消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第二十一章 虚神の影

 三姉妹の項

 

 

 空帝竜騎プラチナムが虚龍に迫るあらゆる物理的攻撃を遮断し、白亜の竜使いアルブスが虚龍の内に眠る底知れぬ能力を引き出す。そして、三位一体の力を虚龍、空帝ル・シエルが集約し、圧倒的な破壊と滅びの力で以て制圧する。

 

 これが龍帝と竜騎の力である。もっとも、プラチナムとアルブスの不和、ル・シエルが既に心を失った神の傀儡であることもあり、本調子には程遠いのであるが。

 

 虚龍の息吹は、圧倒的な威力で獣と侵略者の双方を蹂躙した。幸いにもイグドラシルや氷の姫君たちが新たに創り出した防壁が多少なりとも通用し、全滅は免れた。それでも、そうなることを見越していたかの様に、暴走する漆黒の狼の群れが獣と侵略者を無差別に襲い、防壁が乱された。

 

 皆の希望となっているのは諦めずに声を送る歌姫、そして叡智秘めし三姉妹であった。

 

 三姉妹の紡ぎ出した光の帯は虚龍の動きを妨害し、帯から地上へと滴り落ちる無数の光の雫が、生きとし生ける者たちに命の輝きを与えた。生き残った獣だけではなく、その場に居合わせた機械もまた、この雫をその身に受け、失いかけていたコアの活力を取り戻した。

 

 滅びの未来を奪い、生命を育む。三姉妹の真なる力である。

 

 虚龍の出現と、再び現れた漆黒の狼の群れによって、獣と機械はお互いに争っている場合ではなくなっていた。一瞬でも気を逸らせば、狼に喉笛を噛み切られ、上空より迸る滅びの閃光で消滅させられる。動器たちは塔への進軍を諦め、上空の虚龍を警戒しながら、心を失った狼達との戦闘に専念していた。

 

 イグドラシルは、獣も機械も区別せずに皆を防壁で包んだ。混乱するこの状況で、誰もそれを咎める者などいない。自分が屠ってきた者たち、それらの存在を脳裏に焼き付けたあの熊、その者たちにとっての仲間の力となること。イグドラシルが内心望んでいたことであった。

 

 イグドラシルと歌姫の防壁に守られながら、マン・モールがゆっくりと上体を起こした。もはや力尽きる寸前であった筈のマン・モールの瞳には、活力が戻り、漲る命の光で輝いていた。三姉妹の助力によって、生命力を取り戻したのである。マン・モールが持つ太古の魔力が周囲に拡散し、同胞たちにさらなる力を与えた。

 

 激戦の最中、スルトが意識を取り戻した。体の大半を失い、動ける状態ではない。しかし、ロキから渡されたレーヴァテインが液状の姿となり、コアを虚龍の閃光から守護してくれたことで、致命傷は避けられた。スルトは周囲の状況を確認しようと、意識を廻らせた。

 

 天空の虚龍と地を駆ける得体の知れない狼を相手に、獣と機械がいつの間にか協力し、抵抗を続けていた。その中にはガウトやヒルドの姿もあった。上空に舞い上がり、聖堂を背負った竜と協力して虚龍に挑んでいるのは、ヴァルハランスである。そして、上空から降下してくる、十一体の巨人たち……。

 

「ロキの魔神機だと。ロキは使用権を剥奪された筈だ」

 

 その魔神機の軍勢を率いる様にして、四つの足を備えた獣の如き下半身を持ち、槍と盾で武装し、若干青みがかった鉛色の、甲冑の様な装甲に身を包んだ機人が降下してきた。スルトはその者を知っている。人馬機兵アトリーズであった。

 

「アトリーズ……」

 

「彼、アトリーズはぼくの良き理解者でね。内部に協力者がいるなんて、君も気づかなかっただろう、スルト」

 

 スルトが視線を動かすと、その場に佇むベビー・ロキの姿が視界に映った。

 

「ロキ……。このおれを笑いに来たのか」

 

「助けに来たんだよ。親友の君をね」

 

 ベビー・ロキがそう言うと、魔神機のうち一体が、スルトの側に着地し、レーヴァテインに包まれたスルトを抱え上げた。

 

