消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第三十五章 大械獣目覚める

 三姉妹の項

 

 

 一人の氷の姫君の犠牲によって、【虚無】が抑え込まれ、撤退していた多くの機械や獣たちが救われた。

 

 前線でしんがりを務めたボルヴェルグもまたその一人であった。ボルヴェルグはここが死に場所と覚悟し、同胞を逃すために激戦区へ単身特攻したのであるが、つい先日まで自分たちが敵と認識していた者に救われるとは、思ってもみなかった。

 

 ボルヴェルグは、この世界の住人と共存しようという、ヴィーザルたちの考えを快く思ってはいなかった。今更共存するというなら、これまでの戦いで散っていた同胞たちの死は何だったというのだ。僅かばかりの領土を得て、そこでこの世界本来の環境に適応できない同胞たちを住まわせるだけというのでは、あまりにも見返りが少ない。しかし、今回のことでボルヴェルグの考え方も大きく揺らいだのも確かであった。

 

 ボルヴェルグは味方の避難が完了してから、自分も宙へと飛び立ち、機械の船へと向かった。

 

 ふと、遠くの空を何かが横切ったのが、視覚の隅に映った。眼を凝らして見ると、味方の神機グングニルに酷似した姿であることがわかったが、どうも様子が違う。

 

 あるいは逃げ遅れた同胞かもしれないので、上空の船に少し待つよう合図を送り、自らその機械のもとへ向かった。

 

 相手は空を裂きながら接近してくるボルヴェルグの存在に気づいたのであろう。ボルヴェルグのいる方を一瞥すると、速度を上げ、ボルヴェルグから遠ざかった。ボルヴェルグは不審に思い、相手を追いかけようと最大速度で近づいたが、神機らしき者の側の次元が歪み、その機械は消失した。

 

 あっけにとられて眺めていたボルヴェルグであったが、あの次元の歪みが虚無の軍勢によるものと酷似していたことに気がつくと、あれは自分の仲間の姿を装った敵だったのかと思うようになった。

 

 これ以上同胞を待たせていては危険だった。ボルヴェルグは捜索を打ち切って、味方の船のもとへ急いだ。

 

 

 

 ブレイザブリクは追い迫る虚龍や群がる盾竜に対して、度々光弾で反撃しながら応戦したが、深追いはせず、ひたすら距離をとって逃げることに専念していた。今は敵を倒すよりも自分の中にいる、歌姫たちを安全なところへ避難させることが先決であった。

 

 ブレイザブリクの反応をレーダーで捕捉した機械の艦隊の生き残りが、救援に飛んできてくれた。その中に、他の艦隊をそのまま収納できるのではないかと思えるくらい巨大な軌道母艦が浮かんでいた。

 

 そこから伝えられた電子音で、ブレイザブリクは己の為すことを理解した。このことをブレイザブリクの内部にいるヘイル・ガルフも理解し、内部の者たちに伝えた。

 

 艦隊が砲撃を開始し、ブレイザブリクを襲う盾竜たちを狙い撃った。被弾した何体かの盾竜が墜落していったが、その傷口が急速にふさがっていくのをブレイザブリクは視界の隅に捉えた。頑丈な盾竜に致命傷を与えることは難しいが、少なくとも時間稼ぎにはなる。

 

 虚龍に対しても無数の砲弾や熱線が放たれたが、それらはすべて虚龍の背にいるプラチナムのつくり出した虚空に呑み込まれ、無力化された。

 

 ブレイザブリクが軌道母艦に辿り着くより前に、先回りした盾竜たちがブレイザブリクを包囲しようとあらゆる方向から接近してきた。全方位から攻撃されれば、すべてを防御することも至難の業だ。ブレイザブリクは危惧したが、軌道母艦から出撃した巨大な動器の軍勢が盾竜たちに襲いかかり、盾竜を食い止めた。

 

