消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第十九章 空帝急襲

 ―承前―

 

 

 漆黒の装甲と筒を持つ、狼の群れが出現した。空間を裂いて現れたこの狼達は、次々と凍獣に群がっていき、剛毛に覆われたその皮膚に喰らいついた。

 

 唖然として事態を見ているスルト。他の同胞達も同じ様子である。自分達の同胞ではない。では、仲間割れでもしているというのだろうか。

 

 凍獣が、咆哮を上げながら倒れた。どよめく獣達。それでもなお、凍獣は群がる狼達に向かってハンマーの様な鼻を打ちつけ、必死に抵抗した。それまで空中からの援護に徹していた鋼鉄竜が急降下してきて、凍獣に群がる狼達を襲った。

 

 スルトは、これを好機と見てとると、すぐさま生き残った部下である、子飼いの巨人達に指令を出し、塔へと攻め込んだ。他の部隊を指揮するガウトやヒルドも同様の判断を下した。

 

 塔から歌声が響いた。これまでとは様子の違う、心の芯に訴えかける様な歌声。

 

 部下の巨人達の様子がおかしい、そう思ったスルトもすぐに同じ状態に立たされることとなった。歌声を体に受けるとともに、スルトは虚脱感に襲われた。自分が手にする紅蓮の剣の様に燃え上がっていた戦意が削がれていく。

 

 ガウトやその部下の神機達も同様であった。ふと、スルトがヒルドの方を見やると、ヒルドが、思う様に動けなくなった部下達をその場に残し、冷静さを失わず、塔の前に氷壁の如くそびえている荘厳な門へと接近した。

 

 ヒルドが放った金色の閃光を受け、門が砕かれた。ヒルドが更なる攻撃を仕掛けようとすると、砕かれた門の隙間から、鎧を身に付け、武装した二人の氷の姫がその前に踊り出た。

 

 両腕に大形の盾を身に付けた姫と、氷柱の如き剣を掲げた姫。一人が盾を使って、ヒルドが放った追撃の閃光を弾き、もう一人が中空に浮かび上がり、ヒルドに斬りかかっていった。自分の背丈よりも長く、透き通った氷の様な髪が、武装した姫が宙に舞うと共に、大きく靡いた。

 

 動けずにいるスルトに向かって、一体の獣が飛びかかってきた。避けられない。スルトは何とか迎え撃とうと、力を込めて剣を振り上げたが、それを振り下ろすだけの気力は残っていなかった。

 

 銃声が木霊した。スルトに迫っていた獣がばたりと地に伏した。銃を放ったのは、スルトのすぐ後ろに来ていた機人ドロイデンであった。

 

「ドロイデン殿。かたじけない……」

 

 そこまで言ったスルトであったが、すぐに異変を察した。真紅の角を持つ漆黒の機人ドロイデン。その眼は何かに取りつかれた様に虚ろであった。

 

 ドロイデンは、自分が指揮する銃騎士ヘビーバレル隊を前進させた。彼らは誰一人として、ソールの歌声の影響を受けていない様子であった。そして、その眼光の何れもが、狂気の色に染まっていた。

 

「ドロイデン殿。何をしている」

 

 スルトの言葉にドロイデンは耳を貸さなかった。歌声を前にしても平気でいるこの機人の一隊に向かって、獣達が飛びかかろうとしたが、それらはすべて漆黒の狼達に邪魔され、失敗に終わった。

 

「狙うはソールの首級ただ一つ。奴がいるのは塔の最上部。ヘビーバレル隊、構えろ。」

 

 ドロイデンの指揮に応え、ヘビーバレル隊が一斉に銃を擡げた。

 

「止せ、ドロイデン。まだソールを討つのは早すぎる」

 

 スルトの叫び声が空しく響いた。

 

「撃て」

 

 ヘビーバレル隊が一斉に弾丸を放った。氷の姫達と光の刃で以て斬り合っていたヒルドが、慌てて飛び上がり、熱量の結界で銃弾を防ごうとした。だが、間に合わず、ヒルドの胴体に一発の弾丸が命中し、ヒルドは悲鳴を上げながら墜落した。

 

 無数の弾丸が塔の上層部を直撃し、貫いた。

 

 歌声が止んだ。

 