「今更、役立たずのおれを助けてどうしようと言うのだ……」

 

「いや、君には既に新しい体の用意は出来ているよ。君の持っているレーヴァテインと共にね」

 

「ロキ。あの化物がお前の言っていた真の脅威なのか……」

 

「確かにあれも【虚無】だ。だけど、この世界すべての危機はこれから始まるんだよ」

 

「……礼は言っておく。恩にきる」

 

 スルトを抱えた魔神機が飛び立とうとした。その刹那、一つの白い影が空間を横切り、魔神機の両腕が切断された。魔神機の腕ごと墜落するスルト。液状のレーヴァテインが変形してスルトを包み込み、墜落のショックは抑えられた。

 

 金剛の如き鎚を持つ一人の機人が立っている。地に落ちたスルトがその姿を見て、あっと言った。

 

「ヴァルグリンド……」

 

 ヴァルグリンドはスルトを見つめながら冷たい笑みを浮かべた。

 

「スルトよ。お前には感謝しているぞ。これでようやく、この世界を滅ぼすことができるわ」

 

「何を言っているのだ、お前は……」

 

「ご苦労だったな、スルト。後は休め、永遠にな」

 

 ヴァルグリンドが鎚を一閃させると、白銀の波動がスルトを襲った。その瞬間、ベビー・ロキがスルトの前に仁王立ちとなり、それを正面から受けた。ベビー・ロキの体が砕け散り、周囲に飛散した。

 

 端末の一つとはいえ、ロキが自分を庇った。感傷に浸る暇も無く、ヴァルグリンドが更なる追撃を行おうとした瞬間、両腕を失った魔神機がヴァルグリンドに襲いかかった。不意を突かれ、その魔神機に手こずるヴァルグリンド。その隙に、いつの間にかスルトの傍に来ていたもう一体の魔神機がスルトを持ち上げ、上空に飛び立った。

 

 側にいた狼の一体を使役することで、魔神機を破壊したヴァルグリンドは空を見上げた。もはや、スルトへの興味はない。見ているのは、空帝ル・シエルと、天を伝わる光の帯であった。そして、ル・シエルに挑む魔神機の群れとヴァルハランスの姿。

 

「さすがに任せてはいられぬか」

 

 ヴァルグリンドが、持っていた鎚を冷たい地面に叩きつけた。それと共に周囲の空間に亀裂が奔った。大地が震動し、空間が軋む。世界そのものが悲鳴を上げているような有様であった。

 

 空という空、大地という大地に突如鋼の機人の群れが出現する。それに混じって、さらに緑や黒の粘土状の物体が溢れだす。異界の軍勢は瞬く間に空と大地へと溢れていった。

 

 ヴァルグリンドが、傍に降り立ったデュラクダールを見やると、透かさず言った。

 

「デュラクダール、これはどういうことだ。お前に与えた軍勢は、まだまだこの程度のものではなかった筈だ。それに実体化すら出来ない者が多すぎる」

 

 デュラクダールは頭を垂れ、詫びた。

 

「申し訳ございません。何者かの妨害に合い、同胞たちの実体化がどうにもままならないのです」

 

「ちっ。ロキだな」

 

 ふと、ヴァルグリンドはある者の存在に気がついた。全身を白と青の道化師の衣装で覆った小柄な人物。塔から出てきたその道化は、制止するリンとグナの声も聞かず、真っ直ぐにヴァルグリンドの方へと駆けてきた。ヴァルグリンドは周囲の狼に指示を出し、その道化を襲わせないようにした。敢えて、そのようなことをしたヴァルグリンドの顔には、僅かだが、失望の色が浮かんでいた。

 

「ヴァルグリンド様」

 

 道化はヴァルグリンドの前に立つと、仮面の下で息切れをしながら、その名を呼んだ。

 

「ほう、誰かなお前は」

 

 既に正体を見通しているヴァルグリンドは、敢えて尋ねた。

 

「あなた様に命を救って頂いた、クウでございます。ヴァルグリンド様、何故あなたはこのようなことをなさるのですか。今すぐ、ル・シエル様を止めてください」

 

