三姉妹の項
ソールはマーニに塔のことを任せ、護衛のヘイル・ガルフを伴い、塔を降りた。マーニを始めとする氷の姫君たちが彼女を止めたが、ソールの決心は揺るがなかった。侵略者の申し出を頼りにして和睦に応じるべく、直接対面しようとしたのである。
ソールが塔を出ると、待っていたリンとグナがソールを護るために、付いて行った。後方には、塔の窓から心配そうにソールを見つめるマーニの姿もある。
先ほどの得体の知れない存在との戦闘で、ニヴルヘイムとファーブニルが命を落とした。交信が途絶えたことでそれを知ったヘイル・ガルフは、沈痛な面持ちとなっている。命を賭したニヴルヘイムによって救われたリンとグナも同様であった。
防衛における最大の要である凍獣マン・モールは重傷を負いながらも一命を取り留めていたが、既にこのまま戦を続けても勝ち目など万に一つも無いことは明白である。もはや、この和睦に縋る他はなかった。
ウルと向かい合っていたベル・ダンディアがソールたちの気配に気づき、振り向いた。ウルが近付いてくるソールの方を向いて、恭しく礼をする。
「ソール様。お久しぶりでございます」
ウルの言葉に、はっとなるソール。眼前のウルの姿に見受けられる、あの白い道化の面影にソールはすぐに気が付いた。ソールの硝子の喉が言葉を紡ぐことも叶わずに、震えた。
「そうです、ソール様。彼、ウルはわたしの親友アインホルンであり、あなた様の塔で働いてきた、あの道化でもあるのです」
ベル・ダンディアがそう言うと、ソールの傍にいるリンとグナが驚き、二人で顔を見合わせ、それから訝しげにウルとベル・ダンディアを見た。
「ベル・ダンディア様の仰る通りでございます。わたしはあなた様にお仕えしてきた道化と鎧蛇の島の戦士アインホルン、それにかつて機械たちの勇者と呼ばれた存在が残した体をロキと言う名の機械が合成させて生み出した存在です」
すぐに呑み込んだソールと違い、リンとグナにとってその話は信じ難いことであったが、ウルの瞳には正しくあの道化と同じ輝きがあり、それに気圧されて口を挿むことができなかった。
ソールが片腕で合図をすると、傍らのヘイル・ガルフが前に進み出た。ヘイル・ガルフはベル・ダンディアやリンとグナには内容を理解できない奇妙な電子音性を発した。ミッドガルズとロキが対話をしたときと同じものである。
しばらく、周囲の者たちは黙ってヘイル・ガルフを見守っていたが、やがて電子音性が途絶えると、ウルは頷いてから答えた。
「有難うございます、ソール様、それにヘイル・ガルフ殿。すべて後方の仲間たちに伝えました。皆、あなた方がこの和睦に応じてくださったことを心より感謝しております」
その言葉を聞き、言葉を話すことの出来ないソールは笑顔で応えた。
ベル・ダンディアも嬉しかったのであるが、一方で寂しさも覚えていた。ウルの言った「仲間」とはつい先ほどまでの侵略者のことである。ウルが既にそちら側の住人であることを考えると、もうあの逞しくも健気なアインホルンが、ずっと遠くに行ってしまったような気がする。
ソールが無事に塔へ戻ると、獣たちは凱旋の喜びの如く賑わった。選ばれた獣と機械の幾人かがウルのもとへと集い、それぞれの作法に倣って相手に対して和を結ぶ意思を伝えた。
長く続いたこの世界の住人と侵略者の戦い。それが終わったことで獣たちの多くは喜んだ。だが、あの異界の存在を目の当たりにした者や、機械たちの心中には不吉な予感が取り付いて離れることはない。かつてない破局。それは目前に迫ってきているのである。
凍りついた樹々はそれでも命の輝きを失っておらず、それぞれが守護する命を育んでいた。樹木の内に籠る命の輝きは、その間を歩く少女の影をくっきりと浮かび上がらせた。
少女はヘルによって他方へと飛ばされた誓約の女神ヴァールである。ヴァールはヘルから与えられた使命を果たすべく、この凍りついた樹海の奥地を訪れた。この地にフェンリルがいる。それがもたらすものはヴァールには分からなかったが、ヘルを自分に振り向かせる為にはこれは必要なことであると、何度も心の中で自分に言い聞かせた。
気配がした。樹氷の奥から自分を探る何ものかの存在。ヴァールは瞬時に虚空から武器である鍵を取り出すと、身構えた。
「誰。出ておいで。さもないと」
