消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第三十章 大海の豪傑

 機人の項

 

 

 ディースが、集めた光雨で作った薬をウリボーグの口に含ませると、ウリボーグに生気が甦った。やがて、活力を取り戻したウリボーグは自分の力でゆっくりと立ち上がった。ミストの顔がぱっと明るくなる。フギンとムニンも喜び、ウリボーグの周りを飛び回った。

 

「ディースさん、ありがとうございます」

 

 ミストが礼を言い、ウリボーグもそれにならって感謝の意を述べて頭を垂れた。

 

「ちょうど、光雨が降ったばかりだったから。おかげで治療も間に合ったわ」

 

 ミストたちが転送された場所は、以前に虹竜アウローリアと出会った砂浜であった。周囲には、今でも宝石虫や珊瑚蟹が変わらずに暮らしており、汚染された土や水を浄化し、大地を育んでいた。

 

 浄化され、虹の輝きに満ちているこの地域は、かつての緑に満ちていた世界を彷彿とさせる。元通りというわけにはいかないが、他の地域と比べたらその差は歴然であり、この地の生命たちの働きは実に目覚ましいものであった。

 

 セイはこの光景を眺め、この壊された世界にまだこんなところが残っていたのかと感心していた。ディースのような世界の守り手の住む地域では、かろうじて残っている緑もあったが、これほどまでに広範囲に渡って、澄んだ空気で満ちている地域が今もあるとは、セイも知らなかった。

 

 遠くの山脈のあたりから一つの黒い影が現れ、近づいて来た。しばらくこの場を離れて、同胞たちの安全のため巡廻に出ていたアウローリアである。アウリーリアは何やら急いでいるらしく、ここを離れる時よりも速い速度で飛んできた。すぐに虹竜の巨体が砂浜に下り立った。

 

「アウローリア、どうしたの」

 

 ディースは、アウローリアの尋常でない様子に戸惑い気味であった。

 

「先ほど、海の方から【虚無】の気配を察知し、急いで戻って来たのですが……。不思議です、もうその【虚無】の気配が感じられなくなりました」

 

「【虚無】がまた現れたのですか」

 

 ミストが尋ねると、アウローリアは未だ把握しきれていないと答えた。

 

「アウローリアには、私たちよりも優れた空間感知能力があります。【虚無】が現れそうになったことはおそらく間違いないと思うわ」

 

「ディース様、何かが此方に近づいて来ます。【虚無】とは違う存在……おそらく海の者か機械……」

 

 アウローリアが、海と空が繋がっている境目の辺りに眼を凝らした。他の者たちもアウローリアの視線の先を見た。

 

「本当だ……。待って、微かに信号がある」

 

 ミストが身をかがめると、その瞳の輝きが弱まった。身体の機能を一時的に休ませ、微弱な信号の受信に備えたのである。

 

「何かしらね」

 

「ちょっと怖いわ」

 

 フギンとムニンが囁き合った。

 

「私の同胞だわ、こっちに来るつもりみたい」

 

 その言葉を聞いたセイが真っ先に身構え、緊張した面持ちでまだ見えぬまれびとの方を見た。

 

「侵略者か」

 

「セイ、まだ敵と決まったわけではないわ。早まらないでね」

 

「分かっている、ディース殿」

 

 やがて、その姿はアウローリアとミスト以外の者の眼にも映り、海を押し広げるように掻き分けながらぐんぐんと接近してきた。

 

「やっぱり。機海兵ゼーロイヴァーだわ」

 

 ミストがゼーロイヴァーと呼んだ者は海岸沿いに達し、力強く逞しい二本の足で波を切り開き、一歩一歩確実な足取りで砂浜に近づいて来た。

 

 ヴァイキングの如き猛々しい角を備えた兜を思わせる装甲を頭部に持ち、暗い緑色の胴体の上で、真紅の髭状の突起物が冷たく蠢いている。赤いマントを翻し、金色の装飾を施した巨大な盾で胴体にかかる波を払いのけながら、砂浜に乗りこんで来た。

 

 ゼーロイヴァーの右の剛腕に握られた鋼の斧を眼にして、セイは敵愾心を顕わに、虚無の騎士との戦いで欠けたドリルを鋭く回転させ、いつでも飛びかかれるよう腰を前方へ曲げた。セイと視線が合った人型の動器ゼーロイヴァーは、その敵意を読み取り、真紅の眼光を宿し、斧を掲げる。

 

「まだ敵と決まったわけじゃないわ、セイ。お願い、武器を収めて」

 

「黙れ、侵略者の言うことなど当てになるものか」

 

 セイがミストの制止を聞かずに、ゼーロイヴァーに襲いかかろうとした時、セイの背後から機械の腕が回され、セイの身体を軽々と持ち上げた。セイが悪態をつき、振り解こうとすると、変形した腕からコードが伸び、セイを拘束した。