「それは出来ない相談だな。クウ」

 

 ヴァルグリンドの持っている鎚が一閃した。クウには一瞬何が起こったのか分からなかった。見ると、自分の胴体が大きく抉れていた。クウは声も上げずに、その場に倒れた。

 

「ど、どうして……」

 

 地に伏したクウの救いを求めるような視線はヴァルグリンドから、傍らのデュラクダールへと移った。デュラクダールは若干暗い面持ちとなると、眼を逸らした。

 

「脆いな、あまりにも脆い。【勇者】、貴様にチャンスを与えてやったというのに、がっかりだよ。これ以上待っていても無駄なようだ。早々にソールの首を取り、目障りな虫けらどもの掃除に取りかからねばな」

 

 ヴァルグリンドの言う【勇者】が意味するものは分からなかったが、ヴァルグリンドの異常な変容を、クウは知った。

 

「あなたは……何故こんなことを。ぼくの知っているヴァルグリンドとは……まるで」

 

 苦しむクウの腕を、ヴァルグリンドが踏みにじった。クウは悲鳴を上げる気力もなく、微かに呻いただけであった。

 

「お前を助けたのが、本当にヴァルグリンドだったとでも思っているのか。ははは。違うな、お前はヴァルグリンドという男を知らない。奴は己の保身ばかりを気にする器の小さい奴だった。もっとも、その能力は高かったから、今でもこうして利用してやっているのだがね」

 

「そんな……まさか、お前は……」

 

「神ともあろうものが、愚痴を言われただけで、一々お触れなど出すとでも思っていたのか。お前をこの世界に送り出す為の口実に過ぎなかったのだよ。アルブスとの不和を増幅させ、帝を罪に問うという意図もあったがな」

 

 クウが弱々しく道化の仮面の中で、口を動かした。もう、声を出すだけの力も残ってはいなかった。

 

「そうだよ。では、我自らこの世界に赴くとしようか」

 

 ヴァルグリンドが鎚を中空に突き立てた。空間に突き刺さった鎚の周囲がひび割れ、次元が破壊されていく。顕わになった異次元の奥底から垣間見える巨大な白い獣の姿。万物を【虚無】へと導く虚神の威光が放たれた。

 

 ヴァルグリンドがその虚神の姿を真正面から見据える。傍らのデュラクダールが恭しくひれ伏した。

 

「さあ、この世界に住まうすべてのものどもよ。見るがいい、我の姿を。【虚無】がこの世界を覆う時は間近に迫っておるぞ。はははは」

 

 哄笑するヴァルグリンドの目前で、虚神の冷たい双眼が光った。

 

 

 

(とうとう、この時が来てしまったんだね……)

 

 ロキが微かな音を出した。

 

 無数の超時空重力炉。虚無の軍勢が溢れ出る入口を潰し、あらゆる物質をエネルギーへと変換させる。これにより、虚無の軍勢の出現を最小限に食い止め、この世界に実体化しようとする虚無の軍勢のエネルギーを霧散させ、実体化を阻害する。これこそが、ロキが迫りくる【虚無】に対抗する為に用意していた、一つめの切り札であった。

 

(【勇者】が誕生すらしていない今、虚神が実体化したら、勝ち目は万に一つもない。この超時空重力炉を総動員させてでも防がなければならないな)

 

 ロキはミッドガルズとヘルの生体反応を探った。二人とも無事なようだ。だが、ミッドガルズの方では、事態を理解していない獣と機械の戦いが続いていた。早く止めさせなければならない。

 

 ロキはアトリーズの部下である機人たちの協力を得て、上層部に訴えでる準備を固めていた。

 

 

 

「あれは……クウ」

 

 プラチナムが弟の気配を感知し地上を見やると、ちょうど一人の道化がヴァルグリンドの前に辿り着いたところであった。そして次の瞬間、道化がその場に倒れ伏すのが見えた。

 

 プラチナムが咄嗟に大剣を構え、地上に降り立とうとすると、背後からアルブスに肩を掴まれた。

 

「どこへ行く気だ。持ち場を離れたら、帝がどうなるか分かっているのだろうな」

 

