三姉妹の項
塔の周辺の地域では、至る所で獣達と侵略者達の死闘が繰り広げられていた。
全く同じ形状をした青い人型の機械の群れが地上を埋め尽くす。空中では、固い熱量の壁に守られた者や、三つの腕らしき突起物を生やした飛行物体の群れが、飛び交う。獣達がそれらを何度倒しても、同じ姿の侵略者が次々と現れ、銃弾や熱線を浴びせた。
依然として獣達が士気を失わないのは、やはり防衛の要となっている凍獣マン・モールの存在によるところが大きい。マン・モールが持つ太古の魔力は、戦うすべての仲間達に漲る活力と底知れぬ熱量を与えている。
塔の周辺の地域には、侵略者達の残骸が無数に積み重なっていった。その一方で、いかにマン・モールの加護があるとはいえ、激戦が続くうちに獣達の屍も徐々にではあるが、確実に増えていった。
各方角の猛者達の活躍もあり、未だに塔のすぐ側にまで侵略者の軍勢が至達したという情報はない。
だが、獣達は気付いていなかった。かつて一体の機械が気配を消してこの塔に接近したように、異界よりもたらされた技術を駆使して、ひそかに塔へと向かう別働隊の存在があることに。
目前に展開される地獄の様な光景に、ベル・ダンディアは思わず目を背けたくなった。共にいる者達も、皆が同じ感覚を覚えた。
大地という大地に、体の大半を失った黒焦げの獣や、乱暴にばらして、うち捨てられた機械の残骸が横たわっていた。遠くの方では銃声が断続的に聞こえ、獣達の怒号、悲鳴、断末魔の咆哮が耳に入ってくる。
獣達と侵略者達が互いをばらし合い、滅ぼし合っている。
「氷壁の亀裂を通って塔に向かいましょう。あそこなら可能な限り侵略者達との遭遇を避けられる筈です」
フレイアの提案に従い、一行は氷壁の亀裂と呼ばれる、塔まで長く続いている谷間へと向かった。
氷壁の亀裂は塔からオーロラの壁までの地上を深く抉った様な細い一本道であり、当然侵略者もここに目をつけているかも知れないが、途中には鏡の回廊と呼ばれる、外敵を惑わす、氷の姫君達の創りだした空間がある。さらに、ミッドガルズとファーブニルがこの谷間の守護に当たっており、侵略者も攻めあぐねていることであろう。
一行は、侵略者の砲撃を避けながら、氷壁の亀裂を目指して先に進んで行った。
真紅の装甲を持つ巨人、鋼人スルトは陽動作戦を講じ、自分は密かに少数の部隊を指揮して塔の近辺へと進軍していた。陽動を担う部隊の指揮は盾機兵バルドルが担っている。
ヴィーザルから派遣されたこの機人は特化した防御能力を持ち、的確に駒を動かす能力に長けていた。スルトは安心して前線におけるこの危険な任務をバルドルに任せることができた。
ヴァルグリンドがもたらした技術はある種の隠れ蓑と呼べるものであった。空間を歪ませることで姿をあらゆる者の視界から隠し、レーダーにも引っかからない。氷の姫達が持つ魔力の網すらも掻い潜ることができるのであろう。それは、すでに偵察機マグニが証明している。
難点といえば、あまり多くの戦力を同時に隠そうとすると、空間の歪みに収まり切らないことぐらいである。
スルトは八名の精鋭を率いていたが、後方からも、五名からなる後続部隊が後を追っていた。この後続部隊の指揮は、バルドルと同様にヴィーザルより派遣されてきた、機人ドロイデンが担う。彼らの主な役割は後方支援であった。
スルトの他にも同様の手段で塔に接近するワルキューレ・ヒルドの部隊と、槍戦騎ガウトの部隊がある。鎧神機ヴァルハランスや鉄騎皇イグドラシルは、最前線での戦闘に従事していた。
スルトはその誰よりも先に塔へと到達し、ソールを生け捕りにすることを望んでいた。