 機械の軍勢の戦意を奪っていた力、獣達に活力を与えていた力、極光の障壁を創り出していた力、それらが一片に喪失した。

 

 先ほどまでヒルドと戦っていた姫達が茫然と塔を見上げていた。歌声が完全に止まっていることを理解した二人。次の瞬間、絹を裂くような二人の声が、地上に木霊した。

 

 

 

 三姉妹の項

 

 

 「ハティぃぃ。ぎぼぢ悪いー」

 

 スクルディアがハティに涎繰りながら凭れかかった。ハティは周囲の視線を気にして、慌ててスクルディアを振り解こうと思ったが、手荒に扱う訳にもいかず、何とか四肢で踏ん張って、スクルディアの体を支えた。

 

 ウル・ディーネ達の一行が、オーロラの側の砂漠に到着したと同時に、ソールの歌声によって維持されているそのオーロラが消滅した。ソールの身に何かあったらしい。一行にその予感が重くのしかかった。

 

 ウル・ディーネが冷静に皆をまとめ、先を急ごうとすると、固まった砂の粒子を押し上げ、巨大な聖堂が出現し、その聖堂を持ち上げるブレイザブリクの姿が顕わとなった。

 

 一行はブレイザブリクから、これまでの事情を聞き出し、彼の背に乗り込んだ。ブレイザブリクは急上昇し、塔へ向かって飛び立った。

 

 オーロラの壁が消滅するとともに、上空で待機していた侵略者の船団が一隻残らず前進した為、その姿は既になかった。もはや一刻の猶予も無い。ブレイザブリクは急いで戦場を横切っていく。

 

 酔ったスクルディアはハティに任せておき、ウル・ディーネは聖堂の内部から、戦況を見渡していた。状況は芳しくない。

 

「間に合わないかもしれない。ソール様の身に何かあったとすれば、私達が辿り着いてももう手遅れ……」

 

 傍らにいた猪の姿をした鎧装獣グリン・ブルスティが、沈痛な面持ちのウル・ディーネをなだめた。

 

「ソール様はきっと無事ですよ。ご覧なさい、地上の仲間達を。彼らは劣勢に立たされながらも、戦意は衰えていない。未だ、希望の灯火は消えていない。あなた様がソール様のお力になれば、すぐにでも勢いを取り戻すことができるでしょう」

 

 そう言うグリン・ブルスティであったが、内心では、もうソールはこの世にいないのではないだろうか、という不安を拭い切れなかった。

 

「ええ、そうですね。ありがとうグリン・ブルスティ殿」

 

 地上の獣達は確かに戦意を失わず、侵略者の軍勢と戦っていた。それでも、徐々に追い詰められていく獣達の心中には、尽きることのない不安と恐怖が蔓延っていた。ソールの歌声が途絶え、凍獣マン・モールの加護が薄れた。このままでは、侵略者に滅ぼされるのも時間の問題ではないだろうか。

 

 このまま、僅かに残っているマン・モールの加護まで失われたら、獣達の指揮が崩壊することは眼に見えていた。

 

 

 

 気が抜けた面持ちでドロイデンとヘビーバレル隊を見つめているスルト。やがてスルトは気を取り直すと、無言で立っているドロイデンに詰め寄った。

 

「貴様、命令に背くとは、どういうつもりだ。この世界の反作用をすべて取り除く為にも、まだ歌姫には利用価値があったのだぞ。一人で先走った行動を……」

 

 呻き声を洩らし、ヒルドが立ちあがった。損傷はあるものの致命傷ではない。その様子を見やったスルトが、怒りを顕わにして、ドロイデンを睨みつけた。

 

「おまけに仲間まで傷つけて、何とも思わないのか。これで貴様は手柄を立てたとでも本気で思っているのか」

 

 もし、ドロイデンがソールを撃たなかったら、スルト達は獣に討たれていたかもしれない。だが、ソールを生け捕りに出来なかったということは、この世界の反作用は当分解決せず、獣達との戦いは延々と繰り返されることとなる。なによりも、命令に背いたうえに仲間を傷つけてもなお平然としているドロイデンが、スルトには許せなかった。

 

 ドロイデンはスルトを無視し、配下のヘビーバレル隊に指示を下した。

 