 プラチナムはアルブスを睨み返した。アルブスは冷たい眼で見返しただけであった。

 

「そうら、次が来たぞ。お前の出番だ」

 

 魔神機たちが放った無数の光弾がル・シエルに迫っていた。プラチナムは大剣を一閃させ、巨大な虚空を周囲の空間に創り出し、すべての光弾を消滅させた。

 

(すまない……クウ。わたしはお前を姉として護ってやることができなかった)

 

 機械と化したプラチナムは涙を流さない。内に秘めたる悲しみは行き場もなく、プラチナムの心を埋め尽くしていった。

 

 三姉妹によって動きを妨害されたうえに、ヴァルハランスと無数の魔神機に囲まれ、さすがのアルブスも危ぶんだが、ヴァルグリンドがすぐに手をうってくれた。異界から出現した虚無の軍勢にたかられ、ヴァルハランスと数体の魔神機は地に落ちていく。後は、残った魔神機と、しぶとく寄ってくる動器たちを始末すれば良い。

 

「さあて、狩りを楽しもうじゃないか。え、プラチナムよ」

 

 

 

 虚無の軍勢は、ブレイザブリクにも襲いかかった。ブレイザブリクは結界を張って侵入を防ごうとしたが、フレイアが搭乗していない状態では、十分な結界を張ることはできない。たちまち、無数の虚無の軍勢に取りつかれた。

 

「ウル・ディーネ殿。これ以上は持ちませぬ。一旦、地上へ下り、同胞たちと合流してもらいますぞ」

 

「分かりました、ブレイザブリク」

 

 この場を離れては、ベル・ダンディアが紡いだ力が解れてしまう。だが、致し方なかった。

 

 地上へと降下していくブレイザブリク。その背では、侵入してきた虚無の軍勢と獣たちの戦闘が繰り広げられていた。グリン・ブルスティの指揮の下、数々の実戦を経験してきた猛者である獣たちが、聖堂の中にいるウル・ディーネとスクルディアを護りながら、得体の知れない敵を次々と打ち倒していった。その中にはハティの姿もあった。

 

 ハティの脳裏には、虚龍の背に乗っていたハクの姿が焼き付いて離れなかった。ハクは自分を道化だと言った。だが、ハティは、ハクがもっと違う、この世界に置いて重要な役割を担う存在であるような気がしていた。この世界の事情を知り、まるであの三姉妹や氷の姫君の様な力を持つ、不思議な存在。それがどういう訳か、ハクはあの虚龍とかかわりがあるらしい。

 

 ハクがこの世界の敵……。万物の敵……。

 

 ハティの頭の中に、スクルディアの意思が響いた。咄嗟に振り返ると、丁度、ハティの背後で、侵略者と酷似した姿の機人が刃を振り上げたところであった。ハティは爪でその機人の腕を切り裂き、その場に打ち倒した。倒れた機人は、こぽこぽと音を立てながら崩れていき、緑色の粘土状の物体へと変化していった。

 

「スクルディア様、ありがとうございます」

 

 ハティは気を取り直し、未だ溢れて来る得体の知れない敵へと牙を向いた。

 

 ぼくは誓ったんだ。スクルディア様を守ると。例え、ハクさんが敵になろうと、ぼくの決意は変わらない。変えてはいけないんだ。

 

 程なくして、ブレイザブリクは破壊された門の残骸の傍へと降り立った。

 

 

 

「姉さん、スクルディア……」

 

 せっかく紡いだ力が解れてしまった。ベル・ダンディアの腕が下ろされた。

 

「ベル・ダンディア、わたしはこれからブレイザブリクのもとへ向かいます」

 

 傍らにいたフレイアが言った。

 

「え。ですが、今はこの場でソール様に協力した方が……」

 

「いえ、ブレイザブリクの聖堂でこそ、わたしは存分に力を振るえるのです。こうしてブレイザブリクが来てくれた以上、わたしがこの場に止まっている必要はありません」

 

「そうですか……」

 

「あなたも来てください、ベル・ダンディア。これ以上ソール様が歌を続けていては、ソール様のお身体が持ちません。塔のことはヘル達に任せて、わたしたちは外のブレイザブリクのもとへ向かうべきです」