氷壁の亀裂を進むベル・ダンディア達。フレイアの助力で鏡の回廊は難なく通過できた。途中、さ迷っていた侵略者達に襲われたが、共に進む獣達の活躍で、さほど苦戦することもなく撃退できた。
アインホルンは、ここまで来てようやく自分の力が役に立ったことで、多少なりとも自信を持つことができた。もっとも、スミドロードの活躍ぶりには、遠く及ばないことを未だに気にしているのであるが。
前方より激しい銃撃の音が聞こえてきた。一同の間を緊張が奔る。やはり、ここまで入り込んでいた侵略者もいたのである。
「この気配はもしや……」
レインディアはそう呟くと、目の色を変え、谷間を疾走した。共に進む仲間達は、突然のレインディアの豹変に驚きながらも、彼一人で先行させる訳にもいかず、急いでその後を追った。
ミッドガルズが、谷間の中を蹂躙する様な激しさで侵略者の軍勢に応戦していた。長い胴体で以て、青い装甲を持つ侵略者を凍りついた岩壁に叩きつける。侵略者は無言で押し潰され、砕けた装甲と共に地に落ちた。
侵略者の軍勢はそれでも怯まず、谷間の中を埋め尽くすほどの機械の群れは、次々とミッドガルズの鋼の胴体に銃撃を浴びせていた。
上空では様々な形状をした飛行物体が浮かび、ミッドガルズの隙を突こうとしていたが、宙を舞うファーブニルがこれを阻止していた。
中空に浮かび、戦況を探っている一人の機人の姿があった。機人は扇の様に黄色く彩られた装甲を広げながら、周囲の飛行物体達に指示を出していた。
その機人の姿を見て、レインディアが叫ぶ。
「こいつらだ。仲間の恨み、今こそ晴らしてくれる」
「待って。一人で先行したら危険だわ」
しかし、レインディアはベル・ダンディアの言葉には耳を貸さず、岩壁を垂直に駆けていくことで一気に上の方へと登って行き、浮遊する機人の横に達すると同時に、凍りついた岩壁を砕く勢いで蹴り、機人へと飛びかかった。
突然の獣の奇襲に驚き、機人は反応が遅れた。レインディアの角が機人の装甲に突き刺さり、白い装甲と電光を周囲に散らせた。機人はレインディアと共に地へと落ちていった。
地に落ちた機人であるが、レインディアを衝撃波で岩壁に吹き飛ばすと、即座に態勢を立て直し、獣達の出方を窺った。護衛の飛行物体達が次々と機人の周囲に舞い降り、機人を守護する。
レインディアの側にスミドロードとアインホルンが駆け付けた。それに続いてベル・ダンディアとフレイアが側に来た。
「あいつです。あいつが侵略者の軍勢を率いて私の仲間を滅ばしたのです」
その言葉を聞き、闘志を漲らせたのはアインホルンであった。
「ならば協力してあの機人を倒そう。おそらくあの機人が周囲の侵略者達に指示をだしているんだ」
アインホルンが角を前に突きだし、今にも駆けだそうとする。レインディアは頷き、同じく角を構えた。
「気をつけろ。無闇に突っ込んだら何があるか分からぬぞ」
だが、溢れ出る闘争本能を抑えることが出来ずにいる二人に、スミドロードの制止する声は届かなかった。
二体の獣が角を突き出し、機人に突進する。これを見てとった機人は何を思ったのか、片腕を振り上げ、それと同時に周囲の飛行物体達が散開した。その様子を見ていたスミドロード、それにベル・ダンディアとフレイアは瞬時に異変に気がついた。
「二人とも待って。様子が変だわ」
ベル・ダンディアがそう叫んだ時には既に遅かった。
機人は扇の様な装甲を広げると同時に全身を変形させると、迫りくる二体の獣の角をがしと受け止めた。その姿は、強靭にして柔軟な鋼の盾と呼べる代物である。
渾身の一撃をあっけなく防がれた。だが、アインホルンとレインディアには、体勢を立て直す余裕などなかった。