「遅かった、手ごたえがない。ヘルの仕業だ。すぐにソールとヘルを探し出し、仕留めろ」

 

「ドロイデン、貴様は何を言っているのだ」

 

 スルトがそこまで言うと、地上に凄まじい咆哮が轟いた。スルトが思わずそちらを見ると、剛毛の中に埋もれた固い表皮に喰いついている狼達を振りはらいながら、凍獣が立ち上がるところであった。

 

 凍獣は、喰いついているままの数体の狼達をそのままに、金剛の如き鼻を振り上げ、スルトとドロイデン達がいる方へ向かって突進した。

 

 立ちはだかったスルトの部下の巨人が打ち倒された。周囲の獣達や、鋼鉄竜も怒りを顕わにして、機械達を襲う。二人の武装した姫達も、決意の色を表し、獣達に加わった。

 

 たちまち周囲は大混戦となり、スルトもドロイデンを問い詰めている場合ではなくなった。ドロイデンは、怒り狂う獣達を相手にして、必死に応戦するスルト達を尻目に、塔の門から少し離れたところにある古井戸に眼をつけると、ヘビーバレル隊を伴って、そこへ突き進んで行った。

 

 ドロイデンの部隊にも獣達は襲いかかろうとしたが、漆黒の狼達が獣達を襲って妨害し、ドロイデンとヘビーバレル隊の進軍を止めることのできる者は誰もいなかった。

 

 

 

 ヴァールがヘルの封印を解いた途端、解放されたヘルが坑道内に浮かび上がり、片腕を高く擡げた。

 

 すると、ヘルの腕が発光し、坑道内が白光に満たされた。その光は、徐々にある一点へと収束していき、四つの人型の輪郭をとった。その輪郭が、明確な形となっていき、光が消えていった。

 

 発光の消失とともに、その場に投げ出された氷の姫君達の姿。塔の最上部の一室に居た、ソールと、それを支える、フレイ、フリッグ、マーニであった。

 

「ぎりぎりだったのう。少々手荒になってしまったのは、堪忍しておくれよ」

 

 ヘルが言った。坑道内に転送された四人の姫君達は、皆気を失っていた。

 

 ヘルは、気が抜けた様子で立ちつくしているヴァールを見やると、ヴァールによって拘束されているフレイアとレインディアを指差して、こう言った。

 

「ヴァール。二人を離しておやり」

 

「……はい。ヘル様」

 

 あまり乗り気ではなかったが、ヴァールは素直にヘルの言うことに従い、フレイアとレインディアの拘束を解いた。解放されるとともに、首を絞めつけられていたフレイアが激しく咳き込んだ。レインディアが急いで、フレイアのもとへ駆けよる。フレイアの硝子の様な首には、黒い跡と、僅かなヒビができていた。

 

「フレイア。また辛い目に合わせてしまったねえ」

 

「……いえ。私は都合のよい時にだけ、あなたの力を借りに参ったのですから。この程度の罰では足りないほど……」

 

「そなたが聖域の守護者となっていたことは知っているよ。妾はここから地上を見通していた」

 

 中空に浮かび上がっていたヘルがゆっくりと地に足をつけた。

 

「そなたの望み通り、妾も力になろう」

 

「ありがとうございます。ヘル……」

 

 フレイアは感謝の念を表し、頭を垂れた。

 

 ヘルが、茫然としているヴァールに顔を向けた。

 

「今まで苦労をかけたね、ヴァール。そなたには、分からなかった様だが、妾もフレイアやソール達に協力する。そなたも力になっておくれ」

 

 ヴァールは無言で立っていた。優しく自分を見つめるヘルから眼を逸らし、黙ったまま小さく頷いた。ヘルから背けたその眼の輝きは、妖しく揺らいでいた。

 

 程なくして、ヘルによって転送されてきた四人が眼を覚ます。幾千年ぶりのソールとの再会に、ヘルは自然と笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ベル・ダンディア達が、白銀の守護者リンと風花の戦乙女グナが守護していた門を通り、その先にある塔の前に辿り着いた時には、既にソールの気配は消え失せていた。

 

 門の方から爆音が轟いた。束の間途絶えていた戦闘が再開されたのである。沈痛な面持ちで、ベル・ダンディアは振り返り、門の方を見た。

 