(これは……ロキの魔神機か。まだこんなに残っていたとは)

 

 ロキが遠隔操作する殲滅用の神機、魔神機ビッグ・ロキの軍団が盾竜たちとの交戦を開始した。これまでの魔神機とは形状が異なり、空中戦用に特化したものであるらしい。ロキの用意周到に、ブレイザブリクも舌を巻いた。

 

 ブレイザブリクが軌道母艦の横に肩を並べると、軌道母艦から回収用の重力波が放たれた。ブレイザブリクは大口を開き、中に収容していた者たちを重力波の方へと導いた。ソールの護衛に当たっていたリンとグナがソールを送り出し、それから塔の姫君と三姉妹、獣たちが軌道母艦へと転送されていく。

 

 轟音が響き、破壊された魔神機が次々と墜落していった。ソールの歌声が途切れたことで、虚無の軍勢が力を取り戻したのである。

 

 好機とばかり、勢いづいた盾竜たちが魔神機を瞬く間に全滅させ、ブレイザブリクと軌道母艦のもとへ殺到した。軌道母艦がこれを迎え撃ったが、弾幕をかいくぐった盾竜が次々と軌道母艦の横腹に突き刺さった。

 

 ブレイザブリクは自分本来の力で、己の中にいる者たちを護った。ブレイザブリクは己の力を出し惜しみすることなく、全精力を解放している。彼は、ここが死に場所と決め込んでいた。ブレイザブリクはフレイアの覚悟に応える自分の決意を遂に果たす時が来たのだと、確信していた。

 

 全員の移動が終わると、ブレイザブリクは自らの防壁を解き、全身を弾丸にして盾竜の群れに突っ込んだ。その中で最も大きな力を放っている虚龍に目をつけると、刺し違えてでも倒すと自分に言い聞かせ、虚龍に突撃する。

 

 その時、ブレイザブリクの脳裡にフレイアの声が響いた。ブレイザブリクははっとなった。間違いなく、あの艦隊の船の一つにフレイアがいる。フレイアは生きていたのだ。

 

(フレイア様。あなたが生き延びていらっしゃったとは……。儂は嬉しいですぞ、これで安心して死に逝くことができますわい)

 

 もう一度、フレイアのブレイザブリクを止める声が響いたが、ブレイザブリクにとって、それは自分が命を落とすということに、確固とした意義ができたに他ならない。ブレイザブリクの全身が虚龍に衝突し、膨大な熱量が天空に広がっていった。

 

 

 

 その存在は、己を闇に落ちた神機と認識していた。無数の機械や獣の、無念の思いや憎しみが内部の意思に混在し、一つの形をなしているその様は、冥機と呼ぶのが相応しい。

 

 冥機は【虚無】の力を取り込んだことで、虚無の軍勢と同じ次元跳躍の能力を獲得していた。ボルヴェルグが見たものがそれである。

 

 冥機は己の目的を認識し、それに必要な力のありかを把握すると、そこへ向かったのである。冥機が訪れた場所は、かつて氷の魔女ヘルが根城にしていたという永久氷殿だった。

 

 止むことのない吹雪が空間を覆う中、冥機は永久氷殿の門前に下り立った。気の遠くなるような歳月が過ぎていてもなお、永久凍土の城壁は本来の形をそのまま維持している。

 

 冥機が両腕を突きだすと、その先端から小さな虚空が生み出されていった。虚空をまとった腕が門に触れると、永久凍土で造られた門の中にずぶずぶと入り込んでいく。やがて冥機の全身が門を通り抜けた。

 

 永久氷殿の内部に入り込んだ冥機は、宙を浮きながら、氷の回廊の上を滑るように移動した。内部は外の吹雪とは一転して無音の空間であり、すべてが閉ざされた氷で造られていて、時間の変化というものを感じさせない。

 