背後からベル・ダンディアの悲鳴が聞こえた。周囲に散開していた飛行物体や、青い装甲を備えた機械達が一斉にアインホルンとレインディアに向かって銃撃や熱線を浴びせた。
二体の獣の全身を激痛が奔る。まだ機械化していない肉の焦げた臭いがした。目前の機人が再び人型に戻ると浮かび上がり、中空で腕を振り上げた。
その刹那。
それまで侵略者の群れと戦っていたミッドガルズが一瞬で体躯を伸ばし、機人に喰らいついた。機人は声にならない悲鳴を上げながら、岩壁に押しつけられた。
機人が奇妙な電子音声を響かせた。すると、谷間の上空から青色の輝きを放つ剣が降って来た。
剣がミッドガルズの眉間に衝突する。固い装甲の眉間にその剣は突き刺さり、ミッドガルズは怯んだ。その隙に、岩壁に押しつけられていた機人が抜け出し、上空に飛び揚がった。
逃げていく機人をファーブニルは見逃さず、鋼の刃で以て切り裂こうとしたが、ミッドガルズの眉間に突き刺さったままであった剣が瞬時に離れて人型に変形し、下からファーブニルに向かって飛びかかった。
ファーブニルは接近してきた新手の機人に応戦するべく身構えたが、機人の放った閃光を翼に受け、体勢を崩した。
上空にいる最初の機人がその隙を付き、電光の刃をファーブニルに放つ。傷を負ったファーブニルは咆哮を上げながら、墜落していった。
上空に二体の機人が並ぶと、機人達は一瞬谷間を見まわし、撤収していった。
周囲にいた侵略者達は皆、鏡の回廊の方へと撤退していた。飛行物体達は機人を護衛しながら、共に飛び去っていく。逃げていく地上の侵略者達に対して、スミドロードは追い打ちをかけようとしたが、フレイアに止められ、思いとどまった。
傷つき、大地に倒れていたファーブニルはゆっくりと立ち上がり、上空を睨んでいた。
「やれやれ。余計な手間をかけさせてくれたな。若いの」
ミッドガルズが、起き上ったアインホルンとレインディアに向かって言った。その眉間には深い傷跡が残り、剥がれた装甲からは強い熱量を帯びた赤い光が漏れていた。
「申し訳ありません」
レインディアが言った。それに続いてアインホルンも謝罪の言葉を述べ、レインディアと共に、助けてくれたこの大蛇に礼を言った。
「まあいい。気に病む必要はない。若いうちは誰でもそんなものだ。俺とて昔はそうだった」
慌てて駆け寄ったベル・ダンディアが、アインホルンとレインディアに応急処置を施す。ベル・ダンディアの持つ癒しの力が、僅かではあるが、二人のコアに活力を与え、自己再生能力を促進させるのである。
二人の応急処置を終えたベル・ダンディアが、ミッドガルズの方へと歩み寄り、その眉間に手を当てようとした。だが、ミッドガルズは頭を振り、大きく擡げた。
「嬢のお手を煩わせる必要はない。それより、あちらのファーブニルの手当てをしてやってくれ」
ベル・ダンディアは申し訳なさそうにミッドガルズを見つめていたが、すぐに傷ついたファーブニルのもとへ向かった。
「お久しぶりですね。ミッドガルズ」
フレイアが目前にそびえる大蛇を見上げながら言った。
「フレイアか。久しいな」
ミッドガルズの四つある真紅の瞳が、懐かしそうにフレイアを見た。
「あなたとこうして再び会える日が来るとはね。もっとも、ヘルの予言通りならこうなることも当然だがな」
「そう、そのヘルのことです。今、私達にはヘルの助力が必要である、あなたもそう考えてはいませんか」
ミッドガルズは頭を空へ向け、暫しの間、遠い目で空を眺めていたが、やがて言った。
「まあな。むしろヘルの封印を解くことは、この戦いを生き延びる為にも必須のことであろう。ベル・ダンディア嬢もそう考えている」