「私が戻って、同胞達の力になりましょう。その方が、ベル・ダンディア様もご安心なさるでしょう」

 

 スミドロードが言った。

 

「スミドロード……」

 

「何、ご心配なさるな。未だ、マン・モールの加護は健在。今、私に出来ることは、彼らと協力して、侵略者を食い止めること。あなたは、急いでソール様のもとへ向かってください」

 

 ひょっとしたらソールの命はもうないのかもしれない、という最悪の可能性には、敢えて触れなかった。スミドロードはアインホルンの側に寄ると、小声で何事かを呟いた。アインホルンが強く頷き、了解したのを見届けると、スミドロードは、ベル・ダンディアとアインホルンに見送られ、戦場へ向かって駆けて行った。

 

 アインホルンは、スミドロードに言われたことを何度も頭の中で反芻した。もしもの時は、ベル・ダンディア様を頼む、と。

 

 ベル・ダンディアの心中では、ソール達やマーニの安否への不安、この様な状況になっても自己の役目を忠実に果たせるのかという危惧などが、渦巻いていた。ベル・ダンディアは、こんな状況になっても、一瞬も迷わず同胞の為に戦場へ赴いていくスミドロードに深く感謝し、そんなスミドロードを羨ましく思った。

 

 

 

 古井戸の中から、凄まじい冷気の柱が噴き上がった。その冷気の波動を受けたヘビーバレル達が次々と凍りついていった。ドロイデンも、これを避けることはできず、共に凍りついた。

 

 突如、井戸の中より現れた氷の魔女。魔女は見る者を凍りつかせる様な冷笑を上げ、次々と機械達に冷気を放っていった。冷気をその身に受けた残りの機械達も、皆凍りつき、動かなくなった。

 

「なんだと。まだこんな奴がいたのか」

 

 スルトは、ドロイデン達があっさりと全滅したことでいささか困惑していた。勝ち目がないとでも悟ったのであろうか、漆黒の狼達は、ドロイデン達を守ろうともせずに、一足先に逃げ出していた。

 

 だが、狼達は自らの意思で逃げていた訳ではなかった。スルトが狼達の駆けていく先を見やると、そこには見覚えのある人物が立っていた。反射的にスルトが叫んだ。

 

「ヴァルグリンド殿。何故ここに」

 

 背後から一体の獣が飛びかかり、スルトは慌てて応戦する。そして、次にスルトがヴァルグリンドのいたところを見やった時、ヴァルグリンドと狼達の姿はなかった。

 

 氷の魔女の出現と共に、再び、歌声が周囲に響いた。いつの間に現れたのか、凍獣の傍らで、機械達と戦っていた長い牙を備えた猫科の巨獣が雄叫びを上げた。その巨獣は歌姫の生存を知り、喜んでいたのである。

 

 歌声が戻ったことで、獣達が奮い立ち、機械達を押し始めた。もはや、生き残った機械の同胞も僅かである。スルトは全滅を覚悟した。

 

 影が地上を覆っていった。獣達の間に動揺が奔る。スルトが上空を見ると、友軍の船が無数に空を覆っていた。

 

「おお。同胞達が極光の障壁を越えてここまで来た」

 

 氷の魔女が若干戸惑った様子を見せたが、すぐに上空に向かって冷気を放った。それと共に、歌姫の歌声が天へと昇っていった。

 

 船が次々と凍りつきながら、大きく揺らぐ。その波動に逆らい、地上へと突き進んでくる二人の騎士がいた。鉄騎皇イグドラシルと、鎧神機ヴァルハランスであった。後方で獣達と戦いながら陽動に徹していた二人が、上空の船と合流し、ここまで攻め込んで来たのである。それに伴って、無数の機人や動器達が降下して来た。

 

 二人の騎士がヘルに向かって突き進んで行く。それを止めるべく、凍獣と、傍らのもう一体の巨獣が、騎士に向かって突っ込んで行った。

 

 魔女はすぐに劣勢を悟ったのであろう。井戸の中から、複数の氷の姫達と一体の獣を触れることもなく引き上げ、塔へ向かって飛び去った。その中には、歌い続けるソールの姿もあった。

 