 

「……分かりました。では、お供します」

 

 ソールの歌声を増幅させる為にその身を削っているフレイが、フレイアに目配せをした。フレイアは黙って頷く。姉の期待、いや、この世界の仲間たちの期待に応えなければ。

 

 ソールの隣をフレイとフリッグに任せ、二人は部屋の出口へと向かった。そこに立ってソールを見守っていたマーニと眼が合い、ベル・ダンディアは頭を下げた。

 

「ベル・ダンディア……。頼むわね」

 

「ええ、マーニ。ソール様のこと、任せたわ」

 

「気を付けてね」

 

 ヘルと対面した時、マーニは驚くほど冷静であった。ひょっとしたら、ヘルの協力を、マーニも心の奥底で望んでいたのかもしれない。ソールを支え、これまでの生涯の大半をソールと共に過ごしてきたマーニ。彼女は、笑顔でベル・ダンディアを送り出した。

 

 ベル・ダンディアが、ミッドガルズとアインホルンと共にこの塔へと戻ってきてから、初めて見るマーニの笑み。ベル・ダンディアは、内心ほっとしながら、マーニと別れた。

 

 

 

 スミドロードは道化が倒れているのに気がつくと、襲い来る虚無の軍勢や、狂った狼たちを払いのけ、急いで道化のもとへ駆けていった。側にいる二人の機人、その片方はあの聖域で戦った、デュラクダールと名乗った人物であった。スミドロードはその二人を一瞥しただけで、道化を素早く咥えた。ヴァルグリンドはスミドロードを無視し、デュラクダールも一瞬スミドロードを見やっただけで、彼に従った。

 

 スミドロードは振り返り、急いで塔へ戻ろうとした。そして目前の存在に茫然となった。

 

 駆けて来た方向からは見えなかったその存在が、今、はっきりと見えた。巨大な青い翼を両方に備えた、白銀の獅子の如き勇ましい体格。蒼い刃を備えた冷たい角。蛇の様に滑らかで、不気味な光沢を持つ尾。半ば機械と化したその体は、この世界の獣たちを思わせたが、あまりにも禍々しく、それでいて異彩を放つ全身は、その内に秘められた神々しさも認めざるを得なかった。

 

 スミドロードは、一目見ただけで、強烈な畏怖の感情に捕らわれ、足が竦み、その場で硬直してしまった。これほどまでに恐ろしい存在を未だかつて見たことはない。

 

 周囲に群がる得体の知れない軍勢に気がつくと、スミドロードは無我夢中で疾走した。傷ついた道化の体を気遣う余裕すらなかった。それでも、道化を振り落とさないように、必死にくわえ、駆けた。恐ろしい、あれは神なのか。あんなものを相手にして勝ち目などあるというのか……。

 

 空間を突き破り、出現する虚神。だが、ヴァルグリンドの表情は思わしくない。

 

「主よ、如何なさった」

 

 デュラクダールは現れた虚神ではなく、傍らのヴァルグリンドに向かって尋ねた。虚神からは意識が感じられなかったからである。

 

「……。完全には実体化できなかった。ロキめ、よもやあやつがここまでやるとはな」

 

「……では、一旦退却なさいますか」

 

「いや、その前にこの世界の者たちに一時の絶望を与えてやろう。ひょっとしたら、【勇者】という最大の獲物が覚醒するかもしれぬぞ」

 

 主は、先ほどから【勇者】の出現を望んでおられる。何故なのだ。【勇者】は主にとって最大の障害となるかもしれぬというのに……。

 

 デュラクダールには、そのことがどうしでも腑に落ちなかった。

 

 

 

 上空の魔神機が全滅した。残るはヴァルハランスと共に戦う三体のみ。ヴァルハランスは、予期せぬ仲間の出現とはいえ、まだ側にいる魔神機を頼もしく思った。

 

「ヴァルハランス殿」

 

 ヴァルハランスの名を呼びながら駆けて来る、半獣半人の如き姿の機人、人馬機兵アトリーズ。アトリーズは、ヴァルハランスの前で立ち止まった。

 