「そうですか。私には言ってくれませんでしたが、やはり彼女もヘルの解放を望んでいるのですね」
「マーニに止められたそうだがな」
「それはそうでしょうね。でも、実は私もヘルの封印を解くつもりでここまで来たのですよ。私の姉のフレイや、フリッグ、スノトラ様もそれを望んでいるのです」
「ほう、塔の内部にも協力者がいるとは驚きだ」
ミッドガルズが微かに笑った。
「ならば迅速に行動に移した方がいい。なに、まずないと思うが、ヘルが協力したがらなければ、この俺からも強く言ってやるさ」
「あなたにもそう言っていただけると心強いですね。ミッドガルズ」
ベル・ダンディアの力でコアの活力を取り戻したファーブニルは軽く礼を述べると、飛翔していった。
ファーブニルは上空で何やら遠くの塔に通信を送っている。これはファーブニルが機械化したことで得た能力であり、これと同じ能力を持つ者が、塔にいるソールの護り手ヘイル・ガルフであった。
ベル・ダンディア達は先を急ぐべく、この場をミッドガルズ達に任せ、岩壁の間を進んでいった。
やがて、一行の姿が見えなくなると、ミッドガルズが呟いた。
「あの機人が呼んだ名……確かにアスクと言ったな。ふむ、とすると俺が仕留めようとした機人、あれはエムブラで間違いないだろう。すぐに気が付いて良かった。ロキの意思に従うというのは気に入らないが、【勇者】の力は必要となるだろうからな」
それから、通信を終え、舞い降りてきたファーブニルに向かって言った。
「先ほどの連中は斥候に過ぎない。一度切り抜けた鏡の回廊の仕掛けを破ることなど、奴らにとっては何の造作もないことだ。次に来る侵略者は先とは比べ物にならないほどの数だ。心せねばなるまい」
「そんな予感はしていた。ヘイル・ガルフにも信号を送った。ここを落とされた時の用心の為にな」
ファーブニルはそれきり、目を閉じて押し黙った。ベル・ダンディアによって与えられた活力により、傷ついた装甲が早くも再生していく。
ファーブニルは見事なまでに、己を浸食する機械の体を自分の物としていた。肉体と完全に同化した機械はファーブニルの自己再生能力で自然に回復する。一部の機人などを除いた多くの侵略者にはない能力であった。
氷壁の亀裂を進むベル・ダンディア達。まだこの辺りには侵略者達が攻め込んできた形跡はない。もっとも、この谷間の外の方では、領域に入り込んできた侵略者達と獣達の戦いが繰り広げられているのであるが。
崖の上から一行を見下ろす一つの影があった。銀色の光彩を放つ白い長髪を結え、腰の辺りまで伸ばしている小柄な少女。漆黒のビスチェの様な衣装を身にまとい、あらわになった白磁の様な肌が硝子の様な光沢を備えている。少女の姿は、塔に住む氷の姫君達と酷似していた。
少女は、冷ややかな眼差しで崖下のフレイアに目を止めた。
「スノトラの飼い猫。こんなところまでくるとはね」
軽蔑を含んだ声。少女は身を翻すと、軽い足取りでその場を去った。
(む。何だ。この念動は)
それは塔の方面から送られてくる奇妙な波動。音でもなく振動でもない。だが、氷結の大地に立つマン・モールには、自身を動かすその念動の意味するものが理解できた。
それは、侵略者の接近を告げる警告であった。
マン・モールが咆哮を上げることで合図を送ると、周囲に散らばっている獣達の動きが慌ただしくなる。程なくして塔の方面より、一体の鋼鉄の竜が飛んできた。
「マン・モール殿。あなたにもこの念動が伝わったのだな」
装甲機竜ファーブニルと双璧を成す塔の守護者、鋼鉄竜ニヴルヘイムであった。
マン・モールは黙したままだったが、ニヴルヘイムと視線を合わせ、頷いた。マン・モールによって危機を伝えられた獣達は、すぐ側まで迫ってきている見えない侵略者に対して身構えている。戦闘が開始されるその時は間近に迫っていた。