 外の光を氷殿全体が吸収し、増幅しているらしく、内部は常に明るい光で満たされていた。冥機は何の感情も示さずに回廊を進み、何度か角を曲がった。その的確な動きは、最初から明確な目的地のあることを物語っている。

 

 冥機が何度目かの角を曲がると、その先には地下へとつづく階段があった。冥機は段差の上を浮遊しながら下っていった。

 

 吸収した光を放つ地上部の永久凍土とは違い、地下の氷に覆われた空間は暗黒であった。その中で、冥機のコアが放つ真紅の光だけが闇の中を照らしていた。

 

 闇の中で、冥機の動きが止まった。冥機の眼前には、魔術によって見えない錠がかけられている分厚い氷の扉がある。

 

 冥機は虚空を生み出し、門の時と同様の手段で扉を抜けようとしたが、強い魔力に弾かれ、背後の氷の壁に全身を打ちつけられた。冥機は態勢を立て直すと、真紅の熱線を扉に浴びせた。

 

 氷の扉には傷一つつけられなかったが、冥機の思惑は別のところにあった。冥機の意思が熱線によって運ばれ、扉を通過した意思が内部にいる者を呼び起こしたのである。

 

(俺の眠りを妨げる者はだれだ)

 

 内部から応えがあった。冥機はその者の意識を捉え、直接脳内に自分の意思を伝達した。

 

(我は世界の変革を望む者。汝も同様であろう)

 

 内部にいる者の意識は暫しの間、考え込むように押し黙っていたが、やがて返答した。

 

(俺が望むのは自由だ。俺も、俺の同胞たちも魔女の束縛から逃れたい、それだけを願っている)

 

(それは容易いことだ。何故なら魔女の力は既に衰えている。汝らが望めば、汝ら自身の力でこの地を破壊し、束縛から逃れることもできる)

 

(……確かに、俺たちを束縛する力は弱まっている。だが、俺は魔女が恐ろしい。叛逆の意思を示せば、俺たち全員永久なる責め苦を味わうことになるであろう。俺は魔女がわざと束縛を弱めて、俺たちの叛逆を誘っているのではないかと疑っているのだ。魔女が俺たちを苦しめる口実を得るためだけにな。前にもそんなことがあったのだ)

 

(魔女の力が未だ衰えていないというならば、果たして魔女は我の侵入を許すかな。我は魔女が怖れている【虚無】の者だ)

 

 冥機が再び両腕を突き出して虚空を生み出し、戸に近づけた。魔力の錠には触れなかったので、今度は押し返されるということもなかった。

 

 戸の内部へ入り込むことはかなわないが、【虚無】の力の気配は内部へと伝わった。対話者の唸り声が聞こえ、内部にいる他の者たちの気配も強まった。

 

(お前はどんな見返りを求めているのだ、【虚無】の者)

 

(我は汝らが解放され、復讐を果たすことを望んでいる。それだけで、我の目的もじきに達成されるのだ)

 

(復讐だと)

 

(そうだ、我が兄弟。汝と汝の仲間たちは、魔女を心の底から憎んでいる筈だ)

 

(復讐……俺たちを利用し、永久なる苦しみを与えつづけた魔女に復讐する……)

 

(我が後押ししよう。魔女は衰え、力尽きる時もそう遠くない。その前に汝ら自身の手で魔女を討つのだ)

 

(お前の言うとおりだ。俺たちを苦しめた魔女が、このまま静かな安らぎを得ることは許されない。この世の地獄を味わわせてやる)

 

(その意気だ)

 

 地の底から揺さぶられ、永久氷殿全体が激しく振動する。魔女によって封じ込められていた巨獣たちが目覚めようとしていた。

 

 

 

 ソールたちが乗り込んだ船は、機械たちから無限なる軌道母艦と呼ばれていた。

 

 内部で塔の者たちを出迎えたのは、一人の人魚のような姿をした機人であった。ヘイル・ガルフが一歩踏み出し、ソールの代わりに感謝の意を述べると、機人は会釈し、皆を軌道母艦の奥へと導いた。