 今度は機械達が勢いを取り戻し、獣達を追い込み始めた。ソールが生きていたことで、機械達も当初の目的を思い出し、自然と士気も高まっていた。

 

 二人の騎士が二体の巨獣と斬り合う。スルトはその隙に、残っていた部下二名と新たに加わった援軍を従えて、門に向かって攻め込んだ。ガウトとヒルドの部隊が、獣達を追い込みながら、スルト達が進む道を切り開いていった。

 

 門の前に、武装した二人の姫が駆け寄った。姫達は門の左右に陣取り、何やら呪文を唱え出した。

 

 構わず攻め込んでいたスルト達が吹き飛ばされた。スルトはすぐに起き上り、門と二人の姫を睨みつけた。

 

「おのれ、結界か……。小賢しい真似を」

 

 さらに塔の内部から響いてくる歌声。姫君達から送られてきた魔力を受け、獣達が再び力を取り戻し、機械達に応戦する。

 

 凍獣が凄まじい力を発揮し、イグドラシルの左腕を圧し折った。たじろぐイグドラシルを、ヴァルハランスが支える。その傍に、ガウトと共に戦っていた神機グングニルの内の一体が舞い降り、その姿を一つの槍へと変形させた。ヴァルハランスは頷くと、その槍を手にして、歌姫の加護を受けた目前の巨獣達に立ち向かった。

 

 援軍の到着で、機械達の多くは勝利が目前に迫ったと思ったが、ここにきて、氷の姫や獣達の連携と底力によって思わぬ苦戦を強いられていたのである。

 

 

 

 ヴァルグリンドが戦場から離れたところにある、凍りつき、鋼と化した森林の中に佇んでいた。その周囲には、傀儡と化した無数の漆黒の狼達が屯しており、ヴァルグリンドの命令を待っていた。

 

「あと少しでソールを討ち取れたものを……。前線から離れていたドロイデン達を傀儡とするのは訳無かったが、やはりあの鉄くずどもでは役不足だったな」

 

 ヴァルグリンドは、傍らで頭を垂れているデュラクダールを見下ろした。

 

「既に準備は整っているな」

 

「はい。出陣の用意は整えてございます」

 

「マグニが塔を発見した時点で、既に、塔の側に虚空を創り出すことは可能となった。これ以上スルトどもに任せていては、ソールを取り逃す恐れもある。ヘル達が何やら不穏な動きをしている様子だしな。それにウル・ディーネどもまで塔に向かっている。デュラクダールよ。お前は手勢を率いて、塔をいつでも攻め落とせるよう、待機していろ」

 

「御意」

 

 デュラクダールはそう言うと、空間の歪みにその身を委ね、この世界から姿を消した。

 

「後はアルブスだな。ル・シエルを動かしてもらうか。それからプラチナム」

 

 そう言うと、ヴァルグリンドは冷たい笑みを浮かべた。

 

 

 

 六花の司書長サーガによる指揮の下、塔の姫君達が総力をあげて結界を創り出し、それを門の前のリンとグナが増幅させる。そして、結界に護られた塔の内部からは、外世界に向けて歌声が響いていた。

 

 ソールの歌声を傍らのフレイとフリッグが増幅させ、獣達に活力を与えていた。ベル・ダンディアもこれに協力していた。

 

 ソールが生きていた。それにフレイ、フリッグ、親友のマーニも。それに、ヘルが協力してくれたことで、ベル・ダンディアは失いかけていた希望を取り戻した。

 

 本来、ウル・ディーネとスクルディアが持つ、二つの異なる力を紡ぐことがベル・ダンディアの役目であり、ベル・ダンディア自身の持つ力はその二人や、ソールの側近達には及ばないものであった。それでも、ベル・ダンディアは前線で戦うスミドロード達のことを想い、自分の持てる力が、少しでも彼らの助けになることを願った。

 

 マン・モールとスミドロードが、槍を持った侵略の騎士と鍔迫り合いを繰り広げていた。その侵略者は、マン・モールとスミドロードの二体を相手に、互角以上の戦闘能力を発揮していたが、歌姫の加護が強まると共に、徐々に押されていった。

 

 マン・モールに左腕を圧し折られたもう一人の騎士は一端退いたが、後方からの援軍が運んできた新しい腕を装着し、すぐに舞い戻って来た。その右手には、新たに巨大な剣が握られていた。

