消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第二十四章 光雨

『星創る歌声』

 

 

 歌の項

 

 

 満月の光に反射して、きらきらと輝く白砂に覆われた海岸に、澄んだ海水が静かに波打つ。砂浜に漂う微かな虹色の輝きが、さらわれていく砂と共に、海へと溶け込んでいった。

 

 誰かが唄う声が響いてくる。砂浜で一所懸命になって虹の輝きを創り続けている蟹たちがその動きを止め、歌声のする方へ向かって、吸い寄せられるようにとことこと歩いて行った。

 

 砂浜を少し登った先に、僅かに残された羊歯のような緑の植物が生い茂っている。その中に水晶が台座のように積み重なっていた。その上に腰を下ろし、月を見上げながら唄っている一人の道化の姿があった。

 

 蟹たちはこの道化の側に集まってくると、拝む様にしてその場にじっとしていた。いつしか、緑の中から、数匹の光虫たちも這い出てきた。

 

 この世界は歌によって創られたと伝えられている。今でも、魔力の籠った歌声によって世界は維持され、新たな活力の源が創られている。その為、歌声の主たちは皆から重宝され、最も大きな力を持っていたソールがこの世界の歌姫として崇められている。

 

 歌声は本来、中立を守るべき道化や、一部の竜たちが持っている能力であり、かつてはソールたち氷の姫君も道化であった。結果として、中立であるべきだった姫たちが権力を持つようになり、声を盗み、支配者となることを企てた氷の魔女ヘルの一味などの登場を招いてしまった。

 

 あの争いは、力ある道化が中立を破ったことに端を発している――ディースはそう考えていた。甲精ディースもかつては姫君たちの一員であったが、皆に担ぎあげられているソールを不憫に思いながらも、一人で抜け出し、知り合いである笛吹きのヘイムダルと同じく中立を守った。

 

 幸か不幸か、その為ディースはヘルの呪いから免れたのである。ディースと同じ境遇の姫たちもいたが、彼女たちが今はどうしているのか、ディースは知らなかった。

 

 ディースの歌声に導かれるようにして、巨大な竜が舞い降りた。竜はディースの歌声に聴き入ったまま、その場に腰を下ろしていた。しばらくして、ディースは唄うのをやめると、満月を見上げていた顔を下げ、竜と眼を合わせた。

 

「久しぶりね、アウローリア」

 

 アウローリアはくぐもった鳴き声を漏らした。

 

「姫様こそ、お久しゅうございます」

 

「もう姫とは呼ばないでって言ったでしょう。わたしも今では一人の道化」

 

「これはとんだご無礼を……ディース様」

 

 ディースはふうと溜息をつくと、諦めた顔でアウローリアに尋ねた。

 

「あなた……、ミストと話したそうね」

 

「ミスト……。なるほど、そうでございましたか」

 

 アウローリアは何事かを納得した様子で、頷いた。

 

「それで、このわたしをお訪ねになったというわけで」

 

「あの子からあなたのことを聞いて、何だか、急にあなたに逢いたくなったのよ。ただそれだけ」

 

 ディースは、澄んだ海の水平線を眺めた。この辺りの海は、珊瑚蟹や宝石虫たちのおかげで、異界よりの浸食を免れていた。

 

 海に注がれる川の上流から下流にかけて、様々な光虫たちが土と水を浄化し、海岸では無数の珊瑚蟹たちが虹の輝きを創り出し、浸食を食い止める。虹の輝きは空気と水に溶け込み、それらが風や雨に運ばれて循環することで、この辺りの地域の平和が守られているのである。

 

 アウローリアは珊瑚蟹たちと同じく、虹の輝きを持つ竜。外敵から皆を守護する彼は、世界の浸食を食い止める者にとっての希望の象徴でもあった。

 

「あなた様は、丁度良い時分にお越しになられた。今宵は満月。この地であれば、間もなく光雨を見ることが出来るでしょう」

 

「光雨、まだそれを見られる地があった……。あなたが、この地の者たちを助けてきたおかげね」

 

「救われているのはむしろわたしの方。この地に住まう者たちが、このわたしにも活力を与えてくれるのです」

 

「そうね……。世界の維持は彼らの役目。そして、わたしたち歌声の持ち主は綻んだ世界の修繕を担う者。ただ、役割が違うというだけで、その命の重さは皆同じ。だから決して驕ってはいけなかったのに……」

 

 ディースは悲しい眼で眼の前に広がる海を見ていたが、やがて海の上に浮かぶ満月の辺りから、一筋の光が零れ落ちたのに気が付くと、はっと息をのんだ。

 

「光雨……」

 

 満月から零れ落ちる光雨が海の上にぽつり、ぽつりと落ちていく。美しくも儚げな光景。侵略者が現れる遥か以前、姫たちが争い出す前は、今夜の様な満月の時には、世界中の至る所に光雨が降り注いだ。それが、姫の驕りにより世界が変動するにつれて姿を消していき、侵略者の出現で、ごく一部の地域でしか見ることが出来なくなった。

 

「光雨の減少と共に、この世界からは大切な何かが失われていった。そんな気がするわ」

 

「ですが、わたしたちにはまだなせることがある……、ディース様もそうお思いでございましょう」

 

「ええ、もちろん」

 

 光雨が、海に降り注いだ。蟹や光虫たちも、黙ってその光景に見入っている。光雨を吸い取った海の中で、虹色の珊瑚が煌めいた。

 

 しばらく黙って見ていたディースが、アウローリアの方を振り向いて言った。

 

「歌いましょう、アウローリア。今というこの時を祝して」

 

「そう仰ってくださるのを待っておりましたよ」

 

 ディースはアウローリアにほほ笑みかけると、ゆっくりと詠唱を発した。それに伴い、アウローリアが静かでいて、空間に染み渡るような声を響かせた。周囲をたゆたう虹の輝きが、二人の声に唱和するかのように空間を伝わっていく。

 

 光雨は、歌声に吸い寄せられるかのように、海岸沿いの方にも降ってきた。心地よい光雨の中で、ディースとアウローリアは歌い続けた。やがて光雨は止んだが、ディースとアウローリアは詠唱を続けた。

 

 蟹が次々と海の方へと戻っていき、光虫たちも少しずつ姿を消していった。歌声によって繕われた世界で、それぞれの役割を果たす為に。

 

 これから程なくして、侵略者たちによる世界の浸食は終わりを告げた。

 

 だが、変わり果てた世界を修繕するほどの歌声は、もはやこの世界には残っていない。ディースやアウローリアは決して力ある者ではなく、それ故に過去の大戦を生き延びたとも言える。本当に世界全体を動かすほどの力の持ち主は、反戦派のソールを除いて滅んだ。そのソールもヘルの呪いに蝕まれ、昔ほどの力は残っていないのである。

 

 そして目前に迫ってきている【虚無】。この存在を既に察知しているディースとアウローリアは、危ぶんだ。これまでの世界の変容で、過去の大戦と同じかそれ以上の犠牲者がでた。それを上回ることは避けようがない。

 

 どれだけの者が生き延びることが出来るのか、誰もいなくなるのか、何れにしろ、望まなくても世界は大きく変わる。

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