「虚無の軍勢の大半は、ロキ殿が超時空重力炉で食い止めました。残っている彼らとて長居は出来ぬ筈。もう一息です」

 

「虚無の軍勢……、そうか、あいつらのことだな。超時空重力炉とは何なのだ」

 

「超時空重力炉は、ロキ殿がこの世界と、我々の故郷との間にある次元の狭間に設置した、虚無の軍勢の実体化を妨害する為の物です」

 

「やはり、ロキは事態を見越していたのだな」

 

 この世界と機械たちの故郷は門で繋がっている。その間の次元の狭間には果てしない無が広がっていると言われているが、それを見た者はほんの一握りの者であった。その空間に炉を設置するなど、普通は考えられないことであるのだが、あるいはロキならそれも可能であろう。ヴァルハランスは妙に納得していた。確かにそこなら、得体の知れない虚無の軍勢とやらを相手にしても、絶好の隠れ蓑である。

 

「ヴァルハランス殿。あなたは、急いで塔の側へ向かい、氷の魔女ヘルと会ってください」

 

「塔へだと……ヘルとは何者なのだ」

 

「ヘルはあの氷の魔女。彼女の協力を得るのです」

 

「我々はこの世界を侵略しにきたのだぞ。今更、そんなことができるものか」

 

 虚龍の動きが慌ただしくなる。光の帯が消え、虚龍は力を取り戻しつつあった。

 

「大丈夫、ロキが手を打ってくれています。今のあなたでは、あの虚龍には太刀打ちできません。あなたは、ヘルの魔力と共闘して、初めて真の力を発揮できるのです」

 

「真の力……。私はクイーンによって完成された肉体と力を得た身の筈……」

 

「我々はコアを持つ生命体。本来、その力は成長し、変化し続けるものなのです。あの獣たちのように。あなたには、あなたやあなたの制作者ですら知らない、底知れぬ未知の力が秘められているのですよ」

 

 上空の虚龍の口から、青白い滅びの閃光が放たれた。閃光は真っ直ぐにヴァルハランスの方へと向かってきた。瞬時にアトリーズが盾を構え、ヴァルハランスに迫っていた閃光をその身に受け、それを防ぎきった。

 

「急いでください。私が抑えている間に早く」

 

 アトリーズの有無を言わさぬ迫力。ヴァルハランスは彼の意志を無駄にしない為にも、意を決すると、塔へ向かって飛び立った。

 

 ロキから与えられた装甲のおかげで、何とか消滅は免れた。だが、今の一撃で体中が悲鳴を上げているのがよく分かる。アトリーズは微かに笑みを浮かべていた。これが自分の役割。時を稼ぐことで、同胞たちを勝利へと導くのだ。

 

「さあ、虚龍よ。来るなら来い。私の存在を賭けて、ここを護り通して見せようぞ」

 

 虚龍を睨むアトリーズの傍らに、生き残った魔神機たちも集まった。決死の覚悟のアトリーズに向かって、虚龍は更なる閃光を放った。

 

 

 

 現れたのは虚神の影。それでも、獣と機械に恐怖を与えるには十分であった。虚神が咆哮を上げるだけで、周囲の者たちは皆、己の存在が内から崩壊していくような感覚に襲われた。

 

 懸命に恐怖に耐えながら、無数の青い装甲を持った動器たちが近付いて行く。虚神を動かす熱量の発生源は傍らに居る機人、鍵鎚のヴァルグリンドである、ヴァルグリンドを破壊せよ。アトリーズはそう言っていた。その言葉を信じ、皆はヴァルグリンドに向かって進撃していった。

 

「ほう。我のもとへ向かってくるとは、良い度胸だ。では、我も応えてやらなければ失礼に値するな」

 

 ヴァルグリンドがそう言うと、虚神が巨大な両翼を振り上げた。周囲に滅びの衝撃が、眼に見えぬ津波のように広がっていった。その衝撃波を受け、進軍していた機械たちの魂の悲鳴が響き渡った。次の瞬間には、動器は一機も残らず、消滅していた。

 

「つまらん。まるで手ごたえが無いではないか。おや」

 