 

 塔の周囲に続々と侵略者の軍勢が集まってくる。結界を破ろうと、門の前には強靭な体を備えた巨人や騎士達が攻め寄せてきた。

 

 このままいつまでも持ち堪えられる訳ではない。ベル・ダンディアはウル・ディーネとスクルディアの到着を願っていた。

 

 

 

 塔の一室。何らかの儀式を行う為の祭壇の足元に、ヘルが立っていた。

 

「ヴァールや。おいで」

 

 ヘルが手招きをすると、部屋の隅で陰の様に立っていたヴァールが、黙ってヘルに近づいた。

 

「ヴァール、そなたは、フェンリルのもとへ向かって頂戴。そなたならフェンリルの封印を解くこともできる筈」

 

 ヴァールが不満そうな面持ちで、ヘルを見返した。

 

「ヘル様……。今ならソールの声を魂ごと奪って、ヘル様が新しい歌姫となることも容易いことでしょう。そうすれば、塔の連中も、この世界の民も、あなたには逆らえなくなるというのに」

 

「ヴァール……」

 

 ヘルが哀れむ様な顔で、ヴァールを見つめた。ヘルは、硝子の様な自分の手をヴァールの頭にそっと乗せると、優しく撫でた。

 

「あたしもねえ、昔だったらそんな野心を持てたが、すっかり老いてしまったの。心も体もね」

 

「そんな……。ヘル様は昔と変わっておりません。むしろ老いたのはソールでございましょう。ヘル様と同じ硝子の体を与えられたというのに、あの女はすっかり老い、昔ほどの力もありません」

 

「老いたのさ。色々あったからね」

 

 ヘルの手が、少女の頬を愛撫する。ヴァールにとって、こうしてヘルに撫でられる時が、至福の時間であった。今はヘルに対する不満が、それを歪めてはいたが。

 

「あたしの可愛い子。そなたは昔と変わらず可憐で愛らしい。本当はね、あたしでもスノトラでもない、そなたにこの世界を譲りたかったのさ」

 

「そんな、勿体ないお言葉でございます……」

 

 ヴァールは内心困惑していた。この眼の前にいる活気のない老婆の如き様子のヘルが、本当にあの野心に燃え、己の欲望を顕わにし、自らを唯我独尊の如く振る舞っていたヘルと同一人物なのだろうか。しかし、ヴァールに対してのみ表すこの温もりは、紛れもないヘルのもの。

 

 ヘルがヴァールから手を離し、改まった様子で、語る。

 

「それにね、今だからこそ言うけど、ソールどころか、侵略者とも争っている場合じゃ無くなってきているのさ」

 

 ヴァールが怪訝な顔でヘルの顔を見た。

 

「妾の同胞、ミッドガルズも知っているが、間もなくこの世界を【虚無】と呼ばれる者達が襲いに来る。もう、今すぐ出現してもおかしくないところまで来ているのさ。現にその尖兵が姿を現している。皆が力を合わせて、この共通の敵を迎え撃たねば、生き残る術はない」

 

 それまでとは一変した、厳しく真剣な面持ちのヘルを目の当たりにして、ヴァールは若干怯えの色を表した。ヘルは安心させる様にヴァールの白い頬を撫でた。

 

「ヴァール。妾はそなたに生きていてもらいたい。この世界の中で。だからこそ、妾はソールに協力するのさ」

 

 ヴァールはヘルを見つめ、強い口調で言った。

 

「仰せの通り、フェンリルの封印を解きに参りましょう、ヘル様。しかし、私は今でもこの世界がヘル様の手で支配される時を夢見ているのです。そのことをお忘れなきよう」

 

 ヴァールが祭壇を登っていった。ヘルは黙って、ヴァールの後から祭壇の上へと進んでいく。ヴァールを中央に立たせ、術の行使を始めた。

 

「ヴァール。今から、そなたをこの戦場から遠く離れた地へと転移させる。フェンリルの封印されている場所は覚えているね」

 

「はい、ヘル様」

 

「そなたも長い間スノトラの下で暮らして、肩身の狭い思いをしていたのであろう。そなたをまた遠くにやること、許しておくれ」

 