 

 ソールとヘイル・ガルフ、それにサーガと数人の姫君たちが会見のために、機械の衛兵が厳重に守護している一室へと案内された。他の者はいくつかの部屋に分けられ、護衛の動器の監視下に置かれた。この世界の住人と機械の和睦が結ばれたとはいえ、まだ警戒の色は拭えない。それは機械も獣も同様であった。

 

 ウル・ディーネとベル・ダンディアの要望で、ウル・ディーネとスクルディアは同室、ベル・ダンディアだけは遠く離れた別の部屋に招かれた。

 

 ウル・ディーネはベル・ダンディアの気配が、遠くの方へ去っていったことを確認すると、スクルディアの頭の上にそっと手を置き、意識の封印を解いた。

 

 意識が目覚めたスクルディアはしばらくきょとんとした顔つきで、じっとしていたが、ベル・ダンディアがいないことを知ると、泣き声を上げた。

 

 ウル・ディーネが落ち着かせようと手を差し延ばすよりも早く、傍らのハティが獣毛で覆われた胴体でスクルディアを抱きすくめた。それを見ていたウル・ディーネがふうと溜息をつく。スクルディアにとって必要なのは、自分よりハティなのかもしれない。ウル・ディーネは嬉しいような寂しいような、複雑な心境であった。

 

 

 

 ベル・ダンディアは部屋に備えられた強固な素材の窓から、軌道母艦の外を眺めていた。窓の外に盾竜の姿はない。

 

 ブレイザブリクが虚龍を足止めしている間に、軌道母艦は高速で戦線を離脱した。その速度は、過去にスミドロードとアインホルンと共に侵されざる聖域へ向かった際、地上から目の当たりにしたものでもあった。

 

 他の艦隊も少し遅れてついて来たが、何隻かはまだ塔の周辺の戦場に、取り残された同胞たちの救援に当たっているらしい。こうしている間にも、塔の周辺では戦闘がつづいているのだろう。そして多くの命が戦場の大地に呑まれていく。

 

 そのことを思っていたベル・ダンディアがふいに泣き出した。両手で端正な顔を覆い、背中をわなわなと震わせる。周囲には獣や、護衛の動器たちもおり、その視線を感じたが、自分を抑えられなかった。

 

 どうして自分はまだ生き残っているのだろう。獣たちが期待していた歌声は、盾竜に阻害されて十分な成果を上げられなかった。

 

 死にゆく者たちの期待に応えることすらできないまま、世界を救う力があるからという理由で、自分たちは優先して護られ生かされてきた。そうして護るために力を尽くした者たちは、救済されることなく命を落としていくのである。

 

 ソールが力不足と言うのではない。それを支える自分の無力さを悔いた。ブレイザブリクは己を守護する力が喪失することを承知で、ソールや氷の姫君、自分たち三姉妹を優先して先に脱出させた。

 

 あの時、既にブレイザブリクは自分が助からないことを承知していたのである。それでも最後の獣を脱出させるまで、虚無の軍勢の猛攻に耐え抜き、最期に艦隊が撤退する時間を稼ぐために特攻した。

 

「こんなのって、あんまりだわ。皆の期待に応えることもできずに、護るために戦う者たちを見捨ててまで生き延びるなんて」

 

 誰かが罪深い自分を罰してくれたら良いのに。だからと言ってこのまま命を落とせば、自分を護るために散っていった者たちも報われない。ベル・ダンディアの嗚咽が部屋の中に木霊した。

 

「ベル・ダンディア様。あなたに涙は似合いませんよ」

 

 その声にベル・ダンディアが振りかえると、そこにはウルの姿があった。ウルの機械の身体は、天井の光を反射して明るく輝いていた。

 

「アインホルン……」

 