ヴァールが鍵を振りかざすと空間が恐怖におののくかの様に振動した。側の樹氷に亀裂が奔る。ヘルに対する憤りを正体のわからぬ相手にぶつける勢い。
樹氷の間から一筋の白い光の帯がさ迷い出ると、ヴァールの全身を包み込み、その力を抑え込んだ。驚くヴァール。その様子を眺めていた何者かが、ゆっくりと姿を現した。
「相変わらずせっかちなのですね、ヴァール」
硝子の様な唇から紡がれる澄んだ声。結えてある白色の髪は、周囲の樹氷と酷似していた。白磁の様な肌の輝きは、塔に住んでいる氷の姫君や、ヴァールと同様のものであった。
「エイル……」
ヴァールが呟いた。エイルは軽く頷くと、ヴァールを包んでいた光を払い、ゆっくりとヴァールの側に歩み寄った。ヴァールは束縛から解放された後も微動だにせず、黙って彼女の方を向いていた。
樹氷の女神エイル。彼女は誓約の女神ヴァールと同じく、かつて道化であった氷の姫君たちとは違う、氷の魔女と呼ばれる古き一族である。
一族の中ではさほど甲羅を得ていないヴァールと比べると、エイルはヘルに次ぐほどの古株であった。それでも、永久凍土の如くその年を感じさせないエイルの姿は、ヴァールや氷の姫君たちとさほど変わらない。
「ヴァール、久しぶりですね」
ヴァールは若干不機嫌そうな顔つきとなり、エイルに向かって言った。
「あんたに用はないよ、エイル。あたしはヘル様の御命令で、この地に眠るフェンリルを呼びさましに来たんだ」
エイルはくすりと笑った。
「もちろん、知っていますよ。だからこそわたしはこうしてあなたを出迎えに来たのですから」
エイルは手招きをするとヴァールに背を向け、歩を進めた。ヴァールはしぶしぶと後に従う。
「その後、ソール様のご容体はどうかしら。マーニに渡した薬はちゃんと効いているでしょう」
医術を生業としているエイルは、忌み嫌われる魔女の一族であるにも関わらず、氷の姫君たちからは頼りにされており、塔の住人とも例外的に親しい間柄である。ソールの体を蝕む病を静める為の薬も、彼女が処方したものであった。
「知らないよ、ソールのことなんか。でも、あいつはしぶといから、大丈夫だろ」
ヴァールのあからさまな悪態を耳にすると、エイルは訝しげに眼を細めた。エイルの背後にいるヴァールはその変化に気が付かなかった。
「そう、そういうこと……。それでヘルは……」
エイルが微かにそう呟いたが、ヴァールは気にも留めずに、エイルと共に樹氷の森の奥へと進んで行った。
「まったく、散々おれたちの世界を荒らしまわった挙句がこれかよ。今度はおれたちに仲良くしましょうと言ってきやがった。得体の知れない化物が現れておれたちと戦っている場合じゃなくなったからと言って、今までのことを忘れることが出来ると連中は本気で思っているのかよ。おれは嫌だぞ、あんな奴らと手を組むなんて」
大柄な硬質化した猪という風貌の鎧装獣グリン・ブルスティが、嫌悪の感情を剥き出しにしながら吐き捨てた。
「しかし、グリン・ブルスティ殿。ウル・ディーネ様も仰っていたように、これ以上侵略者と戦ったところでもう勝算はあまりないんですよ。今は、彼らと手を組めるようになったことを皆と共に喜ばなければ」
ハティがグリン・ブルスティを宥めた。
「そんなことは分かっている。確かに、今は奴らと戦う必要がなくなったことはおれだって嬉しい。だがな、今更あいつらが詫びてきたところで、失った仲間は帰ってこないんだ。それに、あの化物を倒した後はどうなるんだ。奴らのことだ、これ見よがしにおれたちの世界を我が物顔で支配しようとするに決まっている」
「ぼくはそうは思わないけどな。ぼくたちは今までできなかった彼らとの意思の疎通に成功したんですよ。もうこの世界の何割かは彼らが移住するのに適した環境になっているという話も聞きました。あの連中を退けた後は、何とかお互いに折り合いをつけて共存していくことも出来るんじゃないかと思いますよ」
「ふん。ヘイズ・ルーンやアウドムラはお前のことを高く評価していたようだが、おれに言わせればまだまだ甘いな。侵略者どもには戦士としての志すらなかったのだ。おれは決して許さないからな」
ハティは救いを求める様に傍らのセンザンゴウへ視線を向けたが、センザンゴウは硬質化した皮膚に覆われた背中を揺らしながら、黙々と白い虫の様な食事を貪っている。その無表情な顔つきからは、如何なる感情も読み取ることは出来なかった。