 

「ミストの言うとおりにしろ」

 

 ガグンラーズはセイを拘束したままそう言ったが、セイには伝わらなかった。

 

 その様子を眺めていたゼーロイヴァーは、相手が襲ってこないことを知ると、斧を下ろし、ミストの側に近づいて来た。ガグンラーズはセイを拘束する一方で、ゼーロイヴァーがミストに危害を加えないかと疑いの眼を向け、いつでも刃を出せるよう備えていた。

 

「ミストよ、こんなところで出会うとはな。その後、元気にしていたか」

 

「……はい、ゼーロイヴァー」

 

 ミストにはゼーロイヴァーの考えが読めなかった。侵略者がオーディーンを失ったのはミストのせいでもあり、ミストは同胞から裏切り者として追われている立場だった。かつては仲間であったゼーロイヴァーだが、いつミストに斬りかかってきてもおかしくはないのだ。

 

 ミストは警戒し、その警戒を読み取ったウリボーグもガグンラーズ同様、ミストを護ろうと、熱量を蓄え始めた。アウローリアとディースは黙ってゼーロイヴァーを見つめている。

 

 幸いにも、ゼーロイヴァーの方からきり出してくれた。

 

「ミスト、お前がそう警戒するのも仕方あるまい。だが、もう我々はお前を敵とみなしてはおらん。何故なら、すべての機械がこの世界の者と協力し、【虚無】に備えると決めたからな」

 

「え、すると私たちはもう侵略者ではないというの」

 

「そういうことだ。よって、お前が裏切って獣たちに協力した、という一件も帳消しになっている。今はそんなことを罪に問うている場合ではなくなったからな。もっとも、仮にそうでなくとも、俺は君と同じ身分になっていたのだがね」

 

「同じ身分。まさか、あなたも」

 

「こいつ、敵じゃないのか」

 

 ウリボーグの言葉で、会話が中断された。ミストはウリボーグを優しくさすり、その緊張を解してやる。

 

「ええ、そうよ。私たちはもう侵略者ではないとゼーロイヴァーは言っているの」

 

 その様子を不思議そうに眺めているゼーロイヴァーが口を挟む。

 

「その獣の言っていることが分かるのか」

 

「ええ、私が作ったこの装置があれば、私でもこの世界の住人と言葉による意思の疎通ができるの」

 

 ミストが腕に装着しているリストバンドのような機械を相手に見せた。

 

「流石は、クイーンとヒルドの妹だ。侵略することばかり考えていた我々も、最初からそういった技術の開発に眼を向けるべきであったのだがな。それがあれば、あの者たちとの共闘も、もっと円滑に上手くいったのであろうな」

 

「……あの者たち。それが、あなたの言う同じ身分、という話と関係があるのね」

 

「そうだ、ミスト。俺の友人のヘル・ブリンディは空、俺はこの世界の海を制圧するために派遣された。俺は大海を荒らし、海の生き物たちを大いに脅かした……今となっては恥ずかしい話だがね。そうしているうちに出会ったのだよ、生命を守護し、我々の侵略に真っ向から立ち向かう、巨大な島の如き巨亀とな」

 

「巨亀、あなたはその者と」

 

 ゼーロイヴァーが頷く。

 

「最初、我々は敵同士として戦った。巨亀とその同胞たちは手強く、俺と俺の部下ではほとんど歯が立たなかったが。そんななか、現れたのだ、【虚無】が」

 

 ゼーロイヴァーが【虚無】というと、ディースとアウローリアが顔を見合わせた。

 

「後から加勢したヘル・ブリンディの話で知ったことだが、どうやら【虚無】は一足早く空にも出現したらしい。ヘル・ブリンディの宿敵であったという鯨が、突如空間をつき破って現れた虚龍に沈められたそうだ。危うく俺と海の守護者である巨亀も同じ末路を辿るところだったよ。戦いの最中、俺は言葉の通じぬ巨亀と共闘し、【虚無】を何とか退けたのだ。その戦いで俺はほとんどの部下を、巨亀も共に戦う同士たちの大半を失ってしまった……。分かるだろう、そんな状況下で、それまで協力していた俺たちがまた血で血を洗うなど、お互いに望んでいなかったんだ。向こうが先に敵意を引っ込めてくれたから、俺も助かったよ。俺はほっとして斧を下げた。それ以来、俺とわずかに生き残った俺の部下はその巨亀たちと共に生きてきた。度々現れる【虚無】の兆候に警戒しながらな。生き残ったヘル・ブリンディも、今では地上に下り、巨亀といる」

 