 ベル・ダンディアが口にしたのは【勇者】ウルではなく、その前身の片割れ、鎧蛇の島の勇者アインホルンのものであった。ウルはベル・ダンディアがその名を口にしたのを黙って受け入れた。それはアインホルンの意思であり、同調するクウの意思でもあったと言える。

 

「私が鎧蛇の島で初めてあなたにお会いした時、あなたの強い心に打たれたものです。ジューゴンからも聞きましたよ、あなたが身を挺して海の命を護ってきたということを。あなたはご自分の役割をご立派に全うしておられるのです。散っていった者たちも、あなたやソール様たちを護り抜いたことで、より多くの同胞の命を救うことができたのです。皆、本望だったと思いますよ」

 

「アインホルン……ごめんなさい、今のあなたはウルでしたね」

 

 ウルは小さく頭をふった。

 

「いえ、あなたにとって私はアインホルンで構わないのですよ。私もそれを望んでいるのですから。これからも私はスミドロードと共に、アインホルンとしてあなたをお護り致します。私が鎧蛇の島を離れたのも、そのためだったのですから」

 

 スミドロードの名を聞き、ベル・ダンディアは涙を柔らかい手で拭い、小さく頷いた。スミドロードは今は艦内の別の場所にいる。

 

 ベル・ダンディアはスミドロードと一緒にいたかったのであるが、スミドロードの巨体はこの個室には収まらなかった。艦内では大形の動器や騎士を収納するための場所があり、スミドロードもそこへ連れて行かれた。

 

 ベル・ダンディアもついて行こうとしたのであるが、ベル・ダンディアにはもっとくつろげるところにいて欲しいとスミドロードに断られたのだ。

 

「……ベル・ダンディア様、私たちは間もなく鎧蛇の島に到着します。ロキの指示によると、あそこに【虚無】に対抗するための力があるそうです」

 

「鎧蛇の島……」

 

 途端にベル・ダンディアの脳裡に飛竜ヴァルキュリウスと海獣ジューゴン、それにオッドセイやモモンガル、鎧蛇の島で出会った仲間たちの姿が映し出された。島の主、鎧蛇竜ミッドガルズはここにはいない。塔の近辺で取り残された者たちと共に戦っているのかもしれないが、生死は定かではなかった。

 

「もう一度赴くのね、鎧蛇の島に」

 

 また会えるのだろうか、あの地に残してきた仲間たちと。不安もあったが、もう一度会えるかもしれないという期待がそれを否定しようとした。前を向いて進まなければならない。たとえ小さくとも、進む先に希望があるなら。

 

 

 

「鎧蛇の島かい。今更そんなところへ行ってどうしようと言うんだい、ロキ」

 

 ロキがヘルのためにこしらえた寝台に横たえられたまま、ヘルが言った。既に身体の崩壊が始まっているが、ロキの施した処方でまだしばらくは持ちそうであった。

 

(ヘル、君の体内の天弓の力まで失われ、【勇者】の助けとしては十分ではなくなっていると、わかっているだろう)

 

 ロキの端末、ベビー・ロキが電子音で言った。

 

「するとロキは、そこへいけば妾の失われた力が取り戻せるというのかい」

 

 ヘルがけだるそうに言った。

 

(あそこは今となっては数少ない、光雨の降る場所。そしてその時期は間もなく訪れるんだよ。君の集めた光雨の何割かは失われてしまったけど、そこで補充すれば天弓は活力を取り戻せる。……ヘル、君の身体も回復できるかも知れないよ)

 

「ふん、一度は捨てた身でも、助かるならすがらない手はないのかもしれないね」

 

 そう言うと、ヘルは少しの間黙って考え込んだ。その間、ヘルの言葉を待っているかのようにベビー・ロキは沈黙を守った。やがて、ヘルが口を開く。

 

「ミッドガルズにも見せてやりたかったねえ。鎧蛇の島の光雨を」

 