 空間を、白く長いリボンの様な物体がさ迷った。この術は、主に外敵を彼方へと飛ばす為のものであったが、ヘルはそれを制御して、対象を任意の場所へと転移させる為にも用いていた。

 

 その物体がヴァールの細い体を包み込むと、その場に次元の歪みが生じた。やがて、ヴァールの体が周囲の空間ごと明滅し、掻き消えた。

 

 一人残されたヘルは、祭壇に置いてあった術具を片付け、ゆっくりと下りていった。

 

「この戦い、乗り越えられないかもしれぬ。ヴァール、そなただけでも生き延びて欲しいの……」

 

 ヘルはそう呟くと、部屋を出た。

 

 

 

 結界に亀裂が奔った。大剣を持ったイグドラシルが門の前に立ちはだかり、斬りつけたのである。リンとグナが必死になってこれを食い止めようとしたが、雪崩れ込むようにして押し寄せてきた無数の動器や騎士達が妨害し、亀裂をふさぐ隙も無かった。

 

 遠くの方で、塔の防衛の要であるマン・モールが倒れた。劣勢に回っていたヴァルハランスであったが、無数の機械達の援護を受け、マン・モールを打ち倒したのである。

 

 虫の息になっているマン・モールを救う為、スミドロードを始めとする獣達が、倒れたマン・モールに群がる機械達に捨て身で襲いかかった。ヴァルハランスにも、死に物狂いの獣達が次々と襲いかかる。先の戦闘で多くの損傷を被ったヴァルハランスは、この獣達を追い払おうと、懸命になって槍を振りまわした。

 

 結界の裂け目から、凄まじい衝撃波が起こり、イグドラシルは吹き飛ばされた。その後から真紅の剣を持ったスルトが、ただ一人生き残っていた部下の巨人と、無数の動器達を従え、イグドラシルがつくった裂け目へ向かって突き進んだ。

 

 ヘルが後方から魔力の波動を送り、スルト達を吹き飛ばそうとしたが、スルトの持つ真紅の剣がこの波動を防いだ。ヘルは知らなかったが、スルトの持つ剣、レーヴァテインはヘルの底知れぬ魔力と同様に、彼がロキから与えられた物であった。

 

 スルトのレーヴァテインが結界に生じた裂け目を切り開いていった。リンとグナは目前の恐怖を堪え、侵略者を討つべく、獲物を構えた。

 

 その時であった。

 

 上空に次元の歪みが出現した。次元の歪みは急激に拡大し、近くにあった機械の船を次々と呑み込んでいった。その虚空の中より出現する白き影。あの鯨や鋼翼魚達と戦った虚龍であった。

 

 それと共に、あの漆黒の狼達が地上に出現した。狼達は、その強靭な肉体で、獣達と機械達を無差別に襲い始めたのである。地上を獣と機械の悲鳴や怒号が入り混じり、瞬く間に、獣と機械が混在した屍の山が築かれていった。

 

 虚龍の口から閃光が放たれ、世界そのものを穿つ如く、地面に突き刺さった。直撃を受けた獣と機械は一人残らず消滅した。宙を飛ぶ動器の群れが、虚龍を食い止めようと殺到していったが、虚龍の翼で吹き飛ばされ、何とか掻い潜って懐に飛び込んだ者達は、虚龍の背に乗っていた機人が放った熱線によって消え去った。

 

 地面に突き刺さったままになっている閃光が、大地を滑る様にして塔へと直進していった。途中にいた動器の群れが次々と消滅していく。

 

 リンとグナの悲鳴を聞き、虚龍の出現に我を失ったまま、上空で静止していたニヴルヘイムが我に返り、門の前へと急降下していった。

 

 閃光が門を直撃する。

 

 門は跡形も無く消滅し、スルトも部下と共にその閃光を受け、頭部を残して消滅した。

 

 リンとグナは間一髪のところでニヴルヘイムに助け出されたが、塔のそばで放り出された後、ニヴルヘイムの姿を見た二人は茫然となった。ニヴルヘイムは虚龍の閃光を受け、翼を備えた胴体の一部と頭部しか残っていなかったのである。ニヴルヘイムは地面にうつ伏したそのままの姿勢で、息絶えた。

 