戦火より離れた岩壁の上から、戦場を見渡す一人の機人の姿。彼は獣でも侵略者でもない、異質な世界より現れた斥候、ヴァルグリンドである。
「封印されているヘルに感づかれるとはな。マグニ一人だけの時とはわけも違う……というところか。どうやらスルト達に任せているだけでは、事を運べそうにないか……」
ヴァルグリンドが空間を歪ませると、進軍しているスルト達の姿が映し出された。次々と別の映像が浮かんでいき、ヴァルグリンドのもたらした技術を駆使して先に進んでいる、他の部隊の様子も映し出されていった。
多くの獣や侵略者には、認識できないその姿も、ヴァルグリンドからは筒抜けであった。それは封印されているヘルにとっても同様のことであるのだろう。
「一度発見されてしまえば、大した意味もないからな。所詮、小手先のもの」
それからヴァルグリンドは、スルトの後方を進軍していく機人ドロイデン達の姿に目を付けた。
「使えそうだな」
ヴァルグリンドはそう呟くと、口から奇妙な音を出した。周囲にその音が反響すると、ヴァルグリンドの側に、傀儡の狼達が集まった。
「ここまで付き合ってくれたお前達は、この世界の最期をその身で以て体感できるかもしれぬぞ」
ヴァルグリンドの冷たい眼光が狼達を見すえた。
ベル・ダンディア達が氷壁の亀裂を抜けたその時、近くの地域から爆音が轟いた。皆が咄嗟にそちらに振り返る。そこでは巨人の群と格闘する、マン・モールを始めとした獣達の姿があった。
「そんな……。侵略者達がここまで入り込んできているなんて……。」
その出来ごとに茫然としているのはベル・ダンディアだけではない。アインホルンとレインディア、スミドロードですら驚きを隠しきれなかった。ただ一人、決意の色を顕わにしたのはフレイアである。
「もはや、一刻の猶予もありません。私はヘルの封印されている井戸へ向かいます。」
「ヘルの。でも、塔の皆が何と言うか……」
「いいえ、ベル・ダンディア。先ほどヘルから私のもとへ念動が送られてきました。ソール様は凍獣マン・モールを目覚めさせましたが、ここまで攻め込んできた侵略者達はあまりにも強大な存在。このままでは味方は総崩れとなり、他の侵略者達も塔へと雪崩れ込んでくることでしょう。そうなれば、もはや私達の手には負えない」
フレイアは、巨人達や、新たに出現したさらなる軍勢と戦い続ける獣達の姿を見渡した。
「マーニや他の同胞達が何と言おうと、ヘルの力は今すぐにでも必要とされます」
ベル・ダンディアに、フレイアの固い決心を止める術もなかった。だが、元はと言えば、ヘルの封印を解くことを塔の姫君達に進言したのも自分である。今は、マーニのことを気にしていられる時ではない。ベル・ダンディアはそう思った。
「フレイア様。では、共に参りましょう」
「あなたは先に塔へ向かいなさい。ソール様を支えることがあなた達三姉妹の役目でもあるのですから。井戸へは私一人で向かいます」
「でも、フレイア様お一人では……」
「私がフレイア様と共に、その井戸とやらに赴きましょう」
そう言ったのは、レインディアであった。
「私があなた方と共に進んできたのは誰の予定にもなかったこと。ベル・ダンディア様の守護はスミドロード殿とアインホルン殿の役目らしい。ならば、ご同行するのはこの私が適任と存じます」
レインディアの申し出に、フレイアは優しい笑顔を向けた。
「ありがとうございます、レインディア。では、共に参りましょう」
フレイアとレインディアが井戸へ向かうことに決まり、ベル・ダンディア達はそのまま塔へ急ぐこととなった。