 ヴァルグリンドは、自分の側に駆けて来る二体の獣を見やった。青と白の装甲を備えた一角獣。それに、漆黒の体毛を備えた鹿の姿。

 

「なるほど、そう言うことか。面白い」

 

 虚神が動きを止め、ヴァルグリンドが一人で前に出た。デュラクダールもそれに続こうとしたが、ヴァルグリンドが片手でそれを制した。

 

「手を出すなよ、デュラクダール」

 

 デュラクダールは承服し、身を引いた。

 

 アインホルンとレインディアが並び、ヴァルグリンドと睨み合う。

 

「お前は、デュラクダール」

 

 アインホルンが、ヴァルグリンドの背後にいる機人を見て、叫んだ。前にブレイザブリクの背で戦った、ベル・ダンディアの命を狙っていた者。アインホルンの瞳に闘志が宿った。

 

「二人だけでよく来たな」

 

 ヴァルグリンドが言った。

 

「違うぞ、我々には心強い仲間が付いている」

 

 レインディアがそう言うと、突如、上空から一体の竜が舞い降りてきた。ミッドガルズと共に戦っていた筈の、装甲機竜ファーブニルである。そして、背後から響いてくる歌姫の加護、マン・モールとイグドラシルの力。今、獣と機械たちは強力な熱量によって満たされていた。

 

「なるほどな……。デュラクダールよ、お前の放った軍勢では、抑えきれなかったらしい」

 

「……申し訳ありません。かくなるうえは……」

 

 デュラクダールは刃を構え、獣たちの方へ近付こうとした。

 

「早まるな、デュラクダールよ。お前は一端、残った者どもを率いて撤収しろ。我はもう少し遊んでいく」

 

「……御意」

 

 デュラクダールの姿が瞬時に掻き消えた。ヴァルグリンドは獣たちの方へ向き直ると、笑みを浮かべた。

 

「さあて、試させてもらおうか。お前たちの力をな」

 

 ヴァルグリンドが鎚を構える。アインホルンとレインディアは鋼の角を構えた。上空にいるファーブニルが牙を向き、ヴァルグリンドに襲いかかろうとした。それを合図に、二体の獣がヴァルグリンド目掛けて突進した。

 

 ヴァルグリンドが鎚を前に突きだし、衝撃波を放った。二体の獣は角で以てそれを弾き、一気にヴァルグリンドに突きかかった。しかし、ヴァルグリンドを貫く筈だった角は、空を切った。

 

 二体の獣の背後に瞬間移動していたヴァルグリンドが鎚を振り上げた。すかさず、上空のファーブニルが背後からヴァルグリンドに飛びかかる。ヴァルグリンドはひらりとかわすと、鎚を振るい、それによって生じた波動でファーブニルを打ち払った。ファーブニルは、もんどりうって地を滑りながら吹き飛ばされた。

 

 余裕の笑みを浮かべるヴァルグリンドに向かって、すぐに態勢を立て直した二体の獣が突きかかった。ヴァルグリンドが鎚を振り下ろす前に、二体の獣の角がヴァルグリンドの胸に突き刺さる。一見、致命傷に見えるというのに、ヴァルグリンドは笑みを崩さなかった。

 

「まあ、こんなものかな。可哀そうだが、力の差があり過ぎるようだ」

 

 ヴァルグリンドの姿が消失した。見ると、先ほどからじっとしていた虚神の真上に、ヴァルグリンドが浮いている。奇妙なことに、先ほどの傷は跡形もなかった。

 

「では、我はこれで失敬するよ」

 

「待て、お前たちは何を企んでいるんだ」

 

 アインホルンが叫んだ。再び飛び上がったファーブニルがヴァルグリンドの隙を窺っている。

 

「お前たちが、生き延びたら知ることになるだろうさ。今、この瞬間を、な」

 

 虚神が翼を羽ばたかせた。周囲の空間が震える。

 

「この一撃を受けても、生き残るだろう。【勇者】ならばな」

 

 ヴァルグリンドの姿が掻き消える。それと共に、虚神が咆哮し、空間を凄まじい熱量が迸った。

 