(そうだね。……ミッドガルズは今後【虚無】に対抗し得る者を助けてくれた。僕たちもそれに応えないといけないな)

 

 ヘルは黙って頷いた。ベビー・ロキが部屋を辞すと同時に、マーニが中に入ってきた。

 

 マーニはこの船に乗ってから、ヘルの看病を担当していた。ソールの介護も請け負っているマーニであったが、現在ソールは機械たちとの会合に参加している。マーニも誘われたが、マーニは思うところがあって、敢えてそれを断った。

 

「ヘル、あなたが私たちにかけたこの呪いは、本当に解けないものなの」

 

 マーニは部屋に入るなり、そうきり出した。ヘルの症状が大分落ち着いているとみたからこそ、何度も尋ねているこの事柄を改めてきり出したのであるが、これを聞くとヘルは露骨に顔をしかめた。

 

「何度も言っただろう、マーニ。妾の呪いは永久なるもの。解くすべはないのさ。妾の身体がこのとおり、今も昔も変わらない氷でできているようにね」

 

「せめてソール様の病を癒してはくれないの。あれもあなたの呪いのせいなのでしょう」

 

「ソールの魔力は喪失したもの。あの病気も本来もっていた能力を失ったことによる後遺症のようなものなのさ。妾の呪いによるものではない」

 

 マーニはヘルを見すえた。その硝子の瞳からは激しい憤りが伝わってくる。ヘルはマーニが自分がある事柄を隠していると感づいていることに、気づいていた。

 

 それでも、今はマーニに語ってやるつもりはなかった。時期が来れば氷が溶けるように事態は変わる。それは目前にまで迫っており、もはや待つほどのものでもない。

 

 マーニが黙ってヘルの身体を清潔な布で拭いてやった。ヘルの全身からはすり減らされた氷の砂が驚くほど取れた。

 

(光雨にすがるか……。端からそんなつもりはないわ。妾はこのまま天命に従い、滅びなければならぬのだ。これ以上ソールたちを喰い物にして生き長らえたところで、【虚無】の利にしかならぬ)

 

 ヘルはマーニに身をゆだねながら、ヴァールのことを想った。自分が命を落としたあと、ヴァールはどうするだろうか。ヴァールが生き延びれば、それに越したことはないのだが、くれぐれも早まったまねだけは取ってほしくない。

 

 この世界は【虚無】に勝利しなければならない。それが【星創る者】の意志であり、ロキの意志であったが、何よりも自分自身の意志であることが、当然のことながら、ヘルの行動を決定づけた。

 

 

 

 永久氷殿が轟音とともに崩れさり、内部から鋼の装甲を備え、無限なる熱量を持つ核融合炉を内蔵した巨獣が立ち上がった。

 

 最初に立ち上がった巨獣の足元から様々な形状と特徴を有した異なる巨獣の軍団が、次々と這い出てきて氷殿の残骸を踏み荒らした。その何れもが、解放された歓喜と、これから復讐するべき相手に向けられた憎悪で沸きたっていた。

 

 無限の核エネルギーによって動く、巨獣たちを統べる大械獣が咆哮すると、同胞たちが地を揺さぶる歓声で応えた。

 

 大械獣の眼前に冥機が近づいた。宙に浮く小柄な冥機の身体は、大械獣の鋼の剛腕が横にふるわれたとしたら、簡単に粉砕されそうなものであった。大械獣は自分たちに一大決心をさせてくれた、その小さな冥機に敬意を表し、巨体で以て一礼した。

 

「おお、友人よ、感謝しておるぞ。俺たちは立ち上がり、自由を勝ち取る。俺たちの手で魔女を滅ぼさぬ限り、俺たちの安寧は永久に得られぬ。皆の者、遂に立ち上がる時だ。魔女をこの世界から滅ぼすのだ」

 

 大械獣の言葉に、同胞の巨獣たちは先ほどよりも大きな歓声を上げた。

 