「フレイア様。どうかお気をつけて」
名残惜しそうに、ベル・ダンディアが言ったが、フレイアはベル・ダンディアにほほ笑みかける。
「ええ。あなたも気をつけてね」
一行は二手に分かれ、それぞれの目的を果たす為、先を急いだ。
予期せぬ獣達の応酬。あと一歩というところで発見されてしまうとは。さすがのスルトも動揺したが、すぐに気を取り直し、子飼いの巨人部隊を指揮し、眼の前の獣達に燃え盛る真紅の剣を向けた。
獣達の猛攻を受けたと同時に、隠れ蓑となっていた空間の歪みは完全に消え去った。巨人達は臆することなく、自分たちが本来備えている底知れぬ怪力や、破壊の大剣で以て獣達を粉砕していく。
強靭な侵略者を相手にする獣達は、太古の凍獣の加護を直に受けることで何とか侵略者達に応戦していた。その中でも、太古の魔力の発生源である凍獣の力は凄まじかった。
自分を含めて八名で進軍してきた。だが、眼の前にいる巨獣のせいで、既に二人の部下が破壊された。このままでは、まずい。
部下達の間から歓声が聞こえた。同時に進軍していた、他の部隊が次々と参戦していく姿があった。選りすぐられた神機グングニル達を率いる槍戦騎ガウト。戦闘力に長けた機人達を連れているのは、ワルキューレ三姉妹の次女、ヒルド。そして後方から仲間達を援護するのは、機人ドロイデンの部隊であった。
あれほど、誰よりも功を立てることに拘っていたスルトであったが、今はこの同胞達の存在が有り難かった。
暗い井戸の底。完全に干上がり、冷気によって凍りつく水分すらほとんどなかった。
暗闇の坑道の中を、己の光沢を明りにして進むフレイアと、それに伴うレインディア。この井戸の中には、この世界とは異質な存在が感じられた。
不意に、前の方から何者かの足音が響いてきた。誰かがいる。フレイアは自身の体から放たれる光沢を前方に向けた。するとその者の姿がくっきりと暗闇の中に浮かびあがる。
「あなたはヴァール。何故ここに」
フレイアが驚きの声を上げた。状況を理解できていないレインディアは戸惑い、眼の前にいる漆黒の衣装を纏った少女を見た。
「何故だって。あんたこそ、何でここにいるんだ。ヘル様の寝込みを襲おうとでも言うの」
ヴァールは冷ややかな眼差しでフレイアを睨んだ。軽蔑の籠ったヴァールの目を見たフレイアは、思わず暗い面持ちとなる。
「私達はヘルの封印を解きに参ったのです。ヴァール、それはあなたも望んでいることでしょう」
「ふーん。でもね、今更良い子ぶったところで、もう遅いんだからね。あんたとスノトラはあたしとヘル様を裏切ったんだ。途中までヘル様に尽くすふりをして置きながら、最後にはソールの方に寝返ってくれちゃって。どうせ今度もそうなんだろ」
「ヴァール。私達にそんなつもりはなかったのですよ。ただ、この世界のことを案じて……」
「言い訳は後でヘル様に言いな」
ヴァールの手に人の背丈ほどもある銅色の鍵が出現した。ヴァールがそれを両手で持って構えるとその先から黒い糸の様なものが放射状に広がっていった。
フレイアとレインディアは身構える間もなく、その黒い糸に絡めとられた。
「この世界はヘル様の物。ヘル様の物にならないと意味なんてないんだよ」
ヴァールはフレイアを尻目に、すぐ後ろにあった氷壁に向き直った。周囲には凍りつく水分すらないというのに、その氷壁だけは厚く、坑道を埋め尽くしていた。
「我が物顔でヘル様の世界を踏みにじっている侵略者の連中も気に食わないけど、あいつらが起こした戦いのお陰で、こうして隠れてヘル様のところまで来れたんだ。連中には感謝しないとね」
その言葉を聞いたフレイアがはっとなる。
