで言われたほどの実力者であり、当時は自尊心まで顕わにしていたが、ひとたび島を出ると、ろくに活躍もできず、先ほどはスミドロードに大きく差を付けられた結果となってしまった。
己の無力さを痛感しながらも、闘志を失わず、侵略者達に立ち向かう。レインディアの存在に勇気づけられたアインホルンは、ここまでやってきた自分の当初の目的を今一度心の中で反芻した。
レインディアがその身に背負っている一族の重み。それが自分と比べられるものであるのか、アインホルンには分からなかったが、アインホルンは島に残してきた仲間達やジューゴン、ヴァルキュリウス達に託された自分の使命を、改めて確固なものとして見つめていた。
マーニの指示で、ソールの塔に住まう姫君達が術式を解いていった。解放される太古の力、信念。
塔の上部より地上へと響く歌声を直に聞いた巨獣は重い瞳を開くと、ゆっくりと立ち上がった。
極寒の大地を割り、地中より凍てつく冷気と共に現れる。灰色の剛毛で覆われた獣の姿。勇ましい、二本の反り返った牙。振り上げられた、ハンマーの様な物体を先端に備えた重く逞しい鼻が、その獣の強靭さを物語っていた。
太古の凍獣、マン・モールはソールのいる塔の方へと深く頭を垂れると、侵略者が迫りくる地平線の彼方を睨んだ。
自分の力が必要とされる世界の危機。地中に籠りながらも、この世界の動向を見守っていた獣は雄叫びを轟かせると、体内より強大な守りの魔力を解放していった。侵略者と戦う同胞の獣達に己の力を分け与え、自らも幾千年ぶりに闘争へ身を投じる時。
奮い立つマン・モールの闘志は、留まるところを知らない。
関連カード
●鎧神機ヴァルハランス
武装・戦騎。
イラストでは変形した神機グングニルを装備している。
フレーバーテキストによると、虚神の降臨を予見した氷の魔女ヘルより力を与えられた。
また、リバイバル版では発掘されている。
本章では神機グングニルの中の一体が功績を称えられ、新しい身体と鎧神機ヴァルハランスの名前を授かった。
イグドラシルと同じ騎士の称号を持つ。
●凍獣マン・モール
歌声によって目覚めた巨獣。
「異界のすべてを跳ね返す」とあるが、
このカードが実装された時期的には異界とは、
虚無の軍勢ではなくて侵略者のことを指しているのかもしれない。
カード効果は自分のスピリットすべてに【装甲】を与える。
本章では歌姫達が侵略者に対抗する為に目覚めさせた太古の守護獣として登場。
●蹴激皇ヴィーザル
武装スピリット。
フレーバーテキストでは生き残った侵略者率いて門よりこの世界を去っている。
虚無の軍勢の戦いが終わった後、侵略者は侵略行為を止めて白の世界を去ったらしい。
本章ではスルトの上司であり、侵略者の上層部の一人として登場。
●レインディア
甲獣。
敵が侵略者から虚無へ変わったことが書かれている。
「炎を切り裂く角」とあり、カード効果の「空牙」を手札に戻す効果はそれに関連していると思われる。
●極光の大地
名所千選206。
歌によって引き寄せられたオーロラが異界との防壁の役割を果たしている。