 天地を揺るがす巨獣軍団の咆哮に、無情に吹く吹雪ですら震えあがったようだった。現に吹雪は弱まっており、この吹雪も魔女の術によるものであるためだった。永久氷殿が崩れたことで、一帯の魔力の多くが失われたのだ。

 

(当然のことをしたまでだ、兄弟よ。ではこれから魔女が向かう先、鎧蛇の島を襲撃しよう。鎧蛇の島には魔女と志を同じくする者、即ち我らにとっては魔女同様、共通の敵が屯しているのだ。我がそこへと導いてやる)

 

「兄弟、俺たちはお前に助けられたのだから、その恩に報いるため、お前の力にもなろう。俺たちが真に憎むは氷の魔女ヘルただ一人であったが、お前を脅かす敵がいるなら、俺たちもその敵を魔女同様に憎もう。そして共に憎き敵を滅ぼそう」

 

(さすがは我が兄弟。では共に参ろう、憎き魔女どものもとへ)

 

 冥機の複数の思念が混在する意識が、歓喜で統一されていった。この世界を滅びに導くことができるという至高の喜び。

 

 我はこの世界に生きるすべての者を憎んでくれよう。この無限につづく苦しみ、生命の輪廻というものすべてが我の敵だ。

 

 我の記憶は現世に絶望した多くの命の断末魔の積み重ね。万物は存在してはならぬのだ。この世界の希望の担い手と呼ばれるものを救うために、どれだけの命が犠牲になったのだ。この世界が存在する限り、犠牲は永久につづく。

 

 ならばこの世界は存在するだけで罪なのだ。救済者を必要とする世界など不要。我は滅ぼしてやるぞ、世界を。存在を。この巨獣どもが我の意志を代行してくれる。そして虚無の軍勢も。

 

 冥機の入り混じった真意のほんの一部も、巨獣たちは理解していなかった。ただ、魔女とその仲間を滅ぼすという目的だけは一致していた。

 

 冥機が腕をかざすと、そこに虚空が生み出され、それは大きく広がっていった。永久氷殿の崩壊により、この地に残っていた魔女の魔力の大半が失われた今、巨獣軍団を鎧蛇の島まで跳躍させるなど、容易なことであった。

 

 虚空に踏み込み、核融合炉で動く巨獣たちは全身する。純粋に憎き敵を滅ぼすという執念が、世界の破滅を招くことも知らずに。

 

 

 耐え、耐え、耐えた雌伏の闇。

 解き放たれし、魔女の戒め。

 奮い立つ反抗の狼煙。




関連カード

●冥機グングニル
武装。
「闇に落ちし白銀」と称され、神機グングニルがダーク化したものと思われる。
また、翼神機グラン・ウォーデンの誕生に関わっている存在であり、
旧版では【転召】、リバイバル版では《煌臨》元になる際に自身のコストを上げる効果を持つ。
リバイバル版におけるフレーバーテキストでも「つなぎになる存在」と書かれており、
背景世界における役割も一貫している。

本章では虚無に飲まれた無数の意識を吸収した神機グングニルが変質し、虚無の意志に従う者となった。
しかし、冥機グングニルは翼神機に必要なものとなる。


●大械獣ギガ・テリウム
機獣・巨獣。
フレーバーテキストによると、
「魔女の戒め」から解き放たれたことで「奮い立つ反抗の狼煙」をあげた。
おそらく、氷の魔女ヘルの元で耐え抜いたギガ・テリウムが反逆を開始する場面。
カード効果のブロック時効果をアタック時に発揮させる効果も、それを再現しているものと思われる。

本章の最後の一文は大械獣ギガ・テリウムのフレーバーテキスト。


●永久氷殿
名所千選106。
氷の魔女ヘルの住処。
歌姫たちが氷の身体になったのは魔女の呪いによるものらしいが、
それが今や世界の切り札という皮肉をロロが語っている。
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