「では、その巨亀は今はどこにいるの、ゼーロイヴァー。見たところ、ここにはあなたしかいない様子だけど」

 

 ゼーロイヴァーは手にした斧をおもむろに掲げると、地平線に向けた。空との境目まで広がっている海は、光雨を吸収したためか、黄色い光芒をたたえており、それに虹の輝きが夢幻の深みを与えていた。

 

「俺たちは大海で長い放浪をつづけた。水銀とゼリー状の固い液体の合わさった汚染された海をな。この世の終わりまでつづく旅ではないかと危ぶんだが、やがて、澄んだ海の中に浮かぶ島へ辿り着いた。美しい珊瑚に囲まれた島だった。活火山の煙が天高く昇っていたから、遠くからでも分かったよ。その島に近づいたとき、上空から完全に機械化してもなお己の意思を保っている飛竜が現れ、俺に襲いかかって来た。……あの時は己の最期を悟ったさ。だが、巨亀がその飛竜を抑え、俺が敵ではないと相手方に伝えてくれたらしい。その島の住人たちは、不満を持つ者もいた様子だが、俺と俺の同胞たちを仲間として受け入れてくれた。巨亀はそこを終着点と見なしたんだろう、もうそこから移動しようとはしていない」

 

 そこで、ゼーロイヴァーは言葉を切ると、真紅の眼光をディースの方へ向けた。

 

「ロキから話は聞いている。あなたがディースだな。あなたには分かる筈だ、俺の言っていることが」

 

 ゼーロイヴァーの口からロキの名が出て驚いたミストは、さらに思いがけないことを聞き、ディースの方をふりむいた。

 

「ええ、分かります、ゼーロイヴァー」

 

 ディースが観念したような様子で呟いた。

 

「俺はロキから指令を言い渡された。本部からではない、ロキ個人の指令だとな。本来ならそんなもの一笑にふして然るべきだが……思うところあってそれに従い、ここまで来た。ディース殿、あなたには今すぐ鎧蛇の島――俺と巨亀が辿り着いた島に来てもらいたいのだ」

 

「……私たちも動くべき時ということですね。分かりました、私も共に鎧蛇の島へ向かいましょう」

 

 ディースが了承すると、ゼーロイヴァーは頭を下げ、礼を述べた。

 

「ディースさん、あなたはロキのことを知っているのですか」

 

 ミストの質問にディースが答える。

 

「直接の面識はないわ。でも、大昔からこの世界を見守ってきた者で、ロキのことを知っている者は結構いるのよ。私の知り合いのヘイムダルがロキの友人で、よくロキのことを聞かせてもらったこともあるわ」

 

 ゼーロイヴァーは身を翻し、海を眺めた。その瞳には深き安堵の念が込められている。

 

「ここもまた美しい……。我々は【虚無】から護らねばなるまい、この世界を。それが我々の贖罪であり、生き延びるための唯一の道だ」

 

 ゼーロイヴァーは周囲にいる者たちを眺め廻した。

 

「時間が惜しい。では、今すぐ来てほしい、できればここにいる全員の力が欲しいのだ」

 

「アウローリアはこの地を護るために残らなければならないわ。それに、他の皆はどうかしら」

 

 ディースが言うと、アウローリアが頷いた。

 

「鎧蛇の島まで皆をお送りするだけならば、何とかなりましょう。……ディース様、力になれず、申し訳ありません」

 

「アウローリア、あなたにはあなたの使命がある。それを果たしてくれているのだから、感謝しているわよ」

 

 ディースとアウローリアの会話を聞いていたセイが、いつまでも自分を拘束しているガグンラーズから離れようともがいた。

 

「おい、いい加減に離せ。もう、その侵略者と戦うつもりはない」

 

 ガグンラーズは全く耳を傾けず、微動だにしない。ミストが慌てて言った。

 

「もういいのよ、ガグンラーズ。セイを離して」

 

「分かった、ミスト」

 

 ガグンラーズがセイの拘束を解くと、セイはまた悪態をつき、絡みついているガグンラーズのコードを払いのけた。

 

「例の【虚無】という連中に対抗するために、まずは鎧蛇の島にいく必要があるのだろ。だったら俺も行く。侵略者どもも許せないが、【虚無】の奴らはそれ以上に憎い。俺の仲間を滅ぼしたゲンドリルとかいう奴は、必ず俺の手で討ち取ってやる」

 

 セイの想いはゼーロイヴァーに伝わったのであろう、彼は大きく頷いた。

 

「私も行くわ。私だって仲間の役に立ちたい」

 

 ミストが言うと、ウリボーグがミストの顔を見上げた。

 

「ミストが行くなら僕も行く」

 

「ウリボーグ……。でも、危険だわ、あなたはここでアウローリアさんと一緒にいた方が安全かもしれない」

 