「ハティ」
突然響いた声にハティが振り向くと、宮殿の中に大急ぎで入ってきたスクルディアの姿があった。
ハティは慣れた動作で、飛びついて来たスクルディアをその獣毛に覆われた体躯で受け止めた。
「どうなさったのですか、スクルディア様」
「ベルお姉ちゃんが会ってくれないの。ずっと会いたかったのに」
「ベル・ダンディア様が……」
ハティはただ泣きじゃくるスクルディアに対してどうしたら良いのか分からず、ただただ途方に暮れていた。
暫しの間、抱きついてきたスクルディアを見守っていたハティであったが、いつの間にか宮殿の内部に入っていたウル・ディーネが這いよって来る気配に気が付くと、顔を上げ、彼女の方を見た。
「ウル・ディーネ様」
ウル・ディーネが小さく頷いた。
「あなたにはまだ話していませんでしたね、ハティ。何故、わたしとスクルディアがベル・ダンディアと離れて暮らさなければいけなかったのか」
ウル・ディーネはそう言うと、スクルディアの髪をそっと撫でた。
「スクルディアの……、未来の為なのですよ」
スクルディアが言葉を続けようとした刹那、この宮殿と一体化している竜、ブレイザブリクの声が木霊した。
「ウル・ディーネ殿、ご用心なされ。何やら、皆の動きが慌ただしい。機械たちがあの異界の存在の接近を感知したらしいですぞ」
ウル・ディーネの側に一体の星導く使者が飛び込んできた。星導く使者がウル・ディーネの前で何かを伝える仕草をする。
「【虚無】が……」
ウル・ディーネが震える口でそう言った。途端にスクルディアが微かな声を漏らし、震えた。
ハティはまたあれが再来するのかと思うと凄まじい恐怖に襲われたが、自分の懐で怯えるスクルディアの温もりを感じると、ハクと別れた際に心の中で誓った志を思いだし、身を引き締めた。ただ、そのハクと戦うことになるかもしれないという予感がハティの心中に暗い影を落としていたのであるが。
グリン・ブルスティが闘志を全身に漲らせたと同時に、それまで周囲に無関心な様子と思われていたセンザンゴウが立ち上がると、真っ直ぐに前を見つめた。
ウル・ディーネがセンザンゴウの視線の先を見やると、そこにはフレイアの姿があった。
「皆さん、聞いてください。ヘルの話では、ロキの造った超時空重力炉で【虚無】の出現は抑えられているのですが、虚無の軍勢の別働隊が次元の狭間に存在するそれらの障害を破壊しているというのです。もうすぐ【虚無】は現れます。それまでにこちらも万全の態勢で臨まなければ」
そこまで言うと、フレイアはウル・ディーネの方に向き直った。
「ウル・ディーネ殿。この場の防衛はわたしに任せて、あなたはここにいる者たちを連れて塔に避難してください。機械の軍勢も塔の警備にあたっております。そこならまだ、持ち堪えられる筈」
「フレイア様。わたしも【虚無】を抑える為に、ここに残ります」
ウル・ディーネはそう言ったが、フレイアは頭を振った。
「いいえ、ウル・ディーネ殿。万が一ということもあり得ます。あなたたちやソール様の身にもしものことがあれば、我々はすべての希望を失うこととなるのですよ。ここにはわたしが残り、あなた方は塔の姫たちの指示に従ってください」
ウル・ディーネは何事かを言おうとしたが、フレイアの強い意志の籠った眼差しを目の当たりにすると、渋々ながらも承諾した。
「……分かりました。フレイア様、どうか御無事で」
フレイアは頷くと、ハティの方へと歩み寄り、その頭をそっと撫でた。
「ハティ、といいましたね。スクルディアのことを頼みますよ」
「はい、フレイア様」
フレイアの瞳の奥の悲壮な決意を感じ取ったハティは、それこそが自分がこの人に対して応えることのできる唯一のことである、とそんな気がした。
星導く使者を従えたウル・ディーネ、それにハティとスクルディア、センザンゴウを始めとする獣たちが塔へと向かおうとしたが、それまで黙っていたグリン・ブルスティはフレイアに歩み寄ると、こう言った。
「フレイア様、わたしもこの場に残り、あなた様の力となりましょう」
「グリン・ブルスティ殿、しかしあなたはウル・ディーネたちの護衛を任されてここまで来た身。あなたも塔へ向かってください」