 門の消滅とともに、残っていた結界も消えた。虚龍は塔へと接近していった。

 

 虚龍の背後より、聖堂をその身で支えた光輝く竜が現れた。輝竜殿ブレイザブリクである。

 

 ブレイザブリクは咆哮し、虚龍に向かって光の弾丸を放った。虚龍を背後から貫く筈の弾丸であったが、それらはすべて虚龍の背後に突然出現した虚空に呑まれ、消えていった。

 

 ブレイザブリクに乗っていた獣達は、未だ事態を呑み込めず、混乱していた。ただ一人、ウル・ディーネは冷静に眼の前の虚龍を見つめていた。

 

「あれは【虚無】……。とうとうこの時がきてしまったのですね」

 

 絶望の未来に怯え、スクルディアがハティにしがみ付いたまま震えていた。スクルディアを落ち着かせようとなだめていたハティであったが、聖堂の吹貫きより覗ける虚龍の方を見て、思わず叫んでいた。その声は、ブレイザブリクが再び放った光の弾丸の轟音によって掻き消えた。

 

 光の弾丸は先ほどと同じく、虚空に呑まれていった。虚龍の背に乗って虚空を創り出している、熱線を放った者とは別の人物。ハティはその姿に見覚えがあったのである。

 

「ハクさん」

 

 再び叫んだハティの声が届いたのであろうか、虚龍の上にいたその人物がハティの方を見やり、二人の眼が合った。その人物は、哀しい感情の籠った眼をしていた。

 

 

 

 

 塔の中にいた一人の道化が窓から外の光景を覗き、釘付けになっていた。

 

「ル・シエル様……。どうして……」

 

 その道化――クウはもう二度と会えないと思っていたル・シエルが、何故眼の前に出現し、この世界の同胞達を滅ぼそうとしているのか理解できなかった。

 

 道化は、塔の中の螺旋階段を駆け下りていった。こんなこと、止めさせなければならない。ル・シエル様が、この世界を滅ぼすなんて嫌だ。

 

 

 

「姉さん、それにスクルディア。すぐ側にあなた達を感じます。来てくれたのですね」

 

 ベル・ダンディアが呟いた。それに応え、ウル・ディーネの意思が伝わってきた。

 

「ええ。分かっています。では姉さん、スクルディア、共に力を合わせましょう」

 

 ソールの側にいたベル・ダンディアが両手を広げた。手から光の波が伝わり、あらゆる物体と空間を通り抜け、ブレイザブリクの上にいるウル・ディーネとスクルディアのもとにまで届いた。

 

 光の帯に挟まれ、虚龍が動きを止める。その背に乗っていたアルブスが、憎らしげにその波打つ光の帯を見やった。

 

 故有ってベル・ダンディアのもとを離れて暮らしていた、ウル・ディーネとスクルディア。その三姉妹が、今この地に集った。自分達に課せられた使命を果たす為に。




関連カード

●銃騎士ヘビーバレル
武装。
フレーバーテキストでは歌姫の塔の最上部を狙い、弾丸で貫いている。

●鎧装獣グリン・ブルスティ
甲獣・巨獣。
鋼の角を持つ鎧装獣。
グリンブルスティとは北欧神話に登場するフレイの乗り物でもある猪の名前。

●氷の魔女ヘル
氷姫。
塔の古井戸より現れ、歌姫の窮地を救った。
背景世界では多くの役割を持っており、フレーバーテキストにおいても「氷の魔女」という単語が散見される。
初期の白の世界におけるキーパーソンと言える。

●白銀の守護者リン
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第12節。
「絶望の響きを聴いてしまった」とあり、歌姫は守護者の腕の中へ崩れ落ちた。

本章では自ら塔の外へ打って出て戦う氷姫として登場。

●風花の戦乙女グナ
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第12節であり、白銀の守護者リンの続きと思われる。
歌が消えた状況でもあきらめない者達を前にして、ロロが何かを決意をする場面。

●六花の司書長サーガ
氷姫。
フレーバーテキストでは「知恵の泉」と称され、侵略者が敵から味方に変わっている様子がうかがえる。



●ドリームリボン
マジック。

本章ではヘルがヴァールを遠方に送る為に使用。
本来は外敵に対して使う呪文でもあった。
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