「ヴァール。あなたはヘルの念動を受け取らなかったのですね。あなたは、ヘルの真理を理解していないのです。ヘルはただ、彼女なりにこの世界を愛していた。本当は、ソール様やスノトラ様と同じことを想っていたのです。今なら、ヘルやスノトラ様も、ソール様と分かり合える筈……」
フレイアがそこまで言ったところで、彼女を拘束していた黒い糸が硝子の様な首筋に纏いつき、締め上げた。フレイアは微かに呻き声を洩らしたが、それきりただ黙って耐えた。
「ソールやスノトラと一緒にしないで。あんたなんかに、気易くヘル様の名前を呼んでもらいたくもない」
「フレイア様に何をするのだ」
レインディアが叫んだが、ヴァールは冷めた眼差しをレインディアに向けただけで取り合わなかった。
ヴァールは鍵を眼の前の氷壁に押し当てると、何やら呪文を唱え出した。
氷壁が徐々に崩れていき、その先には、氷壁に閉ざされ、白磁の様な瞼を閉じて眠る、氷の魔女ヘルの姿があった。
「ああ。ヘル様……。あなたの忠実なる僕、誓約の女神ヴァールでございます。この様なところにずっとお一人で……お労しい」
ヴァールのヘルに向ける眼差し。それはかけがえのない愛しい者を見る眼であった。
フレイアは黙ってレインディアと共にその様子を見ていた。レインディアは不服そうであったが、フレイアはなんとなく、懐かしいものを見た様なほっとする感情を覚えていた。
ヴァールの手によってヘルの封印が解かれても、ここに来た目的は果たせる。一つ気がかりなことは、ヴァールがその後、どう振る舞うかであった。
ヴァールにも分かって欲しい。ヘルの真理を。
ヘルが協力してくれるということを、フレイアは確信していた。
関連カード
●盾機兵バルドル
機人。
「虚空よりのニ撃目」をバルドルの部隊が犠牲になることで防いでいる。
虚竜か虚神の攻撃が放たれたのかもしれない。
●機人ドロイデン
機人。
塔を囲んだ侵略者の軍を支える、「援護の切り札」と称されている。
●鋼鉄竜ニヴルヘイム
甲竜。
その身を賭してあるものを守り抜く者。
「疲れを知らぬ鋼の体」と称されているが、侵略者の影響で機械化した竜と思われる。
●槍戦騎ガウト
武装・戦騎。
侵略者であったが、「歌姫の尖兵」へと立場を変えている。
また、勇者の到来を待つ者とされている。
●誓約の女神ヴァール
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第14節。
氷の魔女ヘルが封じられていた井戸の底に、「出口となる門」があった。
井戸は歌姫の塔の近くにあるが、そこからロロは白の世界を去ったものと思われる。
続きとなる節は空白の赤の章第14節、もしくは赤の章第15節かもしれない。
ドラマCDであれば赤の世界へ向かう前にその先で星の巫女クシナ、雷神獣ヌエと出会っている。
なお、雷神獣ヌエは終章第1節であり、大龍皇ジークムンドと龍騎士ワーグナーのいる狭間の世界を訪れた時と同じ節。
何枚かの赤のスピリットのフレーバーテキストによると、赤の虚神及び赤の世界が滅びたのも終章第一節である。
赤の章の方は、龍星神ジーク・メテオヴルムが誕生したところで途切れている。
自分の小説におけるヴァールは氷の魔女ヘルの忠実なるしもべとして登場。
ヘルに心酔しており、ヘルの為と思う事であれば手段を択ばない。
●鏡の回廊
名所千選062。
1本道であるが、迷いそうな気にさせられる不思議な空間。
本章では歌姫の塔へ続く谷間に仕掛けられた回廊として登場。
外敵を惑わすことでその進行を遅らせた。
なお、「塔へ通ずる谷間」は鎧蛇竜ミッドガルズのフレーバーテキスト。