「フレイア様。残念ながら、わたしにはあの侵略者だった機械と共に戦うことなど出来ません。わたしは今でも、あの者らに対する憎しみを抑えるだけでも精いっぱいなのですから。それにわたし以外の者たちだけでも十分でしょう。センザンゴウも若いとはいえ、頼りになります」
フレイアはグリン・ブルスティの思いがけない申し出に思わず言葉を失った。グリン・ブルスティは構わずに後を続ける。
「わたしもこの場に残った方が力になれます。このわたしと同様に、機械たちとの協力を望まない獣たちも多い筈。彼らも機械たちとは別に防衛にあたることを望んでいることでしょうな」
「グリン・ブルスティ殿……。分かりました。あなたにはこの宮殿に残って【虚無】との交戦に備えて頂きましょう」
グリン・ブルスティの有無を言わさぬ様子を前にして、フレイアにはそう言うほかは無かった。
ウル・ディーネたちと共に塔へ向かった獣たちもいる一方で、居合わせた獣たちの中で、何体かがグリン・ブルスティに共感し、共に戦うべく、その場に残った。フレイアの心中で暗い感情が揺らめく。それに応えるかの様に、ブレイザブリクが直接フレイアの心の中に話しかけてきた。
(フレイア様……。我々ともに戦ってくれる戦士たちがいてくれること、感謝せねばなりませんな)
(ええ、そうですね。でも、彼らは救いたい。この場で犠牲になるのはわたし一人で十分なのですか)
(この儂もお供しますぞ、フレイア様。あなた様を守護する為にこれまで生き延びてきたのですからな)
(ブレイザブリク、それはいけません。わたしが死んだ後は、あなたがこの者たちを護り、安全なところまで送り届けるのです)
(あなた様をお護りすることこそが儂の存在意義なのです。それに、機械たちがこの世界の守護を約束したからといって、世界に安全なところなどあるものでしょうか)
(……ブレイザブリク、これは命令です。あなたはここが落とされる時、この者たちを連れ、機械の船へと避難するのです。わたしが命を落としても、後を追うなどと考えてはいけませんよ)
(…………)
ブレイザブリクは応えなかった。
「フェンリルが眠っているという所はまだなの」
ヴァールが苛立たしげにエイルに尋ねた。
先ほどからエイルの案内に従い、樹海の中を進み続けているのであるが、似たような風景ばかりで一向にフェンリルの気配が感じられない。フェンリルの力がミッドガルズと同等、あるいはそれ以上だとすると、封印されているにしても未だにその気配が感じられないというのはいささか不自然なことに思えた。まるで同じ所をぐるぐると歩き廻っているような感じだ。
「そうね、ここら辺で良いですね」
エイルが足を止めると、ヴァールの方に向き直った。
「何、どうしたんだよ。ここじゃないだろ」
「ええ、その通りですよ。ここにフェンリルはいません」
ヴァールが何か言うよりも早く、エイルは白い霧を周囲に放った。突然の出来事に思わず悲鳴を上げるヴァールを白い霧が一瞬で覆い、集約した霧は瞬く間に固い氷へと変貌していた。
ヘルが封印されていた時と同じ、永久凍土の如く氷漬けとなったヴァールの前にエイルが立った。
「ヴァール、悪く思わないでください。これもあなたの為であり、ヘルの望みでもあるのです。未だ、フェンリルを目覚めさせる時ではないのですから」
氷漬けにされたヴァールにはその言葉は届かず、ただ、エイルを恨めしげに睨んでいた。
ウル・ディーネは罪の意識に苛まれていた。フレイアは「万が一」と言っていたが、実際は望みなどそれほどあるとは思えない。機械たちの動向が、塔より離れ、未だ【虚無】の魔手が伸びない地までソールたちを避難させようとすることを物語っていることからも、それが分かる。そんな状況下で、フレイアたちをあの場に残してきたのだ。
自分たちに課せられた使命、それを今一度見つめ直す時。ウル・ディーネはそのことへの意志を強めていた。
関連カード
●樹氷の女神エイル
氷姫。
フレーバーテキストは白の章第12節。
ソールの犠牲により生じた虚神の一瞬の隙をついて、勇者が行動に出る場面。
カードの樹氷の女神エイルは系統:星魂に関する効果を持つ。
北欧神話におけるエイルは「最良の医者」と称されている。
●センザンゴウ
甲獣。
敵が侵略者であろうと虚無であろうと一貫して姫を守護する。
「虚無の一撃」によって絶命する。
このカードのフレーバーテキストの続きが盾機兵バルドルかもしれない。