 ほんの一瞬で、周囲にあったマン・モールとイグドラシルの守護が喪失した。空中のファーブニルが断末魔の咆哮と共に砕け散った。アインホルンとレインディアに向かって、見えない波動が迫る。アインホルンが咄嗟に、レインディアを庇おうとしたが、それより先にレインディアがアインホルンの前に飛び出した。

 

「そんな、レイン……」

 

 その刹那、砕けていくレインディアの全身が視界に映った。消滅していくレインディアの瞳が、アインホルンの眼を最期まで見つめていた。

 

 波動はそれでも収まらず、アインホルンの体を吹き飛ばした。アインホルンは、自分の身体がこの世界から消えていくのがなんとなく分かった。

 

 

 

 その波動は、塔の方にまで響いていた。万物の存在を揺さぶる滅びの震動。ブレイザブリクはこれを抑え込むべく、結界を広げていく。聖堂の内部には、フレイアと、三姉妹が力を合わせて、防壁と命の光を創り出していた。

 

 塔の前には新たな力のオーラを纏ったヴァルハランスが立ち、上空の虚龍を睨んでいる。傍らには、微かに原形を留めているアトリーズの亡骸があった。

 

 ヴァルハランスが飛び立とうとする前に、虚龍の姿が白夜の虚空に呑まれ、消え去った。デュラクダールから神の命令を伝えられ、引き上げていったのである。虚龍の背にいたプラチナムは、最後まで、この世界の惨状をその眼に焼き付けていた。悲しみと怒り、そして己の罪悪を憎む輝き。その眼を、地上にいるハティはしっかりと見つめていた。

 

 虫の息の道化をリンとグナに預けると、スミドロードはアインホルンのいる方へと駆けていった。そして、その場に倒れているアインホルンを見て、愕然となった。アインホルンには頭部と僅かな胴体しか残っておらず、その残った肉体も得体の知れないものに取りつかれ、燐光を放ちながら徐々に消滅しているのである。

 

 それでも、コアの輝きが微かに残っているのは、周囲に広がる三姉妹の加護によるものか。スミドロードはアインホルンをその背に乗せた。助かる見込みなど、到底あるとは思えなかったが、せめてベル・ダンディアたちのもとへ連れて行きたかった。

 

「ファーブニルが……消えて……レインディ……アも、わたしを……庇って」

 

 スミドロードの背で、アインホルンが弱々しく言った。

 

「いい、喋るな」

 

「私が消える筈……だった。それなのに……レインディア……が」

 

 消えゆくアインホルンの命の灯火の中で、レインディアが瞳で訴えたことが何度も反芻された。我が一族の誇り、お前に託す……。レインディアはそう伝えていたのであった。

 

 アインホルンを背に、スミドロードが走る。目前の絶望は取りあえず去った。だが、これからどうなるというのであろう。もし、機械たちが侵略を再開したら、もう打つ手などない。頼みの綱の歌声は先ほどから止まっている。ソールの体にも限界が迫っていたのであろう。

 

 スミドロードの脳裏に、あの虚神の姿が甦った。あまりにも強大で恐ろしい。もはやこの先に、希望などというものが存在するのであろうか。疾走するスミドロードは、自分の中から湧きあがってくる圧倒的な絶望を、懸命になって抑え込んでいた。




関連カード

●人馬機兵アトリーズ
馬の様な下半身を持つ武装スピリット。
フレーバーテキストは、
空帝ル・シエルの攻撃を受ける犠牲となることで勝機を作り出すという場面。

●機神獣インフェニット・ヴォルス
白の虚神。
フレーバーテキストでは歌姫の塔を虚無でのみ込んでいると思われる。
この後も歌姫たちは輝竜殿ブレイザブリクや無限なる軌道母艦に乗り込み、虚無の軍勢との戦いを継続している。



●超時空重力炉
名所千選602。
虚無の軍勢の入り口を潰すために開発された、侵略者たちの切り札の一つ。



●ハイエリクサー
マジック。
イラストではベル・ダンディア、ウル・ディーネ、スクルディアら、叡智極めし三姉妹が描かれている。

本章で三姉妹が協力する場面はこのカードが元になっている部分も多い。
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