「危険なのは世界中さ。どこにいてもきっと奴らはやってくる。それなら僕はミストと一緒にいたい。僕だって、少しだけど力になれると思うんだ」

 

「……ありがとう、ウリボーグ」

 

 それからミストはガグンラーズと、その傍で何やら話し合っていたフギンとムニンの方を向いた。

 

「あなたたちはどうするの」

 

「俺はあなたを護るよう、母たちに言われた。俺はあなたについていく」

 

 フギンとムニンは驚いた様子で飛びのいた。ミストが不思議に思い、尋ねる。

 

「どうしたの、フギン、ムニン」

 

(ど、どうしよう、ムニン。鎧蛇の島なんておっかないよ。ここにいてアウローリア様と一緒にいた方が安全かも)

 

(だ、だからってディース様をそこにいかせておいて何かあったりしたら……)

 

(しーっ。縁起でもないこと言わないで)

 

(ごめんごめん。……でも、後でワーグナー様に顔向けできないわ)

 

(ワーグナー様。うー、あの人優しいけど、ディース様のことになると私たちなんて二の次三の次なんだよね)

 

(それに、ミストと一緒にいた方が安全かもしれないわよ。だってそっちにいけば強い仲間もいっぱいいるんだし……)

 

(それだけ【虚無】に眼をつけられる恐れもあるんだけど)

 

(……どっちも嫌だね)

 

(ちょっと、ムニン。結局どうするの)

 

(そうだなあ……。ミストだったら、何があっても私たちのことをちゃんと護ってくれるわよ、きっと)

 

(そ、そうだね、そうだよ。この間のことも悪かったと思っているし、ミストのことが心配だから、私たちも力になりたいとか何とかいってついて行った方が点数をかせげるんじゃない)

 

(そうそう。フギン、冴えてる)

 

(いざって時は、ミストや他の仲間に助けてもらうの。私たちの能力だって役に立つんだから、ミスト以外のみんなだって、私たちのことを大事にしてくれるかもしれないわ)

 

(うんうん。それがいいわ。そうしよう)

 

 ゼーロイヴァーがいらいらした様子で持っている斧を砂の上に押しつけ、フギンとムニンの方に眼光を向けていた。その視線に気づいたフギンとムニンはぎょっとなって飛び上がった。

 

「私たちもいきます。少しでもミストやディース様のお力になれると思うから」

 

「そ、それにミストには以前悪いことをしたと思っているの。だから、ミストのためにも一緒にいきます」

 

 しばらく心配そうに二人を覗き込んでいたミストであったが、二人の返事を聞いてその顔がぱっと明るくなった。

 

「ありがとう、フギン、ムニン、私のことも気にかけてくれて。あなたたちの力なら絶対役に立つと思うわ」

 

 ミストの言葉を聞いたフギンとムニンは、笑顔をとりつくろった。その様子を眺めていたディースはくすりと笑うと、すぐに真剣な面持ちとなり、ゼーロイヴァーに言った。

 

「では、参りましょう」

 

「ああ、急いでくれ。俺は海中から鎧蛇の島へ向かう。ロキが言っていた話では、まだ集めるべき仲間がいるのでな、幾つか寄り道していかねばならないのだ。ロキの言うとおりならば、あなたたちも鎧蛇の島の位置は分かっているだろう。先に鎧蛇の島へ向かってくれ。武運をいのっている」

 

 ゼーロイヴァーの巨体が海を突き進んで行き、やがて海中に没した。

 

 他の者がアウローリアの背に乗ると、アウローリアは虹の輝きで浮力を生み出し、上昇した。天高く昇っても、澄んだ空気は変わらない。

 

 この地の珊瑚蟹や宝石虫たちの働きの素晴らしさをあらためて実感したミストは歓喜の声をもらした。

 

 これほどならば光雨が生み出されるのも納得できる、とディースは思い、アウローリアとこの地の生命たちに感謝した。

 

 やがて、上空で旋回した虹竜の巨体が空気を裂いて海の向こうへと飛び立った。

 

 向かう先は鎧蛇の島。かつてベル・ダンディアが訪れ、飛竜ヴァルキュリウスに残された者たちの守護を託し、ミッドガルズとアインホルンと共にソールの塔へと旅立った地であった。




関連カード

●機海兵ゼーロイヴァー
人型の動器。
虚無の軍勢によって荒らされた海を修復している。
破壊者である虚無と、侵略を望む機械の差異が書かれている。

自分の小説では海を制圧する為に極甲王グラン・トルタスと戦い続けていたが、
両軍共に虚無の軍勢に襲われ、そのまま共闘する同志となったという設定。
空の制圧の役目を任じられたヘル・ブリンディとは友人の関係。
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